重松 清。 【重松清】「生きる」ことを考えさせられる小説「永遠を旅する者 」|Bear Town

10代に読んで欲しい!重松清のおすすめ本7冊

重松 清

読者心理を誘導するテクニックが半端ないエンタメ作家 直木賞受賞作家、かつ多作の売れっ子ということで、エンタメ小説の名手です。 薄っぺらい、と批判を受けることも多々ありますが、内容の濃さや重さは純文学作家に譲りましょう。 人間とは、死とは、変態とは、、、わけのわらないことを考えたいのなら、純文学を読みましょう、太宰を読み、ドストエフスキーを読めば良いのです。 まぁドストはエンタメとも言えるか。。。 ともかく、重松清の主戦場はそこではありません。 彼の持ち味は読者の感情を揺さぶるテクニックです。 『あーこんな人いるいる』、『こんな風に感じたことあるある』。 ちょっとでも共感しちゃったが最後、 感情移入してしまい、一気に揺さぶられます。 そこから先は天国も地獄も、重松清次第なのです。 出版社に勤務した後、田村章など多数のペンネームを持つフリーライターとして独立し、ドラマ・映画のノベライズや雑誌記者、ゴーストライターなど、多くを手がけた。 ほかに岡田幸四郎など。 『ファイナルファンタジーシリーズ』で、有名な坂口博信が手がけるXbox 360用のゲームソフト『ロストオデッセイ』において、サブシナリオを担当。 2007年度の第74回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲(めぐりあい)の作詞を担当した。 作曲は高嶋みどり。 山本周五郎賞、講談社ノンフィクション賞選考委員。 ランキング• 独自ランキング• 小説のみ対象とする• 随時作品追加予定 それではランキングどうぞ! 20位 せんせい。 授業そっちのけで夢を追いかけた先生。 一人の生徒を好きになれなかった先生。 厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。 そして、そんな彼らに反発した生徒たち。 けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。 ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。 『気をつけ、礼。 』改題。 重松清名作選、みたいな感じで先生の話がたくさん出てきます。 暇つぶしにはなるけど、そこまで心には訴えてこないんだよなぁ。 基本的に。 テクニックだけで書いてる典型的な作家。 ただ、 上手いしおもしろいし、エンタメとしてよくできてる。 作家志望の方は学ぶところ多いはずですよ。 いつも爪を噛み、顔はにきびだらけで、わかったふりをするおとなが許せなかった。 どうしてそれを忘れていたのだろう。 お父さんがやるべきこと、やってはならないことの答えは、こんなに身近にあったのに……心を閉ざした息子に語りかける表題作ほか、「家族」と「父親」を問う全六篇。 重松清の作品を読んだことがある方ならどんな感じか、大体イメージはつきますよね?そのイメージ通りの作品集です。 意外性はない笑 いつもと同じように、 普段はしまっておきたい心の一部分を揺さぶりにかかって、それを難なく成功させてしまっています。 スキルフル。 微妙な時期の小学五年生の少年たちの涙と微笑みを、移りゆく美しい四季を背景に描く、十七篇のショートストーリー。 一篇が原稿用紙15枚程度と短いながらも、人物描写や情景の描かれ方の完成度が高いと評判を呼んだ。 中学入試の問題や大手塾の模試にこの短篇から出題されることでも注目度の高い作品で、小中学生はもちろん、「かつて小学五年生だった大人」にはとくにおすすめしたい。 小学生を題材にした作品が連続していますが、そういう作家です。 ノスタルジックに訴えかけたい 芸人 作家ってやつですね。 ショートショートなので、一作ずつが一瞬で読めます。 10分とか。 わかりやすくおもしろいので、 読書嫌いな人には良いかもしれませんね。 足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。 学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない……。 優等生にひねた奴。 弱虫に八方美人。 それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。 