桃から生まれた桃太郎は、老婆老爺に養われ、へ鬼退治に出征、道中遭遇するイヌ、サル、キジをを褒美にとし、鬼の財宝を持ち帰り、郷里に凱旋する。 この「標準型」とは明治から現在に至り教科書や絵本を通じて普及した「桃太郎」を指す。 作品によって場面ごとの違いはあるが、どのでも桃太郎側の視点での物語となっている。 異本 [ ] より古い系統の桃太郎説話は、この「標準型」とは異なるものである。 とりわけ桃太郎の出生に関しては、桃から生まれたとする型(「果生型」)が今や一般的だが、これは19世紀初頭にはじめてみられるもので、それまでのでは桃を食べたお爺さんお婆さんが若返り出産する型(「回春型」)が主流だった。 口承文学の異伝 [ ] 詳細は「」を参照 口承話では「果生型」が多いとされている。 その他、桃太郎の誕生の仕方については<赤い箱と白い箱が流れて来て、赤い箱を拾ったら赤ん坊が入っていた>など差異のあるものが多数伝わっている。 赤い手箱と黒い手箱の場合や、箱の中に桃が入っている場合も、特に東北や北陸を中心に確認できる。 桃の割れる経緯についても「たんす」や「戸棚」や「臼」に入れておいた桃が自然に割れて男児が誕生するなど、民間での語り伝えは一様でなかった。 桃太郎の成長過程については、お爺さんとお婆さんの期待通り働き者に育ったとする場合もあるが、のように力持ちで大きな体に育つが怠け者で寝てばかりいるとする話が主に四国・にみられる。 成り立ち [ ] 桃太郎の人形 由来 [ ] 特定の伝説に拠る物語の由来については諸説存在し、それぞれ論争のあるところである。 岡山の桃太郎起源説は、戦前の頃まではその支持は、愛知県や香川県をゆかりとする説に大きく後れを取っていたが、1960年以降の岡山地域の促進運動によってその知名度が上がっている。 詳しくはを参照。 成立過程 [ ] 物語としての成立年代は正確には分かっていないが、原型(口承文学)の発祥は末期から江戸時代初期頃とされる。 以後、江戸時代のの赤本のちや版の『桃太郎』『桃太郎昔話』などの出版により広まった。 現存最古の文献は『もゝ太郎』(享保8年/刊行)とされるが 、かつて研究された原典にはこれより古い元禄以前の『桃太郎話』、頃の『桃太郎昔語り』なども現存していた。 小池の分類法 [ ] 多くの江戸期の原典を収集・筆写・比較研究したは、最も古い諸本を「第一系統本」(『桃太郎昔語』等 )とした。 第一系統本では登場人物は「とう団子」をこしらえており、そこから派生した第二系統本(前述の享保刊行『もゝ太郎』等)になってこれが「日本一のきびだんご」に変じたと論じている。 他の違いとして、爺が草刈りに行くか、柴刈りに行くかの相違を挙げている。 また、いずれの系統も雉・猿・犬のお供がつくが、その順序および重要性が変遷しているとする。 さらに分化がすすんだ諸本を小池は第三系統本としており、これにはの『』(8年/)や瑞鳥園齋守こと賀茂規清(1798-1861)著の『雛迺宇計木(ひなのうけぎ)』など多くの資料が含まれる。 馬琴の『童蒙話赤本事始』では「桃太郎」は五大昔噺の冒頭を飾る。 回春型と果生型の成立順序 [ ] 小池は慈雲院命鑑玖誉『太郎物語』(5年/)を原話にちかいものとみなしており 、そこにあるような夫婦が神仏頼みで子を得た話が最も古い原型で、次いで夫婦が若返り子をもうけた形(「回春型」)、最後に「桃から生まれた桃太郎」(「果生型」)が登場したと提唱した。 近年の研究では「回春型」が「果生型」より先んづるとする論に賛成する意見も 、同調するには慎重な意見もうかがえる。 は「桃から生まれた桃太郎」のほうが古い形態であると主張し、小池と島津の両者は激しく対立している。 もし桃太郎と検証できれば、果実型の物語の早期成立を立証できる建築装飾が存在することが末頃に指摘されたが 、小池は桃太郎を模した作である証拠がなく、神宮で祀られる神の物語と伝える説が正しいと見た(に詳述)。 あくまで文献資料()で見る限り、「桃から生まれた」話はより新しい系統の馬琴作『燕石雑志』(1811年)や『童話長篇』()等の作品にみられるとされる。 なお、作『赤本再興桃太郎』(文化9年/)においては桃が2個流れてきて、ひとつを食した老夫婦は若返り、もうひとつから桃太郎が生まれ、この異本の特色となっている。 前述したように、こうした江戸期の文献(草双紙など)では、桃を食べ若返った夫婦が子作りをはたす「回春型」桃太郎が主流であった。 たとえば赤本『桃太郎昔語』(刊行年不詳)には、若返りした媼が桃太郎を出産する挿絵がある。 が近づくにつれて桃から生まれた「果生型」桃太郎が、より多くみられるようになった。 気比神宮 [ ] 福井県市、慶長19年()に再建された本殿のには、割れた桃から出現する男の彫刻像があった(により像は焼失)。 四隅にそれぞれの装飾があり、童話の起源を物語るものと同社の略記に書かれており、他は、、だったとの回答を宮司(1956年時)から得ている。 また、同社ではある時代から桃から生まれる嬰児の粘土細工の土産も売られていた。 これを検証した小池は、「果生型」の草双紙が流布した時代になれば、この像を見て"桃から桃太郎が生まれた"図案と解釈しえた、とそれなりの類似を認めつつも、像の制作時からこれが桃太郎だったと立証するにも"何一つ由来・伝説・資料等がない」と懐疑的な立場に徹した。 小池の見立てでは、この顔は幼児というより老人っぽく 、髪をに結っていた。 神宮では、これを主神の(イザサワケノミコト)による大陸遠征の物語とする説があるが、何ら古文書に無く、の1940年頃に喧伝されていたものなので時局に便乗した産物でないかと疑われるが、小池は最終的にその疑いを払拭して、この説を支持する結論に達している。 この像を桃太郎と見て特に疑わない意見もあり、美術史家の源豐秋()の論文(1923年)は安土桃山時代の桃太郎彫刻と鑑定し 、(1935年)も源豊宗の結論を引いており 、のち俳人のの『桃太郎概説』(1941年)も、本殿再建の慶長19年の彫刻と時代を遅らせているが桃太郎であることに異議を唱えていない。 鬼から奪った財宝 [ ] 江戸期の文学では、桃太郎が持ち帰る財宝は、、隠れ笠、、延命袋(第一系統、第二系統)などである。 第三系統の『桃太郎一代記』(画 天明元年/)などで金銀宝玉やが加わってくる。 20世紀に入ると、その宝が「金銀珊瑚綾錦」であることが常套句のようになってもちいられているが 、昭和期の童話の出版物でも、これらの他にあいかわらず隠れ蓑や打ち出の小槌も加わっていた。 標準型 [ ] 1887年(明治20年)に(『』巻1)に採用される際にほぼ現在の「標準型」のあらすじの桃太郎物語が掲載された。 