「アルパカパカパカ?」といわれて、「ちょっとオカピー!」 と返せない人は以下、読んでも意味わからないと思うのでお引き取りください。 さて、Eテレの住人の皆さん、おつかれさまです。 今日も、たまにはスッキリが見たいところを、鬼チューブに笑い、デザインあの分解に感嘆しているうちに気づけば子供といっしょにパッコロリンですか。 わかります。 本題に移ります。 あつこデビュー あつこの目が笑っていない。 という事には、誰もが共感してくれると思う。 一応説明すると「おかあさんといっしょ」で2016年春から歌のお姉さんに就任した、あつこだ。 伝説的はいだしょうこお姉さんにも引けを取らない安定の歌唱力と、それ以上の表現力と親しみを持った「タクミお姉さん」から、引き継いで就任したあつこ。 彼女への期待は凄まじく、就任したての彼女はそのプレッシャーをもろにうけ緊張しきった顔で、こちらも大人気なだいすけお兄さんの隣で、必死に歌のお姉さんを務めた。 笑顔を作ろうとするも 決して目は笑わない。 とにかく精一杯。 それがあつこの最初の一年だった。 ゆういちろう就任 2年目。 2017年春。 まさかのだいすけお兄さんの卒業。 これを引き継いだのは、ゆういちろうだった。 あつこの例がある。 やはり子供番組の顔とも呼べる、歌のおにいさんおねえさんになることは、それだけで大役なのだ。 わたしたちが期待しすぎるのは、良くない。 そう学び、あつこのデビュー戦よりハードルをさげた視聴者から迎え入れられたゆういちろう。 第一回目の出演、ゆういちろうを迎えた新曲も披露。 だいすけ不在の24分。 どうだったかというと。 正直に言ってとまどった。 ゆういちろう、パーフェクトなのだ。 緊張感もない。 変にだいすけお兄さん以上の自分のスタイルを作ろう!という気概もない。 むしろだいすけお兄さんの変顔を素直に継承したまま、まるで何年も前からそこにいたように歌い、子供達に笑いかける。 少なくともわたしはざわついた。 あれ?ゆういちろう、いいやん。 ゆういちろうがもたらした影響 しかも、ゆういちろうという新人の就任はあつこにも好影響をもたらした。 ゆういちろうの就任から、あつこが微妙に、堂々としたのだ。 「わたしが一年先輩なんだから、しっかりしなくちゃ!」という妙な先輩感が彼女に一瞬自信を付けた。 おおこれは!あつこ、やっと、自分らしく突き進めるんじゃない?!よかったね!ゆういちろうと一緒に、駆け抜けて!と、安心した…のだけど。 誤算だった。 ゆういちろうが今年の4月に就任して、もう8ヶ月が経とうとしている。 そのあいだ、どうなったかというと。 ゆういちろうは、 8ヶ月分、さらに、めっちゃよくなった。 通常放送での子供たちとの絡みや個人コーナーの自由さはもちろん、初のコンサートも、声が枯れていたところもあったのだけど、一切音程もぶれず、心から笑い、楽しんでいた。 というより、間違いなくゆういちろうが全員を引っ張っていた。 チームリーダーになっていた。 (これは、現在の体操のおにいさんお姉さんが、歌のおにいさんお姉さんを立てる超プロなのでこうなってるところもある)一方あつこは、ゆういちろう就任時こそ数ヶ月は自信をつけたようだったのだけど、やはり、「いつも精一杯」感は、一切消えないまま、2016年と変わらないままだった。 むしろ、どんどん進化して独自の歌のおにいさん史を更新し続けるゆういちろうの存在は、あつこの無進化を、つまり、目の笑ってなさを、際立たせた。 あつこは不適任なのか? なんでなんだろう。 なんでこの人がお姉さんなんだろう。 一応たくみお姉さんデビュー当時のコンサート映像も確認したけど、初めから完璧だった。 全国に歌が上手くて堂々と歌って踊れる人はたくさんいる。 歌のお姉さんになりたい人なんて何百人いるだろうそれなのに、なぜ、あつこなんだろう。 そんな意地悪な気持ちがなんども浮かんでいた。 そして、昨夜。 突然だった。 いつもどおりあつこを見ながら、気づいてしまった。 そう、わたしは、いま、 「いつもどおりあつこを見ながら」と書いてしまったけど、その通り、気づけばいつのまにかわたしは、あの番組を見る時、いつも、あつこを見ている。 あつこばかりを気にしてしまうようになっていたのだ。 「あつこ、今日大丈夫かな。 