経歴 [ ] (明治27年)(現・)に名賀郡役所書記の・きくのとして生まれる(は)。 平井家はので、祖先は伊東のだった。 のちにのの藤堂家に仕え、乱歩のの代まで藤堂家のとして勤め上げた。 2歳の頃父の転勤に伴い(現・)、翌年に移る(以降、大人になっても点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は46件にも及ぶ)。 小学生のころに母に読み聞かされた訳『秘中の秘』が、に接した最初であった。 中学校では、やのを耽読した。 (現・)を卒業後、のに進学。 卒業後は貿易会社社員、、屋など多くの仕事を経る。 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部(現)に就職。 庶務課に配属されたが、技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に回された。 無断欠勤などもあったが許されていたという。 「日和」では編集のみならずイラストも描いている。 この会社は1年4ヶ月で退職するが、この時期の体験がやの参考になったという。 、読み聞かせ会で知り合ったの小学校教師である村山隆子と結婚する。 (12年)、、に激賞され、『』に掲載された『』でデビューする。 欧米のに強い影響を受け、本格探偵小説を志す一方で『』『』といった変格とみなせるような作品も書き、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残した。 『』や『』に代表されるようなフェティシズムや怪奇小説の部類も初期から執筆しており、とともに研究していたの・、男装・女装、人形愛、、やグロテスク、残虐趣味などの要素を含んだ通俗探偵小説も、昭和初期から一般大衆に歓迎された。 当初は小説家として生計を立てるか悩んだと述べており、処女作『二銭銅貨』以降は、あくまで兼業の趣味の範疇として散発的に短編小説を執筆するに留まっていた。 に森下の企画で『新青年』に6ヶ月連続短編掲載するにあたってその2作目の『心理試験』が好評で踏ん切りがついたと述べている。 ここで会社を辞めて小説家一本にしたが、探偵小説家としては早くも行き詰まり、連続掲載の6作目に当たる『』は自ら愚作と評し、小説家になったことを後悔したという。 しかし、森下の紹介で『』や『』にも掲載を持てることとなり、探偵小説専門誌である『新青年』には載せられないような通俗的な作品の執筆で生計が安定した。 乱歩は海外作品に通じ、翻案性の高い作品として『緑衣の鬼』、『三角館の恐怖』、『幽鬼の塔』などを残している。 また、少年向けとして、と小林少年やが活躍する『』などがある。 このほか、探偵小説に関する評論(『』など)を残している。 戦後も乱歩は主に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『』の編集・経営に携わった。 また、の創立と財団法人化に尽力した。 同クラブに寄付した私財100万円の使途としてが制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となる。 晩年の乱歩は、、(蓄膿症)を患い、さらにを患ったが 、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行った。 平井家の墓の右脇に江戸川乱歩の墓標がある 1965年(昭和40年)7月28日、乱歩はのための自宅で70歳で没した。 戒名・智勝院幻城乱歩居士。 31日、正五位勲三等瑞宝章を追贈される。 8月1日、推理作家協会葬が行われた。 業績 [ ] 小説家として [ ] 創作活動初期は、『』、『』など、いわゆる本格派と呼ばれる短編作品を執筆し、日本人の創作による探偵小説(推理小説の意。 1955年(昭和30年)頃まではこの呼称が一般的であった)の基礎を築いた。 トリックや題材に欧米の諸作からの影響を感じさせるが、単なる模倣でなく乱歩の独創性が活かされている。 乱歩は探偵小説の王道というべき本格派を志向していたが、それらの作品は大衆からあまり支持されなかった。 大衆は幻想・怪奇小説、犯罪小説に分類できる変格ものと称される作品を好んだ。 『』『』『』などが代表的な変格ものといえる。 1926年(大正15年)12月より1927年(昭和2年)2月までの約3か月間、朝日新聞に『』を連載する。 病欠のの代役だった。 作品は評判がよく、映画化された。 しかし乱歩は小説の出来に満足できず休筆宣言をし、各地を放浪したという(以後、戦前の乱歩は「休筆中に放浪」というパターンが多くなる)。 1928年(昭和3年)8月、14か月の休筆のあと、乱歩は自己の総決算的中篇『』を発表する。 