はじめましてKAI-YOUインターンの森田です。 1月に放送されたオリジナルTVアニメ『 』(通称: よりもい)が、ニューヨーク・タイムズが発表した「 ベストTV 2018 インターナショナル部門」(The Best International Shows)に選出されました。 日本のアニメが「The Best International Shows」に選出されるのは2016年の『』以来2回目の快挙。 『 』が ニューヨーク・タイムズの ベストTV 2018 インターナショナル部門に選出されました。 一アニメファンとしてとてもうれしく思います。 ……と、アニメファンを自称している僕ですが、 実は『よりもい』を見るまでほとんどアニメを見てきませんでした。 そんな僕にアニメの素晴らしさを教えてくれた『よりもい』の魅力を、改めて皆さんと共有したいと思います。 南極を目指す女子高生の青春グラフィティ 『宇宙よりも遠い場所』はマッドハウスによるオリジナルアニメ作品。 監督は いしづかあつこさん、シリーズ構成/脚本は 花田十輝さんが手がけています。 オリジナルTVアニメーション『宇宙よりも遠い場所』PV 群馬県の高校に通う玉木マリが、南極を目指す少女・小淵沢報瀬(こぶちざわしらせ)との出会いをきっかけに、のちに出会う三宅日向、白石結月とともに南極を目指す姿をみずみずしく描いた作品です。 何かを始めたいと思いながら、 中々一歩を踏み出すことのできないまま 高校2年生になってしまった少女・玉木マリたまき・まりことキマリは、 とあることをきっかけに 南極を目指す少女・小淵沢報瀬こぶちざわ・しらせと出会う。 高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、 絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、 報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。 参加したかった…。 『よりもい』が忘れていた青春を思い出させてくれる 画像はすべて『宇宙よりも遠い場所』公式サイトより これは完全な偏見かつ、個人的な話で非常に申し訳ないのですが、だれにでも若く純粋で、活力に満ちていた「青春」と呼ばれる時代があったと思います。 僕の場合は部活動でバスケに熱中していた高校時代が思い浮かぶのですが、いま振り返ってみると毎日が「青春」でした。 「青春」だった高校を卒業して、なんとなく大学に進学してみたはいいものの、毎日うだつの上がらない大学生活を過ごしていました。 そんなときに、ふとしたきっかけで視聴したのが『よりもい』でした。 魅力的な個性やバックグラウンドを持つ4人の主人公たちが、迷い戸惑いながら仲間とともに乗り越えるべき過去や困難に立ち向かう姿は、まさに「青春」そのものです。 女子高生が南極に行こうとするってすごいことですよね。 お金もかかるしいろいろなしがらみがつきまとって、どうしても非現実的に思えてしまいます。 しかし、多くの逆境にも挫けず、絶対にあきらめない彼女たちの強い思いが実を結んでいく過程は、僕自身の高校時代と少なからず重なって、忘れかけていた「青春」の素晴らしさを思い出させてくれました。 それでいて、「なんやかんやで全員の人間関係が丸く収まる」ことなく、 曖昧で適当な手打ちにしないリアリティの高さも「青春」の持つ別の側面を的確に描いていたと思います。 OPもEDも挿入歌も、すべてが名曲 『よりもい』はOPにED、さらには挿入歌に至るまで、そのすべてが最高です! sayaさんが歌うOP主題歌「 The Girls Are Alright! 」は作詞/作曲をクラムボンの ミトさんが手がけています。 そしてメインキャストをつとめ、それぞれソロアーティストとしても活躍しているさん、さん、さん、さんの4人が歌うED主題歌「 ここから、ここから」。 作詞/作曲をさんです。 当初、声優は特に気にせず視聴していましたが、『よりもい』をきっかけにいろいろなアニメを観るようになってから、声優陣の豪華さを実感して驚愕しました。 