時間消費が細切れになってきていると言われて久しい昨今です。 1分あればスマホで暇つぶしできるコンテンツが大量にあるので、 本が日々の生活に入り込む時間は少なくなる一方。 そういう意味では、長編よりも短編の方が、スマホに勝てる可能性はまだあるかなとは思いますが、 短編は短編で、語ることが限られるというジレンマが。 そのジレンマに対する一つの解が、連作長編かもしれません。 そして連作長編を成り立たせるためにはテクニックが不可欠、となれば重松清先生の出番ですね。 まぁ成功か失敗かで言うと成功してるのではないでしょうか。 スマホコンテンツに 規模で 勝てるとは思わないけど。 15位 ロング・ロング・アゴー 小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを開封するために、26年ぶりに母校で再会した同級生たち。 人生の黄昏に生きる彼らの幸せへの問いかけとは。 人生の限界がとうに見えていて、なぁなぁで仕方なく仕事をしたり、家族の問題に直面したりと、惰性で生きている、という感覚になったことはありませんか? この小説はその感覚をかなり的確に描いています。 結果、ノスタルジックでセンチメンタルになるだけっちゃあなるだけなんですけど、 一人じゃないんだ、という気持ちにはなれます。 12位 疾走 広大な干拓地と水平線が広がる町に暮す中学生のシュウジは、寡黙な父と気弱な母、地元有数の進学校に通う兄の四人家族だった。 教会に顔を出しながら陸上に励むシュウジ。 が、町に一大リゾートの開発計画が持ち上がり、優秀だったはずの兄が犯したある犯罪をきっかけに、シュウジ一家はたちまち苦難の道へと追い込まれる…。 十五歳の少年が背負った苛烈な運命を描いて、各紙誌で絶賛された、奇跡の衝撃作。 えっ、これが重松清?という感じの異色の作品です。 ほっこり温かいだとか、懐かしくて泣ける、だとか、全くありません。 ただ絶望から絶望へと転がっていくのが恐ろしい物語です。 ゆるーく泣きたいというような方は絶対読まないでください! 一方、性・暴力・ホラーなど、過激なエンタメが好きな方は絶対ハマれます。 ある町の春夏秋冬、日常の些細な出来事を12の短編小説でラッピング。 忘れかけていた感情が鮮やかに蘇る。 夜空のもとで父と息子は顔を見合わせて微笑み、桜の花の下、若い男女はそっと腕を組み……。 昨日と同じ今日なのに、何故だか少し違って見える。 そんな気になる、小さな小さなおとぎ話。 家族のお話が詰まった短編集。 ほとんどの人の人生って、華々しさのかけらもない人生じゃないですか。 プロ野球選手にはもちろん、甲子園になんて出れないし、レギュラーだって取れない。 そんな人が大半なんですよね。 9位 青い鳥 「悪いんだけど、死んでくれない? 」ある日突然、クラスメイト全員が敵になる。 僕たちの世界は、かくも脆いものなのか! ミキはワニがいるはずの池を、ぼんやりと眺めた。 ダイスケは辛さのあまり、教室で吐いた。 子供を守れない不甲斐なさに、父はナイフをぎゅっと握りしめた。 失われた小さな幸福はきっと取り戻せる。 その闘いは、決して甘くはないけれど。 いじめの描写が苦しいものであれば苦しいものであるほど、読者の心を揺さぶる、それをわかってやってます。 読書が気持ちいいだけのもの、重松清が良き心だけを描くべき、と思っている読者は読まないでください。 乗り越えられずに痛い目を見ます。 目を背けずに読み進めると何か言葉にできないあたたかいものがある、かもしれません。 6位 卒業 「わたしの父親ってどんなひとだったんですか」ある日突然、十四年前に自ら命を絶った親友の娘が僕を訪ねてきた。 中学生の彼女もまた、生と死を巡る深刻な悩みを抱えていた。 悲しみを乗り越え、新たな旅立ちを迎えるために、それぞれの「卒業」を経験する家族を描いた四編。 著者の新たなる原点。 まとめるのがすごく上手いなと唸らされる作品ばかりです。 文学的な美しさみたいなものは一切ないけれど、 プロットの立て方やキャラのデフォルメ、創作の手本とばかりに参考になるところばかりです。 重松清クラスになるとこれくらいの物語だったらさらっと書けちゃうんだろうな。。。 5位 流星ワゴン 38歳、秋。 僕らは、友達になれるだろうか? 死んじゃってもいいかなあ、もう……。 38歳・秋。 その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。 