これは変態性欲を題材にした作品で、不健康とみなされた一方、(当時の探偵小説の雑誌『』の編集者)により「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛された。 戦前の本格探偵小説の新時代を築いたといえる。 『新青年』は「陰獣」を前後2回に渡り掲載したが、雑誌は増刷するほどで、当時の世評の高さがうかがえる。 通俗長編「」を、かねてより執筆依頼のあった『』に連載する。 この作品は自身の趣向であった「エロ・グロ・猟奇・残虐趣味」を前面に押し出したものだった。 作品は大好評で、これを契機として乱歩は続けざまにヒット作を連発させる。 単行本は数十版を重ねた。 これは探偵小説をポピュラーな地位に押し上げたといえる(通俗長編について乱歩は、や、ポーなどから着想をえたと言っており、事実、そのような作品が多い)。 乱歩の通俗長編が大衆に歓迎された理由は、作品自体の面白さ以外に、時代的背景が影響していたといえる。 の影響で、世間にはいわゆる「」といわれる退廃的気風が満ちていたのだ。 これらの通俗長編は、初期作品に比べると破綻があり(乱歩自身認めている)、これがミステリの低俗化を招いたとする批判がある。 評論家のは、著書『日本探偵作家論』において、乱歩の長編は翻案など一部を除きほとんどがプロットに破綻をきたしていると述べ、作品としての完成度を批判している。 一方、乱歩と長年親交のあった評論家は、1974年刊の『小学館万有百科事典』(ジャンルジャポニカ)において、低俗性を認める一方で、市場拡大の貢献を言及している。 1931年(昭和6年)5月、乱歩初の『江戸川乱歩全集』全13巻が平凡社より刊行開始された。 総計約24万部の売り上げを記録し、経営の行き詰まっていたを建て直すきっかけになったという。 乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったという。 多くの長編連載を場当たりで執筆し、筋の展開に行き詰まってしまうことがあった。 ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すこととなった。 また、長編を作り上げるにあたり、程度の低いものを書いているという意識に苛まれていた。 これも休筆の要因といえる。 とりわけ、探偵小説の本舞台である『新青年』に本格ものを書こうとして行き詰まった経緯がある。 「」は1934年(昭和9年)1月号までに3回中断し、探偵文壇の不評をこうむった。 これ以外に、、らの台頭により、乱歩は自分の時代が過ぎ去ったと感じ始める。 1935年(昭和10年)頃より、乱歩は評論家として広く活躍し始める。 評論集『鬼の言葉』は、その最初の成果である。 その一方で、1936年(昭和11年)初めての少年ものを執筆する。 のちにシリーズ化される「」を雑誌『』に連載したのだ。 この作品は少年読者の圧倒的支持を受け、乱歩のもとに多数のファンレターが来たという。 以後、乱歩は創作レパートリーに少年ものを定期的に加えるようになった。 日本が戦争体制を強化していくにしたがい芸術への検閲が強まっていったが、1937年(昭和12年)頃より、その度合いは強くなった。 探偵小説は図書検閲室によって検閲され、表現の自由を制限された。 一説では、内務省のブラックリストに乱歩の名が載っていたという。 1939年(昭和14年)以降は検閲が激化し、無茶な削除訂正が頻発し、『』がになっている。 1941年(昭和16年)に入ってからは原稿依頼が途絶え、旧著がほぼ絶版になった。 に突入すると、探偵小説は少年ものですら執筆不可能となり、乱歩は小松竜之介の名で子供向きの作品(科学読み物「知恵の一太郎」など)や内務省の検閲対象とならないの会報に論評を載せるなどしていた。 太平洋戦争中、抹殺されていた探偵文壇は、戦後、の占領政策終了のもと復興し始める。 戦後は、創作以外に活動の幅を広げ、評論や講演を行う。 また、1946年からはじめた愛好家の集まり「土曜会」を発展させ、1947年に探偵作家クラブ(後の)の結成を行う。 1949年(昭和24年)1月号より「」(雑誌『少年』に連載)で少年ものを再開する。 評論の分野では、1947年(昭和22年)に『随筆探偵小説』を上梓。 1951年(昭和26年)には『』、1954年(昭和29年)に『続・幻影城』、1958年(昭和33年)に『海外探偵小説作家と作品』が上梓される。 これらの評論集は、乱歩の優れた批評眼と洞察力がうかがえる探偵小説論・探偵作家論といえる。 戦後においても、大衆は乱歩の「本格もの」よりも「変格もの」を支持した。 乱歩が本意としていた本格ものはあまり反響がなかった。 