大友 克洋 生誕 1954-04-14 (66歳) 国籍 職業 、 活動期間 - ジャンル 、 代表作 『』 『』 受賞 第10回優秀賞 (「童夢」「I・N・R・I」ほか) 第4回 第15回コミック部門 (以上『童夢』) 第8回一般部門 (『AKIRA』) 第41回(生涯功労賞) シュバリエ、オフィシェ 大友 克洋(おおとも かつひろ、本名同じ 、 - )は、の、。 息子はのSHOHEI(大友昇平)。 (現在の迫町)出身。 血液型はA型。 『』にてデビュー。 代表作に『』『』など。 ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。 、自作を元に自ら制作したアニメーション映画『AKIRA』は日本国外でも高い評価を得、「ジャパニメーション」と呼ばれる、日本国外における日本アニメムーブメントのさきがけとなった。 近年は主に映画監督として活動している。 経歴 [ ] 幼少の頃より、の「」や「」を見て育つ。 中学時代に漫画家を志すが、高校時代は映画漬けの日々を送り一時漫画から離れる。 当時は映画を作りたいと思っていたが、一人立ちを考えて漫画を描き始め、1971年末に処女作『マッチ売りの少女』を執筆。 手塚治虫の雑誌『』や『』に数度投稿を行い 、1973年、『マテオ・ファルコーネ』を原作とする『銃声』で『』にてデビュー、以後『漫画アクション』を中心に短編作品を発表していく。 、初の単行本となる自選作品集『ショートピース』刊行。 このころより『』『コミックアゲイン』などのSF雑誌・マイナー雑誌に寄稿しの作家と目されるようになる。 1980年、『アクションデラックス』に『童夢』(-1981年)、『漫画アクション』に『』(-1981年、原作:)を連載。 、『』にて『』(-1993年)の連載を開始し、この作品で一気にメジャー作家となる。 、の漫画作品を原作とするアニメ映画『』にキャラクターデザインとして参加、以降アニメーション映画にも携わるようになる。 1984年にはのカメラのCMアニメでのほか、とを手掛けた。 アニメ『』の中の一編「工事中止命令」を監督として手掛けた後、自作『AKIRA』を自ら監督しアニメーション映画化。 7月に日本公開、12月に全米で公開された。 以降は漫画よりも映画の分野で活動している。 には8年ぶりの長編監督作となる『』が公開、にはの同名作品を原作とする実写映画『』が公開された。 、ので、の復興支援を兼ねた初の原画展「大友克洋GENGA展」が開催。 『AKIRA』の全原稿など約3000枚の原画が展示され、漫画家の原画展としては世界最大規模となる。 作風と影響 [ ] にて 初期の作風 [ ] 大友の作品が一般的に知られるようになるのは初作品集『ショートピース』が刊行され「ニューウェーブ」作家とも交流を持つようになる1979年頃であるが、76年-78年頃にはすでに作風を確立し一部の漫画読者からは知られた存在になっていた。 大友の初期の作品はの影響が強く、や、といった70年代の文化を背景とした日常風景を淡々と描くものが多かった。 コマ割りなどに大友が敬愛するやの影響が強い。 また緻密に描き込まれているにも関わらず、余白を大胆に取ることで白っぽい画面が作られており、リアルでありながらのような泥臭さや過剰さのない乾いた画風が注目された。 さらに初期の大友作品の大きな特徴は、日本人のキャラクターをまったく美化せずに、見たままアジア人的な容姿(細い目、低い鼻、短い足、小さい乳房)で描いたことであり、これは男はかっこよく、女はかわいらしく描くのが当然とされていた漫画界において異例のことであった。 このような大友のスタイルの新鮮さは漫画志望者や既成の漫画家に大きな影響を与え 、『ショートピース』刊行前後より模倣者が数多く出現、その影響はなどの少女漫画家にも及んだ。 また、大友はフランスの作家メビウス()の影響を受けた作家として言及されることも多く、欧米では「日本のメビウス」という呼び方をされることがある。 