映画キングダムは「史記」がベース? 小さい頃から大河ドラマなどが好きだった 原作者の原泰久さんは、一貫して歴史物の漫画を書いてきました。 そのわずかな事実はなるべく捻じ曲げず、行間を自分なりに自由に考えたんだとか。 親友の漂(ひょう)とともに「天下の大将軍になる」ことを夢見る。 「夢があるから、 強くなれるんだろうが!」 — 映画『キングダム』公式アカウント kingdomthemovie 史実とキングダムとの比較 現時点で原作の漫画は 53巻まで発売されています!! 今回の映画はそのうちの5巻までのお話。 主人公である「信」本人と思われる人物は存在していませんが、戦国~秦の時代に秦の武将だった 「李信(りしん)」がモデルです。 秦国で大きな活躍をし、子孫も残っていきました。 唐の時代の詩人・ 李白や唐を建国した 李淵も子孫です! この二人が 漫画のように仲良くなることは、 現実的にはあり得ません。 原さんご本人が「 漫画をおもしろくするための脚色」と語っているように、いろいろなエピソードをからめてストーリー化したようです。 実は 嬴政と丹は幼馴染で親友でした・・・ 結果的に、始皇帝は親友を殺害したとはいえ、李信に対して信頼感を持つことになったようです。 法で民を厳しく取り締まり、無茶な土木工事もすすめ、反感をかっていたようで、何度か暗殺未遂が起こっています。 後に始皇帝となる嬴政の気品ある姿をお楽しみに👑 吉沢さん誕生日おめでとうございます! — 映画『キングダム』公式アカウント kingdomthemovie 反乱を起こした異母兄弟の 「成蟜(せいきょう)」から、玉座を奪還すると言う映画のストーリー! 実はこちらも、 史実にはないオリジナルなんです!! 『キングダム』公式ガイドブックで「信と政の絆を書く上で必要なストーリー」と説明しています。 実際、「天下の大将軍になる!!」と言う大きな夢を抱いた身分の低い信が、剣の腕を磨き、武功を重ね、後に出世していく様子が、この短いプロローグの中でも十分に伝わってきます。 嫪毒を鎮圧した功績により左丞相となりました。 ・ 壁(満島真之介さん) 実在する人物ですが、詳しくはわかりません。 ・ 王騎(大沢たかおさん) 実在する秦の武将ですが記録が少なく、王齕と同一人物ではないかとも言われています。 ・ 騰(要潤さん) 秦時代の将軍「内史騰」がモデル。 最前線に配置されるなどかなり優秀な武将だったようです。 王騎の副官という設定はオリジナル。 【】 映画『』のクランクインは、 2018年4月8日🎥 日本では実現しえない本物の画を求め、 中国での大規模撮影を敢行。 ・ 肆氏(加藤雅也さん) 竭氏同様、嫪毒の乱の時に処刑されています。 ・ 楊端和(長澤まさみさん) 史実では秦の武将。 山の民の王や女性という設定はオリジナル。 【】 楊端和(ようたんわ) / 山の民を武力で束ねる山界の死王。 その存在は謎に包まれている。 「王宮は 血の海になるやもしれぬが 構わぬか」 — 映画『キングダム』公式アカウント kingdomthemovie 架空の登場人物 ・ 河了貂(橋本環奈さん) 【】 河了貂(かりょうてん) / 鳥を模した不思議な蓑を被った、山民族の末裔。 「これは俺の戦闘服だ。 」 — 映画『キングダム』公式アカウント kingdomthemovie ・ 魏興(宇梶剛士さん) ・ 佐慈(坂口拓さん).
