シリア 宗教。 シリアとイランの宗教的背景

シリアとイランの宗教的背景

シリア 宗教

しかし2月4日の採決では、ロシアと中国が拒否権を発動し採決されなかった。 現在も、シリアに大量の武器を輸出しているほか、海軍がシリアの港を補給基地としている。 但し、総会の決議は安保理の決議のような法的拘束力はない。 宗教抜きで、ニュースを読むことはできない。 イスラム教の二大宗派は、スンニ派 9割 とシーア派(1割)です。 シリア情勢が日々悪化していますが、シリア シリア・アラブ共和国 の人口の約74%はスンニ派です。 アサド大統領 アサド家 は、 シーア派の中でも極めて少数の アラウィー派に属しています 人口の約12%。 彼は秘密警察を動員して、反体制派 スンニ派とシーア派 を力で抑え込んできました。 シリアのスンナ派は、アサド政権に対する「深い敵意」を持っています。 アサド大統領を支えているのは、アラブ社会主義を掲げる バース党 アラブ復興社会党 です。 シリアはバース党によって、強固な独裁体制を続けてきました。 父親のハーフェズ・アサド前大統領、息子のバッシャール・アサド大統領の親子二代で、40年あまり権力を独占しています。 次は、ネット情報の要約です。 1 シリアは1962年以来、非常事態法の下にあり、憲法による国民の保護は事実上停止されている。 シリア政府はシリアがイスラエルと戦争状態にあった事実を指して、この非常時宣言を正当化してきた。 シリア国民にとっては大統領は、住民投票によって選ばれているが、シリア議会は複数政党制を採っていない。 2 1970年の革命以後、アサド大統領は、対立政党や対立候補者を選挙から締め出しながらシリアを指導してきた。 1982年、国内各地で起きた6年間に及ぶイスラム暴動の最盛期において、ムスリム同胞団やスンナ共同体によルイスラム主義運動を鎮圧するため、 一般市民を含む数万の人々を殺害した。 同大統領はシーア派反体制派に対し、クルド人を自らの側につけようとしている。 シリアとイランは、事実上の同盟関係にある。 そのため、中東のあらゆる問題に関わっています。 欧米は、政治的にも宗教的にも重要なことを見落としています。 仮に、アサド政権が崩壊した時、由々しき事態が発生します。 <政治> 1 国内の反体制に、政権を樹立するほどの実力がない。 2 海外に亡命した反体制派、例えば「シリア国民評議会」や「自由シリア軍」といった組織にも、政権担当の実力がない。 3 中東のイスラム教徒は、一様に反米。 しかし、そのイスラム教徒がスンニ派とシーア派に分かれて、骨肉の争いをしている。 その争いがますます激化する。 今後、軍や治安機関から大勢の離反者が出て大量の武器が出回り、「内戦」に突入するかも知れません。 その内戦状態は、宗教抗争の始まりです。 リビアの「アラブの春」は、シリアには通用しません。 <宗教> 1 シリアは、イラクとレバノンの ヒズボラと シーア派宗教関係で結びついている。 そのシーア派と対立して、 スンニ派のアルカイダが活動している。 その宗教対立を武力によって制圧することはできない。 3 シリアの「無政府状態」は、シリア一国にとどまらない。 中東全域のパワーバランスを大きく変える危険性が迫る。 宗教抗争で、強権的に多数派を支配してきた体制が倒れると、かっての少数派が長年の恨みからの報復を叫び、殺戮、強奪などが横行します。 歯止めのかからない宗派抗争に発展します。 その実例は、フセイン政権が倒れた後のイラクで経験済みです。 シリアでは、こうした宗派抗争を何としても避けなければなりません。

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シリア内戦の原因・現状は?難民の人々が必要としている支援とは

