寿司用語としての「貫」は元来、「数量(個数)」ではなく、おおよその「質量(分量)」を表す単位として用いらます。 相当分量は「1貫」あたり約40~50g前後で現在の標準的な握り寿司の「2個分程度」であり、「握り2個」で「1貫」と数えます。 通常、1個の場合は「半貫」と数えるが、「1貫(約2個分)」の大きさを満たす場合に限り「1個」でも「1貫」と、数える場合があります。 また別の数えかたとして、一部地方には「1貫分の分量」を「3個」に分け、「3個」で「1貫」と数える店もありますが、「2個」で「1貫」とするのが一般的です。 また、あまり一般的ではないが、古来より「一人前」に相当する量の握り寿司を「一貫揃い」と言い、1ネタ「半貫ずつ」の握りを詰めた「寿司折り」を「半貫折り」と称する場合があります。 握り寿司の数え方 現在では、握りずし1つを「1かん」と数え、「貫」の文字を当てることが多い。 すしを「かん」と数えた例は比較的最近からであり、古い文献に「かん」という特別な助数詞で数えた例はみあたらない。 いずれも1つ2つ、または1個2個である。 江戸時代末期の『守貞謾稿』では1つ2つと数えている。 明治43年(1910年)与兵衛鮓主人・小泉清三郎著『家庭 鮓のつけかた』、昭和5年(1930年)の永瀬牙之輔著『すし通』でも1つ2つ。 昭和35年(1960年)宮尾しげを著『すし物語』でもやはり1つ2つである。 ただし、すし職人の間で戦前のすし一人前分、握りずし5つと三つ切りの海苔巻き2つを太鼓のバチ(チャンチキ)に例えて、「5かんのチャンチキ」と呼んだとわずかに伝えられている。 もともと一般性がなく、忘れられかけていた「かん」という助数詞が、昭和の終わり頃から情報番組などでメディアに登場して注目され、「かん」という音の響きが握りずしにフィットしたこともあってか、現在定着するに至ったようである。 同時に「昔1かんのすしを二つに切って提供したなごりで、すし2つで1かんという」とした説も頻繁にメディアに登場したが、握りずしを二つに切って提供することが標準化した時代はない。 「ひとつ一口半」とされていたサイズが現在のサイズに切り替ったのは明治の中頃から戦前までの間と言われており(篠田統「すしの話」、長崎福三「江戸前の味」)、サイズが変わった後も、昭和の中頃になるまですしは1つずつ給仕されていた(宮尾しげを著『すし物語』)。 現在も尚、2つで1かんと呼んでいる人々はいるが、由来は不詳である。 「かん」の語源は諸説あり定かでないが、海苔巻き(もしくは笹巻きずしや棒ずしなどの巻いた形式のすし)1つを「1巻」と数えたことからという説が一番もっともらしい説。 他には江戸時代に穴あき銭を貫いて一つなぎしたものの「貫」から転じたという説、重さの単位「貫」から転じたという説などがある。 長いコピペ失礼しました。 以前この件に関してテレビで調べたのを見たことがあります。 関西と関東でも少し違うようでしたが、 最終的には「決まってないから、店によって違う」でしょうか。 ですから、知らないお店では安いネタで一貫を注文して、確認してから、本命のトロなどにいきましょう^^.
