荒唐無稽とご都合主義を肯定しないとSF映画は成立しない。 この映画はいきなり人類がほとんど滅亡してしまっている状況から始まる。 1982年、東西冷戦時代の東独で開発された生物兵器をボロっちいセスナでおまけに定員オーバーで輸送中にアルプスの山腹に激突し、アンプルがぶっ壊れてしまう。 こんなアバウトなことをするのはアメリカ人に違いないと思っていたら案の定だったが、厳冬期間中は大人しくしていたウイルスが春になって猛威をふるいはじめ、あっという間に世界中に拡大。 イタリア風邪と呼ばれて短期間に死に至るそのウイルスは、日本にもどっさり上陸、主人公である 草刈正雄が南極観測チームに参加してしまうので、妊娠を隠して別離を宣言した元彼女の 多岐川裕美が勤務している大学病院は野戦病院と化し、効くかどうかわからないワクチンの配給すら滞り、医者の 緒形拳は不吉な予言を残して助手の 小林稔侍とともに死んでしまい、流産したあげくにパンダのような隅ができて疲労困ぱいの多岐川裕美は友達の 丘みつ子(すでに死亡)の子供とともに東京湾で無理心中。 昭和基地では情報も少なく、日本に残してきた家族を心配するあまり、熱血馬鹿の 渡瀬恒彦が、家族が全滅したらしい外人の少年とハム交信中、少年が将来を悲観して自殺したのを知るや発狂し、同僚の 千葉真一、後輩の 森田健作を残してブリザードの彼方に姿を消した。 アメリカでは大統領の グレン・フォードや上院議員の ロバート・ヴォーンも例外なくウイルスに犯されており、そもそもこんなしょーもない事態を引き越した原因である細菌兵器をドジってぶちまけた最高責任者の戦争オタクである ヘンリー・シルバは、この期に及んで「アカをやっつけろ!」とわけのわからないことをほざき、イイ芝居をしてフォードとヴォーンが死んだ後、シルバは宛先不明だっていうのに核攻撃の報復システムをスタンバイさせてしまう。 ウイルスの弱点の一つは低温だったので南極の観測基地に人類生き残りの希望をかけて人類および脊椎動物のすべてが絶滅。 アメリカ基地の最高責任者である ジョージ・ケネディは世界各国の代表者とともに南極で新しい政府組織を作り、貴重なメスである数名の女性に猛烈抗議されつつも人類の将来を担う決意を表明。 そこへウイルスを満載したソ連の潜水艦が上陸申請してくる。 幸いなことにウイルスが拡散する前に水中に潜っていた英国の原子力潜水艦がソ連艦を轟沈、艦長の チャック・コナーズ以下、英国艦の乗組員はからくも生き延びることに成功する。 1年たってもウイルスはあいかわらず元気一杯。 地震の研究をしていた草刈正雄が米国に巨大地震が来ると予想、核攻撃報復システムが勘違いして作動すると、トンでもないことにソ連側にもそういうのがあってそのうち一つの照準がアメリカの南極基地に向けられていることが判明、ウイルスまみれのワシントンへ行って装置を止めないとこりゃ大変だということで軍人の ボー・スベンソンが特攻志願、草刈正雄もくじ引きで当選、やさしいボーは草刈正雄に鉄拳制裁で思いとどまらせようとするが、貧弱な体格(ボーに比較して、ちなみにボー・スベンソンのタッパは約2メートル、かつベトナム戦争で従軍経験あり)にもかかわらず噛みつき攻撃でアピールした正雄の熱意に負けて同行を許可する。 「白昼の死角」で 夏木勲(夏八木勲)を窮地に追い込んだけれど本作品では血の気は多いが根はロマンチストなアルゼンチン人である エドワード・J・オルモスのピアノ演奏と オリビア・ハッセーの体を張った餞別により送り出された草刈正雄は廃墟のホワイトハウスでボーとともに報復システムの停止を目指すがタイミング良く発生した余震のあおりでボーが事故死、これまたイイ芝居をして息を引き取った後、システムはタッチの差(本当に)で作動してしまう。 ただし、上陸直前に投与したウイルス用のワクチンだけは効力が証明されていた。 核ミサイルが地球上を飛び交い、ホワイトハウスも世界の主要都市も、そしてアメリカの南極基地も吹き飛んでしまう。 