懐かしいようで何処にも無い場所、国籍や時代も曖昧な美しく捉えどころのない浮遊感。 COMITIA126のチラシイラストを担当した宇一さんの生み出す作品は、異なる世界の大きな物語を想起させてくれる。 「地元の景色や昔行った場所の光や色の印象がぼんやりと頭に残っていて、日常風景を描いたイラストには色濃く出ていると思います」。 生まれも育ちも大阪の少し田舎の方。 幼い頃は学校の横にあった山で秘密基地を作ったりもした。 家には漫画やTVゲームが溢れていて「漫画では植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』にかなり影響されました」。 物心ついた時から遊んでいるゲームは「『自分が参加できる映画』のような作品が好き」で、その世界観を盛り上げる音楽にも刺激された。 「『聖剣伝説3』のサントラのアートワークの美しさは衝撃でした。 『星のカービィ』のポップな中にある寂しさは自分の絵にも常に漂わせたい要素です」という。 高校では美術部で油絵を描き、卒業後は美術系の専門学校でアニメーションを専攻。 「勉強嫌いで結局好きなことばかりやってましたね。 絵は遊びとして描き続けていました」。 専門学校に通うかたわら、インターネットの投稿サイト等でイラストの発表や交流を活発に行うようになる。 創作ジャンルで同人活動していた知人を見て『本を作る事』にも興味を持つようになり、12年にコミティアに初参加。 「沢山の人に気軽に見て貰えるのがネットのいい所だけれど、紙が好きなので、本として買って貰えたり、直接感想を聞けるのはとても嬉しいし有難い。 単色表紙のいかにも自費出版物らしいものに強い憧れがあります」 宇一さんの作品には10〜20代の青少年が頻繁に登場する。 「描きやすいんですよね。 ミステリアスで中性的なキャラ、中身が人じゃない感のある少年が好き。 背景に合わせて置く人物を決めてます」。 また、ごく普通の日常よりもSFやファンタジーを描くことにワクワクするそうだ。 「ちょっと違う世界で暮らす人々の『生活感』を描きたい。 ただ、機械や構造を考えるのが苦手なので、説得力を持たせるデザインに苦労してます」。 ストーリー漫画を仕上げたのは15年の『夢常町の明楽さん』が初めて。 漫画制作ではまずシーンが浮かび、それを繋いでいくという。 「イラストでも漫画でも、アニメの絵コンテのように、そのシーンの先の動きを感じさせる絵作りを意識してます。 動きにはキャラクターの性格が滲むので、仕草や表情を大事にしています」 「自分の絵は商業向きでは無いと思っていた」という宇一さんだが、16年からはプロとしても活動を始め、17年には注目のイラストレーターを紹介する『ILLUSTRATION 2018』と『絵師100人 ver. 3』に掲載された。 「仕事とは切り分けて、自主制作は好きなものだけを自分の為に描いてます。 私にとって絵を描くのは、脳内の靄みたいなイメージを整理して、ピントを合わせて現像していくようなこと。 舞台の古い団地は異能と武力の激戦地に塗り替えられる。 敵も人外さながらの異能力者。 対する京子は「影」に入り込むスキルと銃で冷静にトドメを刺してゆく。 一朝一夕でない漫画の力に興奮させられる。 林麦さんはかれこれ20年ほど前、合同誌サークル「ハーベストホーム」の一員として、年に一作ペースで寄稿参加していた。 内容は古典の『西遊記』に基づいた活劇モノで、妖魔に誘拐されたお師匠様を救出すべく、孫悟空が縦横無尽に駆ける。 この頃からすでに武闘モノの血が流れていたのだった(このまとめを今出してもらえないでしょうか?)。 サークルは解散し、林さんは一旦筆を置く。 15年以上の時を経て、2013年より個人で活動を再開。 年に1~2回、新作が完成したらコミティアに参加するという、執筆ペース優先の活動をしている。 林さんのこれまでの作品は主に日常ファンタジーの方向だった。 