背水の陣でこちらを見る目があるのである。 それが一人ならともかく、たくさんの背水の陣の目が並んでこちらを見ている。 聴衆全員の向うが背水で、海が控えているのだ。 … 赤瀬川原平『老人力 全一冊』 より引用• 大将たちの頭の中では、それは背水の陣を敷く一つの方法なのです。 それが奴らの常套手段なのです。 … ベルナノス『田舎司祭の日記』 より引用• 真白に灼けた道がうねうねと屈曲しながら、五六町向うに鬱蒼としげっている雑木林の中に消えているが、ざわめきはその林の向うあたりから聞こえて来る。 格はずれの布陣に背水の陣というのがあるが、この場合には不適当だ。 寡勢にすぎる。 … 海音寺潮五郎『平将門 中巻』 より引用• 秀才参謀たちは、この計画を五相会議に提示すべく不眠不休で研究し、討議をつづけていた。 いってみれば背水の陣を布いてこの妙策を提出しようとしていた。 それゆえ、せっかくの関東軍司令官名の申し出ではあるが、三宅坂上は新京につれなくも袖を振ってしまう。 … 半藤一利『ノモンハンの夏』 より引用• この頃、小山内祐三東京工場長ら、創業以来の社員が先頭に立って、従業員組合を結成した。 社員たちは、背水の陣を余儀なくされた竹鶴を安閑と見てはいられなかった。 組合の代表は大阪に向った。 … 川又一英『ヒゲのウヰスキー誕生す』 より引用• そういう場合は安心して戦うことができる。 その点、今回はどんな戦にせよ背水の陣というところがある。 父・オシロワケ王に対する不信感もあった。 … 黒岩重吾『白鳥の王子 ヤマトタケル 5 東征の巻(下)』 より引用• 背水といったって、泳ぐ体力もあるだろうし。 壇上にいるぼくだって背水の陣のつもりではあるが、しかしまだそうはいえませんね。 年齢を考えてもまだ波打際まで余裕はあるし。 … 赤瀬川原平『老人力 全一冊』 より引用• 日本の国民は背水の陣をひかえれば、ほんとのすばらしい力をきっと出す。 半藤一利『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 より引用• しかしどうしてもデザインがしたかった小谷は、全財産の8万円を持って東京へ飛び出す。 親の支援も無く、背水の陣の思いの中での決意だった。 東京に出てきた当初は、銀座のクラブで働きながら漫画を描き、時に投稿などを行うという生活を送っていた。 井陘の戦いとは、中国の楚漢戦争の中で漢軍と趙軍とが井陘にて激突した戦い。 韓信率いる漢軍が背水の陣という独創的な戦術を使って趙軍を打ち破った。 劉邦軍の別働軍として進発した韓信軍は、まず魏を降し、代を降して趙へとやってきていた。 日下は、もうはじめから「ロマン」へは帰らないと決めている。 これまた背水の陣で立派なものだと感心する。 高田は本当は小説を書いていきたいと思っているが、この世界へなまじ足を突込んで、実状知っているだけに、ついつい二の足踏んで遮二無二のめり込んでいけない。 … 青島幸男『極楽トンボ』 より引用• 老人一人、という場合はとくにわからなかったが、老人の団塊を前にすると、何かしら「背水の陣」というものを感じてしまう。 背水の陣でこちらを見る目があるのである。 それが一人ならともかく、たくさんの背水の陣の目が並んでこちらを見ている。 … 赤瀬川原平『老人力 全一冊』 より引用• 呪いっていうのはさ、あたしらから見れば願掛けと同じようなものなんだ。 絶対に叶えたい願いを成就させるためだったら、人間ってのは背水の陣を敷く。 … 奈須きのこ『歌月十夜 03 宵待閑話』 より引用• タマネギを何トンも腐らせるなど、失敗が重なって、百姓が商売するのがまちがっていたのだと、一時は店をたたむことを考えた。 しかしイグアスへは、背水の陣を敷くつもりで、出て来たのである。 ここで失敗すれば、国境のパラナ河を越えて、パラグアイへ逃げ込むほかない。 … 佐木隆三『旅人たちの南十字星 「逃亡射殺」に改題 』 より引用• 登美子は最後の線まで後退し、譲歩できる所まで譲歩していた。 その最後の線での抵抗は、背水の陣のようだった。 彼女自身、理窟も何もなしに、もうこれ以上は譲歩できない、したくともできないという所に追いつめられていたのだった。 … 石川達三『青春の蹉跌』 より引用• しかしスタッフが背水の陣で臨んで発売したところ、同社のオリジナル作品で最高の評価を得ることができた。 仮に、何かの間違いで俺が勝っても、みんなはすぐに 背水 はいすいの 陣 じんというわけじゃない。 その安心感ゆえの甘さが、俺がここまで強気に出る根拠へのヒントをボケさせる!! … 竜騎士07『ひぐらしのなく頃に 外伝 猫殺し編』 より引用• ジョクはゾクッとした。 この瞬間に、ピネガンは背水の陣をしいた、とジョクにもわかったのである。 … 富野由悠季『オーラバトラー戦記 08 マシン増殖』 より引用• この知らせは本人よりも、彼の教え子たちをひどく喜ばせた。 なぜなら阿南の陸大受験は三回落第して、背水の陣の四回目であったからだ。 教え子の一人が、未来の閣下を約束されたとして、冗談をいった。 … 半藤一利『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 より引用• 復帰の条件として、日本チャンピオンになれなければ離婚と背水の陣で臨んだ。
次の背水の陣の意味とは 背水の陣の意味は、もう後がない状況下において決死の覚悟を持って行動することです。 「背水」は背中に水がある状況、振り向けば後に川や海、湖などが広がっている状況で逃げることができない、後ろに下がることができないと言うことを意味します、「陣」は兵隊を配置することとなります。 戦地において、逃げ道がない状況は非常に困難であり、危険な状況ですが、それを乗り換える為の精神的な部分を指しいると言えるのではないでしょうか。 背水の陣の由来 背水の陣の由来は、漢と趙との戦いで劉邦の部下の韓信 かんしん が兵士たちをあえて、川を背にした人を取らせることで、負ければ生きられないと言う状況を作り出し、決死の覚悟で戦い見事勝利を収めたというところから来ています。 当時は味方の兵士を追い込むと同時に相手を油断させる心理的作戦でもあったでしょう。 背水の陣の文章・例文 例文1. 大学受験まであと一カ月背水の陣の覚悟で勉強する 例文2. 夏休みの宿題がまだ終わっていない、背水の陣で取り組む 例文3. 背水の陣の覚悟があれば、多くの問題は解決する 例文4. 0-2となった時から背水の陣で攻撃にでた結果、逆転が出来た 例文5. 勝負所では背水の陣の気持ちで取り組む事が重要だ 背水の陣は気持ちの持ちようや覚悟の表れを、表現する言葉です。 日常生活や文章をニュースいろいろなところで使われる言葉ですのでしっかりと覚えておくべきでしょう。
次の「背水の陣」の由来 「背水の陣」の出典は『史記』の「淮陰公伝 わいいんこうでん 」という章です。 そして、韓信という武将がとった戦術が「背水の陣」の由来になっています。 詳しく見ていきましょう。 漢には、韓信という名将がいました。 ちなみに、「淮陰公」とは、韓信のことです。 彼はある時、趙という国の軍と戦う時に、わざと川を背にして陣をしき、そこで趙の軍を迎え撃つことにしました。 ちなみに、兵法では山を背にし、川には顔を向けて陣を敷くのがふつうで、川に背を向けて陣を敷くのは兵法を知らない人くらいでした。 なぜなら、もし負けた場合、退却することができず、大打撃を受けてしまうからです。 しかし、韓信は兵法をよく知っていました。 そんな彼が背水の陣を敷いたのには、いくつかの理由がありました。 まず1つめは 味方に退却できないという決死の覚悟をさせ、全力で戦わせるためです。 次に2つめは 背水の陣を相手に見せて、油断させるためです。 上記の通り、背水の陣を敷くのはふつう、兵法を知らない素人くらいですから、相手は韓信を愚かな武将だと思い、油断したことでしょう。 そして、調子に乗った敵を城から誘い出し、別動隊で空になった城を攻め落とすつもりだったのです。 つまり、背水の陣は決して、追い込まれてやっていたわけではありません。 勝つために最善の方法を考えた結果、やったことなのです。 ちなみに、韓信はこの戦いで大勝しました。
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