今回は志穂美悦子さんと、その家族について調べてみます。 志穂美悦子さんはと、言うと「?」となってしまいそうですが、旦那(夫)は長渕剛さんです! 長渕剛さんの「奥さん(嫁・妻)」と言えばわかりやすいと思いますが、あえて志穂美悦子さんから調べたいと思います。 なぜなら、志穂美悦子さんは芸能活動を結婚と同時に家庭に入られ、表舞台に殆ど出て来ていません。 しかし、2018年11月21日「梅沢富美男のズバッと聞きます! 」に、30年ぶりにバラエティー番組に出演されます。 ですので、今回は志穂美悦子さんに焦点を当ててみることにしました! 現在のお仕事はフラワーアレンジメントの仕事されて活躍されています。 志穂美悦子のプロフィール 名前:志穂美悦子(しおみえつこ) 本名:長渕 悦子(ながぶち えつこ) 旧姓:塩見 悦子(しおみ えつこ) 生年月日 :1955年10月29日 出身: 岡山県西大寺市 血液型 :A型 職業: 女優・歌手・フラワーアーティスト まずは志穂美悦子さんの簡単なプロフィールなどです。 志穂美悦子さんの父親は、大蔵省 幣局省造に勤務されいて長女として生まれています。 志穂美悦子さんは、学生時代から千葉真一の熱狂的な大ファンだったそうです。 その時から夢は、スタントマン! そして千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブに受験し入会されています。 入会と同時に、通っていた高校を転校し東京に上京されていました! かなりの熱狂ぶりですね。 その後、アクションスターとして活躍されています。 女優として活躍されていて、日本では初めて女優が自らスタントをするアクション女優としても有名でした! 映画やドラマなど数々の出演をされていましたが、長渕剛さんとの結婚を期に、絶頂期で芸能界を引退されています。 結婚され、主婦業に専念されていましたが、花の世界に魅了されフラワーアーティストとして活動をはじめていました! 志穂美悦子の今現在フラワーアーティストとしての活動 志穂美悦子さんがフラワーアレンジメントを始めたのは、大相撲の貴乃花親方の妻、花田景子さんからの誘いがきっかけだったそうです。 志穂美悦子さんは、元々花が好きだったそうで、フラワーアレンジメントのお花をもらって「いいな」と思ったそうです。 そして、花の芸術家として、世界的に有名なフラワーデザイナー・ダニエル オストの内弟子の前田玲子さん、清水はるみさんのアトリエに通い始めます。 最初は軽い気持ちで始めたそうですが、東日本大震災の時に、夫である長渕剛さんが経営されているカフェ『ROCK ON』の企画に賛同し、日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集『Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜』を自費出版で発売され、売上金は全額寄付されています! そして、花を通じての支援活動を続け、東日本被災地やケニア、チベット難民キャンプなどにも行かれていました。 その後、被災地復興支援として「ひまわりプロジェクト」を立ち上げ、被災地にひまわりを咲かせています。 フラワーアレンジメントの世界に魅了され、最近では、「国際バラとガーデニングショウ」でステージパフォーマンスなどをされ「花活動家」として活躍して活動されています! アクション女優からの意外な転身ですね! しかも、軽い気持ちで始めたことで、今ではたくさんの場所で志穂美悦子さんは作品を展示されたり、ステージパフォーマンスをされていました。 テレビにの出演し27年ぶりに「はなまるマーケット」や「徹子の部屋」などに出演されています。 