本社() 略称 日本生命、日生(ニッセイ) 本社所在地 〒541-8501 三丁目5番12号 設立 (22年) (有限責任日本生命保険会社) 9820 代表者 () (代表取締役) (代表取締役) (代表取締役) 資本金 1兆2,500億円 (基金総額、2012年8月3日 ) 売上高 連結:7兆2,013億3,700万円 単体:7兆749億8,600万円 (、2013年3月期) 営業利益 連結:4,022億3,400万円 単体:3,887億4,200万円 (、同) 純利益 連結:2,479億3,700万円 単体:2,106億2,200万円 (、同) 純資産 連結:4兆14億7,100万円 単体:3兆9,506億6,500万円 総資産 連結:55兆1,656億1,100万円 単体:54兆8,828億2,400万円 従業員数 70,806人(うち内勤社員18,481人) 決算期 主要子会社 を参照 関係する人物 外部リンク 特記事項:経営指標はすべて2013年3月期決算の数値。 同社の公表資料「 」による。 単体決算は21~32ページ、連結決算は43-54ページに各記載あり。 日本生命保険のデータ 相互会社 保険料等収入 (連結) 5兆 3,886億 1,800万円 保有契約高 (個人保険) 162兆 3,854億 5,100万円 (個人年金) 19兆 470億 6,300万円 (団体保険) 91兆 2,340億 4,000万円 (団体年金) 10兆 4,769億 5,600万円 SM比率 583. 同社の公表資料「 」による。 収入保険料は、保有契約高は133ページ、SM比率は205ページ、格付は33ページに各記載あり。 日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけん、英称: Nippon Life Insurance Company)は、に本社を置く日本の。 で()を抜き第1位である。 保有契約高・保険料収入では最大手である。 概要 [ ] に創業した、日本で3番目に古い生命保険会社である。 に保有契約高が業界首位となり、現在までこれを保持している。 会社形態は相互会社であり、株式会社ではない。 4月に、それまで相互会社であったが株式会社化したものの、日本生命は株式会社に転換する考えはないと説明している。 2015年3月現在、日本生命の投資先は 37. 」(2015年4月 - )。 」も使われている。 それ以前は「ずっと支える。 もっと役立つ。 」、「みらい創造力で、保険は進化する。 」(2012年4月 - 2015年3月)だった。 日生の名称を使用するとは無関係である。 経営状態 [ ] おもな収益源 [ ] 経常収益(株式会社でいう)は、7兆2,936億9,500万円(連結)。 内訳は、保険料収入5兆3,371億1,800万円(同)、資産運用収入1兆7,739億5,100万円(同)、その他雑収1,826億2,500万円(同)などである。 健全性指標 [ ]• AA(保険金支払能力格付、)• A1(保険財務格付、) 資産規模 [ ] 日比谷ビル() 総資産など [ ]• 資産規模• - 連結:70兆6,079億円(2016年3月期)• 益:1兆7,739億5,100万円 機関投資家としての日本生命 [ ] 日本生命は日本の民間で最大規模のである。 日本生命のは(旧。 日本生命はの社長会であるには所属しているが 、には所属していない)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされている。 長年の蓄積から、現在、日本で上場している企業のうち、601社で上位10位までの株主であるとされる(全上場企業3,733社のうち約2割)。 代後半時点では、上場企業1,806社(当時)のうち、69社の、432社で上位5位までの株主、約750社で上位10位までの株主であった。 こうしたことから、にはから 「の静かなる大株主」とあだ名された。 なお以降は、リスク資産の圧縮のため売却を進め、時点では、日本で発行されている株式総数の2. となっている企業は、、、、、、、、、、、、、、、、、、など。 非上場企業の主要株主企業には、、などがある。 (いわゆる貸しビル事業)では、所有延床面積で、に次ぐ国内3位の規模である。 賃貸用不動産残高は1兆705億円、賃貸用ビル保有数は339棟にのぼる。 沿革 [ ] 概要 [ ] 7月に滋賀県での頭取をしていたが近畿の財界人、第四十二国立銀行(現・)頭取・、川上左七郎、土居通夫、山口吉郎兵衛、岡橋治助、西田永助、竹田忠作、井上保次郎、熊谷辰太郎、難波二郎三郎、草間貞太郎、甲谷権兵衛、泉清助の各氏に呼びかけて、社長に11代目を据え、片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。 保険料表を当時、主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。 1891年に株式会社化し(社名は日本生命保険株式会社)、相互扶助の精神のもと1898年の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。 中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。 戦後はに基づき、に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。 期であるに東京都にを完成させた。 また、1975年には経営が困難となっていた の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。 1988年2月4日に生命保険会社の総資産部門の世界ランキングでアメリカ合衆国の を抜いてトップに立つ。 すでに新契約高・収入保険料・保有契約高の三部門で世界一になっていたので、これで四部門のすべてを制する「 四冠王」に輝き、名実ともに世界第1位の生命保険会社となった。 1990年代以降はアメリカ合衆国やへと進出を始めた。 金融自由化の流れの中で、1996年に ニッセイ損害保険を設立し、業界に進出した。 1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。 と提携、ニッセイ損害保険も と合併させ (現・:傘下)を設立し、解散した の全契約を引き取った(契約の包括移転)。 年表 [ ]• - 前身の有限責任日本生命保険会社を創立。 - 株式会社化(日本生命保険株式会社)。 - 日本最初の契約者利益配当実施。 - 保有契約高が日本で第1位となる。 - 日本最初の「利源別配当付普通保険」発売。 - 富士生命を包括移転。 - 愛国生命を包括移転。 - 日本生命保険相互会社として再発足。 - が開場(1997年閉場)。 - が開館。 - を包括移転。 1975年 - が販売開始。 - 子会社であった星和住宅株式会社・星和地所株式会社・新星開発株式会社が合併し、株式会社を設立。 - CIを導入し、シンボルマークを制定。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(米国日生)が営業開始。 - ニッセイ損害保険株式会社設立。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー・オブ・フィリピンズ(ニッセイフィリピンズ)設立。 1997年 - バンコク・ライフ・アシュアランス(タイ)に資本参加。 - ニッセイアセットマネジメント投信設立(ニッセイ投信とニッセイ投資顧問が合併)。 - ニッセイ保険口座スタート• 1999年 - ニッセイ情報テクノロジー設立。 - 特別勘定運用部門を分社、投信投資顧問子会社と統合して「ニッセイアセットマネジメント」と名称変更。 2000年 - 特定目的会社(SPC)を使った証券化手法により基金を募集。 - 同和火災海上保険とニッセイ損害保険が合併し、ニッセイ同和損害保険設立。 2001年 - 同和生命保険より全契約の包括移転を受け、同社は解散。 - 特定目的会社(SPC)を使った公募証券化手法により基金を募集。 - 広電日生人寿保険有限公司(広電日生)が営業開始。 - において東京本部が業務を開始。 - 創業120周年。 - 新星和不動産が主要株主の異動によりの完全子会社となる。 - 丸の内AIGビル跡地にが竣工。 1月 - 日本生命本店東館()が竣工。 