今回は単発を書かせていただきます。 3月末、春休みシーズンなのに就活でどこにも行けてない… そうだ!名古屋! そんな気まぐれがあったかどうかは知りませんが朝から日帰りで名古屋に行くことに。 そして今回初めての階上席に乗車。 アーバンで行けば…というのもあったのですが一度階上席に乗ってみたかったので伊勢中川までを堪能しました。 伊勢中川からはサニーカーに乗車します。 混雑は中々でほぼ埋まってる状態…?な感じでした。 まぁ本音は新Aceで充電したかったのですがこれはこれで結構良いと思うので。 そんな感じでサクッと名古屋までの移動を終え名古屋から電車で有松駅まで… 行ければ良かったのですが偶然やって来たのが急行鳴海行。 しかも終点で普通電車に接続って訳でも無くで抜いた普通電車を待つことに。 有松駅から名古屋方1つ目の踏切で撮影。 お目当ての練習の意味合いも強いのですが自体が12月末以来という事もあり楽しく撮影出来た気がします。 そして無事お目当てが通過。 踏切の前側には他の撮影者の方も多く結構注目度の高い車両であると感じました。 どうやら特急の運用も前の改正でほぼ消え本当に先が短そうだとのこと。 この後有松駅に戻って名古屋方面の普通に乗り込みます。 勿論運用狙いました笑 普通電車は空いてるので車内の撮影も比較的簡単に出来ますからねぇ… 車内の雰囲気はよりもドア数が少ない分感が出てる気がします。 そしてまさかの補助席まで付いてるという… 恐らくこの車両の一番売りの座席です。 前面展望が楽しめる構造です。 京阪のあの座席みたいな感じですね。 結局この列車である駅まで向かい寄り道。 ちょっとシークレット その後まで向かい名古屋方2つ目の踏切付近で撮影します。 本当は天気も良かったので桜が映える予定だったのですが御覧の通り上2枚は苦しい結果に…3枚目でやっとギリギリ…って感じです。 案外振り返ると4両編成は撮影可能だったのでSRも狙っておきます。 この後家族と合流して車で帰宅しました。 途中のまで運転したんですがF1に使用された車が展示されていたりがエンジン音だったりとかなりユニークなでした。 詳しくはよく分からないので割愛しますが中々面白いが完成しましたねw 以上です。 SR車も残り僅か。 9500系がどうやら53005700を置き換えるのでは…?とのこと。 つまり引退が本当に近そうなんです… この車両は結構乗る機会も多く個人的に好きな車両だったので出来るだけ多く撮影に来たいものです。 次は内、特にとかで撮れれば良いなぁと思います。 多分夏休み…またふらっと行こうと思います。 otori205shuttle.
次の主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。 今回は先日姿を消した最後の名鉄SR車であった、5300・5700系の撮影記です。 各務原線で撮影 1955年(昭和30年)に登場した5000系から活躍が続いた名鉄の高性能2扉一般クロスシート車であるSR車(Super Romancecar)は、2019年12月に5300・5700系が廃車されたことによりその伝統に終止符が打たれました。 幼少のころから名鉄の快適なクロスシート車に乗り慣れた私としては、3扉ロングシート車ばかりになった現状は残念でなりません。 ラッシュ対応に難ありという事情でしょうが、並走する東海道本線が普通列車まで転換クロスシート車化されたのとは対照的です。 1976年(昭和51年)に登場した6000系の活躍が続く中、1986年(昭和61年)製の5300・5700系が先に消えるとは全くのノーマークであり、2019年11月30日(土)に慌てて撮影活動を実施し何とかギリギリ間に合ったのでした。 地下鉄上飯田線~名鉄小牧線で犬山に来ました。 朝と深夜のみ運行される名古屋市交通局7000形に乗車することができました。 (2019. 30 7:51) しかし犬山から乗車予定だった5300・5700系が充当されるはずの列車は、他車種に差し替えられていました。 すでに運用を離脱してしまったのでしょうか…がっかりで思わず涙目です。 折角犬山まで来たので、撮影活動を行うべく駅南側の踏切に向かったところ今度は予定外の時刻で5700系が通過、検車場を出庫し各務原線岐阜行となるようです。 運用変更が今度は幸いし、後ほど撮影に赴くことにします。 写真右側の複線は広見線で検車場への出入庫にも使用されます。 そのすぐ左が小牧線で、更に左側が犬山線です。 犬山に到着する小牧線列車を後追いで撮影。 犬山発の小牧線列車も同じ線路を通過するため、同じアングルで撮影することができます。 (2019. 30 8:17) 検車場から出庫した各務原線名鉄岐阜行を後追いで撮影します。 (2019. 30 8:25) 鵜沼の隣りの駅である鵜沼宿駅で下車します。 複線区間の島式ホームで自動券売機、自動改札機完備の無人駅で、お手洗いはありません。 