音楽ジャーナリスト宇野維正氏が、1月15日に初の単著『1998年の宇多田ヒカル』を上梓した。 今回リアルサウンドでは宇野氏にインタビューを行ない、執筆の理由や彼女たちの関係性、1998年という一年がいかに特別だったかについて語ってもらった。 この本を書こうと思ったきっかけは? 宇野維正(以下、宇野):もともと自分はプリンスやザ・スミスやザ・ストーン・ローゼズに夢中だった10代を経て、1996年に株式会社ロッキング・オンに入社して、そこで音楽に携わる仕事をするようになりました。 1998年の時点ではまだ仕事は洋楽が中心だったんですけど、その年に宇多田ヒカルと、椎名林檎と、aikoがデビューした。 宇野:そう、「この3人の新しい作品がまた聞ける、また次のライブが見れる」という気持ちに支えられて仕事をしていたような気さえします(笑)。 そんな彼女たちが揃ってデビューした1998年は、史上最もCDが売れた年でもある。 間違いなく日本のポップミュージックの歴史における最大級の転換点であったにもかかわらず、その事実についてちゃんと記した本がこれまでなかった。 「それなら自分が書こう」と。 では、なぜこのタイミングで? 宇野:2014年末に宇多田ヒカルの楽曲を数々のアーティストたちがカバーしたアルバム『宇多田ヒカルのうた』がリリースされましたよね。 当時、リアルサウンドにも全曲レビューを書きましたが、同じタイミングで自分が半レギュラー的に出演している『WOWOWぷらすと』という番組でも取り上げようということになったんです。 そのときに「椎名林檎も浜崎あゆみもカバーしているし、どうせなら1998年に何が起こったかってことをテーマにしませんか?」という提案をして。 その番組を見ていた新潮社の編集者の方から声を掛けてもらったのが直接的なきっかけです。 宇野:最初は宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoの3人で書こうと思っていたのですが、そうすると音楽ファンだけに向けた本になってしまうかもしれない。 それだと、これまで自分が音楽雑誌や音楽サイトで仕事をしてきたことの延長にしかならないと思ったとき、同じく熱心に作品やライブを追いかけてきた同期の浜崎あゆみの重要性に改めて気づいたんです。 ほかにもSMAPや小沢健二、小室哲哉などが時代のキーパーソンとして文中に登場しますが、改めて宇野さんにとって1998年とはどんな時代だったのでしょう? 宇野:自分が勤務していたロッキング・オンは渋谷駅の南側にあったのですが、数分歩いてガードを抜けると、そこには『HMV』『TOWER RECORDS』『CISCO』『WAVE』、そしてアナログやCDの専門店や中古店が無数にありました。 よく言われているように、当時の渋谷は世界で最もレコードショップが密集した地域でした。 さらに、109やハチ公広場などのあらゆる場所にCDの大きな宣伝ポップが貼られていて、センター街を通ればヒット曲が路上のメガホンから爆音で流れていた。 自分は毎日のように仕事をサボってそのテーマパークで遊んでいたような日々を送ってました。 で、その頃はまだ小室哲哉関連の作品も売れていたし、いわゆる渋谷系のフォロワーもたくさんいましたが、それが、ある日を境に宇多田ヒカルと浜崎あゆみに街がジャックされたような感じになったんです。 あのイントロを聞くと、今でも思い出すのは当時のまるで街全体が躁状態になったような渋谷の風景です。 それを拡大再生産したような風景が、当時日本中の地方都市にオープンしていた外資系大型CDショップで繰り広げられていた。 若い人は『First Love』の850万枚という驚異的なセールスがどうして起こりえたのか想像さえできないかもしれませんが、あの音楽業界が街全体を支配したような風景やそのノイズを記憶していると、当時はどんなありえないようなことも起こりえたんだと思えます。 椎名林檎とaikoに関しては、デビュー当初は小さな事務所でしたが、数年後に個人事務所を作りました。 