今日もしりとり列車でちゃんと子供と絡めるかな。 ベルがなるで音外さないかな。 今日も目笑ってないだろうけど自分の中ではやりきれたかな。 エゴサしてないかな。 … 彼女には、親近感どころか、身内感があるのだ。 親しみ持てるー!どころか、大丈夫か心配になる。 なんというか、 身内が出ている「NHKノド自慢」をみているときと全く同じ感覚にさせられる。 そしてこれは、Eテレの、壮大な狙いなのでは? Eテレのお家芸 だって考えてみてほしい。 笑い飯をナレーターにし、サンドイッチマンに上野動物園の歌を歌わせ、サバンナ高橋にコッシーをやらせ、美輪明宏に太陽役をあてがうことができる、Eテレ。 有名人だけでなく、白Aやダツイージョ、あもん君などの無名人発掘だって、ミラクル適任とさせるEテレ。 キャスティング力こそがEテレの大得意な、お家芸とも呼べる、唯一無二の力ではないか。 そのEテレが、その局の顔とも言える「歌のお姉さん」のキャスティング、手を抜くわけがない。 オーディションの段階で、あつこのやや安定しない音程や、目の笑ってなさ、たまに出る必死さなんて、とっくに、わかっていたのではないか。 私はこれまで、たくみお姉さんが妊娠などで急に辞めることになりキャスティングが間に合わず仕方なくアツコになってしまったのではとこれもまた意地悪に考えてしまっていたけど。 仮に本当に急だったとしても。 かのEテレが、ここのキャスティングで不十分な人を、選び、悪い誤算を生むなんてこと、ありえないはずなのだ。 逆転の発想 あつこは、たしかに心配だ。 でも、どこかで史上初、歌のお姉さんを応援してしまっている自分たちがいるのも、事実。 時代を読んだEテレは挑戦したのではないか。 このタイミングでの歌のお姉さんに求められるのは、ガチのガチでの身内感、それを生む素人感、ハラハラ感。 なのではと。 現にわたし、あつこの就任以来、こうやってあつこへの思いを文章にしたい気持ちにずっと駆られていた。 スルーできないあつこの独自性。 そして、その、【いい意味の】不安定さを支えるエース、ゆういちろう。 さらに、どっしり安定し、最近はふたりのメインコーナーでアドリブすらいれてしまう体操のお兄さんお姉さん(よしひさとリサ)コンビ。 いまのお母さんといっしょチーム、まじミラクルバランス過ぎなのでは。 そういう目で今朝の彼らを見たら、それぞれで 過不足を埋めあっている彼ら、家族みたいで良すぎ。 と思ってしまった。 2019年、おかあさんといっしょは、60周年を迎える。 そのときもこの4人が見たいし、もし誰かが抜けるとしても、Eテレはまた作為的に最高のキャスティングを仕組んでくるんだろう。 あつこの目は、きっと来年も笑わない。 だけどわたしは来年も、あつこが結局大好きだ。
次の「アルパカパカパカ?」といわれて、「ちょっとオカピー!」 と返せない人は以下、読んでも意味わからないと思うのでお引き取りください。 さて、Eテレの住人の皆さん、おつかれさまです。 今日も、たまにはスッキリが見たいところを、鬼チューブに笑い、デザインあの分解に感嘆しているうちに気づけば子供といっしょにパッコロリンですか。 わかります。 本題に移ります。 あつこデビュー あつこの目が笑っていない。 という事には、誰もが共感してくれると思う。 一応説明すると「おかあさんといっしょ」で2016年春から歌のお姉さんに就任した、あつこだ。 伝説的はいだしょうこお姉さんにも引けを取らない安定の歌唱力と、それ以上の表現力と親しみを持った「タクミお姉さん」から、引き継いで就任したあつこ。 彼女への期待は凄まじく、就任したての彼女はそのプレッシャーをもろにうけ緊張しきった顔で、こちらも大人気なだいすけお兄さんの隣で、必死に歌のお姉さんを務めた。 笑顔を作ろうとするも 決して目は笑わない。 とにかく精一杯。 それがあつこの最初の一年だった。 ゆういちろう就任 2年目。 2017年春。 まさかのだいすけお兄さんの卒業。 これを引き継いだのは、ゆういちろうだった。 あつこの例がある。 やはり子供番組の顔とも呼べる、歌のおにいさんおねえさんになることは、それだけで大役なのだ。 わたしたちが期待しすぎるのは、良くない。 そう学び、あつこのデビュー戦よりハードルをさげた視聴者から迎え入れられたゆういちろう。 