2015年12月 - (現:)を傘下に収める。 - マスミューチュアル生命保険(現:)を子会社化。 歴代社長 [ ]• 初代 - (鴻池家第11代当主)• 2代 -• 3代 -• 4代 - (弘世現の実兄)• 5代 -• 6代 -• 7代 -• 8代 -• 9代 -• 10代 -• 11代 - 清水博(在任中) 施設 [ ] 大阪市の本店ビル本館は、に大坂の学術において中心的な役割を果たした学問所「」の跡地に位置し(に第一期が完成。 1962年に第二期が完成、設計)、東京本部は東京都の(丸の内オアゾ内)に置く。 本部機能は本店に総務・経理部門や管理のための事務を行うお客様サービス部門等、東京本部には、全社戦略を策定する経営企画部門や、有価証券・不動産等の部門、さらに各種販売チャネルの営業企画・戦略部門などを置き、大阪と東京に分散して設置している。 また、コールセンターや契約管理部門は、一部機能を福岡に移管している。 東京本部 [ ] のでに位置した東京支店は焼失してしまった。 このため日生はその跡地に大規模なビルを建設することを決め、周辺の土地も買い増して、地下2階、地上8階、延床面積8800坪に及ぶ東京日本生命館(設計)を建設した。 同館は1933年竣工。 竣工した建物のごく一部を東京支店として使用し、そのほか全館はが借り受け、同年3月20日、南伝馬町から東京店(現:日本橋店)が移転して営業を始めた。 なお、東京日本生命館は戦前の日生における本格的な投資用ビルとしては唯一の例であった。 戦後、東京日本生命館は増築され、1952年4月に工事が竣工した。 増築面積は3530坪で、増築後の総面積は11410坪となり、増築部分の6階までは従来と同じく高島屋に賃貸し、7・8階は日生の東京総局(現:東京本部)として使用した。 創業70周年事業の一環として進めてきた日本生命日比谷ビル()が1963年にに竣工すると 、同ビルのオフィス部分に東京総局は移転した。 1987年、がの劇場街を再開発して建設した地上18階・地下4階の(日比谷シャンテ)が完成すると、同ビル4階以上には日生が入り東京本部を置いた。 また1989年には、大阪の本店から同ビルに戦略部門である旧企画部を総合企画室として拡大してもってきたほか、広告宣伝部門も東京に移すなど総勢900人にのぼる大異動を行った。 2004年に丸の内口前にあった・・東京中央ビル・丸ノ内ホテル跡等が、、日本生命、中央不動産の手によって再開発され、が整備された。 その一角には、日本生命丸の内ビルも竣工し、東京本部は東宝日比谷ビルから移っている。 システムセンター [ ] (大阪府)にシステムセンターを、東京都内にセンターを保有しているが、2011年度に、(同府)に新システムセンターを設置し、堺市のシステムセンターと、日本の生命保険会社としては初めてメインシステムの並行稼働をさせた。 並行稼働させる理由は、災害時の稼働性の担保であり、システム改変時の稼働を容易にするためである。 また、茨木市の新システムセンターには商品企画の研究開発部門を併設し、保険商品の開発や、保険金不払い等の瑕疵を防ぐシステムの開発を行う。 また、本店被災時のバックアップセンターも設置された。 関連企業 [ ]• 日本生命済生会• 公益財団法人ニッセイ文化振興財団• 公益財団法人日本生命財団• 公益財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団• 公益財団法人ニッセイ緑の財団• 株式会社ライフサロン• はなさく生命保険株式会社 不祥事 [ ]• 2005年2月、大手生命保険業のが死亡保険金を不当に支払っていなかったことが発覚し、これを発端として、生命保険業、損害保険業各社で保険金の不当不払い事案が次々と発覚。 生命保険業37社に、合計970億円の不払い事案があることが明らかになった。 日本生命についても、130億円超の不払い事案があることが公表され、業務改善命令を受けるに至った。 日生は「命令を踏まえ、再発防止に取り組む」としている。 この問題に伴い、日生がスポンサーとなっているテレビ番組において、お詫びの文章が流れる15秒CM、もしくは通常のCMの最後にお詫びの文章を付加したCMが放送された。 詳細は「」を参照• 日本生命の一支店に勤務する営業部長とその部下23人の計24人の社員が、・が運営する向け退職金共済の勧誘に当たって、契約者数を水増しして計56事業所の222人に不正契約を締結させていたことが、2014年12月に明らかになった。 うち31事業所の計142人に対して、実際に退職金約200万円が支払われたことも判明している。 スポーツ活動 [ ] スポーツ活動としては硬式野球部と女子卓球部の活躍が有名であり、他に柔道部も活動中。 過去には陸上競技部も存在し、女子5000m元日本記録保持者のや後に2007年世界選手権大阪大会女子マラソン日本代表となるらが在籍していたが、2002年3月に廃部となった。 野球部 [ ] 昭和4年創部。 では、昭和24年の初出場以来、通算58回目の出場(全国最多)、4回優勝。 では、3回優勝。 平成27年には、史上3チーム目となる都市対抗・日本選手権の夏秋連覇を達成した。 詳細は「」を参照 提供番組 [ ] 現在 [ ]• テレビ• 90秒• (・2009年10月 -、90秒、系列外の、、では一社提供でスポンサード)• 60秒• (、)ミニ番組• 30秒• (・火曜 2014年10月 - )• (TBSテレビ・隔日月 - 金)• (フジテレビ・日曜 2018年4月 - )• (フジテレビ・2009年 - )• ラジオ• 追跡 日本生命 朝の経済サプリ(内)(・火曜) 過去 [ ]• テレビ• 一社提供• (TBSテレビ(一社提供))• (一社提供番組)• (、2012年7月 - 2018年3月、)ミニ番組• 90秒• (MBSテレビ、1998年)• 60秒• ( 2013年4月 - 2014年9月)• ( -2012年3月)• (TBSテレビ)• (第1期、TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (MBSテレビ)• (、1987年)• 一部地域のみ• 30秒• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金・隔日土・日))• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ 1994年4月-9月)• (フジテレビ 1994年10月 - 1995年9月)• (・カンテレ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ・土日)• (テレビ朝日)• (日本テレビ)• (日本テレビ 2012年4月 - 2013年3月)• (日本テレビ 2012年4月-2013年3月)• ( 2014年10月 - 2017年9月)• (・月曜? - 2015年3月) ほか多数• ラジオ• ( 1996年4月 - 9月)• 追跡 フライデースペシャル みらいナビ(クロノス内)(TOKYO FM・金曜)• () CM [ ] ニッセイのおばちゃん 1969~86年まで続いたシリーズ。 演じるセールスレディが地方の情景と共に映像で流れ、CMソングの『モクセイの花』(作詞:、作曲:、歌:)と共に親しまれた。 その後も1989年頃から数年間、ニッセイレディのCMの時に、歌詞と曲調をアレンジして放送されていた。 ニッセイレディのともこさん 10年近くに渡ってオンエアされたCMのキャッチフレーズ。 出演していた『ともこ』さんはセールスレディではなく。 CSR CM()• 作の詩「愛する人のために」が使われている。 この詩は1969年に谷川俊太郎が当社のCMのために書き下ろした「愛する者のために」をリメイクしたものである。 ナレーションは。 「セーフ編」 - 主にプロ野球シーズン(4月~9月)時に使用している。 「改札編」 - プロ野球シーズンオフ(10月~1月)時や2004年のアテネオリンピック(夏季)以降のオリンピック中継(ハイライト)でも流れている。 「柱編」 - 新春特別番組時に流れており、特にTBSテレビやフジテレビで3が日のゴールデンタイム(「」「」「(2005年・2006年)・(2007年)新春スペシャル」など)でも流れている。 「路面電車編」 - 2006年10月より開始。 北海道の元町・西部地区がロケ地となっている。 「つながるeco」 - 2008年6月より開始。 