元高校球児が魔女である同級生に弟子入りする『デンセツノ魔キュウ』、女子高生の友情と雨乞い巫女伝承の話『ウインディ、サニー』など、抑制の利いたユーモアのあるやりとりの中で不思議な出来事を映し出す。 「『あるわけない』と思いつつ、超常現象とか好きなんですよね。 実際に舞台の場所にロケハンに行ったり、リアリティを出しながら、日常に不思議な要素を入れ込んでいます」 ここに来ての『影踏みと十字架』では、さらに怪しく、濃く、打点を変えてきたように思える。 これまでを「凪」とするなら、こちらは「嵐」くらいに。 「ここまで中二病的なノリの世界観は今回が初めてですね。 描くきっかけになったのは『ぼくのエリ 200歳の少女』というスウェーデンの吸血鬼映画です。 初めて聞く吸血鬼の設定とか出てきたので興味を持って調べたら、国や作品によって独自のルールがあるんですよね。 そこら辺を自分でアレンジして魔術+銃+カンフー+エロとギュウギュウに詰め込んだら、100P超えてしまいました」 映画では『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』『マトリックス』、『カンフーハッスル』、漫画では80~90年代の大友克洋と士郎正宗の影響が身体に染み付いているそうだ。 まさに血沸き肉踊るテイストを感じる。 頭の中のごった煮感が、増改築を重ねた香港の九龍城のよう。 新しいアイデアが思いついたらガンアクション物もまたやるかもしれないとのこと。 こういったぶっ放し系活劇もぜひ読みたい。 「いま描いているのは『さよならロボットハニー』というタイトルの少女型のロボと怪獣の話です。 基本的にはコメディですが、建物の破壊シーンが多く苦労してます」 吸収してきた蓄積が、次はどんな血肉の発露となるのか期待したい。 広々とした草原に、鮮やかな空。 ダイナミックな構図。 不思議な文様に彩られた遺跡があり、空に浮かぶ城がある。 2016年から毎年制作しているイラスト集『Photon』は今年で第3弾になった。 生まれ育ったのは、ブラジル最大の都市であるサンパウロ。 「東京とそう変わらない都会」ではあるが、やはり南米大陸。 世界一美しいと言われる鮮やかな青い羽を持つモルフォ蝶が当たり前に飛んでいる。 「標本で見るとわからないですが、羽の裏側は茶色。 それがヒラヒラと飛ぶと青い羽と交互に見えて、幻想的な絵面になるんです」 子供の頃から、触れるアニメやマンガは日本のものが多かった。 しかし、自然と目に入り、体に染み込んだその土地の空気や景色は、独特の世界観と色彩を持った作品へと映りこんでいる。 「ブラジルで育った影響は、自覚していないけれどあると思います。 なにも見ないで街を描くと、サンパウロの街になってしまうことには、仕事を始めてから気がつきました。 風景を描いてくれと言われて、まず地平線を描いたら、あっ、とその人が声を上げて。 聞けば日本では地平線はなじみがない。 ああ、そうか、と(笑)」 高校からは日本へ帰国し、美術部で油絵を学ぶ。 卒業後は映画好きの友人の影響もあり、映像科のある大学へ進学。 その頃からメビウスや宮崎駿の真似をして絵を描いていたという。 題材にしていたものは自分の頭の中に浮かんだ世界だ。 「どこかで見たことがあるけれど、どこでも見たことがないと感じてほしい。 僕の中にある心象風景をいろんなところから切り取って描いています」 現在ではアニメーション作家として、アニメ、CMやPVでの映像制作のほか、アニメやゲームのコンセプトアートにも携わる。 NHKのTVアニメ『英国一家、日本を食べる』では食事パートをすべて担当し、最近ではNetflixで配信中の『アグレッシブ烈子』にも参画している。 「趣味はコミティア」と言い切る加藤さん。 6年前に友人に誘われて初参加して以来、気がつけばのめり込み、毎回参加している。 本業であるコンセプトアートは、制作スタッフが作品の世界観を共有する重要な役割があるが、作者本人のイラストとして視聴者やユーザーに見られる機会はあまりない。 他方で、他の作家やファンと直接交流ができる場として、コミティアは大切なのだという。 「自分が属しているカテゴリーみたいなものにぴったり合っていました。 感覚の近い人たちと交流できるようになって良かったです」 今後はイラスト集だけでなく、絵本などストーリー作りにより力を入れ、ゲーム制作にも挑戦したいと、意欲的に創作活動を行う加藤さん。 さらに広がる世界の先で、どんな風景を見せてくれるのかが楽しみだ。