この3人はいわゆる旧来の芸能プロダクションのシステムから自由だったんです。 にもかかわらず、当時の躁状態とも言えるCDマーケットが追い風にもなって、デビュー直後から1年以内に3人ともブレイクを果たします。 もちろん彼女たちの才能をもってすればどんな時代でも大きな支持を得ることになったと思いますが、そのスピードが速かったこと、そしてその商業的成功を背景に早い段階から自分で自分のキャリアを設計できたこと。 それは、デビューから18年経った現在も彼女たちが第一線で活躍している大きな要因になっていると思います。 そういう時によく「自己プロデュース能力が優れている」という表現がされますが、その前提にはミュージシャン本人が自己プロデュース、セルフブランディングできる立場にいる必要があります。 そういう意味で、彼女たちは当時から時代の一歩先を歩いていました。 それぞれのファンはよく理解していると思うのですが、その外部にいる人たちにはそれがあまり伝わってないような気がずっとしていたんです。 彼女たち、特に宇多田ヒカルと椎名林檎はデビュー時のインパクトが強すぎたせいで、いまだに一般層においては20世紀の頃のイメージが更新されていない。 宇野:そう。 もちろんその背景には、日本における音楽ジャーナリズムの力のなさ、音楽についてものを書く人たちの怠慢もあるので、天に唾をするようなことでもあるのですが。 どうして椎名林檎は東京事変をやっていたか、どうして宇多田ヒカルが海外に進出したのか、ファン以外の人からはあまり理解されていないと感じるからこそ、そこをきっちりと書く必要があるだろうと。 まあ、aikoに関しては20世紀からほとんど実態も変わっていなくて、そこが逆にすごいんですけど(笑)。 宇野:でも、aikoも直近の数作品では長らく彼女の作品を手掛けてきた島田昌典を筆頭とするアレンジャー陣ではなく、ボカロ出身の音楽家であるOSTER Projectを起用していたりと、彼女なりに変化の必要性を感じているのではないかと思います。 その新しい試みに関してはまだアルバムとして結実していないので評価が難しく、今回の本では触れられなかった部分ですが。 ただ、あのaikoでさえも変化の季節を迎えているというのは、このタイミングで本を書いた意義とも直結しています。 つまり、CDというメディアがいよいよ音楽シーンの中心にあるものではなくなってしまった2016年だからこそ、1998年というCD最盛期を検証することに意味があると思ったのです。 彼女を神格化するアーティストや音楽ファンも多く、私自身もその一人ではあるのですが……。 宇野:宇多田ヒカルはいろんな意味で特殊な音楽家です。 まず、極端にライブ活動が少ないこと。 そして、ファンクラブのようなものを一度も作ったことがないこと。 現在の音楽シーンでは、特にキャリアの長いアーティストほど、CDよりもライブやフェスが中心となっていて、不特定多数のリスナーに届けることよりもファンクラブなどの強固なコアファンからの支持を基盤に活動をすることが多くなっています。 宇多田ヒカルが不在だったこの5年間で、それはさらに加速している。 そんな時代に、彼女がどのようにしてシーンの最前線に戻ってくるのか。 とてもワクワクするし、不安でもあります。 宇野:2年前に『First Love』の15周年盤のためにインタビューした時にも語ってくれましたが、宇多田ヒカルってこれまでボツにした曲がほとんどないという、そういう意味でもとても特殊な音楽家なんです。 一度曲を作り始めたら、どんなに途中で苦労しても、完成形まで必ずもっていく。 そんなミュージシャン、他に聞いたことがありません。 だから、2015年の正月に楽曲制作をしていること、そして7月にアルバムの制作中であることをTweetで明かしている以上、近いうちに必ず新作とともに完全復帰すると確信しています。 ただ、本の中でも触れましたが、椎名林檎は某誌に掲載された宇多田との往復書簡で「まずライブからやってみるのはどう?」と提案していました。 宇野:そこで「ライブ」というキーワードをもってくる椎名林檎に、自分は感動してしまった。 