うたい文句 意味。 ことわざ「紅一点」の意味と使い方:例文付き

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うたい文句 意味

紅一点: 多くの男性の中に、一人だけ混じっている女性のこと 「紅一点」の意味を詳しく 「紅一点」とは、 多くの男性の中に、一人だけ混じっている女性のこと、またはその状態を意味します。 イメージとしては、集団の中に、女性を表す色でもある「紅 くれない 」がほんのわずか見られるという感じです。 「紅一点」は、多くの男性の中にいる女性のことを指す場合が非常に多いですが、実はまた別の意味も存在します。 平凡なものの中に、異彩 いさい を放つものが一つだけ存在することを、「紅一点」と呼ぶ場合もあります。 この意味で使用する場合は、性別は全く関係ありません。 また、人間に対してだけではなく、ものに対して使用することもできます。 「紅一点」は、大勢の男性の中に一人だけ混じっている女性を指して使用される場合が社会的には一般的です。 しかし、実は「紅一点」は、平凡なものの中に異彩を放つものが一つだけあるという状態を指すこともあるのです。 また、「紅一点」は「万緑叢中 ばんりょくそうちゅう 紅一点」と言う場合もあります。 これは、「紅一点」という言葉が生まれた由来に関係することなので、後述する由来のところで詳しく解説します。 私は5人兄弟のうちの 紅一点だ。 遊園地で歩いていた大学生のグループの中に一人だけ女性がいた。 まさに 紅一点のグループだ。 あのサッカーチームは、全体的には強くないが、 紅一点プロにもなれるぐらい上手な選手がいる。 家の庭の雑草の中に、 紅一点鮮やかなバラが咲いている。 「紅一点」の由来 「紅一点」は、中国の 王安石 おうあんせき の 『詠柘榴 ざくろをよむ 』の詩に由来すると言われています。 王安石とは、中国の北宋 ほくそう の時代の政治家であり、詩人です。 唐宋八大家 とうそうはちだいか という、中国の唐の時代から宋の時代の優れた文章家8人のうちの一人に数えられています。 『詠柘榴』の詩の中に、「万緑叢中紅一点」の句があります。 これが意味することは、一面の緑の草むらの中に一輪の紅色の花 ザクロ が咲いているという様子です。 元々は、王安石はそのような状態を指しただけに過ぎないのです。 日本では、昔から女性は赤系、男性は青系というように、性別に色を当てる文化があります。 女性を表す色でもある「紅」が転じて、「万緑叢中紅一点」が大勢の男性の中に一人だけ女性が混じっている状態を指すようになったと言われています。 また、単純に緑の草むらの中に、ザクロの花がひと際目立って咲き誇っていたことから、平凡なものの中に、異彩を放つものが一つだけある状態を指すようにもなったと言われています。 どちらにせよ、元々王安石は、現在日本で使われているような深い意味までは考えずに「万緑叢中紅一点」の句を詠 よ んだのです。 これが、日本に伝わり、転じて現在使用されるような意味で使われるようになりました。 また、元々は「万緑叢中紅一点」がそのまま使われていましたが、時間がたつにつれ、「紅一点」だけで使用されるようになりました。 ただ、現在も「万緑叢中紅一点」で使用されることも多々あります。 鶏群の一鶴 けいぐんのいっかく :平凡な人の中に、一人だけ優れた人が混じっていること。 鶏群の孤鶴 けいぐんのこかく :「鶏群の一鶴」に同じ。 野鶴の鶏群にあるが如し やかくのけいぐんにあるがごとし :「鶏群の一鶴」に同じ。 掃き溜めに鶴 はきだめにつる :つまらないところに、そこに似合わない優れたものや美しいものがあること。 万緑叢中紅一点 :「紅一点」に「万緑叢中」を付け加えたもの。 意味は同じ。 「紅一点」の類義語で、多くの男性の中に一人だけいる女性を指して使用されるものはありません 万緑叢中紅一点は除く。 つまり、そのような女性が一人だけの状態を指す場合は、「紅一点」もしくは「万緑叢中紅一点」を使用するしかないということになります。 