さる10月30日に尼崎連続変死事件をテーマにしたノンフィクション『家族喰い-尼崎連続変死事件の真相-』 小野一光著、太田出版刊 が発売された。 同書のなかでは、これまで本誌が報じてきた、事件の主犯である角田美代子元被告 当時64=自殺 と裏社会とのつながりが、つまびらかにされている。 事件の舞台となった尼崎市に100日以上滞在し、徹底的に取材を重ねた著者の小野一光氏が、その実態を本誌に明かした 以下、本文中〈 〉内の部分は『家族喰い』からの抜粋。 美代子元被告は周囲に対し、ことあるごとに自分と暴力団の大幹部とのつながりを吹聴してきた。 〈「美代子は四郎 仮名 の運転する車に乗って、大阪ミナミの組長の姐さんに会いにいったり、あと、我々には阪神・淡路大震災のときの炊き出しで、山口組の五代目 故・渡辺芳則組長 と顔見知りになったんやいうことを口にしていました。 そうやって、自分がいかに力を持った人を知っとるかを常にひけらかしとったんです」〉 このコメントは、'98年3月から約2年間、美代子元被告らに軟禁されていた人物によるものである。 文中に出てくる運転手の四郎は、美代子元被告が口にした「ミナミの組長の姐さん」を直に目にしていない。 このような大物との親しい関係を信じ込ませることによって、美代子元被告の背後に見え隠れする暴力団の存在を恐れた男たちが言いなりになる状況を作っていたにすぎないのだ。 美代子元被告は常に、自分を現実以上に大きく見せようとしていた。 そのため、あらゆる手段を使って、暴力団とのつながりを誇示しようとしたのである。 彼女の自宅を訪れた人物によると、玄関の近くには、元ボクシング世界王者の渡辺二郎氏と美代子元被告が一緒に写った写真が、これみよがしに飾られていたという。 撮影に至った経緯は不明だが、写真を飾る意図も、前述の理由によるものである。 もちろん、美代子元被告と裏社会の人間にまったくつながりがなかったわけではない。 事実、彼女の母方の伯父などは、地元の暴力団関係者だった。 また、彼女とは30年来の付き合いがある、地元のXという集団の中心人物Zは、やはりその周囲に暴力団の人脈を抱えている。 その人脈を使い、美代子元被告はかつて自宅で共同生活をさせていた橋本次郎さん 当時53 を、地元の暴力団に預けていたこともある。 ほんで、次郎をしばらく部屋住みで預こうてもらえんかいうてな、修行させたわけや。 次郎は組長の犬を散歩させたり、兄貴分の煙草を買いにいったりしてた」〉 美代子元被告はXの関係者とともに、高齢者や社会的弱者にカネを貸したうえで生活保護受給の斡旋を行い、支払われた保護費から返済金や利子などを天引きするということもやっていた。 〈「Xのまわりにはヤクザもようけ たくさん おるわけや。 当然、生活保護とかに知恵のまわる者もいてるわけやろ。 ヤミ金にしてもそうや。 Xやらほかにもおる仲間やらと互いにカモを紹介してな、助け合うてるわけや」〉 もちろん、そこで要求するのは法外な利子であり、なかには理不尽な金額に反発する相手も出てくる。 〈「利息が高いとか文句をつける者がおったら、まわりにおる若い衆を使うてな、ボコボコにするんや」〉.
