翔北医療センターの救命科フライトドクターであり、スタッフリーダーを務める白石恵は、院内の大会議室でスーツ姿や白衣のお偉い達と向かい合って座っていた。 白石の隣には救命科部長の橘、その向こうには脳外科部長の西条と、同じく脳外科のエース、新海が座っている。 目の前のスーツ姿の男が口を開く。 「…では、橘先生は今回の地下鉄崩落事故における医師の負傷について、負傷した本人にも現場の指示を行なった白石先生にも、落ち度はないとおっしゃるんですか?」 俯いたまま動かない白石の隣で橘が答えた。 「もちろんです。 医師たちが地下に降りる前に、レスキュー隊による一定の安全確認は行われています。 二次災害が起きたのは全く予想外の出来事であり、予測するのは不可能でした」 スーツの男は、次いで白石に質問を向けた。 「白石先生も、同じようにお考えですか?あなたの指示により救命活動を行なった医師1名が重傷を負い、他にもフライトナースを含む4人の救命科スタッフが生命の危機に晒された訳ですが、すべて偶然のものだったと、責任はどこにもないとお思いですか?」 白石は絞り出したような声で答えた。 「あの日、私を含む医師のすべて、そして現場で救命に当たったスタッフのすべてが、悲惨な現場の中で失われていくたくさんの命を救うために必死でした。 その中で、藍沢先生だけは二次崩落の予兆…天井からの漏水に気がついていました。 私ではなく彼が現場を指揮していたなら… 私の状況の確認の仕方次第では、 もしくは連絡の取り方次第では、 あるいは現場の指揮次第では、 医師一名の負傷を防げたかもしれません…今回、責任とるべき人物がいるとしたら…それは私です」 スーツの男は言質を取ったとばかりに前のめりになり、白石を追い詰める。 「なるほど…防げたかもしれない事故を起こしてしまった、というわけですね」 そこで男を遮るように橘が声を荒げた。 「しかし!あの時ああだったら、、なんてすべてが終わった今だから言えることです!あの日、あの現場では全員がベストを尽くしていました! 今回のことは、誰かが責任を負うことではなく、あの場所にいた全員が事実を受け止め教訓を生かしていく事案です!」 強い口調で訴える橘を冷ややかに見つめる男の隣で、白衣をきた院長が口を開いた。 「藍沢耕作医師の治療経過について聞きたい」 すかさず新海がはっきりとした声で答えた。 「はい。 現場にて、頭蓋内の圧迫を確認し、脳ヘルニアの治療を行いました。 搬送後に出血箇所を治療、3日前に意識を取り戻しましたが、麻痺や意識障害もなく順調に回復しています。 …また、瓦礫が右腕を圧迫し血流が長時間遮られていましたが幸い切断は免れ、手に震えなどの後遺症もみられません。 もちろん、脳外科医としても、問題なく復帰できると思います」 新海の報告を聞くと、院長はゆっくりと頷き、会議室の全員に告げた。 「今回の事故に関する処遇は、検討委員会で決定し追って知らせる。 それまでは通常通りの業務を行うこと。 白石先生は、しばらく内勤のみで処遇の知らせを待つこと」 「以上で会議を終了する」 会議室を出てすぐ、橘は白石を問い詰めた。 「白石。 どういうつもりだ!責任は自分にあるなんて!あの現場で、責任がどこにあるかなんて…馬鹿な話だ!!!」 白石は、虚ろな顔で何か言いたげに口を開いた後、結局なにも言わずに足早に立ち去ってしまった。 [newpage] 救命科医局では、医師とナース達が重い雰囲気の中、スタッフリーダーの戻りを待っていた。 しかし、それはその場にいる全員が聞きたかったことでもある。 スタッフたちはみな、白石の返答を固唾を飲んで待っていた。 医局にいる面々を見渡した後、白石はチームを安心させるよう笑顔を作って答えた。 「うん!橘先生が色々言ってくれて…今の所は救命科は通常業務になったよ。 …私は内勤のみだけど」 白石の笑顔も虚しく、医局全体の空気は依然として重いままだった。 白石は続けてスタッフリーダーとして声をかけた。 「 ほら!通常業務と言われたんだから、さっさと働く!!きっと今日も新しい患者が運ばれて来るんだから!」 白石の言葉を受けて、シニアもフェローもそれぞれ病室のラウンドやカルテ整理の業務へと戻っていった。 