「紅一点」の英語訳 「紅一点」を英語に訳すと、次のような表現になります。 まとめ 以上、この記事では「紅一点」について解説しました。 読み方 紅一点 こういってん 意味 多くの男性の中に、一人だけ混じっている女性のこと。 平凡なものの中に、異彩を放つものが一つだけ存在すること。 由来 王安石の『詠柘榴』の詩の中の「万緑叢中紅一点」の句 類義語 鶏群の一鶴、鶏群の孤鶴、野鶴の鶏群にあるが如し、掃き溜めに鶴など 英語訳 The only woman in the group. 集団の中の唯一の女性。 「紅一点」は、大勢の男性の中に一人だけ女性がいる状態を指すだけではないということを意外に思った方も多いのではないでしょうか。 確かに、世間一般的には「紅一点」は、ほとんどが一人だけ混じっている女性を指して使用されます。 そのため、平凡なものの中で、異彩を放つようなものを指す場合もあるということには、多くの方は驚いたことと思います。 「紅一点」という言葉を耳にした際には、ぜひどちらの意味で使われているのかを考えてみると面白いかもしれませんね。

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謳い文句(うたいもんく)とは

うたい文句 意味

子供に習い事させる意味は? うたい文句は分かるけど、実際どんな動機で行かせてますか?で、どんな効果ありますか? 母親本人はあらゆる習い事しましたが義務的さとモノにならなかった、という印象が強く しなくても心が健全であれば後は何でも大人(自分できめて)することに遅すぎることはないと思ってます。 が、行かせなきゃ時代遅れ?子供はそれなりに劣等感もつでしょうか?まわりをみると親御さんが何もしなかった反動でたくさんさせてる方が多いのは気のせいかな?逆にやりすぎた親御さんはさせない?ってことあるかしら? おばあチャンは「行かせろ行かせろ、何もさせないでどうするか?自分ができるからできる、と思う親程、こどもはできんようになる」といつも口やかましいです。 やはり私がのんきすぎかしら?その劣等感の苦しみをしらなすぎかな~ 子どもに大切なことは、同年代の友達・兄弟と遊ぶことです。 子どもは単に遊んでいる様に見えても、 何かに疑問を持ったり、何か発見したり、ケンカをしたり・・大事な経験をいろいろしてます。 なので習い事が多いのは、関心しません。 でも、全く何もしない方がいいか?と言えば、そうでもないと思います。 絶対音感とかは、4~6歳位の頃にしか身に付かない能力です。 英語の発音とかも大人になってからより子どもの方が飲み込み早いのでは。 水泳とかも「水に慣れておく」のをしといて損はないと思いますし。。。 バレエも姿勢・バランス感覚がよくなるのではと思います。 向き不向きはありますので、何年かやってみて様子を見て、才能ありそうだったら伸ばしていくのも良いと思います。 子どもが、後から習ってじゅうぶん間に合うもの(小学校で習う勉強等)もありますが 今から身に付けさせたいものも少し考えてみてはいかがでしょうか。 23歳女です。 子供の立場で回答させて頂きます。 習い事は、「エレクトーン」、「お絵かき教室」、「水泳」、「習字」をやっていました。 エレクトーンは、小さい頃から歌ったり踊ったりするのが好きで、両親が「これはこの子に合ってる」と習わせてくれたおかげで、短大も音楽関係に 進み、社会人になった今でも趣味で続けています。 辞めたいと思ったこともありますが、本当に大好きな習い事です。 私にとってなくてはならないものになり、大きな自信になっていますので、両親に本当に感謝しています。 お絵かき教室も大好きで、毎回たのしみに通っていましたが、中学に上がる頃に、「まあこの辺でこれはいいか・・・」となんとなく親と話して辞めました。 今でも絵を描くのは好きですが、まあそれくらいの縁だったのかな(美術の成績はまあまあよかったです) 「そんな習い事してたなあ~」って感じで、いい思い出です。 