あんたがたどこさ歌詞。 あんたがたどこさのルール|ジャンプ遊び1人~複数人の遊び方を解説

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あんたがたどこさ歌詞

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場 せんば さ 船場山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉でちょいとかぶせ これが一般的に知られているあんたがたどこさの歌詞ですね。 「さ」のところで鞠を足にくぐらせ、最後の「ちょいとかぶせ」のところで、スカートの裾でボールを隠したり、体をくるっと一回転させたりします。 私はこの歌詞の意味を、東京あたりでたまたま同郷人に出会ったときの会話かなと想像していました。 「出身は?」 「肥後です」 「肥後!?僕も肥後ですよ。 えっ、肥後のどのへん?」 「熊本です」 「熊本!?まじで?熊本のどこ?」 「船場です」 「僕も船場ですよ。 こんなところで同郷人に会えるなんて」 みたいな感じです。 で、歌詞の後半は故郷のあるあるエピソード、みたいな(笑) 歌詞に繰り返しでてくる通り、これは 熊本県熊本市を舞台にした手毬唄、正式には「肥後手毬唄」といいます。 つまり、歌詞の意味としては、 出身地(熊本)やその土地のエピソードを語る問答歌ですね。 熊本には歌詞にでてくる船場山が実際にあり、熊本市船場地区の市電船場橋駅には狸像もあるそうです。 【手まりうた「あんたがたどこさ」わらべうた 童謡】 2. あんたがたどこさは埼玉県川越市の歌!? あんたがたどこさの「せんばやま」は 熊本の船場山ではなく、埼玉県川越市の仙波山であるという異説があります。 ときは幕末、薩長連合軍が討幕のために川越の仙波山に進軍したときのこと、付近に住む子供たちが「お侍さんたちはどこから来たの?」「肥後だよ」という会話があったとかなかったとか。 これがあんたがたどこさのモチーフになっているという説です。 この説を裏付けるのが歌詞の方言。 あんたがたどこさの歌詞は 関東の方言で、肥後の方言ではないそうです。 なるほど、これは仙波山説の有力な証拠ですね。 さらに、あんたがたどこさは 討幕の歌という説もあります。 仙波山には徳川家康公を祀った仙波東照宮があるのです。 家康といえば「狸」の俗称がついていますよね。 つまり、 仙波山の狸(=家康=江戸幕府)を煮たり焼いたりして、食ってしまおう(=倒してしまおう)、これがあんたがたどこさの歌詞の意味なのです。

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“あんどこ”

