漢字検定1級取得者です。 趣旨は理解しましたよ。 たとえば「秋」という漢字があります。 これの部首は「のぎへん」ではありません。 「ひ」です。 (「日」じゃなくて「火」ですね) こういうのがややこしいということなんです。 部首として「のぎへん」は存在しますが、「秋」はのぎへんを部首とはしない。 しかし、この漢字を口で説明する時、どうでしょう。 「のぎへんに火災の火」とか言うんじゃないでしょうか。 そういう俗な言い方をしてしまえば、「おとうとへんにつくりはとり」でもいいということになってしまいます。 しかし、「鵜」の部首はあくまでも「鳥」です。 部首をグループ分けした中に、「へん」とか「つくり」とか「かまえ」とかいうのができるのです。 正式には。 そういうことですね。 専門家ですが、うまく説明できたか考えると自信が。 A ベストアンサー そもそも部首というのは漢字をグループ分けしやすくするために導入されたもので、必ずこの漢字はこの部首であるというような厳格な決まりはありません。 伝統的に、多くの字典は、「康煕字典」という昔中国で作られた字典に基づいて漢字の部首を決めているのですが、「相」や「聞」など部首がわかりづらい漢字があったり、康煕字典の後にできた新字体が全く字形の異なる旧字体と同じ部首に分類されているなど、いろいろ問題がありました。 そこで、「相」を「木偏」、「聞」を「門構え」というように、部首が直感的にわかるものに変更して載せている字典も増えてきています。 従って、ご質問の「相」の部首は「目」でも「木」でもよいというのが私の見解です。 少なくとも、「相という漢字の部首を答えよ」というような問題が学校のテストで出るようなことはないでしょう。 答えが一つに定まらないからです。 A ベストアンサー そもそも「おおざと」と「こざと」では、それぞれの文字の起源が違い、まず「おおざと」があって、これに対して「こざと」という言い方になったようです。 中にふさぎこめるの意を含む。 のち阝(おおざと)の形となり、町や村、または地名に関する漢字の部首となった。 「こざと(阜)」は、 もと、ずんぐりとした形に土を積み重ねたさまを描いた象形文字。 従って、ずんぐりとした形にふくれたおかのこと。 現在は、双方とも似た文字(阝)になっていますが 「おおざと(邑)」の名称は、大きな村里の意を文字通りに示すのに対して、 「こざと(阜)」の名称は、「おおざと(邑)」に対して付けられました。 阝の部首(旁ツクリ・扁ヘン)の位置関係ではないのです。 A ベストアンサー 他の方が触れていらっしゃらないことを中心に回答いたします。 複数の助詞を組み合わせて使う場合は(助詞の相互承接)、一定の組み合わせ方、一定の順序があって、格助詞の下に格助詞が付くことはありません(詳細は山田孝雄「日本文法論」、「日本文法学概論」をご覧ください)。 したがって、 山には行かない。 本をば読む。 のように格助詞に付くことができる「は」は、少なくとも格助詞ではないということになります。 また、 1、人が悲しむ。 2、人は悲しむ。 3、人が悲しむとき。 4、人は悲しむとき。 5、人が悲しむとき涙する。 6、人は悲しむとき涙する。 の例で、1と2では「が」と「は」の文法的な違いが目立ちませんが、5と6を比べた場合は6のほうが自然です。 3と4を比べた場合は4のほうが不自然です。 6の「人は」は、文末述語「涙する」と呼応関係ができていますが、4は「人は」と呼応する文末述語がありません。 だから4はなにか「尻切れトンボ」のような違和感があるわけです。 このように検討していきますと、「は」は、文末の述語(いわゆる山田孝雄のいう「陳述」)と呼応する助詞で、むしろ「ぞ、なむ、こそ」に近いわけです。 したがって「は」そして「も」は、古典文法では係助詞に分類され、「係り結び」という現象がない現代語の場合は副助詞に分類されることになります。 