最近では、ハウステンボスで行われた世界フラワーショー「花の世界大会」に参加され、特別展示をされていました。 世界トップクラスのガーデンデザイナー・フラワーアーティストと共に参加されているほど、才能や実力があったのでしょうね! 動画の音楽に、長渕剛さんの曲など使っていましたし、ハウステンボスで特別展示された作品タイトルは「 黒湖紫鏡花 ~祈り~ 」と長渕剛さん連想させるタイトルですね。 夫婦仲も良いのか?と思いますが、過去には長渕剛さんの不倫騒動や、たいまで逮捕されたりとトラブルがありました! スポンサーリンク 旦那の長渕剛の離婚は? 長渕剛さんと結婚後は、芸能界を引退され、家庭に入っていた志穂美悦子さんですが、家庭に入る理由を「クセのある男なので専業主婦したい」と言われています。 確かに、長渕剛さんはクセがありそうというか、クセしかなさそうですねw 長渕剛さんは、過去に国生さゆりさんと不倫関係が噂され同時に、逮捕されています。 国生さんは会見を開いた際に、自分は使っていないとの身の潔白と、志穂美悦子さんを交えて話し合い、不倫関係を清算させたとマスコミに発表されました。 結構、修羅場っぽい感じを想像してしまいますね。 その後は、長渕剛さんの歌手生命の危機でしたが、志穂美悦子さんの内助の功で復帰されます。 そして、それまではあまりメディアなど出演は少なかったですがトーク番組やバラエティー番組に長渕剛さんは出演するようになっています。 その後、モデルの冨永愛さんとの不倫が噂されましたが、家族ぐるみの付き合いで志穂美悦子さんも公認の師弟関係でやましい関係ではいと否定されています。 冨永愛さんは長渕剛さんの大ファンだったそうです。 しかし、志穂美悦子さんは、冨永愛さんの独り舞台『愛なんて大嫌い』ウエルカムフラワー装花を手掛けたりもされていますので、家族ぐるみの関係でしょうね! 雨降って地固まるとも言いますし、長渕剛さんはクセが強い男と言われていましたので、その辺は覚悟されて一緒になられていますので、離婚はなさそうですね! むしろ、長渕剛さんを内助の功で支えていますので、長渕剛さんは志穂美悦子さんに頭が上がらないのでは?と思ってしまいますね! そして、才能ある2人ですが、子供も3人いて、3人とも様々な才能があり活躍されていました! スポンサーリンク 3人の子供 娘. 息子 の現在は? 長渕剛さんと志穂美悦子さんには3人子供がいます。 長女の文音さんと長男の航さんと次男の蓮さんです。 子供たちも才能あり、様々な道に進まれています! しかし、3人とも父親や母親の名前を、使わずに活動されていました! 最近は2世タレントは多く、全面的に2世として活動されいたりしていますが、長渕家は自分たちの力で活動されていました! 3人の子供さんについて調べてみました! スポンサーリンク 長渕剛と志穂美悦子の長女の文音さんは? 長渕剛と志穂美悦子の長男の航さんは? 長渕剛と志穂美悦子の次男の蓮さんは? 続きは次のページへ.
次の志穂美悦子、空手で夫長渕剛のDV僻を収めた?!子供たちは? 志穂美悦子は、「ろくなもんじゃねぇ」長渕剛を更正させた女丈夫 志穂美悦子を語る上で、夫の長淵剛を語らないわけにはいきません。 1970年代前半ニューミュージックのアイドル的存在として活躍した長渕剛は、当時トップアイドルであった石野眞子と結婚しますが、長渕剛のDVが原因で離婚。 その後、ヒットが出なくなった長淵剛は、俳優業に活路を見出します。 ナイーブさに暴力性を秘めた、やくざっぽい役柄を自らのスタイルと化して、歌もまた同様のテイストを持つ、「ろくなもんじゃねぇ」や「とんぼ」が大ヒット。 しかし中味は、所詮あかんたれで、ロマンチックな男……そんな長渕剛に、人一倍強い母性本能を感じてしまったのが、志穂美悦子と言えるのではないでしょうか。 