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2011年3月から始まった「シリア内戦」。 きっかけは、2010年末から2011年のはじめにチュニジアで約1ヶ月間続いた「ジャスミン革命」と呼ばれるものです。 26歳の青年モハメド・ブアジジが、政府への抗議を表すために焼身自殺を図り、20年以上大統領を務めていたベン・アリーが亡命、政権は事実上崩壊しました。 抑圧的な独裁者が長期政権を敷くアラブ諸国に、大きな影響を与えます。 エジプトではその数日後から反政府デモが発生。 翌2月には30年以上続いたムバラク大統領の独裁政権が倒れ、リビアでも40年以上続いたカダフィ政権に終止符が打たれました。 これら国境を超えた大規模な反政府運動を、「アラブの春」と呼びます。 アラブの春の波は、もれなくシリアにも届きました。 初期はデモ行進やハンガーストライキなど市民による抵抗運動でしたが、毎週金曜日におこなわれる礼拝のたびにインターネット上でデモが呼び掛けられ、運動は過激化していきます。 2011年3月15日、シリア各地の都市で一斉にデモがおこなわれ、抗議者と治安部隊が衝突。 この日がシリア内戦の始まった日だとされています。 反政府側の要求は、すべての政治犯の釈放と、抗議者を殺害した者への裁判の実施、令状なしで容疑者を拘束できる「非常事態法」の撤廃、汚職の根絶、さらなる自由です。 政府側は、政治犯の釈放や非常事態法の撤廃、内閣の辞職など要求の一部を受け入れて譲歩を示しましたが、市民の行動は収まりません。 政府側が軍を投入して鎮圧を図ると、市民も武装して対抗するようになりました。 さらに、政府軍の大佐だったリヤード・アスアドが離反し、「自由シリア軍」という反政府武装勢力を結成。 兵士たちも次々に合流しました。 「政府」対「市民」という構図から、「政府軍」対「反政府軍」という構図へ発展し、シリア内戦が深刻化していったのです。 内戦が始まってから8年が経った、2019年3月15日に発表されたイギリスの監視団体の報告によると、シリア内戦による死者は約37万人、難民は約1300万人にのぼると考えられています。 内戦前の人口が約2250万人だったので、実に約6割の人が難民になっている計算。 その後も犠牲者の数は刻々と増加しているのが現実です。 シリアの正式名は、「シリア・アラブ共和国」。 1946年にフランスから独立する形で建国されました。 北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルがあり、国境を接しています。 国民の90%はアラブ人が占め、クルド人が8%、その他はアルメニア人やギリシア人、アッシリア人、北コーカサス系民族、南トルコ系民族などで構成される多民族国家です。 イスラム教スンニ派がもっとも多く人口の約70%を占め、その他はアラウィー派などイスラム教他宗派が約20%、キリスト教系のシリア正教会などが約10%、その他少数ながらヤジディ教などの信者がいます。 シリアは1963年からバアス党の独裁政権が統治してきた国です。 前年の1962年に出された非常事態宣言の効力が継続しています。 1970年以降はハーフィズ・アル=アサド、バッシャール・アル=アサドという親子2代が大統領となり、表現・結社・集会などの自由が制限され、人権に関して「世界最悪の部類」といわれる状況でした。 ハーフィズは、シリアにおいて少数派であるアラウィー派。 貧困家庭の9番目の子どもとして生まれ、16歳でバアス党に入党しました。 ソビエト連邦で訓練を受け、シリア空軍の軍人となります。 国防相や空軍司令官を歴任し、1970年のクーデターで政権を掌握。 大統領となった人物です。 息子のバッシャールは、ダマスカス大学の医学部を卒業し、軍医として働いた後、ロンドンに留学。 この時に、後に妻となるアスマーと出会いました。 アスマーはイギリスで育ったスンニ派シリア人です。 もともとはバッシャールの兄で軍人だったバースィルが後継者になると予想されていました。 バッシャール自身はさほど政治に興味がなかったそうです。 しかしバースィルが交通事故で亡くなったため、急遽帰国。 軍に入隊して立て続けに昇進し、2000年に父のハーフィズが亡くなると大統領に就任しました。 少数派であるアラウィー派のアサド家は、多数派であるスンニ派の反乱を抑えるため、バッシャールの弟のマーヘルを、大統領の身辺を守る「共和国防衛隊」や、陸軍の精鋭部隊「第四機甲師団」の指揮官に任命。 さらに義兄のアースィフ・シャウカトを陸軍参謀副長にするなど、治安部隊や軍を身内で固めました。 