回答者 弁護士の岡野です。 よろしくお願いします。 死亡事故は深刻な事件ですので、誰かに気軽に相談できることではないでしょう。 だからといって 一人で悩みを抱えないようにしてください。 これまでの弁護活動の 経験にもとづいて、分かりやすく解説していきます。 きっと悩みに悩んでおられることでしょう。 死亡事故の基礎知識についてお伝えしていきたいと思います。 ぜひとも、ご一読ください。 自動車の死亡事故(交通事故)ニュースを調査 自動車による死亡事故での刑罰はどのようなものなのか気になります… 加害者が受けるべき 刑罰について知る前に、実際におこった死亡事故のニュースを確認してみましょう。 死亡事故について深く探っていくうえで、ポイントとなる点があります。 しっかりとおさえていきましょう。 飲酒運転・酒気帯び運転…ニュースから死亡事故の刑罰は分かる? まずは、飲酒運転による死亡事故のニュースです。 (略)走行中のトラックに積まれていた角材が落ち、対向車のフロントガラスを突き破り、運転していた男性=当時(43)=が死亡した事故で、トラックを運転し自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われた(略)の判決公判が25日、福井地裁であった。 (略) 禁錮1年6月、執行猶予3年(求刑禁錮1年6月)を言い渡した。 (略) 出典:福井新聞(2017年8月26日 午前7時10分) トラックの積み荷が落ちて、対向車の運転手を死亡させたという死亡事故です。 「禁錮1年6月、執行猶予3年」の判決が言い渡されたようです。 死亡事故の加害者となれば、このような刑罰となる可能性があるのですね。 こちらも、「 自動車運転処罰法違反(過失致死)」とあります。 死亡事故と大きく関係がありそうです。 さいごに、こちらのニュースをごらんください。 警視庁竹の塚署交通課の巡査長が死亡事故を起こし、その際、時速100キロ以上で運転していた疑いがあることがわかった。 (略) 自動車運転死傷処罰法違反(危険運転致死)容疑を視野に捜査しているという。 (略) 出典:朝日新聞(2017年12月15日17時47分) 警察官がスピードを超過し、死亡事故をおこしたというニュースです。 この死亡事故でも、「 自動車運転死傷処罰法違反(危険運転致死)」とあります。 この法律が自動車での死亡事故において重要なポイントとなっています。 つぎからは、この自動車運転処罰法についてせまっていきたいと思います。 自動車の死亡事故(交通事故)の刑事処分は?気になる刑罰を大解明 自動車による死亡事故に関する法律は、大きくつぎのとおりです。 車を運転するうえでのルール違反に対する処罰: 道路交通法• 車の運転によって人を死傷させた加害者に対する処罰: 自動車運転処罰法 自動車での死亡事故は、原因によっては両方の法律に違反することになります。 被害者を死亡させたことに対する処罰としては、「自動車運転処罰法」が適用されます。 この記事では、「自動車運転処罰法」の刑罰について、理解を深めていきたいと思います。 29日午後7時40分ごろ、(略)が左から来た普通貨物車にはねられ、頭を強く打って死亡した。 県警一宮署は自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、(略)現行犯逮捕した。 容疑を認めているといい、署は容疑を過失致死に切り替えて調べる。 出典:中日新聞(2017年11月30日 01時19分) 車によってはねられ、死亡事故につながったというニュースです。 「自動車運転処罰法違反」とあります。 これは、 正式には「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」といいます。 車による死亡事故については、この法律で規定されています。 死亡事故については、おおきく2つの犯罪に分けられています。 自動車運転処罰法• それまでは、自動車を運転して人を死傷させる行為については刑法で定められていました。 ですが、飲酒運転といった 悪質・危険な運転行為に対する罰則を厳しくすべきだという声が高まりました。 その流れをうけて、新たにこの法律が施行されました。 過失運転致死も危険運転致死も、「被害者の死亡」という結果をまねいています。 