この作品はそれまでロングショットだけで作中人物を描いてきた大友が初めてアップを使った作品でもあり 、『童夢』『AKIRA』と続く80年代のSF作品への前触れとなった。 なお、『AKIRA』以降の作品では登場キャラクターのヒーロー・ヒロイン化に伴い、初期に比べて登場人物の目が大きくなり、造形をかっこよく・可愛らしく描くようになっている。 過去のインタビューでは、「そういった(一般的なアニメらしい可愛さの)絵柄も簡単に描けるが、描く理由もない。 描かないと生き残れないなら描く」と語っている。 大友以前・大友以後 [ ] 『ショート・ピース』刊行以後大友の名が知られるに従って日本の漫画の画風、手法が大きく変わったため、漫画の表現史を画するものとして「大友以前、大友以後」という言葉もしばしば用いられている。 この言葉を用いた一人であるは、記号化された絵を使い意味のあるコマの連続で物語を表現するという、によって体系化された漫画の手法に対して、事態をリアルに一枚の風景として描き出し、自在に変化するカメラワークによる画面の連続で作品を構成する大友の手法 を「非手塚的手法」と呼んだ。 大友の作品ではしばしばキャラクターのいない、風景だけが大写しにされたコマが続けて描かれるが、風景を物語の説明的な背景として使うのではなく「風景だけで何かを語らせる」このような方法はそれ以前の漫画にはない新しい手法であった (米澤は「キャラクターと背景ではなく、キャラクターのいる風景こそが描かれる」と述べている )。 は、漫画の絵から説明的な意味・文脈を取り去り、人物も風景も同じ質感を持った単なる「もの」として写実的・立体的に描く大友の表現が、漫画の作品世界の中で均質な空間を表現することを可能にしたと指摘している。 このことは一面では、箱庭的な物語世界のなかにディテイルを描き込むことへの欲求を作家に与え、70年代以降のブーム・ブームと連動して、作品に細かな世界設定を描きこむ傾向を育てた。 このような傾向はのちにらによって徹底的に追究されていくことになる。 他面、人物の立体的な造形は80年代以降の士郎正宗や、などの描く美少女像を変化させ、「記号的な顔」と「写実的な肉体」を併せ持つ、日本の漫画表現独特の美少女キャラクターを生み出す一因ともなった。 上記に加え、老人を口元に皺を一本入れるというような記号的な方法でなく、骨格から皮膚のたるみまで老人として表現するような大友のデッサン力、建物を様々な角度から正確な遠近法で描き出す描写力、写真や映画などから影響を受けた光学的な表現方法 などは、以後の漫画界全体の画力を底上げすることになった。 この他にも、効果音を描き文字ではなくフキダシを使って描く方法や、超能力などの大きな力によって地面が割れたり、球状にへこんだりするといった表現方法など、大友が始めたことでスタンダードとなった手法は数多い。 パロディと批評性 [ ] 大友は上記のような新しい手法で、戦後に漫画において描かれてきた物語を解体し語りなおす作家として登場した。 そのため写実的な作風である一方で、作品には過去の漫画作品を始めとする他の作品からのパロディ、引用も数多くなされている。 1978年から『』で連載された「大友克洋の栄養満点! 」(のち『ヘンゼルとグレーテル』に収録。 なお、原稿の大半はが大友に確認せず勝手に廃棄した)では『』『』といった有名な童話をシニカルなファンタジーとして語り直しており、1979年より『バラエティ』に連載された『饅頭こわい』(単行本未収録)では毎回2ページを使って『』や『』などといった様々な漫画作品のパロディを行なっている。 また上述したようにデビュー前の大友は少女漫画誌への投稿歴があるが、1979年『コミックアゲイン』誌では少女漫画の画風を模倣したパロディ作品「危ない! 生徒会長」(『SOS大東京探検隊』収録)を掲載している。 代表作である『童夢』は破壊的な超能力を持つ少女が登場する作品であるが、その少女の悦子という名は同じく超能力を持つ少女が登場する作品『』の主人公にちなんでつけられており、そのほかにも破壊的なパワーを持つ少女(アンドロイド)である(『』)の帽子が描かれるなど、これらの作品へのオマージュであることを示している。 