余談ですが、編集部の恩田さんが「いま思えば全員が主人公なのだから(声優)全員が主役級でもなんら不思議はないね」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。 OPテーマ『The Girls Are Alright! 毎話絶妙なタイミングで流れて神回と呼ぶにふさわしい演出をするのですが、それが1ミリもくどくありません。 最終話は名曲メドレー状態でずっと鳥肌が立っていました! 国も文化も違う人にも評価される『よりもい』すごすぎる 正直、僕の文章力ではまだまだ『よりもい』の魅力は語りきれません。 まだ観ていないという方が、少しでも興味を持っていただけたなら、ぜひKAI-YOU編集部によるレビュー記事も読んでみてください。 最後に、最終話のサブタイトル「 きっとまた旅に出る」は、彼女たちの「青春」がまだ続いていることを感じさせ、いつかまた彼女たちの姿を見ることができるのではないかと期待してしまいます。 Amazon Prime Videoで配信されているので、未視聴の方はぜひ一度だけでも観てみてください。 僕ももう一度、第1話「青春しゃくまんえん」からはじめてみようと思います。
次の『宇宙よりも遠い場所』の感想を12話だけ書くことにしました。 本当は総括もしたいのですが、人の感想やレビューを散々見てしまいまとまらなそうなので12話だけ。 『宇宙よりも遠い場所』が素晴らしいアニメだということは既に語り尽くされたことではあります。 なんですがこのまま漫然としていると、何回も本編を見返して泣く、まとめサイトや海外の反応を巡ってまた泣くという不毛な行為をひたすら繰り返してしまいそうなので、自分なりの感想というのを形にしておくべきだと思いました。 結局ラストシーンについてだけになってしまいましたが記事にします。 報瀬は母が南極で消息を絶ったという連絡を受けてから3年後の今まで、母の死というものを実感できずにいました。 遺体は見つかっておらず死に顔も拝めていません。 また、元々家を空けがちな人だったということもあり報瀬の日常はそれまで通り続いていきます。 当時中学生で人の死について知識として知っていても、実感するには難しい状況だったかもしれません。 そしてなにより、もう亡くなったはずの母に向けてメールを書いているシーンが何度も登場します。 南極に着いたあとも、遺品のPCを見つけてもまだ報瀬の感情が大きく揺れ動くことはありません。 話は逸れますが、シングルマザー(?)でありながら一人娘を置いて南極まで行った貴子に対して「薄情な親だ」と思う人もいるのかもしれません。 もしかしたらまだ幼い報瀬本人も寂しさを募らせ、そう思う時があったのかも。 ただ、PCに親子の写真を貼り娘の誕生日をパスワードにしているところからから報瀬への愛情を垣間見ることができます。 PCを開きメーラーを開く報瀬。 最後に受信済みのメールは普通の業務関連のものなので行方不明以降に受信を行っていないことがわかります。 そして送受信を行うと……。 報瀬から母へ向けたメールが次々と受信されます。 3年前から送り続けてきたメールが。 報瀬のメールは今、本人の手によって初めて母のPCの元へと届きました。 母の死についてわかっていながら「もしかしたら読んでくれているのかも」と思い送り続けてきたメールは、ただの一通も母に読まれることはありませんでした。 数字として現れるこの明確な事実が母は死んだのだと報瀬に嫌でも実感させます。 また、未読メールの数は報瀬の思いの大きさに直結しています。 報瀬本人すら把握していなかったであろう3年間送り続けたメールの件数。 未読のカウントが増えるたびに、自分がどれだけいなくなった母を思い続けてきたのかを再認識させます。 心のダムは決壊し嗚咽と涙が溢れ出てきます。 しかし、これで報瀬は3年越しに母の死を実感し、悲しみ、悼むことができました。 『よりもい』の監督であるいしづかあつこさんはこのシーンについてで以下のように語っています。 これは、花田さんが自らの実体験から着想を得たものです。 物語の最後、報瀬にどう「とどめを刺すか」悩んでいた際、ふとメーラーを立ち上げたときに思い付いたそうです。 ただ、本来アニメとしてはやらない表現なんですね。 