駅弁 お茶。 器も旅の思い出…大切に取っておきたい、駅弁の器21選

【淡路屋×サントリー】9月4日から「ひっぱりだこ飯」と「伊右衛門」コラボしたお茶の風味を楽しめる駅弁が発売!|近畿エリアキャンペーン・イベント情報|サントリー

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By - 公開: 2016-04-24 更新: 2020-05-25 伊東駅に入ってきたのは、伊豆急行線からJR伊東線へ直通する「」の熱海行。 19851年デビューで、前面の展望席はもちろん、海側は大きな窓で海向きの座席、山側はボックスシートの非対称な作り。 そんな列車が30年以上前から、乗車券だけで乗れる「普通列車」として、伊豆の東海岸を走っています。 全国で流行りの観光列車の先駆けと言ってもいい存在が、この「」。 最近は伊豆急行線伝統のハワイアンカラーをまとった「リゾートドルフィン」として走っている編成もあります。 南国らしい雰囲気が漂う伊東駅は、昭和13年の開業時に作られた開放的な駅舎が今も健在です。 私自身、5年ほど女子ゴルフ観戦を続けていた時期があるのですが、実はゴルフトーナメントと駅弁の相性は抜群なのです。 毎週開催地が変わるため、追いかけていくだけで違うエリアの駅弁を食べることが出来たり、ギャラリープラザでご当地の駅弁が販売されることも。 ゴルフのほか野球場やサッカーのスタジアムなどで駅弁に出逢えることもあり、スポーツと駅弁は意外な接点があるように感じています。 そんな東伊豆を代表する街・伊東で駅弁を販売する「」。 代表取締役の守谷匡司さんに「」の歴史から駅弁づくりのこだわりなどを伺いました。 望月:伊東の名物駅弁「」はどうして生まれたんですか? 守谷:創業者の親の実家が、静岡市内の稲荷神社でして、その実家から助言があったんです。 「(お店を開くなら)稲荷神社ゆかりのいなり寿しをやってみたら?」って。 それが今年でちょうど70年、1946(昭和21)年のことになります。 望月:ただ、お父様(創業者)は、東京・浅草なんですよね? 守谷:浅草で「弁士」をやっていました。 当時は映画に音が付いていなかったので、スクリーンの横でそのストーリーを話していたわけです。 ただ、技術が進んで映画に音が付くようになると「弁士」の仕事はだんだん無くなってしまった・・・。 そんな時、伊豆に住んでいた作家の尾崎士郎さん(1898~1964)に誘われて、伊東にやって来てこの街が気に入り住むようになったんです。 望月:でも「弁士」から「駅弁」って・・・「弁」の文字は同じですが、普通繋がんないですよね? 守谷:そうですよね。 駅弁屋さんは元々、宿場町の宿や料亭をやっていたり、売店だった所が多いんですが、ウチは全くの畑違いからなんです。 しかも、創業した時は「いなり寿し」の専門店だったんです。 望月:そこから「駅弁」を始めるようになったのはなぜですか? 守谷:伊東駅が開業20年を迎えた昭和30年代、当時の国鉄が構内営業を出来るお店を探していたんです。 それでいくつかお店が手を挙げた中から、1959(昭和34)年からが営業を認められました。 なので、伊東での最初の駅弁は「」なんです。 望月:じゃあ、いわゆる普通弁当(幕の内弁当)は、後からなんですね。 守谷:実は「」は1966(昭和41)年からなので、今年(2016年)で50周年なんです。 望月:「いなり寿し」を作る上でのこだわりはありますか? 守谷:昔から愛されている味なので、それをレシピ通り、忠実に受け継いでいるところだと思います。 当時から「いいもの」を提供しようということでやっているので。 だから「いいお米」と「いいお揚げ」を毎日毎日煮込んでやっています。 望月:伊東の「繁忙期」って、いつなんですか? 守谷:一番は8月、あとは3月・・・ちょうど春休みと夏休みですね。 そういった時期は、ホントに全国からお客さんが「いなり寿し」を買いにいらっしゃいます。 最近は、台湾からのお客さんも増えてきました。 望月:あと、伊東は「水」がとてもいいそうですね。 守谷:伊東は火山の街なので、とてもいい水が出ます。 伊東市の水道も、普段はほぼ100%、湧水か井戸水なんです。 その水をそのまま、お米を炊くにも揚げを煮るにも使っています。 会社のもう目の前の山が水源地なんですよ。 だからココは、火山の湧き水なんです。 それもウチの駅弁を美味しく提供できる理由の1つだと思います。 望月:こんなに水に恵まれた駅弁屋さんって、そうそうないですよね? 日本トップクラスじゃないですか? 守谷氏:そうですね。 強いて挙げれば、水に恵まれている駅弁屋さんは小淵沢の「丸政」さんですかね。 (小淵沢は山梨県の南アルプス、八ヶ岳の麓にある) 望月:「」の駅弁って各地にあると思うんですけど、「祇園」の「」って、口にした時「ジュワッと」した食感が全然違うんですよ。 