OVEにもなった短編作品『猫はよく朝方に帰って来る』に登場する私立探偵はの『』に登場するスパイ、エーベルバッハ少佐のパロディだと筆者自身がコメントしている。 長編SF作品『AKIRA』では、主要人物の名前をのロボット漫画『鉄人28号』にちなんでつけており、作品の構造も同作品の一種のパロディとなっていることが指摘されている。 また2004年の映画監督作品『』のタイトルは、の『』の英題である『アストロボーイ』を意識したものであった。 受賞 [ ]• 『』で第4回を受賞。 『』で第8回を受賞。 1984年 『童夢』で第15回コミック部門を受賞。 『AKIRA』の彩色された米国版が、最優秀彩色部門を受賞。 『AKIRA』の米国版が、アイズナー賞最優秀アーカイブプロジェクト部門および最優秀国際作品部門を受賞。 フランス政府から「シュバリエ」を授与される。 アイズナー賞で、コミックの殿堂入り。 2012年 『』の一編『火要鎮』が第16回大賞を受賞。 日本国政府から、を受章。 を受賞。 フランス政府から「オフィシェ」を授与される。 第42回・を受賞。 作品リスト [ ] 漫画作品 [ ] 詳細は「」を参照 単行本 [ ]• ショート・ピース(1979年、奇想天外社)• ハイウェイスター(1979年、双葉社)1• さよならにっぽん(1981年、双葉社)大友克洋傑作集2• ショート・ピース(1984年、双葉社)大友克洋傑作集3、奇想天外社版の復刊• GOOD WEATHER(1981年、綺譚社)• ヘンゼルとグレーテル(1981年、ソニー・マガジンズ)• (1982年、双葉社)原案• BOOGIE WOOGIE WALTZ(1982年、綺譚社)• (1983年、双葉社)• (講談社、1983年-1993年)全6巻• 彼女の想いで…(1990年、講談社)• SOS大東京探検隊(1996年、講談社) 漫画原作など [ ]• (1982年、作画)原作。 ワールド アパートメント ホラー(1991年、作画)原作。 と共同原作。 ZeD(1991年、岡田鯛作画) 原作。 『』のコミカライズ。 沙流羅(1990年-2004年、作画) 原作。 (2001年-2002年)、絵本。 との共作。 スチームボーイ(2005年-2007年、作画) 原作。 『』のコミカライズ。 危機之介御免(2006年-2007年、作画)原案。 原作は富沢義彦。 危機之介御免〜ギヤマンの書〜(2008年-2009年、海童博行作画)原案。 原作は富沢義彦。 映像作品 [ ] 監督作品 [ ]• じゆうを我等に(実写映画、1982年)自主制作作品。 16ミリ60分。 (・、1987年)オープニングとエンディングの監督・脚本・絵コンテを担当• (オムニバス・アニメ映画、1986年)「工事中止命令」の監督・脚本・キャラクターデザインを担当• (アニメーション映画、1988年)• ワールド・アパートメント・ホラー(実写映画、1991年)• (オムニバス・アニメ映画、1995年)• (短編作品、1998年)• (アニメーション映画、2004年)• (実写映画、2007年)• (オムニバス・アニメ映画、2013年)「火要鎮」の監督・脚本、「武器よさらば」の原作を担当• ORBITAL ERA(アニメーション映画、時期未定) 脚本、キャラクターデザインなど [ ]• ライブイン・茅ヶ崎(8ミリ長編映画、1978年、監督)宣伝用イラスト• (アニメーション映画、1983年)キャラクターデザイン• (アニメーション映画、1983年)スペシャル・デザイン(アラクネ)• (、1988年)シナリオ、プロデュース• (アニメーション映画、1991年)原作、脚本、メカニックデザイン• (アニメーション映画、1998年)総監修• (アニメーション映画、1998年)企画協力• (アニメーション映画、2001年)脚本• (CMおよびアニメーション映画、2006年)一部キャラクターデザイン・メカニックデザイン• (短編テレビアニメ、2009年)「おはなし」担当• (アニメーション映画、2011年)オロチコンセプトデザイン• 「 飲む自然篇」(テレビCM、2012年)キャラクターデザイン• (テレビアニメ、2014年)ダンシング星人デザイン• 東京リボーン(テレビ番組、2018年 - )一部デザイン監修 原作提供 [ ]• 高校エロトピア 赤い制服(1981年) - 映画。 