「が」が格助詞であることについては申すまでもないこととして省略します。 他の方が触れていらっしゃらないことを中心に回答いたします。 複数の助詞を組み合わせて使う場合は(助詞の相互承接)、一定の組み合わせ方、一定の順序があって、格助詞の下に格助詞が付くことはありません(詳細は山田孝雄「日本文法論」、「日本文法学概論」をご覧ください)。 したがって、 山には行かない。 本をば読む。 のように格助詞に付くことができる「は」は、少なくとも格助詞ではないということになります。 また、 1、人が悲しむ。 2、人は悲しむ。 A ベストアンサー No.2の回答者です。 いただいたコメントについて。 >>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。 >>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。 一部の短大は、そうだったと思います。 >>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。 そうだったと思います。 >>>おっしゃるとおり、今は偏差値40でも35でも入れる四大がごろごろあります。 >>>昔はよかったとはいえ、今は短大卒の肩書が足かせとなっていませんか? >>>(どんなに優秀でも短大卒として扱われるという点で) >>>若手には私のように昔を知らないで勘違いしている人も多いので。 前回も書きましたけど、18歳の時点で、ライフスタイルとして短大卒として扱われる道を選んだのです。 有名短大の秘書科を出て一流企業で一般職として勤めるのが、女学生達の憧れだったのです。 そして、男子社員をつかまえて結婚し、結婚退職するか、あるいは、1~2人目ぐらいの子供が生まればほとんどの女子社員は退職するとか、そういう図式でした。 現在は、女性が四大を出て男と同等に社会進出するのが当たり前ですよね。 家の留守を守り、学校から帰ってくる子供に「おかえりなさい」と言って迎える母親が減少しました。 保育園の先生が、自分の子供をほかの保育園に預けるというケースさえあります。 (私の家の近所) そしてまた、当然ながら、仕事を求める人の総人数が多くなります。 すると、どうなるでしょうか? 求人数が変わらずに、仕事をしたい人が増える。 それはつまり、失業率が高くなることを意味します。 短大が隆盛を誇っていた時代というのは、「良妻賢母」がいた時代だったのです。 そして、私大の乱立により、わが子を大学に押し込めたいという馬鹿親が増えました。 塾や家庭教師などの教育産業も大流行り。 その結果、どうなったか? 子供1人にかかるお金が異常といっていいほど増えました。 すると、夫婦の心理としては、産む子供の数を少なくし、かつ、ある程度貯蓄をしてからそれを学資とするため、年を取ってから子供を産むということになります。 つまり、少子化が進みます。 また、企業を退職していったん専業主婦になった人が学資のために働くとなると、パート社員として薄給でこき使われます。 これによって、さらに失業率が高まります。 以上のことからわかるとおり、私大の乱立は今の世の中を悪くしている元凶なのです。 これにて演説終わり。 失礼しました。 No.2の回答者です。 いただいたコメントについて。 >>>今年の青学・学習院・明治等の普通の大学(四大のほう)の偏差値を調べてみたら55前後ですね。 >>>昔の短大の55~60が本当なら現在の四大よりも優秀だった、ということになりますが・・。 一部の短大は、そうだったと思います。 >>>ああ、やはり信じられない・・(すみません)けど、就職率や縁談(?)に有利という理由で短大であっても人気が集中した結果入学が難化したということですね。 そうだったと思います。 >>>お...
