概要 は通常の後に行われるが、稀に演芸の時間帯も使った拡大版を放送する事もある。 不定期に演芸の時間帯にのアナウンサーによる「アナウンサー大喜利」や、若手噺家による「若手大喜利」を行うことがある。 その際は、大喜利メンバーが司会や運びを担当する。 初代司会のから3代目司会のまではが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きの状態で挨拶が始まっていたが、4代目司会の就任直後の1983年4月ごろからは当時ディレクターだった飯田達哉の提案により 、に合わせて、からメンバーが登場するようになった。 メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(現在は)が登場し 、席に着いて大喜利が始まるようになった。 この時にメンバーが出演するやイベント、書籍などの告知をすることがある。 メンバーの挨拶が一通り終わると、司会者は「良い答えには座布団をあげ、悪い答えには座布団を没収」という基本的なルールの説明と座布団10枚の賞品のキーワードや内容を発表してから本題に入る。 ごく稀に大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られる時があるが、これは時間調節やなどの関係でその回答がカットされることがあるためである。 答えを考えるために動きのない時間も生じるため、実際の大喜利の収録にはテレビ放送の2 - 3倍の時間がかかっている。 最後の問題(大概は3問目)が終わったら司会者が締めの言葉を述べ、出演者全員が客席に向かって一礼する姿が映し出されて大喜利は終了する。 以前は毎年頃になると、大喜利終了後に笑点メンバーが週替わりで来年の『笑点暦』の告知をしていた((51年)版が最初)。 以降は形式が変更され、メンバーの1人が最初の挨拶の時に1度だけ告知をするようになった。 ルールの起源 大筋は創設者であるが考えたとする話が広く知られている。 しかし、座布団を使うという点に関して言えば、実際にはのちにチーフプロデューサーを務めた小暮美雄が考案している。 小暮によれば、以下のような経緯である。 アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。 駄目な答えのペナルティとして、あたかも遊びのように「顔にを塗る」ということなどが行われていた。 しかし、新しく始める『金曜夜席』でも「顔に墨を塗る」ということをやったのでは先行の演芸番組との差別化を図ることは難しいと判断されたため、最初は「を一杯食べさせる」という案が出たが実現せず、考えた末に「罰を与えるより褒美を与える」という逆転の発想が生まれた。 ところが、褒美を与えるのなら何を与えるべきかという点でまたもや詰まってしまい、とりあえず「を与える」という案が出たものの気持ち悪いと思われ話が進まなかった。 『金曜夜席』の初放送日が間近に迫る中、小暮は「私にまかせてくれ」と言い切って、落語家が喜びそうなことはないかとに行ったが、褒美の事で頭がいっぱいで落語を楽しむところではなかった。 結局、何も思いつかないまま末廣亭を出た小暮であったが、その時一緒に出てきた2人連れの「どうして落語家さんが代わる時、下の人()が出て来て座布団を裏返すの?」という会話を耳にした小暮は、ここで初めて「座布団を与える」という発想が出てきた。 そして、寄席で落語などを演じるところを高座と呼ぶところから「(座布団を重ねることによって)高いところをもっと高くしたら(落語家が)喜ぶかもしれない」と思いつき、「私にまかせてくれ」と周囲に言っていたことや初放送日が間近だったこともあって、「よい答えには座布団を与える」という小暮の案がそのまま通った。 基本ルール 司会者が3問 出題し、挙手制で指名されたメンバーが 機知を利かせた答えを返す。 良い答えや面白い答えなどに座布団1枚(特に優れた答えには2枚以上)が与えられ、悪い答え(つまらない答えや司会者を悪く言う答えなど)は座布団を1枚、場合によっては2枚以上や全部没収される。 自分が答えなくても、他のメンバーの答えや発言が原因で座布団が増減するケースもある。 獲得した座布団は一部の回を除き、次回に持ち越して引き継がれる。 座布団10枚を獲得すると、座布団運び・裏方からによる祝福を受けながら豪華賞品が贈られる。 その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。 賞としてoo(キーワード)にちなんだ素晴らしい賞品を差し上げます」と司会者が目録を読み上げる。 一度獲得した賞品は、その後座布団の枚数が減らされても剥奪されない。 座布団10枚が達成された翌週(次の通常回)は、リセットされて全員が座布団1枚からのスタートとなる。 特番の寿大喜利・チーム対抗戦などは全員座布団1枚からスタートし、終了時に座布団が一番多いメンバーに賞品を贈っている。 稀に司会者が座布団を獲得する事があるが 、この座布団は次回に持ち越されない。 大喜利メンバーが代理司会を務めた際には、自身の定席に座布団を与える事があった。 座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。 他にも司会者罵倒ネタに対して仇を討った答えも座布団獲得の対象になる。 また、メンバーのが原因で座布団が没収された例もある(昇太司会時代)。 座布団運び(山田)を罵倒する答えが出た場合、座布団運びは司会者の指図を待たずに当該メンバーの座布団を没収する(五代目圓楽司会時代より)。 座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を没収したり、良い答えでも座布団を与えなかったり没収したりするため、実際は年に1回〜3回程度、場合によっては1年以上座布団10枚が達成しないこともある。 司会時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。 また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版と大喜利の2本立てで行っていた。 カバーにはが使われており、高級感もある。 1枚当たりの製作費は公開していないが「とても高価」。 重さは1枚2. 3キロある。 10枚重なった時でもバランスが保てるように厚みを追求している。 放送開始時当時は座布団の色は水色で、1年ほどでピンク色に変わり、三波の司会就任後の頃に現在の紫色に変わっている。 この他、司会者用に紺色の無地の座布団、座布団運び専用の赤い座布団(メンバー用の色違いで、最初の挨拶の時のみ使用する)が使われている。 座布団の一般販売は行われてない。 番組側は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意している。 しかし、(平成3年)の放送で全員が10枚獲得した際には歌丸と小遊三が11枚だったため座布団が足りなくなり、代わりに司会者(当時は5代目圓楽)専用の紺色の座布団や、座布団運び(山田)専用の赤い座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった。 賞品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、(平成4年)放送の慰安旅行にて贈呈された。 役目を終えた座布団は大喜利メンバーの元に引き取られているが、過去には視聴者にプレゼントされたり、(昭和48年)の日本テレビ開局20周年記念イベントとしてで「笑点まつり」を開き、座布団をと奉焼で厳かにする「座布団供養」が行われた。 座布団は数年に一度不定期で交換されており、(平成21年)放送分から最新の座布団が使用されている。 バランスの関係上座布団に座るのは難しく、座布団が多いと山田の補助を借りて座っている場合がある。 地方収録では万が一に備えて座布団60枚をで運ばなければならないため、移動の際に最も嵩張る荷物は座布団だと言われている。 出題 主な出題例としては以下のものがある。 頭文字シリーズ• 2つ以上の頭文字から始める小話や川柳などを作る。 地方収録の1週目1問目に多い。 笑点・新の遊び• 特定の部首に、色々な漢字を書いて新しい読みを作るのが基本。 両隣のメンバーとお詫びをした後、司会者もしくは謝罪されたメンバーが「それだけじゃないだろ! 