あへなし。 間違えやすい古語

【古典】古文 ク活用の形容詞の一覧 意味 現代語訳 語感

あへなし

50 ありがたし No 単語 意味 No 単語 意味 34 あへなし 1 がっかり。 2 どうしようもない。 1 仕方がない。 2 差し支えがない。 1 たくさん。 数多く。 1 あるらしい。 あるよ うだ。 1 不思議だ。 異常だ。 並々ではない。 2 賤しい。 身分が低い。 3 粗末だ。 見苦しい。 1 わけがわからない。 道理に合わない。 2 つまらない。 3 そうする理由がない。 1 めずらしい。 めった にない。 2 生きて行くのが困難だ。 3 すぐれている。 1 歩き回る。 2 あれこれ~しつづける 1 落ち着かない。 1 ごちそうする。 1 ごちそう。 1 あるものは。 2 または。 もしくは。 1 何か訳があるのだろう。 1 ぼうっとしている。 1 上品だ。 優雅だ。 奥 ゆかしい。 2 すばらしくよい。 優 れている。 1(疑問)どうしようか。 2(反語)どうしようか、 どうしようもない。 1(願望)なんとかして。 2(疑問)どうして。 どうやって。 3(反語)どうして~か、 いや~でない。 1 さっきの。 1 すべての。 35 あへなむ 51 ありく 36 あまた 37 あめり 52 ありつる 53 ありとある 54 ありもつかず 38 あやし 55 あるじす 56 あるじまうけ 39 あやなし 57 あるは 58 あるやうこそは 59 あれかにもあ らず 60 いう(なり) 40 あやにく(なり) 1 意地悪だ。 2 都合が悪い。 41 あらがふ 1 言い争う。 42 あらたし 1 新しい。 43 あらぬ 1 意外な。 61 いかが(は)せ む 2 無関係の。 44 あらは(なり) 1 丸見えだ。 2 明白だ。 62 いかで 3 表立っている。 45 あらまし 46 あらます 47 あらまほし 1 計画。 1 期待する。 予定する。 1 理想的だ。 2 あら+まほし あ りたい。 あってほし い。 63 いかめし 1 おごそかだ。 2 盛大である。 3 激しい。 64 いぎたなし 48 あり 1 ぐっすり眠っている。 2 寝坊である。 1 さあねえ。 2 さあ、どうかな。 1 さあ、いらっしゃい。 1 生きている。 2 生活する。 3 存在する。 65 いさ(や) 49 ありありて 1 生きながらえて。 2 とどのつまり。 66 いざたまへ - 279 - Made with.

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逆引き古語辞典

あへなし

は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2014年6月) 現代仮名遣い(げんだいかなづかい)とは、広義にはに対して戦後制定された新しいのことを言う。 狭義にはに61年内閣第1号として公布されたのを言う。 これはに出された昭和21年内閣告示第33号「 現代かなづかい」を改定したものである。 よって、その「現代かなづかい」についてもこの項で扱う。 改定前の「現代かなづかい」は表音表記を目指しながら、一部にと妥協したものであり、それを改定した「現代仮名遣い」もまたその姿勢は変わらない。 歴史的仮名遣の表語部分を含むためにであるとされ、それが現代仮名遣いにおける準則である。 これら仮名遣の準則による表音的ではない表記を認めることについては「妥協」「許容」の表現があり、「許容」の場合は原則が表音である違いがある。 本稿では、一般的な仮名による正書法の意味では「仮名遣」、思想の異なる二系統を「歴史的仮名遣」「現代仮名遣い」として、表記を統一する。 「現代かなづかい」とする場合は「現代仮名遣い」以前のものである。 歴史 [ ] 、も参照。 後期以降、表記の混乱に際して、長らくやによるが行われる。 仮名遣の歴史は、この表記の合理性を古典に求め、その語彙を集め辞書としたのが事の起こりであるが、依然として混乱は続く。 表記の統一は明治以降の教育の普及を待たなければならない。 になって、国学者ら、、が初めて仮名遣の表記理念や実証的研究を行う。 時代以降、教育の普及とともに及びを基にした歴史的仮名遣が行われる。 その表記の理念は契沖によって「語義の書き分け」とされた。 33年()になり表音式かなづかい、続いて漢字制限の論が起こるが、反対にあって頓挫する。 三十三年式とも呼ばれる。。 明治・にわたって、何度か国語改良論が起こる。 このころの表音式仮名遣が徹底した表音主義であったのに対して、後の「現代かなづかい」では歴史的仮名遣と妥協。 になり、といったが歴史的仮名遣の理念を「語に基づく(表意、表語主義)」と定め、の理念はその結果として否定される。 昭和16年()に陸軍の「兵器に関する仮名遣要領」において、新仮名遣が採用される。 昭和21年()に第11回国語審議会の答申により「現代かなづかい」が告示される。 その理念は、歴史的仮名遣は「古代語音に基づく」のだから、「現代語音に基づく」に改めたとした。 同じくして「」の漢字制限及び教育といった一連の国語改革が行われる。 昭和56年()に「当用漢字」が「」に改められ、漢字制限は緩やかなものとなる。 昭和61年()に「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」に改定される。 