あの食感が出るのも、きっといい水で煮汁を作っているのもあるんでしょうね。 守谷:だから、伊東の中でも一番良質な温泉が出るのも「祇園」のある地域なんですよ。 地下の深いところまでしみ込んだ水は「温泉」になって、浅い所は「湧水」で出てくる。 しかも、伊東温泉の湯量は、全国トップクラスなんです。 望月:そんな温泉に恵まれた「伊東」ですが、温泉街の皆さんにとっても「いなり寿し」は無くてはならない存在なんですよね? 守谷:ウチがやっていけるのも、地元のお客様に支えられている所が一番大きいですね。 伊東の人が、近隣の所へ出かける時に「お土産」として持っていって下さるんです。 あと、伊東市外の人も、伊東に用事があって来た時に、買っていっていただけるんです。 お陰さまで、伊東だけでなく伊豆、静岡東部の人には利用していただいています。 望月:まさに「伊豆名物」と掛け紙にありますが、ソウルフードと言ってもいいくらいですね。 70年の歴史があると、もう2世代、3世代目に入っていますもんね。 守谷:伊東の若い人が東京などへ出ていって、時々、親が様子を見に行く時は「祇園のお弁当、買って来て!」と頼まれることも多いそうです。 で、里帰りした時は、ウチに寄ってくれたり・・・。 望月:「ライター望月の駅弁膝栗毛」では「列車に乗って駅弁を食べよう」というのを1つのコンセプトに駅弁を紹介しているんですが、「祇園」おすすめの「駅弁を美味しく食べられる車窓」ってありますか? 守谷:伊東から湘南にかけては、山側を見ればみかん畑が広がり、海側を見れば相模湾が広がります。 景色にはとても恵まれた場所にウチのお弁当があると思います。 望月:じゃあ東京方面へ帰る時、伊東で弁当を買って、熱海過ぎた辺りでとじ紐解いて、根府川の辺りですかね!? 守谷:特に東海道線の普通列車とか快速「アクティー」がいいですよね。 伊東の人でもいるんですよ、出張する時に東海道線の鈍行とかアクティーのグリーン車に乗って、そこでウチの弁当食べるのが「出張の楽しみ」って人が・・・。 もちろん「踊り子」でもいいんですけど。 望月:伊東名物・杉山製茶の「」のティーバックが入った「ポリ茶瓶」で、お茶買ってく人も多いですよね? あれもこだわりの一つですか? 守谷:駅弁というのは、お腹を満たすだけじゃなくて「旅の楽しみ」という要素があると思うんです。 「旅の楽しみ」を提供している会社としては、昔からの「ポリ茶瓶」を残しておくのもいいんじゃないかと。 今、「ポリ茶瓶」を作ってる会社も、全国で2~3か所しかないらしいですが・・・。 あと、伊東のお茶屋さんが「ティーバッグ」を始めたのも、実はウチが茶瓶で販売するので「作ってください」と頼んだのがきっかけなんです。 望月:ということは、駅弁あっての「ティーバッグ」なんですね! さあ、これからゴールデンウィークですが、やっぱり伊豆に来たら、食べていって欲しいですよね? 守谷:(私が言うのもなんですが)旅の途中で「地元の人に愛されてる食べ物」を食べていって欲しいなぁという気持ちがあるので、機会があればぜひ・・・。 今はクルマで来ても「」で売ってますので・・・。 望月:今日はお時間をいただき、ありがとうございました! 駅弁は「お腹を満たすだけでなく心を満たすもの」という思いで、1つ1つ手作りで駅弁を手がけている伊東駅弁の「祇園」。 その思いは、駅弁のとじ紐にも現れていて、掛け紙の柄に合わせて、最も映える色のものを使い分けています。 しかも、ひもの太さも弁当によって、最もバランスのいいものに変えているというんです。 また、伊東市内の冠婚葬祭向けの弁当を担っていることもあり、お客さんのニーズに応じて包装も変えているとのこと。 最近は紐でとじる折詰の駅弁も少なくなる傾向にありますが、このこだわりは絶対に守り続けてほしい! 今回は「いなり寿し」以外の駅弁では、望月のお気に入り「」(780円)もご紹介! 伊豆半島の地図が描かれた掛け紙のセンターにはゴルファーの姿が・・・。 「」の観戦帰りにもいいかもしれません。 ただ、結構人気なので、昼前に売り切れちゃうことも多いんですよね。 右上には、懐かしい「0系」新幹線の絵も見ることが出来ました。 「祇園」の「」がすごいのは、鶏そぼろを一切使っていないところ。 無骨なまでの鶏の照焼き・3個と、出汁の効いたご飯だけで勝負。 コレ、鶏の素材に自信がないと絶対できない真似だと思うんですよね。 しかも、経木の折詰にべっとりご飯が付いて、水分を吸ってくれるのもたまらないところ。 このシンプルすぎる構成が、一度食べたらやめられないのです。 「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介! 「ライター望月の駅弁膝栗毛」 (取材・文:望月崇史).

