サザンオールスターズの歴史やメンバー遍歴 テレビCMやドラマでよく耳にするサザンオールスターズの名曲。 年齢に関係なく、幅広い方がサザンの曲を聴くと淡い思い出が蘇るんじゃないでしょうか? 私もサザンオールスターズは大好きなバンドで、夏になると無性に聴きたくなります! 海沿いをドライブしながらサザンの曲を聴くと、若い頃にタイムスリップしたような感覚になりますよね~。 意外と知られていませんが、サザンオールスターズは結成から頻繁に メンバー入れ替えをしていたんです。 結成から現在までのメンバー遍歴やサザンの歴史について詳しく調べてみました!! サザンオールスターズと名乗る前は、様々なメンバーと共に名前を変えて活動をしていました。 もともとは青山学院大学の フォークサークル AFT がきっかけで結成されたバンド。 最初は、 桑田佳祐さんと関口和之さんの二人が中心となり活動をしていたんです。 その後 大森隆志さんや原由子さんが大学に入学し合流することになります。 当時名乗っていたバンド名をご紹介します!• 温泉あんまももひきバンド• ピストン桑田とシリンダーズ• 青学ドミノス• 脳卒中• 桑田佳祐とヒッチコック劇場 桑田さんらしいインパクト大なバンド名が多いですよね~! でも不思議なことに 古臭い感じがしないのが桑田さんマジックなのかもしれません。 笑 サザンオールスターズの名前を名乗ったのは、 1976年のことでした。 しかし長くは続かずにメンバーが再び頻繁に入れ替わる事態となってしまいます。 本格的に音楽活動がしたかったメンバーの大森さんは、桑田さんと共にサザンオールスターズの結成に尽力します。 そして1977年3月 サザンオールスターズとして再結成されました。 当時のメンバーは、 桑田さん、大森さん、原さん、関口さん、松田弘さん、野沢秀行さんの6人。 本格的にサザンとしてデビューを果たした時には、すでに現在のメンバーが揃っていたんですね~! サザンオールスターズの歴史について調べていくと、結成したきっかけは大学のサークルだったことが分かりました! 紆余曲折しながら様々なメンバーと共にたどり着いたのがサザンだったんですね~!! スポンサーリンク サザンオールスターズの現在のドラム、ギター、ベース、ボーカルは誰? サザンオールスターズといえば、ボーカルの桑田さんの印象が強いと思います。 日本語なのに英語に聞こえる歌詞や、独特の歌い方も特徴的! しかし他のメンバーについては顔と名前が一致する方は少ないんじゃないでしょうか? そこで今回は現在のメンバーに注目して紹介していきます。 【ボーカル、ギター】 名前 桑田佳祐 くわたけいすけ 生年月日 1956年2月26日 出身地 神奈川県茅ヶ崎市 【ベース、コーラス】 名前 関口和之 せきぐちかずゆき 生年月日 1955年12月21日 出身地 新潟県 【ドラム、コーラス】 名前 松田弘 まつだひろし 生年月日 1956年4月4日 出身地 宮城県 【キーボード、ボーカル、コーラス】 名前 原由子 はらゆうこ 生年月日 1956年12月11日 出身地 神奈川県横浜市 【パーカッション、コーラス】 名前 野沢秀行 のざわひでゆき 生年月日 1954年10月19日 出身地 東京都 サザンオールスターズ結成時からメンバーが一人減っていることにお気づきでしょうか? 実は2001年にリードギターの大森さんが 独立のためバンドを脱退していました。 現在も精力的に活動をしているサザンオールスターズ。 メンバーが全員還暦を過ぎてもなお元気で若々しいのは、音楽の力だと思いました! スポンサーリンク サザンオールスターズのメンバーの年収が凄い サザンオールスターズといえば、デビュー当時から現在までずっと第一線で活躍をしてきたバンド。 CDの売り上げも相当な枚数で、 日本のトップクラスの売り上げを誇るバンドとっても過言ではありませんよね! そこで気になるのが、メンバーの年収について。 