だが1904年の第1期『尋常小学読本』の際には桃太郎はいったん教材からはずされた。 1910年の第2期『尋常小学読本』にて復活したが、このころ童話作家のがとなっていて桃太郎の執筆に大きくかかわっている(事実上の執筆者である)と考えられている。 小波は、(明治27年)に『日本昔話』としてまとめられており、これもその後の語り伝えに大きく影響した。 桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのはこの明治時代からである。 それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはない。 明治の国家体制に伴い、周辺国を従えた勇ましい大日本帝国の象徴にされたのである。 の終焉まで、桃太郎は多くの国語の教科書をはじめ、や図画の教材などに日本国内で広く利用された。 その後も語り、絵共に様々な版が生まれ、また他の創作物にも非常に数多く翻案されたり取り込まれたりした。 の『』などもその一例である。 唱歌 [ ] 「」を参照 唱歌「桃太郎」は、の1つ。 (明治44年)の『』に登場。 作詞者不明、作曲・。 桃太郎• 桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな。 やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。 行きましょう、行きましょう、貴方について何処までも、家来になって行きましょう。 そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。 おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。 万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。 現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合が多い。 これと似たような経緯で後半部を削除された童謡に、がある。 両者ともに歌詞の意外性、残酷性が取り上げられることがある。 また、上記に比べ知名度は劣るが、作詞・、作曲・による「モモタロウ」もある。 (明治33年)の『幼年唱歌』に登場。 モモタロウ• 桃から生れた桃太郎、氣はやさしくて力持、鬼ケ島をばうたんとて、勇んで家を出かけたり。 日本一の黍團子、情けにつきくる犬と猿、雉ももらうてお供する、急げ者どもおくるなよ。 激しいいくさに大勝利、鬼ケ島をば攻め伏せて、取つた寶は何々ぞ、金銀、珊瑚、綾錦。 車に積んだ寶もの、犬が牽き出すえんやらや、猿があと押すえんやらや、雉がつな引くえんやらや。 地域別の口承伝説 [ ]• 岡山県を中心とした地域には、横着な性格と大力を持った隣の寝太郎型の桃太郎も多い。 鬼退治にしても鬼を海中に投げ宝物をとって帰ったり鬼に酒を飲ませて退治する例もある。 香川県では桃太郎が女の子だった、とする話がある。 おばあさんが川から持ち帰った桃を食べ、若返ったおじいさんとおばあさんに子どもができ、男の子のように元気のいい女の子が生まれる。 そして、あまりに可愛いので鬼にさらわれないよう桃太郎と名づけ育てた、というもの。 成立の経緯は、讃岐国司だったが「が三人の勇士を従えて海賊退治をおこなった」という話を地元の漁師から聞き、それをもとにおとぎ話としてまとめたものであるという。 岩手県には母親の腰近くに転がってきた桃を拾って帰り、綿に包み寝床に置いておいたら桃が割れ子供が生まれた桃の子太郎という伝承や、、(現・新潟県)の「桃太郎」では桃の代わりに香箱が流れてきたとあり、この香箱は陰部の隠語でもあるという。 岩手県の別の語りでは、桃太郎は父母が花見に行った時に拾った桃から誕生。 地獄の鬼から日本一の黍団子を持って来いと命じられ、地獄へ行き鬼が団子を食べているすきに地獄のお姫様を救う。 婚姻譚を伴う桃太郎である。 福島県の桃太郎も山向こうの娘を嫁にする話。 きび団子の代わりに粟・稗の団子の設定の高知県の話。 またお供も猿・犬・雉ではなく石臼・針・馬の糞・百足・蜂・蟹などの広島県・愛媛県の例もある。 地方には多様なバリエーションがある。 東京北(現・東京都北部)地方には蟹・臼・蜂・糞・卵・水桶等を家来にする話があり、これは明らかにの変型とする見方もある。 山梨県には「(という説もある)に住む鬼が里山の住民を苦しめていた」「には桃の木が生い茂り、そこから川に落ちた桃をおばあさんが拾い持ち帰った」「の犬目で犬、でキジ、でサルを拾った」等のいわゆる「大月桃太郎伝説」が存在する• の(鹿児島県)では「桃太郎」は「ニラの島」へ行ったという。 龍宮であるニラの島で島民はみな鬼に食われていたが、唯一の生存者の老人の家に羽釜があり、そのふたの裏に鬼の島への道しるべが書かれており、その道しるべどおり地下の鬼の島へ行き、鬼退治に行く筋書きである。 沖縄県の古謡「八重山入の時の」では、のに参戦した豪族の一人に桃多良(むむたらー)の名があり、この時期までの沖縄への桃太郎伝承の伝播の可能性が論議されている。 その他 [ ] ・語り部によって、桃が川に流れている描写を「どんぶらこっこ すっこっこ」、「どんぶらこ どんぶらこ」などと表現する。 解釈 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2008年5月) 伝播・派生 [ ] 桃太郎の対的説話としては瓜から生まれたが指摘され、には黄金の瓜から生まれた男子が後の琉球王(王とされる)となったというのバリエーションもある。 近海の国に伝わるおとぎ話に「樽」や「果実」の中に入った子供が出てくる話が多数あり、日本人の先祖の一つにがあることを示している証拠だとする説もある [ ]。 桃太郎の物語りはインドの有名な「」の影響を受けたという説もある。 桃太郎に登場する猿は、に登場すると同様に、ラーマーヤナの中のがモデルとする説である [ ]。 桃 [ ] 上流から流れてきた桃を食べて老夫婦が若返ったというくだりは、伝説、あるいはののにみられるように、桃が邪気をはらいの力を与えるである果実とされていることと関連する。 桃太郎を齎した桃は、こうした力のある桃が山から流れて来たものとも考えられる。 瓜や橘の実でなく、特に桃である理由について、は著書『どこかで鬼の話』で「桃は大昔より数少ない果物であり、においや味、薬用性および花の美しさがそろい、紅い小さな花と豊潤な果実を付けるところが不老不死のイメージにぴったりであり、人に利益を与え死の反対の生のシンボルを思わせ、その中でも特に桃の実が柔らかくみずみずしく産毛、筋目から命の源の女性器に似ているからであり、そのイメージには邪悪な鬼を退散させる力を感じさせるからであろう」としている。 