普通キャラクターを泣かせる場面というのは、そこに感情のぶつかり合いがあったりとか、もしくは1人孤独な中独白が流れたり、思い出のフラッシュバックがあったりして、分かりやすい記号が用いられます。 第12話のように画面だけで泣かせるというのは、記号として非常に難しいんです。 だから私としても「これはまずい」と内心思っていたんですが(笑)、ただアイデアそのものが面白かったので、その内心を隠して挑戦してみることにしました。 言葉はなく、数字が淡々と増えていくという描写でここまで魅せられるのはすごいと思いました。 報瀬役の花澤香菜さんの嗚咽の演技も感極まるものがありましたね。
次の宇宙よりも遠い場所とは 「宇宙よりも遠い場所」はAmazon プライム・ビデオで見ることができる 「 」とは、Amazon プライム・ビデオで見ることができるアニメです。 2018年1月から3月にかけてTVアニメとして放送されていました。 それがいまなら、プライム会員であればプライム・ビデオで無料で見ることができます。 まだプライム会員でない人はこの機会にぜひプライム会員になっておきましょう。 とプライム会員のPRを織りまぜてお伝えしておりますが、PRを抜きにしてもおすすめしたいアニメです。 「宇宙よりも遠い場所」第1話のあらすじ(ネタバレあり) 第1話のあらすじを紹介します。 何かを始めたいと思いながら、中々一歩を踏み出すことのできないまま高校2年生になってしまった少女・玉木マリ たまき・まり ことキマリは、とあることをきっかけに南極を目指す少女・小淵沢報瀬 こぶちざわ・しらせ と出会う。 高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。 より引用 第1話の冒頭のナレーションからこのアニメに惹き込まれます。 淀んだ水がたまっている それが一気に流れていくのが好きだった 決壊し、解放され、走り出す 淀みの中でたくわえた力が爆発して すべてが動き出す 水たまりに浮かんだ笹舟が、水の流れに乗って大きく進み出す。 ナレーションとともにそんな描画からこの話が始まります。 希望に満ちたスタートです。 しかし、主人公の玉木マリの現状はそうではありませんでした。 高校生になるときに、高校に入ったらしたいことをリスト化していました。 しかし高2になっても何一つしていないことに気がつきます。 そこで「一度だけ学校をサボ」って「あてのない旅に出」ることにします。 しかし、あと一歩のところでできませんでした。 やったことのないことを始めて• うまくいかなかったらどうしようって• 失敗したらイヤだなって• 後悔するだろうなって いつも怖くなってしまう。 そんな自分が嫌い、大嫌いでした。 ある日あるできごとで知り合った同じ高校の小淵沢報瀬が南極へ行くことを聞かされます。 小淵沢の母が南極観測隊員で、小淵沢が中学生の時に行方不明になってしまう。 だから小淵沢は自分が見つけに南極へ行くと決めた、と。 玉木「南極に、行けるの?」 それに対して、 小淵沢「みんなそう言う。 ばあちゃんも友達も先生も先輩も近所の人も、子どもが行けるのかって、いくらかかると思ってるんだって」 でも 「私は行く。 絶対に行って、無理だって言った全員にざまあみろって言ってやる」 と力強く言う。 玉木はそんな小渕沢を「応援する」と言う。 「なにか手伝えることない?あったら言って」と。 すると小淵沢は「じゃあ一緒に行く?」 「前にもそういうこと言ってくれる人が何人かいた。 でもみんなすぐいなくなるの。 やっぱり無理だとか、友達に止められたとか、怖くなったとか。 でもそれが普通だと思う」 玉木「違う。 私はそんな簡単な気持ちで言ったわけじゃなくて…」 と言ったところで、あるパンフレットを差し出される。 それは南極観測船の一般公開のパンフレットだった。 小淵沢「船の下見。 ここに来て。 来たら本気だって信じる」 玉木たちが住むのは群馬県館林市。 一般公開は広島でおこなわれるものだった。 玉木は自分を変えるために、怖いけどやめちゃいたいけど、意味のないことなのかもしれないけど、行動を起こすことにするのでした。 「宇宙よりも遠い場所」から学んだこと やりたいことをやれているか 多くの人がそうであるように私も年始に今年の目標を立てます。 