《眠れる森の美女》、《白鳥の湖》とともにチャイコフスキーの三大バレエ作品に数えられ、このうち最後に作曲されたのが本作の元となったバレエ曲であり、彼の最晩年の作品の一つである。 1890年に《眠りの森の美女》で成功を収めた彼に、マリインスキー劇場が新作として《くるみ割り人形》のバレエ音楽を委嘱、1891年から作曲が始まった。 委嘱の時期と作曲の開始時期にずれがあるのは、この作品に対する消極的な心情と心身ともに疲弊しきっていたことが要因である。 童話の世界を表現することに自信がなく、メック夫人からの金銭的支援も途絶え、海外からの演奏会のオファーで予定が埋まっていた。 バレエ《くるみ割り人形》を作曲中の1892年3月に、チャイコフスキーは急遽ロシア音楽協会から新作を盛り込んだ演奏会の依頼を受けた。 ところが、手元に発表できる作品がなかった彼がやむを得ず作曲中のバレエから8曲選び取ったのがこの組曲である。 また、この組曲はチャイコフスキー本人によって、ピアノ編曲版が作成された。 この作品を演奏するにあたっては、その旋律がオーケストラ版の中ではどの楽器によって演奏されているのかも参照し、音色をイメージしながら演奏することが望ましい。 各曲解説 1. 比較的短めの序曲。 曲の冒頭に現れるヴァイオリンの第1主題は、スタッカートや音の跳躍に溢れており、無邪気な子どもが跳ね回る様子を表すようだ。 そして、45小節目から始まるのが第2主題である。 この二つの主題の繰り返しで曲が構成され、複合二部形式(もしくは展開部を含まないソナタ形式)で書かれている。 複数の主題が絶えず交代するその様は、子どものきまぐれな行動や心理を描写しているためだとも言えるだろう。 ファンファーレの後に、跳ね回るような動機を持った子供達の躍動を模倣する旋律が右手で奏でられる。 オーケストラ版では、この主題はヴァイオリンによって演奏されている。 弱起で始まるメロディーは、プレゼントを待ちきれない子どもの心理を描写しているかのようだ。 お菓子の国の女王ドラジェの精の独舞。 日本では〈金平糖の精の踊り〉と訳されているが、本来は果物を砂糖でコーティングしたドラジェというお菓子のことを指している。 この曲の右手部分の主題は、オーケストラ版ではチェレスタによって演奏されていた。 チェレスタはいわば鍵盤付きのグロッケン・シュピールでアップライトピアノに似た形をしている。 金属板を叩くハンマーがフェルトに巻かれているため、非常に柔らかい音がすることがチェレスタの最大の魅力である。 パリを訪れた際、チェレスタを目にしたチャイコフスキーがこの楽器の存在を周囲に口止めするほどその音色に惚れ込み、ロシアの作曲家の誰よりも早くオーケストラの中に取り入れようと意気込んだという記述が、彼の書簡に見られる。 左手部分は、オーケストラ版では弦楽器がピッツィカートで演奏している。 組曲目の4~7曲目は、主人公クララを歓迎するお菓子の国のパーティーの場面で、各国を象徴するお菓子や飲料の妖精が踊るキャラクター・ダンスから構成される。 ロシアの踊りは、大麦糖の精(ねじられた飴菓子で素朴な味がする)を象徴する踊りだが、なじみが薄い菓子ということもあり、この呼称よりむしろ〈トレパーク〉という踊りの名前で親しまれている。 トレパークとはロシア(中でもウクライナ地方)の農民による踊りであり、その力強い様子が一貫して描写されている。 (コーヒーはアラビア地方原産であり、イスラム教徒の間で体調を整え、気分を高揚させる薬として広まっていた。 ) 左手に支配的な音型は、太鼓の模倣である。 主題が始まるのは14小節目からで、これは本来ヴァイオリンが担当している。 オーケストラ版では弦楽器群は弱音器(ミュート)をつけて演奏され、音色に変化が加えられている。 