世界は二度死んだ。 あらかじめ避難していた女性と子供と一部の男性を残し、人類はさらに絶滅に近づいていく。 そして数年が経過、草刈正雄はグレートジャーニーの末に、、、、。 角川春樹という「お祭り野郎」(誉め言葉)がいて本当に良かった。 南極ロケはいわゆるドキュメンタリー系の映像をはるかにしのぐ、撮影監督の美意識によってドラマチックに切り取られており、エンディングの映像だけでも一見の価値あり、特撮も仕掛の凄さと言うよりは画作りがイイ感じ(特撮も本編と同様、木村大作)だ。 米国の(TV系だけれど)ビッグネームをただ顔見せに呼ぶのではなく、きちんと芝居させてるのも楽しい。 特にグレン・フォードの最期の芝居は泣かせる。 そしてこの映画の実質上の主役であるボー・スベンソンがこれまたイイ。 柔道をちゃんとやってる人らしいから親日派なんだろうが、男気を炸裂させてはにかんだように笑う、高倉健か菅原文太か、とにかくカッコよすぎるぜ!ボー! 国内では長身の二枚目である草刈正雄が、チャック・コナーズ、ジョージ・ケネディ、そしてボー・スベンソンら摩天楼のような外人たちに囲まれて見下ろされている図はかなり新鮮。 ヘンリー・シルバのイっちゃってる軍人さんもよく収まっていたし。 生意気でヘタレな現地女優が冷たい水の中に入るのをゴネたとたんに「降ろせ!」と叫び、オリビア・ハッセーに替えた深作欣二に、替えることができる条件を用意した、ここは春樹、マジですっげーぜ! そして「復活の日」を予想させるにはあまりにも切ない事態が確認できたところで映画は終わるのだが、クレジットの背景に延々と出てくる復活後(?)の南極に人間様が一人も出てこないで、アザラシなどの海洋生物が繁栄しているだけ、っちゅうのが最もリアリティありすぎかも。 だって「(人類の)復活の日」とは誰も言っていないのだから。 荒唐無稽とご都合主義をフルスイングで堪能できる日本SF映画史に名を残してもいいんじゃないか?な作品だ。
次のタイトルですぐに作品名が思い浮かぶ方は相当な映画好きですね。 この映画が公開されたときは、24億円超えという製作費のバカ高さ(もちろん日本映画史上最高額)が話題になりましたので、記憶している方も多いかもしれません。 最近、草刈正雄の目撃情報で盛り上がったのを思い出し、今回はその勢いで『復活の日』(1980年)をテキトーにご紹介します。 ハナタレの頃(確か 1981年)にテレビで二夜連続で観賞したのが最初です。 人を死に至らしめるウィルスという、子供にも十分な恐怖感を与える題材、そして猛威をふるう殺人ウイルスの中に見た希望の光といった組み合わせになっておりますので、長編映画にもかかわらず最後まで楽しめると思います。 原作は小松左京ですが、同氏原作のパニック映画『日本沈没』(1973年)で日本列島を海に沈めるショー(しかもリメイクされてまた沈められ……)を観ていた方は、『復活の日』の方によりリアリティを感じることでしょう。 ただ、それだけ『日本沈没』は『復活の日』に比べると安心して観賞できるということにもなりますが。 『復活の日』は日米合作で、日本版、米国版と、二つのバージョンがあります。 ストーリーは同じでも、視点は二つに描かれているためそれぞれに異なるシーンが挿入されているのも面白いところですね。 『復活の日』ファンの方は、両方のバージョンをご覧になるとさらに楽しめるでしょう。 当方はボックスセットを所有していますが、本編、制作スタッフのインタビュー映像、米国バージョンの豪華三本立てと、特別ブックレット付きで、このセットで『復活の日』の世界観にどっぷり浸かれるようになっています。 最近では、日本国内では蚊によるウイルス媒介でデング熱感染者が続出し、先進国ではエボラウィルス感染者が死亡したというニュースが流れておりますので、人命を脅かすウイルスの恐怖は実は、ごく身近なところに潜んでいると思ったほうが良いのでしょう。 