短編「任侠シネマクラブ」映像化。 シャッフル(1981年) - 短編映画。 短編「RUN」を実写映像化。 監督: 出演:ほか。 大友との連絡が取れなかったので撮影は無許可で行われたが、後に知らされた大友は一言声をかけて欲しいとコメントしている。 不可思議物語(1988年) - オムニバスVシネマの中の一作。 短編「猫はよく朝方に帰ってくる」を実写映像化。 監督: 出演:、室井滋ほか• SO WHAT(1988年) - 劇場公開映画。 同名の短編を実写映像化。 監督:山川直人 出演:、室井滋、ほか• 新SOS大東京探検隊(2006年)原作・キャラクター原案。 - 劇場アニメ映画。 イラストレーション [ ]• 『カニを、もっとカニを! 』(1981年)挿絵• 『カニを、さらにカニを!! 』(1982年)挿絵• 『』(1982年)の集。 テーマ音楽は。 『久住昌之の笑えるビデオ HESO』(1990年) 表紙イラスト• 『DOVE LOVES DUB』(1995年) CDジャケットイラスト• 『幕末袖がらみ』(1998年) 表紙イラスト• おたくの殿堂 『お殿』(2006年) ロゴ• 『ぬかるんでから』(2007年) 装画• 『天の茶助』(2015年) 装画• の絵画「」(1563年)の内部図解「INSIDE BABEL」(2017年) 画集 [ ]• OTOMO KATSUHIRO ARTWORK KABA(講談社、1989年)• (、2008年)との合作• OTOMO KATSUHIRO ARTWORK KABA2(講談社、2012年)• GENGA OTOMO KATSUHIRO ORIGINAL PICTURES(発行:大友克洋原画展実行委員会 発売:パイ インターナショナル、2012年) MV [ ]• 「じゅうくはたち」(2016年) - 監督 関連人物 [ ] 大友は石ノ森と同郷、同高校の出身であり、特に意識していた漫画家として石ノ森と(『アイアン・マッスル』)を挙げている。 江口は自分の絵柄がイラスト的になっていったことについて、大友の影響が大きかったことを語っている。 住まいが近かったため一時期はよく一緒に飲んでいたという。 『』への参加も飲み話がきっかけに実現したものであった (メビウス) しばしば画風が似ていることが指摘されており、大友自身「非常に好きな作家」として名を挙げている。 メビウスのほうも1984年-85年頃に大友の『さよならにっぽん』に衝撃を受けて以来興味を持ち、相互に影響し合っていると語っている。 大友のアニメーションの仕事では、初期のアニメを支えたナイン・オールドメンの影響があり、『工事中止命令』(1988年)では画集を見ながら作業していたという。 本人曰く大友の作風に影響されたとのことで、初期の画風は大友の画風と似たようなものとなっている。 大友が中川の漫画を気に入っており、後に中川の「マンガ家再入門」でストーリー漫画の指導をし、本作では大友が登場する。 アシスタント [ ]• 末武康光• - 臨時アシスタント。 脚注 [ ] []• 「ニューウェーブ・キイワード事典」『フリースタイル9』、2009年8月20日、、33頁• 『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、2004年、9頁• NHK-FMラジオ「日曜喫茶室」鉄腕アトムの贈り物 1993年5月30日• 真崎守「インタビュー 大友克洋」『ぱふ』1979年7月号、雑草社、20頁• 日本映画200選」 清流出版 2004,• 夏目房之介『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』筑摩書房、239頁-240頁• 影響を受けた当時の新人としてやなどが登場しており、また、らの既存の作家にも作風の変化が表れた。 