ただ、普通の女性と志穂美悦子が違うところは、極真空手の有段者で、ひ弱な男の暴力などびくともしない点。 志穂美悦子は、以後、かっこばかりの長渕剛を、逆に心身ともに鍛え上げたからこそ、今のマッチョな長渕剛が出来上がったといえます。 二人の間には子供は三人でき、みな成人しています。 長女・文音は女優。 長男はラッパーのWA航RU。 そして次男の長渕蓮は、レーシングドライバー引退後、音楽活動をしているとか。 子供は、厳しく育てられたそうですが、状況を見ると、三人とも、まだ自立しているとはいえないようです。 志穂美悦子は、日本初の女性アクションスター 志穂美悦子は、1970年代後半から1980年代前半にかけ、日本初の女性アクションスターとして絶大な人気を誇った女優です。 志穂美悦子は、1955年生まれで現在60歳。 1986年のTBSドラマ「親子ゲーム」後、共演を重ねた歌手の長渕剛と結婚し、「クセのある男なので専業主婦をしたい」と、きっぱり芸能界を引退。 賢妻として長渕剛を支え続けています。 志穂美悦子、アクション女優の現在は?代表作はコレ! 志穂美悦子が歩んだ女優としての道。 「女必殺拳」から「男はつらいよ幸福の青い鳥」まで 志穂美悦子が世にでるきっかけとなった代表作といえば、「女必殺拳」シリーズ。 同シリーズでカルトな人気を誇るようになった志穂美悦子は、やがてテレビにも進出。 「影の軍団」や「大江戸捜査網」などで、広く一般にも知られるようになります。 そしてバラエティやホームドラマにも出演し、普通の女優としても高い評価を得るようになった志穂美悦子。 映画では1985年、原作脚本つかこうへい、監督井筒和幸による「二代目はクリスチャン」で、念願の主演女優を務めています。 そして翌1986年、いよいよ本格的女優を目指して、TBSのホームドラマ「親子ゲーム」に出演します。 このドラマで、長淵剛と運命的な出会いを果たし、さらに映画「男はつらいよ幸福の青い鳥」で、不器用ながらもお互い魅かれ合っていくカップルを演じた二人は、ついに1987年結婚します。 結婚後はきっぱりと芸能界を引退した志穂美悦子ですが、東日本大震災の支援をきっかけに、今ではフラワーアーティストとしての活動も行っているようです。 志穂美悦子は真田広之とともに、千葉真一主宰ジャパンアクションクラブの秘蔵っ子だった 志穂美悦子は、千葉真一が主宰していたJACジャパンアクションクラブの出身で、今やハリウッドスターの真田広之とともに、かつて一世を風靡しました。 JACは、他にも堤真一や伊原剛志を輩出しています。 1973年に公開されたブルース・リーの「燃えよドラゴン」の世界的ヒットに乗じて、日本では東映が、千葉真一を起用し「殺人拳シリーズ」「地獄拳シリーズ」「少林寺拳法」「けんか空手シリーズ」など次々とヒット作を作成します。 そして、その女性版として白羽の矢が立ったのが、JACの秘蔵っ子であった志穂美悦子だったのです。 志穂美悦子、長渕剛夫婦にみる、日本における夫婦関係の一典型 志穂美悦子の結婚の決め手となったのは、TBSドラマ「親子ゲーム」の撮影中、志穂美悦子が左手小指の付け根を骨折した時、長渕剛が病院にまで付き添ってまめに世話を焼いたこと。 長渕剛は、こと女性に関して、とても優しいらしく、その裏返しとして彼女が思いのままにならないと、DVがあるようです。 しかし女性は存外、そういう男性に惹かれることもあるのかもしれません。 1995年、長渕剛は大麻疑惑で逮捕され、ドラマの共演者であった国生さゆりとの不倫交際も発覚しました。 志穂美悦子が、長渕剛と国生さゆりに、不倫の清算と身の潔白を証明するための記者会見を開かせました。 その会見会場の裏で、無言で仁王立ちしていたという話は、芸能史に残る記者会見の1つと言われています。 