もうすぐ13歳になるアン・シャーリーは、クスバート家でのマシュウとマリラとの生活にすっかり慣れ、腹心の友ダイアナ・バーリーとの友情も深まるばかりだった。 一緒にタフィーを作りながら、おしゃべりに夢中になり、焦がしてしまって笑うふたり。 ダイアナの母、バーリー夫人から泊まりに来るよう招待されたアンは大喜びするが、子供扱いし「外泊は許さない」と厳しいマリラ。 でもマシュウは常にアンの味方だ。 ところが当日、オバケの想像をしすぎたアンは怖くなり、バーリー家で部屋を間違え、滞在中の老婦人、ジョセフィン伯母さんを死ぬほど驚かせてしまう。 そのせいでダイアナが苦境に陥ったと知り、アンが謝りに行くと、ジョセフィン伯母さんはアンの話を面白がり、たちまち機嫌を直す。 学校では、アンは幾何学が苦手で劣等生扱いされていたが、しだいに成績を上げ、人気者のギルバートと熾烈なトップ争いを繰り広げるまでになった。 2年前に赤毛をからかわれて以来、ギルバートを無視していたアン。 しかし、ギルバートがアンに贈ろうとしたリンゴを巡って、教師が彼だけを厳しく罰しようとしたとき、アンは「不公平」だと抗議。 それを機にギルバートと言葉を交わすようになる。 アン・シャーリー エラ・バレンタイン Ella Ballentine 2001年、カナダのオンタリオ州トロント生まれ。 「鉄道きょうだい」(11)で舞台デビュー。 ミュージカル「Numbers」(12)に主演し高い評価を受ける。 「レ・ミゼラブル」(13)トロント公演にはコゼットとエポニーヌの2役で出演した。 12年よりTVでも活躍し、「クイーン・メアリー」(14)などでヤング・アーティスト賞に3度ノミネート。 映画では、『殺人の啓示 死を誘う男』(14・未)でスーザン・サランドンと、また『白い沈黙』(14)でライアン・レイノルズとロザリオ・ドーソン、『スタンドオフ』(16)でローレンス・フィッシュバーンとトーマス・ジェーン、『ザ・モンスター』(16)でゾーイ・カザンと共演。 『赤毛のアン』3部作では、11歳から16歳までのアンを見事に演じ、完結編『赤毛のアン 卒業』でカナダ・アカデミー賞演技賞(青少年向け作品部門)を受賞。 トロントの公立学校に通いながら俳優業を続け、野生生物保護にも関心を持っている。 マリラ・クスバート サラ・ボッツフォード Sara Botsford 1951年、カナダのオンタリオ州生まれ。 6歳で地元の劇場で初舞台。 ヨーク大学で演劇を学ぶ。 メリル・ストリープ主演『殺意の香り』(82)、ケヴィン・コスナー主演『ガンランナー』(84・未)、ロバート・レッドフォード主演『夜霧のマンハッタン』(86)、ウーピー・ゴールドバーグ主演『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』(86)などの映画に出演し、監督作『密室』(97・未)もある。 TVでは、カナダの人気シリーズ「E. 」(89~94)でジェミニ賞(現カナダ・アカデミー賞)主演女優賞を受賞。 マーティン・シーン主演「ザ・ホワイトハウス」の1話(99)にもゲスト出演した。 ブロードウェイの「リアル・シング」(84~85)などに出演した舞台女優で、演出家でもあり、劇団「49th Parallel Theatre」創立者・共同芸術監督。 『赤毛のアン』3部作では、厳しくも温かいマリラ役を好演し、第1部で2017年カナダ・アカデミー賞主演女優賞(ドラマ/限定シリーズ部門)にノミネートされた。 マシュウ・クスバート マーティン・シーン Martin Sheen 1940年、米国オハイオ州デイトン生まれ。 母はアイルランド移民、父はスペイン出身。 ブロードウェイの舞台「The Subject Was Roses」(64~66)でトニー賞にノミネート。 『ある戦慄』(67)で映画デビューし、『地獄の黙示録』(79)のウィラード大尉役で一躍世界に知られる。 人気TVシリーズ「ザ・ホワイトハウス」(99~06)の大統領役でゴールデン・グローブ賞を獲得。 核兵器反対や労働者の権利擁護のための活動でも知られる。 次男ラモン・エステヴェスは『赤毛のアン』3部作の製作総指揮に参加している。 ダイアナ・バーリー ジュリア・ラロンド Julia Lalonde カナダのオンタリオ州トロント生まれ。 7歳でCMデビュー。 シャノン・エリザベス共演のTVドラマ「Catch a Christmas Star」(13)でヤング・アーティスト賞に初ノミネート。 人気TVシリーズ「ハートランド物語」の1話(14)や「Odd Squad」の12話(14~16)にも出演し高い評価を受ける。 