、らは大友風のSFX描写を取り入れている(前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、157頁)。 前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、157頁-158頁• いしかわじゅんの指摘による。 前掲『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』、32頁-33頁• 前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、152頁-153頁• 前掲 夏目房之介『手塚治虫の冒険』、240頁-241頁• 劇場版『AKIRA』メイキング映像『AKIRA PRODUCTION REPORT』(1988年)• 「大友克洋 新解説」『BRUTAS』2007年1月1日・15日合併号別冊付録、マガジンハウス、20頁• 米澤は大友と手塚の表現方法の違いを以下のような例で説明している。 「『童夢』のえっちゃんの前でカッターナイフで首を切る浪人生の連続させられるコマは、間に少女の叫びのコマを入れることで、その間の動き(アニメートされた部分)を意識させる。 同作品の少女テレポートシーンにおける、同一構図、フレームを止めた二つのコマの連続もそうだ。 手塚風にやれば、パッと言う擬音やフラッシュ、あるいは斜線が描かれるだろうし、切るシーンは手の動きとズブッという擬音によって事態は描写される」(前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、159頁)• 前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、157-159頁• 夏目房之介は風景の写実的な描写についてからの影響を指摘している。 前掲 夏目房之介『手塚治虫の冒険』、231頁-234頁• 前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、159頁• 『<美少女>の現代史』講談社現代新書1718、2004年、152頁-153頁• 前掲 ササキバラ・ゴウ『<美少女>の現代史』153頁-154頁• 前掲 ササキバラ・ゴウ『<美少女>の現代史』142頁-154頁• 走行中のバイクや自動車の残光の表現は大友が始めて広まったものであった。 前掲 夏目房之介『手塚治虫の冒険』、226頁• 前掲『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』、64頁-70頁• 前掲『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』、29頁-38頁• 前掲 米澤嘉博「マンガからのエクソダス」『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号、148頁-149頁• 前掲 夏目房之介『手塚治虫の冒険』、216-217頁• MovieWalker. 2004年7月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2008年7月4日閲覧。 アニメ! アニメ! 2012年7月15日• 第16回文化庁メディア芸術祭. 2012年12月15日閲覧。 時事通信. 2013年11月2日閲覧。 2014年2月3日中日新聞朝刊27面• com 2015年1月30日. 2015年1月30日閲覧。 トムス・エンタテイメント. 2016年5月19日閲覧。 森達也『夜の映画学校』• コミックナタリー. 2016年6月14日. 2016年6月14日閲覧。 