水泳教室は、大嫌いで大の苦手だったので2年くらいで辞めました。 運動音痴でしたが今も運動音痴です。 部活もやっておらず、運動系の趣味がないので今少し後悔してるかな・・・。 水泳でなくても何か運動をやっとけばよかったなって・・・でもまあそれは部活でもいいから習い事である必要は無いと思いますが。。。 今は誰でもできるヨガに通ってます(笑) 最後の習字は、大嫌いでしたが、親が「習字に向くとか向かないとか滅多にないから、とにかく行かせる」という考えで、週4回7年間も通ってしまいました(笑) 泣きながら通ったこともあります(サボったことも・・・) 大人になってもいまいち「意味あったのかな~」と思いますが、つい先日履歴書の字を見て選んだ、と突然会社の役員の秘書に選ばれました! 人生何があるかわからないですね~! というわけで、小さい頃から習っていたことが大人まで続くことで自信が持てたり、社会に出ても趣味として続けられたり、 相性が合うものに出会えたことですごく人生が豊かになりました。 私は小さい頃から両親が子供を良く観て合うものを習わせてくれたことにすごく感謝しています。 ) 何かいつも歌っているとか、からだを動かすのが好きとか、そういうものを見つけて伸ばしてあげるといいと思います。 習い事が身にならなかったというのはその目的自体が物になっていないという事だと思いますが、 しかし、たとえ強制だったとしても何かそこから学んで身になっている事柄や性格などはきっとあることだと思います。 ただ、自分の中にあるあれをやったからという事に気が付いていないのではないかなと思います。 習い事はそのこと自体が上手に出来るだけではなく それによる見えない効果やいろいろな事をマルチに一応でもできる やってみようと思える気持ちや自信にもつながると思いますし、 いろいろやることにより本当に好きな物を見つけやすいという事もあると思います。 お母様はいろいろな習い事を質問者様にさせていたという事ですが、 習い事をたくさんさせて間違いだったというのではなく、 習い事をさせる際にお子様である質問者様の気持ちを導くという事をしなかったのが間違いだったのだと思います。 子どもだから言ってもわからないというので ただ「行きなさい」「やりなさい」では子どもも納得がいきませんし本当にやらされていると感じることでしょう。 しかし、話をすると言う事でその辺はだいぶ子ども自身も変わるかと思います。 習い事をさせるには、それなりにお子さんの気持ちをそちらに向ける事が出来るように、 始めてからも勇気付けたり乗せたりして楽しいと思えるように言葉がけなどする必要があると思うのですが、 それが上手に出来なかったので質問者様は好きになる事が出来ず嫌な思い出しかなく今のようなお気持ちになられるのでしょう。 ですので、お子さんに上手に話をしたりすることで気持ちをその習い事に向ける事が出来るのなら 習い事は決して苦痛なものではなく、子供が本来持っている好奇心、やりたい、知りたい、出来るようになりたい という気持ちを満たしその為に楽しく努力できる良い機会になるはずだと思います。 お子さんに対して、自然に育ってくれると思うのは、聞こえは良いですが、 マイナスな方向から見れば、伸びる芽を伸ばす努力をしていないことになり、 お子様が本来ならもっと伸びたかもしれない部分が出せずにいて、 結果的には始めが遅かったためにその分野での成長にリミットがかかってしまうという事もあると思います。 大人でも同じですが、やってみたら面白いと思う事は多いです。 親が子供をしっかりと観察しているならこの子には何が向いているかなどは見つけれると思うのですが それを伸ばすために子供は何も知らないのでxxがやりたいとは言わないかもしれませんが やり始めればとても楽しくてそれが本当に上手になりたいと思い努力を自らし始めるかもしれません。 また、欠点を補うための習い事も、やはり良いと思います。 劣等感を感じて生きるよりはない方が良く、それを克服したという自信につながりますからね。 