次の旧三大天 廉頗・藺相如・趙奢の旧三大天を紹介します。 秦の6将である 白起、王騎、王齕、司馬錯、胡傷、摎とも互角にやりあったとされています。 秦が6人の優秀な将軍に対して、趙は三大天の3人じゃ不利なのでは?と思った人もいるかも知れません。 実際に、この時代は白起が魏や楚、韓、趙の領土を奪うなど躍進している時代です。 そのため、趙は秦に対して押され気味でした。 しかし、廉頗、藺相如、趙奢は、秦に敗北したという記録はありません。 秦の六大将軍と三大天は、趙奢と胡傷の間で戦いが行われています。 結果は、趙奢が圧勝でした。 に関しては、なぜ6将に入れたのか不明な部分もありますね。 一応は昌平君の師匠と言う事になっています。 スポンサーリンク 旧三大天と言えば廉頗 趙の旧三大天の筆頭と言えばやっぱり廉頗でしょう。 史記にも数多くの戦功を立てた事を示されていますし、老齢になってからも活躍した武将です。 史記にも廉頗藺相如列伝が存在し、当時から高い評価が得られていた事が分かっています。 燕の大軍を破ったり、斉の城を落とすなどの活躍もしています。 最強国である秦を相手にしても、一歩も引かなかった事実があります。 さらに、長平の戦いでは、趙が不利だと分かると防備に徹して無駄に出撃をしないようにしているわけです。 しかし、どのような戦い方をしたのか?などは、全くと言ってよい程、分かっていない部分でもあります。 李牧でいえば、鶴翼の陣を使い匈奴を打ち破ったのが有名ですし、 趙奢で言えば閼与の戦いの内容が分かっています。 そういう戦い詳細がないのが、残念だと言えるでしょう。 せめて燕の60万の大軍を10万にも満たない兵で破った戦いの詳細は知りたかったなと思いました。 史記を書いた司馬遷に、もう少し廉頗の情報収集をして欲しかったと思った次第です。 尚、中国の言葉に 「起翦頗牧 用軍最精」という言葉があります。 起翦頗牧は、白起、王翦、廉頗、李牧を指します。 用軍最精は、軍を用いるのが最高に精巧で優れていると言う意味です。 これを考えれば、戦国時代を通して廉頗は最高級の武将である事は間違いないでしょう。 関連記事: 藺相如は武将ではなく外交官 趙国三大天と言うと、明らかに戦争が極めて強い人物という印象があるのではないでしょうか? しかし、藺相如の場合で言えば、戦争ではなく外交において力を発揮しています。 キングダムでは藺相如は、「幻の三大天」という扱いになっています。 絶頂期に突然死んでしまったという扱いになっているのです。 しかし、史実の藺相如を見る限りでは、 現役として20年は活躍しています。 ちなみに、藺相如の戦いの記録は、 斉の平邑まで攻め込んで引き上げた記録があるだけです。 これが紀元前270年頃の話しなので、その後10年も活躍しています。 藺相如は文官で外交や内政を担当していた為、秦の昭王とやりあった事くらいしか分かっていません。 しかし、藺相如が宮廷にいれば、おかしな事になる事はありえないので、多くを戦場で過ごした廉頗はやりやすかったでしょう。 どこに行っても、 いない人の悪口を王様に讒言してしまう人はいるものです。 讒言を防止する役割としても、藺相如は重要な立場にいたと思われます。 廉頗は最初、藺相如の事を嫌っていましたが、後に刎頸の交わりを結び、この結束の固さにより、秦は趙に手出しが出来なかったと言われています。 藺相如は智勇兼備の人物だったと伝わっています。 キングダムでは、足りない武の部分を藺家十傑が補佐した事になっていました 藺家十傑の生き残りが、堯雲と 趙峩龍と言う事になっています。 関連記事: 趙奢は名将である 趙奢は、地方税務官でしたが、平原君に認められて国の税務長官になっています。 趙奢のやり方は非常に公平で、国庫が充実したそうです。 その後、秦の胡傷が 閼与を攻めると、廉頗や楽乗は救援は難しいと主張しました。 税務長官の趙奢だけは救援は可能として、将軍に任命されています。 税務長官がいきなり将軍になったわけですから、敗北してもおかしくないはずです。 しかし、趙奢は巧みな戦略を立てて、さらに部下である許歴の進言により、 胡傷率いる秦軍を大破しています。 