ですが、 この法律では人を殺そうとする意思はないことが前提となっています。 もっとも、人を殺そうとする意思をもって自動車で人をひく行為は、 殺人罪に問われます。 死亡事故の加害者にくだされる刑事処分・刑罰 過失運転致死と危険運転致死がどのような犯罪であるのかみてきました。 では刑事裁判で有罪判決となれば、加害者にはどのような 刑罰がまちうけているのでしょうか。 過失運転致死と危険運転致死(第2条、第3条)の刑罰についてくわしくみていきます。 まずは、過失運転致死の刑罰からです。 警察未介入のご相談は有料となります。 広告主: アトム法律事務所弁護士法人 代表岡野武志(第二東京弁護士会) LINE相談は 匿名での相談も受け付けているようです。 本格的に弁護士に依頼する前に、弁護士に聞いておきたいことなどあると思います。 ぜひともこちらの窓口を活用してみましょう。 死亡事故の刑事処分にくわしい弁護士を全国から探す 死亡事故の加害者になってしまったら、弁護士に直接会ってじっくり相談したい… 地元の弁護士なら、足を運びやすいのではないでしょうか。 でも、近所の弁護士を探すのは意外とむずかしいという悩みも多く寄せられています。 そこで、こちらをご活用ください!.
次の生命保険は、加入契約者(被保険者)の死亡または高度障害状態になった場合に保険金が下りる保険商品です。 加入契約者(被保険者)が事故死の場合でも、受取人(遺族)に保険金は下りますが、どのようなケースでも一律にお金が下りるわけではありません。 また、事故死か病死かでも保険金の名称・金額は異なる場合があります。 そのため、保険事故が起きた場合、受取人へ保険金が支払われなかったり、予想していた保険金よりも低い金額しか下りなかったりしたら非常に困りますよね。 そこで、この記事では 「事故死で支払われる生命保険の保険金」について、• 生命保険の死亡保障における、事故死と病死との保険金額の違い• 生命保険の保険金が支払対象外となる場合• その他の保険では事故死へどう対応しているのか 以上のことを中心に解説していきます。 この記事を読んでいただければ、生命保険にて事故死の場合に保険金が下りる条件等を知ることに役立つかと思います。 保険会社の事故死またはそれ以外の死因の判断基準は次の通りです。 事故死として災害死亡保険金を受け取る場合 事故死として災害死亡保険金の対象となるには、「不慮の事故」による死亡に該当しなければなりません。 慢性・反復性・持続性の強いものは該当しません。 通常の死亡保険金を受け取る場合 病死等も当然含まれますが、死亡保険金の判断基準には病死に関しての明確な区別も基準もなく、次のようなケースに当てはまると、どの保険会社でも保険金は支払いできない旨が明示されています。 責任開始日から3年以内に被保険者が自殺した場合• 契約者または死亡保険金受取人の故意で死亡が引き起こされた場合• 戦争その他の変乱による死亡 以上の条件では、免責期間内での自殺をはじめ、保険金に関係してくる人たちがわざと事故死させるような事態、そして、戦争やクーデター等の大規模戦闘に巻き込まれた場合にも、保険金が下りないことがあげられます。 免責期間とは、生命保険会社が定めた期間内に保険事故が発生した場合、保険金が下りない期間を言います。 現在は自殺者が減少傾向とはいっても、毎年2万人を超える人々が自殺を選んでいます。 もしも、保険契約をすればすぐに自殺の場合でも保険金が下りると設定されていたら、保険金目的で自殺を選ぶ人と保険契約を行うリスクが高くなります。 そこで保険会社では 自殺の免責期間(概ね1年~3年)を設けることで、保険金目的で自殺を選ぶ人との契約リスクを回避しているわけです。 ただし、自殺の免責期間終了後に被保険者が自殺したからといって、一律に受取人へ保険金が下りるわけではなく、生命保険会社側も自殺等について慎重な調査を行います。 その際に、保険金目的と判断されれば、やはりお金は下りません。 生命保険会社と契約を締結する前には、申込書の他、必ず「 告知書」と呼ばれる書類の提出が必要です。 この告知書には、生命保険会社の所定の疾病を発症したり、治療・手術・入院したことがあるかどうかについて、大抵どの保険会社でも質問項目として回答を求められます。 告知書では次のような形で質問されます。 最近3ヶ月以内の医師の診察、検査、治療、投薬がありましたか?