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シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」(vol.1・祇園インタビュー編)~伊東駅「とりめし弁当」(780円) 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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こんにちは。 三度の飯よりお菓子が好きな、DJ無音とMC無言です。 お盆休みを前に、帰省や遠方への旅の計画を立てている皆さん、旅のお供といえば、駅弁ですね。 その土地ならではの味覚を味わえる駅弁は、移動時間中のいわばメインといえるお楽しみのひとつですが、食べ終えたあとの容器や包装紙も捨てられず取っておいた経験はないでしょうか? そこで、旅の思い出を詰め込んで持ち帰りたくなるような、むしろその容器を持ち帰りたいからこそ買ってしまうような、そんな駅弁を、Twitterの投稿を元に集めてみました。 — 志村正智 mshimura17 日本初の自然分解容器でできたかにの器に入っている、鳥取かにめし。 さてー今日から明日の午前中まで岩手に出張やで!画像は鳥取かにめし弁当。 根性で祭ずしゲット?? — 三宅弘城 miyasekken ピンクの桃型の器にぎゅっと詰まった豪華なちらし寿司。 ふたを開ければ童謡 「ふるさと」のメロディが流れるのだとか。 カキめしにカキフライ、カキ身のゆず味噌和えと3種のカキが味わえる豪華な一品。 冬期限定(10月~翌年3月)で、現在は販売していないとのこと。 46年目のロングセラー商品。 昼食は新杵屋の「栗めし弁当」! — 5109SHIN 5109SHIN 新杵屋の「栗めし弁当」は、茶飯に栗がたっぷり。 さるぼぼのストラップが付いています。 実に美味。 — Shichiro pakuriman 群馬県の高崎駅で販売しているだるま弁当。 穂先竹の子煮、赤こんにゃくに山くらげ、小なす漬けと、山の幸が満載。 器は貯金箱になるのだとか。 HardyNewland こけしの顔が陶器製の容器になった駅弁。 HardyNewland さくらんぼもおかずとしてのっているのは、さすが山形。 ご飯には黄門米を使用するというこだわり。 息子大喜びでほぼ完食。 息子チョロ太2歳4ヶ月 HoneyCone55 これぞ、駅で買えるキャラ弁!ふたを閉じても開けてもアンパンマンと一緒で、お子様大喜び。 そのままお弁当箱として使える容器入り。 ふたには、アンパンマンの水筒とフォークがセットできる仕様になっています。 岡山名物えびめしをはじめ、エビフライ、鶏の唐揚げ、肉団子といった具に、キティちゃんのかまぼこが入ったかわいい駅弁。 新潟名物駅弁!雪だるま弁当!! 可愛いし美味しい? — Jack. 定番の白のみならず、ピンク・ブルー・オレンジ・グリーンと容器の色にバリエーションがあるため、全色コンプリートしたくなりますね。 たすけてください。 アメリカンドッグにオムレツ、ウィンナー、エビフライ、ハンバーグと、子供の大好物がぎゅっと詰まっています。 お茶漬けにするとなお美味しいのだとか。 焼き物の陶器はそのままお茶碗として使えます。 — tofulu tofulu 「九州の駅弁」ランキングで第1位を獲得!有田焼の器にカレーが入っています。 車内でいただいたら、周りにカレーのおいしそうな匂いが充満しそうですね。 海鮮ものは酒が呑みたくなるわ。 おいしいお酒といただきたい。 — 駅弁を再現してみよう@おれさぎー@ ekibensaggy 美濃焼の陶器にウニの炊き込みご飯を敷き詰め、秘伝のかえしで味付けたうにを惜しげもなくのせた贅沢な駅弁。 箸休めとしてゴボウの梅和え、いも茎の浅漬け、生姜の酢漬けがついてくるので、最後まで飽きずに食べられそう。 益子焼の土釜が使われています。 保温性に優れており、あたたかいままいただけるのが特長。 ひっぱりだこ飯のお茶漬け、ベーシックタイプです。 こ こに三つ葉や、わさびを加えるとさらにおいしい! 是非お試しくださいね。 — 神戸駅弁 淡路屋 awajiya1682 お茶漬けにしていただいてもおいしいのだとか。 やってみたい! さて、いかがでしたか? 皆さんも、この夏、旅の途中でユニークな駅弁と出会ったら、どんなパッケージだったか、ぜひ教えてくださいね。

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駅売り緑茶(汽車土瓶、ポリ茶瓶)情報|ウェブサイト駅弁資料館|About Kisha

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(明治35年)の駅弁販売光景 日本最古の駅弁がどこの駅で発売されたのかについては諸説ある。 1885年(明治18年)7月16日に日本鉄道の嘱託を受けた旅館「白木屋」がこの日開業した宇都宮駅で2個とをの皮に包んで販売した例が、前述のように最初とされる。 そのため、宇都宮説による駅弁発売日である7月16日は 「駅弁記念日」となっており、数多くの文献やが駅弁記念日を紹介する際に宇都宮説を紹介している 起源についてはこの他に以下の説がある。 (明治10年)頃の説。 1877年(明治10年)頃の説。 1880年(明治13年)の説。 (明治16年)7月にで寿司とパンを売り出したのが始まりという説。 (明治16年)の説。 (明治17年)の説• 1884年(明治17年)に説。 これはが自説として1884年(明治17年)にでおにぎり弁当を発売したと述べているもの であるが、一般的には高崎弁当の販売開始は開通のでの駅弁販売開始に続く(明治19年)3月だったと言われている。 