「ニッセイの森づくり編」 - 2010年11月より開始。 商品CM• 1980年代から1990年代前半は「ロングラン」「YOU」などにおいて・・・・・・らが出演。 「ニッセイふれあい家族」 - (1995年 楽曲はの「」)• 「ヤングリーグ」「愛と勇気」「愛と勇気NEO」 - (1995-1998年)• 「アクティブパック」 - (1996年 楽曲は自身が歌う「Active, my dream」)• 「ニッセイがん保険EX」「生きるチカラ」 - (2001年-2003年頃)• 「生きるチカラflau」「生きるチカラ スカイプラン」 - (2003年 楽曲は過去に大地真央が出演した「ナイスデイ」の商品CMで使用した「SO NICE DAY」をカバー。 「みらいサポート・女性時代」(2011年)- (1988年のコンサート)、(2007年ミス・ユニバース受賞時)、、、(ピアノ・プレーヤー)、()、のママ、(2006年)といった過去の女性が活躍する姿を写した映像を取り入れている。 CM主題歌は「」()。 「みらいサポート・悠々時代」(2011年 - ) -• 「みらいのカタチ」(2012年-2013年) - ・・・・・• 「みらいのカタチ 20's 30's 自分問答」(2013年-2014年 - 企業イメージCM• 「ニッセイ保険口座」のスタート時(1999年)には・が登場するCMが制作された。 2007年夏以降は「保険契約の確認」のTVCMを中心に展開している。 (ただし、年始は「柱編」を中心に展開されるため一時中断される。 中断期間は元日~1月3日まで。 2009年度以後は()、(、月間MVP)の協賛社であることから、スポーツ選手を起用したCM(但し、選手は過去の試合・演技の映像を使用しており、新たなる撮り下ろしはしていない)を放送している。 過去に、、、ら。 2011年度は従来のスポーツ選手を起用したCMでは東日本大震災による被災者や復興支援に携わっている人へ向けられた応援一言メッセージを添えて放送していた。 現在は、、、。 また、2009年度・2010年度のCM主題歌「」を歌っているも出演している。 さらに、(、月間MVP)の協賛社であることや活動を支援していることから、同活動に取り組んでいるのが出演している。 2012年3月からは漫画およびアニメーション「」の主人公であるを起用。 同時に、「ニッセイみらいファクトリー」をスタートさせ、「みらい創造推進物語」シリーズでは池松壮亮・南沢奈央・田中圭・板谷由夏・小木茂光が架空の部署である『みらい創造推進室』の社員に扮して役名で出演している。 2012年9月からは更に、当社のPRスーパーバイザーであるも加わった。 このシリーズでは商品CMも担当した。 2015年からは、『人生列車』と題し、様々な人を人生の列車に乗せ、車掌に扮したが出演。 2017年からは、および同社の女子卓球部員(、、、)を起用したCMを展開。 その後もも出演している スポンサー [ ]• のオフィシャルだったことがある。 (1999年まで冠スポンサー、2000年・2001年・2008年は筆頭スポンサー)• のオフィシャルサプライヤー第1号。 の冠スポンサー。 2012年以降、交流戦大使(例・子役、および人気等)を起用したCMを放送している。 「」(・・(共に日本開催))の特別協賛社。 在籍した人物 [ ]• 相互会社のため、会計ルールが一般企業と異なり、「基金」が一般の「資本金」にあたる。 数値は2012年8月の基金募集後のもの。 以上については、 - 日本生命保険相互会社プレスリリース、2012年8月3日発表。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年7月確認)。 「会社形態上、ご契約者と株主双方への利益還元が求められる株式会社ではなく、すべてをお客様のために取り組むことができる相互会社が相応しいと考えております」 - - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年10月確認)• 田中彰、「」『同志社商学』 2013年 64巻 5号 p. 330-351, :。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2014年10月確認)• (2003年9月19日号) - 朝日新聞社。 日本生命の現状2014の28ページ。 ワクスタ. 日経BP社. 2015年3月26日. 2015年12月15日閲覧。 日本経済新聞. 2015年11月6日. 2019年2月24日閲覧。 日本経済新聞. 2018年3月2日. 2019年2月24日閲覧。 『日本生命九十年史』p. 327• 『日本生命九十年史』p. 110• 『日本生命九十年史』p. 136• 「日生東京大異動の風雲 第一、住生と本格戦争 発祥地離脱を決断した危機感」『AERA』1989年3月28日号• 『日本経済新聞』2007年9月28日• の1ページ目 - 内閣府金融庁公式サイト(2010年7月確認)。 の4ページ目 - 金融庁プレスリリース(2010年8月確認)。 - 日本生命保険公式サイト(2010年8月確認)。 朝日新聞 2014年12月22日• 日本生命保険ニュースリリース 2014年12月22日• 日本生命• 日本生命• 卓球王国• から引き継いだ。 、日経Bizアカデミー、2015年9月11日。 参考文献 [ ]• 日本生命保険相互会社編『日本生命九十年史』日本生命保険相互会社、1980年。 外部リンク [ ]•
次の本社() 略称 日本生命、日生(ニッセイ) 本社所在地 〒541-8501 三丁目5番12号 設立 (22年) (有限責任日本生命保険会社) 9820 代表者 () (代表取締役) (代表取締役) (代表取締役) 資本金 1兆2,500億円 (基金総額、2012年8月3日 ) 売上高 連結:7兆2,013億3,700万円 単体:7兆749億8,600万円 (、2013年3月期) 営業利益 連結:4,022億3,400万円 単体:3,887億4,200万円 (、同) 純利益 連結:2,479億3,700万円 単体:2,106億2,200万円 (、同) 純資産 連結:4兆14億7,100万円 単体:3兆9,506億6,500万円 総資産 連結:55兆1,656億1,100万円 単体:54兆8,828億2,400万円 従業員数 70,806人(うち内勤社員18,481人) 決算期 主要子会社 を参照 関係する人物 外部リンク 特記事項:経営指標はすべて2013年3月期決算の数値。 同社の公表資料「 」による。 単体決算は21~32ページ、連結決算は43-54ページに各記載あり。 日本生命保険のデータ 相互会社 保険料等収入 (連結) 5兆 3,886億 1,800万円 保有契約高 (個人保険) 162兆 3,854億 5,100万円 (個人年金) 19兆 470億 6,300万円 (団体保険) 91兆 2,340億 4,000万円 (団体年金) 10兆 4,769億 5,600万円 SM比率 583. 同社の公表資料「 」による。 収入保険料は、保有契約高は133ページ、SM比率は205ページ、格付は33ページに各記載あり。 日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけん、英称: Nippon Life Insurance Company)は、に本社を置く日本の。 で()を抜き第1位である。 保有契約高・保険料収入では最大手である。 概要 [ ] に創業した、日本で3番目に古い生命保険会社である。 に保有契約高が業界首位となり、現在までこれを保持している。 会社形態は相互会社であり、株式会社ではない。 4月に、それまで相互会社であったが株式会社化したものの、日本生命は株式会社に転換する考えはないと説明している。 2015年3月現在、日本生命の投資先は 37. 」(2015年4月 - )。 」も使われている。 それ以前は「ずっと支える。 もっと役立つ。 」、「みらい創造力で、保険は進化する。 」(2012年4月 - 2015年3月)だった。 日生の名称を使用するとは無関係である。 経営状態 [ ] おもな収益源 [ ] 経常収益(株式会社でいう)は、7兆2,936億9,500万円(連結)。 内訳は、保険料収入5兆3,371億1,800万円(同)、資産運用収入1兆7,739億5,100万円(同)、その他雑収1,826億2,500万円(同)などである。 