チャイコフスキーは、5連音符で表されるメリスマ風のリズム、増音程の使用、低音のオスティナートなど典型的な手法で東洋的イメージを表象しようとしている。 飛んだり跳ねたりする妖精たちが踊るコミカルでかわいらしい楽曲。 シンプルな左手の伴奏は、本来ファゴットとコントラバスが担っている。 右手の、7連符で一気に駆け上がるような主題はフルートとピッコロによるものである。 主題の合間に現れる8分音符の部分はヴァイオリンのピッツィカートである。 これらの繰り返しによって楽曲が構成され、非常に単純な書法による。 アーモンド菓子の羊飼いが、ミルリトンというおもちゃの笛を吹いて踊る楽曲。 この曲は楽器の名前をとって〈葦笛の踊り〉と呼ばれることが多い。 低音弦楽器のピッツィカートの伴奏(ピアノ版では左手)に乗って、3本のフルートが奏でる牧歌的な旋律(ピアノ版では右手)から始まる。 中間部では金管楽器が主体となった主題が現れる。 24人のドラジェの精の侍女たちが踊るワルツ。 オーケストラ版では主旋律の間を縫う装飾は後半になるにつれて華やかさを増していく。 残念ながら、ピアノ編曲版はオーケストラ版を簡略化しており、これらの装飾はピアノ書法上の都合上、削除されている。 しかし、後半部分になるにつれてより和音は充実し、音楽的な広がりが見られ、終曲にふさわしいクライマックスが形成される。
次のしかし、そのパーティの最中に誰かが、わざとではなく誤って、ねずみの女王を踏みつけてしまうのです。 怒った女王は、誕生した王子に呪いをかけ、くるみ割り人形にしてしまいました。 子どもたちや客人が楽しく遊んだり踊ったりしている広間には、大きなクリスマスツリーがあり、そこにドロッセルマイヤーという人物がやってきます。 彼はクララの風変わりな叔父さんで、おもちゃのプレゼントをあげたり、変わった人形を見せたりして、子どもたちを夢中にさせました。 クララももちろんドロッセルマイヤーからプレゼントをもらいますが、彼女へのプレゼントは、可愛らしくないくるみ割り人形。 でも、心優しいクララは、彼女の弟やその友達が、どんなに彼女をからかっても、そのくるみ割り人形を大切に大切に扱うのです。 パーティも終わり、みんなが寝静まった深夜、時計の鐘の音とともに、クララの体は人形くらいに小さくなってしまいます。 そしてそこに、ねずみの王様とその手下たちがやってきて、くるみ割り人形と仲間の兵隊人形たちと戦いはじめます。 息をのんでクララが見守っていると、くるみ割り人形がねずみの王様に負けてしまいそうになります。 堪え切れなくなったクララは、自分が履いていたスリッパをねずみの王様に投げつけ、くるみ割り人形を救いました。 クララにお礼を言うくるみ割り人形は、いつの間にか美しい王子へと姿を変えています。 美しい王子となったくるみ割り人形は、優しく勇敢なクララを自分の国へ案内するとクララに告げました。 雪の国では、雪の女王や雪の精たちが、舞い踊りながら彼らを見送りました。 くるみ割り人形であった王子の国は、お菓子の国です。 帰ってきた王子と王子の客人であるクララを金平糖の精や、チョコレートの精、コーヒーの精、お茶の精などが歓待します。 華やかなお菓子の国での時間を楽しんだクララは、家族が寝ている間に、くるみ割り人形であった王子に送られて、家に帰ってきました。 クララは、自分の冒険が夢ではないことを確信しながら、眠りにつきます。
