第10位 禰豆子が小さくなって逃げるシーン 第10位は炭治郎に逃げるように言われて走り出す禰豆子。 カナヲに狙われて切られそうになった瞬間、背を縮めて子供の姿に変身し「とててててて」と可愛らしい足音を立てて逃げ出します。 最終的には追い詰められてしまいますが、カラスの伝令で本部へ連れ帰るように命令が入り助かりました。 その頃冨岡としのぶは…… しのぶの継子カナヲは禰豆子を追いかけ仕留めようとしていましたが、その頃冨岡も禰豆子を逃がす為にしのぶをアームロックで食い止めていました。 そして2年前からの話で間を伸ばそうとしたところ、しのぶに「嫌われているといった事根に持ってます?」といわれかなりダメージを受けてしまいました。 第7位 天元が最後の言葉を言い残せなかったシーン 第7位は天元が最後の言葉を妻に残……そうとしたシーン。 大けがと毒により瀕死となってしまった天元は最後の言葉を妻たちに残そうとします。 しかし3人の妻のうちの1人が大騒ぎ!天元の言葉を遮ってしまい最後の言葉を告げる事も出来ないまま毒が回って喋れなくなってしまいました。 このシーンはコミカルに描かれていたので助かる気はしていましたが…… 天元を救った救世主は禰豆子 もはやこれまでかと天元もあきらめかけたその時、4人の元へひょっこりやって来たのは禰豆子でした。 禰豆子は天元に触れると毒を燃やす血鬼術で天元の身体から毒を消し去ってしまいます。 しかしその姿はまさに燃えている姿そのもので、一時は妻の1人に怒られてお尻を叩かれそうになりました(笑) 第6位 甘露寺が走り寄ってくるシーン 第6位は個人的に好きだったこのシーン。 刀鍛冶が暮らす里へやって来た炭治郎の元へ甘露寺が泣きながら走り寄ってくるのですが、その際に大きく開いた胸元を見て炭治郎が「乳房が零れ出そうです!」と注意します。 しかも2回も「危ない!!」と真剣に言っている所がなんだか笑える名シーンでした(笑) 第5位 禰豆子の覚醒シーン 第5位は禰豆子が炭治郎のピンチで大人の姿になって鬼化が進んでしまうシーン!体中に紋様のような物と血管が浮き出て、右の額からは鬼の証でもあるツノが生えてしまっています。 こうなった禰豆子はパワーだけでなく再生能力も飛躍的に向上するのですが、自我を失ってしまい本当の鬼になってしまいそうになります。 そんな禰豆子を落ち着かせたのは炭治郎の子守歌 鬼化が進み過ぎて炭治郎でも止められなくなってしまった禰豆子でしたが、天元に「子守歌でも歌ってやれ」といわれて炭治郎は昔母親が歌っていた子守歌を禰豆子に歌って聞かせます。 すると禰豆子はみるみる落ち着きを取り戻し、最終的に子供の姿に戻り涙を流しながら眠りにつきました。 第4位 鱗滝からの手紙を読み上げるシーン 第4位はお館様の前に柱が勢ぞろいしひざをついて話しを聞くシーン。 普段個性が強すぎてまとまりがほとんどない柱たちですが、お館様を前にするとビシッとまとまりを見せます。 この時は炭治郎と禰豆子の事についての話だったのですが、禰豆子の扱いに関して騒ぎ立てる一面もあったものの、お館様が指を口に当てるとぴたりと静まり返りました。 第3位 妓夫太郎兄妹の最後のシーン 第3位は妓夫太郎と堕姫の最後のシーン。 首を切られた2人は顔を向い合せるように転がり激しい口喧嘩を始めてしまいます。 喧嘩はエスカレートし、妓夫太郎はつい「お前なんか生まれて来なきゃよかった」と言いそうに……その時炭治郎は妓夫太郎の口をふさぎ、代わりに「嘘だよ」と言いました。 大泣きする堕姫。 それでも最後は一緒に…… 灰のように消えてしまい死んでしまった2人。 妓夫太郎は地獄へ行く覚悟をして歩き始めます。 そこへやって来た堕姫。 その姿を見ると昔の人間の姿になっていました。 これから地獄へと落ちていく妓夫太郎は堕姫に向かって「お前は反対の明るいほうへ行け」と告げます。 しかし泣きながらずっと一緒だと言って飛びつく堕姫。 2人はそのまま地獄へと仲良く落ちていきました。 第2位 禰豆子が冨岡から炭治郎を守るシーン 第2位は序盤で鬼化した禰豆子が炭治郎を必死に守ろうとするシーン!