次の「不思議ですね。 その理由は今日先生でも分からないかも・・・。 」 なんていう、交流が、下記のブログでされていたのです。 授業参観:図工と国語 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そのブログの抜粋ですが・・・・・ 国語は授業内容が「かん字」となっていたので。 一体何をするのかと思ったら。 特定の部首をグループごとに割り当て。 その部首を使う漢字を発表しあう、というものでした。 この授業で、なんで????????と思ったことに。 部首の名前を教えないんですよ。 木へんとかうかんむりとか。 だから、手で黒板に貼った部首を指して。 「これ」 というしかないんです。 あとは。 まだ「へん」や「つくり」を教えていないということなのでしょうが。 これじゃ毎回手で指ししめすか。 書いてみせなきゃならないわけで。 不便だなあ、と思いました。 どうして教えないんだろう? 理由をご存知の方、ぜひコメント入れてくださいね! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨日は、研究会で、その資料の準備の為に、 皆様のブログにお邪魔できませんでした。 帰宅が、遅かったので、 今朝、お邪魔しましたら、 「へん・かんむり・・・・・」などの指導学年の事で、 盛んに意見を出し合っているではありませんか。 この事に、参加させていただかなかったら、僕のブログの目的は、 おしまいです。 喜んで、一緒に考えさせていただきます。 よろしく、お願い致します。 ただ、長くなりますので、こちらのブログで書いた方が都合が 良いので、ここで書かせていただくことにしました。 さて、この問題です。 実は、 以前、教師用指導書(全学年)を仲間と書いた時、 僕が、2年生を担当しているのです。 使用の教科書が、同じでしたら、 この先生は、僕が書いているのを、見ているかもしれないのです。 (良く分かりませんが。 ) というのは、 ・・・・・・・・・・・・次のように、書かれた所があるのです・・・・・ 「ふぃりぱ44さんへ かなにゃん3728さん ありがとうございます! 教科書を調べたのですが、少なくとも二年前半では部首名を教えないようですねえ。 「 おなじところ」なんて表現をしています。 」 とあるのですね。 ・・・・・・・・・・・・・・ 今朝、僕が書いた指導書を見ましたら、 「 同じもの」と言う言葉で、書いているのですね。 教科書会社の方針に沿って、僕が書いたのかもしれません。 あるいは、出されている教科書の多くが、 このように書いているのかもしれません。 まあ、このことは、どうもいいことですが、 問題は、 へん・かんむりは、何年生で、指導したら良いかということですよね。 このことは、へん・かんむりの事だけではなく、 ポイントになるコトバを何時、出して、指導をしたら良いか、 と言う問題を含んでいるのではないでしょうか。 だから、教育の重要課題なんですよね。 考えてみれば、この事も僕等は、重要な研究課題にしてきたのですよ。 昨日の研究会では、僕が提起する事になっていました。 そこでは、『言語意識直結観』を中心にた提起を考えていました。 けれど、参加者は、この コトバに接するのは、初めてです。 ですから、これを、 始めに出すか、最後に出すか、 考えました。 僕は、始めに出して、その事を軸に考えて欲しいと思った訳です。 「始めて聞くコトバという方もいるかもし知れませんが、 頭に置いておいて、提案をお聞きください。 」 と、切り出しました。 コトバの理解、というものは、こういう過程を通るものだと 思っているからです。 これは、数学・理科・・・・・などの学習でもいえることですね。 ところで、へん・かんむりの学習ですが、 漢字をある程度の数、学習してからではないと、 面白くはないと、言えますよね。 1年生で、80字の学習をしますが、 へんは、校・村で、『きへん』が、出てくるだけですね。 2年になると、へんのある漢字がかなり出てきますね。 お調べになってみていただけますと、うれしいです。 かんむりも出てきますね。 それから、このへん・かんむりの指導は、 漢字は、積み木だよと言う事と、合わせて 教えると効果的ですよね。 何時、どう、指導するか。 僕は、教科書になくても、指導書になくても、 子どものその指導をして置いたほうが 言いと思ったら、やったら良いと思うのです。 表現よみと言うコトバも、教科書・指導要領に ないのですが、1年生から、教えています。 「文章を理解して、それを表現してよむ。 