この桃と女性の生殖器についての考察は、等がおこなっている 桃そのものが女性であったという解釈もある。 日中民間説話研究者の立石展大は中国においてはが似た伝承を伝承があるとしている。 鬼門 [ ] 鬼は、ではとの間の方角(北東)である「」からやって来ると考えられていることから、敵役である鬼が牛のような角を生やし、虎の腰巻きを履いているのも、の思想によるという解釈もある。 桃太郎は「鬼門」の鬼に対抗して、「裏鬼門」に位置する(十二支は方角も表す)の動物((サル)、(トリ=キジ)、(イヌ))を率いた、という解釈がある(「」など)。 の『日本昔噺』版「桃太郎」()には、鬼ヶ島がの「東北(うしとら)」の方向にあるという説明が付加されているが、これも馬琴の「鬼が島鬼門説」に迎合したのではないかという見方がある。 だが刊行の時期がの勃発と重なっていることもあり、桃太郎を皇軍に、鬼を敵国の中国に見立てたことも影響していると思われる。 物語 [ ] 民俗学者は『桃太郎の誕生』(1933年)の論集で、昔話に日本の「固有信仰」を見出すことに主眼をおいたが 、桃太郎を、瓜子姫などのような異常誕生・成長の「小さ子」の物語系統のひとつとして解析したのは柳田が初めである。 また、川上から流れる桃の展開から異界の存在と水辺との関連を、それらを統率する存在として水辺の「小さ子」・「海神少童」伝承に繋がり 、最終的には、天のかがみの船に乗り波の流れに沿って流れついた神話へと結びつくのである。 柳田はここで、昔話とはかつての神話の零落した一つの姿であると言っている。 視点を変えれば異常出生の神の子が共同体から除外されつつも異郷に赴く「英雄神話」が抽出できる。 また柳田は『桃太郎の誕生』の中で、古代ローマの神話には、少年の姿をしたミトラ神が犬やサソリを伴って猛牛を退治する話があり、同類型の話が日本以外にも存在するとも述べている。 桃太郎を文化人類史的視点から見たのが文化人類学者・である。 『桃太郎の母』において、「水界の小さき子」の影に「水界の母子神」の存在がつきまとうと見いだし、南方の島々や太平洋周辺の諸民族の伝説の研究へと行き着く。 浜辺に神の子を産み残していく「型の伝承」や南風に身を晒して子を産む「型の説話」などの、の文化との関連へと石田の「桃太郎の母」探しは発展していき 、遠い昔に信仰されたとその子神とにまつわる霊童の的な神話の想定に至る。 神話学者・は『桃太郎新論』で出自そのものの桃に着眼し、「梨太郎」・「林檎太郎」でなくなぜ桃太郎なのかにこだわった。 桃太郎を「英雄伝説的童話」と位置づけ、桃は前述のように邪気を祓う霊物であり、長生不老の仙果であり、太郎が老夫婦に育てられるのと桃が不老長寿の果物であることは無関係でないと述べている。 民俗学者・は鬼が島征伐の冒険的行為に社会慣習としてのであるが反映していると考えた。 評価・変遷 [ ] は、自分の子供に日々渡した家訓「」で、悪行をなす鬼を懲罰する桃太郎は正しくとも、(世のために)鬼が所持する宝を強奪した桃太郎は「卑劣千万」であると非難する。 現代でも「本当は鬼が島に押しかけた桃太郎らが悪者ではないか」と考える者はおり、裁判所等で行われる模擬裁判の事例やディベートの議題として取り上げられる場合がある。 をはじめとして、、、、などの著名な作家たちも競って桃太郎を小説の題材にしており、桃太郎が「日本人」の深層心理に与えている影響の大きさがうかがえる。 の際には桃太郎はというを背景に、勇敢さの比喩として語られていた。 この場合桃太郎は「鬼畜米英」という鬼を成敗する子としてスローガンに利用された。 戦時中には孝行・正義・仁如・尚武・明朗などの修身の徳を体現した国民的英雄として、大正期のでは童心の子として、主義では階級の子、また戦後になるとの先駆として語られる など、桃太郎はしばしば国民の模範として描かれてきた。 ゆかりの地 [ ] 岡山県岡山市 吉備津彦神社の桃太郎像 ゆかりの地とされる場所は全国にある。 は、桃太郎作中の「」と同音の江戸時代の地元土産品「」を関連付けるなど、全県を挙げての宣伝活動からゆかりの地として全国的に有名となり、現在は桃太郎の像なども存在する。 岡山を発祥地とする主張の三大根拠とされるのが、、桃、そして,の退治伝説であるとされている。 「黍団子」が「吉備団子」に通じることから、桃太郎は「」(現在の岡山県)とゆかりがあるとの論旨が生まれた。 しかし古い系統本の物語説話では「」等であることが指摘されており 、本来そのような関連性はないとされる。 ちなみに商品として広く知られるは、きび団子にちなんで江戸末期に売り出された物である。 岡山県ゆかりの由来説として、第7代の彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)の退治伝説に桃太郎説話の原話を求める説がある。 のの縁起物など(古くは16世紀末の文献)に記録される伝説であるが、時代設定は第11代の御代であり、温羅の居城はとされているので桃太郎討伐の鬼に見立てられている。 これは学界ではなく在野の説で、地元岡山市の難波金之助なる塑像家が昭和初期に提唱したのを嚆矢とする。 似た俗説が明治時代、日本一吉備団子を販売する広栄堂の主人が執筆したなかにもみえる。 そこでは桃太郎のモデルを神武天皇という仮説を立てており、さらに吉備津彦命はその昔、この天皇に手ずからを献上したという言い伝えを記している。 吉備津神社縁起物によると、吉備津彦命は犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)という部下がいた。 岡山県の血吸川(の支流)も桃太郎の桃が流れた川、あるいは桃太郎との戦いで傷を負った鬼の血が流れた川だと、温羅伝説に伝わる。 彦五十狭芹彦命(吉備津彦)の故郷である奈良県では、桃太郎生誕の地として黒田庵戸宮()を観光PRの一つとして取り上げている。 以下は桃太郎サミットや日本桃太郎会連合会に参加する自治体とそのゆかりの場所。 山梨県• 岡山県• (総社市)• 倉敷市• (岡山桃太郎空港)• 香川県• 鬼ヶ島• 愛知県• 奈良県• (孝霊神社• (孝霊天皇の宮比定地 桃太郎に関連する作品 [ ] 『桃太郎』の話を原案とした作品 [ ] も参照。 『』 - (1891年) 桃太郎を鬼の面から解釈した。 『日露ぽんち桃太郎のロスキー征伐』 - 文、画(1905年) の際に出版された。 