枕草子 内容。 枕草子

清少納言の性格や執筆した枕草子の内容を分りやすく解説!

枕草子 内容

「枕草子」の随筆としての特徴は? そもそも随筆とは、気ままに好きなことを書き連ねた文章のことを指します。 現代風に言葉を変えるとしたら「エッセイ」でしょうか。 そこでまずは、「 枕草子」の随筆としての特徴について見ていきましょう。 「 春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく~」という馴染みの冒頭で始まる「枕草子」は、平安時代中頃の作品です。 作者は当時、あの「源氏物語」の作者・紫式部と並び称される人気女流作家、 清少納言(せいしょうなごん)です。 そんな「枕草子」の最大の特徴といえば、作品中に複数回出てくる「 をかし」という言葉でしょう。 その数、なんと四百回以上。 これは、現代語にする際には、「興味深い」だとか「好ましい」「素晴らしい」などの意味として訳されています。 さらに、題材としては 平安時代である当時の貴族社会や自然美などを取り扱っています。 その書き綴りようは、とても自由です。 四季折々の醍醐味や美しさを述べているかと思えば、自分が仕えていた中宮・定子の素晴らしさを自慢してみたり、宮中のちょっとしたエピソードを書いていたりもします。 そればかりか、「容姿が優れていないカップルは公衆の面前でイチャイチャして欲しくない」だとか、「大した野菜でもないのに、正月になぜ大根がが取り沙汰されるのか」など、ちょっと毒の混じった持論まで書き連ねてあるのです。 現代的に見ると、ちょっとしたブログですね。 この「枕草子」は、随筆と呼ばれるに相応しく、清少納言が個人的に「興味深いもの」や「美しく素晴らしいもの」「気になって仕方がないもの」などを並び立てて書き綴った作品なのです。 スポンサードリンク 「方丈記」の随筆としての特徴は? 続いて、「 方丈記」の随筆としての特徴について見てきます。 作者は 鴨長明(かものちょうめい)という人物で、随筆家という面以外にも、歌や琵琶、琴の名手としてもその名を馳せた事で知られています。 また、冒頭部分の「 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 」がとても有名です。 鎌倉時代初期に書かれたこの作品ですが、実は既に、原文が失われてしまっているのです。 そんな鴨長明が描いた「方丈記」は、三大随筆と言われてはいますが、他の「枕草子」や「徒然草」と比較すると、また違った雰囲気の世界観を描き出しています。 「方丈記」に書かれている前半部分は、鴨長明が実際に体験した五大災害が記され、またそこから窺えるこの世の無常さや理不尽さが描かれています。 そして、後半部分では、自身の生まれや環境などを先述し、そこから出家隠匿した後の生活のことや、仏道への高まる念などが書かれています。 つまり、この「方丈記」というのは、 鴨長明の人生観や無常観などを記した、自叙伝ともいえる作品なのです。 そのため、近年では、この「方丈記」を随筆とするのは間違いなのではないかという一部の意見もあります。 作者の 吉田兼好(よしだ けんこう)は、南北時代に官人として仕えており、また歌人や随筆家、古典学者、能書家など多彩な才能を発揮した人物です。 本名を卜部兼好(うらべ かねよし)と言い、また、出家したこともあり、兼好法師と呼ばれることもあります。 