しかし緋山だけは、白石から目を逸らさない。 周りに人がいなくなったのを確認して、つかつかと白石に歩み寄った。 「白石が内勤のみってどういうこと!?あんた、ちゃんと伝えたの?!あの悲惨な状況で、藍沢の事故は防ぎようがなかったって!責任は負いようがないって!」 「…責任がないなんて、言えるわけない」 「はあ!?あんた…馬鹿なの!?あの現場で、白石に落ち度はなかった。 自分だってわかってるでしょう。 ねぇ…あんたが今感じてる責任は、現場でのことじゃない。 藍沢を救命に呼び戻したことなんじゃないの?自分がしっかりしてれば、藍沢が救命に戻って危険な目に遭うこともなかったとか思ってんでしょ? それだって白石のせいじゃないのに… 無理矢理自分が悪いことにして責任負おうとしてんじゃないわよ」 白石は俯いたまま何も言えなかった。 すべて図星だったから。 何も言わない白石に、緋山は告げた。 「藍沢が、白石に会いたがってるわよ。 3日も前に目を覚ましてるのに、一度も藍沢のとこ行ってなかったの? …はやく会いに行きなさい」 有無を言わさない緋山の口調に、白石は小さく「わかったから」とだけ答えて、机の上の書類をひと山抱えて足早に立ち去ってしまった。 その背中に向かって、緋山は呟いた。 「いつまで1人で9年前に戻ってるつもりよ。 藍沢は黒田先生じゃない。 はやく帰って来なさいよ…」 その声は、白石には届かなかった。 [newpage] その日の夜。 白石は、昼にHCUへと移された藍沢のもとを訪れていた。 ベットの横に椅子を置き、整った寝顔を見つめる。 「…藍沢先生、ごめんね」 小さな声で呟くと 「何がだ」 思いがけず返事が返ってきた。 「あ、、藍沢先生…起きてたの?起こしちゃった?」 「起きてた。 それより何に謝ってるんだ。 昨日も一昨日も今日も、俺が寝た後にしか会いに来なかったことか?」 「知ってたの?私が来てたこと…」 「ああ…お前が俺が起きている時に会いにくるのを待ってたんだが、もう待ちくたびれた」 「そう…」 「で、本当は何に謝ってたんだ」 白石はベッドに横たわる藍沢を苦しそうな表情でみつめて言った。 「…全部。 なにもかも。 ごめんなさい。 あなたを救命に呼び戻したこと、 あなたを崩落現場に行かせたこと、 大事な腕と頭に怪我を負わせたこと、 トロントで得られたはずのあなたのキャリアを奪ってしまったこと」 一息にそう言うと、白石は包帯が巻かれた藍沢の右腕に涙をひとつ落とし、呼吸を乱し始めた。 息を吸うばかりで上手く吐けていない。 白石は自分が過呼吸になりかけていることに気づき、必死に呼吸を落ち付けようともがいた。 すると白石の目の前にある藍沢の右腕がふいに動いた。 白石の顔へと伸ばされた藍沢の手は、そのまま白石の頭を抱え込み自分の胸へと引き寄せていく。 「見たか、白石。 俺の右腕はこんなによく動く。 震えも全くない。 お前の暖かさだって感じてる。 …白石。 俺は黒田先生とは違うぞ」 その言葉を聞いた途端、白石は堰を切ったように泣き始めた。 嗚咽を漏らして泣く姿に、過呼吸はおさまったと判断して藍沢は安堵した。 「…全部お前のせいじゃない。 救命に戻ったのは俺が自分で選んだ。 俺は自分で、救命の現場で命に向き合うことを選んだんだ。 この怪我だってただの事故だ。 怪我を負ったのが白石じゃなくて良かったと、俺は心から思ってる。 それに、新海が完璧に治療してくれたんだ…すぐに復帰してみせるさ。 だから…」 藍沢は、白石を引き寄せる右手を少し緩め、顔を持ち上げた白石の泣き腫らした目を見つめると、優しく語りかけた。 「だから、俺と黒田先生を重ねるのはやめろ。 9年前の黒田先生を見るな。 今の俺を見ろ」 そう言って、優しく白石の頬を撫でた。 [newpage] 翌日の昼、CS室には藤川と冴島、緋山、灰谷、パイロットの梶が詰めかけ、各々愛妻弁当やパンを食べながら今回の事故について話していた。 「白石先生だけ内勤なんて…白石先生に責任があるみてーじゃねえか!」 昔からパイロットとして白石とともに働いてきた梶は、声を荒げていた。 