鵜沼宿駅から西(羽場駅方面)へ約200mの直線区間で、岐阜から折り返してくる5700系を待つことにします。 予定通り5700系がやってきました。 2編成残るうちの5704F編成です。 1987年(昭和62年)製の編成で、もう少し車齢の高い6000系が活躍している中で廃車とするにはもったいない車両です。 本来は別形式が充当される列車ながら、撮影されている方が他にもいらっしゃいました。 (2019. 30 9:26) 1986年に神宮前~金山橋間で撮影した5000系です。 非冷房であった5000系などの電動機等を流用して製作された車両が5300系で、5700系は完全な新造車です。 (1986. 29) 更に200m羽場駅側に移動し、「にんじんカーブ」と呼ばれる「お立ち台」(有名撮影ポイント)にて撮影活動を継続します。 7000系パノラマカー引退の頃は大変賑わった場所だそうです。 犬山で折り返した岐阜行を後追いで撮影します。 手前は人参畑なのでしょうか。 左奥には幅駅ホームが見えます。 (2019. 30 9:46) 更に1時間待って、同じ場所でアングルを変えて5704Fを撮影。 一緒に撮影した方によると明日12月1日に新型9500系が運行を開始するとのこと、実際にその通りとなり、代わりに運用を外れた5704Fは12月6日に東名古屋港に回送され、そのまま廃車解体されました。 固定資産税の関係でしょうか、運用離脱から余りに早い解体に悲しむ間もありません(?)。 (2019. 30 10:56) 広見線で撮影 昼頃からは広見線で5300・5700系の運用があるので、移動し撮影活動を続行します。 犬山から5300系に乗車、モ5455の車内です。 ずらりと並ぶ転換クロスシートは、本線の急行列車として相応しい車内設備でした。 可児川駅で下車し撮影活動を行います。 (2019. 30 11:49) 先ほど乗車した5305F編成が新可児で折り返し、モ5405を先頭に可児川駅に到着します。 移動時間がないので、可児川駅の構内踏切横から撮影しました。 この編成は12月23日に廃車回送され、これをもって5300・5700系は形式消滅となり、名鉄2扉一般クロスシート車の歴史が幕を閉じたのでした。 (2019. 30 12:06) 洒落た木造駅舎の残る可児川駅です。 自動券売機、自動改札機完備の無人駅で、お手洗いは改札内にあります。 可児川駅から西可児駅寄り直線距離で約500m、途中に川があり迂回する関係で道程では約1. 2㎞の田園地帯にある踏切で撮影活動を実施します。 昼頃から犬山方面の列車に対して順光となります。 鉄骨の架線柱が一昔前の名鉄的です。 踏切からク6516を先頭にした6500系6416F編成を撮影。 この編成は1987年製で5300・5700系と同時期に導入されましたが、またまだ活躍が続きそうです。 (2019. 30 13:22) 1800系の試運転列車を撮影することができました。 「鉄運」のいいことです。 (2019. 30 13:57) モ5404を先頭にした5300系5304F編成を撮影。 これで本日(2019年11月30日)現在稼働中の、5300・5700系3編成を全て撮影することができました。 5304F編成は12月16日付で廃車されました。 (2019. 30 14:07) 撮影活動を終了し可児川駅に戻る途中で、可児川の中州である「鬼ヶ島」と名鉄電車を撮影。 この付近だけは深山幽谷の趣があります。 (2019. 30 14:18) 奇しくも5300・5700系の最終日となってしまいましたが、好天に恵まれた中で撮影することができて良い一日でした。 翌12月1日からは新型9500系が運行を開始しました。 しかし5300・5700系の引退を含めて、記念乗車券の発売以外はイベント、運行開始日及び最終日の告知はなく、少々寂しいものとなりました。 引退はともかく新車の導入は利用者へPRする絶好の機会だと思われるのですが。 とも言いつつ、置き換えが開始された1700系や、エヴァンゲリオンラッピングのミュースカイなども押さえておきたい被写体が盛りだくさんの名鉄電車、再び撮影活動に臨みたいです。