同時期に多数発表された長編探偵小説の中で、戦後継続して再刊されたのは乱歩の作品だけである(空前のリバイバルとなった横溝正史ですら、戦前長編は数作を除けば一時的に再刊されただけ)。 また、ミステリの枠に留まらず、怪奇・幻想文学において存在意義がある。 猟奇・異常性愛を描いた作品は後年の官能小説に多大な影響を残した。 また、戦後に再開したシリーズは子どもたちから絶大な支持を受け、昭和30年代ごろから映像化された。 戦後は雑誌『少年』の発行元だったから『少年探偵江戸川乱歩全集』として全23巻が刊行された。 乱歩最晩年の昭和39年頃から光文社は絶版となり、版権はへ移動する。 ポプラ社では、『少年探偵江戸川乱歩全集』として乱歩が児童向けとして書いた作品を全26巻で刊行した。 さらに乱歩の大人向けの作品を代作者が児童向けに書き直したものを20巻刊行し、全46巻の大全集となった。 シリーズのほとんどで敵役となっているは、推理小説の架空キャラクターとしては、、、、らと並んで、広く親しまれている。 なお、戦後に発表されたものについては、戦前に大人向けに書いた推理小説・怪奇小説を代作者が子供向きに翻案した結果、明智小五郎など登場人物の性格が、乱歩自身の設定と異なっていることがあった。 プロデューサーとして [ ] 戦後は、新人発掘にも熱心で、、、、など、乱歩に才能を見出された作家は少なくない。 『』編集長時代には、多くの一般作家に発表の場を与えている。 代表的な作家に、歌舞伎評論家のがいる。 また、を宝石社にスカウトし、『ヒッチコック・マガジン』の編集長に推薦している。 日本国外の推理作家との交流にも積極的で、と文通して MWA の会員にもなったほか、フランスの、オランダの、 、ソビエト連邦の 、韓国のらと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介した。 晩年には、に興味を持ち、筒井康隆、など、黎明期の日本のSF関係者を援助し、商業出版に尽力した。 のインタビューでは、「推理物は一作目にいいものが多く、を例外に、一般的に年を取るにつれ筆が鈍る。 自分にはすでに創意がない。 60歳の誕生日会のとき再び筆を取ると宣言したが、書いてみたら納得がいかなかった。 代わりに今後は探偵小説史のようなものをまとめたい」と語ったが、その夢は実現されなかった。 「全集」は没後刊行が一般的な時代、生前・没後に各4度 にわたり「全集」刊行した作家は分野を問わず他には存在しない。 内外から尊敬を込め 大乱歩とも呼ばれた。 師事したは、『』で「『大乱歩』という言葉もある。 ほかにも一世を風靡した作家や、大衆から敬意を表された作家や、芸術的にもっと高いものを書いた作家は多いのに、大の字を冠してこれほどおかしくない人も珍らしい。 」と書いている。 栄典 [ ]• 1961年 - 受章• 1965年 - 受章• 1965年 - 家族 [ ] 、鳥羽造船所を退職したのち、東京で三人書房を営んでいた時代に、現鳥羽市坂手島の学校教師である村山隆子(隆<りう=りゅう>。 1982年9月2日、脳血栓のため死去。 享年85)と結婚。 一人息子のはで。 「少年探偵」シリーズの継承者でもある。 孫のは鉄道研究家で『』の編集者。 作品一覧 [ ]• 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、かつ作品集の類も戦前から現在まで何度も刊行されている。 で多数の作品を収録しているものとして、の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、(全20巻)、「江戸川乱歩文庫」(改訂版)、ポプラ社文庫(児童向け)などがある。 没後半世紀を経てが失効したことを受け、(改訂版)、、でも刊行されている。 推理小説 [ ] 明智小五郎もの(長編) [ ]• 『』(『』1926年12月〜1927年2月)• 『』(『』1929年8月〜1930年6月)• 『猟奇の果』(『文芸倶楽部』1930年1月〜12月)• 『』(『講談倶楽部』1930年7月〜1931年5月)• 『』(『』1930年9月〜1931年10月)• 『』(『』1930年9月〜1931年3月)• 『』(『』1934年1月〜11月)• 『人間豹』(『講談倶楽部』1934年1月〜1935年5月)• 『悪魔の紋章』(『日の出』1937年9月〜38年10月)• 『暗黒星』(『講談倶楽部』1939年1月〜12月)• 『地獄の道化師』(『富士』1939年1月〜12月)• 『化人幻戯』(『』〜『宝石』1954年11月〜55年10月) - 乱歩晩年の「本格」ものに挑戦した作品 と言われる。 