情熱エール。 朝ドラ『エール』モデル・古関裕而の情熱的な恋文「この26曲は私の貴女へ対する愛の結晶です」(2020年5月9日)|BIGLOBEニュース

二階堂ふみ 『エール』で早稲田応援に慶大生が憤慨のワケ

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エール:第6週視聴率20.4%で大台キープ 音、裕一の音楽への情熱に再び火をともす

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連続テレビ小説『エール』は、「栄冠は君に輝く 全国高等学校野球選手権大会の歌 」「六甲おろし 阪神タイガースの歌 」「闘魂こめて 巨人軍の歌 」などスポーツシーンを彩る応援歌、戦後人々を夢中にさせたラジオドラマ「君の名は」『鐘の鳴る丘』の主題歌「とんがり帽子」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」など、数々のヒット歌謡曲で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而 こせきゆうじ と、妻で歌手としても活躍した金子 きんこ をモデルに、音楽とともに生きた夫婦の物語を描いている。 豪華キャストが次々に登場し、、彩青ら若手歌手も出演し回を追うごとに話題が高まっているなか、6月29日 月 からスタートする再放送では解説放送 副音声 を出演者がドラマの役で担当するスペシャルバージョンで届ける。 取材・文:仲村 瞳 志村けんが演じた作曲家・小山田耕作の モデル山田耕筰という人物 2020年3月29日に急逝した、志村けん。 NHK朝ドラ『エール』のテレビドラマ初出演が遺作となった。 志村けんの役どころは、日本において西洋音楽の基盤を築いたのモデルとなった、小山田耕作。 一般に、山田耕筰は、童謡『赤とんぼ』『待ちぼうけ』『ペチカ』の作曲者として親しまれている。 山田耕筰は、窪田正孝が演じる『エール』の主人公、古山裕一のモデルとなった古関裕而の憧れの人物であり、古関をコロムビアに推薦し作曲家としての足掛かりを与えた人物である。 それを踏まえ、ドラマの中でも重要な役どころとなっている。 志村けんと言えば、自ら自身の「薄毛」をネタにすることもあったが、山田耕筰も薄毛をネタに山田耕作という名を山田耕筰に改名している。 薄毛を指摘されカツラを薦められた山田耕作は、あえてスキンヘッドにし、名前の「耕作」の「作」の字に「ケ」を生やす意味で竹冠をつけ「耕筰」としたのである。 この自虐的ユーモアのセンスは、志村けんにも引けを取らない。 山田耕筰は、志村けんと同じく、話術が巧みで女性によくモテて、恋多き人生だったという。 また、山田耕筰と志村けんは、共に父親が厳格で幼少期は内気だったとか。 山田耕筰は、1912年(大正元年)に、日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲し、さらには日本初の交響楽団『』を組織し、大衆への西洋音楽の普及に努めた。 一方、志村けんは、コントやコミックソングの中にソウルミュージックの要素を積極的に取り入れ、そのエッセンスをお茶の間を通して大衆に浸透させた。 そんなところにも山田耕筰と志村けんとの共通点を見出すことができるのではないだろうか。 役柄について志村けん自身は「出ているシーンは困ったことにあまり笑いがない。 役柄はみんなが憧れる作曲家で意地悪っぽいところもある。 志村けんらしくない、こんなこともやりますよってところを見てもらえればうれしいね」と語っているが、こうしてみると相応しくも感じられるのである。 2020年6月29日から、いよいよ再放送が始まる『エール』。 志村けんの出演が観られるのは、第25話、第34話、第35話、第37話、第38話、第40話、第48話。 テレビドラマにおける、志村けんの最初で最後の演技をお見逃しなく! 連続テレビ小説『エール』オリジナル・ サウンドトラック 音楽: [ 収録楽曲 ] 1. 