• 過去5年以内に病気やケガで7日以上の入院や検査、投薬がありましたか?• 過去5年以内に病気やケガで手術したことがありますか?• 過去2年以内に健康診断、人間ドック、がんの検診をして、要再検査、要精密検査、要治療を医師からすすめられましたか?• 今までに、上皮内新生物(初期のがん)または悪性新新生物(悪性のがん)にかかったことはありますか? その際に、車の運転に重大な結果をもたらす目の病気や、前述した自殺の原因となる「うつ病」の症状があるにもかかわらず、告知書に何も記載しなかった場合や、嘘を記載した場合に、後日その事実が判明すると「 告知義務違反」となります。 この告知義務違反に該当すれば、被保険者が不慮の事故で死亡しても、保険金は下りないことになります。 のほけんROOMの記事では告知義務違反に関して詳しく紹介しています。 ぜひそちらもご覧ください。 事故死で支払われる生命保険の保険金について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか。 今回の記事のポイントは• 生命保険において、事故死と病死とで下りる保険金は異なる場合がある• 災害死亡保険金を受け取る場合には不慮の事故による死亡が要件となる• 不慮の事故に該当しても、故意または重過失、告知義務違反や犯罪行為等を行なえば保険金は下りない でした。 死亡保険金は、被保険者にまさかの事態が発生した場合、受取人へ支払われるお金です。 特に災害死亡保険金は、通常の死亡保険金よりも多額に上るお金が支払われます。 そのため、生命保険会社側も、被保険者の死亡に違法な点や、告知義務に反する点がないかを より慎重に調査することとなります。 ほけんROOMでは、他にも読んでおきたい保険に関する記事が多数掲載されていますので、是非ご覧ください。
次のXスポーツで起こった10人の悲劇的な死 エクストリームスポーツの略であるXスポーツは、非常に過激なスポーツです。 Xスポーツを競技する人たちは、必ずしも競技に勝つことが目的ではなく、神経と持久力、そして限界に挑戦するのです。 ワタクシのようにスポーツのスの字もしない(負けず嫌いだから最初から競わないに限る。 もっぱらね w)人間から見ると、このXスポーツは自殺行為のように見えます。 ところがXスポーツ愛好家にとっては、ジャンプ、落下、スピード、回転するなどして得られるスリルは、人生を価値あるものにするようです。 パラシュートが開いていなくたってへっちゃら、そのフリーフォールのスリルを楽しむ彼ら。 今回はそんな彼らが命をかけて愛したが故に、極端に過激なスポーツで命を落とした「向こう見ず」な10人を紹介します。 特にウイングスーツを用いたベースジャンプは死亡率が高く、そのため多くの場所で違法となっています。 ワタクシもFacebookで友人がシェアしていたビデオを何度か見たことがありますが、崖の上から飛び降り、地面スレスレ、木の間を通り抜けながら猛スピードですり抜け飛行する映像は、見ているだけでも手に汗握る、Gを感じるものです。 最も知られているBASEジャンプの死の1つは、Facebook上でライブストリーミングされている最中に発生しました。 ウリ・エマヌエーレは、イタリアのドロミテ山脈でウイングスーツジャンプを撮影している最中、岩に激突して亡くなりました。 エマヌエーレはそれまでにも驚異的なスタントを何度もしており、プロ中のプロでした。 ジャンプを計画するときの彼の精密さと細部への注意はかなりのものとして知られていたので、彼の死はウィングスーツコミュニティに衝撃を与えました。 ウリ・エマヌエーレは事故当時、29歳でした...。 フランスで生まれ、幼い頃タヒチに移住して、海から数メートルの場所で暮らしていたいました。 そして、夢を叶えるため、ハワイに引っ越したのです。 マリック最後の波となったのは、ハワイのノースショア、有名なオアフパイプラインでの2. 5メートル(8フィート)の波でした。 チューブインしようとしたとき、少しのタイミングで間に合わず、波がマリックをボードごと飲み込みました。 マリックは水中に沈み、ボードは破壊され、ボートの紐はもはやマリックの身体に繋がっておらず、フォトグラファーや他のサーファーがマリックを探しましたが水面に現れなかったのです。 