時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。 「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。 ドラマ化もされた大ヒット作品。 香川照之の評価高かったですねぇ。 売れる要素が詰まりまくっています。 タイムスリップもの• 奥さんの秘め事• 家族の崩壊からのある種の救い 売れるべくして売れるって感じですね。 深みはありませんが、 エンタメとして抜群に肝を抑えています。 さすが売れっ子作家。 4位 十字架 いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。 あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。 でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。 あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。 そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。 吉川英治文学賞受賞作。 『いじめ』をテーマにした作品で私が大好きなのは、 川上未映子の『ヘヴン』です。 こんな聡明な子どもいねーとか思いつつも、川上未映子が芯から削り出したような醜い塊が見えてゾクゾクしました。 重松清はそういう話の作り方をしておらず、どこまでもテクニカルに、表面を形作っていきます。 技巧的に怒りや悲しみを生み出します。 人工的に悲しみや怒りを作り出して、『物語化』してしまうのです。 そのテクニックがものすごい。 エンタメとして楽しむなら、断然重松清をオススメします。 3位 ビタミンF 昭和三十七年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。 愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族三人の幸せを噛みしめる日々。 アキラへの愛あまって、時に暴走し時に途方に暮れるヤスさん。 我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。 魂ふるえる、父と息子の物語。 これまたおっさんが活躍する小説ですが、ちょっと変わったおっさんが出てきます。 家族モノ描かせたらホント上手いです。 泣かせる技術がすごいなと。 私は重松清では一切泣きませんが。 人の感情を揺さぶるのに必要なテクニックがたくさん詰まっています。 1位 エイジ ぼくの名前はエイジ。 東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。 その日から、何かがわからなくなった。 ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか? ……家族や友だち、好きになった女子への思いに揺れながら成長する少年のリアルな日常。 山本周五郎賞受賞作。 青春小説って良いですよね。 私は青春小説なら、どんなものでも読めちゃう派です。 もう戻ってこない瞬間、その瞬間が貴重だっていうことにわからずにただ走っていく青臭い馬鹿者たちの熱、極端に走りがちな思考の流れ。。。 振り返るからこそ良いものなのかもしれませんが、 大人になる前の、未熟であるが故の葛藤がたまんないんですよね。 万人にオススメ! おわりに 重松清のおすすめ小説20作を一気に紹介しました。 人の心を誘導するテクニックが半端ない作家で、小説家志望は学ぶところがたくさんある作家だと思います。 文学的な匂いは全く無い。 軽いし人生観が変わるなんてことは、少なくとも私は全くないけれど、さくさく読めて時には明るく、時には感傷的になれちゃう。

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重松清「ひこばえ」 「いない」がゆえ 芽吹くつながり 朝日新聞書評から|好書好日

重松 清