現在のような折詰に入った駅弁は、(明治23年)にでが発売したものが最初との説がある。 また農文協(社団法人 )刊行の「日本の食生活全集 28 聞き書 兵庫の食事(1991)」にも「元祖・駅弁--姫路の『まねき』」と題する記述があり、そこでは(明治22年)に姫路駅で発売された物を駅弁の元祖とし以下のように述べている。 …名古屋の服部商店では、最初から杉の折箱を用い、レッテルを掛けず、蓋には焼印で「驛辨」と押して、紐をかけずに、籐づるでしばって、一折八銭也で発売した。 「最初から」が1886年を意味するならば、姫路駅よりも早いことになる。 駅弁と軍弁 [ ] 前、各所に駅弁業者が開業するにつれ、の部隊がや出征等により鉄道で移動する際の車内での食事用にも駅弁が利用されるようになり、その場合、軍の輸送計画に基づき軍部隊から経路上の駅弁業者に発注・手配が行われた(「軍弁」)。 輸送計画の秘匿のため発注がなされるのは直前であり、駅弁業者には短時日で大量の弁当調製対応が求められた。 難しさを伴ったものの需要は大きく、駅弁業者はその需要に応えるよう努め、駅弁の進歩・普及の背景ともなった。 戦時中は食糧事情の悪化により食材も不足し、軍弁といえども弁当の内容は簡素なものとなっていった。 戦後、の部隊の鉄道輸送時にも、移動中の食事には給食の手配(「運搬食」)と併せて駅弁も利用されている。 販売形態 [ ] 吉松駅での駅弁の立ち売りの様子 最も一般的な販売形態は、駅構内や上にある駅弁調製業者の売店で店頭に置いて販売している形である。 調製業者が経営する駅構内の、など調製業者以外が経営する売店などが扱っている場合もある。 このほかに、駅弁の多く売れる食事時間帯前後や、などの到着時に限り、ホーム上につきのまたは台を置き、その上に駅弁やを陳列して売り子が販売する形態がある。 また、かつての駅弁売りの典型的スタイルであった、売り子が()のついたの状か高さの低い状の容器に駅弁や茶を入れ、容器を前方に出す形で首から下げホーム上を歩いて掛け声を発しながら販売する「立ち売り」がある。 しかしいずれも減少傾向にあり 、5月の時点で駅弁の立ち売りが行われているのは、、 ()、 ()、 ()など日本全国で10駅に満たない。 駅構内のほか、古くから列車(主に)内のでも沿線の駅の駅弁が取り扱われている。 後述のように、駅弁とされながら業者が駅構内の販売を取りやめて、駅近くの自社店舗等で販売している例もある。 業者によっては等で予約し、予約時に乗車する列車と車両を通知すれば当該列車・車両の乗降口まで駅弁を届けて販売するサービスも行なっている。 また、そのような予約による販売のみで完全予約制のと同様のをに詰めた高価な駅弁もなどにある。 また近年では、等による駅弁のを取り扱っている業者もある(低温で配送できるクールの登場による)。 現状 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2012年9月) 概要 [ ] かつては停車中に立売りの売り子を窓近くへ呼んで窓越しに購入する方法が主流であった。 現在は窓が開閉できない鉄道車両が増えたために窓越しの受け渡しができなくなったことに加え、列車の高速化による停車時間の短縮、目的地への移動時間の短縮、ならびにキヨスク(キオスク)の廉価な弁当や弁当以外の軽食・パン類との競合、駅構内でのの充実(いわゆる「」)、優等列車での車内販売の縮小・廃止などによって駅構内や車内販売での駅弁の売上は減少する傾向にあり 、業者の撤退・廃業も珍しくない。 地方の名物とする試み、イベント商品としての拡販 [ ] 駅構内で販売される実用的な食事という枠を越え、地域の特産品などを盛り込んだ郷土色溢れる弁当としての発展を目指すという方向性が駅弁の一つの流れとなっている。 それらは自動車旅行のための・や、の催事、インターネットなどによる通信販売などへ販路を広げている。 また、駅弁業者が駅弁と同一の商品を近隣ので(そらべん)として販売する例もある。 この流れで、駅での販売よりも、駅以外の場所での販売が主力になった駅弁もある。 代表例として、ドライブイン・サービスエリアでの販売に重点を移したの「」、などでの販売に重点を移したの「」の例が挙げられる。 デパートやなどで全国の有名駅弁を集めて販売する、いわゆる「駅弁大会」は人気が高く、入荷してから短時間に売り切れることが多い。 鉄道会社がイベントの客寄せに使う例もある。 のように周辺地域(博多駅の場合は九州内全域)の人気駅弁を取り寄せて販売するがあり、周囲の駅のイベントの際はその場所まで出張販売する例もある。 この手の駅弁大会の元祖は、(28年)の大阪店が嚆矢 であったが、全国的に有名にしたのは(昭和41年)に新宿店で開催された 「」であった。 全国各地の有名駅弁業者を新宿に集め、その当地でしか食べられない駅弁が一同に集うというこのイベントは、当時としては非常に斬新であり大盛況となった。 その後、駅弁大会は京王百貨店新宿店の1月恒例の一大イベントとして定着しており、現在(2019年時点)に至るまで盛り上がりを見せている。 駅弁が旅先での一介の食事から、全国的知名度を持つ名物へと認知されるきっかけともなったイベントであった。 新機軸の導入 [ ] で販売されているすき焼き弁当。 発熱ユニットが付属している 特殊な装置のある弁当の例としては、(昭和63年)にの「」が化学メーカーと組んで開発したと水のを使用した加熱装置を組み込み、食べる前に紐を引いて加熱する駅弁を売り出した例がある。 この加熱装置付き駅弁は淡路屋だけでも現在(2016年5月時点)3種類 が発売されている。 