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怖い意味が隠されていそうな歌詞の童謡 なんか一度通ると、二度とは帰ってこられない門(あるいは関所?)を思わせる内容の歌詞です。 意味としては、七五三の神社のお参り(七つのお祝いだから女の子か?)して札を納めにいくときのことのようなのですが、なぜ、帰りは怖いのか、ということになります。 口減らしのために、子供を殺してしまうことを歌った歌だという説も。。。 色々と謎の多い歌詞ですが、「鶴と亀と滑った」は流産を連想させますし、「後ろの正面だあれ?」は幽霊や妖怪的なものを感じさせます。 また、罪人が首を切られ、その首が後ろの正面を向いたという説も。。。 「かごめかごめ」の遊びは、大勢で一人を取り囲んでぐるぐる回りますが、これは、どこかに閉じ込められている人のことを連想させ、遊女のことを歌った歌という説もあります。 小学校の先生の解説 では、お姉さんはお嫁に行ったのではなく、人身売買でどこかに売られていってしまったということでした。 しかし実際は、赤とんぼの歌は、作詞者の三木露風の個人的な体験に基づいているようで、家を出て行ってしまった母親と、昔、桑の実をつみに行ったことや、母親の代わりにめんどうを見ていてくれた姐(おそらく実の姉ではない)が、十五で嫁にいってしまったことなどが歌われています。 なお、「赤とんぼ=ゼロ戦」説もあります。 人身売買の歌という話もありますが、単に、遊びで友達を交換する遊び歌という気がします。 「勝って」や「負けて」の歌詞が、「買って」や「値引き」の意味にとれなくはありません。 「花いちもんめ」は、一匁の重さ分の紅の花という意味で、それなりに高価になるそうです。 歌詞を7文字づつに区切って一番右を縦に読むと 「とが無くて死す」と読めることから、無実の罪で死刑になった人が暗号の意味でよんだ歌であるという 都市伝説があります。 幼女の手毬が大名行列に飛び込んでしまい、手打ちにあってしまったのでしょうか??不思議な歌詞から妄想が膨らむということではダントツの曲です。 メダカ=水子という説や川に沈められた人柱の歌などの説がありますが。。。 北原白秋の作詞ですが、「金魚」「曼珠沙華」など、けっこう怖い内容の歌詞も書いています。 少し変わった人だったのかもしれません。 この曲では、「ずぶぬれで、柳のねかたで泣いている」という内容の歌詞が人々の想像をかきたてるようです。 なぜ花嫁が一人で雨の中、傘をさしてお嫁にいくのかの意味がよくわかりません。 一説によると、花嫁は死んでしまった娘のことで天国に一人で旅だつ様子を描いているというものがあります。 東北の娘が人身売買されることを歌った歌だという説もあります。 作詞者にその意図はなかったと思いますが、空が真っ赤になるという歌詞は、戦争や災害を連想させるようです。 怖い歌詞ということではありませんが、歌詞の内容が差別にあたるのでは、という問題があるそうです。 残酷な歌詞の童謡 後半の歌詞で「おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、ぶんどりものをえんやらや」というのがでてきます。 正義の味方というより、単なる泥棒なのでは。。。。 歌詞の最後が、「驚きまどう鬼どもを、ひとり残さず斬りころし、酒顛童子の首をとり、めでたく都に帰りけり」となっています。 何か歴史上の残酷な出来事にもとづいた話っぽい匂いがします。 歌詞は、てるてる坊主に、明日が天気になるようにお願いする内容ですが、もし天気にならなければ首を切ってしまうぞ、という童謡らしからぬ部分も。。。 「はさみでちょんぎるぞ」というのが歌詞の中に入ってます。 「それをりょうしが、てっぽうでうってさ、にてさ、やいてさ、たべてさ」というタヌキにとっては残酷な内容の歌詞です。 針を千本も飲んだら、死んでしまいます。。。 猫を袋に押し込んで蹴りまわすなど、動物虐待ではないでしょうか? 残酷というほどではないですが、少し可哀そうかも。。。 むちを振り回すなど、学校の先生が厳しすぎます。。。 歌を忘れてしまったカナリヤを、捨てたり、埋めたり、むちでぶったりと、けっこう残酷な歌詞です。 作詞者の西條八十は、家が破産してしまったために大学での研究や詩人になることをあきらめてしまったことと、歌を忘れたカナリヤとを関連付けていたようです。 難解な方言のため、歌詞の内容を全部理解できませんでしたが、タイトル自体が既に怖いです。 泣きやまなければ耳をきってしまうぞ、と子供を脅かす歌らしいのですが。。。 もともとの童話がそういう話ですが、恩を仇で返す的な話です。 何も悪いことをしていなくても、楽な生活をしているだけでバチが当たるという教訓なのでしょうか? あわて床屋 蟹の床屋が誤って兎の耳を切り落としてしまうという歌詞です。 最後のほうに熊をハメる落とし穴をつくるという内容の歌詞がでてきます。 けっきょく熊は穴をのぞいただけで逃げていくのですが。。。 悲しい逸話がある童謡 女の子が異人さんにつれられて行ってしまう話ですが、作詞者が見聞きした実話をベースにしているという説があります。 事情があって、アメリカ人の宣教師にもらわれた「きみ」という女の子が歌のモデルのようです。 さらわれたわけではないのですが、最終的には、この宣教師とも離れ離れになってしまったようです。 作詞者が幼くして死んでしまった子供のことを思って作ったという説があります。 作詞者の野口雨情の演奏旅行中に2歳で亡くなった次女のことを歌っているという説が有力です。 (流産説もありますが、作詞者の野口雨情は男性です。 ) 余談ですが、「しゃぼん玉」と「赤とんぼ」の出だしのメロディは、そっくりです。 逸話というより都市伝説ですが、さっちゃんは死んでしまった女の子の歌という話があります。 詳しくは左のリンク先のページでご覧ください。 作詞者が死んでしまった子供のことを思って作ったという説があります。 カラスは通常は不吉な鳥ですが、この歌ではそのイメージはありません。 7つの子が7歳の子なのか、7羽の子なのかについては、「たくさん」という意味で使っていたことをうかがわせる文章が残っているようです。 また、カラスは炭坑労働者を意味しているという説もあります。 作詞は海野厚という人ですが、柱のきずが去年のものではなく、おととしのものであることが問題です。 病弱だった作詞者は、5月5日に静岡の実家に帰れない年があり、それで弟の成長をはかる柱のきずが1年分、抜けてしまったということです。 作詞者は結局、若くしてお亡くなりになってしまったそうです。 作詞者のサトウ・ハチローが離婚したあと、引き取った二人の女の子を思って書いた歌詞という話があります。 「うれしいひなまつり」と言っているわりに、曲調も暗いです。。。 なぜかメキシコでは別の歌詞がつけられ、「悲しきみなしご」というタイトルで知られているようです。 からたちの花 作曲者の山田耕筰の活版工場でのつらい思い出を北原白秋が詩にしたものです。 不思議な歌詞の童謡・歌詞に謎がある童謡 無限ループに陥ってしまうという、ある意味、怖い歌詞かもしれません。 2名が会話する感じで歌詞が進んでいきますが、会話の主が不明です。 会話は人間の母親と子供の間なのか、象の母子の間なのか。 また、歌詞に関して、鼻が長いという身体的な特徴を否定的なものとしてとらえ、さらにそれが遺伝によるものであるということから、それを母親が子供に受け入れるように促しているという解釈があります。 かなりこじつけているようにも思えますが。。。。 と同じく、歌詞が母子の会話のようになっています。 「七つの子」が七羽なのか、七歳なのか、意見が分かれるところです。 真偽は分かりませんが、子供の死亡率が高かった頃に、7歳まで無事に生きてこられた、という意味がこめられているという説があります。