今や長渕剛は、一部ファンにとってはカリスマ的存在。 しかし家では、完全にカカア殿下のようで、国生さゆりとの不倫以後はおとなしくしていたようです。 しかし昨年、よりによって志穂美悦子が足のケガで入院中、熱狂的な長渕のファンであった、モデルで女優の富永愛を何度も自宅に招いているという報道が流れました。 長渕剛は、記者に突き詰められると、志穂美悦子公認の師弟関係であると言い逃れます。 当の志穂美悦子は決して動じることなく、黙して語らずの太っ腹ぶり。 長渕剛と志穂美悦子夫婦は、ある意味、よくある夫婦の一典型といってよいでしょう。
次の志穂美悦子のプロフィール 生年月日:1955年10月29日 出身地 :岡山県岡山市東区西大寺 身長 :163cm(ネット情報) 血液型 :A型 志穂美悦子さんは、1970年代から1980年代にかけて活躍した女優です。 手足の長いスレンダーな体型でアクション女優として絶大な人気を誇りました。 1955年10月29日生まれで、2020年3月時点で年齢は64歳になります。 また、身長はネット上の情報では163cmとされていますが、公式に発表されたデータではなく、本当のところは不明です。 志穂美悦子の経歴 志穂美悦子さんは、子供の頃から運動神経が抜群で、小学生時代から高校生時代まで陸上部に所属し、中学校時代に80メートルハードルで「13秒4」の岡山県歴代2位の記録を出しています。 1968年放送のドラマ「キティハンター」に風間洋介役として出演していたアクション俳優・千葉真一さんに憧れてスタント俳優になりたいという夢を抱きます。 志穂美悦子さんは、高校生時代の1972年に千葉真一さんが主宰する、アクション俳優・スタント俳優に特化した芸能事務所「ジャパンアクションクラブ(JAC)」を受験して合格。 その年のうちに高校を転校(中延学園高等学校)して上京し、翌1973年には、千葉真一さん主演映画「ボディガード牙」にて、主人公・牙直人の妹のマキのアクションの吹き替え役(技斗)に抜擢され、スタント俳優としてのデビューを果たしました。 さらに、翌年の1974年には「女必殺拳」の主人公・李紅竜役に抜擢されます。 「女必殺拳」は国内で大ヒットを記録してシリーズ化。 志穂美悦子さんは「女必殺拳 危機一髪」「帰ってきた女必殺拳」と立て続けに主演し、一躍アクション女優として絶大な人気を獲得しました。 志穂美悦子さんは、男性アクション俳優顔負けの華麗で激しいアクションで世界的にも知名度を上げ、映画やドラマに次々と出演。 年間のブロマイド販売数が数年間連続で1位を記録するなど、国民的アクションスターの地位を獲得します。 1970年代後半からは、アクション性の強い作品以外にも出演の幅を広げ、「やる気満々」「三男三女婿一匹III」などのホームドラマにも出演。 アクションができるだけでなく演技力もある実力派女優として高い評価を受けるようになりました。 その後も数々の作品に出演した後、1987年にミュージシャンの長渕剛さんと結婚し、それを機に芸能界から引退し、以降は芸能活動は行なっていません。 志穂美悦子の若い頃の画像まとめ そんな志穂美悦子さんの若い頃の画像を紹介します。 1974年公開の映画「女必殺拳」での志穂美悦子さんです。 この作品がきっかけとなり、志穂美悦子さんはスターアクション女優としての階段を駆け上がりました。 「女必殺拳」の大ヒットを受け製作された続編「女必殺拳 危機一発」での志穂美悦子さんです。 志穂美悦子さんの最高傑作との呼び声も高い1975年公開の映画「若い貴族たち 13階段のマキ」の志穂美悦子さんです。 1976年に出版された映画雑誌「映画情報」の表紙を飾った志穂美悦子さんです。 