15分後、パイプラインの端で、ある一人のサーファーによって発見されました。 他のサーファーの助けを借りて彼をビーチに運び、ライフガードと救急救命士が彼を蘇生しようとしましたが、それは遅すぎました。 剖検報告書によると、マリックはサーフボードで頭を打ち、意識不明になって海に沈んだことがわかりました。 わずか25歳でした。 彼は当時、トップジャンパーの一人と考えられていましたが、だからと言ってこの極限のスポーツにおいて、安全が保証されているわけではありません。 ウェストンはコンピューターアナリストで、世界を旅し、1,000回以上のジャンプを行いました。 2002年には、世界BASEジャンプのタイトルを獲得しています。 この時、ウェストンの人生があと1年も残されていなかったことは、誰も知る由はありませんでした。 ウェストンの最終的なパフォーマンスは、コロラドのゴー・ファスト・ゲームズのデモンストレーションの一部として、他のジャンパーと一緒に飛行機からウイングスーツジャンプをすることでした。 飛行計画は、二人が飛行機から飛び降り、1人が世界一高い吊橋、ロイヤル・ゴージ・ブリッジの上を飛行し、もう1人は橋の下を飛行するというものでした。 ウェストンは橋の上を飛ぶことになっていましたが、代わりに、時速193キロ(120マイル)で吊り橋に激突し、たくさんの観客がパニックになる中、パラシュートと共に谷間へ落下していったのです。 ウェストンは橋に激突した衝撃で死亡したとされていますが、パラシュートは激突の後開かれているため、はっきりとしていません。 この時ウェストンは30歳でした。 マーベリックスは、3キロ(2マイル)のオフショアで、18メートル(60フィート)の高さの波が発生することで知られています。 これまでにも多くのトップサーファーが、マーベリックスの重くて激しい波により亡くなっています。 しかし、ジェイはその一人ではありません。 ジェイは、大きな波乗りのための訓練中に亡くなりました。 努力家のサーファー、ジェイは、深い水中で長時間耐えられるように身体を調整するつもりでした。 これは山のような大きさの波に乗る際、重要なことなのです。 ジェイはモルディブで、通常スキューバ・ギアが必要な水深までフリーダイビングでロープを伝って潜り、水面に戻ろうとしている時に失神し、死亡しました。 この時ジェイは22歳、誕生日の前日でした。 彼はオアフ島に住み、ハワイ・シャーク・エンカウンターという事業を所有していました。 サメは、何百万人もの人々が出会いたくないと望みますが、ジミーのビジネスはサメに出会うことを望んでいる人々に対応したビジネスでした。 彼はハワイで唯一、ホオジロザメと一緒に泳いでいたサメの専門家でした。 ジミーの経験フィルム映像を見たディスカバリーチャンネルは、シャーク・ウィーク番組のホスト役として、ジミーとディスカバリーチャンネル契約を結びました。 この時ジミーは、カナダのヌナブトへBASEジャンプに参加するための旅行をすでに予約していました。 カナダのバフィン島でドキュメンタリーを撮影していたジミーは、島の山々からBASEジャンプをする映像を撮っていました BASEジャンプは、シャーク・ダイビング、パラグライダー、セーリングなど、ジミーの情熱の一つに過ぎませんでした。 タンクがなくても150フィート(46メートル)をフリーダイビングすることができるジミーは、BASEジャンプの事故により、41歳で亡くなりました。 プロのXスキーヤー、BASEジャンパーとしても知られ、雪山の断崖絶壁からスノーモービルに乗ったままダイブするBASEジャンプなどもしていました。 悲しいことに、エリックは他の2人のパラシューティストと一般的なジャンプをして亡くなりました。 事態がとんでもない方向に向かった時、3人はカリフォルニア州レイク・タホで開催された、ゴルフのチャリティートーナメントの開会式でスカイダイビングスタントを行っていました。 他の2人のパラシューティストは安全に地面に着陸しましたが、エリックは木に叩きつけられ、枝にもつれてぶら下がった状態になったのです。 観客や当局者たちが彼を救出しようと、人間はしごを形成したりしたもののその努力は虚しく、エリックは木にぶら下がったまま亡くなってしまいました。 エリックは39歳でした。 