他にも、楽毅が奪った斉の城を取り返した田単との問答も残っています。 さらに、 息子である趙括の敗北を予想するなどしているわけです。 実際に、趙括は長平の戦いで白起に大敗しています。 尚、趙奢は将軍としては部下を大事にしたりして、よき上司だったようです。 人望もある人だったのでしょう。 司馬遷の書いた史記では、趙奢の事は廉頗藺相如列伝に 閼与の戦いの事も詳しく書かれています。 趙奢は、個人的に好きな人物ですね 三大天の中では、最も影が薄い気もしますが・・・。 関連記事: 新三大天+1 旧三大天が、趙の孝文王や恵文王、秦の昭王など一世代前に活躍した人物でした。 それに対して、新三大天は秦の始皇帝、趙の 悼襄王、幽穆王時代です。 この記事を書いている段階では、三大天が完全に確定していません。 しかし、 司馬尚が登場した事で候補は、ほぼ出そろったとも言えるでしょう。 スポンサーリンク そこで、趙国の新三大天の実績を紹介します。 ちなみに、メンバーには申し訳ないのですが、廉頗・藺相如・趙奢に比べると、見劣りしてしまうようにも思います。 もちろん、キングダムでは李信や王翦達を苦しめてくれる存在として描いてくれるでしょう。 尚、三大天+1という事で司空馬も紹介します。 李牧は悲劇の名将だと思う 李牧はキングダムでは、秦の天下統一戦争に対して、最大の難敵のように描かれています。 キングダムでの李牧は、史実の李牧よりも活躍を盛り過ぎている状態です。 趙の宰相になった記録もありませんし、合従軍を結成して春申君と共に函谷関を攻めた記録もありません。 ただし、鄴攻めにより大打撃を受けた趙を秦が攻めた時に、何度も撃破した事実はあります。 北方の匈奴相手にも大勝していますし、史実においても名将だと言う事は間違いないです。 秦の将軍である 桓騎を史実では撃退しています。 王翦、、羌瘣が趙に攻めてくると、李牧と司馬尚で防ぐ事になりますが、郭開の讒言により命を落としています。 もちろん、李牧がいない趙など王翦の敵ではなく趙は滅亡する事になります。 しかし、元の太子である趙嘉が代に逃れて、代王となりますが、王賁に敗れて滅亡しています。 李牧の死で趙は完全に滅んだとも言えるでしょう。 関連記事: 龐煖は老人だった? 龐煖ですが、キングダムではバーサーカーのような人物として描かれています。 しかし、 史実の龐煖はバーサーカーではなく、むしろ知的な人物です。 ただし、若い頃は楚の山奥で鶡冠子に習ったようですから、そこから話を発展させて龐煖はバーサーカーになったのかも知れません。 趙の武霊王時代( 悼襄王の4つ前の王様)の時に、問答をした逸話が残っています。 この時が何年か分かりませんが、武霊王の最後期である紀元前300年の頃に20歳だとします。 そうなると最後の記録である韓非子に描かれている鄴攻めの時が84歳になってしまうわけです。 これを考えると、キングダムの時代では一騎打ちなどとてもできる様な年齢ではないでしょう。 尚、趙・楚・魏・燕の4カ国の合従軍を率いた事は事実です。 ただし、敗北した後は斉を攻めています。 燕の劇辛を破ったのも史実に記載があります。 ただし、李牧が関わっているわけではなく、攻めて来た劇辛に対して単独で打ち破っています。 燕で暴れ回った龐煖が鄴を攻められて、間に合わなかった話を最後に史実では登場しなくなっているのです。 次の王様である幽穆王には、用いられなかったのかも知れません。 関連記事: 司馬尚は活躍が不明・・・。 司馬尚ですが、キングダムでは青歌太守として登場します。 李牧の言うには、三大天就任を打診されたが、青歌に固執して仮病を使い断ったとされています。 燕のオルドが、秦の鄴攻めに合わせて攻めて来るわけですが、見事に撃退しています。 