まず注目したのが桑田さんです! 桑田さんはバンド以外にも ソロ活動や楽曲提供やCM出演も行っています。 また作詞作曲も桑田さんが担当することがほとんどなので、 印税も桑田さんに入ることになります。 日本のミュージシャンの年収ランキングで1位と言われているのが桑田さんなんです! ズバリ桑田さんの年収は 5億円以上だと予想しました。 桑田さん以外のメンバーの皆さんはどうなのでしょうか? 個人でソロ活動をしている方も多いですが、桑田さんほど頻繁にリリースをしていません。 そのため、他のメンバーの方は主な収入源はサザンオールスターズだと言えます。 ライブやグッズ売り上げはメンバーで分配される収入ですよね。 スタジアムやドームクラスでのライブも頻繁に行っているサザンオールスターズ。 ライブ動員数だけでもかなりの人数になることを考えると… ズバリ、桑田さん以外のメンバーの 年収は2000万円ほどだと予想しました! 最後に どの世代にも思い出が詰まっているサザンの楽曲。 今後もサザンらしい音楽を続けて欲しいと願っております! あなたが好きなサザンの曲や歌詞についても、是非教えてくださいね~!! スポンサーリンク.
次の1位~10位 順位 曲名、発売年 解説 1 「 TSUNAMI」 2000年1月 国民的なバラード。 過ぎし日の恋心を、海の情景に絡めた。 サザンファンでない人たちも買い求めた曲であり、多くの人にとって特別な歌として記憶されている。 「めぐりあえた時から死ぬまで好き言って」「津波のような侘(わび)しさに、I know、怯えてる」など、桑田佳祐ならではのインパクトのある日本語が全開。 コーラスやコード展開も美しく、サザンの集大成のような作品になっている。 累計販売数は293万以上で、サザンの最大のヒット曲。 日本の音楽史上4番目に売れた曲になっている。 日本レコード大賞受賞。 カラオケでもサザンの曲の中で最も歌われたとされる。 1990年代の終盤にサザンは売上が伸び悩んでいたが、本曲が起死回生の特大ホームランとなった。 TBS系バラエティ番組「ウンナンのホントコ!」内の企画コーナー「未来日記」のために書き下ろされた。 2011年の東日本大震災で津波が甚大な犠牲をもたらして以降、ライブなどでの演奏が封印されている。 2 「 勝手にシンドバッド」 1978年6月 衝撃のデビュー曲。 日本語の大衆ロックの新しい形を示した。 イントロなしでいきなり「ラララーラララ ラララー」という歌声でスタート。 当時お茶の間でなじみがなかった16ビートと、サンバのようなお祭り的なサウンドが光る。 早口でたたみかけるように歌詞を浴びせる歌い方も衝撃を与えた。 「何を歌っているのか分からない」と言われたが、 巻き舌を使いながら日本語を見事にロックに乗せた。 歌詞の随所に「江の島」「茅ヶ崎」「湘南」といったキーワードも登場。 当時の若者たちの湘南への憧れをかきてた。 この曲が世の中に登場したのは、1978年8月31日。 国民的なテレビ番組だったTBSの「ザ・ベストテン」において、 注目曲を紹介する「今週のスポットライト」というコーナーにデビューしたばかりのサザンが登場。 ライブハウスからの生演奏でこの曲をやり、衝撃を与えた。 その3週後にベストテンにランクインし、大ヒットとなる。 累計80万枚以上売れた。 3 「 いとしのエリー」 1979年3月 3枚目のシングル。 日本の音楽史上、最高のバラードの一つとして評価されている。 20世紀を代表する名曲として広く愛されており、NHKが1997年に行った国民アンケート「」において、 6位に選ばれた。 日刊スポーツ新聞が1996年に行った読者投票「あなたが選ぶ21世紀でも唄われる歌謡曲」では、7位に選ばれた。 イントロのコーラスが聞こえた瞬間に心がしめつけられる。 「泣かした事もある」で始まり、「俺にしてみりゃ これで最後のLady。 