「昔は南の国に鬼がいたが、今は西方にロスキー(露西鬼)がいる」というもの。 『桃次郎』 - (1911年) 極力ユーモラスに桃太郎を書いた。 『』 - 作詞作曲のお伽(1912年発表)。 の初公演にも用いられた。 『桃太郎』(サンデー毎日の臨時増刊 1924年(大正13年)7月)• 『桃太郎』 - 「王様の背中」(1934年)に収録。 「桃太郎輪廻」 - 『日本列島七曲り』(1974年)所収。 『』 - (1981年)。 『』 - (1987年)が制作発売した用。 主人公は桃太郎でない。 に『』がある。 『』シリーズ - のシリーズ。 -に『』『』として化もされた。 派生作品として、コンピュータ『』シリーズや『』などがある。 『』 - の漫画(1993年)。 に連載された。 『』 - の漫画(1998—1999年)。 『PEACHBOY』 - のナレーション、の音楽で綴られた風のビデオ作品。 『HUMANITY THE MUSICAL 〜モモタロウと愉快な仲間たち〜』 - の。 『』() - かつて日本の下にあった影響で、でも桃太郎は有名であり映画化された。 主題歌「千年神話」は「桃太郎」を調にした曲であった。 『桃太郎ぽけら異聞 ももぺ』 - (2003年)の脱力系イラストストーリー。 「ももたろう」(2007年)- の番組「」(出演・朗読は)。 『モモタロー・ノー・リターン』 - 奥山和弘(2011年) に対し、主人公が「桃子」。 『』 - キビダンゴプロジェクトによるとして発表された。 「桃太郎は女の子だった」という設定の元製作されている。 にTVアニメ化された。 原典の桃をに置き換えている。 2015年6月24日公開。 『混昔物語』 - 橘花紅月(2017年)桃太郎を含む複数の昔話を一つにまとめた小説。 『桃太郎』の後日談、子孫、転生を描いた作品 [ ]• 8年()に発表された。 作者は。 桃太郎に退治された鬼が桃太郎を暗殺するため鬼娘を召使いとして桃太郎の家に送り込むが、鬼娘は桃太郎と暮らすうちに恋心を抱く。 桃太郎への片思いと暗殺命令の板ばさみに苦しんだ鬼娘は自刃して命を絶つ。 庶民の間で広く親しまれていた『桃太郎』にはいくつかの続編()があり本作もその一つである。 の漫画。 鬼を征伐した後の凄惨な仲間割れが描かれている。 鬼が島の掃討場面でも、女・子供に容赦していない。 『サイバー桃太郎』• のSF時代劇漫画。 新装版タイトルは「魔幻戦記サイバー桃太郎」。 サイバー化した桃太郎が仲間のイヌ子らと鬼退治をしさらに強大な敵と戦っていく。 その後『真 サイバー桃太郎』としてリライト作も書いている。 の時代劇漫画。 温羅を退治した後も鬼退治を続け、1000年以上生きている。 体制側の最強人物。 被差別民の鬼たる主人公たちにとって最大の敵。 のエンターテイメント漫画。 に連載された。 桃太郎の子孫を名乗る人物()が登場。 の漫画。 に連載された。 二代目桃太郎となる人物が登場。 の漫画。 主人公の桃園祐喜が桃太郎のという設定。 かつて鬼を退治した勇者として「岡山桃太郎」が登場。 すっかり年をとっており74歳の爺さんになっている。 の漫画で2008年10月よりにて連載中。 主人公ではないが、犬()、猿()、雉()を連れて鬼ヶ島へ向かう十二代目・桃太郎の女の子が重要人物として登場する。 の漫画。 桃太郎、犬、猿、雉の生まれ変わりが登場し、登場人物のほぼ全てが犬、猿、雉の特性を持つ。 のミュージカルでの小説「桃次郎」が原案。 「桃太郎」の紙芝居にケチをつけた少年・桃山次郎が桃太郎の弟・桃次郎となって紙芝居の世界に入り再び鬼退治に旅立つが、鬼たちと仲よくなるという物語。 おじいさんとおばあさんが桃太郎の活躍以降欲深い性格になっていたり、家来の犬、猿、雉はぐれていて全くやる気がなかったり、鬼たちは実は善良な種族で彼らに取っては鬼ヶ島に乗り込んでたくさんの鬼を殺し財宝を奪っていった桃太郎の方が悪だったりと、善悪が逆転したような世界観が特徴。 また桃次郎の弟の桃三郎(桃山三郎)も登場し、鬼の友達になった桃次郎と対立することになる。 の漫画。 死後の世界の住人として登場。 桃太郎は桃源郷で薬剤師見習い、犬、猿、雉は地獄で獄卒として働いている。 のアクションゲームシリーズ。 鬼ヶ島を制圧した桃太郎として人々に語り継がれている高等幻魔ゴーガンダンテスが登場する。 原作:、漫画:ヨハネの。 桃太郎の力をと絡めて解釈した異説。 日本で鬼退治した桃太郎が海外でも鬼退治を続けていく。 『桃太郎日常茶飯事鬼退治』• の漫画。 現代版桃太郎が登場。 お供は雉()と猿()。 の宿を舞台に人に巣くう鬼退治をする。 の小説。 の古民家「桃源郷」で店主をしている桃太郎の生まれ変わり吉備桃太郎が主人公。 犬・猿・雉の生まれ変わりも登場。 舞台化・映画化(映画題「桃源郷ラビリンス〜生々流転〜」)されている 上記以外で人物関係などの設定を引用している作品 [ ]• 『』 - に公開された国産アニメ。 『』 - ににより公開された日本の長編アニメ。 この時期軍部が提供した潤沢な予算はアニメーション技術の向上に繋がったとの評価がある。 『』 - 主人公(モモ)とお供の3匹(犬、サル、鳥)の構成は、桃太郎をモチーフとしたものである。 『どんぶらこ』- による漫画。 『』 - 株式会社販売の。 『』 - 主人公(桃矢)と3匹のアニマノイド(犬())、サル()、)のキャラクター設定は、桃太郎をベースとしており、さらにこれにが加わる。 『桃にキッス! 』 - の漫画。 鬼を封印する役目を担った主人公とその恋人の仲間3人が、それぞれ犬、猿、雉に変身できる能力を持っている。 『』 - MCの1人のモモエは桃の妖精と言う設定でありピンク色の女の子であるが16代目桃太郎と名乗っている。 「おしえてモモエさん」のコーナーで犬キジ猿からの質問に答えている。 「鬼チューブ」のコーナーは三匹の鬼による配信風のコーナーであるが、モモエは彼らを敵視している。 『』- 鬼退治をし、金銀財宝を手に入れた後のモモタロウが登場する。 吉備津彦の設定を加えられており、吉備津神社に奉納されている長船法光の太刀を持ち、鬼ヶ島ではなく鬼ノ城(読み方は「おにのしろ」)で鬼退治をしたこととなっている。 若くして名をあげたため、自分が最強だと思い込んでいる。 しかし、正義感が強く、平和を乱すものは許さないが、少々行き過ぎたところがある。 『』 - によるアニメ。 『美鬼神伝説 MOMO』 - 脚本:、作画:、構成:のSF漫画作品。 謎の星を舞台とした巨大な刀を持った少女MOMOと記憶をなくしたひ弱な少年タロウの鬼退治冒険活劇。 イヌ族・鳥族などが登場。 『桃太郎くんは言うコトをきかない』 - の漫画作品。 