彼女はなぜ、SEXや排泄など、車いすユーザーのリアルな生活を包み隠さず配信するのか。 山奥で暮らす彼女を訪ねた。 26歳のときに転落事故で脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされた。 彼女の配信動画を観ると、ケガの経緯や車いす生活の実情について笑いを交えて語っている。 中でも排泄やSEX事情の赤裸々な告白は話題を呼んだ。 そこには我々が、障害をもつ人たちに対して抱きがちな暗さは微塵も感じられない。 山形県の鶴岡市、湯殿山麓にある山村で、渋谷氏は車いす生活を送っている。 2年前の春、勤めていた会社を辞め、茅葺き屋根職人である父親の後を継ごうと決めた。 その年の7月に転落事故は起きた。 「見習いとして作業中、民家の軒先からバランスを崩してそのまま転落。 3mほどの高さから、その庭の池の縁に積まれた石に背中を打ちました。 下半身に痛みはなく、正座を崩したときに近い痺れが続きましたが、それが足先なのか、膝なのかはわかりませんでした」.
次のこの記事の内容• 渋谷真子(現代のもののけ姫Maco)さんがYouTubeをはじめた理由 現代のもののけ姫Macoこと渋谷真子さんは2018年7月、転落事故に遭われて下半身が麻痺し、車椅子の生活になられました。 それまでされていたツイッターでも、その直後の状況を発信されていましたが、言葉だけでは限界があるな、と感じるようになったそうです。 入院中、SNSやYouTubeなどで脊髄損傷の人の話を検索したけど、同じ部位損傷でも人によって違うんだなと実感され、その事も、YouTubeを始めるきっかけになった、とも。 脊損者は毎年5000人ほど出ているらしい、という現状を知り、もしかしたら自分が、家族が、友人がなるかも知れないような、誰にでも起こりうる事、それなら誰もが知識として知っておいて損はないな、と思われたんだそうです。 この、YouTubeを始めた動機がすごいと思いました。 事実、彼女はこう言っています。 「お力になれることがあればいつでもお問い合わせください」 この言葉が言えるのは、障害を乗り越えていく覚悟が自分にあると確信されているからではないでしょうか? YouTube動画のスタートは 2019年・令和元年の8月から。 同じように事故に遭われた人や医療関係者のみならず、一般の方にまで今も拡散し続けている理由は、 真子さんの言葉の根底にある 励ましの力を感じるからではないかな、と思いました。 一番最初の動画で、彼女は 「言いづらい事もいっぱいあるけど、話していきたい」と語られています。 確かにこの、「何でも聞いて!」感、頼れるお姉さん感は、文字だけでは伝わらなかっただろうなぁ。。 渋谷真子さんの、最初の動画はこちら! 現代のもののけ姫Macoの本名や年齢、プロフィール 現代のもののけ姫Macoさん、 本名、渋谷真子さん。 現在27歳です。 (2019年10月現在) お住まいは 山形県鶴岡市。 ご実家が民宿を営んでおられたそうで、これがまた立派な 茅葺き屋根なんだとか。 南国風ギャルの茅葺き職人を目指していた、とおっしゃってますが、この茅葺き屋根の維持には技術が必要らしく、もしかしたらそれで職人を目指されたのかな? その当時のものでしょうか、彼女のブログから見つけた写真です。 ご自分の仕事に誇りを持つ様子が伺える、ステキな写真ですよね! 渋谷真子さんの車椅子の理由は事故 茅葺き職人の見習いとして頑張りつつ、マタギとしても活躍されながら、晴耕雨読の田舎暮らしをツイートされていました。 山奥育ちで狩猟もするので 「もののけ姫感あるよな~」と自分で思ったことから、この名前を付けたんだとか。 うむ、確かに。 そんな中、高さ3m近くある所から転落し救急車で病院へ運ばれました。 26歳の時です。 真子さんは、相当ひどい事をなんとなく感じつつ、心配されているご両親をなだめながら、スマホが壊れていないかを心配されていた、っていう武勇伝も残されています。 7時間に及ぶ手術のあと、分かったのは 胸椎という12本ある骨のうち8番目が損傷している事。 神経が傷ついてしまっている、 脊髄損傷です。 損傷レベルはMax5。 おへそから下の感覚が全くないため、車椅子生活となりましたが、真子さんは 「悲観する理由がない」と言われます。 「不自由なだけで、何も出来ない訳じゃない」と。 事実、海外旅行(クアラルンプール)へも 一人で行かれてますよ! その様子がわかる動画はこちら! 渋谷真子さんに称賛の声多数!(応援メッセージ) 想像しただけで怖く不安であろう海外旅行へも、受傷1年で決行された真子さん。 下半身の感覚が全くない、ということは、おトイレに行きたいという体からのサインが感知できないという事でもあります。 それでも、2泊3日の海外への旅にチャレンジしたのは、 感じず、動かせない体を自分自身で管理できるという確信を、1年で築き上げたという証明でもありますよね。 この真子さんの姿は、別の病や怪我で苦しむ人への励ましにもなっているようです。 事実、視聴回数がたった1日で10万単位で増えているんですよ~! びっくりしました、昨日476万回だったのに今日は492万回って、ありえます? 