そこに、「あまりスタジオ作業に根を詰めすぎないように」だとか、「ライブに慣れていないのは知ってるけど、なんだったら隣にいてあげてもいいよ」だとか、そういう宇多田ヒカルへの思いやりを感じてしまったんですよね。 宇多田ヒカルも椎名林檎もaikoも浜崎あゆみも、我々が想像しているよりもはるかに深く、同期の仲間であるお互いのことを理解している。 それって、宇多田ヒカルのレコーディング方法なんですよね。 それを浜崎あゆみはちゃんとわかっていて、リスペクトを込めて踏襲したわけです。 自分とはまったく違う資質を持った優れた同期の音楽家がいたからこそ、彼女たちは迷わずに自身の道を極めることができた。 これまでの日本のミュージシャンは、キャリアを積んで売り上げがピークから落ちてくると、作品のリリースが開くようになるし、ライブの本数も減っていきますが、活動休止中の宇多田ヒカル以外の3人は近年リリースのペースはむしろ上がっているし、ライブの本数も増えている。 まるでマラソンの並走者のように、同期の存在が彼女たちの精力的な活動を支えているようにさえ思えてくる。
次のドラマ「M 愛すべき人がいて」のネタバレ ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました! 気になる箇所へ飛んでみてくださいませ! ドラマ「M 愛すべき人がいて」やスピンオフ配信「L 礼香の真実」をたっぷり楽しむなら で! ドラマ「M 愛すべき人がいて」のAXELS(アクセルズ)とは 「黒」は最もパフォーマンスに秀でた者がまとうことが多い。 ONEPIXCELの面影も。 「新天地」東宝芸能におけるパイオニアとなったことへの、avexによる「評価」の表れと感じる。 彼女はまた新時代を切り拓いた。 — まーくん マロンNEXT2020 asamintsumiko AXELS(アクセルズ)とはレコード会社「A VICTORY」の流川翔(白濱亜嵐)がプロデュースしたガールズユニット。 【メンバー】 ・玉木理沙(久保田紗友) ・西谷真理(傳彩夏) ・静香(川村 海乃) ・奈緒(齊藤英里) マサとのプロデュース勝負で追い込まれてしまい、マサを排除したい大浜から秘密裏に巨額の売り出し資金を提供されると、勝負に勝つためにカッコをつけることをやめ、なりふり構わずその資金を受け取り不正な方法でアユとAXELSとのデビューCD売上対決に勝利する。 しかし、引き続き大浜から資金提供を受けながらも以降は徐々に売上順位を落としていき、3rdシングル発売時にはアユに大きく差をあけられ負けと言わざるを得ない状況に陥ってしまう。 AXELS(アクセルズ)のモデルはMISSION(ミッション)? M愛すべき人で、浜崎あゆみをいじめていたAXELSの元ネタは、MISSIONかTRINITY説どっちなんだろ?伊集院光さんがアユいじめを目撃してたらしいから実際にあったんだろうけどね。 確かMISSIONのメンバーがアユと昔友達だったみたいな話もあったが… — Disappear mm55996484 AXELS(アクセルズ)のモデルとして濃厚なのがMISSION(ミッション)です。 MISSION(ミッション)とは、1998年6月にフジテレビの『アイドルハイスクール 芸能女学館』に出演していた女子生徒の中から、avexの松浦勝人によって選ばれた5人でグループを結成されました。 プロデュースは平哲夫。 1998年7月23日、シングル『素肌の季節』でエイベックスよりデビュー。 4枚目のシングル『かわいいんじゃない?』でオリコン初登場24位を記録するも、アルバムリリースが無いまま2000年に解散しました。 浜崎あゆみさんと2つ・3つ年下だし、当時中学生のメンバーもいたし — hiro 30Shingaku AXELSのモデルはMAXかと思ったが、ネットで調べてみるとMISSIONがモデルだった。 MISSIONは浜崎あゆみ 歌手デビューから約3か月半 1998年7月23日CDデビュー ドラマ版では浜崎あゆみとAXELS(モデルはMISSION)との対決今後も目が離せません。 — Shimpei Koyano koyanoshimpei AXELSのモデルMISSION説あるけど、TRFや相川七瀬と違ってわざわざオリジナル曲でやってるし、ドラマ内では枕営業とか脱臼させるほどのいじめなどマイナスイメージがつく描写もあるからデビュー年が同じというだけで憶測で名前を出すのは迷惑じゃないですか…。 — osoneki PoliteSauce が放送再開されて楽しみがまた増えた AXELSのあの歌と衣装の感じ、やっぱりMISSIONがモデルっぽいな 人数違うけど、あゆとデビュー年は一緒だし...。 最初MAXかな?と思ったけど、SPEED・MAX・Dreamはデビュー年違うし、何より曲調があの感じなら間違いない気がする...。 グループ解散後はHipp'sのメンバーとして活動するが、CDデビュー前に脱退と同時に芸能界を引退。 現在は福岡在住で美容関係の仕事をしている。 橋本真実 セカンドボーカル。 4枚目のシングル『かわいいんじゃない?』リリース後、解散前に脱退。 現在も同事務所に所属し、タレント活動中。 三浦絵理子 解散後、女優としてドラマ出演。 芸能界を離れて埼玉県戸田市で子供服店のオーナーを務めていたが、2008年8月30日閉店。 直後の10月23日に芸能活動を再開したが、2009年5月30日のブログにて再度芸能界引退を発表した。 折田みゆき 解散後はHipp'sのメンバーとして再デビュー。 『THE夜もヒッパレ』終了と同時に芸能界を引退。 佐藤千寿子 解散と同時に芸能界を引退。 2005年に結婚しており、現在は長野在住。 MISSION(ミッション)のメンバーの現在 MISSIONのメンバーで現在唯一芸能界に残っているのが橋本真実さんです。 橋本真実さんは、ドラマで井浦新さん演じる中堂系の亡くなった恋人役・糀谷夕希子役を演じておられました。 物語の根幹とも言える大きな事件の切っ掛けとなる人物を演じられていました。 他にも最近では ・「集団左遷!!」 ・「盤上の向日葵」 などに出演されていました。 これからも色々なドラマに出演し、存在感ある役どころを見せくれるかもですね! AXELS(アクセルズ)のモデルは本当にMISSION(ミッション)なのか 正直、アクセルズのモデルが本当にミッションなのかは分かりません。 結構ここを言い切っているサイトなども多いですが、100%確実だと言えるような根拠は何もありません。 なので、間違いなくアクセルズのモデルがミッションだとは言えません。 参考程度に考えておきましょう! ちなみに、AXELS(アクセルズ)はドラマ6話で大変な事になります! ドラマ「M愛すべき人がいて」6話の内容はこちらからご確認ください! ドラマ「M 愛すべき人がいて」の動画配信は? ドラマ「M 愛すべき人がいて」の動画配信は、おそらく見逃し配信としてはTVerでは配信されません。 このドラマは、テレビ朝日とAbemaTV共同制作ドラマなので、AbemaTVでのみ配信されております。 全話配信として、テレビ朝日は最近ビデオパス(テラサ)で配信される事が多いので、ビデオパス(テラサ)でも配信されるかもしれませんが・・・今のところ配信されていません。。 それでも、浜崎あゆみさんと、松浦勝人さんが思いっきり絡むというか、そのもののドラマというか・・・な感じなので、色々と権利の問題とか面倒な事があって、よくある配信サービスで配信されない可能性もあります。 2020年4月から、無事に放送が開始されたドラマ「M 愛すべき人がいて」を楽しみにしましょう! 【関連記事】.