アサド家が少数派出身であること、バッシャールが父や兄と異なり軍歴や政治経験がなかったことは、シリア内戦が激化した大きな要因だと考えられています。 彼の政治基盤は決して盤石なものとはいえず、政権を維持するために、弱腰と見られないようあえて毅然とした態度をとる必要があったのでしょう。 シリア内戦は代理戦争に。 参加国の構図は? 「政府」対「市民」から、「政府軍」対「反政府軍」に形を変えていったシリア内戦。 しかし現在は、そこに大国の思惑が絡みあう複雑な代理戦争にまで発展しています。 では、シリア内戦に関わっている主な勢力と、その背後にいる国を確認していきましょう。 政府軍 バッシャール大統領が率いる政府軍を主に支援しているのはロシアです。 両国はソ連時代から友好関係を築いていて、ソ連が崩壊した後も、地中海沿岸のタルトゥース港をロシア海軍が補給拠点とし、駐留してきました。 シリア内戦が開戦してからも、ロシアは一貫して政府側を支援し、2015年9月以降は直接的な軍事介入もしています。 これによって中東における主導権をアメリカから奪い、影響力の増大を目論んでいると考えられています。 政府軍側にはそのほか、パレスチナの「パレスチナ解放人民戦線総司令部」、イラクの「マフディー軍」、イエメンの「フーシ派」、レバノンの「ヒズボラ」など中東各国を拠点とする武装勢力が参戦。 これらの組織はいずれも、イランの影響下にあると考えられる武装組織です。 イランはイスラム教シーア派の盟主であり、反米・反イスラエル・反スンニ派などシリアと共通点も多いです。 1980年代に起きた「イラン・イラク戦争」では、中東諸国の中で唯一シリアだけがイランを支援したという歴史もあります。 イランはシリア内戦に、影響下の武装組織だけでなく、イランの正規軍である「イスラム革命防衛隊」や民兵組織「バスィージ」も投入し、政府軍を支援しているそうです。 政府軍がこれだけの長期戦を持ちこたえている理由は、このようにロシアやイランから援助を受けているからだといえるでしょう。 また政府軍は、北朝鮮、イラク、ベラルーシ、エジプトなどから武器援助を受け、ベネズエラ、アンゴラ、中国からも間接的な支援を受けています。 反政府軍 代表的な勢力と考えられているのが、先述した「自由シリア軍」です。 政府軍から離反した兵士を中心に組織されていて、アメリカ、サウジアラビア、トルコなどから支援を受けています。 しかしアメリカは、シリア国民の多くにとって敵であるイスラエルの友好国。 憎悪の対象であることに変わりはなく、アメリカの支援を受ける自由シリア軍の人気は、決して高くはありません。 また自由シリア軍が、アルカイダ系のアル=ヌスラ戦線や、ムスリム同胞団などのイスラム過激派組織とも同盟を結んでいるので、アメリカとしても武器の流出を懸念して支援がしづらい状況にあり、徐々に弱体化が進んでいます。 ISIL(イスラム国) 小さな勢力まで含めると際限がないといわれるほど乱立しているイスラム教スンニ派。 そんななか、アブー・バクル・アル=バグダーディーのもとでイスラム国家の樹立を求め、台頭したのがISILです。 シリア領内の都市ラッカを制圧し、最盛期の2014年には、シリアとイラクにまたがって日本の国土面積にも近い約30万平方キロメートルを支配していました。 彼らが台頭したことによって、シリア内戦はISILの打倒が中心的な課題となる新局面を迎えます。 この戦いでは、アメリカがクルド人系の組織を支援しました。 シリアでは自治政府の軍事部門であるクルド人民防衛隊を援助。 またイラクでは自治政府の軍事組織を援助しています。 しかしクルド系の組織が支援されたことは、その影響が国内の独立派に波及することを警戒するトルコを刺激。 トルコの軍事介入を招いてしまうのです。 2018年12月にアメリカがシリアからの撤退を発表すると、クルド人民防衛隊はトルコに対抗するために、敵だったシリア政府軍との関係を親密化させています。 このように、アメリカやロシアなどの超大国だけでなく、イランやサウジアラビア、トルコなど中東地域の思惑が絡むシリア内戦。 同盟関係も頻繁に入れ替わり、文字通り「昨日の友は今日の敵」の状態に陥っているといえるでしょう。 