第一回目の出演、ゆういちろうを迎えた新曲も披露。 だいすけ不在の24分。 どうだったかというと。 正直に言ってとまどった。 ゆういちろう、パーフェクトなのだ。 緊張感もない。 変にだいすけお兄さん以上の自分のスタイルを作ろう!という気概もない。 むしろだいすけお兄さんの変顔を素直に継承したまま、まるで何年も前からそこにいたように歌い、子供達に笑いかける。 少なくともわたしはざわついた。 あれ?ゆういちろう、いいやん。 ゆういちろうがもたらした影響 しかも、ゆういちろうという新人の就任はあつこにも好影響をもたらした。 ゆういちろうの就任から、あつこが微妙に、堂々としたのだ。 「わたしが一年先輩なんだから、しっかりしなくちゃ!」という妙な先輩感が彼女に一瞬自信を付けた。 おおこれは!あつこ、やっと、自分らしく突き進めるんじゃない?!よかったね!ゆういちろうと一緒に、駆け抜けて!と、安心した…のだけど。 誤算だった。 ゆういちろうが今年の4月に就任して、もう8ヶ月が経とうとしている。 そのあいだ、どうなったかというと。 ゆういちろうは、 8ヶ月分、さらに、めっちゃよくなった。 通常放送での子供たちとの絡みや個人コーナーの自由さはもちろん、初のコンサートも、声が枯れていたところもあったのだけど、一切音程もぶれず、心から笑い、楽しんでいた。 というより、間違いなくゆういちろうが全員を引っ張っていた。 チームリーダーになっていた。 (これは、現在の体操のおにいさんお姉さんが、歌のおにいさんお姉さんを立てる超プロなのでこうなってるところもある)一方あつこは、ゆういちろう就任時こそ数ヶ月は自信をつけたようだったのだけど、やはり、「いつも精一杯」感は、一切消えないまま、2016年と変わらないままだった。 むしろ、どんどん進化して独自の歌のおにいさん史を更新し続けるゆういちろうの存在は、あつこの無進化を、つまり、目の笑ってなさを、際立たせた。 あつこは不適任なのか? なんでなんだろう。 なんでこの人がお姉さんなんだろう。 一応たくみお姉さんデビュー当時のコンサート映像も確認したけど、初めから完璧だった。 全国に歌が上手くて堂々と歌って踊れる人はたくさんいる。 歌のお姉さんになりたい人なんて何百人いるだろうそれなのに、なぜ、あつこなんだろう。 そんな意地悪な気持ちがなんども浮かんでいた。 そして、昨夜。 突然だった。 いつもどおりあつこを見ながら、気づいてしまった。 そう、わたしは、いま、 「いつもどおりあつこを見ながら」と書いてしまったけど、その通り、気づけばいつのまにかわたしは、あの番組を見る時、いつも、あつこを見ている。 あつこばかりを気にしてしまうようになっていたのだ。 「あつこ、今日大丈夫かな。 今日もしりとり列車でちゃんと子供と絡めるかな。 ベルがなるで音外さないかな。 今日も目笑ってないだろうけど自分の中ではやりきれたかな。 エゴサしてないかな。 … 彼女には、親近感どころか、身内感があるのだ。 親しみ持てるー!どころか、大丈夫か心配になる。 なんというか、 身内が出ている「NHKノド自慢」をみているときと全く同じ感覚にさせられる。 そしてこれは、Eテレの、壮大な狙いなのでは? Eテレのお家芸 だって考えてみてほしい。 笑い飯をナレーターにし、サンドイッチマンに上野動物園の歌を歌わせ、サバンナ高橋にコッシーをやらせ、美輪明宏に太陽役をあてがうことができる、Eテレ。 有名人だけでなく、白Aやダツイージョ、あもん君などの無名人発掘だって、ミラクル適任とさせるEテレ。 キャスティング力こそがEテレの大得意な、お家芸とも呼べる、唯一無二の力ではないか。 そのEテレが、その局の顔とも言える「歌のお姉さん」のキャスティング、手を抜くわけがない。 オーディションの段階で、あつこのやや安定しない音程や、目の笑ってなさ、たまに出る必死さなんて、とっくに、わかっていたのではないか。 私はこれまで、たくみお姉さんが妊娠などで急に辞めることになりキャスティングが間に合わず仕方なくアツコになってしまったのではとこれもまた意地悪に考えてしまっていたけど。 仮に本当に急だったとしても。 かのEテレが、ここのキャスティングで不十分な人を、選び、悪い誤算を生むなんてこと、ありえないはずなのだ。 逆転の発想 あつこは、たしかに心配だ。 