新任教師の鬼ヶ島が問題児である桃太郎とその仲間たちに振り回される学園ドタバタギャグ漫画。 派生用語 [ ] 名称 [ ]• は、の名跡。 当代は と名乗る。 選挙 [ ]• 桃太郎(ももたろう)は、の方法の一つ。 をしたを先頭に、候補者の名前の入ったを持った運動員や、、、その他の運動員が固まって街頭を練り歩く活動。 野菜 [ ]• (ももたろう)は、が販売するの品種の1つ。 菓子 [ ]• もも太郎(ももたろう)は、を中心に、さかたや、第一食品が販売しているの商品名。 鉄道 [ ]• ECO-POWER桃太郎は、(JR貨物)所属 の・の愛称。 鬼無桃太郎駅は、(JR四国)の、の愛称。 四国桃太郎貨物駅は、日本貨物鉄道(JR貨物)の予讃線・の愛称。 の及びの入線メロディ。 の愛称「MOMO」は、桃太郎と岡山の名産の果物・に由来する。 2016年より・の愛称が「桃太郎線」となる。 航空 [ ]• 岡山桃太郎空港は、の愛称。 行政 [ ]• は、の。 2005年ので誕生し、翌年から同県のマスコットキャラクターに昇格する。 企業 [ ]• 株式会社(桃太郎映像出版、桃太郎ピクチャーズ)は日本のビデオ製作会社• 株式会社 - 「桃太郎ジーンズ」というブランドを展開• 株式会社 - コンピュータゲーム販売「TVゲームショップ桃太郎」、ゲームセンター「アミューズメント桃太郎」を展開。 有限会社 - 長崎県でを製造・販売する企業。 企業のキャラクター• - に桃太郎をモチーフにした「モモちゃん」が用いられている。 - 2015年より、桃太郎(桃ちゃん)がイメージキャラクターの一人となっている(詳細は「」を参照)。 ゲーム [ ]• が、やなどを発売。 が稼働しているアーケードゲーム(2015年稼働開始)に、吉備津彦命をモデルとしたキャラクターが登場。 店名 [ ]• ビデオ・DVD試写・販売店に 桃太郎と言うチェーン店が大阪各地にある。 和歌山県にある本社中島店とオークワ本社とWAYオークワ本社店とウェイオークワ本社店の近くにももたろうと言う屋がある。 三重県及びにおにぎり・弁当店のチェーン店「おにぎりの桃太郎」がある。 補注 [ ]• 享保後期初版[? 岩下村の甘露山慈雲院(明治31年の洪水で寺は失われた)で記録されたものだが、京都で聞いた話を伝えたものと記されている。 加原は、草双紙は江戸や関西の都市で発行されたものなので偏重があり、日本全土の伝承を反映しているわけではないと意見する。 桃太郎が桃から生れたとするのは、小池曰く「変遷期後期」(享和元年[1801年]~慶応三年[1867年])だという。 , p. また、資料によっては赤本でなく黄表紙として扱われる。 絵師のは、この号を16年(1731年)~4年(1747年)頃に名乗っており、のち「石川豊信」と改名した。 他にも"を右手にもち"、"髪には宝珠のような珠が飾られ"と観察する。 教科書は公刊物なため著者名が記述されず、小波が著者という断定に至らない。 "もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。 けしからぬことならずや。 たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。 ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。 もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。 (桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝をとりに行くためだ。 けしからんことではないか。 宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。 持ち主のある宝を理由もなくとりに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。 また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成すことがあれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめることはとても良いことだけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為であり、大変に卑劣である)"。 、なども含めたパロディ作品。 「脱力力」を武器とする桃太郎・ももぺの活躍を描く。 日曜版に連載・単行本化。 男女の役割を逆転させお爺さんが「川で洗濯」に、お婆さんが「山へ柴刈り」に行く。 出典 [ ] 脚注 [ ] []• 52—53. 小池藤五郎「記録されたる桃太郎古説話の研究(下)」『国語と国文学』第11巻第3号82頁、1934年。 , p. 62に拠る。 , p. 27(, p. 59, 注6に拠る)• , pp. 81—83. , p. 334. 488. , p. , pp. 21, 22, 28—33、, pp. 24—28• , p. 25, , p. , pp. 19—20, 24—27• , p. , p. 78(, p. 59に拠る)• , p. 54, 注2• 35—37. , pp. 24—28. , pp. 33—34. , pp. 51—53. , p. 吉田暎二 2巻 画文堂、1971年 [1965年]、278頁。。 , pp. 36—37. , pp. iv, 10, 48• 『歴史と地理』 、岩波講座日本歴史 第5 角川書店、22頁、1935年。 , pp. 313-314. , p. 例:柳田國男『昔話覺書』(1943 , p. 275 , p. 43に拠る。 例:1937年版「講談社の絵本 桃太郎」。 , p. 7に拠る。 第二十六課〜第二十八課 国立国会図書館デジタルコレクション• , pp. 53—54. , pp. 54—55. 『日本の民話』()• フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 3』講談社、2003年。 フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 7』講談社、2004年。 食卓日本昔話. 2018年9月28日閲覧。 うどん県旅ネット. 2018年9月28日閲覧。 『鬼むかし 昔話の世界』〈角川選書〉、1991年、230-231頁。 『鬼むかし 昔話の世界』、238頁。 JR東日本. 2014年11月8日閲覧。 