今年は天候不順に悩まされたが、3月ごろから急に元気が出た。 というのは、懐かしい思い出や、珍しい「広報紙」を手にして感激にひたる日々が続いたからだ。 発端は「日刊ゲンダイ」に掲載された中村敦夫氏の「紋次郎・ギャンブル雑記帳」というコラム(左下の写真)と、NHKテレビが4月13日に放映した「スタジオパーク」という番組に同氏が出演。 自らの生い立ちや、同局で放映中のドラマの話をし、「作家の中には競輪を楽しむ人は何人もいるし、自分もテレビで解説させてもらった」と、レースを推理する面白さも語るなど、改めて競輪の歴史に大きな足跡を残す人だと思った。 「紋次郎」とは、1972(昭和47)年からテレビで放映された中村氏主演の「木枯し紋次郎」のことで、破れた三度笠をかぶり、丈の長い道中合羽(がっぱ)をはおり、腰には刀、口には長い楊枝(ようじ)をくわえた無宿の渡世人に扮し、「あっしには関わりのねえこって」と相手の頼みを断りながら「悪い奴ら」をこらしめる痛快な時代劇で大変な人気になった。 その「雑記帳」によると、「木枯し紋次郎」が始まったころ知人に誘われて競輪を見物。 場内の熱気に驚き、見知らぬ人(競輪ファン)の説明を聞きながら車券を買うと高い確率で的中。 これはビギナーズラックだと思いながら「私は天才ではないかと妄想した」という。 ただし、それ以来42年間、一度もそんなことはなかったそうだ。 原稿はさらに続き、「僧侶・作家・スポーツ評論家の寺内大吉さんと一緒にテレビに出演させてもらうようになったが、あのお方は私の高校時代の1期先輩でもあった」と述べている。 黒いベレー帽をかぶって解説した寺内氏の姿を思い出すが、実はこの和尚、後に浄土宗総本山の知恩院(京都)の宗務総長(現在の首相のような地位)に就任。 さらには同宗大本山の増上寺(東京)の法主(ほっす、または、ほうしゅ=宗派の管長とか、高位の僧侶に対する敬称)を務めたほどのお坊さんで、それほどの高僧が競輪に深い理解を示していてくださったとはー。 宗教のことはほとんど分からず、「雑記帳」の内容をうまく再現できたかどうか不安だが、「競輪は人間社会の縮図であり、敗北の美学だ」という中村氏は、福島正幸、田中博、阿部道ら20期代前半の大スターをはじめ、中野浩一、井上茂徳、山口健治、滝澤正光選手らのデビューから引退までをつぶさに見守り、昨年の競輪グランプリのことも書かれている。 全部で10回の連載だが全国のファンに見てもらうことはできないものだろうか。 続いて中央の写真(JKA近畿支部の史料から)だが、これは1969(昭和44)年の岸和田・オールスターで寺内和尚と佐々木久子氏がテレビ解説をしているところ。 佐々木氏は評論家、随筆家として知られ、「酒」という雑誌の編集長として有名になり、プロ野球の「広島カープを優勝させる会」を作った人だと何かで読んだ記憶もある。 ついでながら、この岸和田開催から全国ネットのテレビ中継が日本で初めてカラーで放映されたそうだ。 右端の写真は、その2年前の1967(昭和42)年に寺内和尚を甲子園競輪に招いて行われた「車券供養」の一場面だ。 競輪ではレースが終わるたびにファンの気持ちは「明と暗」に分かれ、「外れ車券」はその場に捨てられる。 まさに人生の哀歓の一場面といえるが、寺内和尚が祭壇に向かって祈りを捧げることによって、次回は「暗から明」に転換させていただきたいと願う儀式だ。 半世紀前の競輪関係者やファンの皆さんは、厳粛な儀式をユーモラスな行事に転換する微笑ましさも持ち合わせておられたのだろう。 こうした逸話を残しながら、寺内和尚は高僧への道を歩まれ、中村氏は国会議員として国政に参加されたが、ここで話題を変え、最初に紹介した「珍しい本」の話に移りたい。 まず左下の写真を見ていただこう。 これは山口県防府市が市内の約5万5000世帯に配布した4月号の広報紙で、1面には4月26~29日に防府競輪場で開催した「共同通信社杯」の案内を掲示。 大きな車輪の中に書かれた「幸せます」というのは同地方の方言で「助かります」という意味だという。 社会福祉などに貢献する競輪に対してこれだけの感謝と情熱を注いで市民に配布した防府市に敬意を払いたい。 また、昨年8月号の同紙(中央の写真)には、防府競輪場で「第1回幸せますカップ」(ガールズケイリン)を開きます」と前置きして、地元の元女子選手の宮本弘子、石田恵美子、内田末子さんの写真を載せ、当時のエピソードなどを大きく取り扱っている。 ちなみに、宮本さんは現役の宮本忠典選手(55期生)の母、石田さんは大和孝義選手(26期OB)の叔母と聞いたが、共ににこやかに語りガールズケイリンの繁栄を願う話が載っている。 もう一つ、大切な写真を見ていただきたい。 これは、1964(昭和39)年に女子競輪の廃止が決まった後、今は亡き高松宮様との記念写真だが、彼女たちはそれ以後も常に再開を願い続けたそうだ。 女子選手の全登録人員は1016人(JKAの30年史に記載)を数え、最盛期には700人の女子選手が全国の競輪場に散らばって戦い、大勢のファンを楽しませてくれたという。 現在のガールズケイリンもそうなってほしいものだ。