エリー My love so sweet」というサビの言葉で極まる。 桑田佳祐が後に妻となる原由子に「ごめんなさい」と謝るために作った曲とされる。 デビュー前、桑田は原にプロポーズして婚約していた。 しかし、桑田は小中学の同級生と浮気に走る。 桑田はそのことを原に告げ、別れることとなるが、 原がいかに大切かを知った桑田は翌日、 再びプロポーズをする。 そのときの想いを綴ったのが本曲であり、 曲ができたときは最初に原に電話越しで聴かせ。 原は「いいね」と笑ったという。 デビュー最初の2曲(「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」)とはうってかわって、 バラードとなった。 ザ・ベストテンで7週連続で1位。 高視聴率のTBS系ドラマ『ふぞろいの林檎たち』主題歌にも使われた。 累計72万枚以上売れた。 世間から見方が、コミックバンドからシリアスなバンドへと変わった。 史上最強のソウル歌手の一人とされる巨人レイ・チャールズが1989年にカバー。 日本でオリコンチャートの3位になった。 4 「 真夏の果実」 1990年7月 情緒あふれるバラード。 切ない歌声とアコースティックなサウンドが特徴。 弦楽器はウクレレのみが使われている。 「四六時中(じろくじちゅう)も好きと言って。 夢の中へ連れて行って。 忘れられないハート&ソウル。 声にならない」というサビの歌詞が有名。 28枚目のシングル。 桑田佳祐が自ら監督を務めた映画「稲村ジェーン」の主題歌。 オリコンの最高位は4位だが、長期間にわたって売れ行きを保つロングヒットとなった。 累計75万枚。 日本レコード大賞の有力候補と見られていたが、 「おどるポンポコリン」に敗れた。 2008年の30周年ライブに向けて「ライブで演奏して欲しい曲」を募ったところ、リクエスト1位となった。 香港の人気歌手で俳優の張学友(ジャッキー・チュン)が中国語でカバーし、香港や中国で大ヒットしたことでも知られる。 編曲(アレンジ)として、当時ほぼ無名だった小林武史が参加した。 5 「 LOVE AFFAIR ~秘密のデート」 1998年2月 タイトルの「LOVE AFFAIR」は「不倫」を意味する。 不倫にはまる男のやるせない心情や興奮を表現した。 ともすれば身勝手さを糾弾されそうなテーマだが、 中年男性が妄想を語っているファンタジーである可能性も否定できない。 いずれにせよ、サザンらしいい爽快さが、ドロドロになりがちな内容をやわらかめにしている。 歌詞の舞台は横浜。 大黒ふ頭など横浜のデート・スポットの名前が次々と登場。 ご当地ソングとしても有名になった。 地名が連発する部分は、カラオケやライブで合唱される。 TBS系ドラマ「Sweet Season」(主演:松嶋菜々子)の主題歌。 このドラマが不倫を題材としており、 桑田佳祐はそれに沿った曲を書いて欲しいという要望を受けたという。 2008年の30周年ライブの「ライブで演奏して欲しい曲」アンケートで4位。 サザンの曲の歴代のカラオケランキングでも4位。 6 「 エロティカ・セブン」 1993年7月 サザンならではのラテン音楽的な味のある軽ロック。 躍動感があふれる。 ラッパの音が特徴的。 原由子のコーラスも味わい深い。 サザンのシングルの歴代セールスでは、TSUNAMIに次いで堂々の2位となっている。 販売枚数は174万枚。 歌詞は、桑田佳祐の持ち味である性的な表現が盛り込まれている。 いわゆる「エロス3部作」の2曲目にあたる。 7 「 涙のキッス」 1992年7月 切なさたっぷりのバラード。 失恋した男の心情を歌った。 夏の終わりと同時に、愛しい人も去って行った悲しみが表現されている。 サビは 「涙のキッス、もう一度、誰よりも愛してる。 最後のキッス、もう一度だけでも、君を胸に抱いて」 オリコン7週連続1位を記録した。 サザンの曲としては、シングルとして初のミリオンセラーとなった。 