自分へのエール 2. あを 3. 雨のち晴れ 5. 倫敦 6. 足踏みオルガン 7. 藤堂先生 8. 竹取物語 9. 三姉妹 10. 音の夢 11. 竹取物語 -Piano Solo- 12. 霧 13. 斜陽 14. 楽治雄スキー少年 15. 大正デモクラシー 16. 喪失 17. 記憶の中で 18. まゐりませう 19. 我が青春のバスハーモニカ 20. くれなゐ 22. 川俣 23. 騒々(さうざう) 24. 茂兵衛と八重 25. あしくもよくも、あひそひて 26. 竹取物語 -Strings Quartet- 27. 赤い糸 28. ゆきだるま 29. コロンブスレコード 30. 居待月 31. 鰯雲 32. 有象無象 33. 手紙(ふみ) 34. 桔梗 35. いびき 36. 君はるか -Instrumental — 37. 37 Composed by 古関裕而 Tr. 37 Arranged by 瀬川英史 Tr. 高原列車は行く MONO 2. 長崎の鐘 MONO 3. イヨマンテの夜 MONO 4. モスラの歌 MONO 5. 君の名は MONO 6. とんがり帽子 MONO 7. あこがれの郵便馬車 MONO 8. 福島夜曲 MONO 9. 青春の鐘 10. 愛国の花 MONO 11. 黒百合の歌 MONO 12. 長崎の雨 MONO 13. さくらんぼ大将 MONO 14. 我が家の灯 MONO 15. 夢淡き東京 MONO 16. フランチェスカの鐘 MONO ボーナス・トラック 17. 船頭可愛や MONO ボーナス・トラック ディスク2 1. 栄冠は君に輝く 〜全国高等学校野球大会の歌 2. オリンピック・マーチ 3. 紺碧の空 〜早稲田大学応援歌 4. 六甲おろし 〜阪神タイガースの歌 MONO 5. 福商青春歌 6. ドラゴンズの歌 MONO 7. スポーツ・ショー行進曲 8. 闘魂こめて 〜巨人軍の歌 9. 我ぞ覇者 〜慶応義塾応援歌 10. わらじ音頭 11. 暁に祈る MONO 12. ラバウル海軍航空隊 13. 若鷲の歌 MONO 14. 露営の歌 MONO ボーナス・トラック 15. NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ音楽 16. NHKラジオ「日曜名作座」テーマ音楽 ボーナス・トラック 17. 別れのワルツ MONO 『古関裕而初期作品集』 2020年4月29日発売 配信限定:COKM-42732 [ 収録楽曲 ] 1.

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半田市/プレミアム付きエールチケットは【完売】いたしました

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結婚直後・昭和6年の古関裕而・金子夫妻(写真提供:古関正裕さん) NHK連続テレビ小説『エール』で、さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」などを手掛けた名作曲家・古関裕而だ。 ドラマでは、演じる「音」との結婚が話題になっている。 史実でも、愛妻家として知られる古関。 のちに妻になる・金子(きんこ)と何度も手紙を交わして、愛をはぐくんでいた。 『エール』の風俗考証をつとめ、遺族にも取材している刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、古関が作曲した「竹取物語」が縁になったという。 「竹取物語」は、(1)生い立ち、(2)つまどい、(3)仏の御石の鉢、(4)蓬莱(ほうらい)の玉の枝、(5)火鼠(ひねずみ)の裘(かわぎぬ)、(6)龍の首の珠(たま)、(7)つばくらめの子安貝、(8)天の羽衣、と8つの舞曲から構成されていた。 古関はロンドンの「チェスター楽譜出版社」で発行している音楽雑誌『チェスターリアン』を、昭和3年(1928年)1月から購読していたところ、管弦楽作品の懸賞募集の記事を目にし、翌4年に舞踊組曲「竹取物語」を含む5曲(他の4曲は具体的に不明)を応募している。 