健全性指標 [ ]• AA(保険金支払能力格付、)• A1(保険財務格付、) 資産規模 [ ] 日比谷ビル() 総資産など [ ]• 資産規模• - 連結:70兆6,079億円(2016年3月期)• 益:1兆7,739億5,100万円 機関投資家としての日本生命 [ ] 日本生命は日本の民間で最大規模のである。 日本生命のは(旧。 日本生命はの社長会であるには所属しているが 、には所属していない)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされている。 長年の蓄積から、現在、日本で上場している企業のうち、601社で上位10位までの株主であるとされる(全上場企業3,733社のうち約2割)。 代後半時点では、上場企業1,806社(当時)のうち、69社の、432社で上位5位までの株主、約750社で上位10位までの株主であった。 こうしたことから、にはから 「の静かなる大株主」とあだ名された。 なお以降は、リスク資産の圧縮のため売却を進め、時点では、日本で発行されている株式総数の2. となっている企業は、、、、、、、、、、、、、、、、、、など。 非上場企業の主要株主企業には、、などがある。 (いわゆる貸しビル事業)では、所有延床面積で、に次ぐ国内3位の規模である。 賃貸用不動産残高は1兆705億円、賃貸用ビル保有数は339棟にのぼる。 沿革 [ ] 概要 [ ] 7月に滋賀県での頭取をしていたが近畿の財界人、第四十二国立銀行(現・)頭取・、川上左七郎、土居通夫、山口吉郎兵衛、岡橋治助、西田永助、竹田忠作、井上保次郎、熊谷辰太郎、難波二郎三郎、草間貞太郎、甲谷権兵衛、泉清助の各氏に呼びかけて、社長に11代目を据え、片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。 保険料表を当時、主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。 1891年に株式会社化し(社名は日本生命保険株式会社)、相互扶助の精神のもと1898年の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。 中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。 戦後はに基づき、に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。 期であるに東京都にを完成させた。 また、1975年には経営が困難となっていた の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。 1988年2月4日に生命保険会社の総資産部門の世界ランキングでアメリカ合衆国の を抜いてトップに立つ。 すでに新契約高・収入保険料・保有契約高の三部門で世界一になっていたので、これで四部門のすべてを制する「 四冠王」に輝き、名実ともに世界第1位の生命保険会社となった。 1990年代以降はアメリカ合衆国やへと進出を始めた。 金融自由化の流れの中で、1996年に ニッセイ損害保険を設立し、業界に進出した。 1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。 と提携、ニッセイ損害保険も と合併させ (現・:傘下)を設立し、解散した の全契約を引き取った(契約の包括移転)。 年表 [ ]• - 前身の有限責任日本生命保険会社を創立。 - 株式会社化(日本生命保険株式会社)。 - 日本最初の契約者利益配当実施。 - 保有契約高が日本で第1位となる。 - 日本最初の「利源別配当付普通保険」発売。 - 富士生命を包括移転。 - 愛国生命を包括移転。 - 日本生命保険相互会社として再発足。 - が開場(1997年閉場)。 - が開館。 - を包括移転。 1975年 - が販売開始。 - 子会社であった星和住宅株式会社・星和地所株式会社・新星開発株式会社が合併し、株式会社を設立。 - CIを導入し、シンボルマークを制定。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(米国日生)が営業開始。 - ニッセイ損害保険株式会社設立。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー・オブ・フィリピンズ(ニッセイフィリピンズ)設立。 1997年 - バンコク・ライフ・アシュアランス(タイ)に資本参加。 - ニッセイアセットマネジメント投信設立(ニッセイ投信とニッセイ投資顧問が合併)。 - ニッセイ保険口座スタート• 1999年 - ニッセイ情報テクノロジー設立。 - 特別勘定運用部門を分社、投信投資顧問子会社と統合して「ニッセイアセットマネジメント」と名称変更。 2000年 - 特定目的会社(SPC)を使った証券化手法により基金を募集。 - 同和火災海上保険とニッセイ損害保険が合併し、ニッセイ同和損害保険設立。 2001年 - 同和生命保険より全契約の包括移転を受け、同社は解散。 - 特定目的会社(SPC)を使った公募証券化手法により基金を募集。 - 広電日生人寿保険有限公司(広電日生)が営業開始。 - において東京本部が業務を開始。 - 創業120周年。 - 新星和不動産が主要株主の異動によりの完全子会社となる。 - 丸の内AIGビル跡地にが竣工。 1月 - 日本生命本店東館()が竣工。 2015年12月 - (現:)を傘下に収める。 - マスミューチュアル生命保険(現:)を子会社化。 歴代社長 [ ]• 初代 - (鴻池家第11代当主)• 2代 -• 3代 -• 4代 - (弘世現の実兄)• 5代 -• 6代 -• 7代 -• 8代 -• 9代 -• 10代 -• 11代 - 清水博(在任中) 施設 [ ] 大阪市の本店ビル本館は、に大坂の学術において中心的な役割を果たした学問所「」の跡地に位置し(に第一期が完成。 1962年に第二期が完成、設計)、東京本部は東京都の(丸の内オアゾ内)に置く。 本部機能は本店に総務・経理部門や管理のための事務を行うお客様サービス部門等、東京本部には、全社戦略を策定する経営企画部門や、有価証券・不動産等の部門、さらに各種販売チャネルの営業企画・戦略部門などを置き、大阪と東京に分散して設置している。 また、コールセンターや契約管理部門は、一部機能を福岡に移管している。 東京本部 [ ] のでに位置した東京支店は焼失してしまった。 このため日生はその跡地に大規模なビルを建設することを決め、周辺の土地も買い増して、地下2階、地上8階、延床面積8800坪に及ぶ東京日本生命館(設計)を建設した。 同館は1933年竣工。 竣工した建物のごく一部を東京支店として使用し、そのほか全館はが借り受け、同年3月20日、南伝馬町から東京店(現:日本橋店)が移転して営業を始めた。 なお、東京日本生命館は戦前の日生における本格的な投資用ビルとしては唯一の例であった。 戦後、東京日本生命館は増築され、1952年4月に工事が竣工した。 増築面積は3530坪で、増築後の総面積は11410坪となり、増築部分の6階までは従来と同じく高島屋に賃貸し、7・8階は日生の東京総局(現:東京本部)として使用した。 創業70周年事業の一環として進めてきた日本生命日比谷ビル()が1963年にに竣工すると 、同ビルのオフィス部分に東京総局は移転した。 1987年、がの劇場街を再開発して建設した地上18階・地下4階の(日比谷シャンテ)が完成すると、同ビル4階以上には日生が入り東京本部を置いた。 また1989年には、大阪の本店から同ビルに戦略部門である旧企画部を総合企画室として拡大してもってきたほか、広告宣伝部門も東京に移すなど総勢900人にのぼる大異動を行った。 2004年に丸の内口前にあった・・東京中央ビル・丸ノ内ホテル跡等が、、日本生命、中央不動産の手によって再開発され、が整備された。 その一角には、日本生命丸の内ビルも竣工し、東京本部は東宝日比谷ビルから移っている。 システムセンター [ ] (大阪府)にシステムセンターを、東京都内にセンターを保有しているが、2011年度に、(同府)に新システムセンターを設置し、堺市のシステムセンターと、日本の生命保険会社としては初めてメインシステムの並行稼働をさせた。 並行稼働させる理由は、災害時の稼働性の担保であり、システム改変時の稼働を容易にするためである。 