最初は鬼化の影響で炭治郎の命を狙っていたのですが、冨岡に気絶させられた姿を見ると一瞬の隙をついて炭治郎の元へ駆け寄ります。 この時冨岡も「食われる」と思ったのですが、禰豆子が取った行動は「守る」という行為。 これに驚いた冨岡は禰豆子を気絶させ、殺さずに見逃す事にしました。 第1位 煉獄の最後のシーン 第1位はやはり煉獄の最後のシーン。 現在のところ柱で唯一死んでしまったキャラクターですが、さまざまな名言を残して最後は笑顔で逝ってしまいました。 ちなみにこの笑顔は既に亡くなった母の姿を見て、自分がやるべきことを果たせたか尋ね「立派にできましたよ」と褒められたのを喜んで息を引き取ったシーンです。 名シーンランキングまとめ ここまでランキングを付けてきましたがいかがだったでしょうか?正直他にも沢山名シーンはあって悩みましたが1位は煉獄の最後にしました。 善逸や伊之助の名シーンを上げなくて怒られそうですが、今回はここまででご勘弁願います(笑).
次の第10位 禰豆子が小さくなって逃げるシーン 第10位は炭治郎に逃げるように言われて走り出す禰豆子。 カナヲに狙われて切られそうになった瞬間、背を縮めて子供の姿に変身し「とててててて」と可愛らしい足音を立てて逃げ出します。 最終的には追い詰められてしまいますが、カラスの伝令で本部へ連れ帰るように命令が入り助かりました。 その頃冨岡としのぶは…… しのぶの継子カナヲは禰豆子を追いかけ仕留めようとしていましたが、その頃冨岡も禰豆子を逃がす為にしのぶをアームロックで食い止めていました。 そして2年前からの話で間を伸ばそうとしたところ、しのぶに「嫌われているといった事根に持ってます?」といわれかなりダメージを受けてしまいました。 第7位 天元が最後の言葉を言い残せなかったシーン 第7位は天元が最後の言葉を妻に残……そうとしたシーン。 大けがと毒により瀕死となってしまった天元は最後の言葉を妻たちに残そうとします。 しかし3人の妻のうちの1人が大騒ぎ!天元の言葉を遮ってしまい最後の言葉を告げる事も出来ないまま毒が回って喋れなくなってしまいました。 このシーンはコミカルに描かれていたので助かる気はしていましたが…… 天元を救った救世主は禰豆子 もはやこれまでかと天元もあきらめかけたその時、4人の元へひょっこりやって来たのは禰豆子でした。 禰豆子は天元に触れると毒を燃やす血鬼術で天元の身体から毒を消し去ってしまいます。 しかしその姿はまさに燃えている姿そのもので、一時は妻の1人に怒られてお尻を叩かれそうになりました(笑) 第6位 甘露寺が走り寄ってくるシーン 第6位は個人的に好きだったこのシーン。 刀鍛冶が暮らす里へやって来た炭治郎の元へ甘露寺が泣きながら走り寄ってくるのですが、その際に大きく開いた胸元を見て炭治郎が「乳房が零れ出そうです!」と注意します。 しかも2回も「危ない!!」と真剣に言っている所がなんだか笑える名シーンでした(笑) 第5位 禰豆子の覚醒シーン 第5位は禰豆子が炭治郎のピンチで大人の姿になって鬼化が進んでしまうシーン!体中に紋様のような物と血管が浮き出て、右の額からは鬼の証でもあるツノが生えてしまっています。 こうなった禰豆子はパワーだけでなく再生能力も飛躍的に向上するのですが、自我を失ってしまい本当の鬼になってしまいそうになります。 そんな禰豆子を落ち着かせたのは炭治郎の子守歌 鬼化が進み過ぎて炭治郎でも止められなくなってしまった禰豆子でしたが、天元に「子守歌でも歌ってやれ」といわれて炭治郎は昔母親が歌っていた子守歌を禰豆子に歌って聞かせます。 すると禰豆子はみるみる落ち着きを取り戻し、最終的に子供の姿に戻り涙を流しながら眠りにつきました。 第4位 鱗滝からの手紙を読み上げるシーン 第4位はお館様の前に柱が勢ぞろいしひざをついて話しを聞くシーン。 普段個性が強すぎてまとまりがほとんどない柱たちですが、お館様を前にするとビシッとまとまりを見せます。 