エボラ出血熱ウイルスを題材にした映画では『アウトブレイク』(1995年)、細菌学者が持ち出した殺人ウイルスが原因で、人類滅亡寸前になってしまった未来から過去を取り戻す『12 モンキーズ』(同じく1995年)も話題になりましたが、当時は対岸の火程度の恐怖感を持ちながら鑑賞している人も多かったかもしれません。 これらもいずれご紹介したいと思います。 わかりやすいあらすじ 東ドイツの陸軍細菌研究所(時代を感じるな……)。 科学者のうっかりミスで、とんでもない怪物ウイルス(MM-88)ができてしまった。 こんなのに感染したら、人類はひとたまりもない。 手に負えなくなったウイルスの標本を有能な科学者に送ってワクチンの共同開発を目指そうとするも、何と搬送スタッフとしてやってきたのが西側のスパイ。 これでもう世界はオレ達のものさ、とスパイたちはウホウホ状態だったが、搬送中にヘリがアルプスの山岳地帯で墜落。 大気にさらされたウイルスは、ビックリ仰天のスピードで増殖。 ウイルスは見えない力で着実に生態系をむしばんでいく。 羊が大量死しはじめた頃には時すでに遅し。 続いて人類もこの強力なウイルスに次々に命を奪われ……。 作品名は『復活の日』だが、特効薬も撲滅する手段もない状態。 こんな調子で人類は本当に復活できるのか? みどころ 1. 映画『キャノンボール』並みに豪華すぎるキャスト いつもは出演者情報を削ってしまうことが多いのですが、今回は書かずにいられません。 『仁義なき闘い』で大成功をおさめていた深作欣二監督がメガホンを取り、草刈正雄、ソニー千葉、緒形拳、渡瀬恒彦、夏八木勲、多岐川由美、森田健作、丘みつ子と、みなさんきっとご存知の有名俳優がドーンと登場です。 米国俳優では、『大空港』でおなじみのジョージ・ケネディ、テレビシリーズ『特攻野郎 Aチーム』のロバート・ヴォーン、小五郎2005さん命名あきらぁー(布施明)の元妻もとい『ロミオとジュリエット』の主演女優オリヴィア・ハッセー、『ギルダ』のグレン・フォード、『帰って来たガンマン』のヘンリー・シルヴァ 、『華麗なるヒコーキ野郎』のボー・スヴェンソン、『大いなる西部』のチャック・コナーズ、の超超豪華な面々が並ぶわけですよ。 変わりどころでは、80年代~90年代によくコメディ映画に出ていたエドワード・ジェームス・オルモスも出演しています。 キャストのギャラだけで目玉が飛び出るような数字が並んでいたことは間違いないですね。 草刈正雄 彼はこの作品では主人公という位置づけですから、日本版では安定した存在感がありますね。 ファンの方なら彼が出るたびに動きを目で追っていたのではないでしょうか。 モデル出身、日本人と米国人のハーフということもあり、彼が登場するたびに、ファッション雑誌の切り抜きをシーンにはめ込んだような違和感があります。 外国人の俳優にまぎれても、最も顔の造形が整っているのは誰の目にも明らかですが、米国版は、序盤はほとんどセリフがなく、中盤以降から英語の長セリフを披露することで、草刈正雄という日本の俳優の存在感を徐々に大きくしていくアプローチを取り、最後はこの役は彼なしにはありえないのだという圧倒的な存在感で締めくくることに成功していてます。 しかし、劇中の彼は英語を話してはいるものの、セリフを言っているというちょっとした上すべり感はどうしてもあります(むしろ夏八木勲の英語での演技が自然すぎて怖い)。 この点については彼自身も相当な葛藤を抱えていたようで、ハリウッド俳優と日本俳優の演技の違いに愕然したと後に語っています。 [Excite ニュース 2013年11月7日] 3. スケールのでかさ 今は宇宙だろうが、仮想空間だろうがブルースクリーンと CG との合成でかなり現実味のある映像つくりだすことが可能ですが、80年代初頭では、作品の命にかかわる見え透いたエフェクトを一切排除したホンモノ指向となっています(銃声除く……あれはないな)。 