東京オリンピックの水泳の入江陵介選手について 東京オリンピックの水泳の入江陵介選手といえば、もう知らない人はいませんよね。 入江陵介選手は、現在イトマン東進所属で、日本競泳男子の中でもベテラン選手になります。 1 990年1月24日生まれ 大阪府出身 身長は178㎝ 体重は64㎏ 近畿大学を卒業 基本のプロフィールは以上の通りとなっています。 入江陵介選手が 水泳を始めたのは0歳の時で、2006年に行われたアジア大会の際には、200m背泳ぎでみごと優勝し、2年後に行われた北京オリンピックの際には同じ種目で5位に入賞という成績を残しました。 前回行われたリオでは、メダルを獲ることができませんでしたが、2018年4月の日本選手権では、得意の背泳ぎで100mと200mの両方で金メダルを獲得しました。 同年8月のパンパシフィック水泳では、同じ種目で銀メダルを獲得し、東京オリンピック出場とメダル獲得への期待も大きくなりました。 入江選手の世界水泳の結果とトラブルについて 2019年7月に、世界水泳選手権大会が韓国の光州で行われ、入江陵介選手も出場しましたが、200m背泳ぎで6位という結果に終わりました。 おそらく多くの水泳ファンの方が、入江選手のメダル獲得を期待していたはずです。 レース前半は少し出遅れてしまい7位で折り返し、なんとか巻き返そうと追い込んだのですが、 結果は6位となってしまいました。 実は100m背泳ぎ予選の際に、スタート台に不具合が生じ、これが頻発していました。 入江選手自信がこのトラブルにあうことはなかったのですが、こういったことが起こるとメンタル的に動揺する可能性があります。 ですが、さすがベテラン入江選手。 そういったトラブルに動じることもなく、気持ちを瞬時に切り替えて自分の実力を出すことができました。 結果は期待されていたものではありませんでしたが、大きな大会を何度となく経験している入江選手のメンタルの強さを再認識させられる出来事でした。 世界水泳でのオリンピック内定は逃しましたが、来年夏の本番に向けて、今後も入江陵介選手は戦い続けるので、応援してあげて下さい! 【スポンサーリンク】 東京オリンピックの水泳「入江陵介」出場なるか? 世界水泳でのオリンピック出場内定を逃してしまった入江陵介選手。 だからといってもう東京オリンピックに出場できないというわけではありません。 確定ではありませんが、 混合400mメドレーリレーという種目で入江陵介選手が起用されるのではないかという情報があります。 入江陵介選手が東京オリンピックの切符を手にすれば、4大会連続オリンピック出場ということになります。 彼が代表に入れば、メダル獲得の可能性も高くなるという声も多く上がっています。 東京オリンピック出場の切符を手にして、競泳男子を引っ張っていってもらいたいですね! まとめ 東京オリンピックの水泳の入江陵介選手に関する情報をご紹介しました。 世界水泳ではメダル獲得となりませんでしたが、きっと東京オリンピック出場の切符をつかみ取り、メダル獲得に向け日本チームを引っ張ってくれる存在になるはずです。 大きな大会、数々の輝かしい成績を残しつつも、挫折した経験ももつ入江陵介選手。 そんな彼なら、きっと記念すべき東京オリンピックでメダル獲得に貢献してくれることは間違いありません。 今後も彼の活躍に期待しましょう! 最後までお読みいただきありがとうございました。
次の専門はと。 2018年8月28日現在、身長171cm 、は186cm 、足のサイズは26. 5cm。 マネジメント契約先は株式会社ジエブ。 2019年7月30日現在、個人種目11個 とリレー種目5個 、計16種目の日本記録を保持している。 経歴 幼少期• 2000年7月4日、自宅の風呂場で水中出産 により誕生した。 生後2ヶ月頃から母親が運営するに通いを受ける。 幼児教室の講師を務める母親が、の発達にが良いと本で読んだことから、生まれてすぐに雲梯に取り組んだ。 生後6か月で母親の親指を握ってぶら下がり、1歳6か月の時にはのをこなしたと言う。 は兄姉の影響で3歳10ヶ月から始め、5歳の時には、・・・の4泳法すべてで50mを泳げるようになった。 小学時代• 地元のに通うかたわら、江戸川スイミングスクールで3歳から中学1年まで練習に励んだ。 