概要 [ ] 1987年にドイツのバイエルン州の農場主ヘルマン・フェーがダウン症の息子アンドレアスのために開発した。 フェーは「障がい者、高齢者を含む、多くの人に器楽演奏への扉を開いた」という功績により、1995年にドイツ連邦共和国より功労勲章功労メダルを受賞した。 また、ヘルマンハープと専用楽譜の開発と普及に対して、2011年にドイツ銀行主催の「発想の国 ドイツ」という賞を文化部門で受賞している。 ヘルマンハープ [ ] ヘルマンハープは、ドイツで個別に職人の手によってハンドメイドされている。 構造は響板の上にクロマチック(半音)で弦が張られていて、楽譜をスライドすることにより、演奏の転調も簡単に行える。 また、サイズはSタイプ(1オクターブ半)、Mタイプ(2オクターブ)、Lタイプ(3オクターブ)の3種類が存在し、それぞれで音域が異なる。 楽譜と演奏方法 [ ] ヘルマンハープの楽譜(演奏譜)には、白い玉や丸い玉の音符が星座のように実線や点線で結ばれて書かれている。 演奏譜は、弦と表板の間に差し込むようになっており、それぞれの弦の下に音符が現れるようになっている。 実線で結ばれた音符を上から順番にたどり、指ではじくことによって、五線譜が読めなくともメロディーを演奏することが可能となっている。 また、楽譜を左右にスライドすることで簡単に調(キー)を変えられることが可能である。 ヘルマンハープの奏法の開発 [ ] 日本で初めてヘルマンハープを紹介した梶原千沙都は、ヘルマンハープ教室の開拓、全国のインストラクターの育成指導、演奏、奏法講習会活動などを全国規模で開催する中で、本国ドイツにも存在しなかったヘルマンハープの奏法理論を開発した。 2010年にはドイツで、ドイツ人の指導者向けに「梶原千沙都のヘルマンハープ奏法講習会」を開催し、参加者から高い評価を得た。 2012年に世界初の奏法指導書『ヘルマンハープの奏法』(2012年梶原千沙都著、音楽之友社刊) が出版され、ヘルマンハープを愛好する人たちの学習意欲は高まった。 また、奏法を駆使した本格的なソロ演奏のステージを確立し 、2014年には世界初の本格的なソロリサイタルを、東京、大阪、福岡で成功させた。 ヘルマンハープの演奏形態が、これまでは主にグループでのアンサンブル演奏であったが、このリサイタルを通して、ソロ演奏で美しい音楽表現が可能な楽器であることを多くの愛好家が確信し、演奏の形態が広がった。 誰もがともに演奏できるバリアフリーな楽器としての社会的な取り組みとともに、本物の楽器としての芸術的な取り組みも注目されるようになった。 日本でのヘルマンハープでの広がり [ ] 日本ヘルマンハープ振興会会長の梶原千沙都 が、2003年に在住中のヨーロッパで日本人としてはじめてヘルマンハープに出会い、ドイツのヘルマン・フェー創業者一族の信任を得て2004年から日本での普及がはじまった。 梶原千沙都は、2005年に「日本ヘルマンハープ振興会」 の前身である「日本ヘルマンハープ協会」を設立し、ヘルマンハープの発祥についての物語を伝えながら、また、音楽経験や障がい、年齢、性別を問わず、すべての人のための高品質の弦楽器であることを重視した普及を行っている。 2015年現在、ヘルマンハープ教室の数は全国に約150ある。 日本でも、ヘルマンハープは障害者のみならず健常者に広く愛好され、家庭内で楽しむ楽器として、また、カルチャー教室などではシニア世代の新たな趣味として楽しまれている。 障がい者や高齢者施設、学校や幼稚園などの教育機関などでもヘルマンハープが導入され、新たな余暇活動として、様々な年代の人に楽しまれている。 2015年現在、3000人以上の愛好家がヘルマンハープを楽しみ、日本各地でボランティアの演奏活動などを盛んに行い、誰もが主体的に演奏に参加する音楽活動が広がっている。 脚注 [ ].
