東京ドームのローマ教皇ミサに5万人が集結 来日3日目のローマ教皇フランシスコ 82。 東京ドームに約5万人を集め大規模な「ミサ」が行われた。 ドーム周辺は開始前から熱気ムンムン。 約2時間前からすでに東京ドームには多くの人が訪れている。 ローマ教皇来日記念のオフィシャルグッズ売り場にもアイドルのコンサートさながらの行列ができた。 ブックカバーやアクリルキーホルダーなど 「ソールドアウト」の文字が目立った。 わざわざ2日前に、フィリピンから来たというグループは「会場に入るチケットがないんです。 だから誰か助けてくれる人がいれば…」と語った。 棋士でカトリック教徒の加藤一二三さんの姿も アリーナ席も設けられた東京ドーム。 棋士でカトリック教徒の 加藤一二三さんの姿も。 そして、午後3時半。 教皇フランシスコが登場すると、参加者は小旗を振り、歌で歓迎した。 これに教皇は手を振って応えたり、 子どもにキスで感謝を伝える場面も。 トヨタの燃料電池車「MIRAI」をベースに作られ、環境を重視する教皇の意向に沿って製造されたという。 ローマ教皇: 善意ある全ての人とまら異なる宗教を信じる人々と絶えざる協力と対話を重ねるならば私たちは全ての命をより一層守り世話する。 社会の予言的パン種となれるでしょう。 この模様を中継で見守った教会の施設では、「涙が出て感動しました」と話す人や「とりあえずここで見られてよかった…」と涙ぐみ、言葉を詰まらせる人もいた。 午前には天皇陛下や被災者と面会も このミサに先立ち、午前11時頃、教皇フランシスコは燃料電池車で皇居へ。 陛下との面会では、長崎・広島への訪問や環境問題などで話が弾み、教皇からこのような言葉も。 「私は幼少の頃より日本の天皇家に対して尊敬の念を抱いていました」 また、午前10時過ぎには都内で東日本大震災の被災者とも面会し、今後の復興を強く願った。 夕方からは首相官邸で安倍首相との会談に臨む。 Live News it! 11月25日放送分).
次のミサ説教(すべてのいのちを守るため) 東京ドーム、11月25日 今聞いた福音は、イエスの最初の長い説教の一節です。 「山上の説教」と呼ばれているもので、わたしたちが歩むよう招かれている道の美しさを説いています。 聖書によれば、山は、神がご自身を明かされ、ご自身を知らしめる場所です。 神はモーセに、「わたしのもとへ登りなさい」(出エジプト24・1参照)と仰せになりました。 その山頂には、主意主義によっても、「出世主義」によっても到達できません。 分かれ道において、師なるかたに、注意深く、忍耐をもって丁寧に聞くことによってのみ到達できるのです。 山頂は平らになり、周りがすべて見渡せるようになり、そこはたえず新たな展望を、御父のあわれみを中心とする展望を与えてくれるのです。 イエスにこそ、人間とは何かの極みがあり、わたしたちの考えをことごとく凌駕する充満に至る道が示されています。 イエスにおいてわたしたちは、自分たちは神の子どもだと知って自由を味わう、新たないのちを見いだすのです。 しかし、わたしたちはこの道において、子としての自由が抑え込まれ弱まるときがあることを知っています。 それは、不安と競争心という悪循環に陥るときです。 あるいは、息も切れるほど熱狂的に生産性と消費を追い求めることに、自分の関心や全エネルギーを注ぐときです。 まるでそれが、自分の選択の評価と判断の、また自分は何者か、自分の価値はどれほどかを定めるための、唯一の基準であるかのようにです。 そのような判断基準は、大切なことに対して徐々にわたしたちを無関心、無感覚にし、表面的ではかないことがらに胸がときめくように仕向けるのです。 何でも生産でき、すべてを支配でき、すべてを操れると思い込む熱狂が、どれほど心を抑圧し、縛りつけることでしょう。 ここ日本は、経済的には高度に発展した社会ですが、今朝の青年との集いで、社会的に孤立している人が少なくないこと、いのちの意味が分からず、自分の存在の意味を見いだせず、社会の隅にいる人が、決して少なくないことに気づかされました。 家庭、学校、共同体は、一人ひとりがだれかを支え、助ける場であるべきなのに、利益と効率を追い求める過剰な競争によって、ますます損なわれています。 多くの人が、当惑し不安を感じています。 過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされているのです。 力づける香油のごとく、主のことばが鳴り響きます。 思い煩うことなく信頼しなさい、と。 主は三度にわたって繰り返して仰せになります。 自分のいのちのことで思い悩むな、……明日のことまで思い悩むな(マタイ6・25、31、34参照)。 これは、周りで起きていることに関心をもつなといっているのでも、自分の務めや日々の責任に対していい加減でいなさいといっているのでもありません。 それよりも、意味のあるより広い展望に心を開くことを優先して、そこに主と同じ方向に目を向けるための余地を作りなさいという励ましなのです。 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。 そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6・33)。 主は、食料や衣服といった必需品が大切でないとおっしゃっているのではありません。 それよりも、わたしたちの日々の選択について振り返るよう招いておられるのです。 何としてでも成功を、しかもいのちをかけてまで成功を追求することにとらわれ、孤立してしまわないようにです。 この世での己の利益や利潤のみを追い求める世俗の姿勢と、個人の幸せを主張する利己主義は、実に巧妙にわたしたちを不幸にし、奴隷にします。 そのうえ、真に調和のある人間的な社会の発展を阻むのです。 孤立し、閉ざされ、息ができずにいる「わたし」に抗しうるものは、分かち合い、祝い合い、交わる「わたしたち」、これしかありません(「一般謁見講話(2019年2月13日)」参照)。 主のこの招きは、わたしたちに次のことを思い出させてくれます。 