小学3年頃から全国レベルの大会に出場するようになる。 の(以下JOC春季大会)では、50mバタフライ(10歳以下区分)で決勝進出者中ただ一人の小学3年生(他はすべて4年生)ながら3位に輝いた。 また、中学入学直前に出場した2013年のJOC春季大会の50m自由形(11~12歳区分)で優勝し、本人初めての全国優勝を達成した。 中学時代• 2013年4月、に入学。 6月、より高いレベルの練習環境を求めてへ移籍した。 8月のの50m自由形で2位。 続くJOC夏季大会(13~14歳区分)では、50m自由形と100mバタフライで3位に入った。 2014年3月のJOC春季大会(13~14歳区分)では、50mおよび100m自由形で短水路中学記録を更新して優勝。 50mバタフライでも優勝を飾った。 2014年4月、の50m、100m自由形、50mバタフライに出場。 全ての種目で中学生としてただ一人決勝に進んだ(他の決勝進出者は全員大学生以上)。 特に50m自由形では4位に入り、6月のの同種目においても4位となった。 8月の50m自由形では、がに樹立した当時最古の中学記録を、実に20年ぶりに0秒02更新する25秒60で優勝を飾った。 100m自由形では同じ所属で1学年上のに次ぐ2位。 その後出場した国際大会のでは、50m自由形、100m自由形で中学記録を更新し、100mバタフライで3位に入った。 10月のの50m、100m、200m自由形の3種目全てで短水路中学新記録を樹立するなど、次々と各種の短水路や長水路の大会で中学記録を更新した。 2015年1月に開催されたの100mバタフライでは、の派遣標準記録に0秒23と迫る58秒27で優勝して、200mバタフライ銅メダリストのに勝利した。 2015年4月、に出場。 の代表入りを狙った得意種目の100mバタフライで20位に終わり予選落ちするも、その後の50m自由形で25秒28、100m自由形で54秒76、200m自由形では1分58秒77の中学新記録でそれぞれ3位に入賞。 さらに50mバタフライの予選で26秒41の中学記録を樹立するとそのまま決勝も制し、(1996年に100mバタフライで優勝)以来19年ぶりとなる中学生全日本チャンピオンとなった。 また200m自由形で3位に入ったことで、世界選手権のリレー選手に選出され、2001年に100mバタフライで世界選手権代表となった以来14年ぶりに中学生で日本代表入りを果たした。 5月のでは200m自由形で日本歴代2位となる1分58秒01で2位に入ると、50mバタフライでは26秒35の中学記録で優勝。 これらの活躍が認められ、世界選手権ではリレーのみならず、個人種目の50mバタフライにも出場することが決まった。 8月の世界選手権、池江を第2泳者に据えた日本チームは400mフリーリレーで9位、800mフリーリレーでは7位となり、12位までに与えられるの出場権を獲得した。 男女混合400mリレーは予選10位、個人種目の50mバタフライは26秒66の予選19位となり決勝進出を逃した。 続くでは100mバタフライと200m自由形をそれぞれ大会新記録で制した。 さらにシンガポールで開催されたでは、50mバタフライと100mバタフライで優勝、50m自由形で2位、100m自由形で4位、400mメドレーリレーで3位、400mフリーリレーでは4位になった。 9月のでは50m自由形で日本記録に0秒03と迫る24秒99、100m自由形で54秒38の中学新記録でそれぞれ優勝し、アンカーをつとめた400mフリーリレーと400mメドレーリレーでも東京都の優勝に大きく貢献した。 10月のでは、最初の200m自由形こそ予選9位で決勝進出を逃したが、100mバタフライでの日本記録を0秒21更新する57秒56の日本新記録で優勝したのを皮切りに、50m自由形は3位、100m自由形は54秒14の中学新記録で優勝、50mバタフライは26秒17の世界ジュニア記録で優勝と、得意の4種目で表彰台に上がった。 この際「今まで以上にスピードを出せて勝つことができた」「(100m自由形は)国体でベストを出したばかりなのにまた出せた。 まだまだ出ると思う」と自らの成長に自信と手応えをのぞかせた。 2016年1月のでは、100m自由形での日本記録を0秒01上回る53秒99で優勝し、日本女子として初めて54秒台の壁を超えた。 