シリア内戦と難民問題 2019年3月時点で、約1300万人の難民が出たシリア内戦。 そのうち約560万人が国外に脱出したと考えられています。 しかし国外に逃れるための安全なルートがあるわけではなく、粗末な船にすし詰め状態になって海を渡らざるを得ないのが現状です。 船が転覆し、大勢の犠牲者が出ることも頻繁にあります。 難民の多くは周辺国に逃れ、トルコは約350万人、レバノンは約100万人、ヨルダンは約67万人、イラクは約25万人、エジプトは約13万人を受け入れています。 しかしこれら受け入れ国も決して豊かではなく、難民を抱えることが大きな経済負担になっているのです。 その一方で先進国では、失業率の増加や治安の悪化を理由に、難民の受け入れに難色を示す世論が強くなっています。 受け入れを示した政権が倒れたり、極右政党が台頭したりする例も増えているのです。 しかしそれでもドイツを中心とする各国が、これまでに100万人以上の難民を受け入れてきました。 ドイツは約53万人、アメリカは約1万8000人を受け入れています。 しかし世界第3位の経済大国であるはずの日本は、わずか十数人にとどまっているのです。 日本国内では、独裁者は「悪」、民衆は「善」という構図で報道されることが多く、なぜ政府軍に協力する国があるのかわかりづらくなっています。 しかし実際には、複雑な国際関係や民族、宗教などが絡みあい、単純な善悪論で語れるようなものではありません。 だからこそ、解決がより困難になっているのです。 2019年にISILがほぼ打倒されたことで、シリア内戦そのものが終わったかのような印象も見受けられますが、あくまでも無数にある糸のうちの1本を切ったに過ぎません。 本書はそんな複雑なシリア内戦について、建国や開戦前の歴史にも触れつつ、わかりやすく推移を解説した作品です。 流れを知るだけでなく、解決するためにはどのような道筋があるのか、それがどれだけ難しいことなのかを考えるきっかけになるでしょう。 シリア内戦中に人々を救った秘密の図書館 ダマスカス近郊のダラヤは、シリア内戦のきっかけとなった暴動が起きた町のひとつです。 内戦が激化する2015年には、政府軍に包囲され、爆弾が降り注いでいました。 本書は、死の恐怖や飢餓に直面しながらも、瓦礫の下から本を集め、秘密の図書館を作りあげた人々のノンフィクションです。 この活動に携わった若者たちは、内戦が終わったら返却できるようにと、集めた本の1ページ目に持ち主の名前を書いていました。 本を読むという行為は、絶望的な状況下での希望となり、癒しとなり、多くの人々を救ったでしょう。 残念ながら政府軍によって破壊されてしまいますが、その後は巡回図書館という形で志が引き継がれているそうです。 生まれ育った町が壊され、愛する人が爆撃で吹き飛ばされる日々のなかに、一筋の光を見出させてくれる話です。

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スンニとシーアの宗派対立• 米露の中東利権• イランの核開発問題• イスラム圏の勢力争い• トルコvsクルドの民族争い シリア内戦は アサド政権と 反アサド政権の政権争いだけではありません。 多方面での代理戦争が展開されています。 代理戦争の背景を1つずつ整理しないとシリア内戦の全体像は見えません。 シリア内戦は複雑な構造が絡み合います。 シリアにおける一義的な解決はかなり厳しいレベルまで来ています。 対立2 イランvsサウジアラビア シリア内戦の前提にはイスラム圏の宗派争いがあります。 中東のイスラム圏では大きく「 シーア派vs スンニ派」に二分されています。 シリアでは国民の大多数がスンニ派を信仰しています。 しかし、アサド政権はイスラム教アラウィー派を信仰する人物が多く、政権はシーア派を支持しています。 国民はスンニ派、政権はシーア派です。 宗教的派閥争い 中東の分断 がシリア内戦の背景の1つです。 米ソはどちらも中東の資源と地政学的利権を得よう躍起。 アラブの春に端を発する中東の民主主義運動は大反対です。 特に蜜月関係のイランが親米国家になれば最悪。 アメリカがイランを抑えれば、中東におけるロシアは完全に試合終了。 