また駅弁業者のグループを通じて利用を呼びかけた事から、株式会社が販売しているの「極撰 炭火焼き弁当」など、淡路屋以外にも追随した業者がある。 コストダウンの試み - NREの「O-bento」 [ ] 弁当自体を製造原価の安い日本国外で調製し、日本まで冷凍輸送し解凍して販売することで、コンビニ弁当などと対抗することを目指した駅弁が開発されたことがある。 JR東日本関連会社の(NRE)が販売した「O-bento」である。 発売当初は売上げを伸ばしたもののにより牛肉関連弁当の製造、輸入中止に追い込まれ、売上げが激減。 (19年)10月までに在庫切れをもって販売を終了。 ただしこの「O-bento」は既存の駅弁とは大きくスタイルの異なる商品であり、一般的な駅弁のイメージに合致するものではなかった。 駅弁調製業者の現況 [ ] かつてにて「九尾の釜めし」、「九尾すし」などの駅弁を販売していた『』(1966年) 駅弁調製業者は、大きく2分極化している。 一方に、駅弁専業あるいは駅近隣の旅館、料亭などの内職として作られ続けてきた駅弁がある。 それらの調製元は小規模零細の業者がほとんどであり、衰退傾向にある。 近年に駅弁から撤退した業者、あるいは廃業した業者のほとんどはこちらのカテゴリーに属する。 (平成22年)4月、大都市であるなどで営業していたが事業停止・破産に追い込まれている ほか、2010年(平成22年)12月31日で駅弁の駅売りを終了し、事業停止・破産したの、2009年(平成21年)に事業停止したの鈴木屋(2010年に廃業)などがこれに該当する。 そのほかに、のやののようにJR傘下の会社に吸収合併されたケースもある。 ただ、駅構内からは撤退したものの、その後も駅の外(本店)では弁当店や飲食店として営業を継続しているケースとして、の海華軒、の浜屋 、のいとう弁当店 などがある(ただ、これらのケースではに弁当マークや弁当案内などの記載などはない)。 もう一方に、駅弁業者を発端として発展を遂げ、現在ではそれぞれの地域で大手の食品製造企業となっている調製元がある。 たとえばの、の、の、の、の、の、のなどである。 これらの調製元は出自として駅弁を守ってはいるものの、売上げ規模などの実態としては既に第一義に駅弁調製業者というのは不適切であり、地域の中核食品企業()とでも呼ぶべき存在になっている。 たとえば塩荘は日産25000食の供給能力を持つ としており、広島駅弁当に至ってはイベントの際に日産48000食を供給したという実績を持っているほどである。 これらの業者は駅弁だけではなく、や高速道路のの弁当や空港の弁当()、デパートの地下食品フロア()などにも進出しているほか、その地域にあるやスーパーマーケットで販売される弁当などの製造請負、レストラン・飲食店運営まで手掛けている場合がある。 駅弁の定義について [ ] 横浜駅で売られている崎陽軒の特製シウマイ、醤油さしは陶器 駅弁は、広義には「駅構内で販売される弁当」を意味する。 近年、駅構内にコンビニエンスストアが出店して「コンビニ弁当」を販売したり、駅弁業者でない企業がいわゆる「駅ナカ」店舗で弁当を販売する例がある。 それらが駅弁に該当するかどうかについては議論がある。 旧来の駅弁業者が伝統的な駅弁の他にコンビニ弁当に類似した比較的安価な弁当を販売している場合もあるため、厳密な定義は困難である(駅弁業者が出自であっても、その後大規模な食品会社に発展し、その地域のコンビニ弁当やお惣菜商品の調理を一手に引き受けている企業も少なからず存在する)。 狭義の意味では、「駅弁」とは 社団法人日本鉄道構内営業中央会(以下「中央会」と略す)に加盟している業者が調製し駅構内で販売しておりなおかつ米飯が入っている弁当のみを指すこともある。 (国鉄)時代には白飯と焼き魚、肉料理、、、蒲鉾などの一般的な惣菜を使用した、いわゆるの系列のものを 普通弁当と称しそれ以外の弁当を 特殊弁当と称して制度上の区分がなされていた。 とというセットになっていないもの、たとえば「」などは「特殊弁当」に分類される。 さらに国鉄が「米飯がはいっていないものは駅弁ではない」としたために、の「そば弁当」やの「サンドウィチ」などは国鉄末期まで駅弁として認められなかった。 なお、国鉄前身の時代であるからは、節米を目的に主要駅の駅弁が一斉に「弁当」に切り替えたという、米飯が排除された時期もある。 この「中央会加盟業者が調製である」「米を使っている」という条件に該当する弁当は包装紙に共通デザインの「駅弁マーク」と呼ばれるを入れ、発行の『』(大型版のみ)欄外に販売駅弁の記載があるのが特徴である。 この「駅弁マーク」を有する弁当のみが「駅弁」であるという定義づけは当の中央会や一部の人々の間で行われているが、この定義は下記のような事情から現実的とは言えない。 かつての国鉄では、駅改札内での弁当の販売は中央会加盟業者に対してしか認めていなかった。 しかしされJRとなって以降、中央会非加盟の業者にも駅構内での販売を認めるようになったことから「駅構内で販売される弁当」と「中央会」とが必ずしも結びつかなくなった。 新規業者の参入のほか既存の業者が中央会を脱退した上で引き続き駅構内での販売する例もあり、「中央会に所属」「駅弁マークがついていること」は条件とはできなくなった。 これは駅弁は調製から購入・消費までにタイムラグがあるため、の防止などを目的として調製方法などにさまざまな厳しい要求があったこととも関係する。 製造から4時間以内で売り切らねばならないという規制はO-bentoの登場とともに廃止された。 また、もともとの駅構内で販売される弁当については中央会は(JR駅でも販売している業者を除いて)関係ない。 そして、もっぱら私鉄の駅でのみ販売されている駅弁も存在する。 