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【BL小説】優しい君の暴いてはならない腹の内【前編】

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会社帰り。 日課になった、行きつけの店への寄り道。 いや、この場行きつけとは些か意味合い違う。 どうしても行かねばならない理由が 親則 ちかのりにはあった。 上司に呼び止められたせいで、今はもう午後九時を軽く回っている。 店の営業は午後七時までだ。 雑務が残っているとはいっても、店の人間ですら帰っている時間帯である。 遅くなるので今日は行けない旨の連絡を入れておいたのだが、人格者で非常に優しい幼馴染は「何時になっても気にしなくていいから、おいで」と返信をくれた。 親則の事情を知る彼に申し訳なく思う一方、毎回好意に甘えることになる自分が情けない。 店の表入り口は閉まっているので、慣れたように裏に回ってベルを鳴らす。 しばらくして勝手口のドアが開き、長身の男性が現れた。 染めているわけではない淡い栗色の髪が、今日も今日とてフワフワだ。 髪の色より更に色素の薄い瞳が優しく細められ、甘いバリトンが「お帰り」と出迎えてくれる。 まさに絵に描いたような、絶世の美貌。 優し気な目元に高い鼻梁、赤く厚みのある唇は薄く微笑んでおり、全体のパーツが絶妙なバランスで小さな顔の中におさまっていた。 長い手足と高い位置にある腰。 身長八十六センチの長身は、小学校まで親則の方が高かったのが嘘のようだ。 淡いパープルのVネックのサマーニットと、白いストレートスキニー。 カジュアルだが実に品が良く、まるでどこぞやの王侯貴族のような風貌である。 あだ名は昔から「王子様」。 ついでに白状すると、仲が良かった親則は一時期「従者」と呼ばれていた。 それを嫌って彼から距離から置いたのだが、その後不思議と「従者」と呼ばれなくなり、その内また彼と一緒にいることが多くなった。 「ごめん、いつも」 「どうして謝るの? 僕の練習に付き合ってもらってるのに。 チカが気にすることじゃないよ」 なんといい奴なのだろう。 できた幼馴染を持って、ありがたいばかりだ。 親則は促されるまま店内へ入り、汗ばんだ体を空調の効いた室内で休める。 日に日に暑くなる六月下旬。 まだ本格的ではないはずなのに、日中はスーツ姿がこたえるようになってきた。 「ミキ、これ。 いつもので悪いんだけど」 そう言って、ミキこと 藤堂幹也 とうどうみきやへ持参した紙袋を差し出す。 なんてことはない。 ただのポテトサラダだ。 実家住まいではないし、そもそも両親は事故で他界している。 これは料理教室の先生だった母親から習った、料理の一つだった。 大学での一人暮らしに向けて、これだけは覚えなさいと三つのレシピを叩き込まれた。 それが味噌汁、筑前煮、ポテトサラダだ。 まずは味噌汁。 これさえ覚えておけば食べるのに困らないと言われ、豆腐の切り方や味噌を入れるタイミングなどを叩き込まれた。 次は筑前煮。 味噌汁で出汁の取り方を覚えた応用編だ。 更に色々なレシピに繋がると、これまた徹底的に叩き込まれた。 最後がポテトサラダだ。 正直、これは作らないだろうなと思っていた。 実際非常に面倒な料理だ。 それでも、今ではこれを一番作っている。 米にもパンにも酒にも合う上、目の前の男の大好物だからだ。 「あのさ、やっぱりちゃんとお金を」 「いらないよ。 言ったろ? 僕の練習だって。 それに、チカの作るポテトサラダ大好きなんだ」 「大したものじゃないけど……」 嬉しそうにポテトサラダを受け取ったミキは紙袋をバックヤードに置いてくると、ミキはにこやかに親則を手招いた。 「チカ、荷物と上着ちょうだい」 小さく息を吐いて、親則は鞄とスーツの上着をミキへ差し出す。 これから始まることへの恐怖から、若干緊張してきた。 それを見抜いたミキが、上着をハンガーラックにかけるとポンと背中を叩く。 綺麗な顔に優しい笑顔を浮かべて、親則の緊張を和らげようとしてくれているのが分かった。 「大丈夫だよ。 僕を信じて」 「……ぅ、ん」 向かう先は、店の奥にあるシャンプー台。 三台ある一つに腰掛け、体を寝かせた。 二年前。 社会人になって三年目の冬。 妹が希望の大学へ合格した。 せっかくなので旅行に行こうと、父親が奮発して家族で海外旅行へ行くことになった。 行き先が海外ということもあって、親則も喜んで参加した。 ありがたくも有給消化を口やかましく言ってくるような会社なので、休みは取りやすかった。 父と母、親則と妹の四人の家族旅行。 楽しい思い出になる予定だった。 そのはずだった。 旅は船旅。 客船で上海へ向かった。 そこで起こった、悲劇。 タンカーとの衝突が、親則の人生を変えた。 客船は沈没し、辛うじて生き残った親則以外家族は全員助からなかった。 未だに遺体すら上がっていない。 夜風に当たっていた親則は、甲板にいた。 