また、茨木市の新システムセンターには商品企画の研究開発部門を併設し、保険商品の開発や、保険金不払い等の瑕疵を防ぐシステムの開発を行う。 また、本店被災時のバックアップセンターも設置された。 関連企業 [ ]• 日本生命済生会• 公益財団法人ニッセイ文化振興財団• 公益財団法人日本生命財団• 公益財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団• 公益財団法人ニッセイ緑の財団• 株式会社ライフサロン• はなさく生命保険株式会社 不祥事 [ ]• 2005年2月、大手生命保険業のが死亡保険金を不当に支払っていなかったことが発覚し、これを発端として、生命保険業、損害保険業各社で保険金の不当不払い事案が次々と発覚。 生命保険業37社に、合計970億円の不払い事案があることが明らかになった。 日本生命についても、130億円超の不払い事案があることが公表され、業務改善命令を受けるに至った。 日生は「命令を踏まえ、再発防止に取り組む」としている。 この問題に伴い、日生がスポンサーとなっているテレビ番組において、お詫びの文章が流れる15秒CM、もしくは通常のCMの最後にお詫びの文章を付加したCMが放送された。 詳細は「」を参照• 日本生命の一支店に勤務する営業部長とその部下23人の計24人の社員が、・が運営する向け退職金共済の勧誘に当たって、契約者数を水増しして計56事業所の222人に不正契約を締結させていたことが、2014年12月に明らかになった。 うち31事業所の計142人に対して、実際に退職金約200万円が支払われたことも判明している。 スポーツ活動 [ ] スポーツ活動としては硬式野球部と女子卓球部の活躍が有名であり、他に柔道部も活動中。 過去には陸上競技部も存在し、女子5000m元日本記録保持者のや後に2007年世界選手権大阪大会女子マラソン日本代表となるらが在籍していたが、2002年3月に廃部となった。 野球部 [ ] 昭和4年創部。 では、昭和24年の初出場以来、通算58回目の出場(全国最多)、4回優勝。 では、3回優勝。 平成27年には、史上3チーム目となる都市対抗・日本選手権の夏秋連覇を達成した。 詳細は「」を参照 提供番組 [ ] 現在 [ ]• テレビ• 90秒• (・2009年10月 -、90秒、系列外の、、では一社提供でスポンサード)• 60秒• (、)ミニ番組• 30秒• (・火曜 2014年10月 - )• (TBSテレビ・隔日月 - 金)• (フジテレビ・日曜 2018年4月 - )• (フジテレビ・2009年 - )• ラジオ• 追跡 日本生命 朝の経済サプリ(内)(・火曜) 過去 [ ]• テレビ• 一社提供• (TBSテレビ(一社提供))• (一社提供番組)• (、2012年7月 - 2018年3月、)ミニ番組• 90秒• (MBSテレビ、1998年)• 60秒• ( 2013年4月 - 2014年9月)• ( -2012年3月)• (TBSテレビ)• (第1期、TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (MBSテレビ)• (、1987年)• 一部地域のみ• 30秒• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金・隔日土・日))• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ 1994年4月-9月)• (フジテレビ 1994年10月 - 1995年9月)• (・カンテレ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ・土日)• (テレビ朝日)• (日本テレビ)• (日本テレビ 2012年4月 - 2013年3月)• (日本テレビ 2012年4月-2013年3月)• ( 2014年10月 - 2017年9月)• (・月曜? - 2015年3月) ほか多数• ラジオ• ( 1996年4月 - 9月)• 追跡 フライデースペシャル みらいナビ(クロノス内)(TOKYO FM・金曜)• () CM [ ] ニッセイのおばちゃん 1969~86年まで続いたシリーズ。 演じるセールスレディが地方の情景と共に映像で流れ、CMソングの『モクセイの花』(作詞:、作曲:、歌:)と共に親しまれた。 その後も1989年頃から数年間、ニッセイレディのCMの時に、歌詞と曲調をアレンジして放送されていた。 ニッセイレディのともこさん 10年近くに渡ってオンエアされたCMのキャッチフレーズ。 出演していた『ともこ』さんはセールスレディではなく。 CSR CM()• 作の詩「愛する人のために」が使われている。 この詩は1969年に谷川俊太郎が当社のCMのために書き下ろした「愛する者のために」をリメイクしたものである。 ナレーションは。 「セーフ編」 - 主にプロ野球シーズン(4月~9月)時に使用している。 「改札編」 - プロ野球シーズンオフ(10月~1月)時や2004年のアテネオリンピック(夏季)以降のオリンピック中継(ハイライト)でも流れている。 「柱編」 - 新春特別番組時に流れており、特にTBSテレビやフジテレビで3が日のゴールデンタイム(「」「」「(2005年・2006年)・(2007年)新春スペシャル」など)でも流れている。 「路面電車編」 - 2006年10月より開始。 北海道の元町・西部地区がロケ地となっている。 「つながるeco」 - 2008年6月より開始。 「ニッセイの森づくり編」 - 2010年11月より開始。 商品CM• 1980年代から1990年代前半は「ロングラン」「YOU」などにおいて・・・・・・らが出演。 「ニッセイふれあい家族」 - (1995年 楽曲はの「」)• 「ヤングリーグ」「愛と勇気」「愛と勇気NEO」 - (1995-1998年)• 「アクティブパック」 - (1996年 楽曲は自身が歌う「Active, my dream」)• 「ニッセイがん保険EX」「生きるチカラ」 - (2001年-2003年頃)• 「生きるチカラflau」「生きるチカラ スカイプラン」 - (2003年 楽曲は過去に大地真央が出演した「ナイスデイ」の商品CMで使用した「SO NICE DAY」をカバー。 「みらいサポート・女性時代」(2011年)- (1988年のコンサート)、(2007年ミス・ユニバース受賞時)、、、(ピアノ・プレーヤー)、()、のママ、(2006年)といった過去の女性が活躍する姿を写した映像を取り入れている。 CM主題歌は「」()。 「みらいサポート・悠々時代」(2011年 - ) -• 「みらいのカタチ」(2012年-2013年) - ・・・・・• 「みらいのカタチ 20's 30's 自分問答」(2013年-2014年 - 企業イメージCM• 「ニッセイ保険口座」のスタート時(1999年)には・が登場するCMが制作された。 2007年夏以降は「保険契約の確認」のTVCMを中心に展開している。 (ただし、年始は「柱編」を中心に展開されるため一時中断される。 中断期間は元日~1月3日まで。 2009年度以後は()、(、月間MVP)の協賛社であることから、スポーツ選手を起用したCM(但し、選手は過去の試合・演技の映像を使用しており、新たなる撮り下ろしはしていない)を放送している。 過去に、、、ら。 2011年度は従来のスポーツ選手を起用したCMでは東日本大震災による被災者や復興支援に携わっている人へ向けられた応援一言メッセージを添えて放送していた。 現在は、、、。 また、2009年度・2010年度のCM主題歌「」を歌っているも出演している。 さらに、(、月間MVP)の協賛社であることや活動を支援していることから、同活動に取り組んでいるのが出演している。 2012年3月からは漫画およびアニメーション「」の主人公であるを起用。 同時に、「ニッセイみらいファクトリー」をスタートさせ、「みらい創造推進物語」シリーズでは池松壮亮・南沢奈央・田中圭・板谷由夏・小木茂光が架空の部署である『みらい創造推進室』の社員に扮して役名で出演している。 2012年9月からは更に、当社のPRスーパーバイザーであるも加わった。 このシリーズでは商品CMも担当した。 2015年からは、『人生列車』と題し、様々な人を人生の列車に乗せ、車掌に扮したが出演。 2017年からは、および同社の女子卓球部員(、、、)を起用したCMを展開。 