スローガンを打ち出したり、やりたいことリストのようにより具体的なものまで様々です。 そして年末に一年を振り返ったときに、やりたいことリストのうち、全然できていないことにがっかりします。 リストがあったことすら忘れていることも。 「 」の主人公の玉木マリも同じです。 高校2年生になっても高校に入ったらやりたいことの何一つやっていないのです。 ダメだなぁという話ではありません。 多くの人がそうなんだということを知らせているのです。 ToDoリストやルーチンワークは言い換えると「やらなければならないことリスト」です。 私たちはやらなければいけないことをやって、やりたいことはできていないことが多いのです。 特に新しいことを始めるときは選択や決断を迫られ、行動を起こすことになります。 簡単にできてしまう人もいるでしょうが、多くの人はこれがなかなか難しい。 新しくなにか始めるときにはいろいろと考えてしまう。 うまくいかなかったらどうしよう• 失敗したらイヤだな• 後悔するだろうな って。 だから行動を起こすことを躊躇してしまう。 そしてやらないことを選んでしまう。 行動することは、怖いのです。 変化することは、怖いのです。 「 」の主人公の玉木マリも同じでした。 けれど、そんな自分のことが嫌いで、大嫌いで、変えたくて一歩踏み出します。 一歩踏み出す勇気がどれほど大変で、悩んで苦しんで決断するのか描かれています。 うまくいかないかもしれない、失敗するかもしれない、後悔するかもしれない。 けれど 一歩踏み出してしまえば道が拓ける。 成功するとは限りません。 大ダメージを負う可能性だってあります。 しかし、 一歩踏み出さないとその先に道が拓けることはないんだってことを主人公の玉木から教わった気がします。 やれるわけがないというレッテルを貼ってはいけない レッテル貼り。 「一方的に、ある評価・判断を下す」という意味。 自分が自分に対してレッテルを貼ることもあれば、他人からレッテルを貼られることもあります。 私にはできるわけがない• お前にはできるわけがない このようなレッテル貼りは限りなく可能性を潰してしまいます。 できるかもしれないし失敗するかもしれない。 それはやってみないとわからないことです。 それを やる前から決めつけてしまうことは本当によくないことです。 「 」の登場人物である小淵沢は南極に行くと言っています。 しかし誰も彼もがそんなことできるわけがないと言ってきます。 そんな小淵沢は 「私は行く。 絶対に行って、無理だって言った全員にざまあみろって言ってやる」 と言い切ります。 自分にはできると思っているし、できないとレッテルを貼ってきた奴らに自分の行動を起こした姿を見せつけてやるんだという強い意志が感じられます。 行動や変化に対して怖いと感じるのはある意味で正常な感覚です。 人が安定を求めるのは正常な感覚です。 だからといって やる前からできないと決めつけるのは大間違いです。 やってみて初めて、できた・できなかったかという結果がわかるわけで、やる前は誰にもわからないはずです。 それをやる前からできないと決めつけてしまうのは可能性を消してしまうことになるのではないでしょうか。 それはもったいない。 ましてや他人からできないとレッテルを貼られて自分でもそう思ってしまうのは、自分の可能性を信じていないと言えるのではないでしょうか。 せめて 自分だけは自分のことを信じて、やれると思って行動を起こしたいですね。 最後に まだ1話しか見ていませんが、主人公の玉木が自分と重なる部分が多くあって、だいぶ感情移入して観ていました。 なにか新しいことをするのは怖い。 でも一歩踏み出さなきゃ始まらない。 ましてや人がなんと言おうと可能性を信じなきゃ始まらない。 そんなことをこのアニメを通して学んだような気がします。 学んだというか、私自身、もっと自信を持って挑戦しろとエールを送られたような気がします。 興味が湧いたらぜひ「 」を観てみてください。 最後まで読んでくれてありがとうございました。 モリ()でした。
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