イランの親米路線が実現すればロシアは完全に中東の利権争いから締め出されます。 イランの民主化を防ぐため、前段階でシリア政府 アサド政権 を後押し。 ロシアはアサド政権が化学兵器を使用してもお構いなしです。 化学兵器の犠牲者が一般市民でもお咎めなし 見逃し。 ロシアとしては、諸悪の根源は反政府軍だと主張します。 民主主義の芽を摘むためには手段を選びません。 アメリカの中東政策におけるアキレス腱が「イラン」です。 イランは中東における反米の象徴役割を果たしています。 イランの核開発における脅威はアメリカの中東における最重要問題。 アメリカの狙いは「イランの弱体化」及び「核脅威の排除」。 アメリカはイランと密接なシリアに介入して、間接的にイランの弱体化を狙います。 ただ、イランと手を結ぶロシアと揉めるのは最悪の展開。 揉めるのは嫌だが、シリアにおける利益も無視できません。 アメリカはシリア内親米の反政府軍を援助します。 「イランやロシアと揉めずに、親米国家誕生の利益にありつきたい」というものです。 大義名分を得たアメリカ アメリカのシリアにおける立ち回りは、とても難しい局面。 反体制派を影で操り、自国は直接的に介入しない戦術。 イスラム国が台頭したことでアメリカはシリア介入への大義名分を得ました。 イスラム国殲滅に向けて米軍のシリア派兵は成功します。 2018年4月、イスラム国が壊滅しアメリカはシリア駐留の名分を失います。 ですが、またもや、ここでシリア介入への大義名分を得ます。 次の大義名分は「 アサド政権が化学兵器を使用した」という情報です。 シリアでの軍事介入が難しい米軍は「化学兵器使用」という大義名分で再度シリアへ介入します。 対立4 クルド vs トルコ 現在のシリアで一番鍵を握る争いが「クルドとトルコ」による対立です。 クルド人国家建国を目指すクルドとクルド国家建国を認めないトルコの争い。 クルドとトルコは歴史的に長らく対立しています。 シリアにてクルド人勢力がイスラム国掃討に尽力しました。 クルド人勢力はイスラム国から奪還した領土を軸に建国を進めています。 「ロジャヴァ」という自治区をシリア北東部に設置して、クルド人民防衛隊が自治区を防衛しています。 このロジャヴァの台頭を良く思わないのがトルコ政府です。 長らくクルド人勢力による建国を否定してきました。 トルコ政府はなんとしてもロジャヴァ クルド を潰したい思惑があります。 ロジャヴァはイスラム国の鎮圧部隊として活躍。 イスラム国掃討作戦の前面に立ち、アメリカから軍事支援を受けます。 イスラム国の壊滅後、クルド人勢力は奪還した領土に「ロジャヴァ」を設置。 米軍のシリア撤退後は、アサド政権に接近したりと足元はぐらついています。 トルコの武力行使もあり、今後の自治権維持は難航が予想されます。 シリア内戦において同盟国アメリカと距離を置きます。 トルコは名目上「アサド政権の打倒」という形でシリア内戦に介入しています。 ただ、アサド政権との実質的な戦闘は回避。 トルコのシリア介入の目的はロジャヴァの壊滅です。 アサド政権と揉めずに、ロジャヴァを叩くことが目標です。 アメリカの抑止を振り切りロシャヴァと交戦を始めました。 シリア内戦のこれまでの流れ フェーズ1 シリア内戦の始まり シリア内戦はアラブの春を発端として始まります。 アラブの春がシリアにも到来し、民主化運動へ発展。 民主化運動は熱を帯び反アサド政権が武装蜂起。 アサド政権がデモ鎮圧に軍隊を用いて内戦化します。 アメリカ、ロシア、サウジ、イランがシリア内戦に介入します。 民主化運動デモから中東世界の覇権を巡る内戦へ繋がります。 フェーズ2 イスラム国の到来 内戦はシリア全土に広がります。 荒廃したシリアでは第三の勢力が台頭します。 その勢力がイスラム国。 イスラム国はアサド政権と反アサド政権が争い疲弊した土地を占領します。 無法地帯だった戦場を我が物にしてしまいます。 シリア内戦勃発から4年後、三つ巴状態が誕生します。 フェーズ3 クルド人勢力の台頭 シリアを占領したイスラム国は各国の標的になります。 政権を巡る争いは一先ず収まり、イスラム国叩きが優先されます。 2019年現在では、イスラム国はほぼ掃討されています。 イスラム国掃討に尽力したのがクルド人勢力でした。 