『鬼むかし 昔話の世界』、216頁。 著『どこかで鬼の話』京都1990年、38頁、42頁。。 西岡秀雄氏『日本における性神の史的研究』、1950年。 , pp. 44,87に拠る。 立石展大 2017. 國學院中國學會報 63: 81-101. , p. , pp. 28—29, 38. , p. 広田収 『国文学年次別論文集 中世2』 、321 317—339 頁、2001年。。 510. , pp. 51—106. , p. , pp. 41—42. 作品としては、民話の出来事を裁判員制度の題材とした漫画『裁判長! 桃太郎は「強盗致傷」です! 』相川タク 漫画 小林剛 弁護士 監修 が有る• , pp. 487—488. , p. 487. 武田淺次郎 、岡山、1895年、1—5, 45頁。。 , p. , p. , p. 489. - 青空文庫• 『よちよち文藝部』、2012年10月、50頁• 、ダ・ヴィンチニュース、2015年6月26日。 、マイナビウーマン、2015年6月29日 17:00。 国立国会図書館デジタルコレクション• シャキーンのHP• 100番台の一部が岡山区の他及びに、300番台がに所属している。 参考文献 [ ]• 内ヶ﨑有里子 『江戸期昔話絵本の研究と資料』 三弥井書店、1999年。 加原奈穂子 『東京藝術大学音楽学部紀要』 36巻 東京藝術大学音楽学部、51—72頁、2010年。 『早稲田商学』 427号 早稲田商学同攻会、485—515頁、2011年。 雲岡梓 『北海道教育大学国語論集』 13巻 北海道教育大学釧路校国語科教育研究室、31—40頁、2016年。 小池藤五郎 『立正大学文学部論叢』 26号、3—39頁、1967年。。 『立正大学文学部論叢』 45号、3—50頁、1972年。。 『日本の伝説と童話』 日本の伝説と童話、1941年、303—315頁。。 首藤美香子 『白梅学園大学・短期大学紀要』 52巻、1—19頁、2016年。 関敬吾 、野村純一, 大島広志 角川書店、1978年。。 『桃太郎像の変容』 東京書籍、1981年。 野村純一『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』吉川弘文館 2000年(平成12年)• 服部康子 「『再板桃太郎昔語』について」 『叢』 東京学芸大学国語教育学科国文学第三研究室、1979年。 桃崎祐輔 『比較民俗研究』 2号 筑波大学比較民俗研究会、41—88頁、1990年。 三省堂、1933年。 (再:角川文庫 1983年)• 藤井駿 『吉備津神社』 日本文教出版〈(岡山文庫52)〉、1973年。 山崎舞 『玉藻』 52号 フェリス女学院大学、51—67頁、2018a。。 『フェリス女学院大学日文大学院紀要』 24巻、33—48頁、2018b。。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (岡山空港)• - 遠祖は吉備津彦命に従った犬飼健命• - 主人公一味の要素・構成は『桃太郎』をモチーフとしている。 外部リンク [ ]•
次の1、昔話の歴史 昔話は世界各地に存在している。 それは神話や伝説とはどこが違うのか。 世界各地に存在する昔話と日本のそれを比較することによって、日本の伝統的な精神要素や文化的な特質を見出すことができるのではないだろうか。 私はこの内容の下に第一章では昔話とは何かについて概略的に述べ、第二章以降において、如何に日本の昔話が、日本の伝統精神を表現したものであるのかということを示していきたい。 まず、昔話とは何か。 昔話とは、主要登場者の一つの行為を中心に構成され、文芸としての一定の型を物語の単位として持っているものをいう。 具体的に「桃太郎」「浦島太郎」はこれにあたる。 一方、伝説や神話とは、これは人物や山・川・池などの具体的なものに結びついて、それが事実存在したことと信じる人々によって伝承されるのを言い、具体的には、「山の争い」「雨乞地蔵」など、各地にそれぞれが存在している。 余談ではあるが、戦後日本では、昔話と伝説をまとめて「民間の説話」の意味で「民話」と呼ぶことが多く、しばしば昔話と同義語で用いられてきた。 次に昔話の起源を探ると、これは本来口伝えのもので文字で残されたものではないから、最初に語られのはいつかは判定しにくいという。 文献を探っていけば昔話・伝説・神話の起源は一つに行き着くが、現在まで広く語り継がれているのは昔話なのである。 この辺の歴史的経緯は後ほど詳しく説明していく。 日本昔話をその系譜で見ると、日本民族が独自に生み伝えてきたものと、海外の異民族から伝えられ日本化した話と、二つの系列に分けることが出来る。 前者の例としては、「火種盗み」「穀物盗み」といった人類史上の進歩を表す話がある。 多民族の文化から伝わってきた例としては、「イソップ物語」を日本語に訳し、「伊曽保物語」とした仮名草紙が非常に有名である。 平安時代の説話を集めた「今昔物語集」が「今は昔の物語・・・・」と伝えられ始め、その衰退後に現れた「御伽草子」では昔話が庶民文学として好まれた。 一方草双子から「御伽噺」として江戸時代に定着した昔話もある。 明治期になって「御伽草子」「御伽噺」などをあわせ、「日本昔話」がまとめられ、これが現在の「昔話」につながっている。 中でも「桃太郎」「一寸法師」「浦島太郎」「花咲爺」「酒呑童子」(金太郎の登場)「鶴の恩返し」などは、明治20年代に子供向きに書き換えられることによって広く日本人の心に定着していくことになった。 日本各地にはさまざまな昔話が残っていて、柳田国男が日本中を歩き回って調査し分析を行っている。 中でも桃太郎、浦島太郎、一寸法師、酒呑童子、花咲爺、鶴の恩返しなどは古くは800年近く前より寸分も変わらずに語り継がれているという。 先人達が何代にもわたって語り継ぎ、現在まで残ってきたこれらの話のなかに、日本人特有の精神を見出すことができるとして以下、分析し、考察していきたい。 2、見るなの禁止 まず「鶴の恩返し」という昔話を取り上げてみることにしよう。 簡単なあらすじを書いていく。 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいた。 ある日、おじいさんが町に薪を売りに出かけた帰りに罠にかかった鶴を見つける。 そして鶴を罠から逃がしてやった。 激しく雪が降り積もる夜、美しい娘が家へやってきた。 道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言う娘を夫婦は快く家に入れてやった。 