実話に基づくTVドラマ「Girl in the Bunker」(18)では誘拐された少女を演じている。 趣味は読書、自転車、ピアノ、ローラーブレード、サッカー、物語や映画の創作。 監督/脚本(『赤毛のアン 初恋』) ジョン・ケント・ハリソン John Kent Harrison 『赤毛のアン』3部作すべてを監督し、『赤毛のアン 卒業』でカナダ・アカデミー賞監督賞(青少年向け作品部門)に輝いた。 これまでに多くのTVドラマを監督し、ウィリアム・フォークナー原作「Old Man」(97)でクリストファー賞作品賞、自作脚本による「最後のガンマン 悪名の町」(99)でウエスタン・ヘリテージ賞作品賞を受賞。 「イレーナ・センドラー 2500人の命のために」(09)では全米監督組合賞にノミネートされた。 他の作品に「モンタナ・レンジャー」(95)、「ジョージアの風」(00)、「トロイ ザ・ウォーズ」(03/ミニシリーズ)、「ウイニング・シーズン 奇跡のカード」(04)、「クリスマス・イン・コンウェイ」(13)など。 脚本も多数手がけている。 原作&キャラクター L. モンゴメリ L. Montgomery 1874年11月30日、プリンス・エドワード島クリフトン(現ニューロンドン)生まれ。 ルーシー・モード・モンゴメリ。 幼時に母を亡くし、近くのキャヴェンディッシュの母方の祖父母のもとで育つ。 教員免許を取得し、島内各地で数年間教員を経験。 1908年に出版した小説「赤毛のアン」がベストセラーとなり一躍世界的な作家となった。 11年に牧師ユーアン・マクドナルドと結婚後、カナダ本土に移住し、息子ふたりを育てながら「アン」シリーズ他を執筆。 42年4月24日、トロントにて67歳で死去。 キャヴェンディッシュに埋葬された。 日本では「赤毛のアン」は52年に村岡花子の訳で初めて出版された。
次の生涯 [ ] ルーシー・モード・モンゴメリは1874年11月30日 に、東部のクリフトン(現在のニューロンドン)で生まれた。 スコットランド系とイングランド系の祖先を持つ。 父方の祖父は、上院議員。 モンゴメリが生後21か月(1歳9か月)のとき、母クララ・ウールナー・マクニール・モンゴメリが結核で亡くなると、父ヒュー・ジョン・モンゴメリはカナダ西部へ移住したため、モンゴメリはキャベンディッシュの農場に暮らす母方の祖父母、アレクサンダー・マーキス・マクニールと、ルーシー・ウールナー・マクニールに厳しく育てられた。 マクニール家は文才に恵まれた一族で、モンゴメリは祖父の詩の朗読をはじめ、叔母たちから多くの物語や思い出話を聞いて育った。 しかし、一部の叔母たちを除いて、保守的な祖父、口うるさく支配的な祖母、モンゴメリの欠点をあげつらう親族のことは嫌っていた。 15歳のころ には父と継母と暮らすため、のに送られたが、1年後にはプリンス・エドワード島の祖父母の家に戻っている。 11歳しか年の違わない継母からは子守りと家事手伝いを命じられ、勉強をしたいという夢を打ち砕かれるが、この時期に書いた詩やエッセイが新聞に掲載され、作家を目指すきっかけとなった。 キャベンディッシュでの中等教育を終えたモンゴメリは、のプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジ 現在のホーランド・カレッジ へ進学した。 2年分の科目を1年で終え、に一級教員の資格を取得した。 からにかけての州都ので聴講生として文学を学んだ。 島にあるさまざまな学校で教師を務めたあと、に祖父を亡くし、未亡人となった祖母と暮らすためにキャベンディッシュに戻った。 祖父は地元の郵便局長も務めていたため、死後その仕事をモンゴメリが引き継いだ。 との短期間、ハリファックスで新聞社のデイリー・エコー社に記者兼雑用係として 勤め、1902年に祖母の世話をするため、再びキャベンディッシュに戻った。 ちょうどこの頃、すでに雑誌向けの短編作家としてキャリアを積んでいた彼女は、最初の長編を書く気になったという。 気難しい祖母との辛い暮らしの中、相談相手となってくれた 教会牧師ユーアン・マクドナルドとに婚約。 最初の長編小説『』を出版し、世界的ベストセラーとなる大成功を収める。 ユーアン・マクドナルドとは祖母が亡くなった直後、モンゴメリ36歳のに結婚し、英国・スコットランドへの新婚旅行の後、リースクデール(現 )に移り住んだ。 モンゴメリは続く11冊の本をリースクデールの牧師館で書いた。 に最も親しかった従妹のフレドリーカ・キャンベル・マクファーレンを病気で失くす。 この喪失感は生涯続いた。 に一家はノーヴァル(現在の)に移住した。 