ロケ地は日本、米国、ドイツ、イタリア、ソビエト連邦、さらには南極・北極まで広範に及んでおり、すべて実地というのですから驚きですね。 潜水艦も本物を使い、ヘリの墜落シーンにも大量の火薬を使っていますから、本物の炎がたちのぼる様子を確認できます。 とはいえ、私が知っているかぎりでは製作費がマンモス級に肥大化した映画は、エリザベス・テーラー主演映画『クレオパトラ』 1963年 ですね……。 現在の日本円にして300億円相当で、かの20世紀フォックスが経営危機にさらされたぐらいですから。 その話をすると『復活の日』がちょっとだけ霞んでしまいますが、どちらも映画製作はギャンブルの世界だと言わしめる額であることには間違いないですね。 南極ハーレム 生存者は南極大陸に駐在していた 863人(うち 8 人が女性)。 つまり、8 人の女を 855人 の男でシェアしなければ人類はいつ滅びるかわからない状態。 そして女たちはコールガールのように予約制で呼び出され、夜な夜な(いや昼もかも)男の相手をさせられるというトンデモ展開に。 表向きは種の保存のために避けられない手段であっても、違和感丸出しですね。 この子作り計画を「真剣に」話しあっている男たちの目線がどうしても「どれにしようかなあ」と泳いでいるように見える不思議。 あれも演技なのか? 子だくさんのクリスマスを迎えた南極パーティでは、毎晩のように女を取っかえ引ひっかえしている男たちの顔は色ツヤ良く、シャンパン片手に余裕の笑顔なんか見せちゃってます。 その反面、乳飲み子を抱えた女性たちは全員笑顔の「え」の字もございません。 まさに子供を産む機械(それにしてもひどい表現だ)と化した女性たちのなれの果てですね。 女性が希少種としてアマゾネス化し(南極だけど)、種を残すに相応しい相手を選ぶ権利を持つ展開の方が、今見たらもっと斬新だったかもしれません。 全然文字数足りないぜよ……。 というわけで、ボックスセットの特典に関する話題や、トリビア、ツッコミどころなどはまたいつか改めて書きたいと思います。
次の2020年3月現在、全世界に蔓延している新型コロナウィルスの影響で、確実に我々の日常生活にも忍びよる目に見えない"パンデミック"という恐怖を少しでも、和らげるため、いくつかの"パンデミック 世界的集団感染 映画が、再評価されている。 *そもそも人間の恐怖心は未知なるモノに対する不安感からわき起こる、ごく自然な防衛本能である。 日毎に増え続ける感染者数、死亡者の数が、ここ暫く毎日、報道されるなか、よほど鈍感でない限り、"目に見えない新型ウィルス"という得体の知れない敵に対する不安感は、どんなに井戸端会議や、世間話でお茶を濁しても、無意識に心の中に蓄積していく。 少しでも不安感を抑えようと、ネット検索で情報を補うだけでなく、そのシミュレーションとして、似たような題材を舞台設定した映画などのコンテンツから得ようとするのは、ごく自然な行動と言えよう。 ハリウッド映画では「アウトブレイク」「コンティジョン」がその筆頭に挙げられるが、 本作「復活の日」こそ、日本で唯一製作されたパンデミックを題材にした映画であり、当時一世を風靡した角川映画の代表作品でもある。 近年「感染列島」などの作品も撮られているが、世界的な規模での感染被害をテーマにした映画は前にも後にも、この「復活の日」だけと言って過言では無い 70年代〜80年代大ブームを起こし、日本中を席巻しながらも、何かと悪評名高い"角川映画"であるが、この「復活の日」こそ、様々な意味で分水嶺であったと言われる。 そもそも、76年の「犬神家の一族」で、当時低迷していた日本映画界に一石を投じるどころでなく、出版業界から殴り込みをかけた若き旋風、角川春樹。 当時、異例であったTVでの大量スポットCMを投入し、映画の宣伝をおこないつつ、元々の本業である原作の文庫本を相乗効果でベストセラーにするというメディアミックスをおこなった角川春樹氏の手腕はもっと評価されるべきだ。 