次の懐かしいようで何処にも無い場所、国籍や時代も曖昧な美しく捉えどころのない浮遊感。 COMITIA126のチラシイラストを担当した宇一さんの生み出す作品は、異なる世界の大きな物語を想起させてくれる。 「地元の景色や昔行った場所の光や色の印象がぼんやりと頭に残っていて、日常風景を描いたイラストには色濃く出ていると思います」。 生まれも育ちも大阪の少し田舎の方。 幼い頃は学校の横にあった山で秘密基地を作ったりもした。 家には漫画やTVゲームが溢れていて「漫画では植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』にかなり影響されました」。 物心ついた時から遊んでいるゲームは「『自分が参加できる映画』のような作品が好き」で、その世界観を盛り上げる音楽にも刺激された。 「『聖剣伝説3』のサントラのアートワークの美しさは衝撃でした。 『星のカービィ』のポップな中にある寂しさは自分の絵にも常に漂わせたい要素です」という。 高校では美術部で油絵を描き、卒業後は美術系の専門学校でアニメーションを専攻。 「勉強嫌いで結局好きなことばかりやってましたね。 絵は遊びとして描き続けていました」。 専門学校に通うかたわら、インターネットの投稿サイト等でイラストの発表や交流を活発に行うようになる。 創作ジャンルで同人活動していた知人を見て『本を作る事』にも興味を持つようになり、12年にコミティアに初参加。 「沢山の人に気軽に見て貰えるのがネットのいい所だけれど、紙が好きなので、本として買って貰えたり、直接感想を聞けるのはとても嬉しいし有難い。 単色表紙のいかにも自費出版物らしいものに強い憧れがあります」 宇一さんの作品には10〜20代の青少年が頻繁に登場する。 「描きやすいんですよね。 ミステリアスで中性的なキャラ、中身が人じゃない感のある少年が好き。 背景に合わせて置く人物を決めてます」。 また、ごく普通の日常よりもSFやファンタジーを描くことにワクワクするそうだ。 「ちょっと違う世界で暮らす人々の『生活感』を描きたい。 ただ、機械や構造を考えるのが苦手なので、説得力を持たせるデザインに苦労してます」。 ストーリー漫画を仕上げたのは15年の『夢常町の明楽さん』が初めて。 漫画制作ではまずシーンが浮かび、それを繋いでいくという。 「イラストでも漫画でも、アニメの絵コンテのように、そのシーンの先の動きを感じさせる絵作りを意識してます。 動きにはキャラクターの性格が滲むので、仕草や表情を大事にしています」 「自分の絵は商業向きでは無いと思っていた」という宇一さんだが、16年からはプロとしても活動を始め、17年には注目のイラストレーターを紹介する『ILLUSTRATION 2018』と『絵師100人 ver. 3』に掲載された。 「仕事とは切り分けて、自主制作は好きなものだけを自分の為に描いてます。 私にとって絵を描くのは、脳内の靄みたいなイメージを整理して、ピントを合わせて現像していくようなこと。 舞台の古い団地は異能と武力の激戦地に塗り替えられる。 敵も人外さながらの異能力者。 対する京子は「影」に入り込むスキルと銃で冷静にトドメを刺してゆく。 一朝一夕でない漫画の力に興奮させられる。 林麦さんはかれこれ20年ほど前、合同誌サークル「ハーベストホーム」の一員として、年に一作ペースで寄稿参加していた。 