「あの子のことだから、責任は私にありますとか言っちゃったのよ、きっと」 梅干しのおにぎりを頬張りながら、緋山が怒ったような口調でそう言うと、藤川もそれに同意した。 「9年前のこと思い出して、思いつめちゃってるのかもしれねーなあ。 白石のやつ」 「余計なこと言わない!」 すかさず冴島が藤川を制したが、すでに遅かった。 「あの、9年前って…なにかあったんですか?」 灰谷がおずおずと尋ねているところに、名取がドアを開けて入ってきた。 「9年前って、黒田先生とかいう人と関係があることですか?」 入ってくるやいなやシニアたちに向かって臆せず聞いてくる。 緋山が驚いたように 「名取、なんで黒田先生のこと知ってるのよ」と逆に質問で返せば、すかさず 「昨日、当直だったんで夜中にHCU行ったら、たまたま少しだけ聞こえてしまったんですよ。 藍沢先生と白石先生が話してるの」と淡々とした答えが返ってきた。 「そうか…白石、藍沢と話せたんだ。 …なら、あんた達に話しておいてもいいかな。 9年前、白石が医師を辞めようとしたこと」 緋山は静かに淡々と語った。 安全確認を怠った白石を庇った黒田が、落ちてきた鉄骨の下敷きになったこと。 藍沢がその腕を切断することで、黒田の命を救ったこと。 黒田の腕は繋がったが、もはや医師を続けられる状態ではなくなり、病院を去ったこと。 「だから、今回の藍沢と黒田先生を重ねちゃってんのよ。 あの子は」 最後にそう締めくくった緋山の言葉は荒いが、その表情からは白石を心配する気持ちが溢れていた。 そんな緋山に、灰谷が相変わらずの弱々しい声で反応した。 「でも…そんなことがあっても、白石先生はヘリに乗り続けていたんですね。 それで、たくさんの命を救って…スタッフリーダーにまでなって… …僕には絶対無理だ。 強い人ですね、白石先生は」 灰谷がそう言えば、梶が即座に否定する。 「最初から強かったわけじゃねえよ。 というか、今だって強くはないんじゃないかな。 現に今、あの時のように弱ってる。 実際、黒田先生のことがあってから、ヘリに乗ろうとすると過呼吸になってたこともあったよ。 白石先生は」 冴島も頷きながら付け加える。 「何度泣きながら医局を飛び出して、何度藍沢先生がその後を追いかけて行ったことか」 藤川も懐かしそうに遠くを見ながら行った。 「ヘリ倉庫の隅で泣いてたこともあったな。 俺と梶さんで、白石がいることには気がついてない振りしながら倉庫の入り口で白石の良いところ言い合ったりしましたよね〜!」 「あったなぁ!白石先生、俺たちがわざと言ってること絶対気がついてたけどな」 緋山も続く。 「更衣室で泣いてたこともしょっちゅうよ。 …白石は強いわけじゃない」 梶は大きく頷いた。 「ああ、白石先生は命の現場で起きるすべての重荷を背負えるほど強くはない。 ただ、その重荷を一緒に背負ってくれるチームがいただけだ。 フェローのお前達にもいるだろ?一緒に戦ってる仲間がよ」 名取と灰谷は顔を見合わせ、そしてその場に居ない横峰や雪村を思い出す。 果たして俺たちにあるだろうか。 そんな絆が。 正直わからなかった。 緋山が再び口を開いた。 「それと、病院去る前、黒田先生が白石に言ったのよ。 『お前が病院を辞めても俺の腕は元には戻らない。 だがヘリに乗り続ければ救える命のひとつやふたつはあるだろう』って。 だから白石は今日まで医者を辞めなかった」 緋山の話を藤川が引き取り、灰谷に向けて語りかける。 「ああ、『誰よりも多くヘリに乗れ』って…黒田先生は白石にそう言ったらしい。 白石は黒田先生の言葉通り、誰よりもヘリに乗って救命の良心であり続けた。 灰谷もさ…電車事故で亡くなった新郎は、お前が救命を辞めようと蘇らないよ。 今度は緋山が名取をみて言う。 「それからね、誹謗中傷もあった。 明邦医大の白石教授の娘は、1人の名医の腕を潰したにも関わらず何食わぬ顔をして働き続けてるって言われて…。 心配した白石教授が実家に戻そうとしたこともあったけど、でも白石は残った。 『私が今、挫折したままここに運ばれてくる命に背を向けたら、きっともう一生、どこにいたって命に向き合えなくなる』って。 …名取がどんな道を選ぼうと構わない。 ただ、選んだ道の先できちんと命と向きあえる医者でありさえすればね」 灰谷と名取は、シニア達の言葉に静かに聞き入っていた。 