現在では現代仮名遣いが常用されるが、歴史的仮名遣を支持する人もいる。 三十三年式と臨時仮名遣調査委員会 [ ] ここでは・における歴史的仮名遣と表音的仮名遣の流れを記述する。 明治33年()に、《小學校令施行規則》において、に際しては表音式、に際しては歴史的仮名遣という手法が取られた。 ここでは、これを指して「三十三年式」と呼ぶ。 これに対して異論や反対が多く出る結果となり、最終的にはそれまで通り歴史的仮名遣と字音仮名遣が引き続き教育で使われることとなった。 この紛糾を受けて、明治41年()にによりが設けられた。 臨時仮名遣調査委員会においてはのなど歴史的仮名遣を支持する論や、・など表音的仮名遣を支持する論があった。 この時の経緯はが「森林太郎博士苦心の事」(「森林太郎」とは鷗外の本名)で、森鷗外の假名遣意見を挙げ、「文部省をして議案を撤囘せしむるの止を得ざるに到らしめるものなり」と述べている。 帝国議会の反対もあって、臨時仮名遣調査委員会は廃止されることになった。 国語調査会と森鷗外 [ ] 10年()になって新たにが設けられる(後のは臨時国語調査会を継ぐもの)。 調査会は「当用漢字」や「現代かなづかい」に似たものを大正13年()に満場一致で可決している。 対しては大正14年()にこのことに反対する論を書き上げた。 鷗外はこの時のの会長であったが、大正11年()に辞職した。 鷗外は危篤(大正11年 1922年 死去)に際して、再三を通じ山田と面会しようとした。 山田の私用でかなわなかったが、7月8日になって鷗外の危篤と遺志が伝えられる。 約1箇月前、6月上旬の辞職前にも山田と濱野は面会しており、そのときは「同問題の將來をいたく憂慮し、慷慨淋漓たるものあり、終に旨を濱野に含めて不肖に傳へらるる所ありき」とのことであった。 臨終に際しての鷗外の苦心、憂慮を取り上げ、山田は以下のような文面で調査会を非難した。 「森博士の名にかりて私見を逞くせむの卑劣なる考あらむや。 ただ同博士の生死の際に國語問題に非常なる憂慮を費やされしその誠意は後進たる余が責務として何の時かこれを世に公に傳へおかざるべからざる責任を深く感ずる」。 以上は「森林太郎博士苦心の事」によるが、これは假名遣意見と同じに掲載された。 この掲載を受けて、・・・・・・などにより次々と反対論が発表され、国語問題は社会問題となった。 このようにしてこの問題はついにで取り上げられる運びとなり、再びの議員の反対を受けて、戦前における表音的仮名遣の論は表舞台から消えることとなった。 表音主義が再び台頭するのはになってからである。 表音主義の台頭 [ ] 歴史的仮名遣の表音化、さらには、など、多くの国語改良論があった。 戦前にこれらが実施されることはなかったが、戦後になって、表音的表記を本則とする「現代かなづかい」が告示された。 その経緯は、、を参照。 概要 [ ] 「現代かなづかい」(1946年)の「現代語をかなで書き表す場合の準則」という表現を「現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころ」と改め、制限的な色彩を薄めたものが「現代仮名遣い」(1986年)である。 内閣訓令と告示 [ ] 昭和二十一年十一月十六日(1946年11月16日)、内閣総理大臣により、「の実施」(内閣訓令第七号)とともに「現代かなづかいの実施」が、された。 内閣訓令第八号 - 「現代かなづかい」の実施の関する件 - 各官廳 國語を書きあらわす上に、從來のかなづかいは、はなはだ複雑であって、使用上の困難が大きい。 これを現代語音にもとづいて整理することは、教育の負担を軽くするばかりでなく、國民の生活能率を上げ、文化水準を高める上に資するところが大きい。 それ故に、政府は、今回國語審議会の決定した現代かなづかいを採択して、本日内閣告示第三十三号をもって、これを告示した。 今後、各官廳については、このかなづかいを使用するとともに、廣く各方面にこの使用を勧めて、現代かなづかい制定の趣旨の徹底するように務めることを希望する。 - 昭和二十一年十一月十六日 - 内閣総理大臣 内閣告示第三十三号 - 現代國語の口語文を書きあらわすかなづかいを、次の表のように定める。 一、このかなづかいは、主として現代文のうち口語体のものに適応する。 一、原文のかなづかいによる必要のあるもの、またはこれを変更しがたいものは除く。 - 本表(省略) - 昭和二十一年十一月十六日 - 内閣総理大臣 吉田茂 昭和六十一年七月一日(7月1日)の時代、内閣告示第三十三号が廃止され、現代仮名遣い(内閣告示第一号)が告示、訓令された。 以下、重複部を除いた巻頭部を掲載する。 内閣告示第一号 - 現代仮名遣い - 一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを、次のように定める。 なお、昭和二十一年内閣告示第三十三号は、廃止する。 この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して一定の特例を設けるものである。 法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものである。 科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。 主として現代文のうち口語体のものに適用する。 