2月のコナミ・オープンでは50m自由形での記録を0秒21上回る24秒74の日本新記録で優勝。 これにより3種目の日本記録保持者となった。 さらに同大会では、100mと200mの自由形も制した。 高校時代 高校1年• 2016年4月、に入学するも、初登校する間もなくリオ五輪代表選考会を兼ねたに挑むことになる。 池江は4種目にエントリーし、リレーを含めた7種目での代表入りを狙った。 大会を通じて、高校新7回、日本新1回、WJ新1回の活躍で、計4種目の代表権を獲得。 5月の、100m自由形での強豪キャンベル姉妹と対決。 前年の世界選手権銅メダリストで後に世界記録を樹立する姉には1秒半以上遅れたものの、世界選手権チャンピオンである妹の ()に競り勝ち53秒98の高校記録を樹立、キャンベル姉妹がオープン参加だったため優勝者となった。 また50mバタフライは世界ジュニア新記録となる26秒05で、100mバタフライは57秒57でそれぞれ優勝を飾った。 200m自由形はに次ぐ2位だった。 6月、欧州ツアー帰国からわずか3日後の東京都高校選手権、疲労と時差ボケが残る中、全日本選手権でに0秒11更新された100m自由形の日本記録を再び0秒19更新する53秒69の日本新記録で優勝。 代表選考に直接は関係ないものの日本選手権では届かなかった五輪派遣標準記録も0秒12上回った。 7月、五輪前最後の公式戦として三重県選手権にオープン参加で出場すると、50mバタフライでの持つ従来の日本記録を0秒45と大幅に更新、25秒50の日本新記録を樹立した。 これにより4種目の日本記録保持者となった。 8月のは、池江、、、ら高校生五輪代表の「リオ五輪直後の大会」という事もあり立ち見が出るほど注目が集まった。 池江はから帰国後、羽田空港から直接開催地のに向かうという強行軍の中 、50m自由形と100m自由形で大会新を樹立し優勝、日本記録保持者の貫禄を見せつけた。 大会3日目の400mメドレーリレーは、池江、長谷川の代表2人を擁すると、今井を擁するのとなり、2泳の今井だけで6秒近いリードを作った豊川が、淑徳巣鴨の3泳長谷川とアンカー池江の猛追を振り切り優勝、淑徳巣鴨は1秒差の準優勝となった。 最終日、3泳を務めた800mリレー決勝ではトップと6秒差の6位でバトンを受け取ると、決勝出場者中ただひとり2分を切る1分57秒台の泳ぎで5人をごぼう抜きにし、さらに1秒以上のリードを作った状態でアンカーの長谷川に繋いだ。 チームは大会記録を6秒以上更新して優勝を飾った。 9月、岩手県で開催されたに出場。 前月だけで計30レースという超過密日程の中、「シーズン最後の大会で日本新を」と挑んだ50m自由形決勝において自らの日本記録を0秒07更新した。 10月、東京で行われた(短水路)の100m個人メドレーにおいて、が保持していた従来の記録を1秒以上縮める58秒24の短水路日本新記録を樹立し、5種目の日本記録保持者となった。 11月、東京で開催されたの100m自由形決勝で自身の日本記録を0秒01更新する53秒68をマークした。 同大会では50m自由形、50m、100mバタフライ、及び400mメドレーリレーで優勝し、特に第3泳を務めたメドレーリレーでは引き継ぎながら100mバタフライの日本記録を0秒66上回るタイムで泳ぎ、日本の優勝に大きく貢献した。 12月、カナダ・で行われたに出場。 50m及び100mバタフライで銅メダルを獲得すると同時に、が保持していたの両種目の日本記録も更新して7種目の日本記録保持者となった。 2017年1月、東京都水泳選手権の200m自由形決勝においての日本記録を0秒85更新し、8種目の日本記録保持者となった。 2月18日、コナミ・オープンの50m自由形決勝において、苦手としていたノーブレス を初めて取り入れ、自身の日本記録を0秒19更新する24秒48 で優勝した。 3月、に遠征し、FFNゴールデンツアーに参戦。 200m自由形ではを終始リードして勝利するなど、出場した5種目中4種目で優勝を果たした。 また50mバタフライ決勝では自由形に続いて自身初めてノーブレス泳法を達成した。 、高校1年最後の競技会となるJOC春季大会に出場。 