シリアにも根付くクルド人がイスラム国から領土を奪還。 クルド人は自らが奪還した領土に自治領を設立します。 収まっていた政権を巡る内戦も再び、始動します。 シリアではクルド人勢力を加えた新たな三つ巴が生まれます。 発端はアラブの春 ジャスミン革命 シリア内戦の種火となったのが「ジャスミン革命」。 2010年12月、北アフリカのチュニジアでジャスミン革命が起きます。 チュニジアで起こった民主化運動の波が中東諸国へ波及。 アサド政権が独裁を敷く、シリアにも民主化運動の波が到来しました。 ジャスミン革命とは ジャスミン革命が起き、民主化運動が勃発したチュニジア。 国民は長年に渡り、独裁政権へ不信感を抱きます。 ある時、アリー独裁政権へ抵抗を示す事件が起きます。 1人の青年が焼身自殺を遂げて命を落とします。 自殺を禁じるイスラム圏において、この焼身自殺が大変な波紋を呼びました。 青年の自殺映像はネットを通じて、チュニジア全土へ配信されます チュニジア国民は、青年の命を懸けた抵抗に呼応します。 焼身自殺の後、チュニジア各地で民主化を求める運動が勃発。 民主化運動は次第にエスカレートして、「独裁政権を倒そう」という暴動へと繋がります。 チュニジア全土で政府に対する暴動が起き、ベン=アリー大統領は国外追放。 20年間以上続いた独裁政権が崩壊しました。 1人の青年の行動が国家を転覆する革命に繋がります。 アラブの春へ チュニジアで起きた民主化の波は、近隣アラブ諸国へ波及します。 中東諸国はほとんどが長期政権を築く独裁政権でした。 チュニジアの民衆運動をみた近隣アラブの国々。 「次は自分たちの国も!」と次々に民主化運動に乗り出します。 アラブの大国エジプトでは30年続いたムバーラク独裁政権が崩壊。 リビアでは42年間にも及ぶカダフィ独裁政権が崩壊。 その他の中東諸国でも独裁政権を批判する運動が盛んになります。 サウジアラビア、アルジェリア、モロッコ、 イラクなどで運動が起きます。 シリア内戦の始まり さて、やっと本題のシリアに入ります。 中東諸国で巻き起こった民主化運動、アラブの春。 民主化運動はアラブ圏に位置するシリアにも波及しました。 シリアはアサド大統領の独裁政権下に統治されています。 アサド政権は彼の父が1971年に国を治めてから、親子で40年近く独裁政権を続けていました。 シリア国民は社会経済の不満をアサド独裁政権にぶつけます。 その運動を担うのは、 政権から虐げられていた多数のスンニ派庶民です。 スンニ派の抗議運動が徐々にシリア国内全土に広がります。 結果「シーア派主体のアサド政権 vs スンニ派主体の反政府軍」によるシリア内戦が勃発します。 イスラム過激派の内戦激化 「 シーア派主体のアサド政権」vs「 スンニ派主体の反政府軍」により始まったシリア内戦。 当初は民主化求めるデモ運動でした。 しかし、 反政府側が近隣国から支援を受けて徐々に武装蜂起をします。 ついには「 自由シリア軍」という武装集団を結成。 自由シリア軍は欧米から潤沢な武器提供を受けます。 次第に、自由シリア軍はアサド政権との闘いを激しく展開。 自由シリア軍は数々の武功を挙げて、シリア民主化の機運は高まります。 ヌスラ戦線の結成 自由シリア軍は着実にシリア国内で勢力を拡大させます。 成長過程の自由シリア軍内では、武闘派の急先鋒になっていた人たちが独立します。 「俺たちの力でもっと過激に政権を崩壊させようぜ!」という主張です。 自由シリア軍から独立を果たした人たちで結成されたのが「ヌスラ戦線」という過激派組織です。 過激派組織の台頭 ヌスラ戦線は反アサド政権側です。 「政権を倒し、新国家の建国」を目標としたスンニ派のイスラム過激派組織です。 ヌスラ戦線の立ち位置 反政府軍側 イスラム主導の立場、親米集団ではない 自由シリア軍とヌスラ戦線が台頭したことで、アサド政権は壊滅的な被害を受けます。 アサド政権の反撃 反政権側にやられ放題のアサド政権を見て、ロシア・イランの後ろ盾が黙ってはいません。 さらにはシーア派の過激派組織「 ヒズボラ」も参戦します。 各陣営に過激派組織が台頭したことにより、シリアの戦況は激化します。 過激派組織の台頭がシリア国内を混乱に落とし込みます。 