原文の仮名遣いによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。 擬声・擬態的描写や嘆声、特殊な方言音、外来語・外来音などの書き表し方を対象とするものではない。 「ホオ・ホホ 頬 」「テキカク・テッカク 的確 」のような発音にゆれのある語について、その発音をどちらかに決めようとするものではない。 点字、ローマ字などを用いて国語を書き表す場合のきまりとは必ずしも対応するものではない。 歴史的仮名遣いは、明治以降、「現代かなづかい」 昭和21年内閣告示第33号 の行われる以前には、社会一般の基準として行われていたものであり、今日においても、歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。 歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。 また、この仮名遣いにも歴史的仮名遣いを受け継いでいるところがあり、この仮名遣いの理解を深める上で、歴史的仮名遣いを知ることは有用である。 付表において、この仮名遣いと歴史的仮名遣いとの対照を示すのはそのためである。 - 以下本文(省略) - 昭和六十一年七月一日- 内閣総理大臣 表記法 [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2020年6月) 「現代仮名遣い」は以下の二つの原則によっている。 の表記と妥協、ないしは現代語に基づく表音主義によって改めることでできた仮名遣であるので、完全な表音式表記ではなく、だから正書法であるとする。 おおまかに現代語のに従って語を書き表す。 特定の語については、表記の慣習を尊重する。 その具体的表記は、「現代かなづかい」はの書き替えという形式をとっている。 「現代仮名遣い」は「語を現代語の音韻に従って書き表すこと」を「原則」として優先的に説明し、「表記の慣習」を「特例」であるとして後から補足する形で説明している。 ここでは以下のようにまとめる。 【表音本則】 「ゐ(ヰ)」「ゑ(ヱ)」「を(ヲ)」を用いる語は、ア行の音で表す。 【表音本則】いわゆるハ行転呼音「はひふへほ」を用いる語は、発音によりア行または「ワ」の音で表す。 つまり「は」は「わ」である。 【準則】以上のうち、助詞の「は」「を」「へ」の語に限り歴史的仮名遣と同一とする。 つまり、音では綴らない。 「現代かなづかい」ではこの準則を「わ/お/え」と書いても構わないと解釈した(文部省資料参照)が、「現代仮名遣い」では「は/を/へ」に統一された。 以上の表音本則は「現代かなづかい」からの最も特徴的な部分であり、これらの本則には例外事項がほとんどない。 「現代仮名遣い」における「現代語の音韻に従って書き表す」とは、「イ」の音を「い」で綴り、「ゐ」「ひ(ハ行転呼音)」の場合は「イ」の音であるから「い」と綴る、という意味であるが、歴史的仮名遣と比較するため以上のようにまとめる。 【表音本則】「ぢ・づ」を含む語は「じ・ず」で表す。 【準則】いわゆる・、語意識の働く語彙に関しては、歴史的仮名遣における「ぢ・づ」を許容する。 「現代仮名遣い」では「現代かなづかい」より許容範囲が広い。 この使い分けは「現代仮名遣い」では中等教育から指導される。 【表音表記則】拗音・促音などは仮名の小書きを行う。 ただし歴史的仮名遣でも行うことがある。 長音表記 [ ] 長音の場合、さらに複雑な規則がある。 【表音本則】「あ・い・う」列長音は該当列の母音を添える。 「か あさん」「し い(椎)」「つ うしん(通信)」。 伸ばした音の母音を添えるのが原則であり、長音記号「ー」は用いない。 ただし志向形と助動詞「う」に関して後述するが、「か あさん」「し い」「つ うしん」の「 あ」「 い」「 う」は、この表記が長音を表す音韻表記である限り、該当母音が長音であることを表す長音記号であると言え、広義には長音記号を用いているとも解釈できる。 オ列長音表記 [ ]• 【オ列長音表音本則】オ列長音はウを添える。 「こ ううん(幸運)」など。 【オ列長音補足】形容詞の語尾が「〜かう」「〜たう」等となる語がオ列長音となる場合、「〜コウ」「〜トウ」と綴る。 「高こう」「ありがとう」など。 【オ列長音準則】歴史的仮名遣におけるハ行転呼音「ホ」での「オ列長音」は、「こ おり(こ ほり)」のように、オを添える。 【オ列長音準則】歴史的仮名遣における「ヲ」での「オ列長音」は、「と お(と を)」のように、オを添える。 形容詞の場合は本則通りであるが、「 ありがたし/ ありがとう」に見られるように語幹が変化している。 これは「現代かなづかい」や「現代仮名遣い」では「語幹が変化するものもある」と説明される。 歴史的仮名遣までは、語幹が変化するものはサ変「す/する」カ変「来(く)/来る」など特殊な例であったが、現代仮名遣いでは正則活用にも現れる。 特例表記がなぜ存在するかについて、次で述べるように「志向形(名称は時枝文法による)」の形を導入し、その活用形から長音ではないと解釈する。 また「こおり」「とお」の問題も長音ではないと解釈すれば、例外を適用せず原則だけで説明できる。 「志向形」とはだいたい次のようなものである。 「笑ふ」に「む」が接続して「笑はむ」という表現があった。 この「む」が撥音「ん」に変化して、やがて「う」という助動詞になり、「笑はう」となった。 