次のヘルマンハープが日本に来るまで ヘルマンハープはドイツ・バイエルン州の農場主、ヘルマン・フェー氏によって 1987年にダウン症の息子のために開発されたドイツ製ハンドメイドの弦楽器です。 ダウン症の息子に「メロディーを自分で演奏することのできる楽器を与えてあげたい」と願っていたヘルマン氏は、 ヘルマンハープの楽譜のシステムを考案します。 そして、この楽譜を使った演奏システムと、息子の身体の特徴に合った新しい楽器、"ヘルマンハープ"を開発しました。 音色の美しいヘルマンハープの噂は、口コミで、オースリアやスイスへも広がっていきました。 障がい者も健常者も、また、音楽経験の有無を越えて、誰もが共に素晴らしい音色で演奏を楽しめる世界が誕生しました。 2011年、ヘルマンハープの楽譜と楽器の開発に対し、「社会的な弱者に器楽演奏への扉を開いた」という功績で、 ドイツ銀行主催、ドイツ連邦共和国後援の「発想の国ドイツ」という栄誉ある賞が与えられました。 このヘルマンハープ誕生の物語は、多くの人に生きる勇気を与えています。 日本ヘルマンハープ振興会、会長。 2003年に当時在住中のヨーロッパで、ヘルマンハープと出会う。 ヘルマンハープ開発者のヘルマン・フェー氏の一族と親交を深め、日本での普及事業を一任される。 2012年に自ら練りだしたヘルマンハープの体系的な奏法指導書『ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉』を音楽之友社から出版し、本国ドイツにも存在しなかったヘルマンハープ演奏における基礎を確立した。 梶原千沙都の美しい弾き方と音楽表現は観客を魅了し、ドイツ本国の指導者たちからも「現在、世界最高のヘルマンハープ・ソロ奏者」の呼び声が高く、講師、奏者として本国ドイツにも招聘されている。 また、全国でヘルマンハープのインストラクターを養成、指導する一方、弾く人の音を瞬時に変えてしまう奏法指導は「千沙都マジック」と呼ばれている。 自身のライフワークとして2004年から携わってきた障がい者の芸術活動支援により令和元年度の「障害者の生涯学習支援に係る文部科学大臣表彰」を日本ヘルマンハープ振興会が受賞。 ヘルマンハープの楽器の発祥の意味の大切さを伝えながら、一方で、本物の楽器としての芸術性を開花させた功績が注目されている。 CDにアルバム『会えるそのときまで』、『バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド』など。 著書に「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(音楽之友社)、「ヘルマンハープものがたり~大切なものは何でもないところで生まれるんだよ~」(ギャラクシーブックス)。 産経新聞厚生文化事業団評議員。 家族の病気などの問題が幾分落ち着いた2003年11月、ヘルマン・フェー氏のご家族を訪ね、同時にウィーンの知的障害者施設で半年間の音楽療法研修を修める。 2004年 世界的な国際貿易のコンサルタントであるハット・ブレンナー氏の立ち合いの下、梶原千沙都は日本におけるヘルマンハープの音楽事業計画のプレゼンテーションが認められ、ドイツのヘルマン・フェー社と日本の販売総代理店契約を締結。 ウィーン在住中に、起業のための準備をスタート。 帰国後、大阪府高槻市にて「ヘルマンハープ」という商号で、責任者として個人事業をスタート。 インストラクター、演奏愛好家、受講生の会員化と、普及活動の基盤を構築する。 主体的に各地でイベント活動を開始し、ヘルマンハープ教室展開への模索がはじまる。 2006年 これまでの個人事業を改め、ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)を設立。 ヘルマンハープの障がい者関連施設への普及を志し、活用をバックアップするも普及は進まず、シニア層からの人気が高まり、ヘルマンハープ教室を開催。 本国ドイツにもメソッドがない中、インストラクターの養成を開始し、ヘルマンハープ独自のメソッドを探求しはじめる。 2007年 梶原千沙都は、ヘルマンハープ協会の音楽部門統括と、奏法・教授法の開発、講師活動、インストラクター指導、および、アーティスト活動に専念の必要性から、会社の経営を夫の梶原彰と交代。 同時期、愛好家数が300名を越え、ヘルマンハープのショールームの開設など、ヘルマンハープの全国展開を推進する。 ヘルマンハープのショールームとして、「ヘルマンハープ西宮店」を開設し、本部を移設。 同年、NHK大阪放送局とのタイアップイベントで、ドイツから開発者のヘルマン・フェー氏と息子のアンドレアスさんを招聘し、NHK歳末助け合い運動のステージに出演。 11月 兵庫県立芸術文化センターで、初のヘルマンハープ演奏発表会を開催。 