2019年11月25日(月曜日) 今夕食後、なにげなくテレビを観ていると、NHKの番組で、漫才爆笑問題の太田光さんのファミリーヒストリーをやっていた。 ファミリーヒストリーは面白く、意外なご先祖の事実が判明したり、底流に今日の才能に繋がる物語が始まっているなど、興味深い。 およそまず父方のヒストリーを辿るが、母方にも思わぬ事実が浮かぶことがよくある。 私自身かって母と祖母の出身地は訪ねたことがあるものの、その先の母方はさっぱり分かっていない。 その点、番組は母方も詳しく遡り、人間味あるエピソードが掘り起こされ、見応えがある。 本日、お母様の旧姓が熊木と伝えられていた。 熊木と聞き、まさか大潟区雁子浜の人かな?と少々気になった。 というのも熊木性はほかであまり聞く事は無く、一方少し前まで雁子浜のほとんどの家が熊木姓だった。 番組では光さんの父方が静岡県から東京に出て、父三郎さんは室内装飾で成功する話が紹介された。 続いてお母さん、旧姓熊木瑠智子さんに話題が及んだ。 すると瑠智子さんの祖父 丑五郎さんは、まさかの雁子浜の出身だと分かる。 やはり驚きである。 丑五郎さんは杜氏として埼玉県に出たあと所沢で酒屋を開業、父武三さんも東京王子で酒店主になると説明された。 丑五郎さんはヴァイオリンを弾くなど拓けた人だったらしい。 武三さんはチルチルミチルの童話をもとに名付けた瑠智子さんに音楽や演劇を勧めている。 そして瑠智子さんの劇団の研究生時代、若き日の光さんの父三郎さんとバイト先の店で出合うというドラマが待っていた。 お母様の祖父の出身地、大潟区雁子浜。 雪が多かった2018年2月の夕刻。 以前の当地頸北地方は杜氏となって県外に出た人が多い。 丑五郎さん、武三さんは成功されたようで、こども時代の瑠智子さんは武三さんと銀座を歩くことが好きだったという。 眠る前に聞いたお母さんの優しい読み聞かせの思い出を語った光さん。 お料理が美味しかったと話した相方の田中さん。 2010年秋の雁子浜 2018年夏の雁子浜。 太田光さんのルーツの一つがすぐそこの雁子浜だったとは。 事実は小説より奇なりではないが、大潟区に生まれ育った私には思わぬ展開。 嬉しいファミリーヒストリーだった。 故郷を離れ人生を切り拓いた人達に、今更ながら畏敬を覚える。
次のnhk. 教え子たちへの取材から、家族に見せなかった素顔が明らかに・・・ 宮藤官九郎さんのお父様の人物像は、いったいどんなものだったのか。 そして、息子の宮藤官九郎さんに、どんな影響を与えたのでしょうか。 宮藤官九郎父「人の中で人は育つ 」 父が貫いた生きざまは、父の教えとして、官九郎さんの作品に引き継がれているといいます。 東北の地で懸命に生きた、心温まる家族の物語をどうぞご覧ください。 「ファミリーヒストリー宮藤官九郎さん」は、4日夜、NHK総合で9時からです。 お見逃しなく! キャスター 司会: 今田耕司・池田伸子 語り: 余貴美子 宮藤官九郎脚本NHK大河ドラマ「いだてん」 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」は1月6日よりNHK総合8時から放送開始です。 異例の近現代が舞台 1986年放送の「いのち」以来、33年ぶりの近現代が舞台。 主役が二人 主役を男優二人、中村勘九郎と阿部サダヲがリレー形式で主演を務めるのも珍しい形です。。 さらに脚本を務めるのはヒットメーカー、宮藤官九郎。 話題豊富な本作の制作統括を務める訓覇圭プロデューサーが、作品の見どころを明かした。 時代劇とは違って、若い世代のファンも呼びそうですね。 2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」は、6日夜、NHK総合8時からです。
次の「ファミリーヒストリー」は、著名人の家族の歴史を本人に代わって日本国内外や関連人物へ徹底取材。 VTRと視聴する本人の感想を通して、アイデンティティや家族の絆を見つめるドキュメント番組です。 ファミリーヒストリー放送日時 25日 月曜19:30~ NHK総合 太田光さんのファミリーヒストリー 【25日夜】 さん。 父方のルーツは、静岡磐田。 昭和3年に東京板橋へ移り、枕の製造を始める。 一方、母方は新潟上越。 古文書をもとに意外なルーツが明らかに。 さらにデビュー当時の秘話も。 は25日 月 夜7時30分から放送予定。 中でも、お父さんについてが興味深いところですね。 太田光の父が焼き肉店「叙々苑」の内装も 太田光さんのお父さんというのは、太田三郎さん。 内装業をされていたのですが、1976年、有名焼肉チェーン店、叙々苑が六本木に1号店を開店した際、内装を請け負うことに。 それが、それまでの常識を覆すデザインだったというので評判になったようなのです。 「叙々苑」の看板の書、あの独特の文字も、建築家であり書道界であった大田さんが書いたものだそうです。 多才なお父さんだったのですね。 それでは、その三郎さん、内装業の前は何をしていたのでしょうか。 静岡県磐田市が太田光さんのルーツ 三郎さんのルーツは、実は静岡県磐田市。 三郎さんは、1928年、昭和3年に、東京、板橋区へ移り住み、そこで枕の製造を始めたのだそうです。 その背景には祖父の波乱の日々があったというのですが、どういうことなのでしょうか。 どうも、米相場に手を出したか、関わったかして、何かそうせざるを得ない事情が生じたようです。 光さんのお父さんの三郎さんは、ご両親を抱えて苦労されたのかもしれません。 しかし、内装業で成功されて、さらに、太田光さんが芸能界で活躍される様子も見られたわけですね。 何となく感慨深いです。 お母さんは新潟がルーツ 一方、太田光さんのお母さんの方は、というと、ルーツは新潟、上越。 ううむ、光さんの朴訥なしゃべり方は、もしかしたら新潟弁がベースにあるのかなあ。 お母さんの出身地を聞いたら、なんだかそんな風にも思えてきましたね。 そして、お母さんのルーツを明らかにするのに登場するのが、古文書。 ということは、相当古い由緒あるお宅なのではないでしょうか。 太田光代さんが下積み秘話を披露 そして、太田さんといえば、奥さんの太田光代さんは、欠かせない存在ですよね。 現在の、プロダクション「タイタン」の社長さんをされているのも、光代さんで、マネージメント含め、きりもりされておられます。 とても行動的な方なんですよ。 太田光さんとは、会ったその日に同居を始めたといったのだったか、もうすぐに気が合ってしまったようですね。 その、太田光代さんが、妻ならでは知っている、太田光さんの下積み秘話も話してくれるそうです。 光さんにも下積み時代があったんですね。 今ではテレビに出ずっぱりでとても考えられないです。 そう言えば太田さんには、裏口入学のエピソードもありました。
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