この頃すでにハ行転呼は起きていたために、読みは「ワラワウ」から「ワラオー/ワラオウ」などに変化した。 歴史的仮名遣では語としての長音変化を表さないが、現代仮名遣いでは本則によって「笑はう」を「笑おう」と綴る。 志向形は未然形と違って、現代では「笑わ」に「う」が接続した場合にだけ生じる「お」の音が、「何かしよう」という方向性の違いを持ったことから「笑お」の活用は志向形と定められる。 同様の発想で「已然形」は「仮定形」となり、音便は「音便形(時枝文法)」とし「連用形」には含めない。 〜すれこその すれは已然形とされるなど、文法の世界ではその意味合いが重視されるからである。 オ列長音は長音か助動詞か [ ] ここで一つの問題が生じる。 「笑おう」の「う」は助動詞か否かという問いである。 同じ表音本則の「つ うしん」も「笑お う」も「こ ううん」の「う」と同様の意識で綴られるものだが、歴史的仮名遣では表音よりもこの点の差異、助動詞という語意識を重視する。 だから歴史的仮名遣では「笑はう」となり「う」の長音は表さず、助動詞だけを表している。 長音を表すようにすることで、助動詞「う」が接続して初めて「ワラオー」になったということが、表記からはわからなくなるからである。 以上の助動詞の問題、表音的ではない問題の解釈を解決するために、長音表音本則は以下のように解釈する(以下は廣田の説明によった)。 【オ列長音表音本則修正解釈項】以上二項の【オ列長音準則】にあたる表記例は(こおり、とお) オ列長音ではない。 【オ列長音表音本則修正項】志向形と助動詞「う」【オ列長音補足】にあたる場合は(笑おう) オ列長音ではない。 「笑お」という志向形の活用が現代にはあって、さらに助動詞「う」がついたものである。 「ウ」のではなく大原則に則って「笑おお」と書くようになれば、助動詞「う」は消滅する。 だからオ列長音だけは「う」を付けなければならない。 ところが、特にこの志向形に関する問題は深刻で、時枝は「意思を表はす助動詞の表記として意識されてゐるものであるのにもかかはらず、今の場合、これを一方では長音記號として借用しながら、なほかつそれを助動詞の表記であるかのやうに誤信し、又それを一般に强ひるやうな態度が認められるのである」と批判している。 歴史的仮名遣論者から批判される長音の問題は特にこれのことである。 助動詞「う」 [ ] ところで、推量の「よう」や「う」など活用形が同等であるのに異なる活用形を認めるのは、用法の上から見てそうせざるを得ないからである。 橋本進吉によれば、たとえば「らし」のような助動詞は次の 係り結びを以て活用形が認められる。 雪解(ゆきげ)の水 ぞいま増さる らし• ぬき亂る人 こそある らし 係り結びの規則から、この「らし」は明らかに「連体形」「已然形」を持つ。 実際の用法から規則、これが国文学者が文法事項を見いだす手法である。 「う」の場合は次のような用法が見られる。 知ろ うが知るまいが(知ら うが知るまいが)• 〜だろ うけれど(〜だら うけれど) 「けれど」「が」は接続助詞であるが、これは「用言」及び「助動詞」にしか付かない(文法事項の説明は小西甚一の「国文法ちかみち」によった)。 このようなオ列長音の表記において、接続助詞の用法を合理的に解釈するためには、「う」は長音記号などではなく、志向形「知ろ」や「だろ」などに助動詞「う」がついたものと見なすことにしたのである。 廣田の説明はだいたいこのような理由があったわけである。 助動詞を認めない場合は「知ろう」全体で一つの活用形「語尾の変化」と見なして接続の不具合を解消する文法論もあるが、「けれど」の終止形や「が」の連体形への接続がうまく説明できないので、間に活用できる助動詞を置いて、接続助詞は助動詞に接続したとするのが一般的である。 その他長音表記 [ ] エ列長音は以下に従う。 一部は字音に関するものである。 【エ列長音表音本則(旧)】エ列長音はエを添える(表音本則の通り)。 【エ列長音準則(旧)】「経済(け いざい)」「時計(とけ い)」など、字音に見られる多くのエ列長音は、歴史的仮名遣に準じた「イ」のままで綴る。 【エ列長音表音本則(新)】エ列長音は原則としてイを添える(表音本則の修正)。 【エ列長音準則(新)】「ねえさん」など一部の語は表音本則のままでよい。 福田恆存は「現代かなづかい」でエ列長音は「エエ」と綴ることを原則としたことで、多くの「エイ」と綴る例外を設けることになったと批判したが、現代仮名遣いでは(旧)の優先順序を変更し(新)を採用した。 イ列長音は、音韻の特性から多少複雑になっている。 【イ列長音表音本則】イ列長音はイを添える(表音本則の通り)。 【イ列長音準則】「言う」の場合は「ゆう」ではなく「いう」と綴る。 語幹変化を認めないためである。 【イ列長音準則】形容詞の語尾が「〜しう」のイ列長音となる場合、拗音を認めて「〜しゅう」と綴る。 「苦しゅうない」など。 【イ列長音準則】「友(いう)」「邑(いふ)」などの字音仮名遣は、「言う」と異なり、「ゆう」の表記で統一される。 【イ列長音準則】字音のイ列長音が拗音を含む場合、「きうり」などを「きゅうり」と綴る。 「し い」などは本則通りであるが、その他は拗音を含むなど複雑である。 現代仮名遣いから見れば、字音仮名遣の「友」などは「ユー(ユウ)」の音であるから、ウ列長音の表記則に従っていると見なすことができる。 