でも、まだ生きていますよ(笑)。 がんは本当にわからないことが多いので、あわてないことです」 末期がんで闘病中だという織田無道だが、血色はよく意気軒昂。 「織田さんは1990年代に霊能者としてテレビに引っ張りだこでした。 当時は宜保愛子さんもいてオカルトブームだったんです。 水晶玉を使って霊視をするんですが、酒は飲むし女が好きという破天荒キャラ。 神奈川県の円光寺住職で、信長の子孫を名乗っていましたね。 2002年に虚偽登記で逮捕され、その後も給与トラブルがあり、テレビから消えました」(テレビ誌ライター) 「お祓いは気合」で住職稼業が一転 最初から霊能者だったわけではなかったという。 「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。 私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」 多いときで週に10本の番組に出演する売れっ子に。 「テレビを何百本もやっているとヤラセが出てくる。 当時のテレビはヤラセだらけ。 クイズ番組なんかはひどくて、最初から解答が渡されていたんです」 バラエティー番組だからと割り切って出演していたという。 バブルの余韻でテレビ業界はイケイケだった。
次の織田無道 除霊なんてできない 織田無道は、除霊をする力などありませんでした。 「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。 私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」 織田無道 石橋貴明 織田無道はそんな黄金期のテレビ番組に出る中で、 すごかった人間は石橋貴明だと言っています。 テレビの黄金期の中で、もっとも輝いて見えたのが石橋貴明だったという。 「すごく面白いし、私ら坊主にとっても参考になることがいっぱいありました。 禅には『有溝無溝』という言葉があります。 構えはあってないのと同じで、最終的には心の闘いが勝敗を決定するものだという意味ですが、まさに石橋さんはその言葉どおりの人。 僧侶でも普通の悟りでは到達できない領域です。 』に出演していて、石橋のアドリブに驚かされた。 「霊がとりついている人を呼んでスタジオ収録をしたんです。 若い女性で、ミニスカート姿。 カメラがひざのお皿をアップで映すと、人の顔のようにも見えますよね。 彼女が出てきた一瞬で、ひらめきが芽生えたんです。 いつも、よくそんな発想が出るなと感心していましたね」 織田無道 逮捕の裏側 織田無道は2002年に逮捕されました。 2002年に逮捕されて有罪判決を受けたことについては、今も納得していない。 「まったくくだらない理由です。 会ったこともない人間にテレパシーで虚偽登記などの文書偽造を指示したというバカげた判決。 もっと重要な犯罪があるのに、私がテレビにバンバン出ていたから狙われたんでしょう」 留置所には3か月ほど入っていたが、さほど苦痛ではなかったらしい。 「うなぎでも天丼でも、好きな出前を頼んで食べていました。 不自由さはありませんでしたね。 留置所から出た後も普通にしていましたよ。 別に大した罪でもあるまいし。 それでいいと思う。 バラエティ番組なんかでタレントが政治発言をするようになってからテレビがつまんなくなった、 と言いたいけど、そうではなくて、 テレビで言ってることを笑い飛ばせる空気がなくなったからつまんなくなったんだと思う。 全身ガンって美容外科の高須先生もだけど、もう自分の信じるままに悔いなく生きようと思うんじゃないかな。 織田さん面白い。 それができる原因は、限りある公共の電波を独占できるから。 なぜ数社だけが電波を独占できるのか? 電波を利用するためには選挙とまでは言わないにしても、もっと国民の監視下にテレビ局を置くような制度にするべきだと思う。 カウンタックに乗って来た織田さんは暫く現場を見て回ったあと、ここは私の力では無理ですもっと徳を積んだ高尚な人に依頼して下さい、と言って報酬を受け取らずに帰って行った。 そこは本当にヤバい土地で悲惨な事故が何度も起きた場所だったから、織田さんてちゃんとした人なんだなって印象を受けたよ。 それでもテレビの人はしつこく何度も「除霊」を連発してた。 その番組中、織田氏はかたくなに「除霊ではなく加持祈祷です」と言い続けてた。 ある人の生まれ変わりの人の著書も信じてないけど、面白いので小説として見ていました。 テレビで映るものを事実と思い込んで、悪役側の人をネットで攻撃する人がいるのは残念だと思っています。
