木村響子プロフィール 名前:木村響子 リングネーム:木村響子 ヤンバルクイーンナ ニックネーム:反骨のアフロコング 身長:165cm 体重:65kg 生年月日:1977年3月19日(43歳)2020年現在 デビュー:2003年7月20日 引退:2017年1月22日 響子さんは当時の 最年長となる26歳で女子プロレスラーデビュー。 そして 『戦うシングルマザー』として話題になったそうです。 小さい頃から花さんはお母さんのプロレスの練習や試合には付いて行ってたようですが、幼い 花さんがお母さんが血を流している姿に泣いている画像がありました。 プロレスはこういうものだと言っても、自分の目の前で戦っているお母さんの姿を観るのは怖いかもしれませんね。 しかも血なんて出ていたら怖くて泣いちゃいますよね。 木村花と木村響子は親子タッグや対戦したことある? お母さんが人気女子プロレスラーで、娘も女子プロレスラーであれば、本人たちも同じリングに上ってみたいと言うのが夢ではないでしょうか? きっとファンの方も見てみたいと思ったはず! 調べてみたところ、花さんの初期を語るには、母・響子さんの存在は欠かせないものでした。 花さんはデビュー4戦目にアジャ・コングさんと試合をするのですが、力とキャリアの差には叶わず完敗します。 アジャ・コングさんから『お前がお母ちゃんくらい図太くなったら、もう一度やろうな』と。 さらに、アジャ・コングさんから『プロレス界にようこそ!』と、次の試合を決定されます。 その後、母の持つタッグ王座に挑戦するも手厳しい責を母から食らい完敗。 良き思い出となったであろう親子での試合がもうひとつあります。 2017年1月22日の後楽園ホールで行われた、母・響子さんの引退試合。 親子3人でタッグを組んでアジャ・コングさん達とも戦いました。 しかし、この試合には続きがあったのです。 ISAOがレフェリーを務め、 親子シングルマッチが実現した。 花のカウンターのブーツを浴びて正真正銘、最後の3カウントを聞いた木村が「99%、マグレだと思います。 でもマグレじゃないって言うなら、 これから証明してみせろ!」と愛娘にエールを送ると、花も「プロレス人生をかけて証明します」とその思いを受け継いだ。 引退後については白紙という木村だが「すごくいいプロレス人生だった。 やりきれなかったことも含めて満足してます」と満面の笑み。 女子プロレス界の未来と夢を娘の花に託しリングを去った。 花さんと響子さんはシングルマッチで最後に対戦していたんですね!! 今まで敵わなかった響子さんから3カウントも取り、木村親子にとっても素敵な引退試合だったのではないでしょうか。 今見ただけでも木村花さんと木村響子さん親子の、リング上での素敵な思い出がたくさんありましたね。 木村花さんはこれからの活躍が期待されていただけに、楽しみにしていたファンも多かったのではないでしょうか。 プロレス界でも芸能界でも活躍していかれる姿を拝見したかったです。 とても残念です。
次の名前 木村響子(きむら きょうこ) リングネーム ヤンバルクイーナ 生年月日 1977年3月19日(43歳 2020年5月現在) 身長・体重 165cm・65kg 出身地 神奈川県横浜市 デビュー 2003年7月20日 引退 2017年1月22日 木村花さんの母親は、 元女子プロレスラー&総合格闘家の「 木村響子さん」です。 木村響子さんは、1993年に『FMW』にテスト生として入団しますが、1年ほどで退団し、レスラーとしての経験を積むためメキシコに行きます。 ですが、これをきっかけに旅の面白さに目覚め、バックパッカーとなりアジアを周り始めます。 その後日本へ帰国し、JWP女子プロレスに入門し、2003年にデビューします。 しかし、2005年12月18日にJWPを退団し、フリーランスプロレスラーになりました。 デスマッチにも挑戦しており、 血だらけになった木村響子さんを見て、まだ小さかった娘の木村花さんは泣いていたそうです。 木村響子は2人の旦那と離婚していた! 木村響子さんはこれまでに 2度の結婚・離婚をされています。 1人目の旦那:インドネシア人の一般人男性 インドネシア人の男性と出会ったのは、木村響子さんが旅に目覚め、バックパッカーとしてアジアを回っていたとき。 1997年にインドネシアで出会った インドネシア人の一般人男性と結婚し、 9月に一人娘の木村花さんを出産しましたが、 その年に離婚しています。 インドネシアには1年ほど暮らしており、離婚したあとは日本へ帰国し、2003年のデビューに繋がります。 木村花の母、木村響子はアジア放浪中にインドネシア人との間に一人娘を産み、シングルマザーとして育てながら25歳で国内プロレスデビュー。 プロレスファンは子供の頃から会場に連れて来られてる木村花を見ていた。 そんな子が成長して母親と同じ職業を選んだことにみんな夢を見せてもらってたのよ。 — ザビ太 xavita 2人目の旦那:総合格闘家のISAO インドネシア人の男性との離婚後は「ママレスラー」として、木村花さんを女手ひとつで育ててきました。 