重松清は1963年、岡山県生まれの小説家です。 大学卒業後出版社勤務を経て、執筆活動に専念するように。 1991年『ビフォア・ラン』でデビューしました。 1999年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ 』で山本周五郎賞を受賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞と、作品の数多くが文学賞を受賞している、代表的な作家の一人です。 重松清は、現代の家族を描くことを大きなテーマとしていて、ほろ苦く切ない、でもあたたかみのある家族の物語を数多く発表しています。 自分や、家族の問題を多くの人たちは抱えながら生きています。 これらの問題は、明確な答えが出てこないものです。 「子どもの成長は、〇〇のようにやれば、うまくいく。 」というように、一概には表すことはできません。 様々な家族の形があり、環境によってもその答えは変化してきます。 そのような、答えを出すことの難しい家族の問題に対して、重松清は小説を通して上手く表現しています。 ただ具体化すれば表現できるというのではありません。 効果をあげようと誇張することなく、現実の家庭そのままの等身大の現実を物語の中で再現していくので、読者である私たちも、その場に居るような臨場感があり、すぐ近くで主人公と一緒に考えることができるようになっているのです。 重松清の作品が、多くの読者の共感を呼び、感動させ、涙を流させる所以は、ここにもあるのだと思います。 重松の小説の表現では、人間描写に惹かれます。 完璧でないが故の登場人物のその人らしさが、浮かび上がってきます。 このような、読む者が感じるリアルな人物描写に引き込まれるのです。 登場人物に投げかけられる重松清の眼差しのような温もりのある文章で、人のちょっとした動作、繊細な心の吐露を表す言葉が、読者に迫ってくるのです。 物語の場面が映像として頭に浮かび、温かい気持ちになっていきます。 子どもの頃、よく夢みたものです。 「大人になったら……」と。 このように、子どもの頃ほとんどの人が先々の自分に期待を弾ませていたことでしょう。 しかし、大人になると「現実は違うさ」と、無理矢理納得して生きています。 すでに40歳。 夢を見ることのできる年代ではなく、かといって、人生を総括するような年代でもありません。 そんな主人公たちは、どのように自分の未来を描き信じて生きていくのでしょうか。 現実を知った以上、甘い夢は持てません。 でも、希望は捨てたくない。 そんなほろ苦い気持ちになる小説です。 重松清の心情表現は巧みです。 主人公達の何気ない動作や、友達の僅かな表情の変化。 周りの風景に、主人公達の心情を盛り込んで書いていく情景描写は素晴らしいです。 そして、繊細な心の吐露を表す言葉に切なくなります。 14位:重松清が描く「いじめ」 表題作「ナイフ」では、父も自身がびくびくしていた中学生の頃を思い出します。 しかしある時、露店で酔って折りたたみ式サバイバルナイフを購入したのです。 ナイフを持ち歩くことで、いつでも人を殺せるという自信が芽生えます。 父は息子のいじめに向かい合い、正直な気持ちを親子で交わすことができたのです。 父は息子にそのナイフを託そうとしました。 しかし、息子は断ったのです。 父はそこに、この状況を乗り越えようという息子の決意があることを知ります。 このお話もその後どのような展開になったかはわかりません。 でも、きっと父も子も顔をあげて、胸を張って生きていくんだろう、と想像ができるのです。 表題作「ナイフ」や、本書に収録されているその他の短編を読むと、どの作品にも共通して言えることがあります。 世の中にはいろいろな形のいじめがあるが、いじめられた子どもたち、あるいは大人を支えるのも、結局は家族なんだということです。 本書は家族がお互いを認め合い、支え合うあう物語なのです。 そんな重松清の、人生に対する静かな応援歌をぜひ読んでみてください。 13位:直木賞受賞作!家族を元気にするもの この小説を読んでいる読者に迫るリアル感。 これは、どこから来るのでしょうか。 主人公の抱える問題と、読者が抱えている問題が、ほぼ同じという共有感。 これが大きな要素だと思いますが、さらに、重松清の表現方法の効果にあると言えます。 現実感を醸し出すためとは思いますが、目に浮かぶようなリアル感があるのです。 ここまでリアルに表現されると、小説に出てくる家庭と同じような状況にいる読者は、読み進めるのが辛くなるかもしれないほどです。 それぞれの家庭の問題。 問題の核心は、主人公にも起因しているのです。 そのことに主人公は気づいていきます。 