『』(『面白倶楽部』1955年1月〜12月) 明智小五郎もの(中短編) [ ]• 『』(『新青年』1925年1月)• 『』(『新青年』1925年2月)• 『』(『新青年』1925年3月)• 『幽霊』(『新青年』1925年5月)• 『』(『新青年』1925年8月)• 『』(『』1929年11月〜12月)• 『兇器』(『』1954年6月)• 『』(『』1955年4月〜) その他の探偵・ノンシリーズ [ ]• 『』(『』1923年4月)• 『』(『新青年』1923年7月)• 『』(『新青年』1923年11月)• 『』(『新青年』1924年6月)• 『双生児』(『新青年』1924年10月)• 『』(『新青年』1925年4月)• 『日記帳』(『』1925年4月)• 『』(『写真報知』1925年4月)• 『』(『写真報知』1925年5月)• 『』(『新青年』1925年7月)• 『指環』(『新青年』1925年7月)• 『夢遊病者の死』(『』1925年7月)• 『百面相役者』(『写真報知』1925年7月)• 『一人二役』(『』1925年9月)• 『疑惑』(『写真報知』1925年9月)• 『』(『苦楽』1925年10月)• 『接吻』(『』1925年12月)• 『』(『苦楽』1926年1月〜11月で連載中絶)1927年に完結• 『湖畔亭事件』(『』1926年1月〜5月)• 『空気男』(原題:二人の探偵小説家)(『写真報知』1926年1月〜2月で連載中絶) (未完)• 『」(『新青年』1926年1月)• 『毒草』(『』1926年1月)• 『覆面の舞踏者』(『』1926年1月〜2月)• 『灰神楽』(『』1926年3月)• 『火星の運河』(『新青年』1926年4月)• 『』(『新小説』1926年7月)• 『』(『大衆文芸』1926年7月)• 『』(『サンデー毎日』1926年10月)• 『』(別表記:パノラマ島綺譚)(『新青年』1926年10月〜1927年4月)• 『』(『大衆文芸』1926年10月)• 『木馬は廻る』(『』1926年10月)• 『』(『新青年』1928年8月〜10月)• 『』(原題:悪夢)(『新青年』1929年1月)• 『』(『』1929年1月〜1930年2月)• 『』(『新青年』1929年6月)• 『』(『』1929年9月〜10月)• 『』(『朝日』1931年2月〜1932年3月)• 『』(原題:目羅博士の不思議な犯罪)(『文芸倶楽部』1931年4月)• 『』(『版江戸川乱歩全集』1931年5月〜1932年4月) 全集付録冊子への連載• 『』(『講談倶楽部』1931年6月〜1932年5月)• 『』(『キング』1931年11月〜1932年2月)• 『』(『平凡社版江戸川乱歩全集』1932年4月) 学生時代(1916年以前)の習作• 『』(『新青年』1933年11月〜1934年1月で連載中絶) (未完)• 『』(『キング』1933年12月〜1934年10月)• 『』(『』1934年9月)• 『大暗室』(『キング』1936年12月〜39年6月)• 『偉大なる夢』(『日の出』1943年11月〜44年12月)米国相手の戦意高揚小説• 『断崖』(『報知新聞』1950年3月)• 『悪霊物語』(『講談倶楽部』1954年8月〜)• 『防空壕』(『』1955年7月)• 『十字路』(講談社、1955年11月、書き下ろし) による第一稿をリライト。 トリック、プロットも渡辺剣次の案出。 『』(『オール讀物』1956年4月)• 『妻に失恋した男』(『』1957年10月〜11月)• 『ぺてん師と空気男』(、1959年11月、書き下ろし)• 『指』(『』1960年1月)• 『薔薇夫人』(未収録作品) 翻案・リライト小説 [ ]• 『』(『』1931年4月〜1932年4月」) - ()作『ヴェンデッタ』( Vendetta, A Story of One Forgotten)のによる翻案小説『白髪鬼』をリライトしたもの。 『緑衣の鬼』(『講談倶楽部』1936年1月〜12月)- 作『』( The Red Redmaynes)の翻案小説。 『』(『講談倶楽部』1936年12月〜37年4月) - 作『灰色の女』( A Woman in Grey)の黒岩涙香による翻案小説『幽霊塔』をリライトしたもの。 『』(1938年) - 作『サン・マール氏の二羽のつぐみ』( Les Deux Merles de M. de Saint-Mars)の黒岩涙香による翻案小説『鉄仮面』を小中学生向けにリライトしたもの。 『幽鬼の塔』(『日の出』1936年4月〜40年3月) - 作『聖フォリアン寺院の首吊男』( Le Pendu de Sant-Phollien)の翻案小説。 『三角館の恐怖』(『』1951年1月〜12月) - 作『エンジェル家の殺人』( Murder Among the Angells)の翻案小説。 