次のindex• にぎり寿司の単位「一貫」の意味とは 初めに結論を述べると、にぎり寿司の一貫の意味を「にぎり寿司1個」とする方が主流です。 厳密には定義されていないので、たとえ「一貫=にぎり寿司2個」と考えていたとしても、間違いとは言えません。 現在は、スーパーマーケットや全国展開している寿司チェーン店では、 にぎり寿司1個を一貫として扱っているところが多いです。 ただし、人によって一貫を「にぎり寿司1個とするか2個とするか」は異なります。 寿司屋についても、「にぎり寿司1つとするか2つとするか」は、店によって異なります。 一貫に対する考えについて来客が誤解しないように、にぎり寿司の数え方に個数を採用する寿司屋もあります。 ひとまず、一貫の意味を「にぎり寿司1個」と考えておきましょう。 寿司屋に行った際に、一皿に2個のにぎり寿司が載っているなら、二貫と数えて構いません。 この記事では、「一貫=にぎり寿司1個」として扱っていきます。 にぎり寿司を一貫ニ貫と数える理由 にぎり寿司の数え方として知られている「貫」ですが、重さとして使われる意味では「一貫=3. 75kg」です。 現在のにぎり寿司の一貫は、ネタを載せた状態で30g前後ですから、あまりにも重さが違います。 にぎり寿司の単位に「貫」が採用されて、一貫ニ貫……と数えられるようになった理由については、諸説あります。 代表的な説について、いくつか紹介しましょう。 江戸時代に使われていた文銭の重さに由来する説 江戸時代には、文銭というお金が使われていました。 一文銭の重さは、3. 75gと規定されています。 96枚の文銭を紐でまとめたものを銭差し百文と呼びます。 百文と呼ぶには4銭だけ足りないと思うでしょうが、百文の価値があるものとして扱われていました。 足りない4銭は、96銭を数えて紐でまとめる際の手間賃として考えられたからです。 ちなみに、10本の銭差し百文を銭さし一貫と呼びます。 文銭96枚は、重さにして360gです。 当時の寿司の重さは、銭差し百文と同じくらいだったと言われています。 本当かどうか定かではありませんが、江戸末期〜明治初期の寿司が原寸大で描かれているという「すしの絵」では、なんと 鮎1匹(約12cm)が載っています。 江戸東京博物館では、にぎり寿司の屋台にて、おにぎり大の寿司が展示されています。 現在のにぎり寿司と比較すると、3~5倍は大きかったことは確かです。 江戸時代では、にぎり寿司は大工などの肉体労働者の食べ物として好まれていました。 そのため、大きな寿司の方が受けがよかったのでしょう。 にぎり寿司は、本来なら銭差し百文と同じくらいの重さとされています。 それを景気よく「銭さし一貫と同じくらい」と誇張した結果、にぎり寿司1個を一貫と呼ぶようになったのではないかと考えられています。 にぎり寿司の一貫が小さくなったキッカケ 江戸時代の中後期(1818~1830年)、江戸両国の寿司職人である華屋与兵衛は、「9種類のネタを握った、1つ40gほどの寿司9つ」を出したそうです。 この握り方は、多くの一般人から支持されました。 与兵衛の寿司の握り方が他の寿司屋でも採用された結果、現在のように一口大に近い寿司が広まったと考えられています。 なお、与兵衛の自伝によると、与兵衛の握り方には、すでに何人かの先駆者がいたそうです。 与兵衛は彼らの握り方を知り、自身でも実践した結果、大成したというわけです。 明治~大正時代では、10銭を俗に一貫と呼んでいたことに由来する説 明治から大正時代にかけて、10銭のことを俗に一貫と呼んでいました。 この頃は、にぎり寿司1個が5銭くらいであったので、にぎり寿司2個を一貫と呼んだのではないかと考えられています。 にぎり寿司の一貫の呼び方が定着した時期 ところで、いつ頃から「にぎり寿司は一貫として数える」という数え方が定着したのでしょうか。 文献をたどっていくと、1970年(昭和45年)に篠田統が書いた「すしの本 増補版」に、にぎり寿司の数え方として「貫」が登場します。 吉野鮨本店の三代目である吉野曻雄からの聞き書きとして、「五貫のチャンチキ」と書かれています。 チャンチャキとは太鼓のバチであり、「五貫のチャンチキ」は「にぎり寿司5個と細巻き2本」という意味です。 それ以降の年代の文献にも、にぎり寿司の数え方として一貫(「イチかん」あるいは「いちかん」とも)という表現が登場します。 やがて、昭和後期のグルメブームの際に、にぎり寿司の数え方が一般人にも広まり始めたと言われています。 にぎり寿司の数え方が辞典にも記載されるようになった時期は、21世紀に入ってからです。 三省堂国語辞典の第五版(2001年)の「貫」の項目に登場します。 