トップアイドル並みにかわいい顔立ちで、世界レベルとも評される本格アクションを演じていたわけなので人気が瞬く間に爆発したのも当然だと言えるでしょう。 1973年放送開始の特撮ドラマ「キカイダー01」の、後半のヒロイン役とも言えるビジンダーことマリ役を演じる志穂美悦子さんです。 新人時代の志穂美悦子さんがセンセーショナルなデビューを飾った作品として現在でも度々話題にのぼっています。 志穂美悦子の結婚相手はミュージシャン・長渕剛 アクションスターとして国民的人気を得ていた志穂美悦子さんでしたが、1987年8月29日に、当時同じく国民的なスターだったシンガーソングライター・長渕剛さんとの結婚を発表し、31歳で芸能界を引退しています。 志穂美悦子と長渕剛の結婚会見 結婚を発表するために入籍の2日前に会見を開いた長渕剛さんは「婚姻届を出しといてくれとスタッフに渡した」とぶっきらぼうな様子でコメントし、わずか5分ほどで会見を終了させてしまいました。 その翌日、志穂美悦子さんも会見を開き「昨日の彼は、悪気じゃないのでどうか誤解しないで」とぶっきらぼうな対応をした長渕剛さんをフォローして見せ、「彼のステージを早く子供に見せたいから早く子供を産みたい」「癖のある男だから専業主婦をしたい」とのろける姿も見せています。 志穂美悦子と長渕剛の結婚式 長渕剛さんは、当時、アイドル歌手だった石野真子さんと1981年に結婚したものの2年後の1983年に離婚しており、志穂美悦子さんとは2度目の結婚だった事から当初は結婚式を挙げずに入籍だけで済ませるつもりでいたそうですが、初婚である志穂美悦子さんの希望で結婚式を挙げる事になったそうです。 志穂美悦子さんは「芸能人としてではなく普通の人としてひっそりと」式を挙げたいとして、奈良県天河村の標高620メートルの山奥にある「天河大弁財天社」で、お互いの両親と親しい知人だけが参列する結婚式を、地元の住人にも気づかれないままこっそりと挙げています。 志穂美悦子と長渕剛の馴れ初めとは 志穂美悦子さんと長渕剛さんの馴れ初めは、1986年6月から放送されたホームドラマ「親子ゲーム」での共演でした。 「親子ゲーム」で、長渕剛さんは元暴走族の経歴を持つラーメン屋を営む矢板保役で主演。 志穂美悦子さんは、矢板保の恋人役でヒロインの三石加代の役を演じました。 本作は、2人の演じたカップルが元暴走族という設定から度々乱闘級の痴話喧嘩を起こすシーンが見せ場になっていたのですが、その喧嘩シーンの撮影中に、志穂美悦子さんが小指をテーブルにぶつけて骨折するというアクシンデントが発生。 この時、志穂美悦子さんを長渕剛さんが心配し、病院に運ばれる間もずっとそばに付き添っていたのが2人が交際に発展するきっかけになったそうです。 それから3ヶ月後の1986年9月には、写真週刊誌が長渕剛さんの自宅マンションから朝帰りする志穂美悦子さんの姿を激写。 この時には、長渕剛さんは「38度の熱が出た僕を彼女が看病してくれただけ」と熱愛を否定していましたが、実際にはこの時既に2人の交際ははじまっていたようです。 その数ヶ月後、1986年12月公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも長渕剛さんと志穂美悦子さんは共演し、お互いに惹かれあいなあらも気持ちを伝えられない男女の役を熱演しています。 この映画公開に先立ってインタビューを受けた長渕剛さんは「盛り上がれば結婚ということもある」と志穂美悦子さんと結婚も意識して交際している事を認め、一方の志穂美悦子さんも「私たちの交際は隠れてコソコソするものではない」「いつも堂々と付き合っていたいと思う」と長渕剛さんとの熱愛を認めています。 