「実は最近、さん(79)に恋人ができて、仕事関係者や真剣佑さんらご家族を驚かせているのです」 そう語るのは、千葉の知人女性。 俳優として活躍する長男・新田真剣佑(21)に続き、次男・眞栄田郷敦(18)もモデルデビューして話題を呼んでいる千葉一家。 家長である千葉は、いまだ恋愛に関しては意気軒高。 お相手の女性は54歳年下の25歳だという。 前出の知人女性が続ける。 当時は早稲田大学に通っていたエキゾチックな顔立ちの美女です。 昨年、一度は破局したそうなのですが……」 A子さんとの破局について、千葉本人は週刊誌のインタビューで次のように語っている。 《実は週刊誌に撮られた早稲田の女子大生とは、疎遠になってしまったんだ》(『FRIDAY』18年2月2日号) A子さんは千葉と破局後にほかの男性と結婚したのだが、半年ほどで離婚し、千葉とヨリを戻したのだという。 A子さんとの現在の関係について千葉は本誌の取材に次のように語った。 「彼女とは、たまたま銀座でバッタリ会って、その後に食事をしただけ。 だから復縁ということではないよ。 俺は後ろ指をさされるようなことは一切していないんだ」 だが千葉を知る芸能関係者は言う。 「以前A子さんと交際していたときも、千葉さんは認めようとはしませんでしたからね。 ほかには渡辺謙の名前も挙がりましたが、共通点は子供たちも美男美女ということですね」 真剣佑や郷敦ら2人の子供たちは父の復縁について驚いているというが、その理由についてこの関係者は次のように語った。 前の奥さんは真剣佑くん、郷敦くんのお母さん。 外部サイト.
次の「54歳年下の女子大生との不倫関係が報じられたが、あれはもはや不倫ではなく真剣愛だ。 彼女のことは2人の息子にも紹介ずみで、妻とはすでに離婚調停中。 息子たちには『この人とつき合うから離婚してもいいか』と直接相談した」(在京メディア関係者) 元祖和製アクションスター・千葉真一(76)が、ついに決断を下した。 前妻である野際陽子(79)との離婚から、わずか2年後のことだった。 長男で売出し中のイケメン俳優・真剣佑(まっけんゆう・18)と次男をもうけ、米国・ロサンゼルスで暮らしていた。 だが次第に夫婦仲は冷め、3年前に帰国。 千葉は東京で、妻は京都での別居生活を選択したのだった。 「妻からは何度も判をついた離婚届を郵送されていたが、千葉は無視していた。 調停になっても気持ちは変わらなかったのに、最近、離婚という決断に向けて動いている」(夫婦の知人) ついに、2度目の離婚を決意したのだ。 10月中旬の夕方、千葉が運転する車は都内の自宅マンションを出ると、都心を離れ下町へと向かった。 助手席にはもちろん、あの女子大生である。 コインパーキングに車を停め、庶民的な理髪店に入った2人。 白髪を染める千葉を、彼女はソファで待つ。 千葉真一玉美さんとの離婚理由は?• 芸名 新田真剣佑(本名 前田真剣佑)• 生年月日 1996年11月16日• 出身地 ロサンゼルス 千葉真一さんの長男「真剣佑(まっけんゆう)」さん。 アメリカ・サンタモニカ出身です。 「真実の剣を持って人の右に出る」という命名理由だそうです。 日本人ながら海外でも通用するように命名されているのですね。 「日本映画を見て、僕も人に感動を与えたいと思い、俳優を目指すようになりました。 アメリカでも仕事はしたのですが、今の年齢ならば日本のほうがいいなと。 2月に日本に来て仕事をしてみたらすごく楽しくて、もうアメリカには戻らないかも 笑 」 それにしてもすごい肉体美。 トレーニングなどはしているの? 「空手を10年以上やっています。 いまも毎日トレーニングしていますし、父に殺陣も教わっています。 でも、アクションスターになりたいわけではなくて 笑。 アメリカの俳優は、いい体で、動けて当たり前。 『肉体は俳優のごとく』という父の言葉も大切にしています」 千葉真一の息子 真剣佑の活躍.
次の生涯現役にこだわる千葉真一 77歳になってもなおハードなトレーニングを続ける千葉真一は「トレーニング歴75年」と語るなど、自己研鑽を怠らない。 だが今、千葉の視線は一人の若者に注がれている。 長男の真剣佑(まっけんゆう・19)である。 アメリカで生まれ育った彼は、2年前から日本でも俳優としての活動を始めた。 「真剣佑はアメリカでブラッド・ピットを演技指導している先生に習っていたのですが、若いうちに日本の歴史などを勉強させねばと呼び寄せました。 アメリカ生まれであっても、日本人ですから。 だが、いずれ近いうちにアメリカに帰します。 ハリウッドが私たち親子の目標であり、夢だからです」 千葉の目は常に世界を向いている。 日本映画を、日本の俳優を、いかにして世界に認めさせるかということを想い続けた人生といってもいいだろう。 自身も、1974年に主演した映画『激突! 殺人拳』が海外に配給されるや、大ヒットとなってその名が知られるようになった。 1992年から拠点をロサンゼルスに移しハリウッドで活動、グリーンカードも取得した。 それだけに、現在の日本映画界の現状を憂えている。 「いい俳優、いい監督はいると思います。 でも、日本映画が意識しているのは、せいぜい東南アジアぐらいまで。 世界を見ようとしていない。 しかも、映像文化に対する国の理解がない。 オーストラリアやカナダでは、自国を世界に知らしめるため国が国民から寄付を募って映画を作っている。 日本にそんなシステムがありますか?」 80歳を目前にしても、座して待つ気はさらさらない。 昨年、映像文化とともに日本を世界に伝えるための財団を設立、奔走する毎日だ。 「先日も下村博文・前文科相や太田昭宏・前国交相に会って話をしてきました。 未来を担う子どもたちに日本の歴史を正しく教えなきゃいけないし、その歴史を伝えるのが映画なんです、とね。 残念ながら政府は日本の映像文化に目が向いていない。 でも、私は諦めていません。 世界を相手にした作品を作る日本人がいないのなら、私がやってやろうと。 だから今も肉体を鍛えて生涯現役にこだわりたい。 日体大中退後、東映ニューフェイスにトップで合格。 1960年、ドラマ『新七色仮面』で主演デビュー。 1968年のドラマ『キイハンター』で一躍トップスターに。 海外での知名度も高く「Sonny Chiba(サニー千葉)」の愛称で知られ、ジャッキー・チェンやキアヌ・リーブスらとの親交も深い。
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