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次の今年は天候不順に悩まされたが、3月ごろから急に元気が出た。 というのは、懐かしい思い出や、珍しい「広報紙」を手にして感激にひたる日々が続いたからだ。 発端は「日刊ゲンダイ」に掲載された中村敦夫氏の「紋次郎・ギャンブル雑記帳」というコラム(左下の写真)と、NHKテレビが4月13日に放映した「スタジオパーク」という番組に同氏が出演。 自らの生い立ちや、同局で放映中のドラマの話をし、「作家の中には競輪を楽しむ人は何人もいるし、自分もテレビで解説させてもらった」と、レースを推理する面白さも語るなど、改めて競輪の歴史に大きな足跡を残す人だと思った。 「紋次郎」とは、1972(昭和47)年からテレビで放映された中村氏主演の「木枯し紋次郎」のことで、破れた三度笠をかぶり、丈の長い道中合羽(がっぱ)をはおり、腰には刀、口には長い楊枝(ようじ)をくわえた無宿の渡世人に扮し、「あっしには関わりのねえこって」と相手の頼みを断りながら「悪い奴ら」をこらしめる痛快な時代劇で大変な人気になった。 その「雑記帳」によると、「木枯し紋次郎」が始まったころ知人に誘われて競輪を見物。 場内の熱気に驚き、見知らぬ人(競輪ファン)の説明を聞きながら車券を買うと高い確率で的中。 これはビギナーズラックだと思いながら「私は天才ではないかと妄想した」という。 ただし、それ以来42年間、一度もそんなことはなかったそうだ。 原稿はさらに続き、「僧侶・作家・スポーツ評論家の寺内大吉さんと一緒にテレビに出演させてもらうようになったが、あのお方は私の高校時代の1期先輩でもあった」と述べている。 黒いベレー帽をかぶって解説した寺内氏の姿を思い出すが、実はこの和尚、後に浄土宗総本山の知恩院(京都)の宗務総長(現在の首相のような地位)に就任。 さらには同宗大本山の増上寺(東京)の法主(ほっす、または、ほうしゅ=宗派の管長とか、高位の僧侶に対する敬称)を務めたほどのお坊さんで、それほどの高僧が競輪に深い理解を示していてくださったとはー。 宗教のことはほとんど分からず、「雑記帳」の内容をうまく再現できたかどうか不安だが、「競輪は人間社会の縮図であり、敗北の美学だ」という中村氏は、福島正幸、田中博、阿部道ら20期代前半の大スターをはじめ、中野浩一、井上茂徳、山口健治、滝澤正光選手らのデビューから引退までをつぶさに見守り、昨年の競輪グランプリのことも書かれている。 全部で10回の連載だが全国のファンに見てもらうことはできないものだろうか。 続いて中央の写真(JKA近畿支部の史料から)だが、これは1969(昭和44)年の岸和田・オールスターで寺内和尚と佐々木久子氏がテレビ解説をしているところ。 佐々木氏は評論家、随筆家として知られ、「酒」という雑誌の編集長として有名になり、プロ野球の「広島カープを優勝させる会」を作った人だと何かで読んだ記憶もある。 ついでながら、この岸和田開催から全国ネットのテレビ中継が日本で初めてカラーで放映されたそうだ。 右端の写真は、その2年前の1967(昭和42)年に寺内和尚を甲子園競輪に招いて行われた「車券供養」の一場面だ。 競輪ではレースが終わるたびにファンの気持ちは「明と暗」に分かれ、「外れ車券」はその場に捨てられる。 まさに人生の哀歓の一場面といえるが、寺内和尚が祭壇に向かって祈りを捧げることによって、次回は「暗から明」に転換させていただきたいと願う儀式だ。 半世紀前の競輪関係者やファンの皆さんは、厳粛な儀式をユーモラスな行事に転換する微笑ましさも持ち合わせておられたのだろう。 こうした逸話を残しながら、寺内和尚は高僧への道を歩まれ、中村氏は国会議員として国政に参加されたが、ここで話題を変え、最初に紹介した「珍しい本」の話に移りたい。 まず左下の写真を見ていただこう。 これは山口県防府市が市内の約5万5000世帯に配布した4月号の広報紙で、1面には4月26~29日に防府競輪場で開催した「共同通信社杯」の案内を掲示。 大きな車輪の中に書かれた「幸せます」というのは同地方の方言で「助かります」という意味だという。 社会福祉などに貢献する競輪に対してこれだけの感謝と情熱を注いで市民に配布した防府市に敬意を払いたい。 また、昨年8月号の同紙(中央の写真)には、防府競輪場で「第1回幸せますカップ」(ガールズケイリン)を開きます」と前置きして、地元の元女子選手の宮本弘子、石田恵美子、内田末子さんの写真を載せ、当時のエピソードなどを大きく取り扱っている。 ちなみに、宮本さんは現役の宮本忠典選手(55期生)の母、石田さんは大和孝義選手(26期OB)の叔母と聞いたが、共ににこやかに語りガールズケイリンの繁栄を願う話が載っている。 もう一つ、大切な写真を見ていただきたい。 これは、1964(昭和39)年に女子競輪の廃止が決まった後、今は亡き高松宮様との記念写真だが、彼女たちはそれ以後も常に再開を願い続けたそうだ。 女子選手の全登録人員は1016人(JKAの30年史に記載)を数え、最盛期には700人の女子選手が全国の競輪場に散らばって戦い、大勢のファンを楽しませてくれたという。 現在のガールズケイリンもそうなってほしいものだ。
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