売上枚数でみると、サザン史上、「TSUNAMI」「エロティカ・セブン」に次ぐ第3位。 TBS系ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(賀来千香子主演)の主題歌。 ドラマに書き下ろした初めての曲。 8 「 HOTEL PACIFIC」 2000年7月 ラテン歌謡ロック。 桑田佳祐の地元にあった「パシフィックホテル茅ヶ崎」(神奈川県茅ケ崎市)をテーマにしている。 このホテルは、戦後最大のスターの一人で、「湘南の若大将」と呼ばれた加山雄三とその父親・上原謙がオーナーで、 1965年オープン。 桑田も学生時代にアルバイトをしていた。 (1980年代に閉鎖) そんな湘南を象徴するホテルを舞台に、 「昭和の夏」をノスタルジックに表現している。 グループ・サウンズ的な雰囲気が満載。 フルートの音が独特の味わいをもたらしている。 オリコンでは2位にとどまったが、 長めのヒットとなる。 CD・レコードの販売枚数としては、サザン史上7位となっている。 カラオケでも人気がある。 9 「 東京VICTORY」 2014年9月 東京にエールを送る美しい応援歌。 成熟期を迎えた都市・東京に対して、 センチメンタルで優しい視線を投げかけながらも、 「それ行け Get the chance!」と鼓舞する。 望郷や連帯感を静かに呼び覚ましてくれる名曲。 力強いメロディ、高揚感のある曲調。 スケールが大きく、かつ緻密。 経験豊かな中高年グループならではの深い味わいがある。 サザンの音楽活動の一つの最高到達点と評価する声もある。 「オーオーオー」という桑田佳祐の雄たけびは、 まさに日本版ブルース・スプリングスティーン。 桑田佳祐のボス(王者)としての存在感があふれ出ている。 オリコン1位。 レコード大賞の最優秀賞にノミネートされた。 東京オリンピック2020年の開催が決まったのは、 2013年。 その1年後に発表された。 まさに五輪にぴったりの歌詞であり、 「開会式か閉会式で演奏して欲しい」という声が強まった。 桑田佳祐が自ら出演した三井住友銀行のCMに起用され、。 その4年後にはスバルの車のCMでも使われ、ロングヒットとなった。 10 「 波乗りジョニー」 2001年7月 桑田佳祐のソロのシングル。 110枚以上売れたミリオンセラーとなり、ソロとして最大のヒットとなった。 一度聴いたら忘れないキャッチーな曲。 軽やか。 夏の海やサーフィンのイメージにもぴったり。 作曲した桑田は当初、サザンの曲にすることを考えていたが、ギターの大森隆志が脱退したこともあり、ソロの曲として採用したという。 7年ぶり、6枚目のソロシングル。 ジュース会社のCMに使われ、大きな話題となった。 | | | 11位~20位 順位 曲名、発売年 解説 11 「 チャコの海岸物語」 1982年1月 14枚目のシングル。 CDのないアナログレコードの時代に発売された曲としては、 「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」に次ぐ3番目の売上枚数となっている。 甘酸っぱい雰囲気。 懐かしいサウンドが取り入れられており、 ノスタルジジックな曲。 日刊スポーツ新聞が1996年に行った名曲を選ぶ投票「あなたが選ぶ21世紀でも唄われる歌謡曲」において、39位に選ばれた。 サザンは1979年「C調言葉に御用心」を大ヒットさせた後、 しばらくシングルのヒットから遠ざかった。 1980年に出した5枚のシングルがいずれも10万枚を下回った。 バンド内にこのまま消えていくのでは、という危機感が広がったという。 そこで、ヒットが狙える音楽を追求して作られたのが本曲。 大衆のイメージにマッチする形で、 「海」「夏」「湘南」というイメージをてんこ盛りにした。 サウンド的にも、このひと昔前に流行したグループ・サウンズの青春っぽさを全面的に取り入れた。 