その後もも出演している スポンサー [ ]• のオフィシャルだったことがある。 (1999年まで冠スポンサー、2000年・2001年・2008年は筆頭スポンサー)• のオフィシャルサプライヤー第1号。 の冠スポンサー。 2012年以降、交流戦大使(例・子役、および人気等)を起用したCMを放送している。 「」(・・(共に日本開催))の特別協賛社。 在籍した人物 [ ]• 相互会社のため、会計ルールが一般企業と異なり、「基金」が一般の「資本金」にあたる。 数値は2012年8月の基金募集後のもの。 以上については、 - 日本生命保険相互会社プレスリリース、2012年8月3日発表。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年7月確認)。 「会社形態上、ご契約者と株主双方への利益還元が求められる株式会社ではなく、すべてをお客様のために取り組むことができる相互会社が相応しいと考えております」 - - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年10月確認)• 田中彰、「」『同志社商学』 2013年 64巻 5号 p. 330-351, :。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2014年10月確認)• (2003年9月19日号) - 朝日新聞社。 日本生命の現状2014の28ページ。 ワクスタ. 日経BP社. 2015年3月26日. 2015年12月15日閲覧。 日本経済新聞. 2015年11月6日. 2019年2月24日閲覧。 日本経済新聞. 2018年3月2日. 2019年2月24日閲覧。 『日本生命九十年史』p. 327• 『日本生命九十年史』p. 110• 『日本生命九十年史』p. 136• 「日生東京大異動の風雲 第一、住生と本格戦争 発祥地離脱を決断した危機感」『AERA』1989年3月28日号• 『日本経済新聞』2007年9月28日• の1ページ目 - 内閣府金融庁公式サイト(2010年7月確認)。 の4ページ目 - 金融庁プレスリリース(2010年8月確認)。 - 日本生命保険公式サイト(2010年8月確認)。 朝日新聞 2014年12月22日• 日本生命保険ニュースリリース 2014年12月22日• 日本生命• 日本生命• 卓球王国• から引き継いだ。 、日経Bizアカデミー、2015年9月11日。 参考文献 [ ]• 日本生命保険相互会社編『日本生命九十年史』日本生命保険相互会社、1980年。 外部リンク [ ]•
次の本社() 略称 日本生命、日生(ニッセイ) 本社所在地 〒541-8501 三丁目5番12号 設立 (22年) (有限責任日本生命保険会社) 9820 代表者 () (代表取締役) (代表取締役) (代表取締役) 資本金 1兆2,500億円 (基金総額、2012年8月3日 ) 売上高 連結:7兆2,013億3,700万円 単体:7兆749億8,600万円 (、2013年3月期) 営業利益 連結:4,022億3,400万円 単体:3,887億4,200万円 (、同) 純利益 連結:2,479億3,700万円 単体:2,106億2,200万円 (、同) 純資産 連結:4兆14億7,100万円 単体:3兆9,506億6,500万円 総資産 連結:55兆1,656億1,100万円 単体:54兆8,828億2,400万円 従業員数 70,806人(うち内勤社員18,481人) 決算期 主要子会社 を参照 関係する人物 外部リンク 特記事項:経営指標はすべて2013年3月期決算の数値。 同社の公表資料「 」による。 単体決算は21~32ページ、連結決算は43-54ページに各記載あり。 日本生命保険のデータ 相互会社 保険料等収入 (連結) 5兆 3,886億 1,800万円 保有契約高 (個人保険) 162兆 3,854億 5,100万円 (個人年金) 19兆 470億 6,300万円 (団体保険) 91兆 2,340億 4,000万円 (団体年金) 10兆 4,769億 5,600万円 SM比率 583. 同社の公表資料「 」による。 収入保険料は、保有契約高は133ページ、SM比率は205ページ、格付は33ページに各記載あり。 日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけん、英称: Nippon Life Insurance Company)は、に本社を置く日本の。 で()を抜き第1位である。 保有契約高・保険料収入では最大手である。 概要 [ ] に創業した、日本で3番目に古い生命保険会社である。 に保有契約高が業界首位となり、現在までこれを保持している。 会社形態は相互会社であり、株式会社ではない。 4月に、それまで相互会社であったが株式会社化したものの、日本生命は株式会社に転換する考えはないと説明している。 2015年3月現在、日本生命の投資先は 37. 」(2015年4月 - )。 」も使われている。 それ以前は「ずっと支える。 もっと役立つ。 」、「みらい創造力で、保険は進化する。 」(2012年4月 - 2015年3月)だった。 日生の名称を使用するとは無関係である。 経営状態 [ ] おもな収益源 [ ] 経常収益(株式会社でいう)は、7兆2,936億9,500万円(連結)。 内訳は、保険料収入5兆3,371億1,800万円(同)、資産運用収入1兆7,739億5,100万円(同)、その他雑収1,826億2,500万円(同)などである。 健全性指標 [ ]• AA(保険金支払能力格付、)• A1(保険財務格付、) 資産規模 [ ] 日比谷ビル() 総資産など [ ]• 資産規模• - 連結:70兆6,079億円(2016年3月期)• 益:1兆7,739億5,100万円 機関投資家としての日本生命 [ ] 日本生命は日本の民間で最大規模のである。 日本生命のは(旧。 日本生命はの社長会であるには所属しているが 、には所属していない)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされている。 長年の蓄積から、現在、日本で上場している企業のうち、601社で上位10位までの株主であるとされる(全上場企業3,733社のうち約2割)。 代後半時点では、上場企業1,806社(当時)のうち、69社の、432社で上位5位までの株主、約750社で上位10位までの株主であった。 こうしたことから、にはから 「の静かなる大株主」とあだ名された。 なお以降は、リスク資産の圧縮のため売却を進め、時点では、日本で発行されている株式総数の2. となっている企業は、、、、、、、、、、、、、、、、、、など。 非上場企業の主要株主企業には、、などがある。 (いわゆる貸しビル事業)では、所有延床面積で、に次ぐ国内3位の規模である。 賃貸用不動産残高は1兆705億円、賃貸用ビル保有数は339棟にのぼる。 沿革 [ ] 概要 [ ] 7月に滋賀県での頭取をしていたが近畿の財界人、第四十二国立銀行(現・)頭取・、川上左七郎、土居通夫、山口吉郎兵衛、岡橋治助、西田永助、竹田忠作、井上保次郎、熊谷辰太郎、難波二郎三郎、草間貞太郎、甲谷権兵衛、泉清助の各氏に呼びかけて、社長に11代目を据え、片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。 保険料表を当時、主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。 1891年に株式会社化し(社名は日本生命保険株式会社)、相互扶助の精神のもと1898年の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。 中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。 戦後はに基づき、に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。 期であるに東京都にを完成させた。 また、1975年には経営が困難となっていた の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。 1988年2月4日に生命保険会社の総資産部門の世界ランキングでアメリカ合衆国の を抜いてトップに立つ。 