前掲 真崎守「インタビュー 大友克洋」『ぱふ』1979年7月号、26頁• 前掲「大友克洋 新解説」、30頁• 前掲 真崎守「インタビュー 大友克洋」『ぱふ』1979年7月号、29頁-30頁• 前掲「大友克洋 新解説」、30頁• WEB「」(2009年10月20日閲覧)• 『』2017年34号『「ガマンできないマンガ」教えます! 』より。 参考文献 [ ]• 『ぱふ』1979年7月号「特集 大友克洋の世界」雑草社• 『ユリイカ』1988年8月臨時増刊号「総特集 大友克洋」青土社• 夏目房之介『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』筑摩書房、1995年• 『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、2004年• 『BRUTAS』2007年1月1日・15日合併号別冊「新解説 大友克洋」マガジンハウス 外部リンク [ ]• - 大友克洋 (受賞スピーチ映像).
次の『彼女の想いで』 どうも、管理人のタイプ・あ~るです。 さて先日をやっていると、いま世間を賑わせているの話になって、そこから(どういう流れか忘れましたが)、なぜか 『最臭兵器』の話題になったんですね。 『最臭兵器』とは、が製作総指揮を務めた短編アニメの一つであり、他2つの短編アニメ(『彼女の想いで』&『大砲の街』)と合わせて、オムニバス形式の『MEMORIES(メズ)』というタイトルで1995年に劇場公開されました。 そこで僕としては「昔こういうアニメがあったんですよ~」的な軽い感覚で動画をに投稿したんですが、なんとメチャクチャ拡散されて5万件以上もいいねが付いてしまったのですよ。 えええ!?なんで!? 本日、なぜか『最臭兵器』が話題になっていたので久しぶりに鑑賞。 このアニメは1995年に公開されたオムニバス映画『MEMORIES』(製作総指揮)の中の一作で、手描き作画の魅力が全面に満ち溢れ、特に「異臭を放つ主人公がから総攻撃を食らうシーン」の迫力は今観ても素晴らしい。 — タイプ・あ~る hitasuraeiga いや~、25年も前のアニメにこんなに反響が来るとは思いませんでした。 ちなみに、あらすじを簡単に紹介すると「薬品の研究所に勤めていた主人公が、ある日うっかり開発中のサンプル薬を飲んでしまい、それが政府に極秘で依頼されたヤバい薬品だったため、全身から異臭を放ち始め日本中がパニックに陥る」というコメディです。 そして取り上げた映像は、自分の身に何が起きたのか全く分からない主人公が、上司の指示に従って薬品の開発資料を本社まで運ぼうとするものの、途中で異臭がどんどん激しくなってきたため、「このままでは危険だ!」と政府が判断し、陸海空すべてのを出動させ、主人公に総攻撃を食らわせる…というシーンです(ムチャクチャだなあw)。 『最臭兵器』 このツイートに寄せられた反応を見てみると、「懐かしい!」「このアニメ大好きでした!」などの意見が非常に多く、「こんなに古い作品なのに、意外とみんな観てるんだなあ」と驚きました(中には「小学校の授業で観た」という人も4~5人いて「どういうことだ!?」と混乱しましたけどw)。 また「初めて観た」「こんなアニメが25年前に作られていたなんて…」「面白そう!」という意見も多かったですね。 なるほど、確かに若い人はまだ生まれていない頃なので、知らない人もいっぱいいるでしょう。 そこで調子に乗った僕は、『MEMORIES』の最初のエピソードにあたる 『彼女の想いで』もツイートしたんですよ。 こっちも素晴らしい作画で見応えがありますからね。 そしたらなんと、11万件以上もいいねが!うわあああ!? オムニバス劇場アニメ『MEMORIES』の1エピソード「彼女の想いで」より、凄腕アニメーター:さんが描いたカット。 制作当時の1995年はCGがまだ普及しておらずオール手描き作画なのだが、驚くほど緻密で今見ても全く色褪せていないどころか、むしろカッコよく見えるのは驚異的ですらある。 — タイプ・あ~る hitasuraeiga 『彼女の想いで』はが描いた同名の漫画を原作とし、「2029年に宇宙での回収作業をしていた作業員たちが謎の宇宙船を発見し、中へ入って調査していると次々と不思議な現象が起こり始め…」というSFサスペンスです(ちょっと怖いんですが、切なくていい物語ですよ)。 