これから先、彼らがどんな道を選ぶのかは本人次第だ。 でも、梶はこの時、彼らの目の光の中にかつての白石や藍沢を見たような気がした。 [newpage] ーーー3年後ーーー 地下鉄崩落事故から今日でちょうど3年が経った。 白石はいつものヘリポートで物思いにふけっている。 あの時、私が大好きだったチームは、今はもうない。 緋山は周産期医療センターへと栄転し、今は医局長として新たな命の誕生を支えている。 現在産休中の冴島も、緋山の診療を受けているという。 灰谷は、ドクターヘリがない病院の救命科へと移っていった。 翔北を去る日、灰谷は白石に向かって宣言をして行った。 「今はヘリから離れますが、救命の技術と判断力を磨いて、フライトドクターとして必ず戻ってきます。 ドクターヘリは僕の夢です。 絶対諦めません!」 横峰はというと、なんと脳外科へ移って行った。 脳の損傷や頭部外傷が多い救命の現場で脳外科のスペシャリストとして働けるようになるためだそうだ。 まさかあの横峰が藍沢チルドレンになるとは…シニア達はみな驚いていた。 藤川と名取は、相変わらず翔北の救命でフライトドクターとして働いている。 藤川は「この救命には、俺みたいな整形外科医が必要だろ〜それに、産まれてくる子どもにヘリに乗るかっこいい俺の姿みせとかないとな!」 …なんて軽口を叩いているが、そんな彼の心の奥にはドクターヘリに対する深い思い入れと強い使命感があることを白石は知っている。 名取は実家の病院に戻らなったことについて多くは語らないが、今や誰よりも早くホットラインの受話器を取り、誰よりも患者に寄り添おうとする医者となっていた。 藍沢の事故について結局白石の責任が問われなかったのは、名取が翔北の院長と懇意にしている父親にかけあったとか…そんな噂を聞いたが、本人が何も言わないので白石も尋ねるようなことはしなかった。 そして藍沢は… 日本にいなかった。 レジデントの時期を遅らせることをトロント大が認めてくれたため、予定より半年遅れとはなったが有望な脳外科医としてトロントへ旅立つことができた。 そんなわけで、かつて白石が大好きだったチームは、それぞれ次のステージで日々命と向き合っている。 現在の救命チームは、以前のチームよりはまだ頼りないが、藤川と白石、それから名取もフェローの育成に力を入れていることもあり、少しずつ円滑に機能するようになっていた。 黒田先生のような救命を作るという白石の目標は、今も変わっていない。 白石は、柵に腰をかけて空を見上げた。 今日は突き抜けるような青空だ。 …トロントは今どんな空かな。 ヘリポートにいると、自然と藍沢のことを思う。 もうすぐ帰国するはずだが、いつ帰ってくるのか全く連絡がなかった。 今日、メールしてみようかな。 そんなことを思った時、背後に人の気配を感じた。 地面に映ったその影を見ただけで、彼だと分かった。 振り返らずに話しかけてみる。 「帰ってくるなら教えてよ。 心臓に悪い」 「…サプライズってやつだ」 「そんなキャラだった?」 「トロントで教わったんだよ。 女はサプライズに弱いって」 「私にサプライズして、どうするつもりだったの」 「トロントの同僚によると、サプライズで久しぶりの再会をすると女は走り寄って涙を浮かべてハグしてくれるものらしい」 「ふふふ。 私がそんなことをすると思った?」 「思わない。 …思わないが、せめてこっちを向いておかえりって言ってくれないか」 しょうがないなぁーとやっと振り返った白石は、にっこりとわらって 「おかえり、藍沢先生!」 と言うやいなや、藍沢に走り寄ってその首に両腕を回して抱きしめた。
次のしかも、血まみれ。 』 「……」 『もしかして同じ夢?』 「う、ん…」 『…さき行くわ。 昨日から36時間勤務。 消毒液の匂いとお前らの顔にはあきあきだよ…!」 藍「やめるか。 」 冴「止めませんよ。 」 『プッ。 笑』 藤「…お前等、黒田に顔、似てきたな。 」 『あははっ!笑』 4階に止まって白石さんと緋山さんがのって来た 藤「ずいぶん楽しそうだな」 緋「今晩、久々に合コンなの。 しかも外資系!」 藤「へぇー」 緋「たまには時間作って外の空気吸わなきゃ!」 藤「白石、誘われた?」 白「えっ!?今知った。 」 緋「当たり前でしょ。 外でまであんたの顔見たくない。 あっ!でも名字はいいよ!来る?」 『ふぇ?あたしっ!?』 緋「 可愛い! うん!」 『えーっと…』 あたしが理由を探して断ろうとしていたら…、 藍「こいつはダメだ。