2016年1月30日には、同じ坂口道場一族所属の『 ISAOさん』と結婚します。 ISAOさんは木村響子さんの 11歳下であり、娘の木村花さんとはわずか 9歳差でした。 引退した1年後の2018年3月18日、木村響子さんとISAOさんは離婚します。 木村響子さん誕生日の前日でした。 本日 41歳になりました😊 私事ではありますが 40歳最後の昨日、離婚いたしました お祝いしてくださった皆様 猫バスを見守ってくれていた皆様 嘘をつきたくないので ここで報告させて頂きます 直接ご挨拶できず すみません 元気に穏やかに楽しく 毎日を暮らしています 心配しないでください — 木村響子 kimurarock 【画像】木村花と木村響子のプロレス共演 木村響子さん引退試合にて、家族のタッグマッチ終了後、 木村響子さんと木村花さん親子マッチが繰り広げられました。 やはり経験の差でしょうか。 木村響子さんが花さんをボコボコにし、「 お前の一番最強の鬼でいてやるよ」と言い放っていましたが、 これに対し花さんは「 ぶっ潰してやるよ」と言い返し、熱い試合になっていました。 木村花さんは2世代プロレスラーとして活躍していました。 2016. OZアカデミー新宿FACE大会 初めて木村花選手を観た日。 木村花選手VSアジャコング選手だった。 デビューして2か月程の超新人VSこの道30年の超ベテラン。 木村響子選手も違う試合だが同大会に出場されていた。 木村響子の現在の活動は? 木村響子さんの現在の活動は、「 ピンクの猫バス」にて関東近郊の プロレス会場で猪肉をメインとした移動販売を行っています。 木村響子さんは元プロレスラーだったこと、2人の旦那と離婚していたこと、現在はプロレス会場で移動販売をしていることがわかりました。 現在、木村花さんがネットの誹謗中傷が原因で自殺した事件で、母親の響子さんも標的にされ大変な日々が続いていると思います。 1日も早く平和な日が訪れることを願うと同時に、花さん心からご冥福をお祈りいたします。 木村花は性格悪い!?原因はテラスハウスのヤラセ演出だった! 木村花はガス自殺?リストカット画像・誹謗中傷内容がひどすぎる!.
次の2020年5月23日に22歳という若さで亡くなった、女子プロレスラーの木村花さん。 木村さんは逝去が報じられるおよそ10時間前にInstagramのストーリーズ機能で「さようなら」というメッセージを残していました。 また、以前からSNSで不特定多数から誹謗中傷を受けており、「誹謗中傷に傷付いたのは否定できない。 お母さんや支えてくれたみんな、ありがとう。 弱い私でごめんなさい」などの投稿をしていました。 【訃報】女子プロレスの木村花さん22歳が逝去 インスタで「さようなら」と投稿 事務所によると亡くなった経緯は調査中とのことですが、投稿を見るに多くの誹謗中傷が木村さんの心を深く傷付けたのは明らかでしょう。 今回の件を受け、ネットでは世間で多発している中傷行為について非難の声が続出しています。 木村花の母・木村響子が娘の逝去にコメント 同月24日、木村さんの母親であり、元女子プロレスラーである木村響子さんがTwitterを更新。 娘の訃報について、多くの人に向けたコメントを公開しました。 木村花 を 応援してくれたかた 仲良くしてくれたかた 愛してくれたかた 守ってあげれなくて ごめんなさい 辛い想いをさせて ごめんなさい あなたが辛いと 花も辛いから どうか楽しく元気な花を 心に置いてあげてください 花が伝えたかったことを カタチにするために もっと 強くなります— 木村響子 kimurarock 多くの親にとって、我が子に先立たれるのは想像を絶する苦しみでしょう。 「守ってあげられなくてごめんなさい。 つらい思いをさせてごめんなさい」という投稿からは、響子さんの深い悲しみや苦しみが伝わってきます。 続けて、響子さんは一部のマスコミに対しこのように『お願い』をしています。 マスコミの皆様へ 警察や スターダム事務所に 詳細を問い合わせるのは おやめください お仕事に詳細がでてしまいます 死者のプライバシーを どうか尊重してあげてください ギリギリのところで 闘っているひとたちの背中をおさないでください もう誰ひとりも傷つけないでください— 木村響子 kimurarock 訃報に対し、多くの人から「木村さんは間違いなく愛されていた選手だった」「テレビで見てとても好きだった」といったコメントが寄せられた、木村さん。 木村さんは生前に「愛されたかった人生でした」と投稿していましたが、実際は多くの人から愛されていたのでしょう。 しかし、好意的な言葉よりも一部の否定的な言葉のほうが印象に残りやすいのは、残念ながら事実です。 木村さんのように傷付けられる人をこれ以上増やさないため、今一度『言葉』の正しい使い方について多くの人が再認識する必要があります。 [文・構成/grape編集部] 出典 kimurarock.
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