2020年3月30日より、福島市出身の作曲家・古関裕而氏とその妻・金子(きんこ)氏をモデルにした、 連続テレビ小説「エール」の放送が始まります。 福島県では、「古関裕而生誕の地」として、古関裕而氏と「エール」を全国に情報発信していきます。 古関裕而について 「エール」の主人公のモデルである古関裕而(本名、古関勇治)は、明治42年福島市大町に生まれました。 昭和5年9月に日本コロムビア株式会社に作曲家として入社、以来、作曲活動を継続し、生涯で5000曲もの 作品を作っています。 作品は、昭和39年の東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」や今も全国高等学校野球 選手権大会(高校野球)の放送で流れる「栄冠は君に輝く」などをはじめ、歌謡曲、スポーツ、ラジオドラマ、 校歌、社歌など多岐にわたります。 1.古関裕而ゆかりの地 ゆかりの地MAP 古関裕而氏の生誕地である福島市にはもちろん、県内には古関裕而氏のゆかりの地が多くあります。 下記の「古関裕而ゆかりの地MAP」で紹介しておりますので、ご覧ください。 ゆかりの地情報 「ゆかりの地MAP」でも紹介している、古関裕而ゆかりの市町村をご紹介します。 (各施設等の見学時間や休館日等については、事前にお問い合わせください。 まずは、古関ゆかりの資料や楽譜、愛用品などが数多く展示されている 「古関裕而記念館」を訪れてみてはいかがでしょうか。 頂上は標高1,622メートルにもなり、 雄大な景色が楽しむことができる、福島県を代表する観光地です。 昭和34年のスカイライン開通を記念して、昭和35年「花のスカイライン」という曲が作られました。 歌詞は一般公募で選ばれ(野村俊夫が補作)、古関が曲をつけたものです。 頂上付近には、休憩施設「浄土平レストハウス」があります。 ・問い合わせ:0242-64-2100(浄土平レストハウス) ・スカイラインの通行可能期間は4月上旬から11月中旬です。 (冬期間は閉鎖)。 また、悪天候などにより 通行止めになる場合がありますので、事前に情報をご確認ください。 本宮駅前と花山公園には、歌碑が設置されています。 銀行員時代、古関が川俣町に住んでいた際に使用したオルガンが今も残っています。 丘灯至夫記念館では 解説パネルや愛用品等が展示されています。 軽便鉄道は廃線になっていますが、その車両は「緑の村」で見ることができます。 また、「高原列車は行く」の歌碑が町内に2カ所設置されています。 その内、次の6校を古関裕而が作曲して います。 以後、草野の日記には30回以上、古関の名が書かれています。 NHKでは、「福&愛をココから」と題して、このコーナーで紹介する写真を一般公募しております。 【テーマ】 福島または愛知の、人・食・自然・伝統など・・・地域の魅力が詰まった写真であれば何でもOK! 写真にエピソードなどを添えて、ご応募ください。 【応募方法】 NHKの応募専用Webサイトから投稿してください。 投稿写真が必ず放送されるとは限りませんので、 予めご了承ください。 エールの情報はこちらから! NHK福島放送局のホームページでは、順次、エールの情報を更新しています。 詳しくは、下記のアドレスからご覧ください。 NHK福島放送局ホームページ 3.市町村情報 県内各市町村の「エール」「古関裕而」に関連した取り組みやイベント情報などをご紹介します! (イベントの内容は変更になる場合があります。 事前に必ず各市町村にお問い合わせください。 前日には、宿泊パックを利用される方限定の特典イベントもあります。
次のNHKは、 2020年度前期の連続テレビ小説の主演を俳優の窪田正孝(30)が務めると発表。 朝ドラで男性が主演を務めるのは異例のことです。 タイトルは「エール」で、天才作曲家と歌手を目指す妻の夫婦の物語を描きます。 2020年前期 連続テレビ小説「エール」は 主演:窪田正孝さん 作:林宏司さんで 昭和の音楽史を代表する作曲家 古関裕而さんとその妻(金子さん)をモデルに、 音楽とともに生きた夫婦の物語を描きます。 作曲家・古関裕而(こせき・ゆうじ)氏とは・・ どんな人物なのでしょうか? 【速報でーす】 2020年前期 連続テレビ小説 「エール」 主演:窪田正孝 作:林宏司 昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而さんとその妻をモデルに、音楽とともに生きた夫婦の物語を描きます。 放送予定は、2020年春からです。 よろしくお願いします。 作曲家、古関裕而(こせきゆうじ)さんのプロフィール 古関裕而(こせきゆうじ)さんは、日本の作曲家。 本名は古關 勇治。 1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、 1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。 