しかし、これらの戦いで、司馬尚が戦ったと史実にはありません。 ただし、燕の将軍(誰かは不明)と龐煖が戦った記録が韓非子にあります。 史実の司馬尚ですが、分からない事が大半なわけです。 史記に登場するのは、王翦、 楊端和、羌瘣が趙を攻めて来た時に、李牧と共に守備を任されたと言う事です。 しかし、秦が趙の大臣である郭開を買収した事で、李牧は死亡し、司馬尚は庶民にされた記録があります。 戦闘に参加した記録もないわけです。 ある意味、 司馬尚を三大天にしてしまっていいのか?とも思える人物です。 しかし、司馬尚の子孫は三国志で諸葛孔明と五丈原などで戦った司馬懿仲達となります。 司馬懿の孫の司馬炎が西晋王朝の皇帝となり中華を統一した事を考えれば、司馬尚の子孫は天下人になったと言えるでしょう。 関連記事: 趙の滅亡を予言した司空馬 司空馬は、戦国策に出て来る人物ですが、もしかして三大天の一人になるのではないかとも考えています。 ただし、司空馬も戦争を行った事がありません・・。 嫪毐(ろうあい)の乱が勃発した時に、連座して呂不韋も失脚してしまいました。 この時に、呂不韋の配下として司空馬という人物がいたわけです。 司空馬は、趙に亡命すると 秦の情報を色々と幽穆王に教えたとされています。 幽穆王は、司空馬を仮の宰相として重用しました。 趙の滅亡する半年前に、幽穆王と司空馬が問答した内容が戦国策に記載されているわけです。 趙は全てにおいて、秦に及ばない事になり、司空馬は打開するための策を出します。 土地を秦に割いて諸侯と合従の同盟をする案と、司空馬が兵を率いて秦に攻め込む案です。 ただし、司空馬は将軍となった事がないため、幽穆王は却下しました。 自分の案が採用されない事が分かると、司空馬は趙を去り、 武安君(李牧)が死ねば趙は半年持たないと予言します。 実際に、その通りになり邯鄲は落城して趙は滅亡しました。 これを考えると、司空馬が三大天でもいいのかな?とは思いました。 ただし、将軍に任命されていない人を三大天にしてしまうのは、無理があるかなとも個人的には感じています。 しかし、キングダムでは司空馬は登場させて欲しいなと個人的には思いました。 関連記事: 趙国・三大天まとめ 趙国三大天ですが、わざわざ3人に絞らなくてもいいのでは?と思った次第です。 秦の六将の記事でも書いたのですが、優秀な人材が4人いれば4大天でも、四天王でもいいと思うわけです。 わざわざ人数に拘る必要はないと個人的には考えています。 確かに、三大天と言いながら、人数が4人いるとかは間抜けだと思いますがw キングダムでは、趙が最後まで強敵として描くかと思いますが、史実を見ると滅亡前は悲壮感が漂っています。 悲壮感が漂う中、李牧が一人奮戦して、秦軍を何度も破るわけです。 しかし、結局は、郭開により殺されてしまいます。 讒言で殺されてしまった名将は多いわけですが、歴史は繰り返すという奴なのでしょう。 李牧はやっぱり惜しい人物を亡くしたと思いましたね。 関連記事: キングダム:.
次のキングダム最強の敵龐煖 ほうけん ですが、実際龐煖はどんな人物だったのか気になりませんか? キングダムファンなら龐煖が実在していたということは知っているかもしれませんが、今回は龐煖について紹介していきたいと思います。 史実では龐煖は趙の将軍として趙を支えてきた人物の一人ですが、キングダムの龐煖は武神としてとても強いキャラクターになっており、キングダムファンからも嫌われてしまっています。 将軍だったことからも実際にこのような人物ではなかったと思うので、龐煖を史実からどんな人物で、どのような働きをし、どのように死んでいったのかということを調べました。 今回は「キングダム龐煖 ほうけん は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる?」