字音仮名遣の扱い [ ] 原則として表音主義が徹底され、今まで記述してきた現代仮名遣いの規則でだいたい表記できる。 字音仮名遣の次の表記は次の音で綴られることになる。 【】「てふ」「てう」の「ちょう」、「きふ」「きう」の「きゅう」、など数多くあるが、上述の長音則にあてはまらないもの。 【】「くわ(くゎ)」「ぐわ(ぐゎ)」は「カ」「ガ」の音を表す。 仮名遣の比較 [ ] 歴史的仮名遣との比較 [ ] 歴史的仮名遣で「ワ」と発音する「は」「わ」が「わ」に一本化されている。 ただし助詞の「は」は変えていない。 「イ」と発音する「い」「ひ」「ゐ」が「い」に一本化されている。 「ウ」と発音する「う」「ふ」が「う」に一本化されている。 「エ」と発音する「え」「へ」「ゑ」が「え」に一本化されている。 ただし助詞の「へ」は変えていない。 「オ」と発音する「お」「ほ」「を」が「お」に一本化されている。 ただし助詞の「を」は変えていない。 「オー」、「コー」、……と発音する「あう」「あふ」「おう」「おふ」、「かう」「かふ」「こう」「こふ」、……の類が「おう」、「こう」、……に一本化されている。 「キュー」、「シュー」、……と発音する「きう」「きふ」「きゆう」、「しう」「しふ」「しゆう」、……の類が「きゅう」、「しゅう」、……に一本化されている。 ただし「言ふ」は「い」を変えず「いう」としている。 「キョー」、「ショー」、……と発音する「きやう」「きよう」「けう」「けふ」、「しやう」「しよう」「せう」「せふ」、……の類が「きょう」、「しょう」、……に一本化されている。 「カ」、「ガ」と発音する「か」「くわ」、「が」「ぐわ」が「か」、「が」に一本化されている。 「ヂ」「ジ」、「ヅ」「ズ」と発音する「じ」「ぢ」、「ず」「づ」が「じ」、「ず」に一本化されている。 ただし同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」および二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」は変えていない。 現代かなづかいとの比較 [ ] 「現代仮名遣い」の内容は、「現代かなづかい」のそれとあまり変わっていないが、次のような相違点がある。 の表記• の表記• の表記 これ以外には、エ列長音の表記についての差(先述)などがある。 助詞の表記:「は」「を」「へ」 [ ] 現代かなづかいでは、言及はされていないが、助詞の「は」などは「わ」と書いても問題がないと解釈されていた(《学校教育における「現代仮名遣い」の取扱いについて》参照)。 「こんにちは/こんばんは」を例に挙げて説明する。 挨拶語としての「コンニチワ/コンバンワ」の「ワ」をどう書くかについて「現代かなづかい」は言及していないが、「現代仮名遣い」では語例として「こんにちは/こんばんは」を明記し、「は」と書くことをはっきり主張している。 これは当該の「は」に、()としての意味・用法が残存していると見なす表語的立場に立っているためである。 つまり「コンニチワ」は、例えば「こんにちは よいお日和でございます。 」のような文の後半部分が省略されたものだから、歴史的仮名遣と同じように「は」という語であると考えるわけである。 一方次に語意識をどこまで認めるかの問題であるが、「コンニチワ/コンバンワ」は既に語源から離れ現在ではもっぱら挨拶言葉(単独の)として用いられている。 これらの点は「現代仮名遣い」の持つ語意識の曖昧さが原因であり、以下の四つ仮名でも登場することになる。 [ ] 昭和50年()に出された「『ことば』シリーズ3 言葉に関する問答集1」(編集)では、はっきり「『現代かなづかい』では、『こんにちは』と書き表す。 」「同じように、『コンバンワ』も『こんばんは』と書き表す。 」と書いている。 四つ仮名の表記:「じ」「ぢ」「ず」「づ」 [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2014年6月) 一重に「語意識」を働かせると言っても、語源を詳しくたどる方法(すなわち、歴史的仮名遣におけるような実証的な証明)から簡単に判別できるものもある。 「複合語」や「連濁」などは簡単な例である。 「複合語」とは二つ以上の言葉が複合して単語を構成するものを指す。 「連濁」は清音であった言葉が、音韻特性から発音の都合上濁るものをいい、「複合語」と同じである。 濁音は発音の便によるものであり、これらは広義のであるが、この場合は音便とは国語学上呼ばない。 「複合語」は「二語の連合」などとも呼ぶ。 《和》いなずま(稲妻)、かたず(固唾)、きずな(絆)、さかずき(杯)、ときわず、ほおずき、みみずく• 《漢》せかいじゅう(世界中)• 《和》うなずく、おとずれる(訪れる)、かしずく、つまずく、ぬかずく、ひざまずく、あせみずく、くんずほぐれつ、さしずめ、でずっぱり、なかんずく、うでずく、くろずくめ、ひとりずつ• 《漢》ゆうずう(融通) だいたい以上が「現代仮名遣い」では「じ/ず」を本則として、「ぢ/づ」を許容する語例である。 一方で「ぢ/づ」を準則とする、つまり歴史的仮名遣通りのものもある。 それが「はなぢ(鼻血)」や「みかづき(三日月)」などの複合語である。 先述の「かなづかい」「もとづく」なども「仮名+つかい」「元+つく」と解されるとする準則である。 