次のドラマ『M愛すべき人がいて』ではアユはガールズバンドに加入?! ドラマ『M愛すべき人がいて』の第3話では主人公のアユがガールズバンドに加入させられそうになるというお話だそうです。 第3話のあらすじは以下の通り。 レコード会社A VICTORYの社長・大浜(高嶋政伸)は、流川翔(白濱亜嵐)がプロデュースする4人組ガールズグループにアユ(安斉かれん)を追加して5人組でデビューさせるとマサ(三浦翔平)に告げる。 反論するマサだが、決定事項だと一蹴されてしまう。 会社の決定になすすべもないマサは、アユにガールズグループのセンターとして4月8日にデビューすることが決まったと報告する。 ソロでのデビューを夢見ていたアユは、複雑な気持ちを押し殺して無理に喜んだふりをするが…。 翌日、マサは会議にアユを連れて行き、役員たちの前でソロデビューさせると告げる。 しかし、大浜やほかの役員たちは、アユを見て口々にこき下ろし始める。 何を言われても笑顔で耐えるアユの姿を見たマサは、アユが売れなかったら会社を辞めると宣言する。 一方、マサの秘書・礼香(田中みな実)は、「あなたは泥棒の手をしている。 私の大切なものを奪わないでね?」とアユに宣戦布告し…。 ある時、ふとアユが語る言葉の数々を思い出したマサは、アユに歌詞を書いてみるよう指示。 作詞なんて無理…と弱気になるアユだが、祖母・幸子(市毛良枝)の励ましを胸に、自分の思いを歌詞に込める作業に没頭する。 アユが初めての作詞に四苦八苦する中、心の支えでもある幸子が倒れてしまう…。 引用: ドラマ『M愛すべき人がいて』のガールズバンドのモデルは? 浜崎あゆみさんの実話をベースにしたドラマにて浜崎あゆみさんがデビュー前に加入しそうになったガールズバンドとは一体どのグループがモデルとなっているのでしょうか? 調べたところ公式の情報は残念ながらありませんでした。 しかし、可能性として2つのグループ出てきました。 1999年8月10日、オーディション『 avex dream 2000』でグランプリを受賞した松室麻衣さん、橘佳奈さん、長谷部優さんの3人でdreamを結成。 2000年にこの3人で「dream」としてデビュー。 もしかしたらこのグループのセンターとして浜崎あゆみさんが唄っていたかもしれなかったんですね。 メンバーは沖弥生(おきやよい)さん、橋本真実(はしもとまみ)さん、三浦絵理子(みうらえりこ)さん、折田みゆき(おりたみゆき)さん、佐藤千寿子(さとうちずこ)さん。 浜崎あゆみさんがドラマのように5人目として加入していたら、もしかしたらこの中の誰かのポジションを取っていたかもしれないですね。 デビューシングルは1998年に発売された「 素肌の季節」でした。 そしてこちらがMISSIONの動画です。 ちなみにこのグループのプロデュースは 平哲夫さんでした。 懐かしいですね! う~ん、どちらのグループがモデルだったのでしょうか?! 浜崎あゆみのデビュー時期と比較! 浜崎あゆみさんは 1998年4月8日にシングル「 poker face」でソロ歌手としてデビューされています。 「Dream」がデビューしたのは 2000年。 しかも1999年8月10日、オーディション『avex dream 2000』でグランプリを受賞した3人からなるグループでした。 となると、時期的に「Dream」の可能性は低そうですね・・・。 「MISSION」は1998年6月にフジテレビの『アイドルハイスクール 芸能女学館』から松浦勝人さんが選んだ女性アイドル5人組。 浜崎あゆみさんのデビューが同年4月8日なので、こちらも時期的に可能性が伺わしいですね・・・。 ですが「5人組」というところは当てはまります。 そして時期的に「Dream」よりは間隔が近いです。 もしかしたら時期を少しずらして小説ならびにドラマが描かれているのかもしれませんね。 まとめ 『【ドラマM】あゆが加入しかけたガールズグループのモデルは誰?』と題し、浜崎あゆみさんがデビュー前に加入しそうになったガールズグループのモデルを調べてみました。 ネット上では「Dream」もしくは「MISSION」なのではないかという声がありますが、両グループとも時期的に少しずれています。 一体どのグループだったんでしょうね。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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