が保持していた短水路50m自由形の日本記録を0秒17更新する24秒05で泳ぎ、9種目の日本記録保持者となった。 高校2年• 2017年4月、に出場。 50m、100m、200m自由形、50m、100mバタフライの5種目にエントリーし、4日間で10レースを泳いだ池江は、ドーピング検査が長引いたことによる睡眠不足や 、食事を満足に取れずに体重を3kg落とすほどの過密スケジュールを物ともせず 、エントリーした種目すべてで優勝を果たした。 自身が持つ日本記録の更新こそならなかったが、100m自由形および50m、100mバタフライの3種目では、2位に1秒以上の大差をつける圧倒的な強さを見せた。 これによりそれまで最多だった2002年のとのの4冠を上回り、初めて日本選手権で5冠を達成した女子選手となった。 8月のにおいて、50m自由形、50、100mバタフライで優勝。 特に50mバタフライでは自身の日本記録を1年1ヶ月ぶりに更新する活躍で大会MVPに輝いた。 高校3年• 2018年5月23日、に向けての新体制として、中学時代から指導を受けて来たの元を離れ、元五輪代表のを新たなコーチとすることを発表。 それに伴い所属もそれまでの「ルネサンス亀戸」から単に「ルネサンス」へと変更された。 史上初アジア競技大会日本選手6冠達成• 2018年8月ジャカルタに出場。 50m、100m自由形、50m、100mバタフライ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーの6種目で優勝。 日本人初となるアジア競技大会6冠を達成し、大会MVPに輝いた。 での活躍が期待されていた中、2019年1月18日からオーストラリアで合宿を行っていたが、2月7日、体調不良のため予定を切り上げて帰国することが発表された。 そして同月12日、自身ので、帰国後に検査をした結果と診断されたことを公表した。 このため、同年2月のコナミオープン水泳競技大会、4月のといった公式競技会への出場を全て取り止めて療養生活に専念することとなった。 大学時代 2019年• 闘病中の2019年4月8日、スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。 5月8日、公式サイトを開設。 12月17日、退院を報告した。 その報告の中で、東京五輪は事実上断念し、の出場・メダル獲得を目標とすることを明らかにした。 2020年• 2月19日、『』(系)のスポーツコーナーの特集に於いて、同番組解説者の(理事)によるインタビューという形で出演。 1年ぶりの公の場への登場となったが、松岡との質疑応答の中で池江は病名を告げられた時や闘病中の心境を吐露し、「2024年のパリオリンピックを目指したい」と将来の展望を語り、「今、生きていることが奇跡。 人生のターニングポイントになった」などと率直に語った。 5月9日、闘病生活や再起へ歩む日々を追ったドキュメンタリー番組「」『ふり向かずに 前へ 池江璃花子 19歳』(NHK総合、19時30分 - 20時30分)が放送された。 五輪での活躍 リオ五輪 代表選考• 代表選考会を兼ねた2016年(4月3日~10日)において、池江は50m自由形、100m自由形、200m自由形、100mバタフライの計4種目にエントリーし、リレーを含めた7種目での代表入りを狙った。 日本水泳連盟が設定したこれらの種目の五輪派遣標準記録は、日本記録の更新が大前提となるようなきわめて厳しいものであったが、池江はいきなり大会初日の100mバタフライ準決勝で自身の持つ日本記録を0秒01更新すると、翌日の決勝でも派遣標準記録を切る57秒71で優勝して、この種目の代表権を獲得した。 優勝後のインタビューでは喜びのあまり両手で顔を覆い号泣した。 続く200m自由形では日本記録に0秒02と迫る1分57秒39の高校新記録で優勝。 100m自由形では高校新記録となる54秒06で2位になった。 これらの種目では個人の派遣標準記録には及ばなかったものの、池江を含む上位4選手のタイムの合計がリレーの派遣標準記録を超えたため、400mフリーリレー、800mフリーリレーでのオリンピック代表に選ばれた。 大会最終日の50m自由形決勝では世界ジュニア新記録及び高校新記録となる24秒76で優勝したが、派遣標準に0秒17足りず、この種目での派遣は見送られた。 