この時は炭治郎と禰豆子の事についての話だったのですが、禰豆子の扱いに関して騒ぎ立てる一面もあったものの、お館様が指を口に当てるとぴたりと静まり返りました。 第3位 妓夫太郎兄妹の最後のシーン 第3位は妓夫太郎と堕姫の最後のシーン。 首を切られた2人は顔を向い合せるように転がり激しい口喧嘩を始めてしまいます。 喧嘩はエスカレートし、妓夫太郎はつい「お前なんか生まれて来なきゃよかった」と言いそうに……その時炭治郎は妓夫太郎の口をふさぎ、代わりに「嘘だよ」と言いました。 大泣きする堕姫。 それでも最後は一緒に…… 灰のように消えてしまい死んでしまった2人。 妓夫太郎は地獄へ行く覚悟をして歩き始めます。 そこへやって来た堕姫。 その姿を見ると昔の人間の姿になっていました。 これから地獄へと落ちていく妓夫太郎は堕姫に向かって「お前は反対の明るいほうへ行け」と告げます。 しかし泣きながらずっと一緒だと言って飛びつく堕姫。 2人はそのまま地獄へと仲良く落ちていきました。 第2位 禰豆子が冨岡から炭治郎を守るシーン 第2位は序盤で鬼化した禰豆子が炭治郎を必死に守ろうとするシーン!最初は鬼化の影響で炭治郎の命を狙っていたのですが、冨岡に気絶させられた姿を見ると一瞬の隙をついて炭治郎の元へ駆け寄ります。 この時冨岡も「食われる」と思ったのですが、禰豆子が取った行動は「守る」という行為。 これに驚いた冨岡は禰豆子を気絶させ、殺さずに見逃す事にしました。 第1位 煉獄の最後のシーン 第1位はやはり煉獄の最後のシーン。 現在のところ柱で唯一死んでしまったキャラクターですが、さまざまな名言を残して最後は笑顔で逝ってしまいました。 ちなみにこの笑顔は既に亡くなった母の姿を見て、自分がやるべきことを果たせたか尋ね「立派にできましたよ」と褒められたのを喜んで息を引き取ったシーンです。 名シーンランキングまとめ ここまでランキングを付けてきましたがいかがだったでしょうか?正直他にも沢山名シーンはあって悩みましたが1位は煉獄の最後にしました。 善逸や伊之助の名シーンを上げなくて怒られそうですが、今回はここまででご勘弁願います(笑).
次のいまのジャンプでまず最初に読まれる『鬼滅の刃』の強さ 『鬼滅の刃』の人気がとどまるところを知らない。 テレビ番組でいろいろと特集され、街中で人が噂をしているのを耳にする。 日本中を席巻しているようなブームである。 人を喰らう鬼たちと、それと戦う若者たちのお話である。 私は何年か前から週刊少年ジャンプを毎号読んでいるので、『鬼滅の刃』は初期のころから読んでいる。 とはいえ1話からではなく40話すぎくらいからだけど、熱心に読んでいる。 途中から読み始めたから最初はただ話を追ってるだけだったが、汽車での戦い(無限列車)あたりからぐぐぐっとつかまれ、それ以来とても熱心にジャンプで連載を追っている。 その、少年ジャンプに連載されている本編が、いま、熱い。 大詰めの大きな戦いが続いている。 毎週、目が離せない。 去年2019年の11月、土曜日に発売された最新刊ジャンプを持っていたとき、会った学生が「あ、新しいジャンプですか、鬼滅だけ読ませてくださいよ」とまだ私が読む前のジャンプを奪うようにして読み始めたことがあった。 「内容を話したら許さんからな」との言葉も聞き流して、むさぼるように読んでいた。 2019年後半から、連載からも目が離せなくなっている。 いまも、ジャンプを買うと、何をおいてもまず『鬼滅の刃』から読む。 かつての『あしたのジョー』ブームに迫るその熱狂ぶり 1973年をおもいだす。 私が高校一年だったその春は、少年マガジンに連載されている『あしたのジョー』がまもなく連載終了しそうだということで、日本中の漫画ファンが浮き足立っていた。 高校から帰る京阪電車のなかで、私の持っている少年マガジンを見つけた知らない若いサラリーマンが「あ、マガジンやん、ジョーがどうなったか見せてくれへんか」と声をかけてきたので、しばし貸したことがあった。 