「徒然草」の作成時期は、鎌倉時代末期ごろという説が主流ですが、正確な時代は断定されていません。 さて、徒然草も他の2作品と同様、冒頭部分が有名です。 「 つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向かひて、心に移りゆくよしなしごとを~」 この一節に、見覚えがある方もいるのではないでしょうか。 そんな吉田兼好の「徒然草」は、冒頭の文章を現代語に訳してみると、一体どんなものなのかが分かります。 簡単に現代語に訳してみました。 「 これは、取り留めてやることがなく、 手持無沙汰なまま硯に向かい、 心に浮かぶ他愛ないことを赴くままに一日中書いていたもの」 つまり、「徒然草」には、「これだ」というテーマはありません。 ただ、 吉田兼好が思いつくままに、自分が思ったこと書き連ねた作品なのです。 強いて言えば、その項その項で独立した短編集のような作品といえるでしょうか。 おかげで 登場人物は、天皇や上皇、貴族に武士、更には博打打ちなど、男女の境なく幅広い人物たちが出てきます。 これがまた活き活きと描写されていて、吉田兼好の優れた観察眼が窺えます。 また、 独自の持論や趣向なども幅広く述べられており、項によっては一貫性がない主張などもされています。 そこがまた人間味を感じさせ、確かに思いつくままに書かれたのだろうと感じさせてくれるのです。 教科書ではお馴染みの「徒然草」ですが、実は 大人になってからの方が面白さを味わえるかもしれません。 色々な人々と出会い、経験をしたからこそ、吉田兼好が言いたかったことが理解できるといった作品だと思います。 「徒然草」は、吉田兼好が年を重ね、経験を積み、生きていく上で得た感性や価値観などの持論を述べた随筆らしい随筆なのです。 スポンサードリンク この記事のまとめ 日本三大随筆といわれる「枕草子」「方丈記」「徒然草」の随筆としての特徴を、もう一度簡単にまとめてみました。 ・枕草子: 作者は清少納言 平安時代中期に書かれた 「春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく~」という冒頭部分が有名 「をかし」という言葉がよく使われる 当時の貴族社会や自然美をよく扱っている ・方丈記: 作者は鴨長明 鎌倉時代初期に書かれた 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 」という冒頭部分が有名 作者の人生観や無常観をよく扱っている ・徒然草: 作者は吉田兼好 鎌倉時代末期に書かれたとされる 「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向かひて、心に移りゆくよしなしごとを~」という冒頭部分が有名 作者が思った事を書き連ねた作品。 内容も幅広い 学校で習うことも多いこの三作品。 三代随筆という括りではありますが、このように比較してみると分かるように、それぞれとても色合いの違った作品だとは思いませんか? 随筆は、決して難しいジャンルではありません。 なにせ書き記した人物もまた、気楽に書いているのです。 今だからこそと読んでみれば、勉強として習っているときには気付かなかった面白味を味わえるかもしれませんよ。 スポンサードリンク.