連作・合作小説 [ ]• 『五階の窓』(『新青年』1926年5月) リレー連作小説の第1回目を担当• 『空中紳士』(原題:飛機睥睨)(『新青年』1928年2月〜9月) 乱歩を含む5人の作家による合作• 『江川蘭子』(『新青年』1930年9月) リレー連作小説の第1回目を担当• 『殺人迷路』(『』1932年10月) 全集の付録冊子に連載されたリレー連作小説の第5回目を担当• 『黒い虹』(『』1934年1月) リレー連作小説の第1回目を担当• 『畸形の天女』(『』1953年10月)• 『女妖』(『』1954年1月)• 『大江戸怪物団』(『面白倶楽部』1955年7月) 児童向け作品 [ ] 少年探偵団・怪人二十面相もの [ ] 一部明智小五郎や二十面相が登場しない作品もある。 『』(『』1936年1月〜12月)• 『』(『少年倶楽部』1937年1月〜12月)• 『』(『少年倶楽部』1938年1月〜12月)• 『』(『少年倶楽部』1939年1月〜1940年2月)• 『』(『』1949年1月〜12月)• 『』(『少年』1951年1月〜12月)• 『』(『少年』1952年1月〜12月)• 『』(『少年』1953年1月〜12月)• 『』(『』1955年1月〜12月)• 『』(『少年』1955年1月〜12月)• 『』(「探偵少年」改題 『』1955年1月〜12月)• 『天空の魔人』(『少年クラブ増刊』1956年1月15日)• 『黄金豹』(『少年クラブ』1956年1月〜12月)• 『』(『少年』1956年1月〜12月)• 『』(『少年クラブ』1957年1月〜12月)• 『』(『』1957年1月〜3月)• 『』(『たのしい三年生』1957年4月〜1958年3月)• 『奇面城の秘密』(『少年クラブ』1958年1月〜12月)• 『夜光人間』(『少年』1958年1月〜12月)• 『塔上の奇術師』(『少女クラブ』1958年1月〜12月)• 『鉄人Q』(『』1958年4月〜1959年3月、『』1959年4月〜1960年3月)• 『ふしぎな人』(「ふしぎな人」、『』1958年8月〜1959年3月、続けて「名たんていと二十めんそう」、『たのしい三年生』1959年4月〜12月)• 『』(『少年』1959年1月〜12月)• 『』(『たのしい二年生』1959年10月〜1960年3月)• 『』(『たのしい一年生』1959年11月〜1960年3月、続けて『たのしい二年生』1960年4月〜12月)• 『』(『少年』1960年1月〜12月)• 『怪人と少年探偵』(『』1960年9月〜1961年9月)• 『新宝島』(『』1940年4月〜1941年3月)• 『智恵の一太郎』(『少年倶楽部』1942年1月〜43年4月) 随筆・評論 [ ]• 『悪人志願』博文館(1929年)• 『鬼の言葉』春秋社(1936年)• 『幻影の城主』かもめ書房(1947年)• 『随筆探偵小説』清流社(1947年)• 『幻影城』岩谷書店(1951年)、評論集• 『続・幻影城』早川書房(1954年)、評論集。 を含む。 『探偵小説三十年』岩谷書店(1954年)• 『探偵小説の「謎」』社会思想研究会出版部 現代教養文庫(1956年)• 『海外探偵小説作家と作品』早川書房(1957年)評論集• 『わが夢と真実』東京創元社(1957年)。 それまでの随筆のうち、乱歩自身にかかわるものを収録したもの。 『乱歩随筆』青蛙房(1960年)• 『』桃源社(1961年)。 自伝的回想録で、乱歩の目を通し描かれた初期日本探偵文壇史とでも称すべきもので、貴重な文献資料でもある。 『彼・幻影の城』東都書房(1963年) 翻案作品 [ ] 映画 [ ] 多数あり。 「」も参照のこと。 以下はその一部である。 一寸法師(1927年)• (1946年)• 一寸法師(1948年)• 氷柱の美女(1950年)• 怪人二十面相(1954年)• 青銅の魔人 1955年• 一寸法師 江戸川乱歩の一寸法師 (1955年)• 死の十字路(1956年)• (1958年)• (1962年)• 黒蜥蜴(1968年)• (1969年)• (1969年)• (1970年)• 江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者(1976年)• (1977年)• (1994年)• 屋根裏の散歩者(1994年)• (1994年)• (1995年)• (1997年)• (1998年)• (1999年)• (2001年、公開は2004年)• (2005年)• 人間椅子(2006年)• 屋根裏の散歩者(2007年)• 陰獣(フランス映画 2009年)• (2010年)• (2015年)• (2016年) 漫画 [ ] 乱歩作品の漫画化は、による子供向けの『少年探偵団』ものが1959年(昭和34年)に発表されている。 