そのスタントの一年後、サットンは重力とスピードのXスポーツのさらなる犠牲者となってしまいました。 サットンと20人のトップウィングスーターが、Xスポーツを専門とするWeb TVチャンネル、Epic TVが企画するHeliase 74という3日間のイベントに招待されました。 彼らのフライトのビデオ映像と引き換えに、主催者側は宿泊施設とヘリコプターへのアクセスを提供しました。 サットンはベテラン仲間と並び、約1分間の飛行予定でフランス国境に近いスイスの上空から飛び降りました。 しかし、悲劇はわずか20秒後に起こりました。 サットンはヘリコプターから10,800フィート(3,300 m)でジャンプし、155 mph(249 km)にも及ぶ速度で移動し、彼はコース外に曲がり、山頂に衝突してしまいました。 現場にはすぐに救助ヘリコプターが到着しましたが、その衝撃は酷く、DNA検査で遺体を確認する必要があったほどです。 サットンは着陸のためにパラシュートを装備していましたが、使用されませんでした。 残念にも、42歳の偉大なスタントマンを失ってしまいました。 その証拠に、ケイレブの弟、コルトンもこの後、転倒して骨盤を骨折し運ばれたのです。 幸いにも翌日には退院となりましたが。 この兄弟が参加するXスポーツは、スノーモービルでアクロバットジャンプするというもの。 ケイレブは体を離しての一回転ジャンプを試みましたが、スノーモービルのスキー部分が地面に引っかかり着地失敗。 ケイレブは投げ出され、その上から200kgを超えるスノーモービルがケイレブの体に回転しながら落ちてきました。 ケイレブは意識を失い、倒れたまま動きませんでしたが、救護班が駆けつけ、しばらくすると意識を取り戻して自力で歩きました。 ところがその後すぐ、胸の痛みを訴え病院へ駆けつけます。 脳震盪と診断されましたが、経過観察のため入院。 しかし、心臓挫傷で心臓付近に内出血していたのです。 ケイレブは別の病院へ空路で移されますが、心臓の緊急手術が行われる前に心停止となりました。 酸素不足のために脳の損傷を受け、事故から1週間後に亡くなりました。 Xゲームが始まって18年、25歳のケイレブが初めての死亡事故となりました。 彼が活躍したテレビ番組は、世界中を旅し、他の国の料理を味わい、その喜びを探索し、紹介していました。 彼はまた、ウィングスーツジャンプに熱中しており、 残念なことにこれが彼の死につながる事になったのです。 ダリオは、スペインのシエラ・デ・セグラ山脈にあるインターナショナル・エア・フェスティバルで、他2名のウィングスーターと一緒に飛びました。 悲劇的なイベントの映像は観客がカメラで撮影していて、他の2人のウィングスーターはパラシュートで安全に着陸する様子を収めています。 しかしダリオのパラシュートは開いておらず、岩壁にぶつかり、その衝撃で即死しました。 41歳のダリオがこの事故で死亡したことで、主催者はフェスティバルのスカイダイビングイベントをすべて中止しました。 ところが2008年、スズキとヤマハの合同練習中、大事故に巻き込まれ、脊椎T6. 7脱臼粉砕骨折と肋骨1本残し全骨折、そして手首、顔面、首骨折に肋骨が左右の肺に刺さって穴が開き、多量出血という重傷を負いました。 この事故で戸田は下半身麻痺となり、医者からは自力で歩くことは不可能と宣告され、車椅子の生活を強いられます。 しかし、戸田のモトクロスに対する情熱は衰えることはなく、「絶対に歩けるようになってやる!」とリハビリを続けました。 その後、車いすでも操縦ができるよう改良した専用のバイクを製作し、自由にならない下半身をバイクに縛り付けた状態で大会に出場し続けていました。 そして悲劇が再度、戸田を襲ったのです。 2015年12月29日、茨城県かすみがうら市西成井のモトクロス練習場で、ジャンプの練習中に敷き詰められていた緩衝材に突っ込み、バイクから出火、敷かれていた緩衝材に引火しました。 体をバイクに縛り付けていたため逃げ遅れ、駆けつけた戸田の友人たちは炎が強すぎて近づくことができませんでした。 30分後に火は消し止められましたが、その場で戸田の死亡が確認されました。 これまで諦めることなく頑張ってきた戸田ですが、再び歩くことなく、35歳の生涯を終えました。
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