自分が家族のことを理解していなかったと気づいた時、現実の厳しさを突きつけられ、落胆します。 でも次第に、日常生活の中に小さな幸せが存在していることに気づいていくのです。 このように、この小説には、そのヒントがちりばめられているのです。 暇を持て余している山崎さんは毎日日課の朝の散歩に出かけます。 朝の散歩には似たような境遇の仲間といつも出会うんですね。 特に待ち合わせしているわけではありませんが、いつも一緒になります。 同じ時期に家を購入した似たようなサラリーマン家庭がいるわけですね。 こんな、何の変哲もない定年後のニュータウン生活であっても、やっぱり人生には多事あります。 嫁姑問題や、夫婦の離婚、居場所のない父親などです。 ニュータウンで生まれるその話題にもその人の人生やドラマがあります。 他人にとっては噂話でも本人たちにとっては人生そのものです。 そして、ニュータウンを離れる人がいたり、新たなメンバーが加わったりして、ニュータウンもまた変わっていきます。 重松清は多くの家族の物語が詰まったニュータウンや、ニュータウンに住まう定年を迎えた元サラリーマン家族達の日常を描くことで、実は定年後の人生を応援しているのではないでしょうか。 定年を迎えたら終わりではない。 そこからまた始まるのです。 そんな人々が住まうニュータウンそのものもまた新たにかわっていくのだと思います。 新たな変化を応援する『定年ゴジラ』は、定年だけではない、様々な人々の人生の区切りが、新たな始まりなんだ、といった前向きな気持ちにしてくれる人生応援物語です。 10位:重松清が描く14歳 子どもでも大人でもない14歳・中学2年生の気持ちをエイジ、ツカちゃん、タモツの3人の中学生を中心に展開するストーリーです。 東京郊外の桜ヶ丘ニュータウンで生活するエイジは中学2年生でまもなく14歳になります。 両親と高校生の姉とともに毎日「普通」に過ごしているんですね。 そんななかニュータウンで通り魔事件が連続発生します。 ツカちゃんはエイジの同級生でちょっと不良っぽく、いつもふざけているのですが、通り魔事件の卑劣さには強い憤りを感じています。 タモツは中学入試のときインフルエンザを発症し、希望校に受からなかった「悲運の秀才」です。 いつもクールに過ごしていて、通り魔事件は女性しか狙われないから自分には関係ないと思っています。 妊娠中の女性が通り魔に襲われて流産するという痛ましい事件を最後に、連続通り魔事件は収束したかと思われました。 そんなとき、とうとう犯人が見つかり、しかもその犯人はエイジ達の同級生だったのです。 その同級生はいわゆるクラスの「マイナー組」のおとなしい子であると判明します。 彼がどんな気持ちで犯行を重ねたのか、エイジは心の中でその気持ちを辿ろうとするのです。 14歳の中学生は子どもの終わりでもあるし、大人の始まりでもあります。 それは、子どもでも大人でもないとも言えるわけです。 子どもの時のようにはしゃぐこともできず、大人として割り切ることもできません。 そのもんもんとした複雑な気持ちが「キレる」という行為に結びつく年頃なのです。 そんな複雑な気持ちを抱えた少年少女の気持ちを、重松清は『エイジ』で様々に表現しています。 膝の痛みで「休部」することになった部活動やそのメンバーに対する気持ち。 ある娘が好きなのに素直に表現できない気持ち。 「シカト」されている友達に真正面から向き合うことはできないもどかしさ。 様々な場面設定とその少年少女達の心情表現が、重松清のこの年頃に対する理解の深さを表しているわけです。 世間では、中学生の事件が起こるたびに「近頃の中学生は」といったワイドショー的な取り扱いに留まっていると『エイジ』では表現されています。 「中学生」時代をきちんと取り扱うには個々の家庭環境やちょっとした気持ちの変化に寄り添うことが必要なんですね。 そういった気持ちの寄り添いが、重松清の『エイジ』では丁寧に描かれており、ある意味「中学生らしい」若々しい気持ちが描かれていると思います。 9位:重松清による小学校時代の忘れられない友情と初恋の物語 物書きであるわたしが、小学4年生のときのマコトとの思い出を『くちぶえ番長』として書くことで、4年生を終えるときに再び転校してしまったマコトの消息を探しだそうとする物語です。 忘れられない友情と淡い恋心を感じた少年時代として、マコトを中心とした小学4年生の思い出を爽やかに描いています。 ツヨシが小学4年生のとき、クラスに転校生がやってきます。 マコトという女の子でした。 