娘は老夫婦の家に留まって、甲斐甲斐しく夫婦の世話をし大そう喜ばせた。 ある日、娘が「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と言うので糸を買ってきた。 作業を始める時「絶対に部屋を覗かないで下さい」と言い残した。 布を一反織り終わると、「これを売って、また糸を買ってきて欲しい」と託した。 娘が織った布は大変美しく、たちまち町で評判となった。 しかしある晩、夫婦はついに好奇心に勝てず覗いてしまった。 そこには一羽の鶴がいた。 鶴は布に自分の羽根を織り込み、夫婦に売ってもらっていたのだ。 機織を終えた娘は自分が助けてもらった鶴だと告白し、両手を広げ鶴になり空へと帰っていった。 誰もが知っているこの話には、日本人の文化や精神が宿っているものと考えられている。 しかし同じような話は世界にいくらでもあるのではないか。 さまざまな文献を探ってみると同種の話は確かに他国にも存在する。 だが決定的な違いが3点もあって、そこには確かに日本人の精神を垣間見ることができる。 以下、それをこの後説明していこう。 (1)「部屋をみるな」と禁止され、それでも好奇心に負けてしまい見てしまうという昔話は世界中に存在する。 しかし、河合隼雄が主張するように「部屋を見るな」「中を見てはいけない」というのは、日本では若い女性であるのに対し、西洋では男性が多く、あるいは魔女や神様という超人的な存在である。 部屋の中には、日本の場合は繊細な美や自然の美を強調するものが多いが、西洋は死を連想させるものが多い。 そして禁を犯すものが日本は男性であり、海外は例外なく女性なのである。 (2)結論を見ていくと「鶴の恩返し」などの禁を犯してしまった結果、日本では女性が悲しみの中、去っていき、禁を犯した方はもとのままである。 これに対し、西洋では禁を犯した者は罰を受け、その罰から女性を救い出すほかの男性が登場し、幸福な結婚に結びつくというのが大体の結末となっている。 (3)ここで最も意外な相違点は、鶴が人間になり恩返しをするという行動である。 西洋では、人間が魔法にかけられて動物になることはあるが逆は絶対にありえないのだ。 以上3点の違いに見られる日本人像を分析していこう。 明らかな相違は西洋は男性が救済に現れ、女性を救うということだ。 つまり西洋は強い男性像を描いていることで共通している。 しかし、日本では違う。 女性が恩返しをし、裏方でも女性が一番活躍するのである。 日本は制度的に男性社会でありながら、女性を大切にしており、昔話では女性が主人公として活躍する点が極めて日本的なのである。 そして、のぞき見を禁止された部屋に存在する自然の美、また動物が人間に変化することができるということにこめられた自然への敬意こそが日本人の根底に流れる精神として見ることが出来るのである。 3、無について 次に「桃太郎」と「一寸法師」についてみていく。 ここに語られている内容には非常に共通したテーマが存在する。 それは老夫婦が突然何かを通し、小さな子供を授かり、その子が成長して、家庭に幸福をもたらすという話である。 同時に鬼という存在があって、これが災いをもたらすのである。 「桃太郎」からは男性たるものは忠義(犬)、知恵(猿)、勇気(キジ)の三つの要素を備えてなければいけない、正義を愛してこそ本物の男なのだと教えられてきたであろう。 また「一寸法師」からはどんな小さくて、虚弱な子供であっても、大切に育てていけば逆境を乗り越えて、美人になったり、たくましく育ったりして、家庭に幸福をもたらしてくれるのだと一般的に教えられている。 ではここでは「火男の話」を例にとってみよう。 まずは概要である。 あるところにおじいさんとおばあさんがいた。 おじいさんが山へ柴刈に行き、大きな穴を見つけた。 おじいさんはその穴を塞ぐつもりで一束の柴を入れるが、それは穴の中に入ってしまい、三日分の柴が一つ残らず穴に入ってしまった。 穴は思いのほか深かった。 すると、若い女性が穴から出てきて柴の礼を言い、「一度穴に来てください」とすすめる。 穴の中には、女性と白鬚の翁、一人の童がいるのだ。 その童を連れて帰り育てていくうちに、へそから金が出てくることがわかった。 しかし欲ばりな婆さんが、金のほしさにへそを棒でつつくと、童は死に、元に戻ってしまうのである。 これに似たような話はたくさん日本の昔話に存在するが、西洋には存在しない。 西洋にあるのは「欲」がありすぎるとすべてを失うと言う話であり、この話のように「無欲」と「欲」のバランスを図る昔話は存在しないのである。 つまり、桃太郎や一寸法師もそうだが「無欲」でいい行為をしていくことにより、「幸福」がもたらされるが、「欲」がわいてくると、良いことも「無」になってしまう。 すなわち、「無欲」こそが日本人の伝統的な最高の精神美であると伝えようとしているのである。 内にある欲望や醜い心を持っていてはいけないと強調するのだ。 4、浦島太郎 3番目として取り上げたいのは「浦島太郎」である。 内容はここで説明するまでもないほど、日本人に愛され、平安時代より語り継がれてきた。 これほど深く日本人の心に訴え続けてきた話の中には一体何があるのだろうか。 浦島太郎の歴史を見ていくと時代によって話の内容は少し異なっているようだ。 御伽草子では助けた亀が女性となり迎えに来ると語られている。 その女性と結婚して竜宮城で暮らすが、両親が心配になって玉手箱をもらいその女性と別れるという話が、それ以降の時代になると、助けた亀に連れられて竜宮城に行き、乙姫様にもてなされ、玉手箱をもらい竜宮城を後にするという話になる。 つまり、恩返しに現れる神秘的な女性の扱いが、時代を経るごとに変わっている。 現在定着しているのは後者の方であるが、その意味を、河合隼雄は次のように分析している。 神秘に満ち溢れた女性という存在は、男と結婚するような同一の扱いを受けるのではなく、浦島太郎が日本の永遠の少年にふさわしい、永遠の少女であると言うことが出来るのである。 また、玉手箱を持たせた背景には日本人女性がただ粗末に扱われ、単に消えていくだけではないということの表れでもあるのだ。 恩を受けた亀が乙女に変化したという内容のものだった話が、亀と乙女を分けて昔話の内容を変化させたのはこういった背景が大きいと考えられる。 「鶴の恩返し」にも見てきたように、日本の文化は女性を重んじる文化であり、そして如何に女性が神秘に満ち溢れた力を有し、大切かを説いた昔話が多いかを改めて感じさせられるのである。 その反面、男性についてはいかに努力しようとも女性には追いつくことが出来ない「あわれさ」や「滑稽さ」を玉手箱というものを通して伝えている。 