質問者様の場合習い事からは実を結ぶ事はなかったと言えるかもしれませんが、 中には習い事を極めたが為にそれをやって本当に良かったと思っている人もいます。 初めは強制でも、自分の意思で始めたにせよ、良かったという結果で終わる人も多くいます。 だとすれば、やらせないという事はお子さんの可能性を親の価値観が摘んでしまっていると言える場合もあるわけです。 しかし、自分が嫌だったという思いが親御さんにある以上、お子さんに習い事をさせるのは無理があると思います。 お子さんが少しでもくじけそうになった時に上手に話をし続けさせるという事に罪悪感など感じると思うからです。 ですから、もし、何かやらせてあげようと思うなら、まずはお母さんである質問者様の気持ちを変える事が必要になると思います。 やっぱり、習い事はマイナスではなくプラスだと強く信じていなければお子さんにも良いとは思えないからです。 もし、やはり習い事は良くないと思えるなら ご自分の子育て方法を周りに合わせて変えるという事はしないほうが賢明かと思います。 我が家の場合は子供の気持ちを習い事にもっていく努力をした末に この子にあっていると思われる習い事をさせています。 子どもはとても楽しくやっていますし、習い事の効果は間違いなくあらわれています。 その習い事で上手になる為に必要な事は子どもも努力を自らしたいと思っています。 頑張るとどうなるかが分かっているので努力も楽しんでいると思います。 継続すると言う事を学ぶ、いろいろな地域から集まる子どもたちと触れあえ違う環境を感じ取れる、 などは子供は勿論親の私にも大変学ぶところが多いです。 初めまして。 御質問を拝見して、今の私の気持ちを代弁して下さっているような気がしました。 習いに行った先は 水泳以外 全て「個人宅」しかも殆ど「マンツーマン」でしたので、今考えても相当な金額だったと思います。 親は共働きサラリーマンで経済的に決して特別裕福なほうではなかったというのに、そんなにも金をかけて貰いながら、 何ひとつモノにならなかったのは、やはり私自身に質問者さんの仰る「義務感」しか感じられなかったからだと思います。 母が喜ぶ 安心する から行く。 行きさえしてれば母親の機嫌が良い 母自身が通わせていることに満足している。 そんな風に、小さいながらも「家で居心地良く住まうには、どうすればいいのか? 」を考えて悩んでいた気がします。 母は見栄っぱりで「世間体」を常に気にして「ステイタス」を求めるヒトで。 つい最近、30年も過ぎて初めて母親に、その正直な気持ちを間接的に伝えた途端 実姉が私と喧嘩した際に、あてつけでブチまけました 母の私に対する態度が豹変しました。 …そりゃあショックですよね。 自分は「子供の可能性を探ってやるためにカネを費やした」のに、当の子供に、こんな言われようで 泣けますね、ホント 今わが子 4歳になったばかりの娘 には一切何もさせていません。 自分自身の経験が、そうさせていると自信を持って言えます。 その「月謝」代わりと言っては何ですが、旅行にはしょっちゅう連れ出しています。 感性豊かになればと様々な「モノより思い出」体験を、と…しかしコレも自分の息抜きを兼ねていますね 正直なところ、立ち居振る舞いや所作の端々に[効果]の出るモノは出るとは思います。 とくに伝統・知識的なものなどは。 知っていて損は無いのかもしれませんが、かといって、それで食べて行ける 元を取る ほどの武器になるとも限りません。 歌や言語のように繰り返し繰り返し、呪文のように見聞きさせ、無意識に覚えさせるようにすれば、 それはそれで大きくなって何か役立つことは有るのかも知れませんが 咄嗟にクチをついて出て身を助くような事など 私は皆んなより早くから習って知ってるし大丈夫という「変な優越感」から「妙な過信」に陥り 「成績」ガタ落ち、などと言う話もよく聞きます。 水泳を習わせたからと言って、溺れて死なないなどと言う保証もありませんし。 早ければ早いほうが良い、と一般的に言われる系統の習い事も、なにもかも全て 習っている本人が「楽しい」とか「続けたい」とか「やめたくない」と感じ、興味を抱かなければ 一切無意味で無駄なことだと、私は思っています。 結局は、子供自身の[自己表現力]が拙いうちは、親の自己満足なんじゃないかと。。。 長くなり、回答としては御参考にならないかもしれませんが書かずにはいられませんでした。 御気分を害されたら申し訳ありません。