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枕草子、方丈記、徒然草を比較!日本三大随筆の特徴とは?

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「枕草子」 読書の秋、10月は古文の授業で必ず登場する清少納言の「枕草子」を取り上げます。 優れた人間観察や風景描写が散りばめられた随筆ですが、習ったのは受験に役立つ文法が中心で、内容については深く知らない人がほとんどではないでしょうか。 そこで今回は、その本当の面白さを伝えられたらと思っています。 一条天皇の中宮・定子に仕え、才女として知られる清少納言ですが、「枕草子」には教条的な部分がまったくありません。 そこで語られているのは、男と女の性愛やすれ違い、人間関係のありがたさや難しさ、庭先でふと見つけた自然美など、日常の中の出来事と人間の正直な本音です。 本音だからこそ、時代を超えた普遍性と説得力があります。 それが大きな魅力となっています。 もう一つの特徴は、清少納言の観察力の鋭さと明るさです。 清少納言は才女でしたが、「法師はイケメンがいい」と言いきるミーハーなタイプでした。 また容姿にコンプレックスを持ち、家柄も誇れるものではなかったのですが、機転がきくため宮中の男たちにもてました。 頭でっかちであれば、人の心を描けません。 地位も美貌も兼ね備えた女性であれば、世の中を客観的に見つめることができなかったかもしれませんね。 彼女の生い立ちと性格が、「枕草子」を名作にしたのです。 番組では、清少納言の人生や当時の貴族社会を解説しながら、現代にも通じる「枕草子」のメッセージをひもといていきます。 視覚、聴覚、嗅覚をフルに使って世の中を切り取った。 視覚の面では遠近感のある描写が得意だ。 最も有名なのが「春はあけぼの」で始まる文章である。 春の早朝、横雲がたなびく中、空が次第に白くなっていく様子を描いたものだが、こうした散文による風景描写を日本文学に持ち込んだのは清少納言が初めで、「源氏物語」にもその影響が見られる。 第1回では、清少納言が切り取った一瞬の情景を楽しむと共に、「枕草子」が生まれた背景に迫る。 男は夜になると女のもとに忍んでやってくる。 宮中の女房のもとにも男が来ていた。 「枕草子」にはそうした会話を盗み聞きしている様子が描かれている。 清少納言が出会った男も数多く登場する。 共に夜を過ごした翌朝、気が利いた優しい手紙をくれる男。 房事が済むと、音を立てて慌ただしく帰り支度を始める無粋な男などだ。 いい男は持ち上げられ、悪い男は気の毒なほどに切り捨てられているが、清少納言の純情さも随所に見受けられ、その乙女心がほほえましい。 第2回では、清少納言が鋭く描き出した男女それぞれの魅力や、今も昔も変わらぬ男女の愛の機微を楽しむ。 清少納言は、何をすれば信頼を得られるかを的確に把握していた。 そのため「枕草子」は優れたマナー集として読むことが出来る。 また平安時代版・キャリアウーマンだったため、理想的な上司と部下の関係や、プロ意識をもつことの大切さなどついても事細かに記されている。 第3回では、「枕草子」を現代に通じるマナー集として読み解く。 そしてもう一つは時代背景だ。 当時清少納言が仕えていた定子は、実家が権力闘争に敗れたため、孤立を深めていた。 そのため清少納言は、定子を元気づけようと、厳しい現実には目をつぶり、輝かしい日々だけを記したのだ。 第4回では、当時の状況をおさえながら、清少納言が優れたエッセイストたりえたのはなぜかに迫る 「枕草子」こぼれ話 清少納言「枕草子」いかがでしたか? 「『枕草子』といえば『春はあけぼの』の段を暗記させられた記憶しかない」と、伊集院光さんも番組でいっていましたが、プロデューサーAも全く同じ。 300段以上もあるなんてことも知らなかったですし、「春はあけぼの」以外の段にこんなにも面白い話が満載だったことも恥ずかしながら知りませんでした。 さて、そんな魅力あふれる「枕草子」をどう料理するのか? なにしろ清少納言は、胸のうちに好奇心の奔流が渦を巻いているような人。 世の中のありとあらゆる素材を文章にしています。 テーマを四回にまとめ上げるなんてとてもできそうにありません。 ……とはいえ、「情景描写」「男女の機微」「マナーのよしあし」というテーマは初期の段階にほぼ固まりました。 しかし、もう一つがなかなか決まりません。 そこに救世主が現れました! 今回講師を担当してくださった山口仲美先生です。 「エッセイストの条件……なんてどうかしら?」と、開口一番にひとこと。 最初はどういう意味かわからず、「?」という感じだったのですが、打ち合わせをしていく中でだんだん考えがまとまっていきました。 これだけ多岐にわたって文才を発揮する清少納言のエッセイをひとくくりにすることは所詮無理。 むしろその多様性を「なぜこれほど豊かなエッセイを清少納言は書くことができたのか」という視点から切り取れば、枕草子の魅力が伝わるのではないか(これ、かなりプロデューサーAの強引な解釈が入っています。 先生、違ってたらごめんなさい)。 そう考えると、すーっと視界が開けてきました。 これが第四回「エッセイストの条件」誕生の舞台裏です。 もちろんその後も、どうやったら「エッセイストの条件」を魅力的に描けるか、ディレクターや山口先生とさまざまなやりとりをしながら、苦労して練り上げていきました。 個人的には、単に作品の中身を紹介するよりも、立体的に清少納言や枕草子のことがわかる仕掛けをつくることができたのではないかと考えています。 次回は、松下幸之助、吉川英治、田中角栄、川上哲治ら各界のリーダー達が座右の書にしたとされる処世訓の傑作「菜根譚(さいこんたん)」です。 逆境を乗り切る知恵が満載です。 お楽しみに!.

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「枕草子」の内容からわかる平安の猫ブーム!一条天皇の「猫愛」がヤバイ!

