スポンサーリンク 春日神社の境内には多数の風鈴も! 春日神社では、あじさい手水舎の他にも本殿の前に多数の風鈴が吊り下げられていて、風鈴で邪気を払うという演出もやっています。 風鈴、あじさいとなかなか粋な演出をしている神社ですね。 本殿の方の風鈴もいい感じです 春日神社の宮司さんがまたイケメンさんでそこも見どころです🤣 — ramumi8 ramumi8 風鈴の音色が風が強いとなかなかの迫力ですね。 そよ風だといい音色が聴こえそうです。 この風鈴イベントは、8月31日まで開催しています。 春日神社は福岡なので気軽にはいけませんが、福岡に行った際は立ち寄りたい神社です。 他にもあったあじさい手水舎のオススメスポット! 春日神社以外にもあじさい手水舎を催している社寺が京都と愛知にあります。 京都・柳谷観音 楊谷寺のあじさい手水舎 京都にある目の観音様として有名な楊谷寺は、あじさい寺としても近年人気が出てきています。 場所 〒617-0855 京都府 長岡京市浄土谷堂の谷2• 拝観料 300円• アクセス• 長岡京インターチェンジ(京都縦貫自動車道)を降り、そのまま真っ直ぐ山の中に入ってください。 車で10分程度で到着します。 阪急「長岡天神駅」・阪急「西山天王山駅」・JR「長岡京駅」の3駅が最寄り駅です。 毎月縁日(17日)は、当山の シャトルバスが「阪急西山天王山駅」、「JR長岡京駅」の2カ所から発着しています。 楊谷寺のあじさい手水舎は、こんな感じです。 紫陽花の中に夕陽が映る幻想的な写真が届きました 柳谷観音 楊谷寺さんにて 2019. 魅力的な写真スポットが沢山有ります。
次の福岡県春日市にある「春日神社」(かすがじんじゃ)が大変なことになっている、というので行ってみました。 春日神社はその名の通り、同市の名称の由来となっている神社です。 規模は小さめでこじんまりとしていますが、地元民に親しまれ続ける神社です。 お正月には参拝に行列ができるほど賑わう当社ですが、普段の人影はまばら。 しかし今、この春日神社に一日中、人が押し寄せています。 その理由がこれ、 紫陽花の手水。 手水鉢に隙間なく浮かべられた紫陽花がフォトジェニックであると、テレビで紹介されたようです。 これは7月に向けての七夕仕様の一環のようですが、 吊るされたたくさんの風鈴もまた、フォトジェニック。 その音を録ってみましたので、耳を傾けていただければ幸いです。 こちらは手水舎の風鈴の音。 当社の祭神は「天児屋根命」「武甕槌命」「経津主命」「姫大神」と、奈良の春日大社と同じになっています。 社紋も由緒正しき「下り藤」。 当社の創建に関しては、ちょっとしたミステリーがあります。 当社の発生は、古くこの地に「中大兄皇子」が天児屋根命を祀ったことに始まると伝えられます。 中大兄皇子は後の天智天皇であり、大王就任前に白村江の戦いに臨むべく九州入りしていますので、これは納得いく話です。 時は過ぎて神護景雲二年(768年)、藤原田麻呂が大宰大弐として大宰府にいた時、藤原家の祖神たる天児屋根命がこの地に祀られていることを知った彼は、自身の故郷である大和国の「」より武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱を神籬に迎え祀って春日大明神として社殿を創建したと云います。 ところがこの768年とは、本家である大和国(奈良)の春日大社が創建された年なのです。 つまり藤原田麻呂は、創建されたばかりの春日大社から時を経ずして、神を当社に勧請したということになります。 そのあたりの詳しい資料もあったのでしょうが、戦国時代末期の天正十四年(1586年)、戦乱のさなか、薩摩の島津勢が当社に火を放ち、社殿、末社、宝蔵、古文書などの一切が焼失していまいました。 その後、荒廃の途を辿る当社ですが、黒田長政の家老「黒田一成」の手によって、寛永四年(1627年)以降に改修を経て以降、現在の姿に至っています。 