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あんたがたどこさ歌詞

こどもの頃、手毬をつきながら歌ったおなじみの童謡ですが、明るい曲調とは裏腹に、暗い影を感じさせる歌です。 煮て焼いて食われたタヌキとは、どんな意味を隠しているのか。 その謎に迫ってみたいと思います。 肥後熊本のせんば あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ リズム感のいい言葉にあわせて、てんてんと手毬をつきます。 歌いだしからたたみかけるように、話し相手の出身地がどこなのかを質問しています。 話し相手は、 肥後国熊本藩の「せんば」という所から来た者であることをあかしています。 ブラタモリ「熊本編」では、坪井川にかかる 洗馬橋(せんばばし)を紹介し、熊本城の堀を作った時の土を土塁にした場所を「せんば山」と称したのではないかという説明がありました。 「せんば」という地名は、海運の荷を積み下ろしする船着き場、「 船場(せんば)」に多くみられるので、熊本藩の主要な船着き場のことではないかとも考えられます。 熊本藩の年貢米の集積地は、熊本・川尻・高瀬・八代・大津・久住・鶴崎の7ヶ所にあり、中でも 高瀬が最大。 熊本藩でとれる肥後米(高瀬米)は良質で、大阪の米相場の基準となるブランド米でした。 せんば山のタヌキ せんば山にはタヌキがおってさ それを猟師が鉄砲で打ってさ 煮てさ 焼いてさ 食ってさ せんば山という名を持つ山は、熊本にはありません。 猟師が狩猟をするぐらいの山と考えると、上の地図を参照していただけば、 高瀬船場(熊本県玉名市)の北から西かけて緑の濃い山地があることがわかります。 また、「 煮てさ、焼いてさ、食ってさ」という歌詞を、「煮ても焼いても食えぬ」ということわざに関連づけて考えてみると、 「せんば山のタヌキ」は擬人。 船場を仕切る老獪なタヌキじじいという解釈もできます。 タヌキは金玉がでかいという俗説も考え合わせると、もしかしたら、強欲な船主が丁持衆の恨みを買って、惨殺された事件を題材にして生まれた歌なのかもしれません。 木の葉に隠された謎 それを木の葉でちょいと隠せ 最後のフレーズでついていた手毬を、昔は袴の下に、現代ではスカートの下に隠す動作をします。 この毬を隠す動作は、玉(魂)隠しという意味と、もしかしたら船主から奪った金を隠したのかもしれませんね。 熊本に「せんば山」はありませんが、 木葉山(このはやま)はあります。 高瀬船場からは地図の直線距離で約5キロしか離れていないことから、「木の葉でちょいと隠せ」の意味は、 木葉山に隠せという意味を含んでいるかもしれません。 あんたがたどこさの暗号 高瀬の治水工事を行い、米の積み出し港の整備をしたのは、初代熊本藩主の 加藤清正でした。 1611年、京都二条城で上洛した徳川家康と豊臣秀頼の会見が無事終わった後、熊本への帰路の船内で発病し、亡くなったことから、徳川による毒殺説があります。 しかし、徳川幕府の記録では、梅毒が死因とされています。 タヌキにたとえられる歴史上の有名な人物といえば、 徳川家康。 埼玉県川越市にある仙波山(せんばやま)の東照宮は家康を祀っています。 すると、 せんば山のタヌキは殺された側ではなく、殺した犯人を教える暗喩なのでしょうか。 ここで、木の葉に隠された謎が明らかになります。 木葉山には、木葉猿(このはざる)という奈良時代に起源をもつ素焼きの民芸品があり、それは下の写真のような人形です。 「見ざる、言わざる、聞かざる」、ここで気づかれることがあると思います。 三猿といえば、日光東照宮の彫刻が有名です。 日光東照宮は、徳川家康を祀る宮です。 これは偶然でしょうか。 童謡「あんたがたどこさ」に隠された深い意味は、 加藤清正を殺した真犯人は徳川家康。 見ざる、言わざる、聞かざるに葬られた真実は闇の中。 しかし、いつか明かされる日がくるかもしれません。 おまけ 本当は怖い童謡シリーズに共通して出てくるキーワードがあります。 それは 天神、秀吉、お茶です。 今回の 加藤清正は、小姓として秀吉に仕えて大出世した重臣でした。 高瀬船場の町には七天神が祀られており、古くから天神信仰があったようです。 そして船場につきものなのがお茶屋で、高瀬の御蔵に隣接して御茶屋も設営されていました。 またこの一帯は、西南戦争の初期の死闘が繰り広げられた戦場で、高瀬に官軍の大本営がありました。 総司令官は 有栖川宮熾仁親王。 皇女和宮の許嫁で、「とおりゃんせの謎」で少し触れました。 意図された一本の筋道がみえてくると、背筋がゾクッとするような怖さを感じます。 お楽しみいただけたでしょうか。 本当は怖い童謡シリーズ、都市伝説シリーズの配信をしています。 ぜひフォローとスキをお願いします。

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