その結果、起死回生の大ヒットとなった。 12 「 愛の言霊(ことだま)~Spiritual Message~」 1996年5月 霊的でエキゾチックな名曲。 不思議な魅力に満ちている。 サザンの他の曲以上に、歌詞が何を言っているか分かりづらい。 英語や日本語を用いた造語も交じっている。 テレビドラマ「透明人間」の主題歌にも使われた。 13 「 希望の轍(わだち)」 1990年9月 2008年の30周年ライブに向けて行ったリクエストのランキングで2位となった。 ライブで盛り上がる歌として、ファンに親しまれている。 みんなが合唱する歌である。 当時あまり有名でなかった小林武史が、桑田佳祐とともにプロデューサーに名を連ねている。 小林のピアノの音色が印象的。 『稲村ジェーン』のサウンドトラックアルバムに収録された。 CDやレコードとしてはシングルカットはされていない。 しかし、配信ではけっこう売れた。 カラオケでもよく歌われている。 14 「 みんなのうた」 1988年6月 活動休止から3年を経てリリースされた「復活の曲」。 国民的なバンドとして、再び新たな一歩を踏み出すべく、明るさに満ちている。 小林武史の編曲が新鮮味を感じさせる。 野外ライブなどでステージから放水し、観客に水をぶっかけることでも有名な曲。 15 「 メロディ(Melody)」 1985年8月 「君が涙を止めない」というセリフで始まるバラード。 目の前にいる女性に別れを告げる話。 悲しむ相手を「いい女には フォーエバー 夏がまた来る」と励ます。 桑田佳祐の天才的な作詞力がここでも全開となっている。 サザンのアルバムの中で傑作の一つとされる2枚組の「KAMAKURA」に収録。 先行シングルとして発売された。 KAMAKURAはバンドが全身全霊をかけて作りこんだ労作でるだけに、 本曲も緻密な音作りになっている。 デジタル音源、アコースティックギター、サックスが組み合わさり、 優れた物語を描いている。 音楽評論家のスージー鈴木氏は、 著書『』の中で、 この曲をサザンの初期の曲ランキングの2位に挙げている(1位は「勝手にシンドバッド」)。 16 「 涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」 2003年7月 過ぎ行く夏の情景が描かれている。 ドラマ「僕だけのマドンナ…and I love Her.」(フジテレビ系・毎週月曜21:00)の主題歌。 オリコン週間チャートにおいて、初登場でいきなり1位に輝いた。 「TSUNAMI」以来3年半ぶりの1位だった。 シングルで通算9作目の1位獲得。 CD・レコードの販売枚数は74. 3万枚に達した。 これはサザン史上で9番目の数字。 21世紀に発売された曲としては最多枚数となっている(配信件数は除く)。 カップリングの「雨上がりにもう一度キスをして」も夏をテーマにしたラブソングだった。 桑田佳祐の引き出しには、夏や海や恋をキーワードに、いくつの言葉が入っているのだろうかと思ってしまう。 17 「 ミス・ブランニュー・デイ」 1984年6月 20枚目シングルとして発売された。 アルバム「人気者でいこう」にも収録。 シンセサイザーなどデジタルサウンドを取り入れた最先端のサウンドが、当時の日本国民に強烈なインパクトを与えた。 ただ、今聞いても古臭さがなく、サザンらしい個性があふれている。 流行に影響されやすいミーハーな女子大生を風刺している。 背景には、バブル前夜を象徴する「女子大生ブーム」や当時のチャラい風潮があった。 その一方で、そんな「街でよくある見るタイプ」の女性を、ついつい男も好きになってしまうというむなしさを歌っている。 1984年の「熱帯絶命!夏!出席とります」ツアー以降、 コンサートでは総立ちになり、みんなが絶叫して歌っていた。 原田知世主演の映画『彼女が水着にきがえたら』の挿入歌としても使われた。 