次の『くるみ割り人形』の原作はドイツ・ロマン派のE. ホフマンが1816年に書いた幻想童話として知られていますが、帝政ロシアで初演されたバレエ作品の台本に参考にされたのはフランス文豪のアレクサンドル・デュマ父子による翻訳版。 デュマの童話には、氷砂糖の野原やパート・ド・フリュイ(砂糖漬けの果物)の都など、フランス菓子の精緻を知り尽くしたような華麗な記述が随所にあって、当時の製菓技術と食卓文化の成熟度を垣間みる思いがします。 バレエ『くるみ割り人形』第2幕では、クララはおとぎの世界に赴きます。 そこで待ち受けていたのは、お菓子の精たち。 クリスマスともなれば、お菓子の本場、パリのお菓子屋さんも彩り豊かなお菓子でにぎわいます。 そのイメージと重ねながら、踊りのお菓子の来歴や物語を知ると舞台の余韻も楽しいものになることでしょう。 まず最初に登場するのが、スペインの踊り。 スペインといえば、大航海時代、今のメキシコで出会ったカカオ豆をスペインの冒険家がスペインに持ち帰り、ヨーロッパで初めて、チョコレートを食した国と言われています。 当時チョコレートは今のような固形になっておらず、砕いて飲み物として食されていました。 フランスへは、ルイ13世に輿入れした、スペイン・ハプスブルク家のアンヌ・ドートリッシュがチョコレートを持参。 それからチョコレートは元気になる作用があるとされ、薬として薬剤師が扱うようになったと言われています。 実際チョコレートには、動脈硬化やガンに効くポリフェノールが含まれており、現在でもその効果は証明されているのです。 次にアラビア、中国の踊りと続きますが、こちらは、コーヒーとお茶の踊りです。 コーヒーやお茶(紅茶)も当時は、とても貴重な飲み物で主に王侯貴族が独占していました。 英国貴族の紅茶の箱は贅沢な造りで、念入りなことに鍵がかかっていたそうです。 こんなクリスマスの夢は、クリスマスのお菓子の数ほど見ることができるのではないでしょうか。 クリスマス発祥の地でもあり、『くるみ割り人形』の原作の舞台でもあるドイツには、マジパンを入れて仕込むシュトーレンがあります。 あの朴訥な形は、キリストがおくるみにくるまれた形だと言われていますが、代々ドイツの家やパン屋に伝わる秘伝のレシピがあり、それによって味や形も若干異なってくるのです。 ドイツに近いフランスのアルザス地方でも、クリスマスマーケットに出向けば、そのクリスマス菓子の種類には目を見張ります。 クッキーは80種類を下らないでしょう。 クリストーレンというシュトーレンに似たパン菓子や乾燥させた果物やナッツをぎっしりつめたベラヴェッカ。 スパイス入りのクッキーやケーキ。 マヌラという人の形をほどこしたブリオッシュなどなど...。 南仏では、13のデザート(トレーズ・デセール)を用意します。 キリストを意味するオリーブオイル入りのブリオッシュを中央に置き、周囲には、ナッツやフルーツ、ヌガー、カリソンといった南フランスには欠かせない産物やお菓子を散らしてお祝いするのです。 そして一番ポピュラーなのがビュッシュ・ド・ノエル。 ビュッシュというのは、薪という意味です。 これは北欧が発祥と言われており、寒い北欧の冬に欠かせない大切な薪が、お菓子によってクリスマスに伝えられているのです。 文章:大森由紀子 Omori Yukiko フランス菓子、料理研究家。 学習院大学文学部仏文科卒。 パリ国立銀行東京支店勤務後、パリの料理学校で料理とお菓子を学ぶ。 フランスの伝統菓子、地方菓子など、ストーリーのあるお菓子や、フランス人が日常で楽しむお惣菜を雑誌、書籍、テレビなどを通して紹介している。 目黒区の祐天寺にて、フランス菓子と惣菜教室を主宰。 毎年夏、フランスの地方へのツアーも企画。 フランスのガストロノミー文化を日本に伝える掛け橋になりたいと願いながら、点が線になる仕事をめざしている。 近著に『フランス菓子図鑑 お菓子の名前と由来』(世界文化社)、『小さなお菓子 プティ・フール』(誠文堂新光社)がある。
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