すでに新契約高・収入保険料・保有契約高の三部門で世界一になっていたので、これで四部門のすべてを制する「 四冠王」に輝き、名実ともに世界第1位の生命保険会社となった。 1990年代以降はアメリカ合衆国やへと進出を始めた。 金融自由化の流れの中で、1996年に ニッセイ損害保険を設立し、業界に進出した。 1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。 と提携、ニッセイ損害保険も と合併させ (現・:傘下)を設立し、解散した の全契約を引き取った(契約の包括移転)。 年表 [ ]• - 前身の有限責任日本生命保険会社を創立。 - 株式会社化(日本生命保険株式会社)。 - 日本最初の契約者利益配当実施。 - 保有契約高が日本で第1位となる。 - 日本最初の「利源別配当付普通保険」発売。 - 富士生命を包括移転。 - 愛国生命を包括移転。 - 日本生命保険相互会社として再発足。 - が開場(1997年閉場)。 - が開館。 - を包括移転。 1975年 - が販売開始。 - 子会社であった星和住宅株式会社・星和地所株式会社・新星開発株式会社が合併し、株式会社を設立。 - CIを導入し、シンボルマークを制定。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(米国日生)が営業開始。 - ニッセイ損害保険株式会社設立。 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー・オブ・フィリピンズ(ニッセイフィリピンズ)設立。 1997年 - バンコク・ライフ・アシュアランス(タイ)に資本参加。 - ニッセイアセットマネジメント投信設立(ニッセイ投信とニッセイ投資顧問が合併)。 - ニッセイ保険口座スタート• 1999年 - ニッセイ情報テクノロジー設立。 - 特別勘定運用部門を分社、投信投資顧問子会社と統合して「ニッセイアセットマネジメント」と名称変更。 2000年 - 特定目的会社(SPC)を使った証券化手法により基金を募集。 - 同和火災海上保険とニッセイ損害保険が合併し、ニッセイ同和損害保険設立。 2001年 - 同和生命保険より全契約の包括移転を受け、同社は解散。 - 特定目的会社(SPC)を使った公募証券化手法により基金を募集。 - 広電日生人寿保険有限公司(広電日生)が営業開始。 - において東京本部が業務を開始。 - 創業120周年。 - 新星和不動産が主要株主の異動によりの完全子会社となる。 - 丸の内AIGビル跡地にが竣工。 1月 - 日本生命本店東館()が竣工。 2015年12月 - (現:)を傘下に収める。 - マスミューチュアル生命保険(現:)を子会社化。 歴代社長 [ ]• 初代 - (鴻池家第11代当主)• 2代 -• 3代 -• 4代 - (弘世現の実兄)• 5代 -• 6代 -• 7代 -• 8代 -• 9代 -• 10代 -• 11代 - 清水博(在任中) 施設 [ ] 大阪市の本店ビル本館は、に大坂の学術において中心的な役割を果たした学問所「」の跡地に位置し(に第一期が完成。 1962年に第二期が完成、設計)、東京本部は東京都の(丸の内オアゾ内)に置く。 本部機能は本店に総務・経理部門や管理のための事務を行うお客様サービス部門等、東京本部には、全社戦略を策定する経営企画部門や、有価証券・不動産等の部門、さらに各種販売チャネルの営業企画・戦略部門などを置き、大阪と東京に分散して設置している。 また、コールセンターや契約管理部門は、一部機能を福岡に移管している。 東京本部 [ ] のでに位置した東京支店は焼失してしまった。 このため日生はその跡地に大規模なビルを建設することを決め、周辺の土地も買い増して、地下2階、地上8階、延床面積8800坪に及ぶ東京日本生命館(設計)を建設した。 同館は1933年竣工。 竣工した建物のごく一部を東京支店として使用し、そのほか全館はが借り受け、同年3月20日、南伝馬町から東京店(現:日本橋店)が移転して営業を始めた。 なお、東京日本生命館は戦前の日生における本格的な投資用ビルとしては唯一の例であった。 戦後、東京日本生命館は増築され、1952年4月に工事が竣工した。 増築面積は3530坪で、増築後の総面積は11410坪となり、増築部分の6階までは従来と同じく高島屋に賃貸し、7・8階は日生の東京総局(現:東京本部)として使用した。 創業70周年事業の一環として進めてきた日本生命日比谷ビル()が1963年にに竣工すると 、同ビルのオフィス部分に東京総局は移転した。 1987年、がの劇場街を再開発して建設した地上18階・地下4階の(日比谷シャンテ)が完成すると、同ビル4階以上には日生が入り東京本部を置いた。 また1989年には、大阪の本店から同ビルに戦略部門である旧企画部を総合企画室として拡大してもってきたほか、広告宣伝部門も東京に移すなど総勢900人にのぼる大異動を行った。 2004年に丸の内口前にあった・・東京中央ビル・丸ノ内ホテル跡等が、、日本生命、中央不動産の手によって再開発され、が整備された。 その一角には、日本生命丸の内ビルも竣工し、東京本部は東宝日比谷ビルから移っている。 システムセンター [ ] (大阪府)にシステムセンターを、東京都内にセンターを保有しているが、2011年度に、(同府)に新システムセンターを設置し、堺市のシステムセンターと、日本の生命保険会社としては初めてメインシステムの並行稼働をさせた。 並行稼働させる理由は、災害時の稼働性の担保であり、システム改変時の稼働を容易にするためである。 また、茨木市の新システムセンターには商品企画の研究開発部門を併設し、保険商品の開発や、保険金不払い等の瑕疵を防ぐシステムの開発を行う。 また、本店被災時のバックアップセンターも設置された。 関連企業 [ ]• 日本生命済生会• 公益財団法人ニッセイ文化振興財団• 公益財団法人日本生命財団• 公益財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団• 公益財団法人ニッセイ緑の財団• 株式会社ライフサロン• はなさく生命保険株式会社 不祥事 [ ]• 2005年2月、大手生命保険業のが死亡保険金を不当に支払っていなかったことが発覚し、これを発端として、生命保険業、損害保険業各社で保険金の不当不払い事案が次々と発覚。 生命保険業37社に、合計970億円の不払い事案があることが明らかになった。 日本生命についても、130億円超の不払い事案があることが公表され、業務改善命令を受けるに至った。 日生は「命令を踏まえ、再発防止に取り組む」としている。 この問題に伴い、日生がスポンサーとなっているテレビ番組において、お詫びの文章が流れる15秒CM、もしくは通常のCMの最後にお詫びの文章を付加したCMが放送された。 詳細は「」を参照• 日本生命の一支店に勤務する営業部長とその部下23人の計24人の社員が、・が運営する向け退職金共済の勧誘に当たって、契約者数を水増しして計56事業所の222人に不正契約を締結させていたことが、2014年12月に明らかになった。 うち31事業所の計142人に対して、実際に退職金約200万円が支払われたことも判明している。 スポーツ活動 [ ] スポーツ活動としては硬式野球部と女子卓球部の活躍が有名であり、他に柔道部も活動中。 過去には陸上競技部も存在し、女子5000m元日本記録保持者のや後に2007年世界選手権大阪大会女子マラソン日本代表となるらが在籍していたが、2002年3月に廃部となった。 野球部 [ ] 昭和4年創部。 では、昭和24年の初出場以来、通算58回目の出場(全国最多)、4回優勝。 では、3回優勝。 平成27年には、史上3チーム目となる都市対抗・日本選手権の夏秋連覇を達成した。 