第二弾以降も「人間の証明」「野性の証明」と成功を納めた角川氏は、世界マーケットを視野に入れ始め、ハリウッド映画に匹敵するスケールの大作として、ようやく本来の念願であった本作の実写映画化に踏み切る。 あらためて、今一度、本作品が80年公開ということを改めて思い出してほしい。 壮大なスケール設定ながら、CGなどがないこの時代に、ストーリーに必要な全世界の壊滅状況や、舞台である南極をセットでなく現地ロケ敢行した結果、当初15〜16億円であった製作費は破格の22億円にまで膨れ上がったという。 一部では25億円、また32億円との説もあり 採算を見越しながらも大博打に打って出た結果、当時の国内配給収入は若干製作費を上回る程度の大赤字となってしまうが、当時で23億円を稼いだということはすなわち、今50代以上の殆どの人が劇場に足を運んだか、TV CMを覚えているに違いない作品ということである。 ちなみに当時一位の配給収入を得たのは黒澤明監督の「影武者」であった あらすじは、まだ米ソ冷戦が続くなか、秘密裡に開発されていた猛毒ウィルス兵器"MM-88"が持ち出され、運悪くアルプス山頂付近で粉々になった少量のウィルスが全世界に流布し、あらゆる国の人々を感染させながら、死に至らしめていく。 そんななか、唯一感染を免れたのは、ウィルスが繁殖活動出来ない氷点下のもとに置かれた者たち、即ち各国の南極観測隊の基地に従事する隊員達。 彼等のもとにホワイトハウスから電話が入り、彼等こそ、残された最後の人類であり、人類の存続が託される。 当時の世界警察でもあったアメリカ南極部隊を中心に国籍を越えた臨時南極政府が設立される。 800名余りの男性と8人の女性は、まだウィルスが残る自国への帰国すら出来ず、南極にとどまることを余儀なくされる。 最後の人類生存者として、種の保存という生物本来の存在意義、タスクを全うするため、性交渉もクジ引きという方法で管理されていく。 やがて日本人として南極観測隊に参加していた地震専門科学者 吉住 草刈正雄 が近いうちに大地震発生を予知、それは米ソのARS 全自動報復装置 というシステムを作動させ、核ミサイルが発射されることにつながり、彼等がとどまっている南極も射程範囲に入っていることが判明。 吉住はアメリカのカーター少佐に伴い、システムが作動しないよう、地震前にワシントンに出向き、世界の二度目の死を阻止しようとするが…といった内容である。 2時間半の長尺ながら、今似たような境遇に置かれつつある我々の興味を引き、画面に釘付けにならざるのを得ないのは、ウィルスが猛威を振るい、世界中を恐怖のドン底に落とし入れる本編前半部分であろう。 劇中、ウィルスと細菌という本来は別なものが、登場人物のセリフ内で混同されているが、それ以外はほぼ小松左京氏の原作に忠実に、考証がされているため、改めて、この目に見えない"ウィルス"という極めて小さいながらも、全世界を壊滅に追い込むヤツの恐ろしさが伝わってくる。 レビュアーの方によっては公表致死率0. また大抵の方は気づいているとおり、危機的状況という認識のもと、韓国などは感染拡大を抑止するため、PCR検査を実施しているが、我が日本では思いつきのように"学校一斉休校"要請したり、完全に日本国内での市中感染が日に日に進行していく状況になってから、中国や韓国からの渡航制限など後手後手の施策しか出来ていない有様。 2020年3月現在、イタリアやスペインの現状を見るまでもなく、アメリカもニューヨークを中心に外出禁止を発令し、何とか国内感染を封じ込めようとしている。 当の日本と言えば、"クラスター"の次に"オーバーシュート"と、専門家用語を持ち出してきては、お茶を濁すだけで、実のところ、何ら施策を打っていない情け無さ。 感染者数や死亡者数の上昇を、"検査を受けさせない"という子供騙しのあざとい方法で操作し、未だに"感染拡大をぎりぎり食い止めている"と言い続ける政府の発表に、一体どれだけの信憑性があると言えるのか。 