久しぶりに訪れた春日神社でしたが、「厄割り」などというものが出来ていました。 陶器の玉に、悪い気を吹き込んで、石に向かって投げつけます。 さっそく僕もやってみましたが、思った以上に粉々に砕けてしまいました。 さて、日中は人が多いなら夜に行け、と再びやってきました。 時刻は22:00。 日中は爽やかな境内の社叢も、夜になると表情を変えています。 境内に生える樟は「春日の杜」と呼ばれ、昭和38年(1963年)に天然記念物に指定されました。 特に一角に巨大な幹が数本まとまって屹立する姿は、見るものを驚かせます。 夜の手水舎、無人かと思いきや、先客がいるようです。 チリーン、チリーン… 暗闇に浮かぶ手水は、揺れ鳴る風鈴の音とともに、黄泉の世界へ誘われるようです。 まるで花の水葬のよう。 日中は人で溢れていましたが、昨今話題に上がるような参拝客による不届きな行為もなく、夜になっても手水は綺麗に保たれています。 夜の間に、神職さんが花の補充などを行なっておられるようですが、それでも無残に持ち帰る人などがいないのはホッとします。 神門へ向かいます。 こちらも、日中とは打って変わって妖艶な雰囲気です。 22:00を過ぎても、噂を聞きつけた参拝客が数組訪れています。 奈良の春日大社と兄弟社とも呼べる創建の歴史を持つ当社ですが、結局その詳しい資料は失われてしまいました。 そもそも何故、中大兄皇子は中臣家の神である天児屋根を当地に祀ったのか。 そこに中臣鎌足も姿もあったのか。 当社では「春日の婿押し」(むこおし)と呼ばれる、数百年の歴史を持つと伝えられる年中行事があります。 古来から毎年1月14日夜に行われ、春日神社の氏子のうち、前年に結婚した新郎新婦を宿(現在は敷地内に建つ公民館)で披露し、拝殿と境内で『祝い歌』を歌いながら婿を揉み(婿押し)、最後に若水を掛けて門出を祝う行事(若水祝い)です。 1人黙々と撮影にはまっていたら、変な決めポーズをとる嫁と息子がいたので、仕方なく一枚シャッターを切りました。 早朝4:30、三度やってきました。 夜明けを狙っての参拝です。 さすがに誰もいません。 と、手水鉢をよく見てみると、違う花が増えていました。 ダリアでしょうか。 紫陽花も尽きてきているのかもしれません。 それにしても神職さんたちの心遣いには、痛み入ります。 徐々に夜が明け始めました。 たくさん参拝者の願い事が吊るされた笹の木。 かすかに風は吹くものの、風鈴は静寂を保っていました。 今は騒音問題であまり見かけなくなった風鈴。 昔はあちこちの家の軒下に、ぶら下がっていたものです。 風鈴と蝉の音を聴くと、今年も日本に夏がやってきたのだと感じます。 手水舎にも日が差し込み始めました。 光を受けて、生き生きとしだす花たち。 僕もそろそろ、日常に向き合う時間となりました。 最近の投稿•
次の福岡県春日市にある「春日神社」(かすがじんじゃ)が大変なことになっている、というので行ってみました。 春日神社はその名の通り、同市の名称の由来となっている神社です。 規模は小さめでこじんまりとしていますが、地元民に親しまれ続ける神社です。 お正月には参拝に行列ができるほど賑わう当社ですが、普段の人影はまばら。 しかし今、この春日神社に一日中、人が押し寄せています。 その理由がこれ、 紫陽花の手水。 手水鉢に隙間なく浮かべられた紫陽花がフォトジェニックであると、テレビで紹介されたようです。 これは7月に向けての七夕仕様の一環のようですが、 吊るされたたくさんの風鈴もまた、フォトジェニック。 その音を録ってみましたので、耳を傾けていただければ幸いです。 こちらは手水舎の風鈴の音。 当社の祭神は「天児屋根命」「武甕槌命」「経津主命」「姫大神」と、奈良の春日大社と同じになっています。 社紋も由緒正しき「下り藤」。 当社の創建に関しては、ちょっとしたミステリーがあります。 当社の発生は、古くこの地に「中大兄皇子」が天児屋根命を祀ったことに始まると伝えられます。 