更新日:2018年1月12日 郷土料理の紹介【ふかの湯ざらし】 ふかの湯ざらし 料理の紹介 ふかは「さめ」とも「てっぽう」とも呼ばれています。 「ふかの湯ざらし」は生きのいいふかの刺身を熱湯にサッと通した後、冷水にさらし、みがらし味噌をつけていただきます。 結びこんにゃく、豆腐、季節の野菜を添えるのが一般的で、淡白な味に、ピリッと辛い味噌がよく調和して食欲をそそります。 また、南予地方では冠婚葬祭に欠かせない一品でもあります。 材料4人分• ふか(正味) 280g• 塩 適量• 酢味噌 A• 味噌 40g• 砂糖 25g• みがらし粉 3g• 付け合わせ• こんにゃく 120g• 豆腐 200g• ブロッコリー 120g• トマト 80g 作り方• (1)ふかは熱湯につけ、さめ膚(うろこ)を取る。 (2)(1)を3枚におろし、適当な大きさに切る。 塩をまぶして10分おく。 (3)(2)を蛇口の下に置き、水がきれいになるまで流水をかけ血抜きする。 (4)鍋に湯を沸かし、沸騰する中へ(3)を入れ攪拌する。 こんにゃく、豆腐、ブロッコリー、トマトを添える。 (5)酢味噌(A)の調味料を合わせて、(4)にかけていただく。 1人分の栄養量 1人分の栄養量 エネルギー 161kcal たんぱく質 19. 2g 脂質 3. 2g 食塩 1. 5g ホーム•
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次の八代深川栄左衛門(以下八代と略)は、幕末・明治期に有田皿山を牽引していた一人であることは、疑う余地もありません。 その証拠に、「肥前陶磁史考」(昭和11(1936)年刊)に「深川時代」という言葉があります。 もともと、深川家は有田の有力な窯焼きでした。 江戸時代、有田のやきものは伊万里から積み出され、貿易品は有田の貿易商人が長崎のオランダ商館や中国商人に売り込んでいました。 このころの佐賀藩の方針で有田の貿易鑑札は1枚のみで、当時は田代家が貿易を独占していました。 慶応4(1868)年春、 八代は打ち首覚悟で佐賀城下の藩庁にのり込み、貿易の権利拡大を願い出ます。 その結果、鑑札は10枚に拡大され、有田焼の輸出に門が大きく開かれました。 有田のやきものは慶応3(1867)年のパリ、明治6(1873)年ウィーンの万国博覧会には藩や政府の援助で出品され好評を博しましたが、明治9(1876)年のフィラデルフィア万博は自費出品となったため、 資金力のない有田の人々は出品を躊躇しました。 岩倉具視とともに米欧を回覧してきた久米邦武(旧佐賀藩士)が八代に、欧米には同志で資金を出し合い、 個人では成し得ない大きな事業を行うためのカンパニーがあると、会社設立を促しました。 そこで有力な窯焼や商人で合本組織香蘭社を作り、八代は社長に推されます。 メンバーは、八代深川栄左衛門、手塚亀之助、11代辻勝蔵、深海墨之助、深海竹治でした。 社名は「君子の交わりは蘭の香りの如し」という中国の易経から取ったもので、「日本における最初の会社組織」とも言われています。 合本組織香蘭社として参加したフィラデルフィア万博で、有田焼は高い評価を得て、それを機に、アメリカへの輸出が始まりました。 さらに明治11(1878)年のパリ万博では、一等金牌に輝きました。 しかし、合本組織香蘭社は長くは続きませんでした。 経営方針をめぐる対立から分裂し、手塚らは分離して精磁会社を作ります。 香蘭社は八代の単独経営となり、現在に至っています。
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