次のよく、鉄道ファン氏のウェブサイト・ブログなどの自己紹介に「好きな車両」「嫌いな車両」や「好きな鉄道」「嫌いな鉄道」という項目があり、いろいろ書いておられる方が居られるのですが・・ 僕自身は「好きな」はあっても、「嫌いな」鉄道車両や鉄道路線というのは一つもありません。 特に好きな車両以外は全ての鉄道車両が・・好きですし、全ての鉄道路線。 会社が好きなんです。 さて、その中で・・前にも書きましたが、特に好きな車両といえば・・国鉄では20系客車、スハ43系客車、キハ20、キハ28、キハ80、117系電車、153系から始まる一連の急行電車ということになるでしょうか。 私鉄では、南海11001系、阪急6300系、京阪3000系(旧)、名鉄7000系始め一連のSRシリーズとなります。 で・・先だってのこのブログで名鉄SR最後の特急運用を見に行った旅行をアップしていますが・・ その好きな・・大好きな電車である名鉄(名古屋鉄道)SR系について・・ 「国鉄・私鉄の思い出番外編」としましょうか。 昭和30年に颯爽と登場した流線型5000系電車。 卵の殻のような断面をした張殻構造、全車両が軽量電動車、当時最新のカルダン駆動、京阪、阪神に先を越されたとはいえ、大型のロマンスカーとして非常に早い時期の登場でした。 そして、流線型から半流線型への流れともいえる5200系、国鉄サロに先駆けて2連の一段下降窓を採用、正面は曲面ガラスを使ったパノラマミックウィンドウ、これまた画期的な電車で、国鉄の急行電車のデザインに大きな影響を与えたとも言われています。 写真は特徴的な下降窓をユニットサッシに交換した後の様子。 下降窓の防錆技術が十分ではなく、国鉄もまた・・のちに下降窓をユニットサッシに交換していました。 なお、この写真では中間車両が5000系の中間車となっていて、車体断面の違いが分かります。 そして、日本の通勤電車で戦後最初の冷房車・・ 戦後最初・・というのは実は戦前、南海電鉄にかなりの数の冷房車が存在したからで・・ 戦争の激化と共に、贅沢だ・・電力の無駄遣い・・とばかりに・・なくなっていたものです。 昭和35年・・南海が通勤冷房をやめて20年ほどあとに颯爽と登場したのが・・この電車だったのです。 7000系・・言わずと知れた名鉄でもっとも有名な電車。 「パノラマカー」で、普通の通勤、近郊の電車なのに・・先頭展望室、二階運転台、側面に回れば観光バスのような連続窓、もちろん冷房つき・・ 当時の国鉄への対抗策として登場した電車ですが、国鉄はまだ80系ツリカケ電車が横の線路を走っていた時代・・ 名鉄が圧勝していた時代の、輝く名鉄のスターでした。 7500系・・7000系を高速化、高性能化し、最高速度170キロ程度の運転も可能といわれた当時在来線最高の性能を持った電車でもありました。 ただ、制御機器や車体構造が特殊で、他の車両との併結が出来ず、のちに特急列車に自由席と指定席を連結するようになってからは・・7000系の後塵を拝していた感があります。 橋梁でのサイドビュー。 7700系・・70000系と基本は同じですが、車体が普通の貫通構造になり、他車との連結が前提とされた電車です。 正面デザインは優しくおおらかな貫通型ですが、後に通勤車6000系、地下鉄乗り入れ100系のデザインの元にもなっています。 2両編成が中心で、支線への乗り入れも行われていました。 写真は7000系と並んだ白帯車(座席指定対応) 7700系のサイドビュー。 1000系・・座席指定専用の特別車ばかりで編成された系列・・ 後に1200系自由席車両を連結して、名古屋本線での特別車・一般車併結特急となり、今も活躍しています。 当初、特別車・一般車併結特急はこの写真の様な状態に・・ 8800系・・特急のグレードアップ、観光用の本当に特別な電車として登場した国鉄で言えばジョイフルトレインに当たる車両です。 これらSR系列は7500系を除けば互いに連結が出来、つまり運転性能もほぼ等しく、それが故、時には不思議で楽しい編成の姿も見ることが出来ました。 いま、名鉄のSR系で残るのは先だっての日記で紹介した5700系・5300系、それにちょっとSR系と印象は異なるけれども性能は等しい1000系・1200系・1800系の一党のみです。 かつては特急・高速・急行はおろか、普通電車にも相当走り回っていた名鉄SR・・ 庶民的な気軽な普段の電車が、何処の鉄道よりも立派だった名鉄SR・・ その面影は薄れていき、いまや名鉄といえどロングシートの通勤電車が主体です。 時代の変遷を嘆きながら・・ でも、何故か隣のJR東海がかつての名鉄のように転換クロスの電車を大量に走らせている現状を見ると・・ この乗客サービスの逆転現象で名鉄が得るものが何かあるのだろうかと・・疑問に思ってしまいます。 真っ赤で前面展望の出来たパノラマカーの印象的なデザインは、だからこそ、名鉄のファンを増やし、沿線の子供たちの心をつかんだのではないでしょうか。 鉄道という商売は夢が必要な商売です。 小田急にはロマンスカーがあり、東武にはDRCがあり、近鉄にはビスタカー・アーバンライナー・伊勢志摩ライナー・さくらライナー・しまかぜ・・があります。 せっかく、「パノラマ」というすばらしい、社会的にも認知されたブランドがあるのにこれを消えさせてしまうような方向性で、企業の社会的価値が上昇すると・・名鉄は本当に考えているのでしょうか。 名鉄経営陣に一考を願いたいところです。 「国鉄・私鉄の思い出」ブログ、更新しました。 「昭和62年6月、秋田にて」.
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