ハッピーエンドにならない日本の昔話の典型でもあり、まさに日本人の伝統や精神を重んじる内容であることがよくわかるのである。 5、日本の伝統精神とは何か これらの昔話を通して、日本の伝統精神とは何かを語るのはやはり非常に難しいテーマには違いない。 断片的な切り口の昔話の後には、しかし奥行きのある何かが残されているように思われる。 それ故に語り継がれてきた昔話だからだ。 しかし、これまでの考察の中で何点かはっきりわかるところを整理していくと、 一、日本人の中に流れる精神と言うのは極めて女性的性格であるということ。 西洋は男性が主役や救世主になるが、日本は女性の優しさや美しさが救世主として強調されている。 二、日本の昔話の中では、万物すべて人間と同等に並び、女性や自然の美だけが宝物のように存在する。 昔より、自然を美として大切に思い愛する心が非常に強かったことがわかる。 自然愛、そして万物へ対する敬意と、八百万の神の国であることの教えまで話の延長線上に見えてくる。 三、「無」という概念が非常に強いと言うことだ。 つまり「ハッピーエンド」にならずほとんどが「元に戻る」。 「欲を持つ」「下心がある」ということに対する反発が大きい。 故に成功するのは「無欲」という状態であることが強調される。 仏教的な背景を含め、「無」や「盛者必衰」という概念を思い、それこそが人生であるとの教えている。 また「自然体」という生き方、考え方が示されているともいえる。 四、どんな存在であっても大切にすべきだ、と述べている。 すべてのものには意味があり、すべてを大切にしなければいけないということを基本にしている。 障害ある子や人、人間以外の生物まで大切にしていくことを基礎にしている。 その結果として、人間の幸福と言うものを獲得するという展開が多くの昔話に見受けられる。 以上4点こそ、昔話によって受け継がれてきた日本人の伝統精神であると考えられる。 明治の改革の中で国定教科書にこれらの昔話が載せられ、日本人の価値観を決定する大切なものとなった歴史がある。 そして、金太郎などは当時の子供の理想像とされるまでになった。 それほど、教育的にも子供の価値観を育むのに有意義なものとして認められてきたのが昔話なのである。 先人が苦労を重ね語り継ぎ、推敲してきたベストセラーにほかならないのである。 しかし、今日の日本では、書店に行っても、日本昔話というものがほとんど見当らなくなっている。 最近、私はたくさんの書店を探し回った挙句、インターネットからようやく探し出して買うことができた。 これだけのベストセラーにこそ、日本人が伝えようとしたことが詰まっているのではないだろうか。 子育て中の方、子育ての方向性が見えなくなっている方やどんな子供に育ってほしいかわからなくなっている方には日本昔話を読んでもらいたい、と私は思っている。 ここにはヒントが見つかるだろう。 日本人が昔話に価値観をこめ、生きてきたのならそこにこそ、子供の育て方が書いてあるはずだ。 だから子供に何度も読み聞かせてほしいと思う。 女性や自然を大切にしない事件や少年犯罪が多くなっている今日のありさまは、本屋さんに日本昔話がなくなったことと関係があるのではないか、私はふと思うのである。 参考文献 『日本昔話ハンドブック』 稲田浩二 稲田和子編 三省堂 『世界昔話ハンドブック』 稲田浩二編 三省堂 『日本の昔話』 柳田国男著 新潮文庫 『日本の伝説』 柳田国男著 新潮文庫 『昔話と日本人の心』 河合隼雄著 岩波現代文庫 『神話と日本人の心』 河合隼雄著 岩波現代文庫 『日本昔話百選』 稲田浩二 稲田和子編 三省堂 『御伽草子謎解き紀行』 神一行著 学研文庫.
次の現代に対応している!?今、昔話がものすごい変化をしている! では、具体的にどのように変化をしているかというと・・・ 『桃太郎』 皆さんご存知、桃から生まれた男の子がたくましく成長し、犬、猿、きじを家来にし鬼が島に鬼退治に行くというストーリーです。 約30年前の「桃太郎」では、 「ももたろうが きびだんごを あげると、犬は よろこんで ももたろうの けらいに なりました。 」 と書かれており、きびだんごという食べ物によって 主従関係を結びました。 しかし、今発行されている「桃太郎」では・・・ 「さるもやってきました。 」 「ぼくもいくよ。 」 「本当かい?じゃあ、力がつくきびだんごをあげるよ。 なかまがふえてうれしいなあ。 」 と書かれており、 家来ではなく仲間、つまり 主従関係ではなくなっているのです! また、鬼を退治する方法もずいぶんとマイルドになっており、最後に宝をもらう場面では、 「ももたろうたちは たからを もちかえると、一つずつ もちぬしの ところへ かえしました。 」 と書かれているのです。 『さるかに合戦』 続いてはさるかに合戦。 こちらは、合戦という言葉があまりよくないと捉えられているのか、 タイトル自体が『さるかにばなし』に代わっています。 さるを懲らしめる方法も、桃太郎と同じようにマイルドになっています。 昔話の古くは口伝であったり、その多くは子どもたちに親しまれてきたりしたものであるため、 「子どもに見せる・聞かせるべきではない」 と感じた部分を、削除したり変化させたりしているのです。 中世では絵本を通して政治的な意味合い・教訓を子どもたちに伝えたいという思いもあったようです。 それが時代背景とともに、だんだんと変化していったのでしょう。 昔話はぜひ、本来のものも読んでもらいたい! このような昔話の変化を、みなさんはどう思われるでしょうか? その時代に合った内容に変化することはある程度、必要なことなのかもしれません。 しかし、あまりにも本来の内容とかけ離れてしまっては、1つの歴史が消えてしまうようで、なんだか寂しく思うのは私だけでしょうか? 現代の昔話はそれとして、ぜひ小学生くらいになったら、本来の昔話も読んでみて欲しいと思います。 「残酷」だと感じる話もあるかと思いますが、 本来の話を知ることで様々な思いや学びを得られるのではないかと個人的には思っています。 じっくり読むととても面白い昔話。 ぜひ、たくさんのバリエーションの昔話に親しんで下さいね! 最後に・・・参考にしたおもしろ記事のご紹介! 昔話の変化について面白い考察をしているものがありましたのでご紹介します。 ぜひご覧下さい! また、なぜ、最近の絵本がマイルドになっているのか?ということの解説も。 元幼稚園の先生で、元インターナショナルスクールの先生。 幼児教育者歴12年以上。 これまで4,000人以上の子ども達、保護者と関わってきた経験を持つ。 』がモットー。
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