まっしぐら の特徴 -おいしいお米通販人気ランキング まっしぐら の産地・特徴 「まっしぐら」は、母「奥羽341号」父「山形40号」を交配させ育成した、青森のブランド米の一つです。 そのデビューは平成18年と比較的新しいお米ですが、現在では、青森県内の様々な地域に普及するようになっています。 その交配からも分かるように、東北スペシャルともいえる東北の土壌に適した配合です。 いもち病抵抗性が高いだけでなく、収量も多く食味にも優れています。 名前の由来は、食味・品質をまっしぐらに追及していくという意味合いから来ています。 適度な弾力もあり、粘り気が少ないという特徴があります。 また味がさっぱりとしていて、粒がしっかりとしています。 弾力のある食感は若い方にも愛される食感ですし、カレーや汁物などの料理との相性が良いことも魅力の一つです。 炊きあがりのツヤの良さや粒ぞろいの良さなども特徴の一つで、見た目の良さと食味、食感の三拍子揃ったお米と言えます。 価格的にも比較的求めやすい設定で、優良なブランド米として価格面でも魅力的なお米です。 青森県推奨米として青森米の代表格として作付も多くなされており、今後の拡大が期待される新ブランド米の一つです。 こうした日照時間の長さが、まっしぐらの単位面積当たりの収量の多さや健康な生育を支えています。
次のインドの結婚の目的は、ズバリ「子づくり」 今年の春、友人の元同僚が結婚式をするというので、インドの結婚式という魅惑的な響きに惹かれて滞在先から少し足を伸ばしてこの結婚式に参列してきた。 デリーなどの都市部の一部では、恋愛結婚も随分と浸透しているようだが、多くの地域ではいまだに見合い婚の文化が根強いインド。 適齢期になると、同じカーストで収入レベルも近しいような適当な相手をそれぞれの家族が探してくるそうだ。 今回私が参加させてもらったのは、15年近くお互いに顔見知りという20代の2人の結婚式だった。 歩いて5分ほどの家に住んでいるご近所同士で、新婦の姉が新郎と学校の同級生だったらしい。 インドの結婚の目的は、ズバリ「子づくり」。 儀式における全てが、若い男女が子どもをもうけるための重要なプロセスとして設計されていることに、私は衝撃を覚えた。 また、インドの結婚式に参列して印象的だったのは、日本が過去のものとしはじめている伝統的な性別役割分業だ。 儀式のスタイルも、その準備も、全てに「男の仕事」「女の仕事」というカルチャーが見てとれる。 まず結婚式がとにかく長い。 日本ではせいぜいお昼頃から始まって数時間といったところだろうか。 しかし、インドの結婚式はとにかく伝統的な儀式が数日にわたって延々と続くのだ。 私は、メインの儀式の当日の朝から参加させてもらった。 まず、家の庭に大量の水とお花を用意して、家族全員が新郎にお花入りの水を浴びさせるところから始まる。 そんな細々とした取り決めが山のようにあり、様々な儀式をこなしていくことになる。 儀式を取り仕切るのは、女性たちだ。 新郎の母親や従姉妹がぞろぞろと10人ぐらい出てきて、ワイワイと、そしてテキパキと全ての儀式の準備をこなす。 この地域ではいまだに専業主婦が多く、男性が外に働きに出て、女性が家のことを完璧に取り仕切っている。 数日間続く儀式の間、男性たちはまるで空気のように振る舞い、何かを手伝うわけでもなく、邪魔になりそうなタイミングを察知してはその場から消えていった。 なんで男性は何もしないのか? と尋ねると「家のことをやるのが私の役割だから。 それに彼らにやらせたら大変なことになるわよ」と笑っていた。 やや脱線してしまうが、インドの女性たちは女性同士で極めて強固なコミュニティを形成している。 遠い東の国からきた私に対しても、とてもインクルーシブで、一緒に過ごした数日間、いつも私が孤立しないように誰かが一緒にいてくれた。 こうやって女性たちが団結して家を守るのだなと、感心してしまう。 「ファーストナイト」をみんなでお膳立て…。 さて、メインの儀式が迫ってきた。 伝統的なアレンジマリッジの風習に則って、二人がやっと顔を合わせるのは、新郎が新婦の親を目の前にして、「彼女を一生養っていく」という誓いをたてた後だ。 新郎が誓いをたてると、二人の間を隔てていた布が取り払われ、初めてお互いの顔を知ることになる。 今回の新郎新婦のケースのように、もともと知り合いであることもあるが、儀式は伝統に則って遂行される。 なんといったらいいか、まるで下見に行かずに不動産を契約するようなものだなと驚愕させられる。 どんなものが出てくるかわからないのに、その人を一生養う誓いを立てるというのはどんな気分なんだろうかと、見ているこちらとしては、悶々と考えさせられてしまう。 何よりも生々しいのが「ファーストナイト」と呼ばれる儀式である。 結婚式の翌日に新婦が初めて新郎の家にやってくるのだが、その日の夜が、二人が過ごす初めての夜、通称ファーストナイトだ。 夕方をすぎると、これまた家の中で粛々と儀式が信仰される。 この儀式が何とも独特だ。 既婚の女性たちと新郎新婦の二人の間でココナッツの実を行き来させるのだ。 一体どういう儀式なんだろうと思い聞いてみると「子どもを授かることを祈る儀式よ。 」と儀式の準備を取り仕切っていた新郎のいとこがニヤニヤしながら教えてくれた。 そのあとさらに、何やらそわそわした空気が漂い、新郎新婦のスキンシップを促すためにあれやこれやのゲームが続く。 