検査の精度がどうのこうのだとか、検査を解禁すると軽症者が病院に殺到し、医療崩壊を招いてしまうからなど、すべて後付けの言い逃れに過ぎない。 ところで何が怖いと言えば、実際当方が本作品を観なおし、レビューを上げたのは2020年3月上旬のことである。 その際も本作のレビューと合わせて、新型コロナウィルスに関する我が国の対応のお粗末さに触れた拙文ながら、15名の方に"参考になった"の評価を頂いていたにも関わらず、ある日見たところ、跡形もなくレビュー自体が削除されていた。 再度レビューをあげても、また削除された。 これが3回目の投稿になるが、削除されないよう、本作のあらすじに戻るとしよう。 先述の"世界の二度目の終わり"を阻止すべく、ワシントン行きを志願しつつも、最後ギリギリのタイミングで自動報復装置解除に失敗した吉住は、米ソの核ミサイルが撃ちまみれるなか、地下にいたため、何とか命を取り止めたものの被曝してしまう。 脳にダメージを負いながら、南極隊から避難して生き残ったであろう仲間達に会うために、一心不乱に南へ下り放浪を続ける。 何年もの間、死骸が積み重ねられた通りをいくつも歩みながら、南米の崩れ落ちそうな寺院、教会で髑髏と対話をし、また話し合える人間を求めて彷徨い続ける。 おそらく4年近く誰とも会話も出来ず、眼前には朽ち果てた人間の姿ばかりをずっと見続けていたら、普通の感性を持った人間なら、気が狂れてしまうに違いない そして、ようやく足元も覚束ないなか、最後の最後に彼は仲間たちのもとに辿りつくのだ。 本作の主人公である吉住には本土に残された地球上の最後の人間として、体力の限界を遥かに越えた放浪し、意識朦朧としながらも突き進むその姿に、生への執着、崇高さを感じざるを得ない。 けっして大袈裟なことを言うつもりはないが、本作品で描かれている状況に近く、まさしく今、人類はその存亡に関わる命運をかけて試されている。 現段階で、悲しきかな、我が国では、国民の人命などは二の次であり、他国のようにリーダーが自ら危機感を強く意識した感染拡大防止策も講じることが出来ていない。 何とか延期開催にこじつけたオリンピックという利権の巣窟に未だに固執している時点で、結果的に日本は終わってしまっている。 日本がまだ全貌がわからない今回の新型コロナウィルスの完全なる収束、またその影響から、真の意味で学び、悔い改め「復活する」には、あとしばらく、いやかなり長い年月、時間が掛かるに違いない。 (2020. 22追記) 今から40年も前の1980年に日本が問題提起したウィルス・パンデミックの傑作は、今思えば世界的にも先駆けとなる偉業なのだろう。 小松左京の原作は更に16年前の1964年だから半世紀前から予言していた。 カミュ著の「ペスト」が読まれ、最後に残された未踏の南極大陸への進出競争や利権争いが熱を帯び、香港かぜの流感や、東西冷戦下における細菌化学兵器や戦略核のリスク等、人類が新たに直面する様々な事象をを包含したストーリーは今なお傑出している。 破滅的なウィルス・パンデミックを国家を越えた連帯、人種を超えた愛で語るシナリオは、非白人の災害大国である日本にしか書けなかったシナリオなのかも知れない。 世紀を越えて今も精神哲学的な示唆に富む名作です。 (原文) 日本独特の世界観や自然崇拝の発信は、昨今、スタジオジブリアニメに殆んど頼る構造になってしまった。 其れはそれでも良いのだが、一方でシン・ゴジラの様に世界に向けた鋭利な切り口の実写邦画の再興に期待する気持ちも強い。 何故ならこの「復活の日」が在るからだ。 本作の放つスケール観は、先の大戦中に核の脅威を体感し、自らは化学兵器開発に手を染め、その後の地震学に没頭した日本ならではの鋭い問題提起にある。 危機に瀕した人類に国家を越えた団結を問い、最後に残された可能性を人類の愛と希望の力に賭けると言う、従来の邦画の枠を超えた意欲作だ。 