風吹 け ば 沖 つ 白波 たつ た 山 夜半 に や 君 が ひとり 越 ゆ らむ。 023 筒井つつ【和河】

能「井筒」:在原業平と紀有常の娘

風吹 け ば 沖 つ 白波 たつ た 山 夜半 に や 君 が ひとり 越 ゆ らむ

掛詞と序詞は明らかに性格が異なるもので、微妙なニュアンスの問題とは思えません。 序詞と枕詞は、少し似たところがありますが。 念のため、枕詞を含めて、百人一首の歌を例に、三者の違いを示しておきます。 【掛詞】 同じ音を利用して、一つの言葉に同時に二つの意味を持たせる修辞法で、主に韻文で用いられる。 例:花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 「ふる」が「降る」と「経る」、「ながめ」が「長雨」と「眺め」の両方の意味を持っている。 【序詞】 和歌などで、意味や音からの連想により、ある特定の語句を導き出すために、その語句の前に置かれる言葉。 特定の語句を導き出す点で枕詞と似た修飾機能を持つが、枕詞が一句五音を基本とし、被修飾語との関係が固定しているのに対して、序詞は二句以上でも制限がなく、また、他の語句と組み合わせての使用も許される。 例:あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の なかなかし夜を ひとりかも寝む 「あしひきの 山鳥の尾のしだり尾の」までが「長々し」の序詞 【枕詞・枕言葉】 昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一つで、特定の語句に冠して、これを修飾したり語調を整える言葉。 普通は五音であるが、三音、四音、七音のものもある。 枕詞と枕詞を冠する語句との関係が固定しており、自由な使用を許さない点で、序詞とは異なる。 例:ひさかたの 光のどけき春の日に しづこころなく 花の散るらむ 「ひさかたの」が「光」にかかる枕詞。 他に「空」「月」「雲」などにもかかる。 なお、序詞の項で例に引いた「あしひきの」も、「山」にかかる枕詞である。 確かに、この線引きはとっても難しいんですよね。 私も現代短歌や和歌を嗜んでいるので、修辞についてもきちんと復習をしているつもりなのですが、この2つを分けるポイントは、「長さ」くらいしか思いつかないくらいです。 意味合い的にはほとんど同じなんですよね・・・・質問者様が既に仰っているように、本当に微妙なニュアンスです。 使い方や意味に関しては#1様の仰っているとおりです^^ 「掛詞」は単語、もしくは言葉の一部のみで表現されます。 縁語との組み合わせも多い修辞です。 あまり冒頭にくることがなく、2句目以降に登場していれば、掛詞と解釈していいと思います。 「序詞」は表現そのものが長く、音数も不定、自由なのが特徴で、掛詞と違うのは「受ける語を固定しない」というところです。 歌の流れを汲んで冒頭から始まることが多いので、「枕詞の長いもの」と解釈しても良さそうです。 ハッキリとした違いは、このくらいなのですが・・・・。 多分、考査範囲の中に「掛詞」「序詞」を習った時に取り上げられた和歌が幾つかあると思います。 考査への対策としては、教科書に載っている「序詞」を含むとされる歌を暗記しておき、それ以外を「掛詞」として覚えておくか、もしくは逆の方法をするか・・・・。 うーん、難しいですよね・・・。 どちらもシャレです。 (例) 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに 「ながめ」が、「眺め(ぼんやりと物思いに耽る)」と「長雨」の両方の意味になります。 まさに駄洒落ですね。 このおかげで、「長雨を見ながら、ぼんやりと物思いに耽る」さまが、よく現れてきませんか? 「序詞」の方はちょっと難しいです・・・。 (例) あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 「あしびき」は「山」の枕詞で、意味はないです・・・。 この場合、「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の」が「ながながし」に対する「序詞」です。 単に「長い夜」ではなくて、「序詞」の部分のように長いというような、修飾の意味ですね。 つまり、「ながながし」という言葉を引っ張り出すためだけに、こんなに手の込んだ事をしているわけなんですが・・・。 シャレですね。