以降は、一流のコンサートホールでヘルマンハープ演奏会を主催する。 同時に、ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)の障がい者関連団体への寄付活動を同年よりスタート。 12月 日本初のCDアルバム「会えるそのときまで」(梶原千沙都)を発売。 映画音楽を中心に収録したこのCDは、ヘルマンハープが愛唱歌を越えたさまざまなジャンルの曲の演奏の可能性を示すこととなる。 全国のカルチャーセンター教室でもヘルマンハープの講座開講を進める。 2009年 2月 青年期のダウン症者の取り組みについての研究報告を第6回日本ダウン症療育研究会で行う。 6月 日本ヘルマンハープ協会主催のヘルマンハープの故郷を訪ねる「ドイツ演奏会ツアー」を催行。 ダウン症者を含む20名がドイツで日本の曲を演奏披露。 10月 ヘルマン・フェー氏率いるダウン症者中心のドイツのアンサンブルグループ14名を招聘した演奏会を慶應義塾大学と兵庫県立芸術文化センターで開催。 2200名が来場し、ヘルマンハープのオリジナルの響きが感動を呼ぶ。 11月 「クロード・チアリ&梶原千沙都ジョイントコンサート」でギタリストのクロード・チアリと共演。 同年、日本ヘルマンハープ協会の活動は多方面に広がり、梶原千沙都のヘルマンハープの意義を伝える普及の様子が日経新聞の文化欄や読売新聞の『顔』などのメディアで大きく取り上げられ、教室が全国へと広がりを見せる。 日本のヘルマンハープの愛好家数は、2009年には1200名以上になる。 インストラクターと受講生によるボランティアなどの演奏活動も盛んになり、全国各地で行われるようになる。 2010年 8月 ドイツにて、ヘルマン・フェー社が「梶原千沙都の奏法セミナー」を開催。 年間3000人を教授しながら、梶原千沙都が自ら開発したヘルマンハープの奏法を講義し、受講したドイツの指導者たちから高い評価を得る。 11月 兵庫県立芸術文化センターで日独友好150周年記念演奏発表会を開催し、1800名が来場。 ヘルマンハープで日本とドイツの友好を祝う。 同月、ドイツ大使館でのレセプションで、障がいのある奏者とともに演奏する「バリアフリーステージ」を披露。 12月 ヘルマンハープのショールームとして、東京都渋谷区に「ヘルマンハープ青山店」をオープン。 全国で梶原千沙都が「ヘルマンハープの奏法のセミナー」を定期的に開催。 2011年 4月より、「東日本大震災チャリティー演奏会」を福岡・都久志会館、東京・トッパンホールで開催。 6月 ドイツ・ヘルマン・フェー社主催の「東日本大震災・チャリティーコンサート」に梶原千沙都が出演。 ドイツのヘルマンハープ愛好家たちから、70万円の義援金が寄せられる。 8月 福島県いわき市で、ボランティアイベントとして、「ヘルマンハープのワークショップ」を地元の子どもたちのために開催。 東京都千代田区が障害者支援活動の一環として、ヘルマンハープのサークル活動を開始。 自主的なヘルマンハープの同好会のグループ活動が各地ではじまる。 日本ヘルマンハープ振興会主催のチャリティーコンサートでの義援金合計が100万円となる。 4月 世界初のヘルマンハープの体系的な奏法指導書「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(梶原千沙都著、2012年音楽之友社刊)が出版され。 ヘルマンハープの基礎が確立し、ヘルマンハープを愛好する人々の学習意欲がますます高まる。 同時に、養護学校、幼稚園、福祉関連施設においてもヘルマンハープの導入が定着しはじめる。 6月 ヘルマンハープの故郷を訪ねる「ドイツ演奏会ツアー」の第2回目を日本ヘルマンハープ振興会主催にて催行。 障がい者を含む30名がドイツで日本の曲を演奏披露する。 同月、ドイツのアルンシュタイン音楽学校で、梶原千沙都がヘルマンハープのクラスで自ら開発した奏法を講義する。 10月 大阪・神戸ドイツ連邦総領事館のドイツ統一記念日のレセプションで、障がい者を含む奏者たちがアンサンブル演奏、梶原千沙都がソロ演奏を、800名の来場者に披露。 2013年 1月 NHKラジオ深夜便の「明日への言葉」に梶原千沙都が出演し、当日は32万ページのアクセス数となる。 大反響により、アンコール放送が行われる。 