」と言った後に答えを返す。 相手のメンバーを1人指名して行う。 指名された相手は即興で返しを考えなければならないため難度の高い問題だが、後から指名された方に座布団が与えられるケースが多い。 笑点イエス・ノークイズ• 司会者はどんな場合でも「イエス」としか答えない(回答によっては、例外あり)。 クイズの正解を言った後、答えを返す。 地方収録の2週目3問目で行われることもある。 地方収録の2週目3問目で行われることがほとんど。 タクシードライバーに扮したメンバーが収録地の名所を案内し、観光客役の司会者が「ほんと? 」と感心した後に答えを返す。 笑点ご当地しりとり• 地方収録の1問目で行われる。 ヒントを言った後、司会者が言う言葉に続けて回答する。 但し最後に「ん」がついた場合は、答えの内容に問わず座布団没収となる。 主に年内最後の放送で行われる。 メンバーが言う「でも…!」の後にの「」が流れる。 老夫婦の会話 (昭和41年)放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された。 後に(平成13年)放送の35周年記念大喜利でも、同じ問題が出題されている。 1問目、2問目は最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったら嫌な/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある。 ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。 歌丸時代の末期(2016年1月から5月)には、スペシャルゲストが登場する事が多かった。 寿大喜利では毎年「大喜利」と称し、3問目に司会者とメンバーがその年の干支の動物のを着て、その干支に関する問題が出される。 問題では「例の物」として小道具が用いられることがある。 「例の物」として一番多いのは「」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。 中には「被り物(多くが・・・着ぐるみの頭の部分など)」が出てくることがある。 被り物ネタでは司会者が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。 その他の定番としては(などでの呼び出し。 風のタイプ)や・帽子・・・・・・など。 時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。 色紋付 スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。 談志時代の頃から導入されていたが、その当時の普及率が低かったため(昭和43年)〜(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。 談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に定着した。 な色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったと言われる。 そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至った。 例年8月の放送(24時間テレビを除く)では、メンバー全員が同じ「笑点」の柄の入ったもしくは白色のの着物で登場する。 現在、色紋付は ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ の8種類である。 歴代席順 『金曜夜席』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1965年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の円楽は「楽太郎」から襲名した6代目円楽)。 また、ここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べる。 斜体文字は代理出演。 笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望やスタッフの判断により席替えをすることもある。 最近では、(平成28年)より昇太が大喜利メンバーから司会者に昇格、三平が加入のようにメンバーの入れ替えがあっても席替えが行われず前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている。 席替えは、1992年(平成4年)に好楽と小遊三の位置が入れ替わったのを最後に行われていない。 大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。 5人制 放送日 司会 出演メンバー(左側が下手) 座布団運び 備考 1965年 『金曜夜席』放送当時の席順。 1965年 圓楽 歌丸 小痴楽 談志 きん平 西 円弥に代わって、こん平が加入。 1965年 - 談志 歌丸 小痴楽 圓楽 こん平 きん平 西 談志と圓楽が役割を交換する。 談志が司会、圓楽が回答者となる。 - 談志 こん平 圓楽 小痴楽 歌丸 『笑点』放送開始当時の席順。 座布団運びが勝松に交代。 『金曜夜席』終了後にきん平が死去したため、金遊が加入。 こん平と小痴楽の位置が入れ替わる。 歌丸が右端に移動。 1968年、金遊が4代目小圓遊襲名。 この期間は、毎週メンバー全員色紋付になる。 1968年、石井が毒蝮に改名。 1969年 - 1969年 談志 毒蝮 大喜利メンバーが全員降板した事に従い、メンバー総入れ替え。 大喜利ナンバーワン 期間 司会 出演メンバー 座布団運び 備 考 歌奴チーム 金馬チーム 歌奴チーム 金馬チーム - 小圓遊 勝二 歌丸 さん吉 司会が前田に交代。 勝二とさん吉以外のメンバーが全員降板。 歌奴・金馬・小きん・木久蔵が加入。 歌丸と小圓遊が復帰。 座布団運びが笑遊と夢丸に交代。 この間は歌奴チームと金馬チームによる対抗戦形式で実施。 1970年 歌奴 小圓遊 勝二 木久蔵 金馬 歌丸 小きん さん吉 夢丸 補佐役 笑遊 補佐役 前田が飛行機の欠航により急遽休演。 三波が大喜利司会を担当。 戸塚と伊東が特別に座布団運びを担当。 6人制 期間 司会 出演メンバー(左側が下手) 座布団運び 備考 1970年 - 1970年 前田 歌丸 木久蔵 圓楽 小きん 小圓遊 補佐役 前田・歌丸・木久蔵・小きん・小圓遊以外のメンバーが全員降板。 圓楽が復帰し、圓窓が加入。 現在のメンバー数が確立。 座布団運びが小野と補佐役の米助に交代。 1970年秋頃から、毎週メンバー全員色紋付になる。 - 三波 歌丸 木久蔵 圓窓 圓楽 小きん 小圓遊 小野 米助 補佐役 司会が三波に交代。 1971年秋頃に、木久蔵の色紋付が赤から黄色に変わる。 1972年秋頃に、三波の色紋付が白に変わる。 1977年 - 1977年 三波 歌丸 木久蔵 圓窓 こん平 小圓遊 松崎 圓楽が再び降板。 この間は5人で大喜利を行う。 1977年 - 三波 歌丸 木久蔵 こん平 小圓遊 松崎 圓窓が降板し、夢之助と楽太郎が加入。 1979年 - 三波 楽太郎 こん平 歌丸 木久蔵 小圓遊 松崎 夢之助が降板し、九蔵が加入。 同時に、小圓遊以外のメンバーが席を移動。 1980年・ 1980年 三波 楽太郎 こん平 歌丸 九蔵 木久蔵 松崎 に小圓遊が。 小圓遊追悼で、残りのメンバーで大喜利を行う。 1980年 - 三波 楽太郎 木久蔵 歌丸 九蔵 こん平 松崎 朝次がピンク色の紋付で加入。 これにより九蔵の色紋付がピンク色から水色になると同時に5列目に移動。 木久蔵が2列目に移動。 こん平が右端に移動。 - 1982年 三波 朝次 楽太郎 木久蔵 歌丸 九蔵 こん平 松崎 朝次が1列目の位置に移動。 1982年 - 1982年 三波 九蔵 こん平 歌丸 朝次 楽太郎 木久蔵 松崎 メンバーの順番が入れ替わる。 歌丸 九蔵 楽太郎 木久蔵 朝次 こん平 松崎 三波が急逝。 愛川が鶴亀大喜利の司会を代理。 この日は新春スペシャルであるため、全員黒紋付。 1983年、九蔵が圓楽門下に移籍、好楽に改名。 1983年 - 圓楽 楽太郎 木久蔵 歌丸 朝次 こん平 松崎 好楽が降板し、小遊三が加入。 