限られた予算と慣れない国際・軍事考証、海外俳優の配役に苦労の跡が偲ばれるが、それでも邦画にチャック・コナーズやロバート・ボーン、ジョージ・ケネディやオリビア・ハッセーらのハリウッドスターが出演した事実は、今にして思えば驚愕モノ。 更に、友好国とは言えチリ海軍の潜水艦に撮影協力させる離れ業を、果して今日の日本映画界が出来るだろうか? 小松左京の大胆な構想と角川書店の執念、木村大作の鮮やかなカメラワーク、美しいテーマ曲や熟達の日本俳優陣による迫真の演技が造り上げた、まさしくオールジャパンの本気が生み出した作品だ。 特に渡瀬恒彦や森田健作らの南極基地の面々の絶望や、荒廃した東京の景観や病院での狂騒のリアリズムが素晴らしく、緒形拳や小林稔侍、多岐川裕美らの断末魔の眼光と汗の映像は脳裏から決して消えない。 危機によって世界が人種を越えて繋がる貴さ、感染リスクを負って危機を未然に防ぐボー・スベンソンと草刈正雄の献身、人類存続の為に計画出産に同意する8人の女性隊員達、ワクチン開発に命を懸ける医師など、生々しく計算されたシナリオに感心する。 本作こそ最初にして最後の、堂々とハリウッド規格で世界に挑戦した邦画の金字塔として、今なお語り継ぐべき不滅の名作だと信じている。 復活に日との出会いは3回目。 1回目、1980年ちょうど米ソの冷戦真っ最中、私は小5でした、TBSの深夜放送でCMを見て、BGMの物悲しい歌声。 ただただ「現実になったら怖いなぁ」と思ったのが忘れられない。 (この時は映画は見なかった) 2回目、高校生の夏休み角川フェアで小説を読んだ、読者嫌いなのに分厚い小説を一気読み、やはり「現実になったら怖いなぁ」と思った。 (この前後でテレビで映画を見たような・・・、なら通算4回目かも) そしてまさかの3回目、アマプラ見放題でバッタリ、即視聴した。 さすがに出演者が皆若い、まあ40年前だし。 しかし自分が生きているうちに、現実世界で『リアル』アウトブレイクに遭遇中w、どんな嫌がらせかと。 後先考えずに、「とにかく目の前にあるものを弄りまわさないと気が済まない!」、生命倫理も忠告もガン無視、どんな結果になっても構わない、挙句に全人道連れ。 背景も本質も行動も、映画も現実と全く同じ、みていて現実感が希薄になるのを感じさせる。 ただただ「今回は現実が映画ほどひどくならないように」祈るばかりです。 本作の公開当時は子供だったせいか、あんまりピンと来なかったんですけどね。 終盤ものすごく退屈に思えたですし。 しかし、年食って改めて観ると、おおおおおおおおおおぉっとなりました。 吉住が心情を吐露するところでグっときて、ただひたすらに会いたいために歩き続け、ボロボロになってたどり着いたラストで、不覚にも猛烈にキてしまいした。 個人的には日本映画というと少々アレなイメージが強くて、心にグっとくる程度のものはいくつかあっても、泣けるほどってのはなかったんですけどね。 これは別格です。 てか、人類滅亡モノのSFに限れば、洋モノ含めると山ほどあって、アツい映画も多々ありますが、ほんとに心にキたのは本作だけです。 冷戦時代のお話だし、映像的にはやや古臭さも感じさせますが、ある意味CGによらずにこれだけのお話を作り上げたってのもすごいかも。 逆にCGがなかったからこそ、なのかもしれませんが。 型にはまりすぎた陰謀のところはやや辟易もしましたが、まあ当時はあんなものでしょうかね。 日本映画として、そして滅亡モノSFとして、ほぼ最高傑作だと思います。 あと、余談ですが、バイオハザードマークが映画に出てきたのって、本作が初なんじゃないでしょうかね。 今では珍しくもないですが、1980年というと『バイオ・インフェルノ』"WARNING SIGN"より5年も前です。
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