4月 梶原千沙都による体系的な奏法の確立を受けて、インストラクターの指導グレード試験を開始。 5月 「ヘルマンハープ日本普及10周年記念演奏会」を兵庫県立芸術センター・大ホールとミューザ川崎シンフォニーホールで開催。 訪れた2400名がヘルマンハープの日本普及10年のあゆみを祝い、また、CD「バリアフリーの花~ヘルマンハープ・サウンド~」の発売を受けて、梶原千沙都が本格的なソロ演奏を披露。 同CDは、日本でのヘルマンハープの発展の節目となるCDとして、各マスメディアで紹介される。 11月 ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)とその任意団体の日本ヘルマンハープ協会は、(株)日本ヘルマンハープと日本ヘルマンハープ振興会へと、社名と団体名を変更。 ヘルマンハープの日本でのユーザーが3000名を超え、ヘルマンハープ教室も北海道から九州まで、130個所以上になる。 2014年 5月~6月 ヘルマンハープ初のリサイタル「梶原千沙都ヘルマンハープソロリサイタル」を大阪、東京、福岡で開催。 本格的なソロ演奏のステージと世界的チター奏者ヴィリ・フーバー氏とのデュオも披露し、「本物の弦楽器」としてのヘルマンハープの芸術性を発信。 1500名以上の来場者を魅了。 6月 世界一のソロ奏者として、ドイツのヘルマン・フェー社主催コンサートにも招聘され、ソロ演奏を披露。 7月 産経新聞制作発行の福祉の情報誌『渚の風』が「ヘルマンハープ物語」の1年間の連載をスタート。 12月 振興会主催ではじめてのクリスマス演奏発表会を、兵庫県立芸術文化センターで開催。 梶原千沙都のソロ講演の要請が多くなり、「演奏とお話し」で美しい音色とヘルマンハープにまつわるお話しが感動を呼ぶ。 同時期、梶原千沙都の通算イベント出演回数が600回を越える。
次のヘルマンハープが日本に来るまで ヘルマンハープはドイツ・バイエルン州の農場主、ヘルマン・フェー氏によって 1987年にダウン症の息子のために開発されたドイツ製ハンドメイドの弦楽器です。 ダウン症の息子に「メロディーを自分で演奏することのできる楽器を与えてあげたい」と願っていたヘルマン氏は、 ヘルマンハープの楽譜のシステムを考案します。 そして、この楽譜を使った演奏システムと、息子の身体の特徴に合った新しい楽器、"ヘルマンハープ"を開発しました。 音色の美しいヘルマンハープの噂は、口コミで、オースリアやスイスへも広がっていきました。 障がい者も健常者も、また、音楽経験の有無を越えて、誰もが共に素晴らしい音色で演奏を楽しめる世界が誕生しました。 2011年、ヘルマンハープの楽譜と楽器の開発に対し、「社会的な弱者に器楽演奏への扉を開いた」という功績で、 ドイツ銀行主催、ドイツ連邦共和国後援の「発想の国ドイツ」という栄誉ある賞が与えられました。 このヘルマンハープ誕生の物語は、多くの人に生きる勇気を与えています。 日本ヘルマンハープ振興会、会長。 2003年に当時在住中のヨーロッパで、ヘルマンハープと出会う。 ヘルマンハープ開発者のヘルマン・フェー氏の一族と親交を深め、日本での普及事業を一任される。 2012年に自ら練りだしたヘルマンハープの体系的な奏法指導書『ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉』を音楽之友社から出版し、本国ドイツにも存在しなかったヘルマンハープ演奏における基礎を確立した。 梶原千沙都の美しい弾き方と音楽表現は観客を魅了し、ドイツ本国の指導者たちからも「現在、世界最高のヘルマンハープ・ソロ奏者」の呼び声が高く、講師、奏者として本国ドイツにも招聘されている。 また、全国でヘルマンハープのインストラクターを養成、指導する一方、弾く人の音を瞬時に変えてしまう奏法指導は「千沙都マジック」と呼ばれている。 自身のライフワークとして2004年から携わってきた障がい者の芸術活動支援により令和元年度の「障害者の生涯学習支援に係る文部科学大臣表彰」を日本ヘルマンハープ振興会が受賞。 ヘルマンハープの楽器の発祥の意味の大切さを伝えながら、一方で、本物の楽器としての芸術性を開花させた功績が注目されている。 CDにアルバム『会えるそのときまで』、『バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド』など。 