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キャッチフレーズとキャッチコピーの違い・意味・著作権について。(スローガンとの違いも)

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子供に習い事させる意味は? うたい文句は分かるけど、実際どんな動機で行かせてますか?で、どんな効果ありますか? 母親本人はあらゆる習い事しましたが義務的さとモノにならなかった、という印象が強く しなくても心が健全であれば後は何でも大人(自分できめて)することに遅すぎることはないと思ってます。 が、行かせなきゃ時代遅れ?子供はそれなりに劣等感もつでしょうか?まわりをみると親御さんが何もしなかった反動でたくさんさせてる方が多いのは気のせいかな?逆にやりすぎた親御さんはさせない?ってことあるかしら? おばあチャンは「行かせろ行かせろ、何もさせないでどうするか?自分ができるからできる、と思う親程、こどもはできんようになる」といつも口やかましいです。 やはり私がのんきすぎかしら?その劣等感の苦しみをしらなすぎかな~ 子どもに大切なことは、同年代の友達・兄弟と遊ぶことです。 子どもは単に遊んでいる様に見えても、 何かに疑問を持ったり、何か発見したり、ケンカをしたり・・大事な経験をいろいろしてます。 なので習い事が多いのは、関心しません。 でも、全く何もしない方がいいか?と言えば、そうでもないと思います。 絶対音感とかは、4~6歳位の頃にしか身に付かない能力です。 英語の発音とかも大人になってからより子どもの方が飲み込み早いのでは。 水泳とかも「水に慣れておく」のをしといて損はないと思いますし。。。 バレエも姿勢・バランス感覚がよくなるのではと思います。 向き不向きはありますので、何年かやってみて様子を見て、才能ありそうだったら伸ばしていくのも良いと思います。 子どもが、後から習ってじゅうぶん間に合うもの(小学校で習う勉強等)もありますが 今から身に付けさせたいものも少し考えてみてはいかがでしょうか。 23歳女です。 子供の立場で回答させて頂きます。 習い事は、「エレクトーン」、「お絵かき教室」、「水泳」、「習字」をやっていました。 エレクトーンは、小さい頃から歌ったり踊ったりするのが好きで、両親が「これはこの子に合ってる」と習わせてくれたおかげで、短大も音楽関係に 進み、社会人になった今でも趣味で続けています。 辞めたいと思ったこともありますが、本当に大好きな習い事です。 私にとってなくてはならないものになり、大きな自信になっていますので、両親に本当に感謝しています。 お絵かき教室も大好きで、毎回たのしみに通っていましたが、中学に上がる頃に、「まあこの辺でこれはいいか・・・」となんとなく親と話して辞めました。 今でも絵を描くのは好きですが、まあそれくらいの縁だったのかな(美術の成績はまあまあよかったです) 「そんな習い事してたなあ~」って感じで、いい思い出です。 水泳教室は、大嫌いで大の苦手だったので2年くらいで辞めました。 運動音痴でしたが今も運動音痴です。 部活もやっておらず、運動系の趣味がないので今少し後悔してるかな・・・。 水泳でなくても何か運動をやっとけばよかったなって・・・でもまあそれは部活でもいいから習い事である必要は無いと思いますが。。。 