マコトはツヨシのお父さんの小学校時代の親友の娘だったのです。 しかし、お父さんの親友だったマコトのお父さんは病気で亡くなっていました。 マコトは一輪車をはじめ、スポーツが得意な女の子で、熊野神社の下から8つ目の枝までだって上ることができます。 転校してきたときの挨拶がまたかっこいいのです。 「私の夢は、この学校の番長になることです」と宣言します。 番長を目指しているだけあって、マコトは誰にでも優しくて、いじめっ子には誰よりも強い女の子でした。 それはお父さんとの「泣きたいときにはくちぶえを吹け」という約束があったからかもしれません。 くちぶえを吹けば涙が収まるのです。 課長代理である渡辺の会社に、突然、「亜弥」が訪ねてきます。 亜弥は「学生時代」の親友だった伊藤の娘さんだったのです。 でも、亜弥が母親のお腹の中にいるときに伊藤は自らの命を絶っていました。 母親はお腹の中の娘と自分を遺して逝ってしまった伊藤のことを娘に語っていませんでした。 亜弥はもっと話が聞きたいと思い訪ねてきたわけです。 渡辺は思い出を振り返りますが、社会へ出てからそれぞれの世界へ進み、付き合いも疎遠になっていった伊藤との思い出は、ネタがつきています。 一方、亜弥の現在のパパは亜弥との思い出を辛抱強く語りかけていくのです。 「死」そのものや、逝ってしまった人の思い出よりも、生きている人の想いのほうが大きいんだということを渡辺や亜弥のパパ、ママが亜弥に伝えていくのです。 自分の親や親しかった者の死をどのようにとらえたらよいかわからない。 けれども元気だったころにはわからなかった、あるいは知らなかったことに出会えた時、亡くなった人の想いが伝わってきて、心が晴れ晴れとする物語が集められています。 「死」をとりあげながら、生きていたころのわだかまりを取り除き、遺された家族も少しだけ前向きになっていきます。 それを読んだ私たちも涙の中に笑顔になれる、そんな物語が『卒業』には揃っているのです。 7位:重松清の感動長編 どこを読んでも涙が止まらないとても悲しい物語なのに、読み終わった後はどこまでもやさしい気持ちになれる、そんな物語です。 北海道の北都市で幼馴染だった四人の小学生、シュン、トシ、ミッチョ、ユウちゃんは、それぞれの人生を重ねて39歳で再会します。 小学生の時に出会った『カシオペアの丘で』。 小学生時代の振る舞い、自分の親の態度、学生時代に発してしまった言葉に、四人は心のなかでそれぞれ誰かに謝り続けてきたんですね。 北都市はもともとは炭鉱の町でした。 そして炭鉱を経営する倉田鉱業のおひざ元でもあったのです。 ある時炭鉱で坑内火災事故が発生します。 火災は5日も続き、「倉田」の社長は引水を決断します。 それは中に残されたまま助け出されていない被災者を諦めることを意味するのです。 シュンは倉田の孫であり、トシは現場に突入したまま戻らない消防士の息子でした。 二人は仲のよい幼馴染でしたが、それぞれの関係性に気づいたときギクシャクしてしまいます。 大学時代から東京で生活していたシュンは40歳を目前にして肺がんであることを医者から告げられます。 しかも余命はあまり長くありません。 そんなとき、ある事件をきっかけにカシオペアの丘がテレビに写ります。 これをきっかけにシュンは小学生時代の出来事や学生時代の出来事について、差出人名を記載せずにトシとミッチョに謝りのメールを出します。 そこから東京のユウちゃんへ連絡がまわり、少しずつ四人は再会していくことになるのです。 それぞれの再会を経て、四人は再び北都の『カシオペアの丘で』再会するんですね。 トシとミッチョは夫婦になっており、シュンは家族を連れていきます。 シュンは北都で一気に病状が悪化してしまい、入院することになるんですね。 再会した四人とその家族はそれぞれの関係や過去の出来事を振り返ります。 「あやまることなんて何もない、あたなが、あなたをゆるせばいんですよ」という優しい言葉を受け入れながら、それまでわだかまっていた相手への気持ちを少しずつときほぐしていくのです。 自分のせいでこんなことになってしまったのだ、自分の係累がこんなことをしたためにみんなに迷惑をかけているのだ。 そういった悩みや苦しみを、相手はそうじゃない、あなたが悪いんじゃない、といってゆるしていくのです。 そうやってゆるされた人たちは今まで以上に人々にやさしくなっていきます。 おとなになって「過去とまっすぐに向き合う勇気」を得て、がんにかかりながらこれまで避けてきた自分の人生を改めて見つめなおすわけです。 