中央会に加盟している業者でも駅構内での販売を取りやめ駅前の自社店舗での販売のみとしながら引き続き駅弁マーク入りの駅弁を販売する例もある一方(その場合、時刻表にも引き続き「弁」マークの表示を記載)、駅前に店舗を構える中央会非加盟の弁当業者が独自の弁当を作り「駅弁」を名乗る例や、中央会加盟業者が他地域の駅構内売店事業者の委託を受けて弁当を製造する例もある。 後者の例は観光客誘致の手段として、地方においてよく見られる(参照)。 但し後者のケースで、中央会非加盟の弁当業者のみが販売している駅の場合は、時刻表での「弁」マークの記載はない。 中央会加盟業者がJRの駅構内で販売している場合でも、やで売られているや大船駅で売られている弁当のように米飯が入っておらず「駅弁マーク」を付けることができなかったが一般には駅弁と見なされている商品もある。 の「サンドウィッチ」には駅弁マークこそついていないが、包装紙には「SINCE 1898/日本デ最初ノ駅弁サンドウィッチ」と明記されている。 また、ののように、にはまったく駅弁の表記が無いのに、には「益田駅の駅弁」と大きく書かれ、ごく普通にキヨスクで販売されている例もある。 以上のような事情から、駅構内や駅前の弁当業者の店舗で販売される弁当を総合して「駅弁」と呼ぶ場合が多い。 デパートで催される駅弁大会に出品されたりで取り上げられたりする「駅弁」もこのような広義の条件に該当する弁当であり、中央会加盟業者が調製する弁当とは限らない。 車内販売のある列車では駅弁のほか、列車内限定の弁当が販売もある。 イベント列車などにおいては、そのイベント限定の弁当が販売もある。 これらも一般的には「駅弁」に含まれるものと解されている。 駅弁と茶 [ ] 汽車土瓶 多くの販売店では、駅弁を食べる際の飲み物としてが販売されている。 販売店によっては街の持ち帰り弁当店と同様に即席のやも販売し、それらに使うを供するケースもある。 汽車土瓶時代 [ ] かつては湯呑兼用の蓋が付いたと呼ばれるの小瓶入りの茶が売られた。 1889年(明治22年)にでのにお茶を入れて販売したのが嚆矢と言われている。 (10年)、は衛生上の理由により土瓶を禁止したため製のものが登場した。 しかし煎茶が丸見えのため、煎茶がのように見えて飲む気にならないなどの理由で、わずか数年で製造が中止された。 汽車土瓶は重量があり破損しやすいため、後にポリ容器入りにとって代わる事となるが、現在も汽車土瓶入りの煎茶はなど一部で販売されている ほか、近年でも復刻の形で駅弁とともに期間限定で販売されることもある。 ポリ茶瓶時代 [ ] 札幌駅で売られていた緑茶、容器のふたが湯飲みになる。 2008年6月撮影 昭和30年代から汽車土瓶に代わって半透明の厚いやなどで出来たポリ茶瓶が一般的となった。 基本的には、黄緑色ののスクリューキャップ(ネジ式の蓋。 汽車土瓶の蓋同様湯呑機能も持つ)の付いた小瓶にその場でポットなどからお茶を注いで販売されたが、利便性や機能性の面から複数の種類が登場する事となった。 前述の容器に既に淹れたお茶を入れるだけの物や、容器に湯を注いで購入者が飲む際に淹れられるようを添えて売られるもの、ティーバッグタイプも紐のついたティーバッグを容器の中へ吊るしたもの、紐無しの物を直接投入するだけのもの、画像にあるような弾力のあるビニールの小瓶にティーバッグ専用のスペースを設けて購買者が瓶の上からティーバッグを揉むことで濃さを調節できるもの、容器に茶漉しを付けて粉茶を直接投入するものなどバラエティに富んでいた。 しかしビニール容器入りの煎茶も末期以降、販売時にお湯を用意する必要のない入りのやが普及したため、少なくなった。 さらに(平成8年)4月に500以下の飲料の販売が解禁された ため、以降ではあまり見られなくなり、駅弁とともに売られるお茶は、ペットボトルや缶入りのお茶にほぼ取って代わられたといえる。 (2016年5月)現在でもポリ茶瓶のお茶が販売されているのは、 ()、 ()など日本全国で10駅に満たないが、ポリ茶瓶も汽車土瓶と同様に復刻の形で販売されることがある。 インドので、弁当を列車に積み込む様子 旧日本領 [ ] かつての旧日本領や支配地域()では、現地当局が運営する鉄道(、、)やの各駅で、内地同様に駅弁が販売されていた。 では「 鐵路便當」と呼ばれる各地の鉄道駅や列車の車内販売で販売される弁当があり、日本の冷めた状態が前提で作り置き販売される駅弁当とは異なり、温かい状態か加熱調理間も無い商品が店頭販売される。 駅弁の内容は、飯便當(を白飯の上に載せたもの)や雞腿便當(骨付き鶏もも肉揚げ)に ()(台湾風)、、やを添えたものなど、米飯と畜肉料理と付け合わせから構成される弁当が一般的である。 このような弁当は駅や地方により多少の違いはあるが、どの駅でも大きな差異はなく比較的画一的である。 また、のなどでは近年まで駅弁の立ち売りが行われていた ほか、7月にはで国際駅弁祭り( 國際鐵道便當節)が開催され、日本や台湾を始めとする6か国11社の駅弁が販売された。 詳細は「」を参照 でも駅構内や車内販売で米飯にを主体とするを合わせたのような弁当、その他の米飯と数種の惣菜による幕の内弁当のような弁当、の弁当が販売されているが日本の駅弁ほどの多様性はない。 しかし近年では日本の駅弁文化に習い、に多数の駅弁販売店が出店し、多様な駅弁が販売されるようになった。 またでは、首都のに駅弁があると北朝鮮鉄道本「将軍様の鉄道」に著されている。 南部()では、(昭和20年)までなどで駅弁の販売が行われた ほか、による「」の駅売りも行われていた。 これらはによる占領以降は廃止されたが、現在(2016年時点)でも、主要駅の売店ではやなどの惣菜類が販売されている。 