内容は古典の『西遊記』に基づいた活劇モノで、妖魔に誘拐されたお師匠様を救出すべく、孫悟空が縦横無尽に駆ける。 この頃からすでに武闘モノの血が流れていたのだった(このまとめを今出してもらえないでしょうか?)。 サークルは解散し、林さんは一旦筆を置く。 15年以上の時を経て、2013年より個人で活動を再開。 年に1~2回、新作が完成したらコミティアに参加するという、執筆ペース優先の活動をしている。 林さんのこれまでの作品は主に日常ファンタジーの方向だった。 元高校球児が魔女である同級生に弟子入りする『デンセツノ魔キュウ』、女子高生の友情と雨乞い巫女伝承の話『ウインディ、サニー』など、抑制の利いたユーモアのあるやりとりの中で不思議な出来事を映し出す。 「『あるわけない』と思いつつ、超常現象とか好きなんですよね。 実際に舞台の場所にロケハンに行ったり、リアリティを出しながら、日常に不思議な要素を入れ込んでいます」 ここに来ての『影踏みと十字架』では、さらに怪しく、濃く、打点を変えてきたように思える。 これまでを「凪」とするなら、こちらは「嵐」くらいに。 「ここまで中二病的なノリの世界観は今回が初めてですね。 描くきっかけになったのは『ぼくのエリ 200歳の少女』というスウェーデンの吸血鬼映画です。 初めて聞く吸血鬼の設定とか出てきたので興味を持って調べたら、国や作品によって独自のルールがあるんですよね。 そこら辺を自分でアレンジして魔術+銃+カンフー+エロとギュウギュウに詰め込んだら、100P超えてしまいました」 映画では『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』『マトリックス』、『カンフーハッスル』、漫画では80~90年代の大友克洋と士郎正宗の影響が身体に染み付いているそうだ。 まさに血沸き肉踊るテイストを感じる。 頭の中のごった煮感が、増改築を重ねた香港の九龍城のよう。 新しいアイデアが思いついたらガンアクション物もまたやるかもしれないとのこと。 こういったぶっ放し系活劇もぜひ読みたい。 「いま描いているのは『さよならロボットハニー』というタイトルの少女型のロボと怪獣の話です。 基本的にはコメディですが、建物の破壊シーンが多く苦労してます」 吸収してきた蓄積が、次はどんな血肉の発露となるのか期待したい。 広々とした草原に、鮮やかな空。 ダイナミックな構図。 不思議な文様に彩られた遺跡があり、空に浮かぶ城がある。 2016年から毎年制作しているイラスト集『Photon』は今年で第3弾になった。 生まれ育ったのは、ブラジル最大の都市であるサンパウロ。 「東京とそう変わらない都会」ではあるが、やはり南米大陸。 世界一美しいと言われる鮮やかな青い羽を持つモルフォ蝶が当たり前に飛んでいる。 「標本で見るとわからないですが、羽の裏側は茶色。 それがヒラヒラと飛ぶと青い羽と交互に見えて、幻想的な絵面になるんです」 子供の頃から、触れるアニメやマンガは日本のものが多かった。 しかし、自然と目に入り、体に染み込んだその土地の空気や景色は、独特の世界観と色彩を持った作品へと映りこんでいる。 「ブラジルで育った影響は、自覚していないけれどあると思います。 なにも見ないで街を描くと、サンパウロの街になってしまうことには、仕事を始めてから気がつきました。 風景を描いてくれと言われて、まず地平線を描いたら、あっ、とその人が声を上げて。 聞けば日本では地平線はなじみがない。 ああ、そうか、と(笑)」 高校からは日本へ帰国し、美術部で油絵を学ぶ。 卒業後は映画好きの友人の影響もあり、映像科のある大学へ進学。 その頃からメビウスや宮崎駿の真似をして絵を描いていたという。 題材にしていたものは自分の頭の中に浮かんだ世界だ。 「どこかで見たことがあるけれど、どこでも見たことがないと感じてほしい。 僕の中にある心象風景をいろんなところから切り取って描いています」 現在ではアニメーション作家として、アニメ、CMやPVでの映像制作のほか、アニメやゲームのコンセプトアートにも携わる。 