用例としては「タイのにぎり二貫」と表記されたようです。 にぎり寿司の戦前・戦後の違い にぎり寿司の戦前・戦後の違いを象徴するものと言えば、回転寿司です。 回転寿司の登場は、1958年(昭和33年)、大阪府の布施市(現・東大阪市)の近鉄布施駅北口で開店した「元禄寿司」が最初と言われています。 1970年(昭和45年)、日本万国博覧会に出店した元禄寿司は、食事優秀店として表彰されることとなります。 これにより、回転寿司の知名度は著しく高まりました。 ちなみに、今ではおなじみとなった軍艦巻きは、第二次世界大戦前である1941年(昭和16年)に登場したものです。 軍艦巻きの発案者は、東京銀座の寿司店「久兵衛」の主人であったと言われています。 ウニを持参した常連客から「これで寿司を握ってくれ」と言われた主人は、シャリの周りを海苔で囲うという方法を編み出しました。 当時、軍艦巻きは、寿司業者からゲテモノ扱いされました。 江戸前のにぎり寿司の伝統に合わなかったからです。 しかし、不安定なネタでもシャリに載せられる有用性が認められた結果、戦後は一般的なものとなりました。 にぎり寿司一貫のシャリの重さとカロリー にぎり寿司のシャリの重さは、さまざまな要因によって変わります。 たとえシャリ製造機のような機械作業であっても、店舗によって設定しているシャリの重さは異なります。 大手チェーンの回転寿司店のシャリは、重さ18gを採用しているそうです。 一般の人々に慣れ親しまれている点を考慮すると、にぎり寿司一貫のシャリの重さを18gと考えてもいいでしょう。 次に、にぎり寿司一貫のシャリのカロリーについてです。 米(精米)100gは、360kcalと言われています。 これに基づいて計算すると、にぎり寿司一貫のシャリのカロリーは、64. 8kcalとなります。 にぎり寿司一貫には何粒の米が使われているか 米穀安定供給確保支援機構によると、ご飯(炊いた精米)150gの米粒は、約3250粒だそうです。 すなわち、ご飯1gあたり約22粒の米が含まれていることになります。 シャリの重さを18gと仮定すると、約390粒の米が使われている計算になります。 まとめ 現在のにぎり寿司の数え方は、「一貫=にぎり寿司1個」とする方が主流となっています。 しかし、厳密に定義されているわけではありません。 にぎり寿司を一貫二貫と数えるようになった理由には、江戸時代の銭差し百文の重さに関する説もあれば、明治~大正時代の10銭の俗な呼び方に関する説もあります。 真説は定かではありません。 にぎり寿司を一貫として呼び始めた時期は、文献としては1970年(昭和45年)の「すしの本 増補版」が初めのようです。 昭和後期のグルメブームの際に、一般人に広まったと考えられています。 辞典として一貫という言葉が登場した時期は、2001年(平成13年)に出版された三省堂国語辞典第五版とされています。 にぎり寿司の歴史を知ることで、今度から寿司を食べる際に、歴史の趣も味わえることでしょう。 二重の意味で、にぎり寿司の味を楽しんでください。
次のスポンサーリンク 握り寿司を「一貫」、「二貫」と数えるのはなぜ? 外国人にも大人気の日本食である寿司も独特の数え方をします。 握り寿司なら、一つ、二つ、でも、一個、二個ではなく 「一貫 いっかん 」、 「二貫 にかん 」と数えます。 じつは、握り寿司が広まった江戸時代後期の数え方は、一つ、二つで、まだ 「貫」ではなかったとされています。 時代が下り明治から大正、昭和になっても、寿司について書かれた書物には 「貫」はほとんど出てきません。 1975年に出版された「すし技術教科書 江戸前寿司編」という本でようやく、握りずしを 「一カン」と数える記述が多くみられるようになったといいます。 「貫」という数え方は、ごく最近のことなのです。 「一貫」、「二貫」の語源については諸説があり、「寿司を握るときの力を「一貫目の氷を重しにしたくらい」と表現したことが由来という説があります。 また、江戸時代には貨幣の穴にひもを通し、「 貨幣価値で 一貫もある」というように誇張することがあり、その束ねた貨幣の大きさや重さが寿司と同じ程度であったという説もあります。 江戸っ子が握り寿司の重さを誇張して 「一貫寿司」と呼んだともいわれますが、 「一貫」は約3. 75キログラムなので、あまりに誇張しすぎでしょう。 あるいは、巻き寿司を 「一巻 いっかん 」と数えたことから、握り寿司では 「貫」の字をあてたという説もあり、どれが正しいのかははっきりしていません。
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