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古今和歌集の部屋

風吹 け ば 沖 つ 白波 たつ た 山 夜半 に や 君 が ひとり 越 ゆ らむ

テーブルに肘をついて携帯電話を手に取った。 部屋は暖かい。 でも、そろそろ暖房を止めようと美代子は思っていた。 一人でこんなに暖かい部屋にいるのが無駄だと思うのは、一人じゃない暮らしをしているからだ。 携帯電話をいじくっても、液晶画面は何も解決してくれない。 こういう時、世の女たちはどんな風に過ごすのだろう。 男が他の女に会いに行っていると知って、待つ女というのは。 不意に携帯のメール画面を開いて、すらすらと打つ。 よくも一言一句忘れなかったものだと自分に呆れながら。 この奥さんが夫の浮気を知っていたのか知らなかったのか。 あの男、どうせこんなの知らないでしょ。 頬杖をつきながら、美代子はそっと送信のマークを押した。 返信は来ない。 暖房はついたままだ。 美代子は、いつのまにか浅い眠りに落ちていた。 目を覚ましたのは、腕の中の携帯電話が温かく光り始めたからだ。 暖房は止まっている。 美代子は目をこすりながら携帯を見た。 『どういう意味?』 ムカつく、この男。 今までにないほどの早打ちで『事故に合っちゃえばいいのにってこと』と送る。 返信はなかった。 その代わり、玄関のドアが開く音がした。 ドクンと心臓が高鳴る。 「ただいま」 ただいまじゃねーよ。 まるで悪びれた様子のない信治に近づいていき、美代子は腰に手をあてた。 「馬鹿」「うん」 「クズ」「うん」 「帰ってくんな」「うん」「殴るよ?」 何も言わずに信治は頭を差し出してくる。 黒い短髪に隠れた、つむじが見えた。 犬みたいだと美代子は思う。 叱られてしょんぼりする犬みたい。 信治は身構えるでもなく、ただ美代子からのアクションを待っている。 「なんで出ていかないわけ? 向こうの女の事、好きなんでしょ」 返事はない。 考えるような素振りもないし、きっとこの問いはなかったことにされた。 どっちが好きとか嫌いとかじゃないんだろう、この男は。 それならここで憤っている私は、今までこうして過ごしてきた私たちは、一体何なのよと思う。 恋でも愛でもなけりゃ、何でつながっているの? と。 黙って信治のつむじをつつく。 ハゲろ、と思う。 ようやく、信治は顔を上げた。 「殴らないの?」 たとえば、 こんな風に自然に、呼吸をするように人を裏切る男を、美代子は知らない。 それと同時に、こんなにもナチュラルに、人を信じる事ができない人間も美代子は知らなかった。 「あんた私にどうしてほしいわけ?」 微かにため息をつきながら、美代子は問う。 吐き出すようにゆっくりと続けた。 「捨ててほしいの? 許してほしいの? 私と一緒にいることって、あなたにとって何なの?」 何も答えないまま、信治はただ美代子を見ている。 考えている事はまるでわからない。 深い沈黙が辺りを包み込んだころ、美代子は静かに口を開いた。 「何も言わないなら、私の個人的な意見を言ってもいい?」 うなづきながら信治が「どうぞ」と言う。 「私はね、もちろん浮気男なんて最低と思うし、いつも私だけ好きでいてほしい。 でもそれ以上に、浮気症だろうが人でなしだろうが、あなたのことが好きよ」 不意に信治が、ひどく痛そうな顔をしたのがわかった。 今にもうずくまってしまいそうなほど沈痛な表情で、信治はうつむいた。 だからね、と言いながら美代子は微笑む。 思い出していた。 風吹けば、と歌った妻の事を。 彼女は夫の浮気を知っていたのか知らなかったのか。 どちらでも大して変わらない、と今なら思う。 どちらにせよ、一人で待つのは辛かったでしょうね。 いつの時代も、辛いのは待っている方よね。 「だから、一つだけ要望に応えてくれる? 毎日無事に帰ってきて」 うつむいたままで、信治は「努力するよ」とだけ言う。 何を努力するのか、美代子にはわからなかったけれど。 犬みたい、と思いながら美代子は今度こそ信治の頭に手を伸ばし、めちゃくちゃに撫でてやった。 次の日から、信治の帰りが早くなったり、暖かい部屋にいることが無駄だと思えなくなった、というのはまた別の話である。

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古今和歌集の部屋

風吹 け ば 沖 つ 白波 たつ た 山 夜半 に や 君 が ひとり 越 ゆ らむ

(意訳) 風が吹けば沖に白波が立つという…、龍田山を今夜あの方はひとりで越えてゆこうとしているのだわ。 歌の背景は、伊勢物語二十三段や古今集の左注を読めばわかるので省略します。 この歌、何といっても言葉の響きがすてきです。 普通「 かぜふけばおきつしらなみ」までは 序詞で、「龍田山」に掛っているだけで意味はない、と解説されます。 でも、歌というのはそんなに簡単に割り切れるものではありません。 強いて言えば a音の多いことで語感をよくしているのでしょうか。 龍田山で切れていることも、後半の盛り上がりを誘う要因になっています。 序詞の効用と言ってしまえばそれまでですが、とにかく前半は語感のよさで迫ります。 「風吹けば沖つ白波龍田山」と一気に読めば、なぜか快い気分になります。 そして、「 よわにやきみがひとりこゆらむ」です。 ここから作者は、我が君のことを気にかけているのだよ、ということを、語感ではなく、理屈で読者に迫ってきます。 読み終えた読者は、一瞬の間をおいて「なるほど。 いい歌だなぁ」と感動するのです。 語感で迫り、理屈で感動させるこのテクニック。 日本語の美しさ、古典の素晴らしさを感じます。 龍田山に白波を掛けてくるのは、ちょっと違和感があるなと思ったら、白波には盗賊の意味があることを知りました。 解釈としては俄然おもしろくなります。 それにしても、「意訳すればどうしてこうも歌のよさが失われてしまうのか」とひとりごちたくなります。 詩歌鑑賞は、字面を目で追うだけでなく、声に出して読む必要があります。 【417】.

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