ジョーと世界チャンピオンとの戦いはかなり長い間続いており、すでに矢吹丈がぼろぼろになっているので、この戦いの末にジョーは死んでしまうのではないか、という噂が流れていたのだ(SNSがなく携帯電話さえなくてもそういう噂はあっという間に漫画ファンのあいだを走っていくのである)。 いったいどうなるのだ、とみんなやきもきして少年マガジンの発売を待っていた時代だった。 マガジンを貸してあげたお兄さんは、ジョーを読んだあとほかの漫画も読みつづけていたので、おれ次の五条駅で降りるから、と返してもらった。 高校に入ってすぐの春である。 それをおもいだしてしまった。 1973年の『あしたのジョー』と2019年の『鬼滅の刃』をめぐる状況は、なんだか似ているのだ。 『鬼滅の刃』人気は、突然、巻き起こった。 わかりやすくアニメ放送から起こった。 2019年4月からアニメが放送され、これで大人気になった。 アニメの力は強い。 われわれは、ひょっとしてアニメの力を借りないと漫画さえもきちんと読み込めなくなっているのかもしれない(違うとおもいたいが)。 アニメは、漫画家になりかわり、その作品の深い意図と意味を丁寧に説明する役を担ってくれている。 アニメを見てから漫画を見直すと、いくつも読み落としていたことに気づかされる。 アニメ・クリエイターの力はすごい。 アニメ化されるまでの『鬼滅の刃』人気は、まあ、ふつうだった。 ふつうというのがどれぐらいかはむずかしいところだが、ふつうに人気がある、というレベルだった。 私が引き込まれて『鬼滅の刃』をジャンプ一番の楽しみにしたのは2017年の途中からである。 でも当時、漫画好きの若者に「鬼滅っていいよね」と言っても、反応はかなり中途半端だった。 漫画好きが集まっていても(漫画おたくの集会でも)『鬼滅の刃』の話はときにスルーされるレベルだった。 2017年当時、少年ジャンプ連載で話題になっていたのは、最初の脱出を成し遂げる前の『約束のネバーランド』と、まだまだ世界がどうなるのかわからない『Dr.STONE』だったとおもう。 まだ『銀魂』も連載されていた。 『鬼滅の刃』が人気トップとは言えない状況だった。 人も鬼も隔てなく描かれる『鬼滅の刃』の深い世界 2019年4月からのアニメ放送で、世界は一変した。 多くの人がこの作品の持つ底力と圧倒的な魅力に気がついたのだ。 『鬼滅の刃』は、なぜそこまで現代人を惹きつけるのだろうか。 私が惹かれた理由は、わりと簡単である。 せつないからだ。 人の生死と運命を正面から描き、生きることのせつなさを訴えてくる。 そこに、はまった。 この優れた漫画の特徴は、すべての登場人物を丁寧に描いているところにある。 すべてに作者の感情が通っている。 それは一回きりしか登場しない者や鬼たちでも同じである。 すべてのものは、それぞれのバックボーンを持って、生き、死んでいる。 それを描いている。 言ってしまえばキャラクターの設定が細かいということだが、それは作者の創作愛が全存在に注がれている、ことでもある。 この作品はそうである。 生きとし生けるものに敬意を抱き、慈しみを持つ。 それは、主人公竈門炭治郎を通して、われわれに送られている作者の強いメッセージでもある。 悪であろうと、醜かろうと、みんな必死で生きている。 死ぬとしても、滅ぼされるとしても、それまでは必死で生きている。 その姿をみよ。 死にゆく者たちであってもその姿を直視せよ。 そういうメッセージを感じる。 強く、冷徹でありながら、愛に満ちている。 それが読む者に伝わってくる。 それを「せつなさ」ととらえるのは、これは個人の感覚だ。 人によっては「強さ」だというだろうし「愛」という人もいるだろう。 「あらゆるものに対する優しさ」でもあるし「滅ぶものを見つめる冷徹さ」でもある。 「強い哀しみに耐えること」だととらえることもできる。 いろんなものが混じり、それが混然となって読む者を圧倒的に包み込んでくる。 痺れるようにただ読み続けるしかない。 「生きることと死ぬこと」の覚悟を描く凄み 「生きることと死ぬこと」を正面から描いた作品でもある。 鬼がおり、人を襲って喰らう世界が描かれている。 