今は誰でもできるヨガに通ってます(笑) 最後の習字は、大嫌いでしたが、親が「習字に向くとか向かないとか滅多にないから、とにかく行かせる」という考えで、週4回7年間も通ってしまいました(笑) 泣きながら通ったこともあります(サボったことも・・・) 大人になってもいまいち「意味あったのかな~」と思いますが、つい先日履歴書の字を見て選んだ、と突然会社の役員の秘書に選ばれました! 人生何があるかわからないですね~! というわけで、小さい頃から習っていたことが大人まで続くことで自信が持てたり、社会に出ても趣味として続けられたり、 相性が合うものに出会えたことですごく人生が豊かになりました。 私は小さい頃から両親が子供を良く観て合うものを習わせてくれたことにすごく感謝しています。 ) 何かいつも歌っているとか、からだを動かすのが好きとか、そういうものを見つけて伸ばしてあげるといいと思います。 習い事が身にならなかったというのはその目的自体が物になっていないという事だと思いますが、 しかし、たとえ強制だったとしても何かそこから学んで身になっている事柄や性格などはきっとあることだと思います。 ただ、自分の中にあるあれをやったからという事に気が付いていないのではないかなと思います。 習い事はそのこと自体が上手に出来るだけではなく それによる見えない効果やいろいろな事をマルチに一応でもできる やってみようと思える気持ちや自信にもつながると思いますし、 いろいろやることにより本当に好きな物を見つけやすいという事もあると思います。 お母様はいろいろな習い事を質問者様にさせていたという事ですが、 習い事をたくさんさせて間違いだったというのではなく、 習い事をさせる際にお子様である質問者様の気持ちを導くという事をしなかったのが間違いだったのだと思います。 子どもだから言ってもわからないというので ただ「行きなさい」「やりなさい」では子どもも納得がいきませんし本当にやらされていると感じることでしょう。 しかし、話をすると言う事でその辺はだいぶ子ども自身も変わるかと思います。 習い事をさせるには、それなりにお子さんの気持ちをそちらに向ける事が出来るように、 始めてからも勇気付けたり乗せたりして楽しいと思えるように言葉がけなどする必要があると思うのですが、 それが上手に出来なかったので質問者様は好きになる事が出来ず嫌な思い出しかなく今のようなお気持ちになられるのでしょう。 ですので、お子さんに上手に話をしたりすることで気持ちをその習い事に向ける事が出来るのなら 習い事は決して苦痛なものではなく、子供が本来持っている好奇心、やりたい、知りたい、出来るようになりたい という気持ちを満たしその為に楽しく努力できる良い機会になるはずだと思います。 お子さんに対して、自然に育ってくれると思うのは、聞こえは良いですが、 マイナスな方向から見れば、伸びる芽を伸ばす努力をしていないことになり、 お子様が本来ならもっと伸びたかもしれない部分が出せずにいて、 結果的には始めが遅かったためにその分野での成長にリミットがかかってしまうという事もあると思います。 大人でも同じですが、やってみたら面白いと思う事は多いです。 親が子供をしっかりと観察しているならこの子には何が向いているかなどは見つけれると思うのですが それを伸ばすために子供は何も知らないのでxxがやりたいとは言わないかもしれませんが やり始めればとても楽しくてそれが本当に上手になりたいと思い努力を自らし始めるかもしれません。 また、欠点を補うための習い事も、やはり良いと思います。 劣等感を感じて生きるよりはない方が良く、それを克服したという自信につながりますからね。 質問者様の場合習い事からは実を結ぶ事はなかったと言えるかもしれませんが、 中には習い事を極めたが為にそれをやって本当に良かったと思っている人もいます。 初めは強制でも、自分の意思で始めたにせよ、良かったという結果で終わる人も多くいます。 だとすれば、やらせないという事はお子さんの可能性を親の価値観が摘んでしまっていると言える場合もあるわけです。 しかし、自分が嫌だったという思いが親御さんにある以上、お子さんに習い事をさせるのは無理があると思います。 