2017年夏以降、出生地等で「野球殿堂」入りを応援する動きが活発になっています 生年月日 1909年8月11日 没年月日 1989年8月18日(80歳没) 出生地 福島県福島市 死没地 神奈川県川崎市宮前区菅生 職業 作曲家 ジャンル 応援歌、軍歌、歌謡曲 活動期間 1931年 — 1989年 配偶者 古関金子 著名な家族 古関正裕(長男) 古関裕而の子供は何人? 出身高校や経歴は? 古関裕而さんは 1916年(大正5年)7歳のときに福島県師範学校附属小学校へ入学し 1922年(大正11年)、音楽家の多い旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学 旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)卒業後 川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務していました。 古関裕而さんが結婚したのは1930年、 古関さん20歳、 妻の金子さん18歳でスピード結婚をし、 たいへんな愛妻家で、晩年までおしどり夫婦であったそうです。 声楽家志望の愛知県豊橋市在住の内山金子(きんこ)さんが古関さんにファンレターを送り、 熱烈な文通を経ての結婚でした。 古関裕而さんの妻、金子(きんこ)さんは 昭和55年(1980年)7月23日に68歳でお亡くなりになられています。 古関裕而さんが亡くなられたのは 古関裕而さんの妻、金子(きんこ)さんが亡くなられれてから9年後の1989年・・ おしどり夫婦だった古関裕而さん、金子さんご夫妻・・ 先に奥様の金子さんが68歳という若さでお亡くなりになられたのは 古関裕而さんや息子さんにとってかなりお辛いことだったでしょうね・・ 古関裕而さんのお子さんは ご長男が古関正裕さんというお名前であることがわかっています。 古関裕而さんのお子さんが何人いたのかについては不明ですが・・ 「ご長男」がいるということは明らかになっています。 ご長男以外にもお子さんがいらしたかどうかについてはわかりませんでした・・ 古関正裕さん(古関裕而さんのご長男)プロフィール 【今日のひと】音楽家・古関正裕さん 甲子園でおなじみ「栄冠は君に輝く」は古関さんの父の作曲。 古関正裕さんの出身大学は「早稲田大学」であるようです。 早稲田大学の数学科ということは・・ 早稲田大学の基幹理工学部の数学科か 教育学部の数学科のいずれかを卒業していると思われます。 データベース・システム、オンライン情報サービス・システムの開発などに携わり 日本経済新聞社早期退職(定年扱)後、 青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説「緋色のラプソディー」を執筆・出版。 父である作曲家古関裕而の生誕100年記念CD全集の企画・監修で2009年日本レコード大賞企画賞を受賞。 2013年、鈴木聖子、齊藤早苗と共にライブユニット「喜多三」を立ち上げました。 仕事帰り。 大作曲家・古関裕而先生を歌い継ぐ、古関正裕さん&鈴木聖子さんのユニット、喜多三さんの会へ。 貴重なお話、古関先生の名曲を沢山聞かせていただきました。 歌われた方々の皆様素晴らしい事。 古関先生への想いがあふれていました。 詞がささってくる歌い方に、ウルッときました。 — ゾマホン 昭和リスペクト natumeroinochi 朝ドラで古関裕而さんの妻(金子)役を演じるのは誰? 2020年前期 連続テレビ小説「エール」は 主演:窪田正孝さん 作:林宏司さん 昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而さんとその妻をモデルに、 音楽とともに生きた夫婦の物語を描きます。 【古関裕而さんとその妻】 が登場することが明らかになりましたが 妻役がかなりきになりました・・ 2月28日の制作発表の時点では 【古関裕而さんとその妻】の【妻】役の女遊さんはまだ発表されていませんでした。 【古関裕而さんの生涯のパートナーとなるヒロインは、オーディションで選考予定です。 】 ということなので・・ これからオーディションで選ばれるんですね・・! どんな方が演じるのでしょうか? 発表が楽しみですね! 古関裕而の子供は何人? 出身高校や経歴は? 朝ドラの妻役は誰? 長男正裕氏の現在は? まとめ NHKが28日、2020年度前期の連続テレビ小説の制作発表会見を開きました。 タイトルは「エール」で、主演は窪田正孝さんが務めます。 高校野球の「栄冠は君に輝く」などを作曲した古関裕而さん夫婦を描く物語で 妻役の女優さんはオーディションで選考予定とのこと! 古関裕而さんと妻金子さんの間にはお子さんがおり ご長男の正裕氏は 日本経済新聞社早期退職(定年扱)後、 青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を営みながら小説「緋色のラプソディー」を執筆・出版。 父である作曲家古関裕而の生誕100年記念CD全集の企画・監修で 2009年日本レコード大賞企画賞を受賞されています。 ご長男の正裕氏役を演じる役者さんも気になりますね!.