次の翔北医療センターの救命科フライトドクターであり、スタッフリーダーを務める白石恵は、院内の大会議室でスーツ姿や白衣のお偉い達と向かい合って座っていた。 白石の隣には救命科部長の橘、その向こうには脳外科部長の西条と、同じく脳外科のエース、新海が座っている。 目の前のスーツ姿の男が口を開く。 「…では、橘先生は今回の地下鉄崩落事故における医師の負傷について、負傷した本人にも現場の指示を行なった白石先生にも、落ち度はないとおっしゃるんですか?」 俯いたまま動かない白石の隣で橘が答えた。 「もちろんです。 医師たちが地下に降りる前に、レスキュー隊による一定の安全確認は行われています。 二次災害が起きたのは全く予想外の出来事であり、予測するのは不可能でした」 スーツの男は、次いで白石に質問を向けた。 「白石先生も、同じようにお考えですか?あなたの指示により救命活動を行なった医師1名が重傷を負い、他にもフライトナースを含む4人の救命科スタッフが生命の危機に晒された訳ですが、すべて偶然のものだったと、責任はどこにもないとお思いですか?」 白石は絞り出したような声で答えた。 「あの日、私を含む医師のすべて、そして現場で救命に当たったスタッフのすべてが、悲惨な現場の中で失われていくたくさんの命を救うために必死でした。 その中で、藍沢先生だけは二次崩落の予兆…天井からの漏水に気がついていました。 私ではなく彼が現場を指揮していたなら… 私の状況の確認の仕方次第では、 もしくは連絡の取り方次第では、 あるいは現場の指揮次第では、 医師一名の負傷を防げたかもしれません…今回、責任とるべき人物がいるとしたら…それは私です」 スーツの男は言質を取ったとばかりに前のめりになり、白石を追い詰める。 「なるほど…防げたかもしれない事故を起こしてしまった、というわけですね」 そこで男を遮るように橘が声を荒げた。 「しかし!あの時ああだったら、、なんてすべてが終わった今だから言えることです!あの日、あの現場では全員がベストを尽くしていました! 今回のことは、誰かが責任を負うことではなく、あの場所にいた全員が事実を受け止め教訓を生かしていく事案です!」 強い口調で訴える橘を冷ややかに見つめる男の隣で、白衣をきた院長が口を開いた。 「藍沢耕作医師の治療経過について聞きたい」 すかさず新海がはっきりとした声で答えた。 「はい。 現場にて、頭蓋内の圧迫を確認し、脳ヘルニアの治療を行いました。 搬送後に出血箇所を治療、3日前に意識を取り戻しましたが、麻痺や意識障害もなく順調に回復しています。 …また、瓦礫が右腕を圧迫し血流が長時間遮られていましたが幸い切断は免れ、手に震えなどの後遺症もみられません。 もちろん、脳外科医としても、問題なく復帰できると思います」 新海の報告を聞くと、院長はゆっくりと頷き、会議室の全員に告げた。 「今回の事故に関する処遇は、検討委員会で決定し追って知らせる。 それまでは通常通りの業務を行うこと。 白石先生は、しばらく内勤のみで処遇の知らせを待つこと」 「以上で会議を終了する」 会議室を出てすぐ、橘は白石を問い詰めた。 「白石。 どういうつもりだ!責任は自分にあるなんて!あの現場で、責任がどこにあるかなんて…馬鹿な話だ!!!」 白石は、虚ろな顔で何か言いたげに口を開いた後、結局なにも言わずに足早に立ち去ってしまった。 [newpage] 救命科医局では、医師とナース達が重い雰囲気の中、スタッフリーダーの戻りを待っていた。 しかし、それはその場にいる全員が聞きたかったことでもある。 スタッフたちはみな、白石の返答を固唾を飲んで待っていた。 医局にいる面々を見渡した後、白石はチームを安心させるよう笑顔を作って答えた。 「うん!橘先生が色々言ってくれて…今の所は救命科は通常業務になったよ。 …私は内勤のみだけど」 白石の笑顔も虚しく、医局全体の空気は依然として重いままだった。 白石は続けてスタッフリーダーとして声をかけた。 「 ほら!通常業務と言われたんだから、さっさと働く!!きっと今日も新しい患者が運ばれて来るんだから!」 白石の言葉を受けて、シニアもフェローもそれぞれ病室のラウンドやカルテ整理の業務へと戻っていった。 しかし緋山だけは、白石から目を逸らさない。 周りに人がいなくなったのを確認して、つかつかと白石に歩み寄った。 「白石が内勤のみってどういうこと!?あんた、ちゃんと伝えたの?!あの悲惨な状況で、藍沢の事故は防ぎようがなかったって!責任は負いようがないって!」 「…責任がないなんて、言えるわけない」 「はあ!?あんた…馬鹿なの!?あの現場で、白石に落ち度はなかった。 自分だってわかってるでしょう。 ねぇ…あんたが今感じてる責任は、現場でのことじゃない。 藍沢を救命に呼び戻したことなんじゃないの?自分がしっかりしてれば、藍沢が救命に戻って危険な目に遭うこともなかったとか思ってんでしょ? それだって白石のせいじゃないのに… 無理矢理自分が悪いことにして責任負おうとしてんじゃないわよ」 白石は俯いたまま何も言えなかった。 すべて図星だったから。 何も言わない白石に、緋山は告げた。 「藍沢が、白石に会いたがってるわよ。 3日も前に目を覚ましてるのに、一度も藍沢のとこ行ってなかったの? …はやく会いに行きなさい」 有無を言わさない緋山の口調に、白石は小さく「わかったから」とだけ答えて、机の上の書類をひと山抱えて足早に立ち去ってしまった。 その背中に向かって、緋山は呟いた。 「いつまで1人で9年前に戻ってるつもりよ。 藍沢は黒田先生じゃない。 はやく帰って来なさいよ…」 その声は、白石には届かなかった。 [newpage] その日の夜。 白石は、昼にHCUへと移された藍沢のもとを訪れていた。 ベットの横に椅子を置き、整った寝顔を見つめる。 「…藍沢先生、ごめんね」 小さな声で呟くと 「何がだ」 思いがけず返事が返ってきた。 「あ、、藍沢先生…起きてたの?起こしちゃった?」 「起きてた。 それより何に謝ってるんだ。 昨日も一昨日も今日も、俺が寝た後にしか会いに来なかったことか?」 「知ってたの?私が来てたこと…」 「ああ…お前が俺が起きている時に会いにくるのを待ってたんだが、もう待ちくたびれた」 「そう…」 「で、本当は何に謝ってたんだ」 白石はベッドに横たわる藍沢を苦しそうな表情でみつめて言った。 「…全部。 なにもかも。 ごめんなさい。 あなたを救命に呼び戻したこと、 あなたを崩落現場に行かせたこと、 大事な腕と頭に怪我を負わせたこと、 トロントで得られたはずのあなたのキャリアを奪ってしまったこと」 一息にそう言うと、白石は包帯が巻かれた藍沢の右腕に涙をひとつ落とし、呼吸を乱し始めた。 息を吸うばかりで上手く吐けていない。 白石は自分が過呼吸になりかけていることに気づき、必死に呼吸を落ち付けようともがいた。 すると白石の目の前にある藍沢の右腕がふいに動いた。 白石の顔へと伸ばされた藍沢の手は、そのまま白石の頭を抱え込み自分の胸へと引き寄せていく。 「見たか、白石。 俺の右腕はこんなによく動く。 震えも全くない。 お前の暖かさだって感じてる。 …白石。 俺は黒田先生とは違うぞ」 その言葉を聞いた途端、白石は堰を切ったように泣き始めた。 嗚咽を漏らして泣く姿に、過呼吸はおさまったと判断して藍沢は安堵した。 「…全部お前のせいじゃない。 救命に戻ったのは俺が自分で選んだ。 俺は自分で、救命の現場で命に向き合うことを選んだんだ。 この怪我だってただの事故だ。 怪我を負ったのが白石じゃなくて良かったと、俺は心から思ってる。 それに、新海が完璧に治療してくれたんだ…すぐに復帰してみせるさ。 だから…」 藍沢は、白石を引き寄せる右手を少し緩め、顔を持ち上げた白石の泣き腫らした目を見つめると、優しく語りかけた。 「だから、俺と黒田先生を重ねるのはやめろ。 9年前の黒田先生を見るな。 今の俺を見ろ」 そう言って、優しく白石の頬を撫でた。 [newpage] 翌日の昼、CS室には藤川と冴島、緋山、灰谷、パイロットの梶が詰めかけ、各々愛妻弁当やパンを食べながら今回の事故について話していた。 「白石先生だけ内勤なんて…白石先生に責任があるみてーじゃねえか!」 昔からパイロットとして白石とともに働いてきた梶は、声を荒げていた。 「あの子のことだから、責任は私にありますとか言っちゃったのよ、きっと」 梅干しのおにぎりを頬張りながら、緋山が怒ったような口調でそう言うと、藤川もそれに同意した。 「9年前のこと思い出して、思いつめちゃってるのかもしれねーなあ。 白石のやつ」 「余計なこと言わない!」 すかさず冴島が藤川を制したが、すでに遅かった。 「あの、9年前って…なにかあったんですか?」 灰谷がおずおずと尋ねているところに、名取がドアを開けて入ってきた。 「9年前って、黒田先生とかいう人と関係があることですか?」 入ってくるやいなやシニアたちに向かって臆せず聞いてくる。 緋山が驚いたように 「名取、なんで黒田先生のこと知ってるのよ」と逆に質問で返せば、すかさず 「昨日、当直だったんで夜中にHCU行ったら、たまたま少しだけ聞こえてしまったんですよ。 藍沢先生と白石先生が話してるの」と淡々とした答えが返ってきた。 「そうか…白石、藍沢と話せたんだ。 …なら、あんた達に話しておいてもいいかな。 9年前、白石が医師を辞めようとしたこと」 緋山は静かに淡々と語った。 安全確認を怠った白石を庇った黒田が、落ちてきた鉄骨の下敷きになったこと。 藍沢がその腕を切断することで、黒田の命を救ったこと。 黒田の腕は繋がったが、もはや医師を続けられる状態ではなくなり、病院を去ったこと。 「だから、今回の藍沢と黒田先生を重ねちゃってんのよ。 あの子は」 最後にそう締めくくった緋山の言葉は荒いが、その表情からは白石を心配する気持ちが溢れていた。 そんな緋山に、灰谷が相変わらずの弱々しい声で反応した。 「でも…そんなことがあっても、白石先生はヘリに乗り続けていたんですね。 それで、たくさんの命を救って…スタッフリーダーにまでなって… …僕には絶対無理だ。 強い人ですね、白石先生は」 灰谷がそう言えば、梶が即座に否定する。 「最初から強かったわけじゃねえよ。 というか、今だって強くはないんじゃないかな。 現に今、あの時のように弱ってる。 実際、黒田先生のことがあってから、ヘリに乗ろうとすると過呼吸になってたこともあったよ。 白石先生は」 冴島も頷きながら付け加える。 「何度泣きながら医局を飛び出して、何度藍沢先生がその後を追いかけて行ったことか」 藤川も懐かしそうに遠くを見ながら行った。 「ヘリ倉庫の隅で泣いてたこともあったな。 俺と梶さんで、白石がいることには気がついてない振りしながら倉庫の入り口で白石の良いところ言い合ったりしましたよね〜!」 「あったなぁ!白石先生、俺たちがわざと言ってること絶対気がついてたけどな」 緋山も続く。 「更衣室で泣いてたこともしょっちゅうよ。 …白石は強いわけじゃない」 梶は大きく頷いた。 「ああ、白石先生は命の現場で起きるすべての重荷を背負えるほど強くはない。 ただ、その重荷を一緒に背負ってくれるチームがいただけだ。 フェローのお前達にもいるだろ?一緒に戦ってる仲間がよ」 名取と灰谷は顔を見合わせ、そしてその場に居ない横峰や雪村を思い出す。 果たして俺たちにあるだろうか。 そんな絆が。 正直わからなかった。 緋山が再び口を開いた。 「それと、病院去る前、黒田先生が白石に言ったのよ。 『お前が病院を辞めても俺の腕は元には戻らない。 だがヘリに乗り続ければ救える命のひとつやふたつはあるだろう』って。 だから白石は今日まで医者を辞めなかった」 緋山の話を藤川が引き取り、灰谷に向けて語りかける。 「ああ、『誰よりも多くヘリに乗れ』って…黒田先生は白石にそう言ったらしい。 白石は黒田先生の言葉通り、誰よりもヘリに乗って救命の良心であり続けた。 灰谷もさ…電車事故で亡くなった新郎は、お前が救命を辞めようと蘇らないよ。 今度は緋山が名取をみて言う。 「それからね、誹謗中傷もあった。 明邦医大の白石教授の娘は、1人の名医の腕を潰したにも関わらず何食わぬ顔をして働き続けてるって言われて…。 