初の成人向け作品の漫画化としては、昭和45年に少年誌『』が「江戸川乱歩恐怖シリーズ」と銘打ち、エロ・グロ物を含む乱歩作品を、、、の四者に競作させている。 ( 1959年)• ( 1970年)• 地獄風景( 1970年)• ( 1970年)• 人間椅子、芋虫、白昼夢、お勢地獄(お勢登場)( 1970年)• 黒とかげ( 1971年4月〜8月 原題『』)• 血とばらの悪魔( 1971年11月〜1972年2月 原題『』)• 巡礼萬華鏡( 1973年)• ドクターGの島( 1974年4月〜1974年8月 原題『』)• 陰獣(古賀新一 1984年)• 江戸川乱歩 屋根裏の散歩者(長田ノオト 1994年)• お勢登場( 1996年)• 大暗室( 1997年)• 妖怪博士(山田貴敏 1997年)• 人間椅子( 1997年)• 江戸川乱歩のパノラマ島奇談(長田ノオト 1999年)• 名工のカタルシス(木暮峰 2004年 原題『人間椅子』)• パノラマ島綺譚( 2007年)• 百面相役者( 2007年)• 双生児(東元 2007年)• 人間椅子(東元 2007年)• 鏡地獄(東元 2008年)• (東元 2008年)• (東元 2008年)• (山田貴敏)• 大金塊(山田貴敏)• 江戸川乱歩の押絵と旅する男(長田ノオト)• 江戸川乱歩の(長田ノオト)• 芋虫()• 2010~2015年 テレビドラマ [ ]• ( 1970年)• (系 1977年〜1985年)• 乱歩〜妖しき女たち〜(1994年)• (系 2004年) テレビアニメ [ ]• (系、1968年2月1日から同年9月26日まで全35話、制作:虫プロダクション)。 (フジテレビ系、2015年7月から9月まで)• (ほか、2016年10月から3月まで)• (TOKYO MXほか、2017年1月) 派生作品 [ ] 乱歩が登場するフィクション [ ]• 『目羅博士』など、一部の作品は「私が聞いたり見たりした話を元に書いた」という体裁を取っており 、聞き手として乱歩が出てくる。 『』:乱歩作。 自身をパロディした作家「大江春泥」が登場。 春泥の本名「平田一郎」も乱歩の本名「平井太郎」をもじっている。 『呪いの塔』。 上記『陰獣』をさらに捻った推理パロディ長編。 意外性を狙っているため、乱歩に相当する人物は、親友の横溝以外には困難だったであろう遠慮会釈のない造形となっている。 『乱歩幻想譜』1974年。 乱歩を主人公にして、作品世界と関連した事件に次々と遭遇する連作短編。 『浅草ロック殺人事件』1985年 - 乱歩をモデルとした探偵作家「香川幻夢」が登場。 『一九三四年冬-乱歩』創元推理文庫、2013年(新版) - 受賞。 映画『」1994年 - 乱歩役は。 映画『』1960年 - 乱歩のパロディである作家「江戸山散歩」がキャラクターとして登場。 映画『』2006年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。 映画『』2012年 - 著名な作家たちが執筆のために宿泊したというホテル「本天堂」に現れる作家の霊のひとつとして。 乱歩役は。 舞台『』() - 作家になる前の「平井太郎」として劇中映画「ハイカラ探偵物語」にと共に黒蜥蜴を追い詰める探偵役として登場し、スクリーンから飛び出した黒蜥蜴を追って芥川と共にスクリーンから飛び出す。 太郎役はと(2010年10日限定公演のみ)。 テレビアニメ『啄木鳥探偵處』2020年 - 作家になる前の「平井太郎」として登場。 その他 [ ]• 没時まで住んでいたの邸宅はと隣接しており、子息であるが立教大学教員だったこともあり、現在は同大学が「旧江戸川乱歩邸」(正式名称「江戸川乱歩記念大衆文化研究センター」)として保存している。 一般公開に関しては2017年ごろまでは年に数日~一週間程度「特別公開」という形で実施していたが、以後~現在は毎週水・金曜日に無料で見学出来る。 これ以外にも時おり特別公開日を設ける場合あり。 詳細は立教大学サイトの「旧江戸川乱歩邸」ページおよび「旧江戸川乱歩邸(大衆文化研究センター)」Twitter公式アカウントにて(参照)。 ファンにサインを求められると必ず色紙に「うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」あるいは「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」と書き添えた。 昭和55年()1月になって、大正13年()9月から東京へ転居する大正15年()1月まで2階を書斎にしていた、当時「外島694番地」であった八島町の家が今も残っていることが判明した。 この家は一時期一般開放されていたが、平成22年()に解体された。 