志穂美悦子と長渕剛の夫婦エピソード 長渕剛さんといえば、1991年に報じられた女優・清水美砂さんとの不倫や、1993年に発覚した女優の国生さゆりさんとの不倫など、女遊びの激しさがよく知られています。 旦那・長渕剛さんの奔放さに、普通であればとっくに離婚を決断していそうなものですが、懐の深い志穂美悦子さんはそれを毎度受け流し、長渕剛さんのイメージに傷がつかないようスキャンダルが出る度に的確に対応させ、奥方として長渕剛さんを支え続けてきました。 こうした経緯もあって、自由奔放でヤンチャなイメージもある長渕剛さんも家庭の中では志穂美悦子さんの尻に敷かれ、おとなしくするようになったのだとか。 長渕剛さんは、テレビやラジオ、雑誌など、様々なメディアで「世の中で一番怖いのは妻」と公言しており、妻を怒らせると「あなた、5階から飛ぶことができる? (アクションスターである自分は5階から飛ぶことなど容易いという意味で)」と真顔で聞いてくるエピソードなども明かしています。 ある時には、志穂美悦子さんが師匠である千葉真一さんに泣きながら電話をかけてきて「どうしよう、長渕を殺しちゃったかも」と助けを求めた事があったそうです。 千葉真一さんが詳しく聞くと、どうやら長渕剛さんとの喧嘩がエスカレートし、志穂美悦子さんは思わず長渕さんの首筋を狙って回し蹴りを放ってしまい、直撃した長渕さんはそのまま倒れて失神してしまったとの事。 これを聞いた千葉真一さんは、あまりに豪快な夫婦喧嘩に思わず弟子の志穂美悦子さんを褒めてしまったんだとか。 志穂美悦子さんの長女・長渕文音さんは、2008年10月公開の映画「三本木馬術高校、馬術部」で主役の菊地香苗役に抜擢されて女優デビューしています。 長渕文音さんはその後、芸名を「文音」とし、2018年の映画「ばあちゃんロード」、2020年公開の映画「いけいけ!バカオンナ」にそれぞれ主演。 その他にも映画やドラマ、舞台などを中心に女優業を続けられています。 レーシングドライバー引退後は、シンガーソングライター「ReN」として活動しています。 父譲りの歌唱力と柔らかな歌声を持ち、アコースティックギターを基調としたレベルの高いアレンジの楽曲も注目されています。 今後の人気上昇が期待されるミュージシャンです。 志穂美悦子は現在フラワーアーティストとして活躍 男勝りの痛快なエピソードを数多く持つ志穂美悦子さんですが、なんと現在はフラワーアーティスト(花創作家)として活動されています。 2020年2月18日には、東京ドームで開催されたイベント「世界らん展2020-花と緑の祭典-」にゲスト出演し、花を使ったパフォーマンスを披露し、華麗ならんの花を使った繊細な表現と、自身のルーツともいえる俊敏なアクションを組み合わせた斬新なパフォーマンスで、訪れた観客達の視線を釘付けにしました。 志穂美悦子さんんがフラワーアレンジメントの世界に興味を持ったのは2010年の頃だそうで、渋い色合いの作品をプレゼントされて「良いな」と思ったのが本格的に取り組むきっかけだったとの事。 夫の長渕剛さんのコンサート会場を飾る、ウエルカムフラワーも志穂美悦子さんが担当しているそうです。 まとめ 今回は、国内を代表するアクションスターとして活躍した女優・志穂美悦子さんについてまとめてみました。 志穂美悦子さんは、千葉真一さんに憧れてアクション俳優になり、抜群の身体能力とキュートなルックスを武器に瞬く間にアクションスターに上り詰めました。 その後、大人気歌手の長渕剛さんと結婚して芸能界を引退。 3人の子供にも恵まれ、現在はフラワーアーティストとして活躍されています。 60代を迎えた現在もエネルギッシュに活躍を続ける志穂美悦子さんの活躍に今後とも注目していきたいと思います。
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