次のさらに行方不明者3名、死亡者は8名にも及びました。 主犯女X一人はどうやって大勢の人間を洗脳、支配していったのでしょう。 洗脳された人間は自分の肉親の命を奪うことも命令であれば実行してしまう恐ろしさが分かります。 主犯格・角田美代子の自殺により事件の謎は残されたままに 尼崎事件は2012年10月に発覚し、主犯格として逮捕された角田美代子は同年12月に留置所で自殺してしまいました。 美代子は布団の中で長袖のTシャツを首に巻きつけていたそうです。 発見後すぐ病院での手当を受けましたが死亡、これにより事件の真相は探れず闇の中となってしまいました。 関連する記事はこちら 尼崎事件(尼崎連続変死事件)の全貌・真相を時系列で解説! 約25年間という長期間にわたる尼崎事件の真相を順を追って見ていきましょう。 2011年11月大江家(以降F家)長女による警察への駆け込みで事件が発覚 角田美代子の兄と交際したことがきっかけで同居していた安藤みつゑさんは、2008年11月角田美代子の孫を強く叱った事で怒りを買い、角田美代子に暴行されました。 一週間ほどマンションバルコニーに設置された物置小屋に監禁され、食事は与えられていたものの睡眠制限の虐待がありました。 安藤さんには高血圧症や心臓肥大などの持病があったのです。 安藤さんの死は病死の可能性が高いとの理由から逮捕者の罪状は監禁罪のみとなりました。 遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述で発見されました。 2008年12月、D家長女死亡・死体遺棄事件発生 D家父と母は離婚させられましたが、角田美代子の元に残っていたD家長女と次女が尼崎で挨拶をしなかったと言いがかりをつけ、美代子の指示でD家長女と次女が両親を暴行しました。 そのままD家に居座った角田美代子はC家一家も高松に呼び寄せます。 2003年8月、D家父は監禁の隙をついてD家母とD家長女を逃がしましたがD家長女は途中で発見され連れ戻されました。 その懲罰として2ヶ月以上もの間、角田美代子のマンションバルコニーに設置された物置に監禁されたのです。 飲食制限や暴行などの虐待を受け2008年12月に死亡しました。 やがて虐待はF家母に集中し、2011年9月11日にF家母は死亡しました。 遺体はE家父といとこTでドラム缶にコンクリート詰めにされ、貸倉庫に放置。 今度はF家長女に虐待が集中していき10月30日未明に車の中で激しい暴行を受けました。 手足をテープで縛られワンルームマンションに閉じ込められたのです。 このままでは殺されると思いF家長女は、監視役のE家父の隙を見てテープを噛み切って脱出しました。 無事に警察へ テープを噛み切り2階の窓から飛び降りて脱出したF家長女は大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込みました。 F家長女の自身に振るわれた暴力や、F家母の死亡した話を警察は信ぴょう性があると判断し、兵庫県警へ連絡しました。
次のこの記事の目次• 尼崎事件とは 出典: そもそも、尼崎事件がどのような事件なのか、みなさんはご存知でしょうか。 尼崎事件とは、 2012年10月、兵庫県尼崎市で起きた連続殺人死体遺棄事件です。 1987年頃に発生していた女性失踪事件を発端とし、数多くの被害者が確認されており、主に暴行や監禁などの虐待によって死亡しているという、凄惨で悲しい事件なのです。 25年以上という長期間に渡って、複数の家族があたかも本物の家族かのように生活していた中で起こったこの尼崎事件について、詳しくまとめました。 報道などでは、「尼崎連続変死事件」と呼ばれることも多いです。 その中で亡くなってしまった犠牲者は、少なくとも9人はいると言われています。 また、角田美代子が直接手を下すのではなく、 取り込んだ家族を自由自在に操って、家族同士にて暴力を振るわせるなど壊滅させていったのです。 角田美代子のこのような手口は、 マインドコントロールが挙げられます。 「なぜこんな女性にマインドコントロールできたのか」と疑問に思う方も多いでしょうが、それは何らかの力、そして黒幕がいたのではと言われています。 背乗り手口とは、 他人の身分や戸籍を乗っ取る行為のことで、「戸籍ロンダリング」とも言われ、養子縁組をすることによって戸籍情報をリセットすることです。 角田美代子は、この背乗りや戸籍ロンダリングを繰り返し行っていたことが判明しており、養子縁組制度を悪用したことにより、事件が発覚するまで時間もかかったのでした。 これは、日本人では思いつかない手口であり、 朝鮮半島出身者特有の手口だとも言われています。 尼崎事件の犯人・角田美代子の生い立ち 出典: ここでは、主犯の角田美代子の生い立ちを見ていきましょう。 幼い頃の角田美代子は 裕福な家庭で育っていたようで、お金に困ることはなく、家族全員が好き勝手な生活をして暮らしていました。 