真子さんには、下半身麻痺という厳しい現実にも悲壮感が見事になく、それよりも前へ進もうとされる意志があり、 言いにくいであろう事も自らオープンに話してくれています。 これまで14本(2019年(令和元年)10月7日現在)の動画をアップされていますが、その中でも251万回と、飛びぬけて視聴回数が多かったは、私も拝見して「なるほど!」と思いました。 新しい知識というか、その情報量がすごい! 何が一番大変か、どんなリスクがあるか、飲んでいる薬は何か、それを使うのはなぜか。 どんな道具があって、何が必需品なのか。 彼女の話は理路整然としていて、素直な言葉に共感できるので、12分があっと言う間でした。 その動画はこちら! 女子なら恥ずかしいであろう内容を、彼女が何のために動画で話してくれているのかが、 言葉以上に姿で伝わってきます。 真子さんが言ってました。 「排泄障害を知っている人の前で漏らすのと、知らない人の前で漏らすのとでは、私的には気持ちが全く違ってきます。 ですから是非、こういう障害があるというのを知っていただけたらな、と思います」。 この勇気ある真子さんの行動は、県内ローカルのテレビでも放送されたそうです。 スポンサードサーチ• 「女性という立場で、ものすごくデリケートなお話なのに、勇気を持って動画にされた公道に拍手を送りたいです」(排泄障害の実態)• 「当たり前だと思っていた『普通』が当たり前じゃない、という事を感じました」(同)• 「自分も障がい者になってまだ現実を受け止められない状態ですが、動画見たら元気が出ました。 ベッドから出て車椅子人生を楽しみたいです」(脊髄損傷は歩けないだけじゃない)• 「車の乗り降りもスペースがこんなに必要で、大変なんだと初めて知りました。 免許更新所でもこの動画流せばいいのに」(車への移動・車椅子積み下ろし) これはほんの一部ですが、 励まされる人や感動した人、学べた事を感謝する人でいっぱいでした。 中にはアンチに激怒する人も。 けれど真子さんは一貫して、 言葉にしにくい事を丁寧に発信してくださっています。 その思いを感じ取れる人の方が多い事に、一番驚いているのは真子さんご本人のような気もするんですよね~。 まとめ• 現代のもののけ姫Macoこと渋谷真子さんの車いすの理由は、26歳の時の転落事故。 脊髄損傷で損傷レベルはMax5。 山形県鶴で岡市出身ご実家が民宿。 立派な茅葺き屋根だった。 実家の民宿の茅葺き屋根がきっかけで、茅葺き職人を目指していた。 24歳の時、狩猟免許を取得。 女性猟師になる。 現在、車いすYouTuberとして多くの人に励ましを送り活躍している。 この記事を書く作業を忘れて見入ってしまった、 「現代のもののけ姫Macoこと渋谷真子」さんの動画。 彼女が体験しているリアルをそのままダイレクトに伝えてくれていますが、考えてみればこれは至難の業ですよね。 事故でこうなった、ということに彼女自身が縛られていないからです。 事態を受け入れる容量が大きいのかな? 確かに大らかな人柄は感じますが、「あの時転落していなければ…」という思いは、なかった訳ではないと思うんです。 自分の可能性を信じる力が「現代のもののけ姫Maco」さんの魅力と強さの土台なのでしょう。 事故から3週間後のツイッターの中で、彼女はこうおっしゃってます。 考え方や行動ひとつで、いくらでも、どうにでも可能性は広がっていきます。 簡単な道ではないかも知れない。 でも諦めなければ、1mmでも進んで行けばどんどん新たなレールが伸びていくはず。 レールを伸ばしていくためには、悲しんでいる時間なんてありません。 毎日前向きに笑って過ごしている方がたのしいですからね。 茅葺き職人やマタギのレールからは、今は外れてしまいましたが、必ず違う形で、そのレールに戻っていきたいです。 うんと年下の彼女を、私は尊敬します。 チャンネル登録、させていただきました。 スポンサードサーチ.
次の彼女はなぜ、SEXや排泄など、車いすユーザーのリアルな生活を包み隠さず配信するのか。 山奥で暮らす彼女を訪ねた。 26歳のときに転落事故で脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされた。 彼女の配信動画を観ると、ケガの経緯や車いす生活の実情について笑いを交えて語っている。 中でも排泄やSEX事情の赤裸々な告白は話題を呼んだ。 そこには我々が、障害をもつ人たちに対して抱きがちな暗さは微塵も感じられない。 山形県の鶴岡市、湯殿山麓にある山村で、渋谷氏は車いす生活を送っている。 2年前の春、勤めていた会社を辞め、茅葺き屋根職人である父親の後を継ごうと決めた。 その年の7月に転落事故は起きた。 「見習いとして作業中、民家の軒先からバランスを崩してそのまま転落。 3mほどの高さから、その庭の池の縁に積まれた石に背中を打ちました。 下半身に痛みはなく、正座を崩したときに近い痺れが続きましたが、それが足先なのか、膝なのかはわかりませんでした」.
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