著書に「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(音楽之友社)、「ヘルマンハープものがたり~大切なものは何でもないところで生まれるんだよ~」(ギャラクシーブックス)。 産経新聞厚生文化事業団評議員。 家族の病気などの問題が幾分落ち着いた2003年11月、ヘルマン・フェー氏のご家族を訪ね、同時にウィーンの知的障害者施設で半年間の音楽療法研修を修める。 2004年 世界的な国際貿易のコンサルタントであるハット・ブレンナー氏の立ち合いの下、梶原千沙都は日本におけるヘルマンハープの音楽事業計画のプレゼンテーションが認められ、ドイツのヘルマン・フェー社と日本の販売総代理店契約を締結。 ウィーン在住中に、起業のための準備をスタート。 帰国後、大阪府高槻市にて「ヘルマンハープ」という商号で、責任者として個人事業をスタート。 インストラクター、演奏愛好家、受講生の会員化と、普及活動の基盤を構築する。 主体的に各地でイベント活動を開始し、ヘルマンハープ教室展開への模索がはじまる。 2006年 これまでの個人事業を改め、ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)を設立。 ヘルマンハープの障がい者関連施設への普及を志し、活用をバックアップするも普及は進まず、シニア層からの人気が高まり、ヘルマンハープ教室を開催。 本国ドイツにもメソッドがない中、インストラクターの養成を開始し、ヘルマンハープ独自のメソッドを探求しはじめる。 2007年 梶原千沙都は、ヘルマンハープ協会の音楽部門統括と、奏法・教授法の開発、講師活動、インストラクター指導、および、アーティスト活動に専念の必要性から、会社の経営を夫の梶原彰と交代。 同時期、愛好家数が300名を越え、ヘルマンハープのショールームの開設など、ヘルマンハープの全国展開を推進する。 ヘルマンハープのショールームとして、「ヘルマンハープ西宮店」を開設し、本部を移設。 同年、NHK大阪放送局とのタイアップイベントで、ドイツから開発者のヘルマン・フェー氏と息子のアンドレアスさんを招聘し、NHK歳末助け合い運動のステージに出演。 11月 兵庫県立芸術文化センターで、初のヘルマンハープ演奏発表会を開催。 以降は、一流のコンサートホールでヘルマンハープ演奏会を主催する。 同時に、ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)の障がい者関連団体への寄付活動を同年よりスタート。 12月 日本初のCDアルバム「会えるそのときまで」(梶原千沙都)を発売。 映画音楽を中心に収録したこのCDは、ヘルマンハープが愛唱歌を越えたさまざまなジャンルの曲の演奏の可能性を示すこととなる。 全国のカルチャーセンター教室でもヘルマンハープの講座開講を進める。 2009年 2月 青年期のダウン症者の取り組みについての研究報告を第6回日本ダウン症療育研究会で行う。 6月 日本ヘルマンハープ協会主催のヘルマンハープの故郷を訪ねる「ドイツ演奏会ツアー」を催行。 ダウン症者を含む20名がドイツで日本の曲を演奏披露。 10月 ヘルマン・フェー氏率いるダウン症者中心のドイツのアンサンブルグループ14名を招聘した演奏会を慶應義塾大学と兵庫県立芸術文化センターで開催。 2200名が来場し、ヘルマンハープのオリジナルの響きが感動を呼ぶ。 11月 「クロード・チアリ&梶原千沙都ジョイントコンサート」でギタリストのクロード・チアリと共演。 同年、日本ヘルマンハープ協会の活動は多方面に広がり、梶原千沙都のヘルマンハープの意義を伝える普及の様子が日経新聞の文化欄や読売新聞の『顔』などのメディアで大きく取り上げられ、教室が全国へと広がりを見せる。 日本のヘルマンハープの愛好家数は、2009年には1200名以上になる。 インストラクターと受講生によるボランティアなどの演奏活動も盛んになり、全国各地で行われるようになる。 2010年 8月 ドイツにて、ヘルマン・フェー社が「梶原千沙都の奏法セミナー」を開催。 年間3000人を教授しながら、梶原千沙都が自ら開発したヘルマンハープの奏法を講義し、受講したドイツの指導者たちから高い評価を得る。 