車いすの生活になったり、末期がんになったり家族の死に向き合わなくてはいけなくなったり、重いストーリーが続きます。 これだけでも涙が止まらなくなるのですが、そこに向かい合う登場人物の前向きな気持ちや優しい気持ちが引き出されることで、さらに涙はとまりません。 でも、本書を読み終わった後にはもっとみんなをうけいれたい、そんな気持ちにさせてくれるのです。 しっかり涙をながし、気持ちを切り替えたい方はぜひ読んでみてください。 6位:父親と息子の、感涙の物語 不器用でも、息子のことを第一に考えているヤス。 しかし、父と息子というのは、なかなか難しいもの。 仲の良い母と娘のように、友達感覚にはなれず、それでもつかず離れずの微妙な関係なのです。 ちょっとした時に、思わず出てしまった言葉で後悔する日々が続きます。 それを埋めてくれたのが、幼なじみのたえ子を始めとする周囲の人々の温かさ。 片親の家庭では、どうしてもお互いの関係がぎこちなくなりがちです。 でも、この小説のように、父親と息子の間に、他者が関わってくれることで、互いの関係が滑らかになれることもあるのではないでしょうか。 この小説を、単なる「お涙頂戴物語」でなく、ジーンと深みを感じる小説になっているのは、登場人物の話す言葉にあると思います。 一つ一つの言葉に実感があり、読者に迫ってきます。 たえ子やヤスの言葉。 珠玉の言葉の数々が、読者の心に深く、染み込んでくるのです。 息子をもつ父親に、一度は読んで欲しい重松清の小説です。 5位:重松清の自伝的な要素もある作品 またまた突然ですが、「あの頃に戻りたい……」と思ったことはあるでしょうか。 おそらく、ほとんどの方が同じように考えた事が一度はあると思います。 この本の主人公である永田一雄は、その想いが実現してしまいます。 会社にリストラされ、求職活動を続けるもなかなか思うようにならない自分。 妻の美代子は、ふとしたことで知り合った男たちと関係を持つようになり、離婚を言い出す始末。 息子の広樹は中学受験に失敗し不登校児となってしまい、朗らかで優しかったあの頃の息子の姿はもうどこにもない。 さらに実の父親が病に伏し、余命数ヶ月というタタミカケ具合。 何もかもがうまくいかなくなってしまい、もう自分はどうなってもいい、とにかくこの辛い現実を消してしまいたい、そう考え半ば自暴自棄になった一雄は、ある時古ぼけたオデッセイを見つけます。 助手席には不思議な少年が乗っていて、「遅かったね、早く乗ってよ、ずっと待ってたんだから」と一雄を急き立て、一雄は言われるがままに乗り込むことに。 そして、辿り着いた場所は過去の「ある時」でした。 しかし、一雄は考えさせられます。 時を戻したからといって、それは自分にとっていいことなのでしょうか。 「その日」とは、どんな日なのでしょうか。 誕生日?記念日?それとも、別れの日でしょうか。 いくつも想像が広がりますが、その一日にありったけの想いが込められているのは、なんとなく感じられますね。 主人公の「僕」には最愛の妻・和美がいて、共に44歳。 2人は22歳で結婚し、中学3年の健哉と小学6年の大輔という子供もいます。 家族4人で穏やかに過ごすその日々は、まさに幸せそのものでした。 しかし、運命とは残酷なものです。 僕の妻・和美は末期のガンを患っていたことが判明するのです。 「なぜこれほどに多い人の中で、和美が・・・」と言いようのないものへの絶望をかみしめる僕と残された子供達。 そして、「その日」がやってきました。 SNSで簡単に「友達」を作ることはできますが、そのつながりは本当に「友達」といえるものでしょうか。 いや、現実の世界でも付き合っている人がいるけれど、その人たちも本当の意味で「友達」といえるのでしょうか。 そもそも、「友達」って何なのでしょうか。 考えれば考えるほど分からなくなりますね。 この本に出てくる登場人物たちも同じような悩みや葛藤を抱えています。 お互いに「友達」として付き合い、昨日まで仲良くしていたのに、ふとしたことで疎遠になってしまう。 そこには人間の悲しい一面や社会の残酷さなどがあるのかもしれません。 そんな苦境に立たされた時でも、なぜかそばにいてくれる人がいます。 その人は全然「友達」なんかじゃなかったのに……と主人公たちは人間関係についての汚い部分ときれいな部分に考えをめぐらすのです。 物語の舞台は学校なので、小中学生にはとっても共感できることがあるはずです。 