この映像に対しては「え?CGを一切使ってないの?」「全部手描きの?」「嘘でしょ!?」みたいな反応が最も多かったですね。 最近はメカだけでなくキャラもCGで描くことが増えていますが、そんな中、CGを使わないオール手描き作画の緻密で自然な動きが印象的に映ったのでしょう。 『彼女の想いで』 そして3つ目のエピソード 『大砲の街』についてもツイートで紹介しようかな…と思ったんですけど、こちらのアニメの場合はどこか特定のシーンがすごい!とかではなく、 「全編23分をワンカットで描いている」という点が最大の特徴なんですよ。 まあ実写映画では、『』の「37分ワンカット」や、現在公開中の『1917 命をかけた伝令』の「全編ワンカット撮影」など色々ありますが、アニメでこの手のはあまり例がありません。 なぜなら「描くのが大変だから」です。 基本的にアニメーターは1秒間に8枚~12枚ぐらいの(場合によってはもっと多い)絵を描いていて、秒数が伸びれば必然的に描く分量も増えるわけです。 止まっている絵ならまだしも、動いている絵をずっと描き続けるのはさすがに至難の業でしょう。 ましてや全編ワンカットなんて正気の沙汰ではありません! 当然ながらさんがこのアを提案した時、全スタッフが思いました。 「そんなの、どうやってやるんだよ…?」と。 この難題にチャレンジすることになったのが、後に『』で大ヒットを飛ばすことになるさんです。 当時の片渕さんは『』の制作準備のためにに出入りしてたんですが、ある日プロデューサーに呼び出され、「大友さんが全編ワンカットのアニメを作ろうとしている。 ぜひ協力して欲しい」と告げられたのです。 それを聞いた片淵さんは言いました。 「一体どうやって?」 こうして前代未聞の「全編ワンカットアニメ」に関わることになった片淵さんは試行錯誤するものの、当時はデジタル技術もまだ十分に普及しておらず、セルに描かれた絵を1枚ずつ撮影していたため、どう考えても実際に全編をワンカットで作ることなど不可能です。 そこで片淵さんは全体を30ぐらいのカットに分割し、それぞれの繋ぎ目が分からないようにフィルムをオプチカル合成することで「全編ワンカット(のように見える)アニメ」を作ることにしました(よく見ると「煙」や「黒バック」などを映すタイミングで場面を繋いでいる)。 とは言うものの、大友さんが描いた絵コンテはワンカット前提の描写となっており、キャターを追うカメラが常にあちこち動きまくり、一筋縄ではいきません。 実写の場合は被写体に向けてカメラを振ればそれで済みますが、アニメの場合は撮影台を固定して絵の方を動かすため、動きが大きくなればなるほど大きな紙に絵を描かねばならないからです(あるアニメーターは紙がデカすぎて机に乗せられないため、床に置いて絵を描くはめになったらしい)。 『大砲の街』 また、カメラワークが複雑になると、それに合わせて背景も大きく描かねばなりません。 なので普通のパネルに画用紙を貼っても全然面積が足りず、仕方ないからベニヤ板を買ってきて大きな画用紙を水貼りし、そこに背景を描くなど大変な苦労を強いられたそうです。 さらに長いカットを撮影するには「ライト」も問題でした。 全編ワンカット(のように見える)アニメを作るためには、全シーンの明るさを統一する必要があります。 しかし、撮影の途中でライトを消して、次にまたライトを点けると、厳密に同じ電流量にはならず、必ず僅かな誤差が生じます。 この状態で撮影すると、ワンカットの途中で色味がパカパカと変わってしまうのですよ。 これを避けるためにはどうするか?なんと、 1日の撮影が終わるとそのままライトを点けっぱなしで帰宅し、翌日またその状態から作業を再開したそうです(ただし、この方法も途中でライトが切れたら最初からやり直しになってしまうため、片淵さんは常にヒヤヒヤしていたというw)。 こうして何とか『大砲の街』を完成させた片淵さんは、その後『』や『』など様々なアニメに携わり、21年後に『』で高く評価されることになったのです。 ちなみに『大砲の街』の内容は「巨大な大砲を備えた移動都市を舞台に、そこで暮らす主人公とその家族たちの姿を描いた物語」で非常にシンプルです。
