死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪 山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。 引用: 小学生や中学生の学級活動で、人間の生死を1人が選ぶと言う課題を行い児童が不安を感じてしまい、保護者から指摘を受けたと言うのが概要です。 ツイッターでも話題になっていますね。 小学生や中学生に対して、他人の生死を選ばせる問題は確かに児童に不安を感じさせてしまうかもしれません。 トロッコ問題とは? 別名 「トロリー問題」とも言われています。 イギリスの哲学者である ファフィパ・フットが考え、人間の道徳心を問う問題として有名です。 今回の学校で配られたトロッコ問題のプリントはこんな感じで書かれていました。 トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が縛られて横たわり、分岐点にレバーを握る人物の姿が描かれたイラスト入り。 「このまま進めば5人が線路上に横たわっている。 あなたがレバーを引けば1人が横たわっているだけの道になる。 トロッコにブレーキはついていない。 あなたはレバーを引きますか、そのままにしますか」 今回、問題になったのは年齢的に小学生や中学生に対して行ったことでしょう。 過去にも話題になったこの問題。 この問題に答えはあるのでしょうか? トロッコ問題の答えに関する考察 結論を言うと、 この問題に答えはありません。 その点を踏まえて考察していきます。 まずは多数派と少数派の意見をみていきましょう。 多数派の意見 一般的に、大多数の人は5人の方を助けるため 1人を犠牲にする方法をとると思います。 理由としては、 1人を犠牲にすることで5人の命が助かるからと言った意見が多いようです。 少数派の意見 少数派としては1人を助けて 5人を犠牲にする方法です。 理由としてはもともと5人は惹かれる運命にあった。 また自分がトロッコのレバーを引くことで 自ら1人の命を奪う行動をしたくないと言った意見があるようです。 トロッコ問題の難しいところ トロッコ問題の難しい点は、 5人を助けるために、自分の意思でレバーを動かして1人を犠牲にできるのか? と言うところです。 レバーを動かせば5人は助かります。 ただしレバーを動かすことで、間接的にその1人の命を奪う行為になります。 5人を助けるためとはいえ、1人の命をあなたは奪えますか? 殺人にならないとしてもレバーを動かすことで確実に1人が犠牲になる。 確かに小学生や中学生に対して、この問題は ディープな問題だと思います。 ただこの問題が悪いとは思いません。 人は考えることが大事です。 このような問題は生活する上で実際にあるかもしれません。 人の生死に関わらなくても似たようなことはあるんじゃないでしょうか? その時になって何も考えてなかったら、正しい判断できないことになります。 一度は考えて 自分なりの答えを考えておくことは大事ではないでしょうか? トロッコ問題に関する秀逸な方法 答えはないにしても、他に方法はないのでしょうか? 人はそれぞれ、いろんな方法を考えています。 調査している中で、こう言った方法もありだなってのを見つけたので紹介します。 2択ではなく他の角度から答えをみてみる方法です。 この問題が気になった人は参考にしてみてください。 場合によっては、脱線するようです(笑) 発想が素晴らしいですね! レバーを中心にすることで、中立をとる感じもなんとも秀逸な方法です。 さすがに小学生には早すぎると思いますが、いつかは向き合ってほしい問題だと思います。 ちなみにわたしにとっては『水槽脳仮説』が永遠のテーマです。 いいのは5人轢いてついでに残りの1人普通に殺したら誰にも見られないでいい感じなはず笑 普通な答えだと 嫌いな上司いる方にレバーを傾けるが正解!! — デストロイ destroyoricure トロッコ問題って最近は批判的に口頭に上ることが多い気が 口頭というかまあTweetでだけど するけど、「どう立ち回っても絶対に丸く収まらない問題を自分が判断する場面」の話ってどちらかというと今こそ価値がある気がする。 — moheji mohejinosuke トロッコ問題大学の授業の初回でやったけど胸糞だった。 1人で考えるのではなく、たくさんの意見を聞いてみるのも価値がありますね。 実際、こう言った問題はいつから考えるべきなんでしょうか? 今回の問題って、小学生や中学生に対して行ったのが問題になったのであって、考えることの重要性は感じます。 個人的には大学生になって、専門性の高い学習をするようになってからでいいような気がします。 トロッコ問題に正解はあるのか?答えはないけど秀逸な方法はある!のまとめ.