「つづく(続)」や「ちぢむ(縮)」などは「連濁」としてその表記を歴史的仮名遣通りに準則とするものである。 ところがここで、語意識とはいったいどこまで働かせるかという問題がある。 「中」の例 [ ] ひとつ字音の問題を例に挙げる。 「中」は字音をともに「チュウ」と読む。 ところが「世界中」となると「セカイジュウ」と読む。 字音に存在しない音が現れたが、これが「複合語」が濁る場合の一つの例である。 この「世界中」の「中」を「じゅう」と書くか「ぢゅう」と書くかについて、「現代かなづかい」は明記していない。 その点について、「現代かなづかい」を補う形で出された「」(昭和31年報告)では、「現代語としては、語構成の分析的意識のないものと考えられる」との理由で、「じゅう」と書くものとし、「『ぢゅう』と書く場合はない」としている。 「地」の例 [ ] 「地」の字音はどうか。 漢音は「チ」呉音は「ジ」と読み、字音仮名遣では呉音は「ヂ」と書く。 字音仮名遣では表音主義が徹底されるため、表音主義の本則に従い、呉音は「ジ」と書かれる。 「地震」は「ジシン」「地面」は「ジメン」の読みであるが、この「ジ」は呉音であり、漢音である「チ」が濁ったものではない。 「世界中」の「中」や「融通」の「通」のように、もとは中国大陸での音韻で「チュウ」や 「ツウ」 [ — ]の音だけがあった場合とは異なり、「地」は中国大陸での音韻において「ヂ」があり、それが「ジ」と同化したというわけで、複合語が濁る場合とは異なるのであると説明される。 だから「地震」は「ヂシン」「地面」は「ヂメン」と綴らない。 この清濁の関連性の見極めはなかなか難しいところがあって、字音に「ぢ/づ」を含む音があるのか、それとも字音で「ち/つ」のみがありその濁音を含む音があるのか、本質的に異なるこれらの理由を理解するには字音の知識を要する。 「図」の例 [ ] 「図」は漢音は「ト」呉音は「ズ」と読むので、「図画」「地図」はそれぞれ「ヅガ」「チヅ」でななく「ズガ」「チズ」だという。 「圖」が本来の字であって「図」は「囗」の中に「ツ」の変形を入れたことが議論を複雑にしている。 分析的意識の根拠 [ ]• 字音仮名遣で「ぢ/づ」となる読みを「じ/ず」とする。 字音仮名遣で清音「ち/つ」であるが、日本語で用いられる内に濁音になったものの扱い。 いわゆる国語仮名遣の範疇である和語における「ぢ/づ」の扱い。 「現代語としては、語構成の分析的意識のないものと考えられる」との理由は、かなり主観的色彩の濃いものであり、客観的で明確な判断基準たり得ないという批判や異論は当時から多くあった。 この語意識の問題は、三つ列挙した例のうち後者二つに波及する問題である。 「世界中」は本来、「世界」と「中」の複合語である。 「世界中」も二語の連合であるので「ぢ」と書くべきなのだが、その点については、上記のように「現代かなづかい」では言及されず、「正書法について」で、いわば例外のさらに例外として「ぢゅう」ではなく「じゅう」と書くと決められたわけである。 国語審議会内部でも議論は紛糾していた。 例えば、第3期国語審議会では、「現代かなづかい」を補強するものとして作成された「現代かなづかいの適用について」という成案を第29回総会((昭和30年))に提出した。 」を適用する語や、「助詞の はは, はと書くことを本則とする。 」を適用するものの用例を示していた)が、総会において、「ぢ・じ」「づ・ず」の書き分けの基準が明確でないとの異論が出て、ついに決定するに至らなかった。 そのような混乱状況の中で、翌年に出されたのが上記の「正書法について」という報告である。 その後「現代仮名遣い」では、「世界中」「稲妻」などの語(挙げられている語例の一覧は下記参照)について、「現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として、それぞれ、『じ』『ず』を用いて書くことを本則とし、『せかいぢゅう』『いなづま』のように『ぢ』『づ』を用いて書くこともできるものとする」という基準を打ち出している。 ただ、基準の曖昧さはいまだに残っており、「ゆうずう(融通)」のようにのや「現代仮名遣い」だけでは説明ができないものもある。 合拗音・四つ仮名の方言 [ ] 「現代かなづかい」では、「注意一」として次の文言を掲げていたが、「現代仮名遣い」ではこれを掲げていない。 「クワ・カ」「グワ・ガ」及び「ヂ・ジ」「ヅ・ズ」を言い分けている地方に限り、これを書き分けても差し支えない。 現代仮名遣い対する批判 [ ] 、を参照。 漢字への依存 [ ] 現代仮名遣いに対する批判の一つとして、「漢字に依存していて表音的でない」ということがある。 先に挙げた「国語シリーズ」では漢字で隠れるから大きな混乱はない、ところが助詞は隠れない、等と述べられている。 この漢字依存については、現代仮名遣い以外でも、歴史的仮名遣における「鋳る・居る」の「い・ゐ」の使い分けについてが「漢字に隠れ恥じ無きを得ているのではないか」と批判したことがある。 語幹の変化 [ ] 「言う」では認めないのに形容詞のオ列長音では認めるという矛盾など。 語幹については上述。 五十音図に応じた活用の消失 [ ] 五十音図の成立について、以下のような説がある。 ののに従って仮名を並べたものであるとする説• やの法のために用意されたとする説• のころの中国で成立したサンスクリットの子音・母音の音韻図にならったものが、後に発達した仮名のために工夫されたとする説 成立過程については諸説あるが、従来からの国語文法において、五十音図が活用を説明する上で便利であり、そこには表記における正則性が認められた。 