11月 兵庫県立芸術文化センターで日独友好150周年記念演奏発表会を開催し、1800名が来場。 ヘルマンハープで日本とドイツの友好を祝う。 同月、ドイツ大使館でのレセプションで、障がいのある奏者とともに演奏する「バリアフリーステージ」を披露。 12月 ヘルマンハープのショールームとして、東京都渋谷区に「ヘルマンハープ青山店」をオープン。 全国で梶原千沙都が「ヘルマンハープの奏法のセミナー」を定期的に開催。 2011年 4月より、「東日本大震災チャリティー演奏会」を福岡・都久志会館、東京・トッパンホールで開催。 6月 ドイツ・ヘルマン・フェー社主催の「東日本大震災・チャリティーコンサート」に梶原千沙都が出演。 ドイツのヘルマンハープ愛好家たちから、70万円の義援金が寄せられる。 8月 福島県いわき市で、ボランティアイベントとして、「ヘルマンハープのワークショップ」を地元の子どもたちのために開催。 東京都千代田区が障害者支援活動の一環として、ヘルマンハープのサークル活動を開始。 自主的なヘルマンハープの同好会のグループ活動が各地ではじまる。 日本ヘルマンハープ振興会主催のチャリティーコンサートでの義援金合計が100万円となる。 4月 世界初のヘルマンハープの体系的な奏法指導書「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(梶原千沙都著、2012年音楽之友社刊)が出版され。 ヘルマンハープの基礎が確立し、ヘルマンハープを愛好する人々の学習意欲がますます高まる。 同時に、養護学校、幼稚園、福祉関連施設においてもヘルマンハープの導入が定着しはじめる。 6月 ヘルマンハープの故郷を訪ねる「ドイツ演奏会ツアー」の第2回目を日本ヘルマンハープ振興会主催にて催行。 障がい者を含む30名がドイツで日本の曲を演奏披露する。 同月、ドイツのアルンシュタイン音楽学校で、梶原千沙都がヘルマンハープのクラスで自ら開発した奏法を講義する。 10月 大阪・神戸ドイツ連邦総領事館のドイツ統一記念日のレセプションで、障がい者を含む奏者たちがアンサンブル演奏、梶原千沙都がソロ演奏を、800名の来場者に披露。 2013年 1月 NHKラジオ深夜便の「明日への言葉」に梶原千沙都が出演し、当日は32万ページのアクセス数となる。 大反響により、アンコール放送が行われる。 4月 梶原千沙都による体系的な奏法の確立を受けて、インストラクターの指導グレード試験を開始。 5月 「ヘルマンハープ日本普及10周年記念演奏会」を兵庫県立芸術センター・大ホールとミューザ川崎シンフォニーホールで開催。 訪れた2400名がヘルマンハープの日本普及10年のあゆみを祝い、また、CD「バリアフリーの花~ヘルマンハープ・サウンド~」の発売を受けて、梶原千沙都が本格的なソロ演奏を披露。 同CDは、日本でのヘルマンハープの発展の節目となるCDとして、各マスメディアで紹介される。 11月 ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン(有)とその任意団体の日本ヘルマンハープ協会は、(株)日本ヘルマンハープと日本ヘルマンハープ振興会へと、社名と団体名を変更。 ヘルマンハープの日本でのユーザーが3000名を超え、ヘルマンハープ教室も北海道から九州まで、130個所以上になる。 2014年 5月~6月 ヘルマンハープ初のリサイタル「梶原千沙都ヘルマンハープソロリサイタル」を大阪、東京、福岡で開催。 本格的なソロ演奏のステージと世界的チター奏者ヴィリ・フーバー氏とのデュオも披露し、「本物の弦楽器」としてのヘルマンハープの芸術性を発信。 1500名以上の来場者を魅了。 6月 世界一のソロ奏者として、ドイツのヘルマン・フェー社主催コンサートにも招聘され、ソロ演奏を披露。 7月 産経新聞制作発行の福祉の情報誌『渚の風』が「ヘルマンハープ物語」の1年間の連載をスタート。 12月 振興会主催ではじめてのクリスマス演奏発表会を、兵庫県立芸術文化センターで開催。 梶原千沙都のソロ講演の要請が多くなり、「演奏とお話し」で美しい音色とヘルマンハープにまつわるお話しが感動を呼ぶ。 同時期、梶原千沙都の通算イベント出演回数が600回を越える。
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