その他アジア各国 [ ] では、営業列車の車内販売で弁当( 盒饭)が販売される。 メニューは朝食がと、昼食と夕食は米飯やと料理などのおかず数品がセットとなっているのが一般的である。 いずれも食堂車で調製され、温かいままの状態で販売される。 ではをはじめとする主要駅及び列車内で弁当の販売がある。 など以外の列車でも、ピロシキやの入ったなどが販売される。 の各国でも、鉄道駅構内や車内販売で弁当が販売されている。 の列車では車内販売は国鉄職員が担当し、食堂車で調製された弁当が温かい状態のままとともに販売されるほか、駅のホームでも弁当やが販売されている。 ではガパオライス(米飯の上に肉料理とを載せたもの)や、など多種多様な弁当が販売されている。 これらの弁当は、製の容器に米飯を入れ、その上におかずを載せたスタイルが一般的であるが、の葉やに料理を包み、一口サイズにして販売されている弁当もある。 でもやなどの弁当が販売され、紙箱やなどに入ったもののほか、 ()(Nasi bungkus)と呼称されるバナナの葉やビニールコーティングされた紙の上に米飯とおかずを盛り、包んだ状態で提供される弁当もある。 では、(Dabba)という金属製の容器に、と米飯やなどの類を入れた弁当が鉄道駅や列車内で販売される。 しかしいずれの国でも日本のようにこれらを「駅弁」として特別視する・意識は特にない。 [ ] ヨーロッパ [ ] では北部・中部やの各地で、肉料理にサラダ、、パンかサンドウィッチ、小瓶のを合わせた食事セットが販売される鉄道駅がある。 しかし食事セットはどの駅でも大きな差異はなく、販売される駅も日本の駅弁販売駅ほど多くはない。 そもそも、ヨーロッパの路線は乗車時間が長く食事が2回以上必要な場合が多かった。 そのため、調理された食料を持ち込んでも2度目の食事には食べられない。 その上、大抵の長距離路線では日本よりはメニューが豊かで味がいい料理が出るが連結されているか軽食を途中駅で買ったり食べたり出来る時間が有るため日本のように駅弁の概念が発達しなかった。 [ ] なお、に運行を開始したイタリアの高速列車(Italo)では、日本の駅弁を参考にしたイタロ・ボックスが有料で提供されている。 そのほかに3月より、ので及びとの共同企画として、日本の駅弁5種類が販売された。 当初は2カ月間限定の企画であったが、好評であったため販売期間が延長された。 リヨン駅では、さらに2018年11月にも期間限定ショップが設けられ、駅弁の販売が行われたことがある。 フランスのでは、日本時に先で作ってもらった弁当を参考にして、3軒の駅弁店を経営している女性が存在する。 駅構内等で販売され販売駅等に限定とされる弁当を「駅弁」と定義する文化・意識はほとんど日本固有 のものであり、台湾と韓国には多少そのような文化・意識があるとはいえ日本ほどには確立されていない。 [ ] 各地の駅弁 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2011年1月) 下記に、代表的な駅弁を挙げる。 社団法人日本鉄道構内営業中央会の加盟業者以外の弁当も含む。 とは地元の業者が全て駅弁販売から撤退した。 は他県所在の業者に営業譲渡した1種類の駅弁のみ残る。 とは2019年時点で地元企業は1事業者のみ。 に至っては駅弁が全滅している。 しかし、たとえばの「あなごめし」は2010年(平成22年)3月に従来の駅弁業者が撤退したが、同年7月には水産物の通販を行う(中央会非加盟)が別のレシピで販売を開始したり 、の「醤油めし」(岡山県のが製造) やの「SL弁当」(が製造) 、の「かしわめし」(広島駅弁当が設立した「博多寿改良軒」が製造) のように、他県の駅弁事業者が名物駅弁のレシピを受け継いで製造し、鉄道会社の系列会社等に販売を委託して『復活』させる事例もある。 北海道地方 [ ]• かきめし()有限会社• たらば寿し()• () - 昭和から知られる有名駅弁。 は二杯を超す数の時が稀にある。 石狩鮭めし()• やまべ鮭ずし(札幌駅)札幌駅立売商会• 北海手綱()小樽駅構内立売商会• 鰊みがき弁当() - 現在は外売店で販売。 他に1973年から売られる白い包装紙の「北の家族」など。 たらば寿し(釧路駅) 東北地方 [ ]• 青森味づくし()• 八戸小唄寿し()• 鶏めし()• いちご弁当()魚元• 前沢牛めし()斎藤松月堂• ()清雅荘弁当部(リアス亭)• 網焼き牛たん弁当・伊達のはらこめし()• 秋田比内地鶏重()関根屋 - 日本唯一の駅弁だった「日本海ハタハタすめし」は販売休止中。 牛肉どまん中() - 全国の駅弁大会でも常連の駅弁。 実は十数種類の派生商品(味違い・素材違い・米沢牛を使う上位品種など)がある。 牛肉道場(米沢駅) - 構内でも購入可。 いわきカニピラフ弁当・いわきウニピラフ弁当・いわきカニ・ウニ欲張りピラフ弁当() - かつてはの「うにめし」がいわき駅の名物駅弁だったが終了した。 浜街道 潮目の駅弁(いわき駅・)小名浜美食ホテル 牛肉どまん中(米沢駅) 関東地方 [ ]• 常陸之國美味紀行(水戸駅)しまだ• 牛べん(水戸駅・いわき駅・上野駅・)しまだ• 印籠弁当(・水戸駅)こうじや(万年屋)• 三浜たこめし(大洗駅)こうじや• 奥久慈しゃも弁当()玉屋旅館• 下野山菜弁当(宇都宮駅・)松廼家• とちぎ霧降高原牛めし(宇都宮駅・那須塩原駅)松廼家• 焼餃子ダブル弁当(・東京駅・)松廼家• 日光鱒寿し()日光鱒鮨本舗• だるま弁当()• (・長野駅) - の土釜に入れられているという点が特徴の駅弁。 の横川サービスエリアでも販売される時がある。 やきはま丼() - 蛤型をしたの中に、焼き蛤の串、蛤の白焼き、煮蛤が炊き込みご飯の上に載っている。 