メンバーの順番が入れ替わる。 1984年頃に、圓楽の色紋付が紺色に定着する。 1984年 - 圓楽 楽太郎 木久蔵 小遊三 歌丸 朝次 こん平 座布団運びの松崎が降板し、山田に交代。 1985年・ 1985年 圓楽 小遊三 木久蔵 楽太郎 こん平 朝次 山田 歌丸が病気療養のため一時休演。 小遊三と楽太郎の位置が入れ替わる。 こん平が4列目に移動。 1985年 - 1985年 圓楽 小遊三 木久蔵 楽太郎 こん平 朝次 歌丸 山田 1985年4月21日放送分より、歌丸が復帰と同時に右端に移動。 1985年、朝次が真打昇進・7代目才賀襲名。 1985年秋頃に、山田の紋付の色が朱色に変わる。 - 圓楽 才賀 小遊三 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 山田 才賀が左端に移動。 1988年 - 圓楽 好楽 小遊三 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 山田 才賀が降板し、好楽が復帰。 以後18年間は代理出演を除き、大喜利メンバーは不変となる。 - 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 山田 好楽と小遊三の位置が入れ替わる。 1998年 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 山田が4週にわたって休演。 若手落語家が週代わりで座布団運びを担当。 1998年 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 1998年 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 1998年 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 1998年 - 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 こん平 山田 1998年8月2日放送分より、山田が座布団運びに復帰。 2004年 - 2004年 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 山田 こん平が病気療養のため一時降板。 この間は5人で大喜利を行う。 2004年 - 圓楽 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 たい平 山田 たい平がこん平のとして加入。 2005年 歌丸 小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 山田 圓楽がのため休演。 たい平以外 の大喜利メンバーが、週替わりで大喜利司会を代理。 2005年 楽太郎 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 たい平 山田 2005年 小遊三 好楽 木久蔵 歌丸 楽太郎 たい平 山田 2005年 好楽 小遊三 木久蔵 歌丸 楽太郎 たい平 山田 2005年 木久蔵 小遊三 好楽 歌丸 楽太郎 たい平 山田 2005年 - 歌丸 小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 山田 この回より、代理司会が歌丸に固定される。 2006年 圓楽 歌丸 小遊三 好楽 木久蔵 楽太郎 たい平 山田 40周年記念特番。 圓楽が最後の大喜利司会を務める。 新メンバーとして昇太が加入。 同時にたい平が正式なメンバーとなる。 、歌丸の色紋付が深緑に変わる。 2007年放送の「ダブル襲名披露口上 」を以て、木久蔵が木久扇に改名。 2008年 たい平 小遊三 好楽 木久扇 昇太 楽太郎 山田 歌丸が腰の手術・療養のため休演。 たい平と昇太が大喜利司会を代理。 放送の「六代目円楽襲名披露口上」を以て、楽太郎が6代目円楽襲名。 2010年 木久扇 小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 山田 の歌丸入院に伴う休演。 木久扇と好楽が大喜利司会を代理。 2010年 好楽 小遊三 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2010年 - 2014年 歌丸 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 放送分より、歌丸が復帰。 2014年 木久扇 小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 山田 歌丸が、2014年の入院、および同年の再入院に伴う休演。 昇太・たい平以外の大喜利メンバーが週替わりで大喜利司会を代理。 2014年 好楽 小遊三 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2014年 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2014年 円楽 小遊三 好楽 木久扇 昇太 たい平 山田 2014年 - 2014年 歌丸 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 放送分より、歌丸が復帰。 2014年 - 2014年10月12日 歌丸 小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 山田 木久扇が、初期ののため休演。 2014年10月19日 - 歌丸 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2014年10月19日放送分より、木久扇が復帰。 2015年 昇太 小遊三 好楽 木久扇 円楽 たい平 山田 歌丸が、2015年1月5日の入院に伴う休演。 昇太・たい平が大喜利司会を代理。 2015年 たい平 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 山田 2015年 - 2015年7月5日 歌丸 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2015年2月8日放送分より、歌丸が復帰。 2015年7月12日 木久扇 小遊三 好楽 昇太 円楽 たい平 山田 歌丸が、2015年6月14日の入院に伴う休演。 大喜利メンバー全員が週替わりで司会を代理。 2015年7月26日は、女性アナウンサーとのペア大喜利を放送(司会は昇太)。 2015年7月19日・ 2015年8月30日 円楽 小遊三 好楽 木久扇 昇太 たい平 山田 2015年8月2日 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2015年8月9日 好楽 小遊三 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2015年8月16日 たい平 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 山田 2015年9月6日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 円楽 たい平 山田 2015年8月23日・ 2015年9月13日 - 2016年5月22日 歌丸 小遊三 好楽 木久扇 昇太 円楽 たい平 山田 2015年8月23日の『チャリティー大喜利』及び同年9月13日放送分より、歌丸が復帰。 昇太が6代目司会者に就任。 三平が加入。 2016年6月5日に、三平の色紋付が丁子色に定着する。 2016年8月28日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 山田 『24時間テレビ』にて行われた、『チャリティー大喜利』。 たい平は同年の『チャリティーマラソン』のランナーだったため、大喜利には不参加。 2016年9月4日 - 2018年3月25日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 たい平 山田 2018年4月1日 円楽 小遊三 好楽 木久扇 三平 昇太 たい平 山田 企画として、6代目円楽が司会を担当。 