活用は必ず同じ「行」に属する、というわけであるが、現代かなづかい以降生じた文法変更の要請によって、その正則性がくずれた。 たとえば、ハ行転呼音によるハ行活用の未然形がワ行になり、それ以外の活用形でのア行と分かれたことである。 これら国語文法は、教育において、以前のものは文語文法、現代かなづかいによる変化を加えたものを口語文法として呼び分けることがあるが、本質は同じ体系の文法論である。 その口語文法においては、この変則性を例外であると教えることになる。 語(文語) 語幹 未然 連用 終止 連体 已然 命令 問ふ と— は ひ ふ ふ へ へ 語(口語) 語幹 未然 連用 終止 連体 仮定 命令 志向 音便 問う と— わ お い う う う え え お う 上は文語文法の ハ行四段活用を行う「問ふ」の例である。 文語文法ではハ行に正則性がある。 口語文法では「問う」は志向形、音便形を含めた ワ行五段活用である。 ワ行の名を冠してはいるが、志向形にあるオ列は「を」ではない。 「ゐ」や「ゑ」を含めるなら、さらに五十音図のワ行に応じたものではない。 口語文法の音便形は「問う」の場合だけ「問う」のウ音便となる。 活用表の書き方には他に志向形、音便形を命令形の後に書く方法がある(志向形、音便形は文語文法への付け加えであるからである)。 適用範囲の逸脱 [ ] 原理的に適用が不可能であるはずの古文に対しても無理に現代仮名遣いが適用されている。 学校教育において古文を現代仮名遣いに書き換える問題が出題されている。 古文である「君が代」の歌詞の「いはほ」が法律上「いわお」とされている。 丸谷才一 [ ] は次のように批判した [ ]。 読み辛くなった。 語源が分からなくなった。 どう表記したらいいのか誰にも分からない言葉が多く生じた。 五十音図と連関する動詞の活用を破壊した。 同語異発音のゆとりを消した。 拗音、促音を小さく書く表記法のせいで煩雑になった。 同音連呼の送り字 [ ].

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「あへなし」「…ものは」: 個別指導学び舎 塾長日記

あへなし

学生時代に変体仮名の授業で、江戸時代の物語本を読んでいたので内容はほぼ覚えていました。 凡例から注釈までじっくり読んでも60ページくらいなので、すぐ読めた。 文学部専攻として、竹取物語くらいは教科書の抜粋だけでなく全部知っておきたい。 古今東西、日本人なら誰でも知っている竹取物語、かぐや姫の常人離れした美しさ、ユーモアあり、どうなるか分からない 結末は知っているわけだけど 展開や難題、登場人物が非常に人間くさく、素朴でいて今も楽しめる。 皮衣が「めらめら」燃えるという表現に、千年より前に成立した話が今でもほぼ言葉やオノマトペの感覚が同じなんだな、と感動した。 一つには、『竹取物語』という題名なのに、主人公が翁なのか姫なのかがはっきりしないことだ。 翁が竹の中から見つけた幼女を成人するまさで養育し、それにともない裕福となるが、姫が月に帰るとともに、病になり、みすぼらしくなってしまう話が一つ考えられる。 別の見方をすれば、この世 地球 にやってきた姫が、罪がはれたので月に孵ってしまった話であ る。 作者は、一体どのような動機や目的で、この話を書いたのかがパッと読んだだけでは捉えずらい。 これらの点がどうしてもわだかまりが残ってしまうので苛苛するのかもしれない。 話の筋とは別に、すっきりしない点がある。 「かぐや姫」という名前の名称である。 色々と取り沙汰されるが後半に考察を書いて見たい。 語句等で違和感があるものは多々あるが、p52 岩波文庫 「汝、おさなき人」、「かぐや姫は、罪をつくり給へりければ」がひっかかる。 「おさなき人」は「未熟者」とか訳しているのもあるが、「汝」は姫のことを言っているのではないのか。 翁ではない 「罪」とはどんな罪なのかが読み解ければ、話がすっきりしていくと思えてならない。 ストーリーの違和感を考察する前に、姫 幼女 の命名と罪について考えて見たい。 幼女はp10三室戸斉部のあきたを呼んで「なよ竹のかぐや姫」と名付けられるが、この作者は筆を滑らせたのではないのであろうか。 この幼女の養父である「さかきの造」なる翁は、決して高貴な身分ではない。 その娘に「姫」という尊称をつけるなんてことはあるのだろうか。 この作者は、「娘」「女」が妥当なところではないだろうか。 この作者は、構想の中で、かりそめにこの世に住している幼女が、いづれ月の王が迎えに来て月に還ることを想定しているので、王の娘であるこの女は「姫」であると先走って命名したのであろう。 「かぐや」は、光輝く意味 赤赤や や匂ぐわしいなど当てはまりそうだが、それらを掛言葉のように使っていた可能性は否定できない。 しかし、重要な点は、この物語は幼女が成人して月に還る話であり、その際の手段として羽衣を着るという点である。 つまり「羽衣伝説」を物語化したものであり、その話のネタは色々あるだろうが、この中の登場人物 五人の貴公子 などから推定してみても奈良の話であろう。 推定しなくても 奈良に伝わる「羽衣伝説」は、持統天皇の「春過ぎて夏来てたるらし白栲の衣干したり天の香具山」でしょう。 