お子さんが少しでもくじけそうになった時に上手に話をし続けさせるという事に罪悪感など感じると思うからです。 ですから、もし、何かやらせてあげようと思うなら、まずはお母さんである質問者様の気持ちを変える事が必要になると思います。 やっぱり、習い事はマイナスではなくプラスだと強く信じていなければお子さんにも良いとは思えないからです。 もし、やはり習い事は良くないと思えるなら ご自分の子育て方法を周りに合わせて変えるという事はしないほうが賢明かと思います。 我が家の場合は子供の気持ちを習い事にもっていく努力をした末に この子にあっていると思われる習い事をさせています。 子どもはとても楽しくやっていますし、習い事の効果は間違いなくあらわれています。 その習い事で上手になる為に必要な事は子どもも努力を自らしたいと思っています。 頑張るとどうなるかが分かっているので努力も楽しんでいると思います。 継続すると言う事を学ぶ、いろいろな地域から集まる子どもたちと触れあえ違う環境を感じ取れる、 などは子供は勿論親の私にも大変学ぶところが多いです。 初めまして。 御質問を拝見して、今の私の気持ちを代弁して下さっているような気がしました。 習いに行った先は 水泳以外 全て「個人宅」しかも殆ど「マンツーマン」でしたので、今考えても相当な金額だったと思います。 親は共働きサラリーマンで経済的に決して特別裕福なほうではなかったというのに、そんなにも金をかけて貰いながら、 何ひとつモノにならなかったのは、やはり私自身に質問者さんの仰る「義務感」しか感じられなかったからだと思います。 母が喜ぶ 安心する から行く。 行きさえしてれば母親の機嫌が良い 母自身が通わせていることに満足している。 そんな風に、小さいながらも「家で居心地良く住まうには、どうすればいいのか? 」を考えて悩んでいた気がします。 母は見栄っぱりで「世間体」を常に気にして「ステイタス」を求めるヒトで。 つい最近、30年も過ぎて初めて母親に、その正直な気持ちを間接的に伝えた途端 実姉が私と喧嘩した際に、あてつけでブチまけました 母の私に対する態度が豹変しました。 …そりゃあショックですよね。 自分は「子供の可能性を探ってやるためにカネを費やした」のに、当の子供に、こんな言われようで 泣けますね、ホント 今わが子 4歳になったばかりの娘 には一切何もさせていません。 自分自身の経験が、そうさせていると自信を持って言えます。 その「月謝」代わりと言っては何ですが、旅行にはしょっちゅう連れ出しています。 感性豊かになればと様々な「モノより思い出」体験を、と…しかしコレも自分の息抜きを兼ねていますね 正直なところ、立ち居振る舞いや所作の端々に[効果]の出るモノは出るとは思います。 とくに伝統・知識的なものなどは。 知っていて損は無いのかもしれませんが、かといって、それで食べて行ける 元を取る ほどの武器になるとも限りません。 歌や言語のように繰り返し繰り返し、呪文のように見聞きさせ、無意識に覚えさせるようにすれば、 それはそれで大きくなって何か役立つことは有るのかも知れませんが 咄嗟にクチをついて出て身を助くような事など 私は皆んなより早くから習って知ってるし大丈夫という「変な優越感」から「妙な過信」に陥り 「成績」ガタ落ち、などと言う話もよく聞きます。 水泳を習わせたからと言って、溺れて死なないなどと言う保証もありませんし。 早ければ早いほうが良い、と一般的に言われる系統の習い事も、なにもかも全て 習っている本人が「楽しい」とか「続けたい」とか「やめたくない」と感じ、興味を抱かなければ 一切無意味で無駄なことだと、私は思っています。 結局は、子供自身の[自己表現力]が拙いうちは、親の自己満足なんじゃないかと。。。 長くなり、回答としては御参考にならないかもしれませんが書かずにはいられませんでした。 御気分を害されたら申し訳ありません。

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