天井から吊るしたリンゴを新郎が新婦を抱っこしてとるゲームだったり、新郎の足の上に新婦の足を重ねるゲームだったり・・・ 次第に二人の物理的距離が近くなっていく。 新郎新婦は前日の儀式で初めて顔を合わせているので、ファーストナイトではまだ心理的にも距離がある。 初対面の人と一緒に夜を過ごす前に、ふたりが仲良くなるための儀式なのだった。 そして、二人は新郎の部屋に消えていった。 時には生々しく感じるほどに徹底して、子どもをもつための合理的選択として機能する彼らの結婚。 その始まりの儀式としての結婚式であった。 インドでの結婚の目的はとにかく単純明快、子どもをもつことだ。 そのために男性が仕事をして、女性たちが家庭を守る。 女性側の家族は経済的に支えてくれる適当な男性を探し、男性側の家族は子どもを産み家庭のことを完璧にこなしてくれる女性を探す。 お互いのニーズが一致した適当な相手と適当なタイミングで結婚するのだ。 それは着実に人口も増えるなと、納得してしまう一連のイベントである。 どうなる、日本の結婚制度!? ひるがえって、日本の結婚事情はどうだろうか。 日本ではここ最近、家族のあり方がかなり多様化している。 結婚をするのも子どもを産むのも、個人の人生の選択肢の一つであるという価値観が根強くなってきているように感じる。 実際に2009年に行われた内閣府の男女共同参画社会に関する世論調査でも「結婚は個人の自由であるから、結婚してもしなくてもどちらでもよい」という質問に対して、「賛成」と「どちらかといえば賛成」と答えた人を合わせると70パーセントにのぼる。 1992年には61パーセントほどだったことから比較しても、次第に、急速に、ライフスタイル観の多様化が進んでいる。 (もちろん、当然のことだと思う。 ) 彼の世代は、当たり前のようにそうした価値観の中で生きていたのだと思う。 しかし今は違う。 日本の少子化の原因は、両立の大変さや高すぎる教育費などあげれらキリがないが、やはりこうした「結婚しても、しなくてもいい」という選択肢を求める動き、価値観の多様化も切って切り離せないと思う。 そして、この変化は誰にも止めることができないし、もちろん止められるべきでもない。 インドの伝統的な結婚式を見て「そりゃ人口は安定的に増えるわけだ」と感じたが、日本社会がそうではなくなっている今、結婚制度は今後、どこに向かっていくべきだろうか。 改めて考えさせられる。 「パラサイト・シングル」「婚活」などの言葉の生みの親である社会学者の山田昌弘さんが『結婚不要社会』の中で、近代社会における家族は「生活共同と親密性(を兼ね備えた)の単位」であったと指摘している。 結婚は経済的にもメリットがあり、心理的にも満たされるものだった。 しかし最近はどうだろう。 女性一人でも十分に稼いで生きていけるようになってきている。 パートナーがいなくても、シェアハウスなどに住めば、親密な共同体に所属している親密感を得ることができる。 結婚もせず、子どももいなくてもいかようにも楽しく人生を終えられるのだ。 まだまだ、全ての女性に十分な選択肢が約束されている世の中とは言い難いが、女性が結婚せずに子どもをもうけて、シェアハウスに住んで子育てする例などもある。 実家やシッターサービスを活用して、仕事と育児をやりくりすることももっとしやすくなるだろう。 こんな時代の日本で、結婚はどんな意味をもつようになるのだろうか。 徹底的に子孫繁栄を目的としたインドの結婚を目の当たりにすると、私たちの新しい時代の結婚の目的とあり方とは何なのかを深刻に考えさせられる数日間であった。
次の以前の漢字文化資料館で掲載していた記事です。 2008 年以前の古い記事のため、ご留意ください。 Q0465 「驀地」と書いて、なんと読むのですか? A 「驀」なんて、見慣れない漢字ですよね。 ブラウザの画面だと細かいところがよくわからないかもしれませんから、拡大して図に掲げておきましょう。 さて、この漢字、「馬」が入っていますが、本来は馬に乗って走ることを意味する漢字です。 そこから転じて「一直線に」といった意味で使われることがあります。 音読みではバクです。 では、「驀地」とは「地面の上を一直線に」といった意味になるかといえば、ちょっと違います。 「地」には実は、中国語では副詞を作る接尾語になる、というむずかしい働きがあって、この「驀地」の場合も、その働きをしているのです。 それは、簡単に申し上げると、この「地」にはそんなに深い意味はなく、「驀地」とは「驀」1字とほぼ同じ意味、「一直線に」という意味になる、ということです。 さて、この熟語の読み方ですが、音読みでバクチ、と読むことも、もちろんあります。 ただ、やっぱりそれだとあちら方面に連想が働くからでしょうか、そうは読まないで、二字でまとめて「まっしぐら」と読むことの方が多いようです。 これは、明治の小説などを読んでいるとよく出会う熟字訓です。 たとえば、夏目漱石がロンドン留学中、自転車に乗る練習をした際のことを記した「自転車日記」の中に、次のようにあります。 わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、…(中略)…人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず 驀地に前進するの義なり、 あの漱石が、自転車を相手に四苦八苦している様子が、よく伝わってきますよね。
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