ソロの曲としては、最大のセールスを記録した。 CDの販売枚数は123. 1万枚。 前作「波乗りジョニー」に続くミリオンセラーとなった。 2001年の日本レコード大賞にノミネートされた。 クリスマスソング。 大人っぽいバラードになっている。 「夏」「海」のイメージが強かった桑田が新しい世界像を創った。 (サザンの冬の歌としては、このほかに「クリスマス・ラブ」「CHRISTMAS TIME FOREVER」「シャ・ラ・ラ」などがある)。 ピアノの伴奏は原由子。 自ら出演したコカ・コーラのCMソングに使われた。 1990年代のCDバブルが21世紀に入って崩壊。 シングル市場が急速に冷え込んだ。 そんななかで、2001年発売のシングルでミリオンセラーを記録したのは4作品のみとなった。 このうち桑田が2作で記録する快挙だった。 ソロ音楽家としては2001年は大成功の年だが、 個人的には辛いことがいろいろあったという。 サザンからギターの大森隆志が脱退。 敬愛するビートルズのジョージ・ハリスンが他界。 米中枢同時テロなどにも心を痛めたという。 19 「 YaYa(あの時代を忘れない)」 1982年10月 桑田佳祐が、メンバーの原由子と結婚した1982年(昭57年)に発表された。 結婚を祝福してくれる青山学院大時代からの友人へ感謝の意味を込めた歌だという。 「帰らぬ思い出 Time goes by……」などの言葉で、青春時代を懐かしんでいる。 この曲を聞くとかつての恋人や仲間が想起されるという人が多い。 まさに「思い出」の歌である。 20 「 C調言葉に御用心」 1979年10月 初期の名曲の一つ。 「たまにゃメイキング・ラブ そうでなきゃハンド・ジョブ」という名フレーズが生まれた。 出だしの部分のコーラスと桑田佳祐の抑えたボーカルも見事。 ピアノの伴奏も素晴らしい。 | | | 21位~30位 順位 曲名、発売年 解説 21 「 I AM YOUR SINGER」 2008年8月 音楽配信のダウンロードが25万件を突破。 サザンの曲の中で、TSUNAMIとともに件数が多い。 CDでも50万枚以上売れた。 デビュー30周年にあたり、 活動休止を発表。 休止前の最後のシングルとしてリリースされた。 「夏がまた来るまでは、互いに涙見せずに」という再会のメッセージも込められている。 涙があふれてくるが、同時に元気ももらえる歌。 サザン、そして桑田佳祐が国民にとって極めて貴重なバンド(シンガー)であることを認識させられた作品でもある。 22 「 BAN BAN BAN」(バン・バン・バン) 1986年4月 桑田佳祐が中心となって結成した「KUWATA BAND」の代表作。 KUWATA BANDは、桑田の妻の原由子が産休中だった1986年4月から1年限定で活動した。 サザンの魅力であるメロディアスなポップさは生かしながら、 よりストレートでシャープな音になっている。 オリコンの週間チャートでの最高位は3位にとどまったが、長期にわたって売れ続けたため、 1986年の年間チャートでは4位に輝いた。 また、テレビ番組@「ザ・ベストテン」の年間チャートでは1位だった。 23 「 闘う戦士たちへ愛を込めて」 2018年6月 会社組織の中で矛盾や葛藤と向き合うサラリーマンの心情を唄った。 日本アカデミー賞の作品賞にノミネートされた映画「空飛ぶタイヤ」の主題歌として使われた。 映画のテーマや雰囲気とぴったりマッチしている。 24 「 Bye Bye My Love (U are the one)」(バイ・バイ・マイ・ラヴ~ユー・アー・ザ・ワン) 1985年5月 シンセサイザーによるイントロが印象的。 アルバム「KAMAKURA」に収録された。 KAMAKURAは、1980年代に台頭しつつあったコンピューターによる打ち込みを大胆に導入。 野心的な傑作となった。 2枚組の圧倒的なボリュームと、驚異的な密度を誇る。 桑田佳祐の才能が光る。 