次のこの問題には正しい答えはありません。 もともと、人間の命について考えさせる命題ですので、 もし不正解があるとすれば、それはこの問題について考えないことです。 考えてみれば、助けられるのは5人か1人かどっちかだけ。 トロッコの暴走に他のみんなは気付かない。 トロッコの暴走から他のみんなは逃げられない。 自分にできるのは、ポイントの切り替えだけ。 こんな無茶な状況が起こりうるでしょうか。 実際には、暴走トロッコの振動で5人の作業員も、1人の作業員も気づくでしょうし、 ポイントを切り換える暇があるなら、大声をあげて注意を喚起することだってできるはずです。 そういった諸状件を無視して、無理のある状況を押し付けているのは、 この問題によって、命の重みについて考えさせるためです。 そもそも、何かしても誰かは必ず死ぬのです。 しかし、何もしなくても、誰かは必ず助かるのです。 絶望と救いが同時に存在しているこの問題においては、 どちらを選んでも救われないのです。 しかし、どちらを選んでも救いが残るのです。 ただ、私はあまりにも要素が不確定なこの手の問題は、非常にアンフェアだと思います。 簡単に言ってしまえば、手を叩いて、 「右手と左手のどっちの手が鳴ったか?」と問いかける禅問答に同じです。
次のトロッコ問題の答え(正解) では、早速ですがトロッコ問題の答えについて。 結論から言えば、 トロッコ問題の答え(正解)は存在していません。 むしろトロッコ問題については、 いまだに専門家の間でも議論が続けられています。 トロッコ問題の正解が無い理由 トロッコ問題は合理性と道徳心のジレンマを表す問題であり、問題そのものが一種のパラドクス。 そのため、基本的には答えは出ないとされています。 さらにトロッコ問題の目的は回答者の思考を読み解くこと。 つまり、模範解答を求められるものではありません。 本来は「なぜその選択をしたのか?」を質問した上で診断結果を出すという形式であり 厳密に言えば、トロッコ問題の選択だけでは、その人の思考を判断するには不十分です。 トロッコ問題の目的 簡単に言えば 5人を助けるのが合理的だけど、自分の意志でレバーを切り替えて1人を犠牲にできるか? という点に尽きます。 そのため、トロッコ問題には決められた条件があります。 一方の作業員は必ず死ぬ• 作業員は全員赤の他人• 作業員はトロッコに絶対気付かない• 周りに協力者や目撃者はいない• 法的責任は問われない• トロッコは絶対に止まらない それゆえに「トロッコを止める」「叫んで作業員に知らせる」などの答えは前提から間違っています。 あくまで求められる選択のは「どちらの作業員を助けるか」だけです。 トロッコ問題の答え方 難しく考えずに、自分の思った通りに解答するのがベストだと思います。 解答した結果として、思考に問題があると診断されたならば、改善をすればよいのではないでしょうか。 また、 そもそも解答すること事態が間違いとする考えもあります。 トロッコ問題自体が、どちらを選んでも批判されて、批判者が自説を強化するのに使われるので、回答する時点で罠に嵌められているんですよね。 主に功利主義批判に使われるので 功利主義者は多い方を助けるのでそれが批判される 、功利主義者が凄く怒って、そこから功利主義の理論が更に展開した。 — kemofure kemohure トロッコ問題の状況はあくまで仮定… 問題では理想論を答えたとしても 現実に同じ状況になったら同じ選択はできますか?という話です。 個人的には、極限状態にならないと人の本質は見えないと思うので、この主張には同意です。 泥酔して豹変する人っていませんか?それが本来の性格なんですよね。 話がそれてしまいましたが、 次の項目ではトロッコ問題の目的について、元ネタの解説を交えて紐解いていきます。 ちなみに、元ネタの問題はトロッコではなく列車。 列車の方が人命救助のイメージはしやすいかもしれませんね。 トロッコ問題はサイコパス診断なのか? 2択の問題が提示され、選択肢に応じて結果が決定するという形式は 一時期流行ったサイコパス診断と似ていますよね。 しかし、先述の元ネタを見ればわかる通り、 トロッコ問題はサイコパス診断として作られたものではありません。 そのため、トロッコ問題でサイコパスかどうかを論ずるのは的外れとも言えます。 一方で 明らかにサイコパスだと言われている解答も存在しています サイコパスの解答の代表例 サイコパス解答の代表例とされるのが 誰も助けずに6人全員殺害するという答えです。 なんj発祥の答えとして有名ですが、その思考を要約すると 誰を助けても文句は出るし、全員死ねば責任は問われないというもの。 主張は理解できますが、道徳的観点では同意出来ない方も多いでしょう。 このような明らかに常識外れな思考については、サイコパスと診断されるかもしれませんね。 トロッコ問題はこのサイコパスの導き出した解を超えるものは無いから議論も大喜利も無駄に尽きる — 安成ヤスナ yas7riyas7 トロッコ問題がサイコパス診断として使われる例 トロッコ問題の派生である「太った男性を突き落とす」バージョンがサイコパス診断として利用されることがあるそう。 簡潔な内容• あなたは線路をまたいだ橋の上に立っている• 5人の作業員に向かって列車が暴走している• ふと横を見ると太った男性がいた• 男性を突き落とすことで、作業員を助けられる• さあ、どうする? トロッコ問題、分岐を切り替えるやつより罪のないデブを突き落とすやつの方が理不尽すぎて好き — 看護メン nursemens4321 この問題については、 太った男性を迷わず突き落としたらサイコパスとされることが多いです。 しかし、よく考えてみてください。 レバー切り替えも、突き落とすことも 「自分の介入によって犠牲者の選択をする」という点では一致していますよね。 本来のトロッコ問題と本質的には一緒であるため、この派生もサイコパス診断ではありません。 (というかトロッコ問題の内容自体がサイコパスでは…) サイコパス診断だと勘違いする人も多い トロッコ問題をサイコパス診断だと勘違いしている方も多いのが事実。 しかし、元ネタの項目でお話した通り 問題に対する選択だけではサイコパスを診断することは不可能に近いです。 「お前はサイコパスだ!」と決めつけられたとしても、気にする必要はないでしょう。 事故が起きる際に、乗客と歩行者どちらを優先するか?という問題です。 下の画像を見ていただいた方がイメージしやすいかもしれません。 男性と女性• 若者と高齢者• 交通ルールを守る人と守らない人 といった他の判断基準も議論の的となっています。 さらに、これらの基準を組み合わせた事態も想定する必要があるため、結論を出すことは非常に難しいでしょう。 自動運転AIの思考についても、未だに答えは出ていないようで日夜研究が続けられているそうです。
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