昇太は約2年ぶりに回答者として出演。 2018年4月8日 - 2019年8月11日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 たい平 山田 2019年8月18日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 たい平 山田 6代目円楽が脳腫瘍により休演。 代役として、若手大喜利から昇也と晴の輔が出演。 2019年9月1日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 たい平 山田 2019年9月8日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 たい平 山田 2019年9月15日 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 たい平 山田 2019年8月25日・ 2019年10月6日 - 昇太 小遊三 好楽 木久扇 三平 円楽 たい平 山田 2019年8月25日の『チャリティー大喜利』及び同年10月6日放送分より、6代目円楽が復帰。 2020年5月10日放送分は並びは同じだが、 新型コロナウィルス対策としてメンバー1人1人の間隔を開けて配置された。 チーム対抗戦 年内最後の放送時などに、メンバー6人を3対3に分けて対抗形式で大喜利を行うケースがある。 この場合は通常とは異なる司会席を中央に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加する。 2020年4月26日と5月3日放送分の対抗戦は対策による一時的な配置変更で行われたため、形式上は通常通りの個人戦だった。 対抗戦形式の席順(1985年から2004年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の円楽は6代目円楽) 放送日 タイトル 司会 出演メンバー 座布団運び 勝利チーム 敗北チーム 下手側 上手側 下手側 上手側 1000回記念大喜利 圓楽 こん平チーム こん平 楽太郎 才賀 歌丸チーム 歌丸 木久蔵 小遊三 山田 うん平 歌丸チーム こん平チーム 寿大喜利 圓楽 年金チーム 歌丸 木久蔵 こん平 中年チーム 楽太郎 好楽 小遊三 山田 昇太 年金チーム 中年チーム 年忘れ大喜利大会 圓楽 こん平チーム こん平 好楽 小遊三 歌丸チーム 歌丸 木久蔵 楽太郎 山田 歌丸チーム こん平チーム 年忘れ大喜利大会 圓楽 こん平チーム こん平 木久蔵 好楽 歌丸チーム 歌丸 楽太郎 小遊三 山田 愛楽 歌丸チーム こん平チーム 年忘れ大喜利大会 圓楽 こん平チーム こん平 木久蔵 好楽 歌丸チーム 歌丸 楽太郎 小遊三 山田 愛楽 歌丸チーム こん平チーム 新春大喜利 圓楽 こん平チーム こん平 楽太郎 小遊三 歌丸チーム 歌丸 木久蔵 好楽 山田 愛楽 歌丸チーム こん平チーム 年忘れ大喜利大会 歌丸 おじさんチーム 好楽 木久扇 小遊三 若手チーム 昇太 楽太郎 たい平 愛楽 山田 おじさんチーム 若手チーム 年忘れ大喜利大会 歌丸 年寄りチーム 木久扇 好楽 小遊三 壮年チーム 昇太 楽太郎 たい平 愛楽 山田 壮年チーム 年寄りチーム 年忘れ大喜利大会 歌丸 年寄りチーム 木久扇 好楽 小遊三 若手チーム 円楽 昇太 たい平 愛楽 山田 若手チーム 年寄りチーム 年忘れ大喜利大会 歌丸 ベテランチーム 木久扇 好楽 小遊三 若手チーム 円楽 昇太 たい平 愛楽 山田 若手チーム ベテランチーム 年忘れ大喜利 歌丸 高齢者チーム 木久扇 好楽 小遊三 幼稚園チーム 円楽 昇太 たい平 愛楽 山田 幼稚園チーム 高齢者チーム 林家vs三遊亭大喜利 昇太 三遊亭チーム 円楽 好楽 小遊三 林家チーム 木久扇 三平 たい平 愛楽 山田 三遊亭チーム 林家チーム ・ 2020年 対抗戦大喜利 昇太 木久扇 好楽 小遊三 三平 円楽 たい平 山田 - - 座布団10枚の豪華賞品 前身番組の『金曜夜席』から「座布団10枚の豪華賞品プレゼント」は企画されていたが、実際に獲得して賞品を出したのは「笑点」になってからである。 基本的に賞品の発表は達成時に行われ、それまでは賞品を示唆するキーワードのみが発表される。 最初の賞品は「に行ってが食べられる」で、歌丸と小痴楽が獲得。 当時の番組に香港行きの予算はなかったが、事情を聞いたとある船会社から香港までの2名分の船チケットの提供があり、実際に10日間の船旅に行っている。 旅の様子は写真のみで、獲得した翌回の大喜利の冒頭(1967年6月4日放送)で紹介された。 番組初期の賞品に関するデータはほとんど残っていない。 これは、当時は司会者の思いつきで賞品を決めてその場で渡したり、ロケでも上記のように写真しか残していないためである。 以下に、座布団10枚の達成者と達成年月日、キーワードと実際の賞品を紹介する。 豪華賞品 ()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。 ただし、10枚達成直後に贈られたものや、10枚達成のロケーションを行っていないものは、10枚達成をした放送日である。 三波時代以前の豪華賞品• 箱一つを獲得。 (放送日・獲得者不明)• ただ皆で笑うだけだった。 (放送日・獲得者不明)• だけだった。 (放送日・獲得者不明)• 「がもらえる」ということで、(ボー)と(ナス)がもらえた。 (放送日・獲得者不明)• 「を敬う」として、がプレゼントされた。 (放送日・獲得者不明)• 「に自分の像が建てられる権利」を獲得。 (放送日・獲得者不明)• 歌丸が「海の幸三昧」を獲得。 しかし、実際は食べ放題ではなく自分で海に潜って獲るものだった。 そこではなどを食べた。 (放送日不明)• 5代目圓楽が「でが見られる権利」を獲得。 しかし、「イギリスのまで自腹で行け」と言われたため、結局行けなかった。 (放送日不明)• 木久蔵が「デッサン」を獲得。 しかし、は自分で探さなければならず、した女性にの池に突き落とされる羽目になった。 (放送日不明)• 小圓遊が「で狩り」を獲得。 にあったアフリカ館へ行って猛獣を見学した。 (放送日不明)• 木久蔵が「の美人に会える権利」を獲得。 意気揚々との旅館へ行ったものの、散々扱き使われてタダ働きさせられただけだった。 (放送日不明)• 小圓遊が「」を獲得。 (1971年8月1日放送)• 小圓遊が「歌手デビュー権」を獲得。 「マドモワゼル」を発売した。 (1972年放送) レコードジャケットは大喜利で座布団10枚を獲得した時の高座着姿の写真を使用しているが、実際に小圓遊が番組などで歌う時は白いに赤いをつけて歌っていた。 B面には当時の笑点メンバーによる「アリャリャン音頭」という曲が収録されている。 木久蔵が「花の都の遊び」を獲得。 (1973年5月13日放送) 「花の都」とはのことであり、こん平と松崎真が車夫として人力車を引き 、銀座で人力車遊びに興じる木久蔵の様子は新聞でも報道された。 5代目圓楽が「」をされるが、途中で落とされて足をした。 (1973年7月放送) 最も古く残されている「笑点」の映像で5代目圓楽が左足にを巻いた姿で出ているのはこのため。 (同年8月26日放送)• 小圓遊が「」を獲得。 (1974年5月19日・26日放送)• 「番組特製笑点」を獲得。 (1975年1月放送 獲得者不明) このカレンダーは非売品であり、からの問い合わせが殺到したため、翌年の1976年(昭和51年)版から『笑点暦』という名で商品化されて現在でも毎年発行されている。 小圓遊が「珍身遊び」を獲得。 (1975年5月4日放送)• 歌丸が「日記」を獲得。 (1975年9月7日・14日放送) 松崎とを揚げて市内を走った。 しかし、聖火はで映像も仕立てであり、最後に海に入った。 この時の映像は2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番などでも放送された。 番組史上最も豪華な賞品とされている。 この賞品が歌丸初の座布団10枚として扱われる事が多いが、先述の談志時代に獲得した香港旅行や獲得者不明の賞品もあるため、正確ではない。 