13日に放送された幼児向け番組『おかあさんといっしょ』(NHK Eテレ)の「60年スペシャル」に、8代目歌のお兄さん・速水けんたろうと、9代目歌のお兄さんの杉田あきひろが登場し、視聴者から驚きの声が上がった。 同番組では、12日の放送で歴代お姉さんの映像を放送。 13日のお兄さん特集で、逮捕歴のあるお兄さんに関する映像の扱いが注目されていたが、初代の田中星児から11代目の横山だいすけまで、歴代お兄さんの映像を欠けることなく放送した。 速水といえば、1999年に茂森あゆみと歌った「だんご3兄弟」がトリプルミリオンセラーを記録。 この12年後の2011年、乗用車を運転中に横断歩道を渡っていた女性をはねて死亡させ、自動車運転過失致死罪で禁錮2年・執行猶予3年の有罪判決を言い渡された。 一方、杉田は16年4月、覚せい剤取締法違反の疑いで現行犯逮捕。 懲役1年6月執行猶予3年の判決が言い渡された。 「昨年1月放送の『ノンストップ!』(フジテレビ系)は、杉田が『長野ダルク』で依存症回復プログラムに励む姿に密着。 立ち直ろうと頑張る姿が感動的だとして反響を呼びました。 しかし、杉田は法廷で覚せい剤使用の遠因を『おかあさんといっしょ』のコンサートツアーのメンバーから降ろされたことだと説明するなど、番組のイメージを低下させた張本人であることは間違いない。 そして社会的制裁も十分に受けた。 もう十分だと思う」といった声が上がっている。 スポンサーに気を使い、モザイク処理などで臭いものにフタをする民放テレビ局が目立つなか、Eテレの判断に視聴者から賞賛の声が相次いでいます」(同) 60年続く『おかあさんといっしょ』の黒歴史といえる速水と杉田。
次のwarabi. 意外にも歌手デビューが先だったみたいですね。 その後、残念ながらヒット作にはあまり恵まれず、アニソン歌手へ転向しました。 1993年に『おかあさんといっしょ』の8代目の歌のおにいさんの抜擢されました。 ある出来事で一躍時の人に! それは当番組卒業間近にシングルで発売した 『だんご3兄弟』の大ヒットです。 この大ヒットで 第41回日本レコード大賞や第50回NHK紅白歌合戦にも出場を果たしました。 確かにこのだんご3兄弟の曲は社会現象にもなっていましたからね。 ちなみに、1999年度年間1位で、売り上げ 291. 8万枚だそうです。 今のご時世にこんな数字は絶対にありえないので、現実離れした数字ですが、ただただすごいですよね。 『おかあさんといっしょ』を卒業後は、舞台俳優や歌手として活動していましたが、ある事件が襲いかかります。 Sponsored Link 悲惨な交通事故 2011年7月、埼玉県川越市で女性を乗用車ではね死亡させたとして、自動車運転過失致死罪に問われた歌手速水けんたろう(本名・谷本敦雄)被告(50)に、さいたま地裁川越支部は22日、禁錮2年、執行猶予3年の判決を言い渡した。 引用:スポニチ 速水さんは、仕事でさいたま市内に向かう途中で、右折専用車線で対向車が通過するのを待ってから右折したところ、歩行者の女性をはねてしまったということみたいです。 運転を焦っていたのでしょうか、なぜこのような悲惨な事故に。。 本人は 「助手席の荷物に気を取られて、脇見運転をしていた」と話していたようです。 事故後の現在の活動は? 現在は、舞台やイベントを中心に活動をしているそうです。 また、2016年4月には「おかあさんといっしょ」のこんげつのうた 「あおうよ」を作曲をし、17年ぶりに「おかあさんといっしょ」へ楽曲提供を行ったそうです。 復帰以降、「おかあさんといっしょ」にも携わっているみたいです。 まとめ 交通事故で色々なものを失ってしまった中で、こうやって芸能活動を復帰されたことは大きな意味があるでしょうね。 歌手としても、舞台俳優としても頑張っていただきたいと思います。 Sponsored Link.