民主化の波で始まったデモ運動が、諸外国やイスラム過激派を巻き込み ます。 そして、大規模な内戦へと展開していきます。 第3の勢力、イスラム国 イスラム国 イスラム国の脅威 「 シーア派主体のアサド政権」vs「 スンニ派主体の反政府軍」 両者の戦いが激しくなる中、新たな過激派組織がシリアに登場します。 その組織が「イスラム国」です。 イスラム国は元々、イラクを拠点に活動していたスンニ派のイスラム過激派組織です。 イスラム国はテロ活動を中心に、世界的に猛威を奮う過激派組織です。 自ら国家樹立を宣言したりと、やりたい放題の組織。 イスラム国は内戦で混迷を極めるシリアに参戦し、支配地を広げようとします。 三つ巴の泥沼戦争 内戦当初はイスラム国と反政府側の利害は一致します。 しかし、イスラム国の横暴を見て、すぐに反政府側とイスラム国は距離を置きます。 反政府側とアサド政権が激戦を繰り広げる中、イスラム国は急速に勢力を拡大。 巧みに資金と武器を調達し、外国からも募兵をします。 当時、イスラム国は残虐非道な行為や外国でのテロ活動を進めました。 世界から批判を受けます。 その後、反政府側とイスラム国の間でも戦闘状態に突入。 アサド政権、 反政府軍、 イスラム国という三つ巴の泥沼戦争が始まります。 三つ巴の戦いの結果、シリア国内は火の海、瓦礫の山です。 内戦は留まることを知らず、大量の難民を出しました。 クルド人勢力の台頭 イスラム国崩壊後 イスラム国は欧米諸国、ロシアを敵に回し、集中砲火を受けます。 アサド政権と反アサド政権は一先ず、イスラム国叩きで一致します。 各方面を敵に回したイスラム国は崩壊の一途をたどります。 イスラム国の建国を謳ったイスラム国。 彼らがシリアにもたらしたのは凄惨な傷跡だけでした。 クルド人勢力 イスラム国壊滅に追い込んだのはロシアとアメリカです。 特にロシアが旗振り役となり、イスラム国を殲滅しました。 イスラム国との戦闘ではクルド人勢力も奮戦しました。 米露が互いににらみ合う局面ではクルド人勢力が主にイスラム国の掃討にあたります。 クルド人勢力はシリアを故郷としている人も多いです。 そのため、故郷を汚すイスラム国への士気は高く大きな武功を上げます。 クルドの国建国へ クルド人がイスラム国と戦うのは「クルドの国を創りたい」思惑がありました。 トルコ、シリア、イラクにまたがるクルド人。 彼らの念願は自分たちの国をもつことです。 イスラム国が台頭し、シリアが混沌としたことでクルド人は建国の機会を得ます。 シリアの政権対立を横目に新たに自治区を築き上げました。 ロジャヴァと呼ばれる新たな自治区はシリアで一定の力を持ちます。 クルド人の建国に対してトルコは猛反発。 クルドとトルコは敵対し合い、シリアにて火花を散らしています。 トルコによるクルド侵攻 2019年10月にシリア情勢が変化を遂げます。 トルコ軍はこれまでクルドと戦う反政府軍を支援するに留まっていました。 今回のトルコ軍の作戦展開は支援から侵攻に変わります。 トルコ軍はシリア北西部からクルド人勢力下へ侵攻始めます。 トルコのクルド人への怒りは相当でクルドの一般人を処刑するなど強硬的。 アメリカの抑止 クルド勢力がシリアにおける対アサドへの布石とするアメリカ。 アメリカはトルコ軍の侵攻に強い反発を見せます。 経済制裁をちらつかせトルコに自重を促します。 トルコはアメリカの抑止を振り切りクルドへ侵攻。 国際世論からの非難は避けられないでしょう。 シリア内戦のその他問題 アサド政権の化学兵器使用 イスラム国崩壊後のシリアでは、引き続きロシアはアサド政権を支持します。 アメリカは反政府軍を支持します。 イスラム国の崩壊によって、米露の対立構図が表向きなものへと近づきます。 シリア内戦の懸念は、 イスラム国から米露の対立へとシフトしていきます。 2017年4月4日、アサド政権はシリア北西部の街に爆撃。 爆撃の際、サリンなどの化学兵器を使用しました。 アサド政権の爆撃による被害者の大半は女性や子供。 化学兵器による被害者の映像が衝撃を与えます。 アサド政権の化学兵器使用を受けて、アメリカ軍は動きます。 アメリカはシリアの空軍基地に空爆をしかけます。 アサド政権のバックにはロシアがついています。 