「必要なのは、「わたしたちの現実は与えられたものであり、この自由でさえも恵みとして受け取ったものだということを、歓喜のうちに認めることです。 それは今日の、自分のものは自力で獲得するとか、自らの発意と自由意志の結果だと思い込む世界では難しいことです」」(使徒的勧告『喜びに喜べ』55)。 それゆえ、第一朗読において、聖書はわたしたちに思い起こさせます。 いのちと美に満ちているこの世界は、何よりも、わたしたちに先立って存在される創造主からの、すばらしい贈り物であることを。 「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。 見よ、それはきわめてよかった」(創世記1・31)。 与えられた美と善は、それを分かち合い、他者に差し出すためのものです。 わたしたちはこの世界の主人でも所有者でもなく、創造主と同じ夢にあずかる者なのです。 「わたしたちが、自分たち自身のいのちを真に気遣い、自然とのかかわりをも真に気遣うことは、友愛、正義、他者への誠実と不可分の関係にある」(回勅『ラウダート・シ』70)のです。 この現実を前に、キリスト者の共同体として、わたしたちは、すべてのいのちを守り、知恵と勇気をもってあかしするよう招かれています。 感謝、思いやり、寛大さ、ただ聞くこと、それらを特徴とする姿勢を、いのちをそのままに抱きしめ受け入れる姿勢を、あかしするようにと。 「そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま」(「ワールドユースデー・パナマ大会の前晩の祈りでの講話(2019年1月26日)」)引き受けるのです。 わたしたちは、この教えを推し進める共同体となるよう招かれています。 つまり、「完全でなく、純粋でもなく、純化されていなくても、愛をかけるに値しないと思ったとしても、まるごとすべてを受け入れるのです。 障害をもつ人や弱い人は、愛するに値しないのですか。 よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか。 イエスは、重い皮膚病の人、目の見えない人、からだの不自由な人を抱きしめました。 ファリサイ派の人や罪人をその腕で包んでくださいました。 十字架にかけられた盗人すらも腕に抱き、ご自分を十字架刑に処した人々さえもゆるされたのです」(同)。 いのちの福音を告げるということは、共同体としてわたしたちを駆り立て、わたしたちに強く求めます。 それは、傷をいやし、和解とゆるしの道をつねに差し出す準備のある、野戦病院となることです。 キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる、いつくしみという基準です。 主に結ばれて、善意あるすべての人と、また、異なる宗教を信じる人々と、協力と対話を欠かさずにいたならば、わたしたちは、すべてのいのちを、よりいっそう守り世話する、社会の預言的パン種となれるでしょう。
次の2019. 25 17:00 ローマ教皇5万人ミサ 現在の東京ドームの様子です。 来日中のローマ・カトリック教会フランシスコ教皇が大規模なミサを開いています。 およそ5万人が集まった・カトリック系の学校に通う学生や教会関係者などが出席・抽選などでチケットが割り振られた・ミサは最初に聖歌が歌われ日本語に加えてラテン語、英語、スペイン語など8ヵ国語で聖書を朗読など今回、実に38年ぶりの来日となった教皇が、日本から世界に向けて伝えたかったメッセージとはなんだったのでしょうか。 【ローマ教皇スピーチ】 「三大災害から8年、日本は連携し、根気強く、粘り強く、不屈さを持って一致団結できる人々であることを示してきました」 都内できょう、フランシスコ教皇は東日本大震災の被災者と面会し、復興への努力をたたえました。 その後、皇居へ移動し、天皇陛下と面会。 およそ20分にわたり会談し、陛下は長崎・広島への訪問などに感謝を述べられました。 そして先ほど午後3時半すぎ、およそ5万人の信者たちが待ち構えるなかフランシスコ教皇が東京ドームでのミサにのぞむため会場に到着。 さらに、会場の外にも信者たちの姿が 【信者コメント】 「抽選に外れた。 グッズだけ買いに来た」 「息子と一緒に平和を祈る」 ミサの冒頭、フランシスコ教皇は、今回の来日で感じたある思いを口にしました。 【ローマ教皇スピーチ】 「日本は経済的には高度に発展した社会ですが、今朝の若者たちとの集いの中で気づかされたことがあります。 それは、社会的に孤立している人が決して少なくなく、いのちの意味がわからず、自分の存在の意味を見いだせず、社会からはみ出していると感じていることです。 」 ローマ教皇は世界におよそ13億人の信者がいるキリスト教最大の教派、ローマ・カトリック教会のトップ。 国際社会に大きな影響力を持つといわれています。 日本の信者はおよそ44万人で人口のわずか0. 4%ほどです。 それにもかかわらず、ローマ教皇はとりわけ日本を訪れることを強く望んでいたといいます。 それは... ローマ・カトリック教会 フランシスコ教皇 「ここは核兵器が人道的にも環境的にも悲劇的な結末をもたらすことの証人でもある町です」 今回の訪日、目的の一つは被爆地から核兵器廃絶のメッセージを世界に発信するため。 きのうは長崎、広島を訪れ、被爆者と言葉を交わしました。 フランシスコ教皇 「現在と将来の世代がここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません」「核戦争の脅威で威嚇することでどうして平和を実現できるでしょうか」 核兵器を保有すること自体を倫理に反すると批判しました。 また、死刑制度に反対の立場を表明している教皇。 きょうのミサには、静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑が確定し、再審請求中の袴田巌さんが招待されていて、 この後予定されている安倍総理との会談で死刑制度廃止を働き掛けたりするのではないかと注目されています。
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