でも、どこかで史上初、歌のお姉さんを応援してしまっている自分たちがいるのも、事実。 時代を読んだEテレは挑戦したのではないか。 このタイミングでの歌のお姉さんに求められるのは、ガチのガチでの身内感、それを生む素人感、ハラハラ感。 なのではと。 現にわたし、あつこの就任以来、こうやってあつこへの思いを文章にしたい気持ちにずっと駆られていた。 スルーできないあつこの独自性。 そして、その、【いい意味の】不安定さを支えるエース、ゆういちろう。 さらに、どっしり安定し、最近はふたりのメインコーナーでアドリブすらいれてしまう体操のお兄さんお姉さん(よしひさとリサ)コンビ。 いまのお母さんといっしょチーム、まじミラクルバランス過ぎなのでは。 そういう目で今朝の彼らを見たら、それぞれで 過不足を埋めあっている彼ら、家族みたいで良すぎ。 と思ってしまった。 2019年、おかあさんといっしょは、60周年を迎える。 そのときもこの4人が見たいし、もし誰かが抜けるとしても、Eテレはまた作為的に最高のキャスティングを仕組んでくるんだろう。 あつこの目は、きっと来年も笑わない。 だけどわたしは来年も、あつこが結局大好きだ。
次の小学3、4年生くらいになってもプールに顔をつけられないお子さんはいらっしゃるのでしょうか?息子は1年生ですが、相当頑固者で絶対に顔をつけません。 かろうじて口までならつけられます。 プールの経験が 少ないわけではなく、2歳のころから遊び感覚でプールに行ってました。 この夏は市のプール教室にも行きましたが、周りがどんどん上達する中、息子だけが顔をつけられませんでした。 この調子なら学年が上がっても断固として嫌がるかもしれません。 取り越し苦労かもしれませんが、実際のところ、3,4年生でも顔をつけられないお子さんているのでしょうか?クラスに一人か学年に一人くらいはいますか?それとももっと多いですか?ご存じの方、よろしくお願いします。 私自身の経験談をお話しします。 私も、顔がつけられない子どもでした。 3・4歳の頃から、両親が健康のためにと、スイミングスクールに通わせたり、 父の休暇のたびに、海やプールに連れて行ったりと、 どちらかと言えば、周りの子よりも水に親しんでいたと思います。 でも、本当に怖くて、大丈夫だからとどんなに先生に言われても、 父や母に厳しく叱られ、時には足の届かない深さのところに放り込まれても、 頑として水に顔をつけることはできませんでした。 それこそ、ご質問にあるように、小学校の3年生、4年生になっても。 学年の中で、泳げない子は何人かいましたが、 顔さえつけられなかった子は、他にはいなかったように思います。 そんな私に転機が訪れたのは、小学校4年生の時でした。 1学期の間は、相変わらず水につかっているだけでプールの時間を過ごしていたのですが、 夏休みのプール登校日(学年ごとに曜日が決まっていて、泳ぐ練習のために登校する日)に、 その日来ていた指導員の方が、 「焦らなくても、いつかできるようになればいいよ。 泳げなくても、そんなに困ることもないしね」 と言ってくださったことでした。 そして、もし泳げたら、どんなに気持ちがいいか。 水中にさす光のきらめき、水中から見上げる空のまぶしさ。 スキューバダイビングで、カラフルな魚と泳いだこと。 そんな魅惑的な話をしてくださったのです。 「私もやってみたい」と、強く思いました。 私も魚と泳ぎたい、きらきらの光を見てみたい。 すると、本当に憑き物が落ちたように怖くなくなって、 あっさりと顔がつけられるようになり、 その夏休み中には15m、4年生の終わりには25m泳げるようになりました。 そして何と!翌年には水泳のクラス対抗リレーでクラス代表にも選ばれ、 6年生の時には、「何m泳げるか」という測定で、 2kmを泳いだところで、授業時間が終わってしまうから、と先生に止められるほど、 誰よりも泳ぐのが好きな子になっていたんですよ。 多分息子さんも、私みたいに、ある日突然、というのがやってくるのではないでしょうか? 私の場合、周りが焦って急かされればその分、頑なになっっていたように思います。 私が出会った指導員の方のおっしゃったように、 そのうちできるよって、ゆっくり見守ってあげてください。 お願いします。
次の