次の古関裕而 「露営の歌」「長崎の鐘」「栄冠は君に輝く」「オリンピック・マーチ」…。 昭和の時代とともにあったメロディーを紡いだ作曲家、古関裕而(ゆうじ)が再び脚光を浴びている。 昨年は生誕110年。 ことしは東京で再び五輪が開かれ、春から放送のNHK連続テレビ小説「エール」で主人公のモデルともなる。 戦争から敗戦、復興、高度経済成長という激動の時代を生きた人々にとって古関メロディーは「人生の応援歌」でもあったはず。 5千曲を手掛けた作曲家の足跡をたどった。 (論説委員・田原直樹) 原爆投下の翌年、広島の復興を願う歌が生まれた。 「歌謡ひろしま」。 被爆から1年の事業として中国新聞社が歌詞を公募した。 曲を付けたのが古関である。 「声も高らに 歌謡ひろしま」「古関氏鏤骨(るこつ)のメロデー完成」。 そんな見出しとともに、歌は1946年8月9日付の朝刊で発表された。 記事には古関のコメントも載る。 「作曲にも苦心して何処でも誰にでもうたへるやうにした」。 力の入れようが分かる。 「初めて知った。 珍しい曲ですね」。 生誕地の福島市にある古関裕而記念館の学芸員、氏家浩子さん(63)は言う。 「古関の曲は短調が多いのにこれは長調で明るい」。 楽譜には「明るく軽快に」の指示も見える。 もう一つ氏家さんを驚かせたのがこの作曲の時期。 「終戦の翌年に広島からの依頼を受けたとは…」。 というのも、この頃の古関は落ち着かぬ心境であったと思われるからだ。 「戦犯」になるだろうと忠告した人もあった。 古関の曲は厳密には戦時歌謡というが一般に「軍歌」と呼ばれもする。 勝って来るぞと勇ましく…と歌う「露営の歌」は、日中戦争が始まった直後の作曲。 この大ヒット曲をはじめ、古関は太平洋戦争終結まで、戦時歌謡を数多く手掛けている。 「日中戦争の勃発によって古関は世に出た、と言えます」。 近著「古関裕而」(中公新書)がある刑部(おさかべ)芳則・日本大准教授(42)は語る。 軍部は戦意高揚へ、力強く勇ましい音楽を求めた。 格調高い曲調を得意とした古関が合致したのだ。 もともとクラシックを志向して独学した古関だが、コロムビア専属作曲家になる。 ヒット曲が書けず、鳴かず飛ばずでいたところ、37年に「露営の歌」が当たる。 旧満州(中国東北部)を旅行した帰途、下関から乗った列車内で作った曲。 新聞に出ていた懸賞第2席の詩に曲を付けたという。 詩にある、兵士が見送られ出発する光景は山陽線の各駅で目にしていたため「自然にすらすらと作曲してしまった」と自伝に記す。 東京に着くと果たして、その詩に曲を依頼された。 ヒットを受け、レコード会社は「軍歌の覇王」などと古関を売り出す。 「暁に祈る」などもヒット。 太平洋戦争突入後も「ラバウル海軍航空隊」「若鷲(わし)の歌」など戦時歌謡を多く作る。 銃後の女性を鼓舞する「愛国の花」などもあった。 戦時下の楽曲ではあったが、曲調には古関の人間性がにじんでもいる。 古関は中支や南方、インパールに報道班、慰問団として派遣された。 戦場の悲惨も目にしたためだろう。 「雄々しいだけの軍歌は作れずに、どうしてもメロディーが哀調を帯びてきちゃうんです」と、戦後に語っている。 しかし自作曲に送られて兵士が戦地へ向かい、多くが帰らなかった。 そのことに古関は心を痛め、終生背負った。 戦後はさまざまな分野で活躍したが、戦没者へのレクイエムとした曲もある。 「長崎の鐘」はその代表的な曲の一つ。 原作者、永井隆博士の心を震わせた。 福島市の記念館には、病床の博士から届いた感謝の手紙やロザリオが並ぶ。 歌手の側でも感じ取り、思いを乗せたようだ。 広島市出身の二葉あき子は「フランチェスカの鐘」を原爆犠牲者にささげる曲として歌い続けた。 