指揮はグーセンス、演奏はロンドン・フィル・ハルモニック・ソサイティである。 この情報がどこから漏れたかははっきりしないが、昭和5年1月23日付の『福島民報』で「市内一青年の作曲が認められて世界の舞台へ」、『福島民友』で「世界的に認められた!、一無名青年の曲、一流音楽家に互して二等当選、福島市の古関裕而君」と大々的に報じられたのをはじめ、『東京日日新聞』などでも取り上げられた。 新聞記事によれば、入賞の賞金は4000円で、シベリア経由でイギリスに渡り、「竹取物語」のレコード化では自ら指揮をし、その後は古関が憧れるフランス在のストラヴィンスキーに弟子入りする予定だという。 「かぐや姫」内山金子からの手紙 古関がイギリス国際作曲コンクールで二等を獲得したという記事は、愛知県豊橋市に住む17歳の内山金子の目にとまった。 明治四五年に内山安蔵とみつの三女として生まれた金子には、長兄勝英と、長女富子、次女清子、四女松子、五女貞子、六女寿枝子(すえこ)の五人の姉妹がいた。 父安蔵は陸軍獣医として明治27年の日清戦争と、同37年の日露戦争に出征し、その後は愛知県豊橋市で陸軍の師団や連隊に馬具などを納入する商店を営んでいた。 金子は愛知県立豊橋高等女学校(現在の愛知県立豊橋東高等学校)を卒業し、声楽家になることを夢見ていた。 姉清子の手記によると、金子が「竹取物語」の新聞記事に注目したのは、彼女が小学五年生の学芸会で「かぐや姫」の役を演じ、それ以来友達から「かぐや姫、かぐや姫」と呼ばれ、親しみを感じていたからだという。 金子が古関に「竹取物語」の楽譜を欲しいと手紙を送ったことから、文通が始まった。 『エール』の風俗考証を務める、刑部芳則日本大学准教授 昭和5年2月か3月頃に金子から古関に宛てた手紙では、 「広いこの世界にこうして結ばれた魂と魂(結ばれたといつてよいと思ひます)お互が真剣に生一本な心の持主だつたら一致した時、必らず偉大な芸術を産み出すことが出来ると信じます」 と書いている。 プロの作曲家を志す古関と、声楽家を目指す金子とで、最高の芸術を作れると確信したのだろう。 それには二人で渡英し、現地で勉強することが望ましかった。 古関が金子に送った昭和5年3月頃の手紙では、9月8日に日本郵船の鹿島丸に乗って横浜を出発し、10月27日にロンドンへ到着する予定だと伝えている。 古関は金子を連れて渡英することも考えたが、その資金は工面できなかった。 だが、古関は金子を必ず現地に呼び寄せるからと約束している。 貴女を友以上の人と考へる様になりました 古関は声楽家を志す金子を常に励ましていたが、それはプロの芸術家を目指す同志としての友情からであった。 しかし、昭和5年3月30日付の手紙からは古関の恋愛感情が芽生えた様子が読み取れる。 古関は 「貴女が不美人だらうが、何んだらうが、そんな事は第二です。 ただ貴女の、金子さんの気持ちに、その熱に、私は感じて居ります」 「何んだか金子さんを残しては外国へ行きたくない様な気持がします。 『文は人なり』貴女の手紙に依(よ)つて私は貴女のすべてを知り得たと信じます」 と書いている。 さらに5日後の4月4日付の手紙では、愛の告白ともいえる部分がある。 古関夫妻の長男・古関正裕さんの著書『君はるか 古関裕而と金子の恋』集英社インターナショナル 古関が「現在、貴女を友以上の人と考へる様になりました」と伝え、文末には「私の最も慕ふる内山金子様」と記している。 そうした古関からの告白を受け、金子も心を打たれたようだ。 古関は3月19日付の手紙で自分の洋服姿と和服姿の写真2枚を送ると、金子も写真を送り返した。 4月25日に手紙とともに写真を受け取った古関は、「長い間、今日は来るか、今日は来るかと待つてた貴女の御写真、今朝正に戴(いただき)ました」、「私の考へてた以上、貴女の御顔の美しさ」と書いている。 古関は金子の写真を肌身離さず持ち歩いた。 