以前の「はまぐり丼」をリバンプ刷新したもの。 他に「やきはま弁當」など。 くじら弁当()マリン• 極附弁当(東京駅)• (東京駅・・いわき駅)・・()NRE仙台調理センター(各者の内容は若干異なる) - 1964年から続くの看板弁当。 ただし、販売中断と業者の・名称「チキンバスケット」に変更の時期がある。 焼売炒飯弁當(東京駅・品川駅・新横浜駅)ジェイアール東海パッセンジャーズ• 鳥めし・鳥飯弁当(東京駅・・水戸駅) - 1960年からの物で「復刻」版もあり• (東京駅)NRE大増・(両者の内容は若干異なる)• ・横濱チャーハン() - 「シウマイ」表記は昭和29年の販売開始以来のもの。 以前は「山菜おこわ弁当」も売られていた。 (・)• (・)• (・) - 駅構内ので販売 のJR東日本エリアは、地元の業者が全て撤退した。 で売られる駅弁は、他県に所在の業者による商品。 常陸牛 牛べん(水戸駅・いわき駅・上野駅・東京駅) 中部(信越・中央)地方 [ ]• 黒の信州牛めし()吉美• とりそぼろ弁当()池田屋• 雪だるま弁当(・) - 光沢のある白をはじめピンク・水色・橙・緑とある「」容器の駅弁。 他に「鮭の焼漬弁当」も有名。 さけとにしんの親子めし(新津駅・新潟駅)神尾弁当 - 「さけとにしんの親子わっぱ」を改名したが、包装紙の色や中身のは同じもの。 高原野菜とカツの弁当(・)• 元気甲斐(小淵沢駅・茅野駅)丸政• 直火炊き 山菜鶏釜めし(小淵沢駅)丸政• 岩魚ずし()カワカミ• 安曇野釜めし()イイダヤ軒• のJR東海エリアは、・とも駅弁販売を終了している。 くるみ山菜寿司()川岳軒 - 昭和から販売されている寿司駅弁。 越後湯沢~金沢・福井(または)特急があった頃は、JR西日本エリアとJR西日本「ホワイトウイング」車両(「はくたか」号)内でも売られていた。 の石打サービスエリアでも販売される時がある。 (・)ホテルハイマート - 以前は、も直江津駅はじめ、JR西日本エリアと(インターチェンジ・道の駅)・(待合所)でも複数の駅弁を販売していた。 釜ぶた弁当(直江津駅・上越妙高駅)ホテルハイマート• 鱈めし(直江津駅)ホテルハイマート• ()笹すし総本舗九郎右ェ門 - 駅ホーム構内と特急車両内での販売は終了、現在はの売店と駅前の「ヒスイ王国館」1階で売られている。 が非常に鮮やかな寿司。 ますのすし・ぶりのすし() - で完食できる少し小さめの「ますのすし 小丸」も商品ラインナップにある(上位商品の「特選ますのすし」と共に数量限定)。 二味笹すし()大友楼• (・・)番匠本店• 元祖たいずし()• には、紀行作家のも随筆などで評価した「夫婦釜めし」(糸魚川駅および北陸本線の特急車内など、たかせ) が1970年から売られていたが、製造元が2013年限りで駅弁事業から撤退している。 ますのすし(富山駅) 近畿地方 [ ]• ()柳屋• さんま鮨(新宮駅)丸新• えびずし()阪和第一食堂• 小鯛雀寿司(和歌山駅)• 湖北のおはなし()井筒屋 - 他に「元祖鱒寿し」も売られている。 ハンバーグ弁当()角井食品 - 左記をのぞいて国鉄時代からのはじめ京都の業者が撤退しており、他府県に所在の業者が作る駅弁が殆どになっている。 八角弁当()・ - 読みは「はちかく」。 但馬の里和牛弁当()福廼家総合食品• ひっぱりだこ飯(・ほか) - 他に小容量のボトルをつけた「神戸ワイン弁当」が知られる。 () - 日本最古ともいわれる幕の内弁当を再現したもの。 他に「」など。 が北海道で初めて立ち売りした(とされる)酒饅頭を起源とするもの。 1999年「さいたまの鉄道」さきたま出版会• 『名古屋駅物語』(著者 、交通新聞社、2016年)48頁によれば(明治21年)とされている。 仮に1888年であっても、姫路駅より早い。 服部商店は(大正11年)10月をもって後継者の問題により引退、翌11月から松浦弥兵衛に引き継いだ。 これが2016年現在も弁当を調製・販売している松浦商店のルーツである。 林順信、1986年、「駅弁物語」、大野一英・林鍵治『鉄道と街・名古屋駅』、大正出版 p. 102-105• 41-p. 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(2011年). 『鈍行列車のアジア旅』, ,. 阿部真之、岡田健太郎(2011年). 『中国鉄道大全 中国鉄道10万km徹底ガイド』,. 小牟田哲彦(2015年). 『大日本帝国の海外鉄道』,. 下川裕治(2016年). 『ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行』, 中経の文庫,. 関連項目 [ ]• (そらべん) - で売られている弁当• (はやべん) - ので売られている弁当• (みなとべん) - が認定し各港で売られている弁当• - 全国の駅弁を題材とした漫画作品• - 全国の駅弁を題材とした漫画エッセー作品• - 駅弁販売業者が経営して折り詰めなど弁当を販売している事がある。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (日本三大駅弁大会の企画・運営会社のサイト)• (日本鉄道構内営業中央会公式サイト)• (ぐるなびの旅行グルメサイトぐるたびの駅弁総合ページ)• (上記「駅弁資料館」館長の連載コラム)• ([驛弁博物館]駅弁ホームページの元祖なるも、更新ストップ?)• (西日本地区の駅弁紹介/一般社団法人日本鉄道構内営業中央会西日本地区本部)• (全国駅弁ガイド・駅弁テーマパーク)• (駅弁販売店の案内).

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