」 と言う方が、子どもが、音声化のイメージが浮かんで、 理解できるからです。 以前、指導要領では、低学年は、音読・ 高学年は、朗読と区別して、使っていましたが、 実際、朗読の勉強をして見ますと、 1年から朗読なのですね。 ですから、このことは、文部省に意見を 盛んに出しました。 (子どもと、実際やってみると、そうは、ならないから、 この食い違いが、出るのでしょうね。 ) この問題、まだまだ、いっぱい、考える事が ありますので、続きます。 皆様のご意見が この事を深めますので、率直なコメントをお願い致しま 教育再生会議の二次報告(下記)のこと、ここで、言わないのは、 このブログをはじめた時の初心を忘れた事になりますので、書きます。 つぎのような意見が教育再生会議に出されているのですよ。 一方、 中央教育審議会の初等中等教育分科会教育課程部会長である梶田叡一氏は8日、 次期の学習指導要領について初めて公に言及し、 「 道徳は正式教科とせず、教科書検定は行わない」との見通しを語り、 教育再生会議を けん制しています。 「徳育」「土曜日授業復活」中央教育審議会などが教育再生会議をけん制 この中央教育審議会は、下記の方が関係していた会でもあるのですね。 ・・・・・・・・・・・・ >( 三浦朱門氏(元・教育課程審議会会長)によると、 100人に1人のエリートが育てば、あとはカスでかまわないそうです。 ) これを伝聞調ではなく、断定調で言った文があります。 以下です。 改めて読んで、腹立たしいことこの上ない。 『戦後はできないやつのために手間と暇をかけすぎた。 落ちこぼれにかけすぎた手間をこれからは有能なエリート候補に振り向ける。 彼らが日本を引っ張ってくれる。 無才、非才にはただ実直な精神だけを養ってもらえばいいんだ』 『エリート教育がゆとり教育の目的。 それを言うと抵抗が大きいので、 ゆとり教育とまわりくどく言っただけだ』 2006. 17 23:01:51 ところが、 陰山英男さんら3には、次のようなことを言っているんですね。 「 徳育」については3人とも「 教科化はやむなし」との見方を示し ・・・・・・・・・・・・・・・・・ このブログ応援してくださる方は、 下のマーク、クリックをして戴けるとうれしいです。 一日、1クリック、有効ですよ。 このクリック、日本の教育の前途に結構、影響しているようですよ。 もう、1つ、あるのですが。 下記の本は、研究会がまとめたものです。 絵をクリックしますと、本の概略が分かります。 そして、楽天での購入の仕方も分かります。 尚、本書は、1~6年まで、各学年あります。 各学年の教科書教材の授業報告があり、子どもと教師の表現よみが、CDに入っています。。
次の漢字を、字形のうえで、同じもしくは類似の要素によって分類配列する場合、その部の代表となる字をいう。 たとえば、「丁」「丑」「世」「丘」は部首「一」に、「必」「思」「快」「恥」は部首「心」に属する。 部首のまとめ方、配列、名称などは古来より一定していない。 『説文解字 せつもんかいじ 』(許慎 きょしん 編、121年)は「一、二、示」から「酋、戌、亥」までの540部に分け、『玉篇 ぎょくへん 』(顧野王 こやおう 編、543年)は『説文解字』の12部を減らし14部を加えて542部とする。 日本では、『新撰字鏡 しんせんじきょう 』(900年ごろ)は「天、日、月、肉、雨」のように天地人という意義分類による約160部の部首配列であり、『類聚名義抄 るいじゅみょうぎしょう 』(平安末期ごろ)では「人、彳、 」から「風、酉、雑」までの120部となっている。 漢字は形声字が8割以上を占めているから、意符(義符)によって部首にまとめるということは、意義による分類に近いものとなる。 現行の漢和辞典は多く『康煕字典 こうきじてん 』(1710)に倣っている。 この書は「一」から「龠」の214の部首を画数順に並べ、部首内の漢字も画数によって配列している。 部首の呼び名は古くは篇 へん (片、偏)に限られていたが、篇、冠 かんむり 、繞 にょう に分化し、さらに構 かまえ 、垂 たれ 、旁 つくり などの用語ができたらしい。 『新撰字鏡』に連火 れんが 、之遶 しにょう 、二水 にすい 、立心 りっしん などの語がみえ、通俗的な呼び名がそのころからあったことが知られる。 部首は俗に偏旁冠脚 へんぼうかんきゃく と通ずるが、厳密には異なるものである。 [沖森卓也] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説.
次の