「江戸川乱歩寓居の跡」と書かれた看板が掲げられていた。 趣味があり、若い役者を可愛がり、ただのファンを超えた関係があった。 2015年、未発表手記が発見された。 日付は1936年で原稿用紙38枚。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 2001年に発見された『二銭銅貨』の草稿には、「江戸川藍峯」 えどがわ らんぽう と署名されていた。 『全集』は刊行順に、生前刊は全13巻(戦前)、全16巻、全23巻、桃源社全18巻(近年で復刻)。 没後刊はで全15巻(新版 全25巻)、他に「文庫版全集」が、末期に全66巻、(21世紀に入り)に全30巻が刊行。 途中で話が続けられなくなり中断した。 乱歩本人が掲載誌にお詫びとして読者へ謝罪し、中断を発表している。 これは古典推理小説ではよくあることで、同時期の横溝正史作品などにもよく見られる。 『心理試験』や『』『屋根裏の散歩者』などの初期の作品を含む21作品がこの家で執筆されており、そのほとんどが大正14年()に創作された。 が初登場する『』もこの家で創作された。 また乱歩はこの家に住んでいた当時、床の間の天井板を外して踏み台に載り、首だけを出してを覗いてみて、その捨てがたい眺めに陶然とした。 その経験を元に『屋根裏の散歩者』が書かれた。 出典 [ ]• 2011年12月28日閲覧。 2001年12月2日時点のよりアーカイブ。 2011年7月10日閲覧。 シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。 シンフォニアテクノロジー. 2020年5月9日閲覧。 2011年12月28日閲覧。 『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)54頁• コトバンク. 2020年5月9日閲覧。 日本経済新聞• カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「江戸川乱歩」 3 [ ]• 山田風太郎『風眼抄』p. 152(六興出版、1979年)• 『江戸川乱歩 評論と研究』(講談社)など• 発表当時は「小松龍之介」名義• カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス [ ]• 読売新聞 2015年10月17日 1面掲載。 入門書・図版本・小著• 編 『江戸川乱歩』 <新潮日本文学アルバム41>、1993年• 太陽編集部編 『江戸川乱歩』 <コロナ・ブックス46>、 1998年• 『怪人江戸川乱歩のコレクション』 新潮社<>、2017年。 平井憲太郎(孫)ほか4名• 『KAWADE夢ムック 江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団』 河出書房新社、2003年• 堀江あき子編 『江戸川乱歩と少年探偵団』 <らんぷの本>、2003年• 『回想の江戸川乱歩』 メタローグ 1994年。 のち、で再刊• 伝記研究• 『江戸川乱歩 評論と研究』 1980年 - 乱歩研究の代表作• 中島河太郎責任編集 平井隆太郎ほか 『江戸川乱歩ワンダーランド』 沖積舎 2003年• 『うつし世の乱歩 父江戸川乱歩の憶い出』 河出書房新社 2006年• 平井隆太郎 『乱歩の軌跡 父の貼雑帖から』 2008年 - 自作の年代記『貼雑年譜』(、新版2004年ほか)を読み込んだ評伝。 編 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』 1996年• 平井隆太郎・新保博久編 『江戸川乱歩アルバム』 河出書房新社 1994年• 作品研究• 『別冊文藝 江戸川乱歩』 河出書房新社 2003年• 『新文芸読本 江戸川乱歩』 河出書房新社 1992年• 『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』 編、「国文学解釈と鑑賞」別冊: 2003年• 『42号 RAMPOMANIA』(出版局、1994年)• 『江戸川乱歩徹底追跡』(志村有弘編、、2009年)• 書誌研究• 平井隆太郎監修・中相作編『江戸川乱歩著書目録』【江戸川乱歩リファレンスブック3】、立図書館、2003年3月 (1は『乱歩文献データブック』、2は『江戸川乱歩執筆年譜』)。 新保博久 山前譲編 『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』 CD-ROM1枚付 2002年• 平山雄一、新保・山前編 『江戸川乱歩小説キーワード辞典』 東京書籍 CD-ROM1枚付 2007年 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキソースに の原文があります。 - 一時期、乱歩の弟子のような立場にあった小説家。 『新青年』に乱歩の文体模写小説「類人鬼」を発表している。 - 乱歩の最初の英訳単行本の翻訳を担当。 - 脚色の舞台はライフワーク。 - 第二次大戦中、ユダヤ人を大勢救った外交官。 乱歩とは高校、大学ともに同窓。 - 竹久夢二の弟子。 乱歩の風俗研究における同好の友だったとされている。 乱歩が鳥羽造船所に勤めていた時代に親交を深めた。 - を本拠地とするサッカークラブ。 前身はを本拠地にした。 同市出身の乱歩の名前にちなんで命名。 - 乱歩が初代顧問を務めた。 - 昭和7年刊の乱歩名義作品『蠢く触手』(『新作探偵小説全集』所収)を代作した。 - 兄のとともに江戸川乱歩の代りに、改造社世界大衆文学全集第30巻の『ポー、ホフマン集』(1929年刊)のポーの部門を翻訳する。 - 旧鳥羽造船所電機部。 乱歩が創刊した社内誌は現在も発行されている。 外部リンク [ ]• 江戸川乱歩を歩く- 東京紅団 - ・・・・・・・・・• - (英語)• - 日本映画情報システム•
次のこの節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 を参考にして、 物語全体の流れが理解できるように(も含めて)、をしないよう ご自身の言葉で。 ( 2018年6月)() 木曾には小泉家と橋本家という二つの旧家が存在する。 その家長の小泉実と橋本達夫は、伝統的な旧家の生き方などに縛られ時代から取り残されつつある。 一方、その後を継ぐ橋本正太と、達夫の弟の小泉三吉は、自らが旧家の生れであるという呪縛から逃れられない。 家を助けようとした正太は株に手を出したが失敗し、女性関係にも悩まされ名古屋で没する。 三吉は夫婦関係や兄との援助関係に悩みつつも作家として大成し、一家の大黒柱のような存在になっていく。 登場人物 [ ] 小泉三吉 島崎藤村自身。 妻はお雪。 橋本正太 モデルは高瀬兼喜。 薫の長男。 事業に失敗し、病のため没する。 小泉実 モデルは島崎秀雄。 小泉忠寛(モデルは藤村の父)の子。 橋本達夫 モデルは高瀬薫。 橋本家の家長。 妻はお種。 映画 [ ] 家 監督 脚本 原作 製作総指揮 秋原北胤 出演者 音楽 主題歌 『Life goes on』 撮影 編集 落合雪恵 制作会社 配給 カエルカフェ 公開 2013年5月11日 上映時間 80分 製作国 言語 日本語 原作の消滅後である[に、監督で映画化された。 配給は。 が演じる橋本達雄の妻であるお種(橋本種子)を主役に据え、が主演する。 を舞台にしていると思われるが、作中にをはいた人物が登場したり、芝生の上にが置かれていたり、された紙が扉に貼られていたりなどとがおろそかになっている。 キャスト [ ]• - 橋本種子• - 小泉三吉• - 小泉雪• - 橋本仙• - 橋本正太• - 小泉倉• - 小鈴• - 小泉俊• - 橋本達雄• - 橘春子• - 橋本豊世• - 小泉森彦 スタッフ [ ]• 原作:島崎藤村『家』• 監督:• 企画・制作・宣伝・配給:• 脚本・編集:• 撮影:• 音楽:• 音響効果:• 繁華街演奏:、• 挿入歌:『Life goes on』『ミスターダーリン』(『Life goes on』はエンディング・テーマとしても使用) 脚注 [ ].
次の私は自分でレンタルオフィスを借りて、小規模な小説教室を開催していました。 コロナ禍で休止しているのですが、どうしたものかと迷っています。 緊急事態宣言が解除されても、県をまたいでの移動がNGだと、奈良の人しか来て貰えない。 京阪神から来てくださっている受講生が半数以上なんです。 人との距離を2メートルも開けたら、大きな教室を借りなくてはならない。 生徒さんは少ないのにレンタルオフィス代はかさむということになりそう。 そもそも、生徒さんが戻ってきてくれるのかどうかわからない。 開催するつもりでいても、また緊急事態宣言が出たりしてダメになるかも。 夏へと向かう今の季節は一年で最高にキラキラしているのに、私はもたもたと考え込んでいます。 勤めている専門学校も、ウエブ会議だ、ウエブ授業だ、教室で授業すると、どんどん変わっていく。 対処するだけで必死です。 あたふたしているだけで時間がビュンビュン過ぎていく。 仕事量は減ってて、儲けはメチャクチャ減ってるのに、なんかやたらと忙しくて疲労度MAXです。 今の締め切りが終わったら、スーパー銭湯と図書館に行きたいです。
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