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枕草子とは? 枕草子 まくらのそうし は、平安時代の中期に 清少納言 せいしょうなごん によって書かれたとされる文学作品です。 「枕草紙」「枕双紙」「枕冊子」とも表記され、かつては「まくらそうし」「清少納言記」「清少納言抄」などとも呼ばれました。 鴨長明 かものちょうめい の『 方丈記 ほうじょうき 』、吉田兼好 よしだ けんこう の『 徒然草 つれづれぐさ 』とあわせて、 日本三大随筆と呼ばれています。 特徴としては、平仮名を中心とした 和文で書かれていること、簡潔な文章で書かれた短編の多いことが挙げられます。 なお、清少納言は漢学にも通じていました。 枕草子の内容 枕草子の内容は、一般的には次の三種類に分類されます。 なお、章段 しょうだん とは、文章の段落、長い文章の中の一段落をいいます。 「ものづくし」の 類聚 るいじゅ、るいじゅう=同種類のものを集めること 章段• 自然などを観察した 随想章段• 宮廷社会を思い起こした 回想章段 日記章段 スポンサーリンク 実際に、いくつかを読んでみましょう。 初段の「春はあけぼの~」については、こちらをご覧になって下さい。 瓜にかきたる稚児の顔。 すずめの子の、 ねず鳴きするに踊り来る。 二つ三つばかりなる稚児の、 急ぎて這いくる道に、 いと小さき塵のあり けるを 目ざとに見つけて、 いとをかしげなる指にとらへて、 大人などに見せたる、 いとうつくし。 【現代語訳】 かわいらしいもの。 瓜に描いた幼い子供の顔。 雀の子が、 人がねずみの鳴きまねをすると 踊るようにやって来ること。 二つか三つくらいの幼い子供が、 急いで這って来る途中で、 とても小さな塵 ちり があるのを 目ざとく見つけて、 とてもかわいらしい指でつまんで、 大人などに見せるのは、 とてもかわいらしい。 月のいと明きに 月のいと明きに、川を渡れば、 牛の歩むままに、 水晶などの割れたるやうに、 水の散りたるこそをかしけれ。 【現代語訳】 月がとても明るいときに、 川を渡っていると、 牛が歩くとともに、 水晶などが割れたように、 水が飛び散ったのは、 それは美しいものでした。 宮に初めて参りたるころ 抜粋 宮に初めて参りたるころ、 ものの恥づかしきことの数知らず、 涙も落ちぬべければ、 夜々参りて、 三尺の御几帳の後ろにさぶらふに、 絵など取り出でて 見せさせたまふを、 手にてもえ差し出づまじうわりなし。 スポンサーリンク 枕草子の作者は? それでは、清少納言の経歴やエピソードなどから、彼女の人となりを探っていきましょう。 作者の経歴 実名が特定できないなど不明な部分がありますが、経歴を簡単にみていきましょう。 966年頃 歌人・清原元輔 きよはらのもとすけ の娘として生まれる。 974年 父の周防国 すおうのくに への赴任に同行。 981年頃 陸奥守・橘則光 たちばなののりみつ と結婚、一子を生むも後に離婚する。 - 摂津守・藤原棟世 ふじわらのむねよ と再婚し、 小馬命婦 こまのみょうぶ=女流歌人 をもうける。 993年頃 中宮定子 ちゅうぐうていし に女房として仕える。 1000年 中宮定子が亡くなり、やがて宮仕えをやめる。 1025年頃 没する。 なお、「清少納言」は女房名 にょうぼうな=通称 であり、「少納言」は官職名です。 百人一首の和歌 清少納言は、中古三十六歌仙と女房三十六歌仙の一人に数えられています。 『後拾遺和歌集 ごしゅういわかしゅう 』などの勅撰和歌集に15首が入集しており、家集『清少納言集』を残しています。 百人一首には、次の歌が採られています。 夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言と紫式部 清少納言は、『源氏物語』を書いたとされる紫式部 むらさきしきぶ とライバル関係にあったとされてきました。 たしかに、『紫式部日記』には清少納言をけなすような記述があります。 しかし現在では、清少納言が紫式部に関する記述を残していないことなどもあり、二人は面識がなかったとする見方が有力です。 駿馬 しゅんめ の骨 『古事談 こじだん=鎌倉時代の説話集 』には、次のような清少納言のエピソードがあります。 清少納言の晩年に、彼女の家の前を通りかかった若い貴族が「 少納言無下にこそなりにけれ」と言うと、鬼のような形相をして「 駿馬の骨をば買はざるや」と言い返しました。 つまり、「清少納言も落ちぶれたものだなあ」と言われて、「駿馬の骨を買わないの? =名馬の骨には買い手がつくものよ」と返したのです。 これは実話かどうかわかりませんが、清少納言の頭の良さと性格が伺えるものといえるでしょう。 まとめ 清少納言は、約千年ほど前の平安時代を生きた人です。 しかし、ものの感じ方は現代の我々と変わるところはありません。

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