1990年代のサザンを代表するアルバム「世に万葉の花の咲くなり」に収録された。 27 「 ピースとハイライト」 2013年8月 28 「 明日晴れるかな」 2007年5月 桑田佳祐のソロ。 バラード。 5年ぶりにソロ活動の再開で、その第一弾シングルとなった。 オリコンの週間チャートで1位を獲得。 2001年発売の「波乗りジョニー」から4曲連続での1位となり、杉山清貴(オメガトライブ)と稲葉浩志(B'z)が保有していた3曲連続の記録を塗り替えた。 フジテレビ系のドラマ「プロポーズ大作戦」の主題歌に使われた。 女優の長沢まさみ(当時19歳)とNEWSの山下智久(当時21歳)がダブル主演するドラマで、月曜夜9時(月9)の放送枠だった。 失恋や挫折を味わったときでも現実を受け入れ、自分を信じれば必ず道は開けるという、ドラマの世界観にぴったりの希望に満ちた曲に仕上がった。 レコーディングには、弦楽器や管楽器の奏者ら約四十人が参加。 壮大なスケール感も盛り込まれている。 桑田佳祐としては、エリック・クラプトン1974年に名作「461オーシャン・ブールヴァード」を作った感じでやりたかったという。 クラプトンのようにグループ活動から一度離れて身軽になり、気負うことなく音を出した。 そして希望に満ちたテーマにたどり着いた。 くじけそうで後ろ向きになりがちな時は、現実を受け入れ自分を信じさえすれば道は必ず開けてくる、と歌いかけてくれる。 ここでの桑田はどこまでも前向きで「明日」を向いている。 29 「 蛍」 2013年8月 30 「 あなただけを」 1995年7月 | | |.
次の東日本大震災の時に一部の匿名の人間がSNS上で騒いだんですよ(しかも、実際に津波の被害どころか震災の被害にも遭ってなさそう人間)。 もちろん、『TSUNAMI』というタイトルと歌詞に出てくる「津波のような侘しさに」という表現にこじつけてです。 すると、あのような大災害時のすぐ後ですからテレビ、ラジオなどは過敏に反応します。 『実際にどれほどの人が本気で不謹慎と思っているのか知らないけど、ここは放送しないほうが無難かも?』て感じでメディアが一斉に『TSUNAMI』を放送禁止扱いにしました。 ですから、メディアが風評被害の一役を買ったことで変なイメージを『TSUNAMI』に与えてしまっただけで、本当のところどれほどの人が本気で批判しているのか解っていないのが現状です。 またタイミング的にサザンが活動休止中だったことで実際にライブなどで披露する機会もなく、『TSUNAMI』の放送禁止のイメージがそのまま残ってしまったこともあります。 まぁ、桑田さんはラジオで『あえてこの曲を歌わないことも1つのメッセージかなと思いまして・・・。 』と最近、心境を語りましたが、この真意は東北地方の方々の事を思うと、今『TSUNAMI』を歌えば必ずSNS上やメディアが大きく取り上げて騒ぎ出す。 いまだに震災の影響で苦しんで生活している人がいるのに、自分たちから波風立てる必要もないだろうという事なんだろうと思います。 しかし、当の東北地方では『TSUNAMI』を悪くいう人はほとんどいません。 それどころか、震災後にすぐ開局され5年にわたり震災からの復興に携わった女川のFM局には『TSUNAMI』のリクエストが殺到したそうです。 そしてこの臨時FM局が役割を終えて閉局するときに、あえて『TSUNAMI』が流されました。 これは世間に対して、『我々はTSUNAMIを不謹慎な曲などと思っていない。 』というメッセージでした。 これがキッカケか、他のメディアでも今は普通に『TSUNAMI』は放送されるようになりましたね。 私は仮に『TSUNAMI』をもしサザンが演奏する時は、東北の地で桑田さんがメッセージを伝えてから歌われるんじゃないかと思っています。
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