に会員となり、また、勲位も受けた。 同年、一家はトロントへ移った。 モンゴメリはにで亡くなった。 『』を書き上げた直後 であったという。 死因は「冠状動脈血栓症」とされてきたが 、『赤毛のアン』原作誕生百周年の年に、孫娘のケイト・マクドナルド・バトラーにより、本当の死因は「うつ病による薬物の過剰摂取が原因の自殺」と公表された (自殺説には、モンゴメリの伝記を書いたゲルフ大学のメアリー・ルビオ名誉教授による異論がある )。 グリーン・ゲイブルズおよび教会での葬儀のあと、キャベンディッシュ墓地に葬られた。 モンゴメリのコレクションはゲルフ大学に所蔵されているほか、プリンスエドワードアイランド大学にあるthe L. Montgomery Instituteがモンゴメリ関連の研究や会議をコーディネートしている。 モリー・ギレンは、モンゴメリとマクミランが交わした40以上の手紙を元にモンゴメリの初めての伝記「The Wheel of Things: A Biography of L. Montgomery 1975 」(邦題『運命の紡ぎ車)を著した。 1980年代初め、モンゴメリの全日記がメアリー・ルビオとエリザベス・ウォーターストンの編集でオックスフォード大学印刷局から刊行された。 1988年から1995年にかけて、リー・ウィルムシュルストがモンゴメリの短編を収集して出版した。 家族 [ ] ユーアンは学生時代に患ったが結婚後8年目に再発、生涯快癒する事はなかった。 モンゴメリは世間に夫の病名を隠して看護を続けたが、晩年は家庭内外の問題で心労が重なり、モンゴメリ自身も神経を病んだという。 二人の間には3人の男子があった。 1912-1964 、(1915-1982)、そして1914年に死産したヒュー・アレクサンダーである。 筆名等について [ ] モンゴメリは筆名等に神経質であったことが知られる。 「赤毛のアン・ライセンス局」 に記載されている日本語の表記は「ルーシー・モード・モンゴメリ」および「L. モンゴメリ」である。 結婚後は姓が変わりマクドナルド夫人となるが、筆名は当然、変わることなく、L. Montgomery を用いる。 他方、手紙では L. Montgomery Macdonald と署名している。 名前にこだわりのあるモンゴメリは作品をルーシー・モード・モンゴメリの名で出版する事を嫌い、L. モンゴメリにしたいと出版社に希望した。 友人たちはモード Maud と呼んだが 、父は「モーディー」と愛称で呼んだ。 著作 [ ] の『』の成功の後、の第2作『』など、『赤毛のアン』シリーズ()を含め生涯に20冊の小説と短編集を書いた。 特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40か国語に翻訳されるなどの成功を収めた。 『赤毛のアン』は日本では、1952年ににより翻訳・紹介され、主に少女たちの間で熱狂的に愛読された。 のちに、中学の国語の教科書に収録され、にで『』として放送された。 モンゴメリの生地、を訪れる日本人観光客は多い。 なお、少女期から『赤毛のアン』を愛読していた作家のは、1990年代に原書で読み直したところ、中世から19世紀にかけてのイギリス文学のパロディが、大量に詰め込まれていることを発見し、1993年に詳細な注釈つきの『赤毛のアン』の改訳版を刊行した。 参考文献 [ ]• Mary Rubio, Elizabeth Waterston, Selected Journals of L. Montgomery Volume V: 1935-1942, Oxford University Press, 2005,• Montgomery 『モンゴメリ日記 1』 桂宥子訳 立風書房 1997年• 『モンゴメリ書簡集〈1〉G. マクミランへの手紙』 宮武潤三、宮武順子訳 篠崎書林 1992年• 『モンゴメリ写真詩集』 宮武淳三・宮武順子共訳 篠崎書林 1989年• モリー・ギレン『運命の紡ぎ車』宮武淳三・宮武順子共訳 篠崎書林 1979年• 桂宥子著『L. モンゴメリ 現代英米児童文学評伝叢書2』KTC中央出版 2003年• 『「赤毛のアン」の秘密』 2004年3月 脚注 [ ]• モンゴメリはと同じ日生まれである。 55-83, 2002-03-31,• 154-142, 2004-02-17, , 仙台高等専門学校• のちにこの牧師館は教会によって売却され、モンゴメリを記念する博物館、「Lucy Maud Montgomery Leaskdale Manse Museum」になっている。 