広島をイメージした詩ではなかったが、古関の曲調と二葉の歌唱から鎮魂歌として聴かれた。 「鐘」が題名に付く曲が古関には多い。 レクイエムでないものもあるが、刑部准教授は「戦争による死者への鎮魂と、生き残った人に希望を与える曲として作ったのでしょう」とみる。 広島と妙な縁もあった。 一つ間違えば被爆死していたというのだ。 作詞家西條八十(さいじょう・やそ)が広島の軍人に楽曲作りを頼まれ、古関を誘って行こうと考えた。 「ぼくが行けば、当然彼も行くはず(中略)ぼくと広島へ来て共に死んだであろう」(日本経済新聞社「私の履歴書」より)。 だが西條は風邪をひいて広島行きを中止。 古関を誘うのもやめた。 戦争の時代を、音楽を作りながら生きた古関。 その悔悟も胸に戦後、人々への応援歌を送り出していく。 本名勇治 19年 卓上ピアノで作曲を始める 22年 福島商業学校入学。 本格的な作曲・編曲を始める 27年 ペンネームを「裕而」に 28年 川俣銀行に勤務 29年 舞踊組曲「竹取物語」などが英国の出版社の作曲コンクールで入選 30年 結婚。 コロムビアの専属作曲家に 31年 早稲田大応援歌「紺碧(こんぺき)の空」 36年 「大阪タイガースの歌」(六甲おろし) 37年 「露営の歌」が大ヒット 38年 中支派遣軍に従軍 40年 「暁に祈る」作曲 42年 南方慰問団派遣員 43年 インパール作戦特別報道班員 45年 約1カ月間、軍隊生活を送る 48年 全国高校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」 49年 「長崎の鐘」作曲 52年 ラジオドラマ「君の名は」主題歌 64年 東京五輪行進曲「オリンピック・マーチ」 72年 札幌冬季五輪「純白の大地」 80年 自伝「鐘よ鳴り響け」出版 86年 作曲生活から引退 89年 8月18日死去 被爆地の歩み、しのばれる曲 まだ焦土の残る46年に生まれた「歌謡ひろしま」。 すっかり忘れられたと思ったが、口ずさむ人がいた。 明るい曲のはずなのに、剌田只子(そりだ・ただこ)さん(80)=東京都練馬区=の歌声にはどこか哀調が漂う。 福富町(東広島市)の久芳小に通う10歳の頃、広島からの転校生が教えてくれた。 「以来ずっと耳に残っていた」と剌田さん。 題名は知らないが、曲と歌詞は頭から離れなかった。 「古関さんの曲でしたか」 遠くにきのこ雲を見たあの日。 小1だった。 やがて被爆者が運ばれてきて、町はただならぬ様子だった。 その記憶も重なったか、もの悲しい調べで口ずさんできた。 歌詞は、広島市の歌人だった山本紀代子さんの作である。 短歌などに原爆で長男を亡くした傷心を、多く詠んだ人である。 あの日から1年、まだ立ち直れない中、街の復興を願ってこの詩を書いたと思われる。 七つの澄んだ川、花の比治山、安芸の小富士…。 歌詞には広島の地名や風景が織り込まれる。 多くの広島市民に歌われ、心を慰め、励ましたはずである。 この歌詞を「品があり」「立派なもの」と古関は評した。 3番の歌詞に「鐘」の言葉もある。 古関を奮い立たせたに違いない。 市井で忘れられた後も、古関の調べと山本さんの願いは、剌田さんの中に生き続けていた。 古関の音楽の力とも言えようか。 一昨年夏、剌田さんは思い立ってカセットテープに歌を吹き込み、原爆資料館に送る。 被爆後に広島で作られた最初期の音楽「歌謡ひろしま」。 記録はあったが、音源はなかった。 だが今は剌田さんのテープが音源としてデータベースに登録されている。 さまざまな人の思いや被爆地の歩みがしのばれる歌声である。
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