同大会の結果により、個人種目の100mバタフライの他に、400mフリー及び800mフリーリレー、400mメドレーリレーの計4種目でオリンピック代表に選出されることとなった。 日本選手権から約2ヶ月半後の6月27日、池江のその後の大会での活躍や将来性を高く評価したは、日本選手権では五輪派遣を見送った自由形3種目においても池江をエントリーすることを発表した。 これにより池江は日本人選手としては初めて五輪で7種目に出場することになった。 59 24. 17 後に決定 準決勝:25. 30 高校新 予 選:25. 76 24. 74 池江自身が保持 100m自由形 兼4x100mフリーリレー選考 個人 53. 81 54. 25 後に決定 準決勝:54. 50 高校新 予 選:56. 04 53. 99 池江自身が保持 リレー 54. 43 -0. 37 200m自由形 兼4x200mフリーリレー選考 個人 1:56. 82 1:57. 57 後に決定 準決勝:1:59. 57 高校新 予 選:2:00. 65 1:57. 37 リレー 1:58. 96 -1. 57 100mバタフライ 兼4x100mメドレーリレー選考 個人 57. 77 57. 71 -0. 06 準決勝: 57. 55 日本新 予 選:58. 14 高校新 57. 56 池江自身が保持 リレー 58. 74 -1. 03 *決勝の記録のみが選考の対象。 リレーの代表派遣には決勝上位4名全員が派遣標準を突破している必要がある。 、五輪直前合宿地のへ出発する際に羽田空港で報道陣の取材に応じ、筋力トレーニングで体が大きくなり、4月に採寸した日本選手団の公式ジャケットがきつくなっていることを明かした。 その上で「全部を出し切って、細くなって帰国したい」とユーモアを交えて意気込みを語った。 大会本番• 初日の、100mバタフライ予選最終6組に登場した池江は、前半50mを世界記録保持者のに次ぐ2位で折り返す積極的なレースで、日本記録を0秒28更新する57秒27をたたき出し、全体の8位で準決勝進出を決めた。 インタビューでは「自分でも分からないくらい緊張していたが、スタートラインに立った瞬間、やる気がわき上がってきた」と初の大舞台にも物怖じしない強心臓ぶりを伺わせた。 さらに、同日の夜に行われた準決勝でも日本記録を更に0秒22更新。 準決勝1組の1位、全体の3位で決勝進出を決めた。 レース後「まさか1番で帰ってこられるとは思わなかったんで、すごい嬉しいです」と自身の好調に声を弾ませた。 競泳競技2日目の、100mバタフライ決勝で三たび日本記録を更新。 結果は5位 と表彰台は逃したが、56秒86の日本新記録を樹立した。 試合後のインタビューでは「56秒台を出す目標があった。 メダルは取れなかったが、また自己ベストを更新できてうれしい」としながら、同い年のが銀メダルを獲得した事に触れ、「4年後に向けてくらいついていきたい」と早くもでの雪辱を誓った。 競泳競技3日目の、池江は200m自由形予選に挑んだ。 しかし、エントリー選手中この時点で5レースこなしていたのが池江とだけという、通常忌避される過密日程の影響は隠せず、自己記録に1秒以上及ばずに予選21位で敗退した。 レース後には「後半バテてしまった。 日本新記録を狙ったが、こういう形で終わって残念」と悔しさを滲ませた。 当初は準決勝進出を賭けた2人だけの再レース(スイムオフ)が予定されていたが、15位の中国人選手が棄権したため、ともに準決勝に進んだ。 その約1時間後、池江は800mフリーリレー予選の第2泳者として再び登場。 チームは第1泳者のが200m自由形の日本記録を更新するなど、池江を含めた3人が1分57秒台で泳ぐ奮闘を見せ、日本記録に0秒08と迫るタイムで全体の7位となり決勝進出を決めた。 しかし疲労を考慮し予選での日本記録更新に賭けていた池江は試合後インタビューで終始うつむき落胆を隠さなかった。 記録への再挑戦を誓った夜のレース、100m自由形準決勝では予選よりタイムを上げたものの自己ベストに0. 5秒以上及ばず、決勝進出を逃した。 泳順をアンカーに変えた800mリレー決勝では、200m自由形の自己ベストを出したときをはるかに上回るタイムで前半を折り返す積極的な泳ぎを見せたが、後半伸びずに日本記録の更新は逃した。 