そんな角田美代子の 父親は、多額のピンハネ凄腕手配師だったようです。 当時の尼崎には、全国から体力自慢の荒れくれ者達が集まっており、そんな輩たちを圧倒的な圧力・暴力・恫喝などで手懐けていたのが、角田美代子の父親だったのです。 さらに、汗水流して稼いだ日給(当時3500円ほど)を、食事代や酒代などの名目で4割程度をピンハネしていたんだとか。 しかし、食事はしっかりと与えて、時には酒も飲ませるなど、アメとムチの使い分けをしていたのです。 よく考えるとこれもマインドコントロールの一種かも知れませんが、荒くれ者たちを従わせることができた角田美代子の父親は人の扱いが上手かったことは間違いありません。 そんな父親を見て育ってきていたからこそ、人心支配のテクニックを角田美代子は知らず知らずのうちに覚えたのかもしれません。 角田美代子さんは、10代の頃・20代の頃にそれぞれ結婚し、 離婚歴が2回あるようです。 尼崎事件の家族相関図を紹介 出典: 尼崎事件には、主犯女性である角田美代子を軸に、娘や息子家族を始め、知人や友人家族など合わせて 少なくとも6家族以上が関わっています。 具体的には、角田美代子の幼馴染の女性の家族、遠縁の家族、内縁の夫の同級生の実家家族、その同級生の実家の長女が嫁いだ家族、父親が大手私鉄会社勤務の家族とその父の実家家族です。 これまで日本で起こっている大量殺人事件の中でも、この尼崎事件は、 逮捕・書類送検されている人物が17名とかなり多いことが特徴的です。 その17名の中には、 被害者の子供や姉妹といった親族も含まれています。 つまり、主犯が本来別の家族でありながら、 同じ家族内に被害者と加害者がいるという、異様な相関図が浮かび上がってくるのです。 次からは、そんな尼崎事件に関係している人物について紹介していきます。 数十年間共同生活をしていましたが、1998年に 角田美代子の母と養子縁組を結んだことをきっかけとして、角田美代子の義理の妹になったのでした。 2001年、 角田美代子の指示により、A家の長男と結婚をしました。 この義理の妹Pは、 金庫番の役割をしていたことでも知られており、角田美代子からかなりの信頼を置かれていたようです。 さらには、他の同居人と比べても 事件への関与を極力控えさせられていたほど大事にされていたのでした。 この義理の妹Pは、 合計3件の殺人などに関与している疑いで起訴されており、 懲役21年の判決を受けています。 内縁という関係でしたが、 角田美代子に虐待されることもあったと言われており、内縁の夫Qが角田美代子に従うという 従属的な間柄であったようです。 この内縁の夫Qについても、妹Pと同じく 合計3件の殺人などに関与しているということから、起訴をされており、 懲役21年という判決を受けています。 1999年に 角田美代子の養子になっており、2005年には新しい名前に改名もしています。 この義理の長男Rについても、妹P同様、角田美代子からは かなり大事にされていたことが分かっています。 義理の長男Rについても、義理の妹Pや内縁の夫Qと同じく 合計3件の殺人などに関与しているとの疑いで起訴されており、 懲役21年という判決を受けています。 この次男Sは、2007年になると D家の次女と結婚しており、子供が2人います。 また、次男Sは角田美代子からとても大事にされていたようで、 虐待行為などを受けたことが一切ないと言われています。 しかしながら、日常生活において常に行動を監視されるなど、精神的な息苦しさを感じていたと次男Sの口から明かされています。 次男Sは、 合計2件の殺人に関与している疑いで起訴されており、 懲役17年の一審判決が確定しています。 2002年頃に角田美代子と知り合って以降、角田美代子の下で生活するようになったようです。 背中に入れ墨があります。 角田美代子の指示により、周囲に激しい暴力を振るっており、「 角田美代子の暴力装置」としてみんなから恐れられていました。 そして、2004年になると 角田美代子の叔父と養子縁組を結んでおり、角田美代子とは義理のいとこ関係になりました。 F家の母に対して死体遺棄容疑で、2012年9月に懲役2年6月という判決を受けており、一連の事件発覚時にはすでに服役中でした。 しかしながら、後に 合計3件の殺人罪、そして1件の傷害致死罪によって起訴され、 無期懲役判決が確定しています。 家政婦的な存在で、角田美代子と長い間に渡って共同生活をしていました。 2000年には、角田美代子が自宅マンションを購入する時の連帯債務者になっていることも明らかになっています。 この同居人女性Uは、 2008年11月頃に死亡したようです。 この死亡に関しては、7名もの人物が監禁罪などによって起訴されており、同居人女性Uは被害者のうちの1人です。
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