こん平が「美女とデート」を獲得。 (1975年9月28日放送) しかし、美女の正体は師匠の妻・であり、で児のをさせられ、散々振り回される羽目になった。 木久蔵が「参り珍道中記」を獲得。 (1977年1月23日放送)• 三波が「豪華食べ歩きの旅」を獲得。 (1977年4月3日放送) 5代目圓楽が座布団10枚を超えたが、番組を降板するため賞品の獲得は見送られ、その代わりに獲得した12枚の座布団を持ち帰った。 (1977年3月27日放送) しかし他メンバーの答えの出来が悪かったため、三波が司会者特権で賞品を強奪。 メンバーの反感を買い、逆襲に遭う。 夢之助と楽太郎が「二人旅」を獲得。 (1978年3月26日放送 共に初の座布団10枚獲得) 風、弥次喜多コントをさせられた。 こん平が「落語一席披露権」を獲得。 落語「」を披露した。 (1978年8月13日放送)• 夢之助が「奮闘記」を獲得。 (1978年10月1日放送)• 夢之助が「珍佐渡情話」を獲得。 (1979年4月22日・29日放送) こん平がガイドとしてついて来て、「・篇」として前後編2週にかけて放送した。 こん平が「お大尽」を獲得。 九蔵と楽太郎が手水役を務め、こん平が餅をついた。 (1979年12月23日放送)• 九蔵が「最後の楽園騒動記」を獲得。 (1980年6月1日放送 九蔵、初の座布団10枚獲得) 三波から「行き先はだ」と脅されていたが、実際はで探しの珍道中だった。 木久蔵が「・」を獲得。 (1980年8月24日放送)• こん平が「美女と」を獲得。 (1981年4月19日放送) 今回の美女はのだったため、ちゃんとしたを楽しめた。 楽太郎が「・の狂宴」を獲得。 (1982年4月25日放送) しかし、花見の場所取り役を押しつけられただけだった。 朝次が「光り輝く小粒の貴重品」を獲得。 しかし、だった。 (1982年10月3日放送 朝次、初の座布団10枚獲得) 5代目圓楽時代の豪華賞品• 歌丸が「家一軒」を獲得。 しかし、犬小屋だった。 (1983年1月16日放送 特典自体は三波時代に発表されていた)• 歌丸と木久蔵が「一周マラソンに挑戦」を獲得。 (1983年10月23日放送) 木久蔵は完走したが、歌丸は途中で倒れて酸素吸入を受け、に乗せられてゴールした。 この時の映像は、2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番でも放送された。 歌丸と小遊三が「入門」を獲得。 (1986年4月13日放送) 日ごろからで鍛えている小遊三は軽快なフットワークを披露。 一方で歌丸は、開始早々ダウンしてしまった。 歌丸が「ドッキリ」を獲得。 (1987年11月22日放送) の車内に、歌丸の中吊り広告が編成中の1両全てに張り出された。 歌丸も私服に眼鏡を付けた姿で電車に乗り込み、中吊り広告を見た乗客がインタビューを受けているところに、背後から歌丸本人が現れるドッキリを仕掛けた。 こん平が「珍説のさぎ参り」を獲得。 (1988年2月21日放送)• 才賀が「・イン・」を獲得。 (1988年3月6日放送 才賀、降板前最後の10枚獲得)• 好楽が「」を獲得。 (1988年5月22日放送 好楽、復帰後最初の座布団10枚獲得)• 木久蔵が「入門」を獲得。 (1988年9月18日放送) のとで野球観戦した。 「入塾」を獲得。 (1988年放送 獲得者不明)• 歌丸が「の夕べ」を獲得。 (1989年5月21日放送) に寄港したで美女と。 美女の正体は、歌丸の妻・冨士子夫人だった(放送では後ろ姿のみで顔は出なかった)。 木久蔵が「を行く」を獲得。 (1989年11月12日放送) をで出発、次駅ので下車。 「の道」を探訪した。 こん平が「紀行」のセットを獲得。 (1990年7月22日放送)• 小遊三が「花火指南」を獲得。 (1990年11月25日放送)• 歌丸が「で自由にショッピングを楽しめる」を獲得。 (1991年4月7日放送) しかし、先述の「イギリスのダービー」の時と同じく「自分のお金でパリに行き、自分のお金で自由にパリでショッピングしていいよ」というものだった。 ちなみに、この年に放送25周年を記念してパリで大喜利を開催する予定だったが、の影響で中止になった。 こん平が「から船に乗ってどこかへ行ける」を獲得。 (1991年4月21日放送) 翌週の収録地であるまでのでの移動を命じられた。 楽太郎が「と対決」を獲得。 本物のカール・ルイスとで対決した。 (1991年6月2日放送)• こん平が「」を獲得。 (1991年12月15日放送) 宝の地図を頼りに、の山中を分け入って掘り当てた。 しかし、出てきたのはの入りの5枚(5枚雑巾・ごまいぞうきん)だった。 メンバー全員が「岩清水を飲む権利」を獲得。 (1992年5月10日放送) しかし、汲んだ岩清水を山田が途中でこぼし、代用品としてを漬けた水(いわし・水)をメンバーに飲ませた。 この事実を知ったメンバーは激怒し、これ以降「山田降ろし」ネタを多用するようになった。 好楽が「5泊6日の旅」を獲得(1992年5月24日放送) 好楽だけでなく、当時の笑点メンバー全員が同行した。 小遊三が「」を獲得。 (1993年2月28日放送)• 好楽が「美女と」を獲得。 (1993年5月23日放送) 小遊三も同行しコントの脱線もあったが、美女に囲まれながら美味い新茶を摘むことができた。 こん平が「道路工事のお手伝い」を獲得。 1993年7月25日放送• 木久蔵が「美女と修行」を獲得。 (1993年11月14日放送) のに美人のさんを訪ねたが、迎えてくれたのは怖いさんであった。 そして、一丁で水温0(レイ)度の滝に打たれる木久蔵の絶叫が寒空に響き渡った。 番組 の1人でのがの如く現れ、「あなたの知らないレイ度の世界」と呟いた(「」の風)。 歌丸が「の休日」を獲得。 (1994年3月6日放送) 釣りを満喫した後、歌丸が最も楽しみだった雪見風呂だったが、の真ん中にポツンと立つ風呂だった。 そのため、報告のタイトルが「白樺高原の休日」から「歌丸の極寒雪見風呂」に摩り替わっていた。 小遊三が「に錦を飾る」を獲得。 (1994年7月10日放送) 故郷であるをで。 母校へ赴き、当時のから「錦の座布団」が贈られた。 楽太郎が「秋の香り満載」を獲得。 (1994年10月30日放送) 秋なのでを予想した楽太郎だったが、山田が持ってきたのはで、しかも焼きたての銀杏だったため独特の匂いを会場に撒き散らしてしまう。 これはスタッフが、収録前日のので拾い集めてきたものだった。 番組史上最も安い賞品とされている。 こん平と小遊三が「」を獲得し対決。 (1995年4月16日放送) 出身のこん平が、山梨出身の小遊三がに扮し、座布団10枚の御祝儀をかけてで卓球勝負。 小遊三が勝利したが、こん平の作戦で御祝儀はこん平の物になった。 木久蔵が「奮闘記」を獲得。 苦労して収穫した米をにして5代目圓楽に振舞った。 (1995年10月22日放送)• 好楽が「一攫千金を夢見て取り大作戦」を獲得。 (1996年9月15日放送) しかし、この時期は翡翠が取れないらしく、結局は5代目圓楽に似た細長い石を持ち帰ることになってしまった。 こん平が「監督におめでとうの座布団を贈る権利」を獲得。 (1996年10月13日放送)• 楽太郎が「木久蔵にできる権利」を獲得。 (1997年5月4日放送) 獲得直後、強制的に弟子入りさせられた。 弟子入りするというのはあくまでも番組でのネタであり、本当に弟子になった訳ではない。 木久蔵が「」を獲得。 木久蔵のが出現。 (1997年9月14日放送)• 小遊三が「の」を獲得。 しかし、出てきたマウンテンバイクに乗れず、実際にもらったのは子供用だった。 (1998年8月30日放送)• 木久蔵が「私が木久蔵です大作戦」を獲得。 (1999年1月24日放送) 5代目圓楽の指示でに乗ったが、車窓から見えたのは広大なにポツンと立っている『私が木久蔵です』と書かれた巨大な看板だった。 小遊三が「楽園のバカンス」を獲得。 (1999年6月20日・27日放送) をしていなかった小遊三夫婦にとっての代わりのバカンスを楽しんでいたところに、こん平と楽太郎も乱入。 この賞品の真の目的は「パラオに寄席『第2若竹』を作ること」と知らされる。 言葉や文化の違いに戸惑ったものの、パラオの人々に落語「」 を披露し見事成功した。 歌丸が「世界の大スターに会える権利」を獲得。 (1999年9月5日放送) 客席で5代目圓楽と共に大スターが来るのを待っていたが、その大スターの正体は山田隆夫(一度だけハリウッド映画(「」)に出演したことがあり、自称 「笑点が生んだ世界的スター」)で、「」を熱唱しながら登場しただけだったため、歌丸はガッカリしていた。 木久蔵が「ある組織の長になれる権利」を獲得。 (1999年12月12日放送) 組織の長とは、一日幼稚園の園長先生であった。 元気な園児たちと、お絵描き、お弁当の楽しい時間を過ごし、最後は本業の落語で大爆笑。 大役を果たした。 木久蔵が「好きな番組を製作出来る権利」を獲得。 (2000年7月9日放送) そこで木久蔵が「を海外で出店したい」と言ったことから、番組の特別編として「木久蔵ラーメンin」を放送。 現地で、こん平・小遊三・きくお(現:)・と合流。 タイ人は何にでもを入れる習慣があることから砂糖壺を屋台に用意。 この特別番組は、獲得から1年後の2001年7月8日に放送された。 賞品獲得から放送が遅れた理由として、木久蔵がロケ直前にのを行ったことで、その術後の回復を待って収録されたためである。 歌丸が「」を獲得。 (2000年12月3日放送) の他、やといった姿を含めた写真集が製作された。 当初は店頭で発売する予定だったが、出版してくれる出版社が無かったため5代目圓楽の自腹で10冊のみ製本し、抽選による視聴者プレゼントに変更となった。 この写真集は、50周年スペシャルでも紹介された。 小遊三が「」を獲得。 (2001年8月12日放送) 山田が風の衣装を着て登場し、持ってきたのは「2001円の府中の」(で2001円で売っていた足袋)だった。 楽太郎が「いざさらば 雪見にころぶ 所まで(の句)」を獲得。 (2001年12月16日放送) 賞品は「笑点特製」で、豪快に笑う5代目圓楽のイラストが描かれていた。 こん平が「花の雲 鐘は上野か 浅草か(松尾芭蕉の句)」を獲得。 (2002年3月31日放送) 賞品は「花見場所取りセット」であり、5代目圓楽のシール付きまであった。 小遊三が「夏草や 兵どもが 夢のあと(松尾芭蕉の句)」を獲得。 (2002年8月25日放送) (夏、くさや)の本場・に行き、くさや作りを体験。 魚のくさやを賞味し、最後は色々な魚のくさや干しを食べて、まさにくさや三昧の一日となった。 歌丸が「」を獲得。 賞品は1枚(3個の零で1000円)。 (2003年4月6日放送)• こん平が「旅は道連れ 世は情け」を獲得。 (2003年8月31日放送 こん平、休演前最後の10枚獲得) こん平の道連れとして山田が同行することとなり、仲直り旅行と称してへ行くこととなった。 歌丸が「似たもの夫婦」を獲得。 賞品は(煮た物フーフー)だった。 (2003年12月28日放送)• 楽太郎が「古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉の句)」を獲得。 (2004年4月25日放送) 5代目圓楽からは「神々の島であるの古池に飛び飛んで、黒い腹を清めて来い」と言われる。 現地乱入のこん平と好楽の案内で湖近くの滝壺へ行くが、楽太郎が拒否。 結局、高級のに飛び込んだあと、バリ式で腹を白くした。 番組の構成チーフだった城啓介の後日談として、楽太郎が飛び込むことを拒否したカルデラ湖の中に温泉が湧いていて、当初は本当に飛び込むことを予定していたが、その湖の周りにを習慣としている村が存在し、湖の周りに風葬された遺体がそのまま埋められていることもあり、スタッフの配慮によってリゾート内のジャグジーに変更されたとのことである。 歌丸が「濡れ手でのひとつかみ」を獲得。 (2005年5月15日放送 歌丸、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得) 紙幣「」が入っている箱から、現金つかみ取りゲームの要領で1度掴み取る(ひとつかみ)。 さらにその掴み取ったペソを元手に、「ツアー一攫千金の旅」へ。 現地乱入の楽太郎を交え、で1000ペソ稼いでで一攫千金を狙うが、楽太郎のイメージカラーである『黒』を避けて赤に賭け続けた結果大敗し、成功を予定して組まれた祝賀会の費用を自腹で払う羽目になった。 小遊三が「明日は明日の風が吹く(映画「」の名台詞)」を獲得。 (2005年10月16日放送) 賞品は、5代目圓楽の自宅の押し入れから出てきた10年前のだった。 この翌週から5代目圓楽が病気で休演したため、5代目圓楽時代の事実上最後の10枚獲得。 タイの石(横浜にぎわい座 2Fに展示)• たい平が「少年よ、大志を抱け(の名言)」を獲得。 (2006年5月7日放送 たい平、初の座布団10枚獲得) 賞品は「の石」(証拠写真付き)。 たい平はこの巨大な石を、収録会場のからまで持ち帰る羽目になった。 この石は当時の笑点メンバーのサインが入れられ、現在はの演芸資料館に展示されている。 歌丸は代理司会・たい平は代理メンバーとして唯一の座布団10枚。 この翌週の40周年記念SPで5代目圓楽が『笑点』から勇退、その翌週より歌丸が正式に司会に就任し、同時にたい平も正式なメンバーとなった。 歌丸時代の豪華賞品• 好楽が「」を獲得。 (2006年12月24日放送) (は身をたすける)のコスプレだった。 この回は2006年最後の放送だったため、歌丸が「10枚獲得者が出なくても1番多い人に賞品を差し上げる」と発言したが、好楽はちゃんと10枚獲得した。 楽太郎が「」を獲得。 (2007年4月29日放送) ・で旅行を楽しんでいる最中に木久蔵・好楽が合流、韓国の「天才」少女と楽太郎が「天災は忘れた頃にやってくる杯」と題したゴルフ対決をすることに。 結果は楽太郎が敗れ、罰ゲームとしてお馬さんごっこの馬役をやらされた。 6代目円楽襲名前最後の10枚獲得。 昇太が「」を獲得。 (2008年3月9日放送 昇太、初の座布団10枚獲得) 「花より」と(団子屋を経営する元ボクシング世界チャンピオン)がしただった。 昇太が「」を獲得。 (2008年12月14日放送) 5代目圓楽の笑い声が聞こえてくるお守り袋()だった。 たい平が「」を獲得。 (2009年9月13日放送) 歌丸の賞品の説明では海外で豪華だったが、実際はのの川をの中、小さな船で自分で漕いで下るというものであった。 その後へ移動。 をまとったベトナム美女と食事デートを楽しむが、好楽がの運転手やレストランの店員に扮して邪魔をし、最後はとなった好楽がでたい平の妻・ にこれまでの事を密告、電話に代わったたい平が携帯電話に向かってするオチとなった。 コーナー終わりのテロップは 「こんなこと でも あったよね [楽]」。 昇太が「」を獲得。 (2009年12月20日放送) ネタ(身)から(サビ)のはみ出しただった。 暫く食べるのをためらい、意を決して食べるも余りの辛さに悶絶した。 木久扇が「」(の楽曲)を獲得。 (2010年6月6日・6月13日放送) 歌丸が瞳を閉じて考えた結果、木久扇のネタのひとつ・河童に因んでの・の旅を贈呈。 前編は陶器の絵付やに乗ってのカッパドキア遺跡巡り、後編はに行った。 山田も同行する事になり、木久扇は最初嫌がっていたものの、結局は2人旅を楽しんだ。 現地で描いた「カッパドキアでラーメンを食べる河童」(ほか2種類の計3枚)の皿は、視聴者に抽選でプレゼントされた。 ナレーションはたい平が担当。 6代目円楽が「至福の時」を獲得。 (2011年6月12日放送) 賞品の内容はでの旅行。 「世界にひとつだけの温泉」という触れ込みだったが、実際は自分で河原を掘って入るものだった。 その後市内を観光するが、途中で小遊三と好楽も乱入。 続いて2人と食事をしたが、勝負で小遊三と好楽に敗れ、罰ゲームでを食べさせられた。 最後に「台湾でタイワンな目にあっちゃった(友達できないね)」と締め括っている。 ナレーションは前回に続いてたい平が担当。 好楽が「」(の楽曲)を獲得。 (2012年4月8日放送) 思わず「あー、痛かった」と言ってしまう、番組特製健康マットがプレゼントされた。 たい平が「」(の楽曲)を獲得。 (2012年8月12日放送) 「張れたらいいね」で賞品はだった。 この時、たい平は一時的に13枚まで座布団を増やした。 木久扇が「人の振り見て我が振り直せ」を獲得。 (2013年4月14日放送) 賞品は33年前と同じ「徳島・阿波踊り」だった。 この放送分は開局60周年のため、徳島で収録を行っていた。 小遊三が「日本テレビ開局60周年に因んだものすごい賞品」を獲得。 (2013年12月1日放送) 同年ののアトラクション「幸せを呼ぶ歌丸スライダー」の一部分である巨大な歌丸の人形だった。 両手には扇子を持ち、頭には「祝日テレ60年」の旗が付いている。 歌丸は「笑点史上最大の賞品」と称した。 その後は落語芸術協会の備品となり、芸協のイベントなどで担ぎ出されることもある。 木久扇とたい平が「お・も・て・な・し」(2013年)を獲得。 (2014年6月29日放送) 歌丸の地元の横浜でもてなしを受けるもの。 歌丸行きつけの蕎麦屋で歌丸は蕎麦湯を注文するが、2人は沢山注文する。 最後に歌丸が代金を払おうとするが想像を超える額だったため(金額は非公開)、「歌丸もこんなになるとは おもってなし」というオチだった。 ナレーションは日本テレビアナウンサーのが担当。 好楽が「銀の匙」を獲得。 (2014年11月16日放送) 「銀のを咥えて生まれてきた子供は、一生食べるのに困らない」という西洋の言い伝えにちなんで、日本テレビの社員食堂のメニューが無料で食べられる利用カードが贈呈された。 さらに、限度額は「無制限」、有効期限は「死ぬまで」、本人が連れてきた家族や一門も対象となった(但し、10枚達成時に渡された巨大パネル型のカードを持参しなければ無効)。 獲得日の翌週の放送で(実際の訪問日は獲得の翌日)、好楽が息子のをはじめとした家族や親類、などの一門の者、さらに王楽と親交があるなど30名を従え、巨大カードを持ち込んで日テレ社食を訪れて食事する模様が放送された。 その際社食の責任者が登場し、「金額無制限、死ぬまで有効」の確約を得た。 ナレーションはたい平が担当。 このカードはあくまでも番組のネタであり、これ以降は日テレがカードを保管しているため、実際に好楽がこのカードを使用したのはこの1回のみだった。 たい平が「笑点50年にふさわしいものすごい賞品」を獲得。 (2015年5月24日・5月31日放送) 日本テレビ地下3階の鍵が貸し出され、その鍵で開いた地下3階の扉の先にある日本テレビの歴史が詰まった番組の記録写真が保管された部屋から、その中にある写真の中から気に入った1枚を持ち帰られるという賞品だった。 その中には笑点の写真以外にも日本テレビの他番組の多くの写真が保存されていた。 最終的にたい平が選んだ写真は5月31日放送の大喜利の冒頭で発表され、1967年「」から歌丸と歌丸の妻の冨士子が出演した際の写真が選ばれた。 ナレーションはが担当。 昇太が「笑点50年にふさわしい超ものすごい賞品」を獲得。 (2016年5月8日放送、昇太、大喜利回答者として最後の座布団10枚獲得) 賞品は 50万円の南部で、翌週の50周年記念特番に向けて会場の掃除をこの箒でする事を命じられた。 さらに、昇太が賞品を獲得してからは10枚に達すると昇太の掃除を手伝うというルールで大喜利を続行。 その結果、6代目円楽・たい平・木久扇の3人が歌丸によって即10枚に達し、手伝う事になった。 昇太時代の豪華賞品 昇太の司会就任後は座布団10枚の賞品のキーワードは特に設けられておらず、2017年11月12日放送分以降は「『十枚箱』に入っている素晴らしい賞品」が贈られる。 『十枚箱』の中身は、その時によって異なっている。 好楽が「番組前半の演芸コーナー出演権」を獲得。 (2017年3月19日放送で獲得、3月26日放送) 大喜利メンバーが演芸コーナーに出演した事はこれまでに何度もあったが、今回は出演者や内容など一切の決定権が与えられる。 ただし、「観客を必ず笑わせる」という条件が付けられた。 獲得翌週の演芸コーナーで放送され、好楽に加えて息子の王楽を始めとする家族、弟子達がほぼ総出で出演し、と『悲しい時』ネタでのコラボ演芸を披露した。 6代目円楽が「2018年Shotan(昇太)カレンダー」を獲得。 (2017年11月5日放送、 史上初の同一放送回で同一出演者が2度10枚達成) 1975年以来、42年ぶりにカレンダーが座布団10枚の賞品となった。 表紙にはメンバー全員の写真が使われているが、中身は昇太の趣味の巡りの自撮り写真ばかり、さらに12月は昇太のキス顔のアップ写真だった。 円楽は1問目で10枚に達成した後に没収があったため、この放送回で2度10枚を達成し、同じカレンダーを2部獲得した(しかし、1部は観客の女性に譲っている)。 このカレンダーは『笑点暦』と異なり非売品である。 たい平が「」を獲得。 (2019年3月17日放送で獲得) この時はでの地方収録だったため、『十枚箱』の中に「鳥取の特産品が いっぱい」という紙が入っていた。 しかし、実際はが 一杯(一匹分)という内容だった。 その他の豪華賞品 10枚達成ではないが、スペシャルなどで最も座布団を獲得したメンバーに賞品が贈られることがある。 特別大喜利での豪華賞品• 小圓遊が「ミスの女王とができる権利」を獲得。 しかし、キスが出来るのは実際に登場したミス桜の女王ではなく、女装した松崎真だった。 (1978年5月7日 大喜利)• 楽太郎が「ハワイの美女とキスができる権利」を獲得。 今回は本物の美女だった。 (1980年10月12日 ハワイ大喜利)• 木久蔵が「1999本」を獲得。 (1999年12月26日 年忘れ大喜利)• 好楽が「「の衣装」を獲得。 (2006年5月14日 天国よいとこ昇天大喜利)• 好楽と小遊三が「像の人形」を獲得。 (2006年5月14日 5代目圓楽司会最後の大喜利)• メンバー全員が「歌丸の写真入り」を獲得。 (2011年5月15日 45周年記念大喜利)• たい平が「大喜利の司会が出来る権利」を獲得。 しかし、出来るのはその回の締めの挨拶だけだった。 (2018年5月13日 2018超笑点ステージ)• 対抗戦大喜利での豪華賞品• 歌丸・木久蔵・楽太郎(歌丸チーム)が「笑点特製」を獲得。 (2000年12月24日)• 歌丸・楽太郎・小遊三(歌丸チーム)が「と」を獲得。 (2001年12月23日)• 歌丸・楽太郎・小遊三(歌丸チーム)が「風オリジナル笑点作業着」を獲得。 (2002年12月29日)• 歌丸・木久蔵・好楽(歌丸チーム)が「セット」を獲得。 (2004年1月4日)• 木久扇・好楽・小遊三(おじさんチーム)が「歌丸」を獲得。 (2007年12月30日)• 楽太郎・昇太・たい平(壮年チーム)が「歌丸」を獲得。 (2009年12月27日)• 両チームがを獲得。 (2010年12月26日)• 6代目円楽・昇太・たい平(若手チーム)が「歌丸人形」を獲得。 (2011年12月25日)• 6代目円楽・昇太・たい平(幼稚園チーム)が「歌丸」を獲得。 (2012年12月23日)• 6代目円楽・好楽・小遊三(三遊亭チーム)が「木久蔵ラーメン」を獲得。 敗北した林家チームにも「円楽腹黒ラーメン」が特別に与えられた。 (2018年12月23日)• 寿大喜利での豪華賞品• 歌丸が「」を獲得。 楽太郎が1本つまみ食いしていた。 (2004年1月1日 新春スペシャル)• 小遊三が「」を獲得。 (2006年1月1日 『』)• 獲得者不明・セット。 (2007年1月1日 『大笑点』)• 昇太が「」を獲得。 (2008年1月1日 『大笑点』)• 小遊三が「」を獲得。 (2009年1月1日 新春スペシャル)• 好楽・小遊三・昇太が「巨大」を獲得。 (2010年1月1日 新春スペシャル)• 木久扇が、「」を獲得。 (2011年1月1日 新春スペシャル)• 小遊三が、「笑点特製」を獲得。 (2012年1月1日 新春スペシャル)• 6代目円楽が、「」を獲得。 (2013年1月1日 新春スペシャル)• 木久扇・昇太が、「高級」を獲得。 (2014年1月1日 新春スペシャル)• 6代目円楽・たい平が、「歌丸」を獲得。 (2015年1月1日 新春スペシャル)• 6代目円楽が、「高級バナナ」を獲得。 しかし、たい平が1本つまみ食いした上に、勝手にメンバー全員に1本ずつ分配してしまった。 (2016年1月1日 新春スペシャル)• 木久扇が、「と個室で過ごす権利」を獲得。 翌週1月8日にその様子が放送された。 (2017年1月1日 新春スペシャル)• 好楽・木久扇が、「骨型のクッション」を獲得。 (2018年1月1日 新春スペシャル)• 木久扇が、「綾瀬はるかと付き合える権利」を獲得。 しかし、実際は綾瀬と(「 付き合える」ではなく、「 突き合える」)が出来るという事だった。 (2019年1月1日 新春スペシャル)• たい平が、「 はるかとキスを出来る権利」を獲得。 しかし、キスを出来る はるかはゲストの綾瀬 はるかではなく、ネズミの着ぐるみを着て突如現れたのだった。 (2020年1月1日 新春スペシャル) BS笑点・笑点Jr. の大喜利 『』と『』の大喜利は、基本的なルールは本家の大喜利と同様である。 座布団・独自ルール 番組で使われる座布団の大きさが本家のものより一回り小さい(笑点グッズの一つとして販売されている座布団カバーと同じ位の大きさ)。 また、用意された座布団も少ない。 独自のルールとして、獲得した座布団の枚数が一番少ないメンバーは次回の大喜利に出演できない(メンバー入れ替え制)。 また、それぞれ獲得した座布団は毎回1枚にリセットされる。 座布団0枚の状態で座布団剥奪に相当する答えを出すと、1歩あとずさりさせられる(2005年(平成17年)頃から追加)。 座布団0枚のメンバーが複数名いる場合は座り位置が最も奥に引っ込んだメンバーが入れ替えの対象となる。 地方収録では特別ルールとして、地方収録2回目時点で座布団枚数が一番多かったメンバーには「豪華賞品」が贈られ、そのメンバーは次回お休みとなる(事実上出演権を剥奪される訳ではない)。 席順 『BS笑点』・『笑点Jr. 』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr. に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。 またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。 BS笑点 2003年〜2005年 回数 出演メンバー(左側が下手) 備考 3回 笑志 愛楽 きくお たい平 柳好 玉の輔 2005年〜2007年 5回 愛楽 文左衛門 きくお 笑志 柳好 玉の輔 この席順の場合は、柳好が最下位になることが多い。 4回 愛楽 文左衛門 きくお 彦いち 柳好 玉の輔 この席順の場合は、きくおが最下位になることが多い。 3回 愛楽 文左衛門 栄助 彦いち 柳好 玉の輔 笑点Jr. 回数 出演メンバー(左側が下手) 備考 12回 愛楽 文左衛門 木久蔵 生志 柳好 玉の輔 『笑点Jr. 』以降は、この席順が基準となった。 6回 愛楽 文左衛門 木久蔵 生志 蘭 玉の輔 5回 愛楽 文左衛門 百栄 生志 柳好 玉の輔 座布団10枚の豪華賞品• 愛楽が「美味しいのお店に行ける権利」を獲得。 (2009年3月22日放送) 木久蔵とも合流し、大田原牛の専門店へ。 そこではとが出された(しかし選択制だったため、愛楽はすき焼きを選択)。 しかし本当は牛肉の店に入れるだけで牛肉そのものを食べることができないとなっていたため、愛楽はクイズに答えれば牛肉を食べられるという条件で木久蔵が出した問題(内容は自身のペットにちなんだ問題だった)に挑戦するも結局不正解となり、すき焼きは木久蔵とセイラが食べ、自身は食べられなかった上に椅子に縛り付けにされた。 その他の豪華賞品 地方収録などで最も座布団獲得したメンバーに送られた「ものすごい賞品」• 『BS笑点』• 彦いちが10枚達成にはならなかったものの、座布団が最多の7枚獲得・トップ賞ということでBS・110度と地上・BS・110度CSを獲得。 『笑点Jr. 愛楽が「初代セントレア名人」に認定し、「2泊3日の旅行」を獲得。 セントレアのマスコットキャラクター「なぞの旅人フー」に伴われてサイパンへ。 (2007年12月16日放送 第1回セントレア名人決定戦) 国際的平和のために、サイパンの人々に自分のギャグを広めようとしたが、受けなかった(しかしモノマネは受けた)。 愛楽が「使い道に困った番組の座布団全部」を獲得。 (2011年2月13日放送) 脚注• 『笑点五〇年史』ぴあ、2016年。 113• 『笑点五〇年史』p. 142• 歌丸は体調の関係により、2014年7月13日放送分以降は下手から登場した。 但し、第2384回(2013年10月13日放送)など、歌丸時代は何度かこれが省略された回が存在する。 徳間書店. 2016年5月23日閲覧。 スポーツニッポン 2016年5月23日. 2016年5月23日閲覧。 小暮美雄「座布団が笑点を生んだ」『笑点』日本テレビ放送網、2006年。 特別編成では2問や1問のみの場合がある。 過去のスペシャルでは、4問出題された事もあった。 状況によっては、司会者が強制指名する場合がある。 稀に噛んでしまったり、自身の回答が滑った事を察した回答者が、自ら座布団を返上するケースもある。 主に大喜利メンバーへの上手い返答時、観客の反応を見たり他の出演者が判断して与えることがあるが、司会者が自ら座布団を持ってくるように指示する事もある。 などに記録がある。 6代目円楽の不倫疑惑が報じられた直後の収録にて、メンバーの自己紹介の前に座布団を全て没収された。 リクナビNEXT 2015年11月20日. 2017年12月24日閲覧。 『笑点五〇年史』p. 142• 『笑点五〇年史』p. 114• 公式サイト2015年12月11日閲覧• 2016年6月13日閲覧• 『笑点五〇年史』p. 150• (平成18年)放送の「」で林家木久蔵(当時)談• 現在メンバーにつけているピンのスポンジ部分は黄色か黒となっている。 前田の席は左端ではなく、歌奴と金馬の間の中央部分だった。 この日は北海道収録であり、演芸ゲストがだったため。 定位置には座布団、その上に折りたたまれた水色の紋付が置かれた。 この日の席順は鶴亀大喜利の席順で、愛川の左側にがいる東西対抗戦方式だった。 ドレミファ大喜利は、こん平が代理。 この頃は週代わりで自前の紋付を着ていた。 昇太以外は、その回の前半に放送された大喜利下克上でMVPに選ばれた若手落語家。 代理加入時、こん平が休演前までに獲得していた4枚の座布団を引き継いだ。 当時たい平はこん平の代理として出演していたため、本人は「師匠を差し置いて司会をすることはできない」という理由で辞退している。 木久蔵が実子きくおの真打昇進・襲名に伴うもの• 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも木久扇と楽太郎の2人で担当。 冒頭の挨拶と演芸の紹介も2人が担当。 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも昇太とたい平の2人が担当(5月11日放送分は挨拶なし)。 産経新聞 2014年7月21日閲覧• 前回の2015年1月18日放送分で円楽の歌丸罵倒ネタにメンバー全員が巻き込まれたため、全員の座布団が全没収で終了。 そのため、見た目上は山田用の赤い座布団のみが置いてある状態でスタートした。 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、演芸の放送日の変更などがあった影響もあって2週とも行われず、オープニング終了後すぐに演芸が開始された。 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、その放送分の代理司会者が担当(2015年7月19日分は木久扇が担当。 2015年7月12日・7月26日・8月2日放送分は挨拶なし)。 2015年7月19日放送分で代理司会を務めた6代目円楽が、自身を除いた全員の座布団を全部没収したため、9枚ある円楽の席の座布団と山田の赤い座布団が置かれた状態で開始。 スポーツ報知 2016年5月29日閲覧• 定位置には、座布団が1枚置かれていた。 山田に関しては舞台上の面積の関係から最初の挨拶の時は座布団に座らず、たい平の後ろに立っていた。 『笑点五〇年史』p. 177• 『笑点五〇年史』p. 『笑点五〇年史』p. 132• 『笑点五〇年史』ぴあ、2016年。 187• 『笑点五〇年史』p. 134• 『笑点』日本テレビ放送網、2006年。 122• 2014年11月23日. 2014年11月23日閲覧。 単なる蛇口ではなく、トロフィーを模して台座が付いた物になっている。 また、後に「リモート大喜利」にて自宅の物を使ったお題が出された際に、円楽はこの蛇口を使用した。 林家たい平の著書「笑点絵日記」に『BS笑点の座布団はトータル20枚程度しか用意されていない』という記述がある。 愛知収録の回を含めると14回。 参考文献• 『笑点五〇年史』(2016年 ) 外部リンク•
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