には、モンゴメリを記念する公園、「Lucy Maud Montgomery Memorial Garden」がハイウェイ沿いに建設されている。 『』の直後であるというのは誤り。 Selected Journals of L. Montgomery Volume V: 1935-1942 P. 399• Macdonald Butler,Kate. "the heartbreaking truth about Anne's creator". The Globe and Mail. September 27,2008. Adams,James. "Lucy Maud suffered 'unbearable psychological pain' ". The Globe and Mail. September 24,2008. この辺りの事情は、最近刊行を終えた『』全五巻(The Selected Journals of L. Montgomery: Oxford Univ Press)に詳しい。 『モンゴメリ書簡集〈1〉G. マクミランへの手紙』P. 『モンゴメリ書簡集〈1〉G. マクミランへの手紙』P. 172• 『モンゴメリ日記 1』P. 102• 書評、2014年07月03日 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 英語版ウィキソースに 著の原文があります。 外部リンク [ ]• モンゴメリ研究サイト。 (英語)• - (パブリックドメインオーディオブック) (MP3で聞くことができる)• L・M・モンゴメリの著作を原文(英語)で読むことのできるサイト• - カナダのサイト、最も充実している。 短編も一作品になっているため、その長さは「PAGES」(ページ数)の欄で確認が必要。 - 前にスピーカーの印のあるものは、オーディオブック• 『Anne of Ingleside』は上記のどちらにもないが、にはある。 - モンゴメリの自叙伝(1917年、英語)。 『ストーリー・オブ・マイ・キャリア 「赤毛のアン」が生まれるまで』水谷 利美訳、柏書房、2019年。 山口訳には、グーテンベルク21の電子書籍もある。 - Faded Page内のモンゴメリ著作リスト。 かなり詳しい。 シリーズ別、短編コレクション、詩などに分類分けされている。 Faded Page所載の作品へリンクしているため、Faded Page所載のモンゴメリ作品への索引として利用できる。
次の登場人物• Anne Shirley: アン・シャーリー(• Marilla Cuthbert: マリラ・カスバート• Matthew Cuthbert: マシュー・カスバート(マリラの兄)• Diana Barry: ダイアナ・バリー• Miss Josephine Barry: ジョセフィン・バリー(ダイアナの叔母)• Mrs. Rachel Lynde: レイチェル・リンド(隣人)• Thomas Lynde: トマス・リンド(レイチェルの夫)• Peter Morrison:• William J. Blair: Carmodyで店を経営• Mrs. Alexander Spencer: Marillaに孤児の養子について話した人物• Richard Spencer: Alexander Spencerの夫か?• Jerry Buote: マシューが夏雇う予定の子• Miss Rogerson: 日曜学校で教えている中年女性• Prissy Andrews: Queen's Academy受験予定(16歳)• Charlie Sloane:• Ella May MacPherson:• Em White:• Gertie Pye:• Gilbert Blythe:• Jane Andrews:• Jimmy Glover:• Josie Pye:• Julia Bell:• Katie Boulter:• Lizzie Wright:• Mamie Wilson:• Mary Joe:• Mattie Andrews:• Minnie Andrews:• Minnie MacPherson:• Minnie May:• Miranda Sloane:• Moody Spurgeon MacPherson:• Ruby Gillis:• Sam Boulter:• Sara Gillis:• Sophia Sloane:• Tillie Boulter:• Timothy Andrews:• Tommy Sloane:.
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