それを防ごうと主人公たちは戦いつづける。 誰もがいつ死ぬかもしれない世界だ。 その空気が描かれている。 そしてわれわれの生きてる世界は、ひょっとしたらこの鬼滅の世界と同じではないのか、とふっと考えさせられる。 われわれの世界だって、ただ鬼がいないだけで、誰もがいつ死んでもおかしくない。 生きとし生けるものをいつくしむように描いているのは、それらはいつ失われてもおかしくない、とおもっているからだろう。 そういう覚悟がある。 主人公にあって、作者にある。 読者も腹をくくらないといけない。 そこに惹かれていく。 人間の敵である鬼の、その最後の瞬間の感情がたびたび描かれている。 「身勝手で自分のことだけを考えている鬼たち」でさえ、その存在が消えゆくときには、いろんな感情を抱いている。 そういうシーンがたびたび現れる。 おれは死ぬのか、と滅する直前の鬼が気づく。 このまま人を喰らいつづけてノウノウと生き続けるつもりだった鬼が、突然、とてつもなく強い剣士によって命を絶たれ、そんなことは予想もしてなかった、と驚いている。 その鬼の感情に胸が揺さぶられるのである。 退治されて当然とおもって見ていた「悪」が、かつては弱い人間だったこと、彼にも彼なりの感情があったこと、それらが最後の最後で描かれ、その意外なおもいの強さに心打たれる。 不思議な感情を手渡されてしまう。 そこがこの漫画の凄いところである。 死んで当然の「悪い鬼」が死ぬときでさえ、何かしら感情を揺さぶられるのだ。 ましてや人が死ぬときとなると。 せつない。 鬼を退治する剣士たちは、刀と自分の技術だけで戦っている。 ほかに武器がない(毒を得意とする専門部隊がいるくらい)。 刀以外は、何も持ってない。 ほぼ生身で、鬼と戦う。 正々堂々としている。 そして正々堂々はやはり脆 もろ い。 そこがこの漫画のもうひとつの魅力である。 逃げも隠れもしないが、鬼の前では圧倒的に強いわけではない。 いつもぎりぎりだ。 力をあわせ、力のかぎりを尽くし、ぎりぎりに戦う。 勝つこともあれば、敗れることもある。 正々堂々としている。 人として、こう生きなければ、とおもわされる姿である。 『鬼滅の刃』で戦う人たちは、堂々として正しい。 正しくて、せつない。 そしてさほどに強いわけではない。 そういう物語である。 「失ったものは取り戻せない」覚悟を決めて戦う物語の魅力 透徹した視点からいえば、滅びの物語でもある。 主人公やその仲間たちは、常に戦っている。 戦っているが、勝ったところで得るものはない。 勝つと、これから起こる被害を防げる、というにすぎない。 負けると失う。 そして、しばしば負ける。 仲間を失うし、身体の一部を失うこともあれば、戦闘能力を失ったりもする。 そのとき守れなかった人間をすべて失ってしまう。 ときには勝つが、勝って現状維持である。 何とか滅びを救おうとするだけの物語だ。 負けると失う。 つねに失っていく物語だ。 正しく、哀しく、せつない。 物語冒頭第一話で、主人公の炭治郎はいきなり家族を失う。 失ったものは取り戻せない。 失ったものを戻す物語ではない。 亡くなった母や弟妹は、もう取り戻すことはない。 それでも戦う。 鬼になって生き残った妹・禰豆子(ねづこ)を人間に戻す、というのは、いわば物語を前に進ませる些細な設定でしかない。 失ったものは戻せない、 勝ったところで現状維持にしかならない。 世界は祝福してくれない。 それでもきみは戦うのか、と問いづつける物語である。 戦うしかない。 小さく呟くだけで、心震えてしまう。 そう決意する人を見守っていると心熱くなる。 読んで、明るく元気になる物語ではない。 でも読んで「しっかり生きよう」と決意させてくれる物語だ。 2020年に大流行した『鬼滅の刃』は喪失の物語であった、ということは記憶しておいたほうがいい。 私たちはいま「失っても戦う話」に心を熱くしているのだ。
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