そもそも、わざわざ山に、 それも霊山 に衣なんか干すのであろうか。 まして、洗濯物を見て季節の移り変わりを感じ、詩にするのであろうか。 その衣を「天の羽衣」に見立てので詩にしたのであろう。 作者は、この世を去っていく者に対して、羽衣を使用する者の代表者として、「かぐや姫 香具山姫 」としたのではないだろうか。 この点は、後に考察する「話」を創る動機にも関連すると思われるので押さえておきたい。 次に「罪」に関してだが、一体どのような罪を犯したのだろうかという点である。 犯罪は、殺人、盗み、放火、不義など考えられるが、月の王が言っているのだがp52「罪の限果てぬればかく迎ふるを」とあるように、ある程度の期間、隔離すれば罪がはれるという罪である。 隔離してはれる罪とは、「祓い」で解決できる程度の罪であろう。 当然、殺人や放火ではないだろうし、王女が盗みなどしようはずもないであろう。 一概には言えないが、訳あって盗みをすることもあろうが そうすると不義かなと考えてしまうが、3ヶ月という異常なスピードで成人した幼女だが、その気配が、貴公子逹や御門とのやりとりからも伺えない。 肉食でもしてしまったかと考えて見るが、p53一人の天人が「壺なる御薬たてまつれ。 穢き所の物きこしめしたれば、御心地悪しから物ぞ」と言っているように、地球で食べた物の方が「穢き物」であるし、肉食ではないであろう。 又、薬を飲んでしまえば、解決できるものであれば罪にあたるまい。 では、一体何であろうか。 古代から「祓い」をしなければいけないものは、「血」を見たことであろう。 すなわち、かぐや姫は、月で成人を迎えた 初潮 ととるべきであろう。 月経時には、別小屋で生活する風習があったという。 近代まであった地域もある そこで、王は、浄めの効果があると考えられていた竹の中に、姫を隔離したのではないだろうか。 ストーリーに関してだが、この話は、翁の話とかぐや姫の話の二つから成っているとは素直に思えないのである。 それは、ストーリー全体の半分以上が、石つくりの皇子 「はぢを捨てつ」 、くらもちの皇子 「玉さかる」 、あべの右大臣 「あへなし」 、大伴の大納言 「あなたへがた」 、いそのかみの中納言 「かひある」「かひなし」 、御門 「ふじの山」 の話が費やされている点である。 作者は、実はこちらの話がしたかったと思えてならない。 通常、人は重要な部分に時間をかけるものではないだろうか。 翁の話とかぐや姫の話は、この貴公子逹の話というよりは言葉の由来談を語るために、前の二つの話を出汁に使ったのではないだろうか。 前二話を主体として読むと、貴公子逹と御門の話は、どうしても邪魔なノイズとして感じてしまう。 無くても話は、通じる。 特に結末の「ふじ山」の話、蛇足に思えてならない。 p54「此衣着つる人は、物思ひなく成りければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して昇りぬ。 」と物語を終了させてくれれば、かぐや姫の物語としてぐっと印象が残るはずだ。 そこに、敢えて、「ふじ山」の由来話をもってきた所に作者の意図があるように思われる。 「ふじ山」の由来話も読者が、不二の薬を山で焼いて、煙っているから「ふじ山」と呼ばれると思わせておいて、敢えて、「士」が「富」 あまた 具したから 不二 「ふじ山」という大どんでん返しである。 そもそも五人の貴公子逹の話の中の「言葉の由来」も、かなり強引である。 この「言葉の由来」の話を読んでいて、どこかで聞いたことがあるように感じる。 落語の「ちはやふる」が似ているのではないか。 当然、落語の成立の方が後世であるが、話の作り方が似ている。 「ちはやふる…」の和歌を知ったかぶりのご隠居が、出鱈目な解釈をするあれである。 『竹取物語』の由来話も、突飛なものであり、読者をからかっているようにさえ思える。 この作者は、実は「羽衣伝説」や「翁の数奇な半生」を語りたかったのではないと思えてくる。 ユーモ��を伝えるため、「羽衣伝説」や「竹取伝説」を前振りして、この物語を描いたのではなかろうか。 その根本には、持統の和歌「春過ぎて…」があったであろう。 この物語に出てくる和歌は、掛け詞が多い。 前述した「かぐや姫」も諧謔と思えてならない。 この『竹取物語』の作者の意図は、ユーモアだったのではなかろうか。 この物語をピュアな物語として読み続けさせたのは、紫式部の「物語の出で来はじめの祖」という文章に後世の人々は、ひきづられたのではないのか。 『竹取物語』は確かに物語である。 しかし、名作『源氏物語』の作者の一言にひきづられ続けたのではないだろうか。 あきらかに『源氏』とは作風が違う。 江戸の戯作の手本として捉えるべきなのでは。 『竹取物語』の発想の鮮やかさは、空を飛ぶこと 紀記にもあったが や月を見て悲しんでいる場面から考えると、それまで月からの使者が来たとか知らせ 便り があった訳ではないのに、迎えに来る日がわかっているということがあげられよう。 すなわち、テレパシーが使えたということだ。 また、御門が連れ帰ろうとすると、姿を消し、また、姿を現すという透明の術が自分の意志で使いこなせる点ではなかろうか。 1000年も前に書かれたのに、SF小説である。 映画『ET』が手本としたとささやかれるのも、もっともである。

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