NHKのTVアニメ『英国一家、日本を食べる』では食事パートをすべて担当し、最近ではNetflixで配信中の『アグレッシブ烈子』にも参画している。 「趣味はコミティア」と言い切る加藤さん。 6年前に友人に誘われて初参加して以来、気がつけばのめり込み、毎回参加している。 本業であるコンセプトアートは、制作スタッフが作品の世界観を共有する重要な役割があるが、作者本人のイラストとして視聴者やユーザーに見られる機会はあまりない。 他方で、他の作家やファンと直接交流ができる場として、コミティアは大切なのだという。 「自分が属しているカテゴリーみたいなものにぴったり合っていました。 感覚の近い人たちと交流できるようになって良かったです」 今後はイラスト集だけでなく、絵本などストーリー作りにより力を入れ、ゲーム制作にも挑戦したいと、意欲的に創作活動を行う加藤さん。 さらに広がる世界の先で、どんな風景を見せてくれるのかが楽しみだ。
次の久しぶりのインタビュー記事となるが、今回はNHKアニメなどの制作にも携わった経歴を持ちフリーランスで活躍するイラストレーターであり、アニメーション作家でもある加藤オズワルド氏にお話を聞いてきた。 アニメーション作家として活躍する傍らで、Pixivやツイッターを通じてイラストの創作作品を発表しつつ、コミティアやコミケなどで本を販売し、確実にファンを取り込んでいる。 イラストレーターになりたいとか、映像の仕事をやってみたい人はもちろん、個人的にお薦めの好きなテイストのイラストなので、知らない人にもぜひとも記事とイラストと共にチェックしてもらいたい。 シェアする• ブラジルのサンパウロ生まれサンパウロ育ち ブラジルのサンパウロで生まれ、サンパウロで育った。 南米では大都市のサンパウロで15歳まで生活したが、都市機能や治安という部分では違いはあるかもしれないけど、発展途上国と言われるブラジルでの生活そのものは日本での生活とあまり変わらなかった。 日本食を専門に取り扱うスーパーに行けば、普通に日本食やカップラーメンなんかも手に入るし、海外向けのファミコンも普通に売られていた。 ブラジルならではの皆が想像しがちなアマゾンなんかには一度も行ったことない。 リオデジャネイロなんかも3回行ったか行ってないかで、バスで6、8時間も掛かり気軽には行けない遠出の旅行になる。 日本にいる時に、昔からブラジル人って言われると違和感を感じたが、それがちょっと解決したのがブラジルにも「江戸っ子」に近い呼び名があり、その都市で生まれその都市で育った呼び名がある。 一番有名なのはリオデジャネイロで生まれ育った人をカリオッカと呼び、サンパウロで生まれ育った人をパウリスターノと呼ぶ。 サンパウロっ子、と言った方がしっくりきて、今は自己紹介でブラジルのサンパウロ生まれサンパウロ育ちだと言うようにしている。 とにかく勉強が嫌いで日本で高校受験を ブラジルの日本人学校は中学までしかなく、ブラジルで高校以上に進学するにはインターナショナルスクール(アメリカンスクール)みたいな高校か、現地のブラジルの高校の2つの選択肢だった。 現地のブラジルの高校に進学するにはブラジルの義務教育を受けている必要があったが日本人学校に通っていたのもあり、もう一度勉強し直すのも嫌でこの選択肢はなかった。 インターナショナルスクールは基本的に試験も面接も英語だったが、英語が不得意だったので受験は考えなかった。 そうすると、おのずと日本に戻って日本の高校を受験する他になかった。 絵は物心ついた時から描いていた 絵を描くことは小さい時からずっと好きだった。 絵を職業にするか、しないかと考えたのは恐らく小学校4年の頃だったかな。 周りはパイロットになりたいとかサッカー選手になりたいと言うんだが自分にはそれは一切なく、かと言ってサラリーマンは想像できなかったので、どうしようってなって、絵を描けるのでとりあえず漫画家って言っとけな感じで言いだした。 