新型コロナウイルスのまん延を防ぐため、日夜業務に当たる京都市保健所の職員。 残業は深夜まで及ぶことも多い(中京区・市役所) 新型コロナウイルスの感染拡大により、最前線で対応に当たる保健所が激務に追われている。 患者の受診調整や感染の有無を確かめるPCR検査の検体搬送、患者の聞き取り調査など出番は多岐にわたり、休みは満足に取れない。 感染の不安におびえる人から心ない言葉をかけられることもあるが、ウイルスのまん延を食い止めるために保健師たちは奮闘を欠かさない。 京都市の保健所を取材した。 新型コロナウイルス感染症に関する保健所や保健師の業務は幅広い。 感染が疑われる患者がいると保健所に連絡があれば、診察してくれる医療機関に患者をつなぐ。 そこで採取された検体を、検査機関に持ち込むのも保健師の仕事だ。 検査で感染が判明すれば、今度は受け入れてもらう病院を調整する。 それだけではない。 患者の家族構成や行動歴から感染の広がりがないかを確認する疫学調査も担っている。 ただ、精神的ショックで動揺していたり、家族や職場に迷惑がかかるのを心配したりして、聞き取りに応じてくれない人も多い。 それでも「まん延を防ぐことはあなたの周りの人を守ることにつながる」などと繰り返し説得し、応じてくれるのを待つ。 新型コロナ対応のため保健師たちが詰める市役所の一室には、「遅くとも22時には退庁しましょう」との張り紙が掲示されている。 だが、実際には「目標」達成は難しい。 京都市保健所では3、4月の残業は多い人でそれぞれ200時間弱に及んだ。 1月30日に京都府内初の感染者が市内で確認されて以降、「電車で帰れる時間に仕事が終わった日はなく、休みは子どもの卒業式に取った1日だけだった」と明かす職員もいる。 4月17日に体制が拡充され、対応に当たる職員は倍以上の35人に増えて少し余裕は出てきたが、それまではあまりの忙しさに精神的に参って廊下で涙を流す職員もいたという。 疲労が蓄積している保健師に追い打ちをかけるのが、ウイルスにおびえる市民からの厳しい言葉だ。 感染の疑われる人を診察する外来がパンク状態の中、なかなか受診できないことにいらだち、「死んだらおまえのせいや」と電話越しに不満をぶつける人も散見されるという。 一方で、温かい言葉が支えになることもある。 市保健所の井上ひろみ感染症対策担当課長は、やり取りした医師から送られてきた「大変だと思いますが、一緒に頑張りましょう」とのメールを見て、「1人でやっているんじゃない。 うれしい気持ちになり、ほろっときた」と話す。 井上さんは2009年に新型インフルエンザが全国で猛威を振るった際の経験から、「ここが踏ん張りどころ。 感染で苦しむ人を1人でも減らすため私たちも頑張るので、市民の皆さんも外出自粛などできることをしていただけたらありがたい」と訴える。
次の「テストでは全然ダメだった。 睡眠を削って勉強しました。 なんで俺はこんなにダメなんだ!俺はクソだ!死んだほうがマシだ」と自分を責めている ふりの 人 「ダメだった。 頑張ったのに、、、あんなに頑張ったのに、、、」と、涙を流して落ち込む人 先生、お父様、お母様、これどうします? 「まあ、次がある。 お前なりに頑張ったんだもんな。 あんまり自分を責め過ぎないようにな・・・ね・・・・うん。 つらいときは話を聞くから」 おいおい まんまとハメられているじゃないですか。 自分を強く責めている人には「うん、その通り、もっとやれ、お前の努力不足だよ」と言える人は少ない。 僕は言えるけど。 笑 要注意です。 自分を守るために、無意識に防衛行動として、自分を過剰に自分を責めている人や、涙を流したりしている人がいるんですよ。 叱られることや自分が責められることが怖いんです。 いけませんね。 そんな無駄なところに力をつかっていては。 本来、必要な方向へパワーを集中させましょうね。 まず、この防衛行動を覚えてしまった生徒には、しっかりと教えます。 「うん、わかるよ。 でもね、そういった過激な言動をすると、必要なアドバイスも叱咤激励ももらえなくなっちゃうよ。 わかるよね」 「悔しいから出る涙。 わかるよ。 いいね。 でもね、いつもそれじゃ困る。 きみに同情する人ばかりになってしまう。 」 「やるべきことは、反省と改善。 具体的行動だよね。 」 ほら、 死にたくなる必要がまったくないんだもん。 hirokikawakami.
次の香港市民の命運を握る法律 先週7月1日は、中国にとって「3つの記念日」となった。 一つは、中国を支配する(中国的に言うと「指導する」)中国共産党の創建99周年である。 新型コロナウイルスが再燃している首都・北京では、派手なイベントは控えたが、CCTV(中央広播電視総台)を始めとする官製メディアは、習近平総書記率いる中国共産党の偉大さを喧伝していた。 二つ目は、香港返還23周年である。 1997年のこの日、イギリスの植民地だった香港は、中国に返還された。 中国としては、1842年の南京条約で香港島を割譲されて以来の「屈辱の100年」を晴らす吉日となった。 香港をイギリスから取り戻すことを決めたのは、1984年の中英共同声明である。 その後、1990年の香港特別行政区基本法(以下、基本法)公布、1997年の香港返還及び基本法施行と続いた。 gettyimages 三つ目の記念日は、中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持保護法(以下、香港国家安全維持法)を施行したことである。 この新法によって、「一国二制度を50年変えない」ことが基本法で定められている香港は、返還23年にして、重要な転換点を迎えることとなった。 この新法は、その全文が公表されたのは、施行のわずか52分前の6月30日午後11時8分だった。 740万香港市民の命運を握る重要な法律だというのに、それを香港市民が施行の52分前に知るというのは、極めて異例の事態である。 過去には、例えば「香港の憲法」と言われる基本法の公布は1990年4月4日であり、施行したのは7年後の1997年7月1日だ。 最近の事例を見ても、香港国家安全維持法と同じ2020年7月1日に施行された中華人民共和国社区矯正法という9章63条からなる法律は、昨年12月28日に第13期全国人民代表大会常務委員会第15回会議で決議され、その日のうちに公布されている。 つまり公布から施行まで、半年以上を経ている。
次の