バンドメンバーの認識 曲は「バンドとして」作ってヒットさせたのだから相応の報酬が得られるべきだ ビリー・ジョエルの認識 あくまで「ソロ活動」がメイン ドラマーのリバティー・デヴィートが本の中で語った「ビリーじゃなくてビートルズに入りたかった」という発言が象徴的です。 「かけがえのないバンドの一員」というメンバーの認識に対して、 ビリー・ジョエルがソロとバンドの線引きを明確にしていなかったのが原因でしょう。 その曖昧さが、ビリー・ジョエルの仲間思いの優しさからくるものなのか、目立ちたがり屋でかつ面倒くさい揉め事を避けていたのか、どちらなのか真相は分かりません。 ただし、当時のレコードジャケットやライナーノーツには「ビリー・ジョエル・バンド」としてメンバーの写真や紹介がかなり大きく扱われていました。 それを見た 私も子どもながらに「でも、なんでバンドじゃなくてソロでリリースしているのだろう? メンバーたちはどう思っているのだろう?」と疑問に思いました。 ビリー・ジョエルと金銭トラブル~訴訟~和解 ドラマーのリバティー・デヴィートの場合は未払いの著作権料について、2009年5月に訴訟を起こすまでに発展しました。 そしてこれは2010年に和解しています。 訴訟の内容は 「1975年~1990年にレコーディングした11枚のアルバムの売上に係る著作権料の支払いがされていない」というものです。 B・ジョエル、元ドラマーとの著作権料訴訟が和解 [ニューヨーク 21日 ロイター] 米歌手ビリー・ジョエルさんの元ドラマーが、制作に携わったアルバムの著作権使用料が支払われていないとして訴えを起こしていた問題は、両者の和解によって解決した。 ジョエルさんの弁護士が21日発表した。 ジョエルさんと長年活動を共にしてきた元ドラマーのリバティ・デビットさんは、アルバム「ストレンジャー」、「ニューヨーク52番街」、「グラス・ハウス」、「ストーム・ハウス」などの制作に参加したほか、コンサートツアーのバンドメンバーでもあった。 デビットさんは昨年5月、 1975年から1990年にレコーディングした11枚のアルバムの売り上げを元にした著作権使用料を支払うとの合意が履行されていないとして訴えを起こしていた。 同期間のアルバム販売枚数は全世界で1億枚以上に上る。 ジョエルさんの代理人は「訴訟は友好的に解決した」としたが、和解条件についてはコメントしなかった。 より引用.
次の経済的困難にあるニューヨーク市民を救援するチャリティ団体Robin Hood Foundationが、新型コロナウイルスにより打撃を受けた人たちに対する支援金を募るため、現地US東部時間5月11日月曜日の夜7時 日本時間5月12日火曜日の朝8時 から、新型コロナウイルス救済チャリティ特別番組『Rise Up New York! 』 を放映した。 この番組のホストはサタデー・ナイト・ライブで知られるティナ・フェイをはじめ、ロバート・デ・ニーロ、ジェニファー・ロペス、バーブラ・ストライサンド(声のみの出演)などが務め、ビリー・ジョエル、同じくニューヨーク出身のマライア・キャリー、アリシア・キーズの他、スティング、ボン・ジョヴィといったニューヨークと縁の深いアーティストが出演して素晴らしいパフォーマンスを披露、視聴者に寄付を募った。 この日、マライア・キャリーが最初のパフォーマーとして「Through The Rain〜Make It Happen」を披露し、続くスティングは「メッセージ・イン・ア・ボトル」、アリシア・キーズは「グッド・ジョブ」、ボン・ジョヴィは「イッツ・マイ・ライフ」、をそれぞれ披露した。 ラストではニューヨーク州知事アンドリュー・クオモによる「ニューヨークのスピリットを体現する人物として、彼以上の人は思い当たらない。 ビリー・ジョエル!」というイントロダクションを受けて、ビリーは「マイアミ2017」をパフォーマンス。 