ロシアの影響により、アメリカ軍のアサド政権への攻撃は限定的でした。 アメリカ軍のシリア駐留 トランプ大統領は就任当初から、在シリア米軍の撤退を示唆。 トランプ氏はシリアでの勢力争いには消極的です。 トランプ氏は代理戦争に介入するより、自国の経済発展に注力したいのです。 しかし、 米軍が撤退すれば、ロシアによるシリアの実質的支配が遂行されます。 イスラム国から取り返した、反政府軍側の領土をロシアに明け渡すことになります。 アメリカの国家安全保障チームは、トランプ大統領を全力で説得。 利権を手放そうとする大統領を説得して、米軍のシリア駐留を決断させます。 大義を得る イスラム国崩壊によって、米軍がシリアに駐留するための大義はありません。 頭を悩ませるアメリカ軍の前にある報せが飛び込みます。 それが「 アサド政権の化学兵器使用という情報」です。 「国際的に禁止されている化学兵器を使用した国民に被害を与えた」という大義名分でアメリカは再びシリアへ介入します。 米軍撤退 2018年の暮れにかけて、米軍のシリア撤退が表明されました。 トランプ氏は「ISの掃討が完了した」と米軍の撤退を表明。 トランプ氏はロジャヴァを叩きたいトルコ政府に配慮した形。 トルコはクルド人への攻撃を全面化したい思惑があります。 そのためには米軍の存在が邪魔でした。 米軍撤退により、アメリカのシリアへの直接介入は一旦止まりました。 ただ、水面下での反政権勢力への支援は変わりません。 アメリカの代理勢力はシリアに存在して、戦闘を続行します。 今後のシリア 米露ともに、シリアにおいて、世界大戦を始める気はありません。 とはいえ、双方、シリアを手放す気もありません。 クルド人勢力が台頭して、更にシリア内部は混乱しています。 アメリカは「化学兵器使用」という大義を盾に、今後もシリアへ介入する可能性はあります。 ロシアも引き続きアサド政権を陰で操る姿勢は変わらないでしょう。 (近頃ロシアは全面露出していますが) つまり、シリアでは今後も米露によるギリギリのチキンレースが展開されます。 そして、その犠牲を被るのはシリア国民でしょう。 背景にあるのは、統治主義的な東側と民主主義的な西側という、世界大戦後の変わらない悪しき世界構造が続くのでした。 まとめ シリアという国を舞台に、各国と宗教の思惑が凝縮されています。 中東情勢を思い通りにしたいアメリカ、それを阻むロシア。 自らの宗派を広げたい、サウジアラビアとイラン。 未だに民族闘争が続くトルコとクルド。 これだけのしがらみがあれば、簡単に内戦が終わらないことが理解できます。 「どの勢力が正義で、どの勢力が悪者なのか」という一義的な話ではありません。 アラブの春が国際的な渦をなして、未だに多くの犠牲を生んでいます。 「独裁政権のままの社会」と「民主的に移り変わる社会」のどちらが、正義であるかの結論は出ません。 ただ、民主化を起こすのに必要な犠牲として、シリア内戦が語られてはいけいないには事実。 日本も対岸の火事ではない シリア内戦は馴染みのない国の出来事です。 日本人が日常生活からシリア内戦を意識する場面はありません。 ですが、日本も対岸の火事ではないことを最後に述べます。 朝鮮半島を仮想シリアだと、中国やロシアは北朝鮮を支持します。 アメリカや日本は韓国を支持する流れになるでしょう。 北朝鮮の核兵器実験は、アサド政権の化学兵器攻撃に重複します。 かつては、中東でも平和的でバックパッカーの聖地ともされたシリアです。 その美しい街並みがあっという間に瓦礫の山となりました。 朝鮮半島において、対立が激化すれば、日本も戦乱の渦に巻き込まれるのは必至です。 「個人レベルでああしろ、こうしろ」というのは難しいですが、安全保障の重大事項としてシリア内戦の行く末には注視する必要があります。 結論 戦後の変わらぬ構図です。 日本で暮らしている社会通念では、シリア内戦の内情は見えまえんね。 一先ず、イスラム国が衰退したのは好材料です。 ですが、軍事衝突は未だに収まる気配はありません。 イスラム圏への理解が必要です。 個人的には、アメリカはシリアを取れないとみます。

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