最終的にチームも予選よりもタイムと順位を落としてレースを終えた。 人物・エピソード• 父親は元パイロットで、身長190cm。 母方の祖父は(現在の白鳥町)出身であり、自身も度々郡上市を訪問するなど縁が深いこともあって、12月に郡上市スポーツアンバサダー(親善大使)に就任した• 同い年のとは今でこそ大親友だが、第一印象は最悪だったという。 小学6年時に参加した全国合宿の研修会にて、今井のに言葉のきつさを感じた池江は「仲良くなるのは無理」と考えた。 しかし中学2年の合宿で同部屋になり「実際に一緒にいたら楽しかった」と印象が一転。 現在は今井の方も「何でも言い合える」と認めるほど仲が良い。 中学の3年間で身長が15cm伸びた。 中学時代の恩師が「でおかわりのジャンケンに男子に混ざって参加していた」と回想するほど食欲旺盛で 、本人も中学時代の思い出を訊かれた際に「一番楽しかったのは給食の時間。 おかわりするために一生懸命ジャンケンしたり、みんなで笑いながら給食を食べられるのがすごく楽しかった」と答えている。 好きな食べ物はで、以前はレースの直前や合間にも食べていたが 、6月の欧州遠征時にから運動直前の糖分摂取によるショック の可能性を指摘され、大会中は我慢する様になった。 食事はバランス良く食べるようにしているが、魚介類、特に貝類は苦手である。 海外遠征では現地の食事や飲み水が体に合わずしばしば体調を崩すため、非常に苦労している。 多くのメディアで幼少からの雲梯が才能を伸ばしたと紹介されているが、本人は「水泳に関しては、雲梯をやっていた影響はそこまで大きくないと思う」と答えている。 ただ、腕が長い理由として「うんていぶら下がってたからかなぁ」と話している は38kg。 幼児期の早期教育のお陰で記憶力には自信があったが 、中学3年間で最も変化したことについては「中1の時はそこそこ学力もあったのに、頭がバカになった」と答えている。 競泳選手以外でものやのとは親交が深く、頻繁に連絡を取り合い食事をする仲である。 名字のアルファベット表記「IKEE」は英語圏では「アイキーエ」と発音されてしまう。 板キック(を持ってバタ足だけで進む泳法)は50m33秒。 競泳選手としての特徴 長いリーチ(ウィングスパン)• 少ないストローク数• 長いリーチを生かした大きなストロークが武器であり、その回数は成長とともに減少している。 100mバタフライのストローク数は、2015年1月の「45」から2016年には「40」に減少。 50m自由形においても、2014年に「44」だったストローク数が、2016年2月には「37」まで減少している。 さらに100m自由形のストローク数は「71」で、これは男子選手の平均値である73を下回っている。 元競泳選手のは、池江のストローク数の少なさを「彼女が腕を2回転させている間に、周りの選手は3回転させている」と表現し、「1ストロークごとにより遠くの水をつかみ、押し切ることができており、その事が水の抵抗が少ない泳ぎとも繋がっている」と分析している。 水の抵抗が少ない泳ぎ方• さらに萩原は、疲労がたまるレース後半には必ずしも有利に働かない長い手足を、池江が16歳にして使いこなしている点に着目。 「それだけの体幹や筋肉、柔軟性がある証拠」とし、「体が水面に良く浮いており、抵抗が少ない泳ぎであることを証明している」と述べている。 同じく元競泳選手のは、池江の泳ぎを「見たことがない泳ぎ方。 見た感じ楽そうというか、どこに力が入っているのかなという泳ぎ」と表現し、「首に力が入らないで脇の下を使いながら楽に水をつかんで後ろに持っていく作業ができている」と指摘した。 その上で、「水の中を滑るように腕も足も一体となって泳いでいる」とその特異性を評価した。 両名とも池江の特殊な泳ぎ方のルーツは幼少期の鉄棒や雲梯にあるのではないかと推測しているが 、池江本人はその事に関して否定的である。 日本記録更新歴 *「コース」で長水路と短水路をソートした後、「種目」でソートすると、それぞれの種目ごとの更新過程が見やすくなります。 56 -0. 21 27. 15・30. 41 0. 69 W杯2015東京大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 57. 