それで、そこまで仕事にすることに一生懸命になるとかではなくあくまでも保険で、最悪、絵で飯が食えたらラッキー、それまでにどうにかなって欲しいっていう感じだった。 日本の美大って予備校へ行かないとまず受からない 大学受験の時も勉強が嫌いで実技で入れるところを探したんだけど、絵を好きで描いていたものの絵の教育を受けていなかった。 日本の美大って予備校へ行かないとまず受からない。 実技教育をクリアしないといけない。 その予備校にも行ってなかった。 その中で映画大好きな友だちに映画に連れ回されて、年に何本も観ているうちに映像が面白くなって、映像もやりたいと思うようになった。 映像系の大学に行くか、絵の大学に行くかと迷って両方を受けて、受かった方に行こうと。 それで絵の方は、デッサンなどの実技試験がない、入った後も比較的に自由にやらせてくれそうなの当時できたばかりのマンガ学部を受けた。 当時、漫画について教えてくれるのはここしかなかった。 この大学の推薦枠を受けたが周りを見たら猛者たちばかりで、これはダメだなと思ったら案の定落ちた。 そして、当時は映像については知識が全然ないのにも関わらず、の映像学部の推薦枠でコンテという言葉自体もよく分からなかったのに試験で適当にコンテを切って面接したら受かっちゃったという。 絵がお金になる仕組みが分かり、絵の事を考えるようになった 大学で絵はずっと描いていたが、結局、勉強という形ではあまりやらなかった。 ずっと作ってたのは、クレイアニメーションのコマ撮りやCGとかばかりで、パソコンで絵が描けるのが分かったり、それでインターネット時代が始まり、Webサイトの制作会社にアルバイトに行ったりして、そこでアルバイトの仕事とは別に初めてイラストの仕事を受けて、初めて絵がお金になる仕組みが分かり、これで食っていけると意識して、そこからちゃんと絵の事を考えるようになった。 映像制作ができて、絵ができる人ってあまりいなかったから色んな所で重宝してもらえて、AdobeのFlashが流行りだした頃で素材作りとかもあった。 今もそうだけど、ゲーム会社とかってプログラマーとかシナリオライターとかゲームのディレクションをする人はいるけど、映像系の人がほぼいなくてそこに入って演出をし、CGをやっていたのもあり、CGが不得意なところや制約などを理解できたので話が通じやすく、重宝してもらえたのではないかと思う。 音以外の事をほぼ全般でやっている 純粋なイラストの仕事って実はあまりやっていなくて、映像の中の一部、素材だとか、分かりやすいところで背景とか、コンセプトアートとか。 たぶんコンセプトアートで関わることが多く、仕事で多いのはアニメをまるっと一個作ることかな。 演出で入るとか、キャラクターアニメーションを作るとか。 アニメを描くことが多いので、付き合いもイラストレーターよりもアニメ絡みの人が多い。 アニメーターというよりもアニメーション作家と言った方が分かりやすい。 イラストレーターというイメージが強いかもしれないが、ゲームとか、テレビとかCM、映画での関わりが多く、自己紹介の時はアニメーション作家というと、「ん?」と思われるのでイラストレーターと言った方が楽だったりする。 仕事によって監督だったり、演出から下を全部やったり、撮影と言って出来上がった素材を組み合わせてコンポジットしたり、キャラクターデザインだけをやったり、言ってみれば音以外の事をほぼ全般でやっている。 最近ではというアニメがあるが、これはイギリス人が日本のスシやテンプラ以外の食べ物を含めた食文化を紹介したエッセイが原作のアニメで、一昨年に一年ほどひたすら料理のパートを全話担当した。 さらにはの第11話では、5分ほどのアニメだが、シナリオはあって総監督はいたものの、基本的に演出から仕上げ、撮影までを担当させて貰えた。
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