と題しお届けします。 龐煖 ホウケン は史実ではどんな人物だった? 龐煖=封建制の封建です。 六国を統べることで、封建制=地方分権を否定し、帝を頂点とする強力な中央集権を目指したのが秦王・嬴政。 龐煖は封建制の象徴として描かれ、中央集権に立ち向かうキャラ。 当時、中央集権を望んだ国は秦以外に無かったのです。 そういう意味で「人の代表」なんでしょう。 — K kkkkkkkknockout 龐煖は中国戦国時代の趙の将軍で、道家、縦横家、兵家です。 様々な肩書がありますが、順に下で説明していきます。 龐煖は趙将軍で、キングダムの龐煖を見ていると以外かもしれませんが、著作を執筆しており文武共に優れていたようです。 キングダムでは武のみに偏っている感はありますが、実際のところは文学にも精通していたようですね。 龐煖は趙の将軍 趙の第9代君主悼襄王が即位したことで、趙に転機が訪れます。 キングダムでも出てきたように悼襄王はあまりいい王というイメージはありませんね。 この悼襄王の失策により龐煖は趙の将軍となります。 この失策とは趙の三大天廉頗を歳だからという理由で、将軍から退け楽乗を後任としたことです。 このことに起こった廉頗は楽乗を攻め戦を起こしていまします。 その結果廉頗は魏へ亡命、楽乗は逃亡してしまします。 そのため将軍の席が空いてしまったため、龐煖が将軍となりました。 龐煖道は家思想を修める 龐煖は若いころは楚の深い山奥で道家の隠者である鶡冠子を師として、学問を学びました。 道家出身ということでしたが、龐煖は若いころから軍事に興味を持っており、師などの対話が書として残っていますが、師への質問も天と武の関係をよく聞いていたようです。 道家とは道(タオ)というものがあってそれに従って生きることらしいです。 この道(タオ)という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これは自然の理で自然に従って生きるということのようです。 このことは政治や国に関しても同じで、法などで厳しくしたり、力で統治するのではなく、自然にありのままの姿の状態が一番いいとされていました。 道家を修めることで、将軍としての資質も作られていったのではないでしょうか? 龐煖は縦横家であった 龐煖は縦横家でもあったようです。 縦横家とは中国古代の思想家のことで、外交の策士として、各国間を行き来していた人たちです。 これらの人は巧みな物言いと奇抜な発想で説き伏せて高い地位に上ろうとしていたようです。 キングダムでもあった周辺六ヶ国の韓、魏、趙、燕、楚、斉が手を結んだ合従軍も、縦横家が外交政策として考えたようです。 このことから龐煖も弁が立ったと言われています。 また縦横家として「芸文志」に書籍として「龐煖」二篇を執筆しています。 史実での龐煖 ホウケン の実績は? 龐煖(ほうけん)が燕の劇辛(げきしん)を倒した場面。 武神と言って山にこもって村に降りてくる人たちを斬ったことがあると豪語していた劇辛でしたが、龐煖のレベルの違いを戦っている時に知ることに。 戦った時点で負けだった点で、情報収集の大切さを考えさせられます。 武霊王に仕え兵法を説く 上にも述べたように龐煖は武霊王に仕えており、兵法について説いたりしていたようです。 実際に武霊王は他国をそのまま攻めるのではなく、後継者争いに介入したり、軍制改革をするなどして趙を軍事大国と呼ばれるほど強くしました。 真偽はわかりませんが、このことから龐煖が軍略、外交などを指南したのかもしれませんね。 武霊王の代から仕えており、恵文王、孝成王、悼襄王と4代にわたって仕えてきた趙国の功労者のようです。 