11のあとの<The Concert for New York City>や、ハリケーン・サンディのあとの<Hurricane Sandy: Coming Together><12-12-12: The Concert for Sandy Relief>など数多くのチャリティイベントでビリーがパフォーマンスしているが、今回はタイムズスクエアにある13の大型ビジョンにパフォーマンスの模様がリアルタイムに映し出され、更には曲に合わせてエンパイアステートビルがライトアップされるなど、感動的な光景がニューヨークのど真ん中に出現。 ビリーは、「ニューヨークよ、ステイ・ストロング(強くあれ)。 マスクを着けてくそったれウィルスに感染しないように!」との言葉と共に、その感動的で力強いパフォーマンスを終えた。 ちなみに、「マイアミ2017」というタイトルは、破滅的な災害後に多くのニューヨーカーがマイアミに隠退し、曲の語り手が2017年になって孫へ当時の惨状を語って聞かせる、という曲の世界観からきている。 2001年10月、9. 11直後に開催された<The Concert for New York City>でこの曲を披露した際、曲の最後にビリーは、「私は25年前にこの曲を作った。 この曲はこのまま空想の歌になっていくのだろうと思っていた。 まさか現実のことになろうとは。 しかしこの曲の結末とは違い、我々はどこにも逃げたりしない!」と表明し、大喝采を浴びた。 なお、Robin Hood Foundationには結果的に1億1,500万ドル(約123億6,500万円)の救済資金が寄付された。 収益金は、食事やシェルター、教育、健康問題などで支援を必要とするニューヨーカーに全額寄付される。
次のバンドメンバーの認識 曲は「バンドとして」作ってヒットさせたのだから相応の報酬が得られるべきだ ビリー・ジョエルの認識 あくまで「ソロ活動」がメイン ドラマーのリバティー・デヴィートが本の中で語った「ビリーじゃなくてビートルズに入りたかった」という発言が象徴的です。 「かけがえのないバンドの一員」というメンバーの認識に対して、 ビリー・ジョエルがソロとバンドの線引きを明確にしていなかったのが原因でしょう。 その曖昧さが、ビリー・ジョエルの仲間思いの優しさからくるものなのか、目立ちたがり屋でかつ面倒くさい揉め事を避けていたのか、どちらなのか真相は分かりません。 ただし、当時のレコードジャケットやライナーノーツには「ビリー・ジョエル・バンド」としてメンバーの写真や紹介がかなり大きく扱われていました。 それを見た 私も子どもながらに「でも、なんでバンドじゃなくてソロでリリースしているのだろう? メンバーたちはどう思っているのだろう?」と疑問に思いました。 ビリー・ジョエルと金銭トラブル~訴訟~和解 ドラマーのリバティー・デヴィートの場合は未払いの著作権料について、2009年5月に訴訟を起こすまでに発展しました。 そしてこれは2010年に和解しています。 訴訟の内容は 「1975年~1990年にレコーディングした11枚のアルバムの売上に係る著作権料の支払いがされていない」というものです。 B・ジョエル、元ドラマーとの著作権料訴訟が和解 [ニューヨーク 21日 ロイター] 米歌手ビリー・ジョエルさんの元ドラマーが、制作に携わったアルバムの著作権使用料が支払われていないとして訴えを起こしていた問題は、両者の和解によって解決した。 ジョエルさんの弁護士が21日発表した。 ジョエルさんと長年活動を共にしてきた元ドラマーのリバティ・デビットさんは、アルバム「ストレンジャー」、「ニューヨーク52番街」、「グラス・ハウス」、「ストーム・ハウス」などの制作に参加したほか、コンサートツアーのバンドメンバーでもあった。 デビットさんは昨年5月、 1975年から1990年にレコーディングした11枚のアルバムの売り上げを元にした著作権使用料を支払うとの合意が履行されていないとして訴えを起こしていた。 同期間のアルバム販売枚数は全世界で1億枚以上に上る。 ジョエルさんの代理人は「訴訟は友好的に解決した」としたが、和解条件についてはコメントしなかった。 より引用.
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