次の全身25ヵ所にガンが転移しているという織田氏。 現在は日に何度か外出できるほどに回復している 「今年の1月~4月は地獄でした。 激しい目まいと強烈な吐き気で、起き上がることもできない。 ずっと寝たきりです。 2月には心臓が止まったこともあります。 意識がフワッ~とし、気づいたら病院で人工呼吸器をつけていた。 幸い一命をとりとめましたが、死を明確に意識しました」 こう語るのは、90年代に毎日のようにバラエティ番組に出演していた僧侶の織田無道氏(67)だ。 織田氏は現在、末期ガンと闘っている。 大腸、直腸、肝臓、肺、胃など全身25ヵ所に転移。 激しい痛みに悩まされることもあると言うが、往年の張りのある声と鋭い眼光は失っていない。 怪僧・織田氏がガンとの壮絶な闘病を明かすーー。 「最初に異変に気づいたのは、2年前の3月です。 右ヒザが痛むので、かかりつけの病院に行きました。 血液まで取り診断しましたが『何ともない』とのこと。 ただ、しばらくしても痛みは治りません。 そこで6月に大学病院でレントゲンを撮りセカンドオピニオンを受けたら、医者が神妙な顔でこう話すんです。 『ガンが全身に広がっています。 余命1年です』と。 頭が真っ白になりました。 私は肉も女性も酒も好む坊主として、精力的に生きてきました。 まさか自分がと……」 織田氏は、別のいくつかの病院でも診察を受ける。 だが、結果は同じだった。 「どこの医者からも、言われることは一緒でした。 『ストレートに言います。 手術や抗ガン剤治療をしても手遅れです。 持って1年半でしょう』と。 レントゲン写真を見ると、肺などガン細胞で真っ白。 医者もお手上げ状態だったんです」 医学による治癒を諦めた織田氏は、一時期、民間療法に頼った。 漢方薬の調剤師、知人の僧侶、超能力者……。 「全部で3000万円ぐらいつぎ込んだかな。 1本2万円の謎のドリンクを、毎日飲んだこともあります。 服用した直後はなんとなく体調が良くなった気になりますが、大半はハッキリとした効用なんてありません。 ほとんどが詐欺のようなものだった…と私は思っています。 藁にもすがる思いのガン患者を、カネ儲けの手段にしている悪い人たちもいるんです。 私自身もいけなかった。 いろいろな人のアドバイスを聞いて、自分を見失ってしまったんです。 ある専門家は『肉を食ったほうがいい』と話し、別の人間は『肉などもっての他』と言う。 周囲の意見に振り回されていました」 夢に親が現れ死を実感 夫人や子どもたちのサポートも織田氏にとっては心の支え。 インタビュー中もガンを意識したびたびファイティングポーズをとった ガン告知前は100kgほどあった体重は、70kg以下にまで落ちてしまう。 体調は一進一退だったが、「ガンに負けてたまるか」という気力は徐々に失せていった。 「ある人の勧めで、身体にイイからと蕎麦ばかり食べていたんですが、するとどんどん体重が落ちてしまってね。 そこで好物のメンチカツを食べたら、下痢になってしまった。 専門家からは『ガンのせいだ』と言われましたが、冷静に考えると当然のことです。 久しぶりに脂分の多いモノを食べ、身体がビックリしただけのことでしょう」 しだいに寝たきり生活となる。 病床でも奇妙な夢を見るようになった。 「亡くなったオヤジやオフクロが、夢に出てくるようになったんです。 死を実感するようになりました。 『親が招いている。 あぁ、オレもいよいよかな』と。 同時にこうも思った。 『このままガンに負けてしまうのか。 悔しいなぁ。 最後は僧侶として自分の生き様が正しかったのか、試してから死にたい』、と」 民間療法に効果ナシと悟った織田氏は、原点に帰る。 漢方やサプリなど、周囲に勧められた療法を止めたのだ。 治療法がないのであれば、後は生きるも死ぬも気持ち次第。 とにかく前向きに物事をとらえようと、考え方を変えたという。 「不思議なモノですね。 それまで『ガンにはかなわない』と後ろ向きだった気持ちが、自分の意志で戦おうと思うと、『絶対に勝ってやる』と積極的になっていったんです。 私は格闘技をやっていた経験から感じるのですが、いくら技術や腕力があっても思考がマイナスだと絶対に勝てない。 気持ちを保つために、その人にとって一番いいことがあるはずで、それをやるのは、気持ちを前向きにするにはとても大事なことでしょう。 『病は気から』とは、よく言ったモノです。 気持ちが前向きになると、体調も少しずつ回復していきました」 織田氏は、新型コロナウイルスの影響で外出自粛傾向にある現状にも警鐘を鳴らす。 「私の気力が戻った要因の一つが外出です。 毎日太陽の陽を浴び散歩をしています。 寝たきりで家に引きこもっていた時期は、『ツラいツラい』と消極的なことしか考えられなかった。 ずっと屋内にいると、気持ちがマイナスになりがちです。 まだコロナへの警戒を解いてはいけませんが、少なくとも日に一度は外に出て新鮮な空気を吸うことは、生きるモチベーションを保つために大切だと思います」 「地獄から生還し、いまは恐いモノがない」と笑う織田氏。 気力が戻り、目標が二つできたと話す。 来年行われるフルマラソン大会に、10年ぶりに参加すること。 そして大好きな焼肉を、腹一杯食うことだ。 撮影:西崎進也.
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