現在のキングダムの鄴攻めの時点では結構な歳になっていたと考えられます。 燕との戦いで劇辛を倒す こちらはキングダムでも描かれていたものですね。 燕との戦いで燕の将軍劇辛を討ち取っています。 龐煖と劇辛は昔からの知り合いで、龐煖を親しみやすい人と劇辛は思っており、将軍としてもまだまだ無名だったことから、甘く見ていたようです。 そのため廉頗が将軍の座から去り、龐煖が将軍になったことにより、趙にも勝てるだろうと考え攻め入ります。 ですが将軍の龐煖に返り討ちにされ、劇辛は戦死し、燕軍の2万もの兵士が捕虜にされてしまうという結果になりました。 キングダムでも劇辛は龐煖のことを甘く見ており、あっさりと切り伏せられてしまっていたので、この点は史実から参考にしたのでしょう。 史実ではキングダムのように龐煖が劇辛を討ち取ったのかまではわかりませんが、龐煖は兵家でもあり、軍略に長けてこの戦いで発揮されたのではないでしょうか? この劇辛軍を撃破したことにより、将軍としての龐煖の名声は瞬く間に上げっていきました。 合従軍を率いて蕞を攻める 龐煖は趙、楚、魏、燕の4国の精兵を率いて、秦を攻めたとありました。 ですが、キングダムでもあったように陥落させることができなかったです。 そのため兵を移して斉を討ち、饒安を取ったようです。 4か国の精鋭を率いることができるだけ実力、立場が龐煖にはあったようですね。 キングダムのイメージとは全然違うようですが、実際は軍師よりの将軍だったのではないでしょうか? あの王翦も龐煖との直接の戦いを避けていたというくらい、戦がうまかったようですね。 史実での龐煖 ホウケン の最後はどうなった? キングダムで龐煖出てくるたびに絶望感凄いある。 李牧はなんだかんだで最後龐煖使って。 龐煖無しだとすごくないんじゃないかって。 キングダム。 悼襄王に仕えていましたが、悼襄王が死んでその後子供の幽繆王が即位しますが、その時は徴用されなかったようです。 上にも記載しましたが、もうすでにこのころには武霊王の在位時から考えると60歳以上となっていると考えられますので、引退したのでしょう。 その後も記述がないので、そのまま余生を過ごしたのだと思われます。 キングダムでも鄴攻めの際は死なずにそのまま答えを見つけ消えていくのかもしれませんね。 その理由はなぜなのでしょうか? 王騎や 麃公、胡漸、去亥と次々に殺していくからだと思われます。 龐煖が登場すると、人が簡単にどんどん死んでいってしまいますもんね。 ただ物語を面白くする上では重要な人物なのは間違いないですね。 やはり強大な敵があってこそ物語は面白くなりますし、信たちを応援したくなる気持ちも高まりますもんね。 キングダムの龐煖はまさに傍若無人ですが、実際の龐煖は文武両道で戦もうまかった将軍だということを覚えておいて下さいね。 実際そんな悪者でもなかったのにちょっとかわいそうな気がします。 龐煖 ホウケン キングダムと史実まとめ 実際はキングダムの龐煖とは全く別人のような人だったのかもしれませんね。 史実では趙の将軍として龐煖は、優秀な武将だったのでしょう。 キングダムのイメージが強いので、驚いた方も多いのではないでしょうか? あの王翦も戦うのを避けたくらいですので、相当な知略を持った武将だったことがわかりますね。 実際に王翦は中華統一に大きく力を貸した人物ですので、すごいですよね。 今後龐煖を見る目が変わるかもしれませんね。 以上、「キングダム龐煖 ほうけん は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる?」と題しお届けしました。 、についてもご確認ください。
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