心配した白石教授が実家に戻そうとしたこともあったけど、でも白石は残った。 『私が今、挫折したままここに運ばれてくる命に背を向けたら、きっともう一生、どこにいたって命に向き合えなくなる』って。 …名取がどんな道を選ぼうと構わない。 ただ、選んだ道の先できちんと命と向きあえる医者でありさえすればね」 灰谷と名取は、シニア達の言葉に静かに聞き入っていた。 これから先、彼らがどんな道を選ぶのかは本人次第だ。 でも、梶はこの時、彼らの目の光の中にかつての白石や藍沢を見たような気がした。 [newpage] ーーー3年後ーーー 地下鉄崩落事故から今日でちょうど3年が経った。 白石はいつものヘリポートで物思いにふけっている。 あの時、私が大好きだったチームは、今はもうない。 緋山は周産期医療センターへと栄転し、今は医局長として新たな命の誕生を支えている。 現在産休中の冴島も、緋山の診療を受けているという。 灰谷は、ドクターヘリがない病院の救命科へと移っていった。 翔北を去る日、灰谷は白石に向かって宣言をして行った。 「今はヘリから離れますが、救命の技術と判断力を磨いて、フライトドクターとして必ず戻ってきます。 ドクターヘリは僕の夢です。 絶対諦めません!」 横峰はというと、なんと脳外科へ移って行った。 脳の損傷や頭部外傷が多い救命の現場で脳外科のスペシャリストとして働けるようになるためだそうだ。 まさかあの横峰が藍沢チルドレンになるとは…シニア達はみな驚いていた。 藤川と名取は、相変わらず翔北の救命でフライトドクターとして働いている。 藤川は「この救命には、俺みたいな整形外科医が必要だろ〜それに、産まれてくる子どもにヘリに乗るかっこいい俺の姿みせとかないとな!」 …なんて軽口を叩いているが、そんな彼の心の奥にはドクターヘリに対する深い思い入れと強い使命感があることを白石は知っている。 名取は実家の病院に戻らなったことについて多くは語らないが、今や誰よりも早くホットラインの受話器を取り、誰よりも患者に寄り添おうとする医者となっていた。 藍沢の事故について結局白石の責任が問われなかったのは、名取が翔北の院長と懇意にしている父親にかけあったとか…そんな噂を聞いたが、本人が何も言わないので白石も尋ねるようなことはしなかった。 そして藍沢は… 日本にいなかった。 レジデントの時期を遅らせることをトロント大が認めてくれたため、予定より半年遅れとはなったが有望な脳外科医としてトロントへ旅立つことができた。 そんなわけで、かつて白石が大好きだったチームは、それぞれ次のステージで日々命と向き合っている。 現在の救命チームは、以前のチームよりはまだ頼りないが、藤川と白石、それから名取もフェローの育成に力を入れていることもあり、少しずつ円滑に機能するようになっていた。 黒田先生のような救命を作るという白石の目標は、今も変わっていない。 白石は、柵に腰をかけて空を見上げた。 今日は突き抜けるような青空だ。 …トロントは今どんな空かな。 ヘリポートにいると、自然と藍沢のことを思う。 もうすぐ帰国するはずだが、いつ帰ってくるのか全く連絡がなかった。 今日、メールしてみようかな。 そんなことを思った時、背後に人の気配を感じた。 地面に映ったその影を見ただけで、彼だと分かった。 振り返らずに話しかけてみる。 「帰ってくるなら教えてよ。 心臓に悪い」 「…サプライズってやつだ」 「そんなキャラだった?」 「トロントで教わったんだよ。 女はサプライズに弱いって」 「私にサプライズして、どうするつもりだったの」 「トロントの同僚によると、サプライズで久しぶりの再会をすると女は走り寄って涙を浮かべてハグしてくれるものらしい」 「ふふふ。 私がそんなことをすると思った?」 「思わない。 …思わないが、せめてこっちを向いておかえりって言ってくれないか」 しょうがないなぁーとやっと振り返った白石は、にっこりとわらって 「おかえり、藍沢先生!」 と言うやいなや、藍沢に走り寄ってその首に両腕を回して抱きしめた。
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