金子に 「昼、シヤツの中に貴女の御写真を入れて、あせでよごれたのではないかと心配しつつそつと出して見ました。 やさしい貴女のお姿、すこしもよごれては居ません。 貴女は、いつまでもいつまでも美しいですね。 御心迄(みこころまで)美しい。 そつと接吻しました。 (お許し下さい。 )」 と伝えている。 古関の写真を先に見ていた金子も 「お写真、私ほんとうに気に入りましたの、離すのは湯に入る時きりです。 何時(いつ)も眺めてます。 夜の勉強にも眠くなると貴方のお写真を見なほしては亦(また)やります」 と書き送っている。 私の貴女へ対する愛の結晶 昭和5年4月29日付で古関が金子に宛てた手紙では、 「貴女を愛し、貴女から愛される様になつた自分故に、今、創り出しつゝある私の芸術は、最大価値のものです」 「洋行、貴女に別れるかと思ふと、何んだか、行きたく、なくなります。 貴女の傍(そば)にいつまでも居たい。 いつまでも、いつまでも、離れずに居たい。 英国の作曲家協会との契約は、五年以上です。 五年間。 あまりに長いです。 五年間の間に、二人は、どうなるでせう」 という。 古関は金子を愛し、彼女と別れてイギリスに留学するか、それを断念するか、苦渋の選択を迫られた。 その苦しい胸中も 「自分が生れて以来、経験した事のない精神上の苦しみ、恋のもだへ、自分一人で苦しみ、自分一人でなぐさめました」 と吐露している。 そして、2月中旬から4月下旬までに、オーケストラ13曲、室内楽3曲など合計26曲を作曲し、これらは「私の貴女へ対する愛の結晶」であり、名古屋に行くときにすべて持参して見せるという。 こうした作曲意欲も、金子がいたから、湧き出てきたのである。 金子の詩に古関が曲をつけた「君はるか」 昭和5年4月29日付で古関が金子に宛てた手紙の最後には、「『君はるか』あまりに永くなつてしまひました。 もうお送りします」とある。 「君はるか」は、俳人浅原六朗(鏡村)に倣って金子が作った詩であり、それを手紙で知った古関が詩に曲をつけたものである。 この「君はるか」には、両者にとって特別な意味があった。 古関は「『君はるか』の譜、是非歌つて下さい」、「『君はるか』本当に貴女ははるかですね、もつともつと近い処(ところ)にお出(いで)になられたら、お合ひも出来様ものを」と書いている。 福島と名古屋という距離は「君はるか」というほど遠かった。 また別の手紙では、 「私がピアノを弾いています。 貴女がステージであの美しい瞳を輝かして「山桜」を歌つています。 夢、現実かと思ひました。 私は夢で完全に貴女と手を握ることができました」 とも書いている。 ここに出てくる三木露風の詩に曲をつけた「山桜」は、古関が金子に贈った歌である。 「君はるか」の楽譜は現存しないため、どのような曲かわからないが、「山桜」は古関の生誕100年記念のときに出た『古関裕而全集』のCDで聴くことができる。 伴奏も含めて技巧的ではないが、高音部が映える情感豊かな曲である。 古関20歳、金子18歳で結婚 5月下旬に古関は、手紙で知らせたとおり、26曲の楽譜を持って名古屋に向かっている。 毎日写真で見ている金子に会えると思うと、古関の感情は高ぶった。 興奮していたのだろう。 夜汽車で眠れぬ古関は、「ここは大井川」、「ここは天竜川」とつぶやきながら、名古屋を目指した。 名古屋で金子と初めて会うと、納屋橋(なやばし)から電車で犬山を通って岐阜県の今渡まで行き、そこから木曽川下りをしている。 これが二人にとっての新婚旅行であり、「五月の新緑がきらきら光る美しい旅でした」という。 古関と金子は昭和5年6月1日に結婚した。 古関20歳、金子18歳という若さであった。 後年に金子は、 「私たちが結婚するまでの期間は三ヵ月くらいでしたかね。 それもほとんど文通でした。 私って冒険心があるのね。 何て言うか人生に夢を持っているんですね。 だから平凡なことよりも、力を生かしていくような職業が好きだったんです。 それで突進したわけ」 と語っている。

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