次の大友克洋を総監督に、3人のクリエイターが異なったスタイルの映像世界を作り上げたオムニバス。 公開当時(1995年)スクリーンで見たのですが、アニマックスチャンネルで11年ぶりに見る機会があったので、改めて感想などを。 そこで彼らは不思議な世界に巻き込まれる。 しかしそれは今は亡き天才ソプラノ歌手の記憶が作り出した幻影の世界だった…。 脚本を「パーフェクトブルー」「東京ゴッドファーザーズ」「妄想代理人」の今敏が担当。 SF的な世界の中で繰り広げられる「不思議の国のアリス」のような世界に、見る者も主人公と同じ目線で巻き込まれていくような、幻想的な作品。 圧倒的なディテールの映像に翻弄されます。 公開当時記憶に残ったのは巨大なバラの形をした巨大宇宙船のCG映像で、今見てみるとセルアニメの部分と映像がうまくなじんでない。 浮いて見えるんです。 でもそこがいいっていうか、朽ち果てた宇宙船の不気味さ、どこか現実でない感じがすごく表現されていると思う。 彼を止めるべく自衛隊や米軍まで出動し街中がパニックになっていく様をこれでもかというぐらい面白おかしくドタバタコメディに仕立てていて、公開当時も今も爆笑しながら見てしまった。 他の二作とは対照的で、徹底的に娯楽性を追及した作品になっています。 後のスチームボーイの原点となったと言われている作品で、この作品のみ、大友自身が監督。 全てワンカットでシーンに切れ目がないという撮り方と、東欧の短編実験アニメのような独特の質感のある映像が印象的な作品。 ~~~~~~~ 今回見て改めて強い印象を受けたのはこの「大砲の街」です。 ここの住人たちは「大砲を撃つ」ためだけに暮らしている。 主人公となる少年は学校で大砲の撃ち方に関する授業を受け、父親は大砲を撃つ仕事に従事し、母親はミサイル工場で働いている。 物語の中ではいったいこの街がどこと戦っているのか、何の為に毎日大砲を打ち続けるのかが明示されない。 この作品世界では全ての価値観が「大砲を撃つ」ことを中心に社会が形成されていて、他の産業や文化が存在するかどうかも、この短い物語の中では提示されない。 実際に大砲を撃つシーンがあるのですが、その先に当然存在するであろう「敵」というものも描かれないので、観客は「どこに向かって撃っているの?」という疑念を抱きながら見続けることになる。 こうして一番肝心の部分を描かない、説明しないってことで、それは必然的に観客の想像に委ねられる。 それがこの作品の一番面白い部分になっているのかなあと思います。 これをある種の風刺としてみることもできるでしょう。 つまり、現代における戦争や軍備といったものへの風刺。 もしくは、「大砲を撃つ」という行為を、何か他のものと置き換えてみてもいい。 例えば現実社会における私達の様々な経済活動や、会社に行く事とか学校に行く事になぞらえて見ても面白い見方ができるかもしれない。 こういう作品を見ると、物語の中で全てを説明したり描いたりする必要性って必ずしもないんじゃないか、と思えてきます。 もちろん作品の性格にもよるんですが。 見る人がその余白を積極的に埋めようとすることで様々な広がりが生まれて、面白いんじゃないかなあと思います。 "皆まで言わんでも"ってやつですね。 かけたパズルのピースを埋める楽しみを与えてくれるような作品、っていうか。 もちろんそこには見る側の理解力や想像力っていうのも求められるわけですが。 「分からない、理解できない、面白くない、何も感じなかった」っていう反応があってもいいと思うし。 ~~~~~~~ とにかく11年ぶりにこの作品を見て、新たに発見した部分、当時と違った楽しみ方や感じ方ができる部分もあって、興味深かったです。 映画って見る者の心を映す鏡のような部分もあって、同じ作品を何年も経って改めて見てみる、っていうのも面白いもんだなあと思います。
次の