それもあって、救助されたのが早かった。 時折夢に見る。 そのたびに思う。 何故自分だけ助かってしまったのかと。 どうせなら、一緒に死んでしまえばよかったのにと。 そんな親則を親身になって支えてくれたのが、幼馴染のミキだ。 家が近所で、母親同士が仲の良かったこともあって家を行き来する間柄だった。 ミキは独りぼっちになった親則を何かと気にかけ、いつも助けてくれた。 事故が原因で水に恐怖を覚えるようになってからは、カウンセリングにまでついてきてくれた。 立ち直れたのはミキの存在が大きい。 しかし、水恐怖症は克服できぬまま。 水そのものが怖くなってから、生活が一変した。 飲む分には平気なのだが、とにかく風呂が怖い。 目を瞑るせいで恐怖心が増し、顔を洗うのも一苦労だ。 特に厄介なのが洗髪だった。 まともに洗うことが叶わず、カウンセラーへ相談したのをきっかけでミキの知ることとなった。 ミキの父親は都内に数十店舗構える美容室のオーナーだ。 自身は美容師ではなく、経営者として店舗を管理している。 ミキも大学では経済経営学部へ進み、今は父親の下で実際のノウハウを学んでいる最中だ。 そんなミキがいきなり、仕事をしながら美容学校に通い始めた。 しかも夜間学校だ。 日中は次期経営者として働きながら、夜は美容師免許を取得するべく勉強する毎日。 現場のことを知るには、実際に美容師になってみるのが一番なのだそうだ。 父親は最初反対していたようだが、ミキは聞く耳を持たず学校へ入学した。 二年後、無事に卒業して免許を取得したミキは自身が任せられている店舗の一つで、美容師としても活躍している。 滅多に接客することはないそうだが、こうやって練習といって親則の難題に付き合ってくれている。 毎日の洗髪は悩みの種だったが、ミキがこうやって髪を洗ってくれるようになってからはストレスも減った。 毎日、待ち合わせはこの店舗。 大抵はミキ一人で、たまに店長に会うこともあるがすぐに帰る。 なので他の従業員とは顔を合わせたことは一度もなかった。 (勉強熱心だよなぁ……) そのお陰で洗髪に悩まずに済んでいるのだが、このままではいけないことは自分が一番分かっている。 いつまでもミキに頼っていてはいけない。 器用な彼はすぐに上達するだろう。 そもそも本業は経営。 こんなこと、ずっとは続けていられない。 「お湯出すからね」 「う、ん」 顔を隠すと恐怖心が増すので、目元に布はかけない。 理容室だとうつ伏せで洗髪するところが多いが、ここは美容室なので仰向けで洗髪する。 シャワーからお湯の出る音がして、一気に体が強張った。 そっとミキが親則の髪に触れて、撫でてくる。 チカが強張ると、ミキはすぐにこうやって触れてくる。 最初は恥ずかしかったが、温かく大きな手はいつしか親則を安心させてくれるものになった。 撫でられる手が心地良い。 安心する。 親則の体から力が抜けたのを見計らって、少しずつミキがお湯をかけてきた。 「チカ、平気?」 「……ん」 顔を覗き込んでくる綺麗な顔。 目を開けたままでいる親則の視界に、常にいてくれる。 その上で、今日あったことや食べて美味しかったものを話して聞かせてくれた。 親則が水に集中しないよう努めてくれる。 お湯で髪を濡らす最大の難関をまずはクリアして、シャンプーしてもらう。 時間を短くするために、毎回コンディショナーが入っているものを使っていた。 「痛くない?」 「平気。 ミキが凄く上手になったから」 「本当に? 嬉しいな」 事実、最初の頃よりずっと上達した。 耳にお湯が入ることもなくなったし、洗い残しもなくなった。 学校に通っている頃から練習に付き合っているが、あの頃とは雲泥の差だ。 「そういえば上司に呼び止められたって言ってたけど、大丈夫だったの?」 洗い終えてタオルドライしながら、ミキがそんなことを訊いてくる。 親則はようやく水音が聞こえなくなったことに安心して、体の力を抜いて答えた。 「実はお見合いしないかって言われてさ。 前も申し出があったんだけど、こういう体質だし断ってたんだ。 だけど先方が気にしないって言ってくれたみたいで、一回会うだけあってみてくれって」 なんとなく気恥ずかしい。 こういう話をするのは、もしかして初めてかもしれない。 不意に止まった両手に、目を瞬く。 呼びかけても答えてくれない。 静まり返った店内。 一体どうしたのか気になって、後ろを振り返った。 見上げた先の幼馴染に、息を呑む。 「……み、き?」 正面を向いたまま動かない彼に呼びかけるが、反応がない。 表情らしい表情がなく、顔が整っているせいでどことなく怖い。 ス、と視線が動いた。 長い睫毛がゆっくりと上下し、真っ直ぐに親則を射抜く。 「急にどうし」 「今、なんて言ったの?」 「え?」 「お見合いってい言った?」 「……う、ん?」 「するの?」 「……一応」 「そう」.

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