そして、その時を過ぎてしまった大人でも当時を回想して新たな発見をすることがあるでしょう。 1位:重松清史上最も泣ける作品のひとつ 表題の「青い鳥」は4話目、いじめに関するお話です。 人間が生物であり、生物が競争によって生存してきたことによるのでしょうか。 いじめというのは時と場所を選ばずに発生します。 「誰かを嫌うのもいじめになるんですか?それとも、好き嫌いは個人の自由だからOKですか?」この問いかけに答えられる先生が何人いるでしょうか。 そして、ムラウチ先生はどう答えるのでしょうか・・・。 『きよしこ』でご紹介したように、作者の重松清も吃音者でした。 自分自身の経験も相まって、このような主人公を創り上げたのでしょう。 そしてムラウチ先生と同じ悩みを抱えてきたからこそ、このキャラクターには作者の心が詰まっているのかもしれません。 以上、重松清のおすすめ作品を15点紹介しました。 あらゆるテーマを取り扱っている作家ですが、すべての作品に共通するのは、どんな話であれ最終的には何かしらの「救い・希望」があるという事です。 また、ご自身の経験から生み出される物語・人物像は重松清にしか描けない世界観です。 この機会にぜひ一冊手に取ってみてください。

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10代に読んで欲しい!重松清のおすすめ本7冊

重松 清

『… 「ひこばえ」(上・下) [著]重松清 長谷川洋一郎のもとに、ある日突然、父親の訃報(ふほう)が届いた。 金銭トラブルで48年前に母と離婚して以来、ずっと音信不通。 当時小学2年生だった洋一郎にとっては記憶もおぼろげな存在だ。 火葬に立ち会ってくれたアパートの大家や遺骨を預かる寺の住職と会っても、洋一郎の胸には何の感慨も浮かばない。 むしろ「お父さまは」「息子さんが」という言葉に違和感を覚えてしまう。 父が暮らした部屋を見ても、まったく父の像が浮かんでこない。 「男はつらいよ」のDVDや釣りの雑誌が並ぶのを見て、そんな趣味があったのかと初めて知った。 だが、遺品を見ているうちに、そして生前の父を知る人々と会う中で、洋一郎の気持ちに少しずつ変化が現れて……。 本書は、重松清の代表作である『流星ワゴン』や『とんび』の系譜に連なる、父と息子の物語だ。 だがこれら二作と違って、本書に父は登場しない。 大方が予想するであろう、ダメな父を息子が見直すといった話でもない。 ここにあるのは父の〈不在〉であり、相手が〈不在〉のまま続く関係が本書のテーマなのである。 タイトルのひこばえとは切り株から出た若芽のこと。 「孫生え」とも書く。 切られた樹木は自分から生えて育つ若芽を見ることはできない。 死んだ父が、息子の成長した姿や孫を見ることができなかったように。 だが人の営みとはその〈不在〉があってこそつながっていくのだと、本書はさまざまなエピソードを通して描き出す。 父の訃報と同時期に洋一郎に初孫が誕生する。 まさにひこばえそのままだ。 他にも、彼が施設長を務める老人介護施設での出来事、離れて暮らす母、息子に先立たれた夫婦の話など、〈不在〉と向き合う複数の家族の形が並行して登場する。 ユーモラスな場面も辛(つら)い場面もある。 だがその〈不在〉からひこばえが芽吹く描写に出会う度、涙腺が緩んだ。 家族だけではない。 末期癌で余命僅かな女性は介護する若者たちの心に種を撒く。 若きライターは老齢の取材対象に食らいつく。 さらに言えば、人だけでもない。 父の遺品にあった、原爆で家族を亡くした松尾あつゆきの句集が洋一郎の心を揺さぶり、さらに彼の息子がそれを読んで涙をこぼす。 時代を超えて池波正太郎が読み継がれたり、古い童話が復刊されて図書館に置かれたりする。 そうやって何かが受け継がれる様子を、著者は親しみやすい筆致で綴る。 本は連綿とひこばえを育て続ける株だ。 そして私たちは皆、誰かのひこばえなのである。 〈不在〉という名の〈存在〉が愛おしくなる。 従来の家族小説とは一線を画す継承の物語だ。 91年、『ビフォア・ラン』でデビュー。 2001年、『ビタミンF』で直木賞。 14年、『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞。 近著に『どんまい』『木曜日の子ども』など。

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