詳細は「」を参照 提供番組 [ ] 現在 [ ]• テレビ• 90秒• (・2009年10月 -、90秒、系列外の、、では一社提供でスポンサード)• 60秒• (、)ミニ番組• 30秒• (・火曜 2014年10月 - )• (TBSテレビ・隔日月 - 金)• (フジテレビ・日曜 2018年4月 - )• (フジテレビ・2009年 - )• ラジオ• 追跡 日本生命 朝の経済サプリ(内)(・火曜) 過去 [ ]• テレビ• 一社提供• (TBSテレビ(一社提供))• (一社提供番組)• (、2012年7月 - 2018年3月、)ミニ番組• 90秒• (MBSテレビ、1998年)• 60秒• ( 2013年4月 - 2014年9月)• ( -2012年3月)• (TBSテレビ)• (第1期、TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (MBSテレビ)• (、1987年)• 一部地域のみ• 30秒• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (TBSテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金・隔日土・日))• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ 1994年4月-9月)• (フジテレビ 1994年10月 - 1995年9月)• (・カンテレ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ)• (フジテレビ(隔日月 - 金))• (フジテレビ・土日)• (テレビ朝日)• (日本テレビ)• (日本テレビ 2012年4月 - 2013年3月)• (日本テレビ 2012年4月-2013年3月)• ( 2014年10月 - 2017年9月)• (・月曜? - 2015年3月) ほか多数• ラジオ• ( 1996年4月 - 9月)• 追跡 フライデースペシャル みらいナビ(クロノス内)(TOKYO FM・金曜)• () CM [ ] ニッセイのおばちゃん 1969~86年まで続いたシリーズ。 演じるセールスレディが地方の情景と共に映像で流れ、CMソングの『モクセイの花』(作詞:、作曲:、歌:)と共に親しまれた。 その後も1989年頃から数年間、ニッセイレディのCMの時に、歌詞と曲調をアレンジして放送されていた。 ニッセイレディのともこさん 10年近くに渡ってオンエアされたCMのキャッチフレーズ。 出演していた『ともこ』さんはセールスレディではなく。 CSR CM()• 作の詩「愛する人のために」が使われている。 この詩は1969年に谷川俊太郎が当社のCMのために書き下ろした「愛する者のために」をリメイクしたものである。 ナレーションは。 「セーフ編」 - 主にプロ野球シーズン(4月~9月)時に使用している。 「改札編」 - プロ野球シーズンオフ(10月~1月)時や2004年のアテネオリンピック(夏季)以降のオリンピック中継(ハイライト)でも流れている。 「柱編」 - 新春特別番組時に流れており、特にTBSテレビやフジテレビで3が日のゴールデンタイム(「」「」「(2005年・2006年)・(2007年)新春スペシャル」など)でも流れている。 「路面電車編」 - 2006年10月より開始。 北海道の元町・西部地区がロケ地となっている。 「つながるeco」 - 2008年6月より開始。 「ニッセイの森づくり編」 - 2010年11月より開始。 商品CM• 1980年代から1990年代前半は「ロングラン」「YOU」などにおいて・・・・・・らが出演。 「ニッセイふれあい家族」 - (1995年 楽曲はの「」)• 「ヤングリーグ」「愛と勇気」「愛と勇気NEO」 - (1995-1998年)• 「アクティブパック」 - (1996年 楽曲は自身が歌う「Active, my dream」)• 「ニッセイがん保険EX」「生きるチカラ」 - (2001年-2003年頃)• 「生きるチカラflau」「生きるチカラ スカイプラン」 - (2003年 楽曲は過去に大地真央が出演した「ナイスデイ」の商品CMで使用した「SO NICE DAY」をカバー。 「みらいサポート・女性時代」(2011年)- (1988年のコンサート)、(2007年ミス・ユニバース受賞時)、、、(ピアノ・プレーヤー)、()、のママ、(2006年)といった過去の女性が活躍する姿を写した映像を取り入れている。 CM主題歌は「」()。 「みらいサポート・悠々時代」(2011年 - ) -• 「みらいのカタチ」(2012年-2013年) - ・・・・・• 「みらいのカタチ 20's 30's 自分問答」(2013年-2014年 - 企業イメージCM• 「ニッセイ保険口座」のスタート時(1999年)には・が登場するCMが制作された。 2007年夏以降は「保険契約の確認」のTVCMを中心に展開している。 (ただし、年始は「柱編」を中心に展開されるため一時中断される。 中断期間は元日~1月3日まで。 2009年度以後は()、(、月間MVP)の協賛社であることから、スポーツ選手を起用したCM(但し、選手は過去の試合・演技の映像を使用しており、新たなる撮り下ろしはしていない)を放送している。 過去に、、、ら。 2011年度は従来のスポーツ選手を起用したCMでは東日本大震災による被災者や復興支援に携わっている人へ向けられた応援一言メッセージを添えて放送していた。 現在は、、、。 また、2009年度・2010年度のCM主題歌「」を歌っているも出演している。 さらに、(、月間MVP)の協賛社であることや活動を支援していることから、同活動に取り組んでいるのが出演している。 2012年3月からは漫画およびアニメーション「」の主人公であるを起用。 同時に、「ニッセイみらいファクトリー」をスタートさせ、「みらい創造推進物語」シリーズでは池松壮亮・南沢奈央・田中圭・板谷由夏・小木茂光が架空の部署である『みらい創造推進室』の社員に扮して役名で出演している。 2012年9月からは更に、当社のPRスーパーバイザーであるも加わった。 このシリーズでは商品CMも担当した。 2015年からは、『人生列車』と題し、様々な人を人生の列車に乗せ、車掌に扮したが出演。 2017年からは、および同社の女子卓球部員(、、、)を起用したCMを展開。 その後もも出演している スポンサー [ ]• のオフィシャルだったことがある。 (1999年まで冠スポンサー、2000年・2001年・2008年は筆頭スポンサー)• のオフィシャルサプライヤー第1号。 の冠スポンサー。 2012年以降、交流戦大使(例・子役、および人気等)を起用したCMを放送している。 「」(・・(共に日本開催))の特別協賛社。 在籍した人物 [ ]• 相互会社のため、会計ルールが一般企業と異なり、「基金」が一般の「資本金」にあたる。 数値は2012年8月の基金募集後のもの。 以上については、 - 日本生命保険相互会社プレスリリース、2012年8月3日発表。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年7月確認)。 「会社形態上、ご契約者と株主双方への利益還元が求められる株式会社ではなく、すべてをお客様のために取り組むことができる相互会社が相応しいと考えております」 - - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年10月確認)• 田中彰、「」『同志社商学』 2013年 64巻 5号 p. 330-351, :。 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2014年10月確認)• (2003年9月19日号) - 朝日新聞社。 日本生命の現状2014の28ページ。 ワクスタ. 日経BP社. 2015年3月26日. 2015年12月15日閲覧。 日本経済新聞. 2015年11月6日. 2019年2月24日閲覧。 日本経済新聞. 2018年3月2日. 2019年2月24日閲覧。 『日本生命九十年史』p. 327• 『日本生命九十年史』p. 110• 『日本生命九十年史』p. 136• 「日生東京大異動の風雲 第一、住生と本格戦争 発祥地離脱を決断した危機感」『AERA』1989年3月28日号• 『日本経済新聞』2007年9月28日• の1ページ目 - 内閣府金融庁公式サイト(2010年7月確認)。 の4ページ目 - 金融庁プレスリリース(2010年8月確認)。 - 日本生命保険公式サイト(2010年8月確認)。 朝日新聞 2014年12月22日• 日本生命保険ニュースリリース 2014年12月22日• 日本生命• 日本生命• 卓球王国• から引き継いだ。 、日経Bizアカデミー、2015年9月11日。 参考文献 [ ]• 日本生命保険相互会社編『日本生命九十年史』日本生命保険相互会社、1980年。 外部リンク [ ]•
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