中大兄皇子は後の天智天皇であり、大王就任前に白村江の戦いに臨むべく九州入りしていますので、これは納得いく話です。 時は過ぎて神護景雲二年(768年)、藤原田麻呂が大宰大弐として大宰府にいた時、藤原家の祖神たる天児屋根命がこの地に祀られていることを知った彼は、自身の故郷である大和国の「」より武甕槌命、経津主命、姫大神の三柱を神籬に迎え祀って春日大明神として社殿を創建したと云います。 ところがこの768年とは、本家である大和国(奈良)の春日大社が創建された年なのです。 つまり藤原田麻呂は、創建されたばかりの春日大社から時を経ずして、神を当社に勧請したということになります。 そのあたりの詳しい資料もあったのでしょうが、戦国時代末期の天正十四年(1586年)、戦乱のさなか、薩摩の島津勢が当社に火を放ち、社殿、末社、宝蔵、古文書などの一切が焼失していまいました。 その後、荒廃の途を辿る当社ですが、黒田長政の家老「黒田一成」の手によって、寛永四年(1627年)以降に改修を経て以降、現在の姿に至っています。 久しぶりに訪れた春日神社でしたが、「厄割り」などというものが出来ていました。 陶器の玉に、悪い気を吹き込んで、石に向かって投げつけます。 さっそく僕もやってみましたが、思った以上に粉々に砕けてしまいました。 さて、日中は人が多いなら夜に行け、と再びやってきました。 時刻は22:00。 日中は爽やかな境内の社叢も、夜になると表情を変えています。 境内に生える樟は「春日の杜」と呼ばれ、昭和38年(1963年)に天然記念物に指定されました。 特に一角に巨大な幹が数本まとまって屹立する姿は、見るものを驚かせます。 夜の手水舎、無人かと思いきや、先客がいるようです。 チリーン、チリーン… 暗闇に浮かぶ手水は、揺れ鳴る風鈴の音とともに、黄泉の世界へ誘われるようです。 まるで花の水葬のよう。 日中は人で溢れていましたが、昨今話題に上がるような参拝客による不届きな行為もなく、夜になっても手水は綺麗に保たれています。 夜の間に、神職さんが花の補充などを行なっておられるようですが、それでも無残に持ち帰る人などがいないのはホッとします。 神門へ向かいます。 こちらも、日中とは打って変わって妖艶な雰囲気です。 22:00を過ぎても、噂を聞きつけた参拝客が数組訪れています。 奈良の春日大社と兄弟社とも呼べる創建の歴史を持つ当社ですが、結局その詳しい資料は失われてしまいました。 そもそも何故、中大兄皇子は中臣家の神である天児屋根を当地に祀ったのか。 そこに中臣鎌足も姿もあったのか。 当社では「春日の婿押し」(むこおし)と呼ばれる、数百年の歴史を持つと伝えられる年中行事があります。 古来から毎年1月14日夜に行われ、春日神社の氏子のうち、前年に結婚した新郎新婦を宿(現在は敷地内に建つ公民館)で披露し、拝殿と境内で『祝い歌』を歌いながら婿を揉み(婿押し)、最後に若水を掛けて門出を祝う行事(若水祝い)です。 1人黙々と撮影にはまっていたら、変な決めポーズをとる嫁と息子がいたので、仕方なく一枚シャッターを切りました。 早朝4:30、三度やってきました。 夜明けを狙っての参拝です。 さすがに誰もいません。 と、手水鉢をよく見てみると、違う花が増えていました。 ダリアでしょうか。 紫陽花も尽きてきているのかもしれません。 それにしても神職さんたちの心遣いには、痛み入ります。 徐々に夜が明け始めました。 たくさん参拝者の願い事が吊るされた笹の木。 かすかに風は吹くものの、風鈴は静寂を保っていました。 今は騒音問題であまり見かけなくなった風鈴。 昔はあちこちの家の軒下に、ぶら下がっていたものです。 風鈴と蝉の音を聴くと、今年も日本に夏がやってきたのだと感じます。 手水舎にも日が差し込み始めました。 光を受けて、生き生きとしだす花たち。 僕もそろそろ、日常に向き合う時間となりました。 最近の投稿•
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