次のスポンサーリンク 「だんご3兄弟」で一躍人気者になった速水けんたろうさんはその後、自身の冠番組を持ったり、日本ハムファイターズの応援歌を歌ったりと活動の幅を広げました。 2000年代以降は舞台俳優としても活動されています。 後で詳しく触れますが、2011年に交通事故を起こし芸能活動を自粛していた時期がありました。 復帰したのは2012年。 2015年に声優として活動を再開しました。 「けんたろうお兄さん」として全国各地を周り、2016年4月には「あおうよ!」という歌で17年ぶりにおかあさんといっしょへの楽曲提供を行っています。 現在は舞台に出演したり、洗足音楽学園大学のアニメンソングの講師を務めています。 コンサートも定期的に開いているようですよ。 やはりNHKの看板を背負っていた方は、活動内容もNHKよりといいますか、「けんたろうおにいさん」でいなければならないので苦労もあったことと思います。 それでも、根本的に歌が大好きで、歌のお仕事が天職だったのでしょうね。 速水けんたろうの現在の年収 「うたのおにいさん」として活動するには様々な条件がありますが、その笑顔の裏には過酷な労働条件とそれに見合わない低い年収があると言われています。 毎日のようにテレビの収録が週3日、リハーサル、地方コンサートが週2日のようにハードスケジュールでありながら、その年収は私たちが思っている年収の半分程度だそうです。 速水けんたろうさんの場合、現在はNHKに縛られることなく、自由に活動が出来ていますので、うたのおにいさんの時の倍の年収はもらえているのではないでしょうか。 とは言え、うたのおにいさんのイメージだ強すぎますので、下手に好感度を下げることは出来ません。 そういう点でいえば、一生縛られているようなものだと思います。 全然例え話にならないかもしれませんが、うたのおにいさんをしていた方が薬物で捕まった事件がありました。 その方は現在、精力的に子供たち向けのコンサート活動をされていますが、やはり完全にクリーンなイメージが持てないのが現実です。 ですがその方は歌でしか罪を償えない。 歌でしか復帰出来ないと、やはり歌が彼の人生の支えとなっているようです。 スポンサーリンク 速水けんたろうさんも年収うんぬんよりも、子供たちとの触れ合いの方に価値を見出しているのではないでしょうか。 速水けんたろうの悲惨な交通事故 速水けんたろうさんは2011年に交通事故を起こしています。 2011年7月16日午後1時15分。 速水さんは自らの運転でさいたま市内の仕事場へ向かっていました。 その道中、埼玉県川越市通町の交差点内の横断歩道で、歩行中の78歳の大久保幸子さんを跳ね、大久保さんは翌17日午前0時に死亡してしまいます。 大久保さんは事故直後は意識があったようですが、右手首骨折の診断で病院に救急搬送されました。 ですが、胸部外傷出血性ショックで亡くなられました。 速水さんは「助手席の荷物に気を取られてわき見運転をしてしまった」と供述。 速水さんは自身のブログで、自身の起こした事故を深く反省し、一切の仕事を自粛することを発表しました。 11月30日に速水さんは自動車運転過失致死罪でさいたま地裁川越支部に在宅起訴されました。 地方裁判の判決は? 2012年2月22日、さいたま地裁川越支部は速水けんたろうさんに、禁固2年・執行猶予3年に有罪判決を言い渡しました。 被害者が亡くなっているのですから妥当な判決だと思います。 有名人だからということは裁判の過程で何も憂慮されることではありません。 「女性は最愛の夫に分かれの言葉一つかけることもできず絶命し、無念さは察するに余りある」 「遺族に謝罪の意を示し、芸能活動を控えるなどして謹慎の態度をとっている」 として、求刑よりも軽い判決が言い渡されました。 そして、 何より速水けんたろうさんを救ったのは、被害者遺族が速水さんの復帰を望んでいたことです。 普通ならメディアに出ている姿など見たくないはずです。 それなのに、「今後は仕事に復帰して一層精進し、聞き手に感動を与えるように」と言葉をかけて下さったそうです。 このことで速水さんはどれほど楽になったことでしょう。 速水けんたろうが復帰したのはいつ? 速水けんたろうさんは復帰したのは、2012年4月14日。 判決から2か月後のことでした。 東京都内で行われた陸前高田市復興支援団体のチャリティーイベントに特別出演したことから、再始動しました。 たった2ヶ月!?と思った方も多かったと思います。 ですが、チャリティーイベントということで、いわばノーギャラです。 本格的に芸能活動を再開したのはそれから3年後の2015年のことです。 アニメ映画「あなたをずっと愛してる」で声優として参加。 その頃から「おかあさんといっしょ」の関連イベントにも出演するようになりました。 自身の罪を償う意味でも、素敵な歌をずーっと歌い届けてほしいです。
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