99 -0. 01 26. 41・27. 58 第9回東京都選手権 東京辰巳国際水泳場 前記録は 54. 74 -0. 21 0. 63 KONAMI OPEN 2016 東京辰巳国際水泳場 前記録は 24. 55 -0. 01 27. 15・30. 40 0. 69 -0. 19 25. 96・27. 70 東京都高校選手権 東京辰巳国際水泳場 前記録は 53. 50 -0. 45 三重県選手権 鈴鹿水泳場 前記録は 25. 27 -0. 28 26. 45・30. 82 0. 05 -0. 22 27. 14・30. 54 0. 86 -0. 19 26. 81・30. 05 0. 67 -0. 07 0. 24 -1. 04 26. 65・31. 59 0. 64 W杯2016東京大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 59. 68 -0. 01 26. 21・27. 47 0. 32 -0. 02 0. 64 第13回世界短水路選手権 カナダ・ウィンザー 前記録は 25. 64 -0. 45 26. 32・29. 32 0. 65 第13回世界短水路選手権 カナダ・ウィンザー 前記録は 56. 33 -0. 85 27. 53・29. 43・29. 69・29. 68 第10回東京都選手権 東京辰巳国際水泳場 前記録は 1:57. 48 -0. 19 0. 05 -0. 17 0. 65 第39回全国JOC春季大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 24. 46 -0. 04 0. 33 -0. 15 0. 14 -0. 18 0. 75 -0. 49 26. 20・31. 55 0. 06 -0. 08 0. 64 TIE 26. 06・29. 58 0. 95 -0. 10 0. 64 -0. 90 26. 27・28. 45・28. 78・29. 14 東京都新春水泳競技大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 1:53. 71 -0. 41 -0. 56 26. 20・31. 70・37. 54・29. 97 東京都新春水泳競技大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 2:05. 62 -0. 21 25. 49・26. 13 東京都新春水泳競技大会 東京辰巳国際水泳場 前記録は 51. 04 -1. 29 26. 97・28. 96・29. 75・29. 36 0. 44 -0. 02 0. 58 -0. 28 26. 44・30. 14 0. 38 -0. 20 26. 12・30. 26 0. 21 -0. 12 0. 46 -0. 22 25. 85・27. 61 0. 03 -0. 43 26. 09・26. 94 0. 43 -0. 01 0. 25 -0. 18 0. 11 -0. 23 -0. 15 26. 37・29. 86 0. 85 -0. 19 27. 09・29. 06・29. 65・29. 05 0. 08 -0. 15 25. 89・30. 19 0. 70 パンパシ水泳2018 東京辰巳国際水泳場 主な戦績 凡例 長水路 50mプール 短水路 25mプール 短水路記録は グレー 表示。 太字は日本記録更新。 P … Preliminary 予選 、 B … B決勝 9~16位で争われる 、 S … Semifinal 準決勝 、 特別 … 特別参加のため順位なし。 記録 100mバタフライ 0. 記録 100mバタフライ 0. 記録 100m個人メドレー 0. 団体種目のラップは池江のタイムのみ記載• RT=リアクションタイム 脚注 注釈• 【長水路】800mフリーリレー、400mメドレーリレー、400m混合メドレーリレー【短水路】800mフリーリレー、400mメドレーリレー• 「赤ちゃんにとって一番良い方法を」と考えた母親が、助産師を自宅に呼び、体温に近いお湯の中で分娩する方法をとった。 「1度泣いた後、気持ちよさそうにお湯に浸かっていた」と言う。 これは池江の平均的なリアクションタイムを考慮しても日本記録以上のペースで泳いでいた計算になる。 息継ぎのタイムロスを減らすために無呼吸で最後まで泳ぎきる泳法。 これはリオ五輪の決勝に進出できるタイムである。 競泳女子における高校生での出場はの、らに続く快挙であり、池江の他にも同窓の、同学年の今井月等、複数の高校生がオリンピック出場を決めた。 着順は6位だったが、後に4位の陳欣怡(中国)がドーピング検査において陽性反応が出て失格となったため、繰り上がった。 一度に多量の糖分を摂取することで血糖値が上昇、その反動でインスリンが大量分泌され、血糖値の急激な低下を引き起こす現象。 だるさなどが出て、パフォーマンスに悪影響が出る。 nikkansports. com. 2018年8月28日閲覧。 www. jeb. 2018年8月28日閲覧。 www. jeb. 2018年8月28日閲覧。 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「」『スポニチ Sponichi Annex』。 2018年8月28日閲覧。 gohagen. 2018年9月4日閲覧。 2015年4月14日• 2016年4月11日• 2016年4月11日• 2017年4月17日• 2014年3月29日• 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次の200mバタフライでの銀メダルに続き、今大会2つめのメダルを金で彩った瀬戸大也 200mバタフライでの銀メダルに続き、今大会2つめのメダルを金で彩った瀬戸大也 25日、韓国・光洲で開催中の水泳の世界選手権で競泳の各種決勝と準決勝が行われ、男子200m個人メドレー決勝は瀬戸大也が金メダルを獲得。 準決勝は入江陵介が男子200m背泳ぎで、渡辺一平が男子200m平泳ぎで、それぞれ翌日行われる決勝に駒を進めた。 男子200m個人メドレー決勝は、今大会200mバタフライでの銀メダルを獲得していた瀬戸が、1分56秒14で金メダルに輝いた。 同種目では自身初のメダルとなり、Tokyo 2020(東京五輪)代表にも内定した。 — FINA fina1908 ツイート:「日本の瀬戸大也が、男子200m個人メドレーで表彰台の首位に。 彼にとって世界水泳選手権で獲得する6つめのメダルで、金は合計3つになった」 女子4x200mフリースタイルリレーの決勝は、白井璃緒、五十嵐千尋、青木智美、池本凪沙が出場したが、7分56秒31で8組中の最下位となった。 金はオーストラリアで7分41秒50、銀はアメリカで7分41秒87だった。 準決勝を戦った男子200m背泳ぎの入江は、1分57秒26で決勝進出ラインぎりぎりの8位に入り、26日に行われる決勝でメダルを狙う。 男子200m平泳ぎは、同種目の世界記録保持者、渡辺一平が2分08秒04で6位となり、同じく決勝に進出。 小日向一輝は2分08秒42で惜しくも9位となり、準決勝で敗退した。 またこの日、オーストラリアのマシュー・ウィルソンが2分06秒67という渡辺が持つ世界記録と並ぶ数字を叩きだし、首位で準決勝を通過した。 — FINA fina1908 ツイート:「男子200m平泳ぎの準決勝で、世界記録。 首位に立った20歳のオーストラリアのマシュー・ウィルソンが、同じく決勝に進んだ日本の渡辺一平と並ぶ2分06秒67をマークした」 女子200m平泳ぎの準決勝には青木玲緒樹が出場したが、2分27秒95の15位に止まり、決勝進出を逃した。 7月26日に行われる種目は下記の通り(カッコ内は出場する日本人選手)。 決勝 男子200m背泳ぎ(入江) 男子200m平泳ぎ(渡辺) 女子100m自由形 女子200m平泳ぎ 男子4x200mフリースタイルリレー 予選・準決勝 男子100mバタフライ(水沼尚輝) 男子50m自由形(塩浦慎理、中村克) 女子50mバタフライ 女子200m背泳ぎ(白井、酒井夏海) 男子4x200mフリースタイルリレー(松元克央、江原騎士、吉田啓祐、高橋航太郎) 女子800m自由形.
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